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No.201 - ヴァイオリン弾きとポグロム [アート]

前回の No.200「落穂拾いと共産党宣言」で、ミレーの代表作である『落穂拾い』の解説を中野京子・著「新 怖い絵」(角川書店 2016)から引用しました。『落穂拾い』が "怖い絵" というのは奇異な感じがしますが、作品が発表された当時の上流階級の人々にとっては怖い絵だったという話でした。

その「新 怖い絵」から、もう一つの絵画作品を引用したいと思います。マルク・シャガール(1887-1985)の『ヴァイオリン弾き』(1912)です。描かれた背景を知れば、現代の我々からしてもかなり怖い絵です。


ヴァイオリン弾き


Le Violoniste.jpg
マルク・シャガール(1887-1985)
ヴァイオリン弾き」(1912)
(アムステルダム市立美術館)

"ヴァイオリン弾き" というモチーフをシャガールは何点か描いていますが、その中でも初期の作品です。このモチーフを一躍有名にしたのは、1960年代に大ヒットしたミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」でした。シャガールはミュージカルの製作に関与していませんが、宣伝にシャガールの絵が使われたのです。もちろんミュージカルの原作者はロシア系ユダヤ人で、舞台もロシアのユダヤ人コミュニティーでした。

この絵について中野京子さんは「新 怖い絵」で次のように書いています。


緑色の顔の男がまっすぐこちらを見据え、三角屋根の上に片足を載せリズムをきざみつつ、ヴァイオリンをかなでる。ロシアの小村。木造りの素朴な家が点在し、屋根にも広場にも雪が積もる。煙突からは巻いたコイルのような煙が吐き出され、手前の木には鳥がつどう。画面左上に小さく、右端に大きく、教会が見える。幻想の画家シャガールらしい不思議な魅惑の世界。

ヴァイオリン弾きのコート及び背景を分割する白と暗色の組み合わせが、実に効果的だ。画面からは音楽までも流れだす。けれどそれは陽気なばかりのメロディではない。哀愁漂い、不安を内包した弦の響きに違いない。なぜなら真っ黒い雲に追われるように、光輪をもつ聖人が空を逃げまどっているからだ。ヴァイオリン弾きを見上げる三人の人物も不安そうだ。


この絵には、見逃してはいけない細部のポイントが3つあると思います。一つは中野さんが指摘している点で、「真っ黒い雲に追われるように、光輪をもつ聖人が空を逃げまどっている」姿です。画面の上の方に小さく描かれているので見逃してしまいそうですが、重要な点でしょう。なぜ聖人が逃げているのか。聖人は何から逃げているのか。そもそもなぜ聖人なのか。想像が膨らみます。

二つ目のポイントは、ヴァイオリン弾きの右手と左手の指です。この両手とも通常のヴァイオリニストの指とは逆の方向から弓と指板しばんを持っています。大道芸の曲芸演奏ならともかく、この持ち方でまともな音楽を奏でるのは無理でしょう。中野さんは「哀愁漂い不安を内包した弦の響きに違いない」と書いていますが、それどころではない、もっとひどい音が出るはずです。ヴィブラートなど絶対に無理です。この絵から感じる "音楽" は、音程がはずれた、不協和音まじりの、人間の声で言うと "うめき" のような音です。少なくとも "歌" は感じられない。そういったヴァイオリン弾きの姿です。

三つ目のポイントは、"逃げまどう聖人" よりさらに気がつきにくいものです。画面の右上と左上に数個の足跡が描かれています。足跡の方向からすると、右から左へと誰かが移動した跡であり、しかも左の方の足跡の一つだけ(片方だけ)が赤い。これはどういうことかと言うと、

  誰かが右手からユダヤ人の住居に押し入り、そこで鮮血が床に流れるような行為をし、その鮮血を片足で踏んで家から出て、左の方向に去った

と推定できるのです。中野さんは「新 怖い絵」でそのことを指摘しています。背景となったのが "ポグロム" です。


ポグロム



世紀末からロシア革命に至る期間、激しく大規模なポグロムがロシアに何度も何度も荒れ狂った。ポグロムはロシア語ではもともと「破壊」の意だが、歴史用語としてはユダヤ人に対する集団的略奪・虐殺を指す。

ポグロムに加わり、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝・集会堂)への放火や店を襲っての金品強奪ごうだつ、老人にも女・子どもにも見境なしの暴行、レイプ、果ては惨殺に及んだのは、都市下層民や貧農、コサックなど経済的弱者が大半と言われる。だが各地で頻発ひんぱつするにつれ、ポグロムは政治性を帯びて組織化した。警官や軍人も加わったのだ。

(同上)

誤解のないように書いておきますが、ユダヤ人に対する集団的略奪・虐殺(= ポグロム)はロシアだけの現象ではありません。現代の国名で言うと、ドイツ、ポーランド、バルト三国、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどで、12世紀ごろから始まりました。特に19世紀後半からは各地でポグロムの嵐が吹き荒れました。ナチス・ドイツによるユダヤ人のホロコーストは、ポグロムが「政治性を帯びて組織化」し、頂点に達したものと言えるでしょう。中野さんが書いているのは "ロシアのポグロム" です。

シャガールは、1887年に帝政ロシア(現、ベラルーシ)のユダヤ人強制居住地区に生まれた人です。当時のロシアに居住していたユダヤ人は500万人を越え、これは全世界のユダヤ人の4割を越すといいます。シャガールが生まれたとき、ロシアではポグロムが始まっていました。画才に恵まれたシャガールは、23歳のとき初めてパリに出て4年間滞在しました。その時に描いたのが上の絵です。


ミュージカル(引用注:屋根の上のヴァイオリン弾き)における表現はソフトで、村民が全員追放されるだけだったが、現実のポグロムでは死者が数万人も出ている(数十万人という研究もあるが、正確な数字は把握されていない)。カメラの時代になっていたから、自分が殺した相手といっしょに記念写真を撮るというようなおぞましい記録まで残っている。シャガールは直接ポグロムを経験していないが、小さなころから重苦しい不安は日常だったし、キエフでなまなましい体験をした芸術家仲間から具体的な話を聞いたこともある。昨日まで挨拶を交わしていた近所の住人が、突然棍棒こんぼうだの鋤鍬すきくわだのを振り上げて襲ってくる恐怖は、いつ現実のものとなってもおかしくなかったのだ。

シャガールは絵の中にそれを描き込んでいる。もう一度『ヴァイオリン弾き』の画面に目をらしてほしい。白い雪の上にはいくつも靴跡がある。それは右からユダヤ人の家を目指して進み、左の家から出てくるが、その出てきた靴跡の一つは、何と、鮮血を踏んだごとく真っ赤ではないか !

(同上)


絵の歴史的背景


『ヴァイオリン弾き』という絵をみるとき、背景にある歴史を詳しく知らなくても十分に鑑賞が可能です。予備知識というなら、シャガールはユダヤ人で、故郷をイメージして描いたぐらいで十分です。

この絵は一見してファンタジーだと分かります。白と暗色のコラージュのような組み合わせの中に、故郷に関連した、ないしは故郷から連想・夢想するアイテムがちりばめられています。そこで特徴的なのは、

片足を屋根に乗せてヴァイオリンを弾くという、まったく釣り合いのとれない感じ
まともな音が出せそうにない、ヴァイオリン弾きの指の使い方
巨人として描かれたヴァイオリン弾きを不可解そうに見上げる3人の人物
何かから逃げているような聖人の姿

などです。そこから感じるのは「不安定感」「不安感」「ちぐはぐ」「普通の生活ではないものがある感じ」「"懐かしい故郷" とは異質なものが混ざっている感じ」などでしょう。それは画家の故郷に常に潜在していたものだと考えられます。ここまでで絵の鑑賞としては十分です。

しかしここに「ポグロム」という補助線を引いてみると、この絵から受けるすべての印象がその補助線と関係してきて、全体の輪郭がはっきりするというか、新たな輪郭が浮かび上がってきます。赤い足跡も重要な意味を帯びてくる。

そもそもなぜ屋根の上でヴァオリンを弾くのか。それはある伝承からきています。古代ローマ帝国の時代、「ネロがキリスト教徒を虐殺しているとき、阿鼻叫換あびきょうかんをよそにただ一人、屋根の上でヴァイオリンを弾くものがいた」(「新 怖い絵」より引用)という伝承です。ヴァイオリンの誕生は16世紀なので作り話だということが明白ですが、シャガールはその伝承をもとに作品化したと言います。この伝承の内容もポグロムとつながります。

ポグロムあくまで補助線であって本質ではありません。絵としての本質は、全体の構図や色使い、個々のアイテムの描写力、この絵を見るときに人が直接的に受ける印象、絵としての "強さ" などにあります。しかし、補助線が別の本質を指し示すこともある。

必ずしもそういった絵の見方をする必要はないのですが、そのような鑑賞もできるし、絵の見方は多様である。そういうことだと思いました。




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No.200 - 落穂拾いと共産党宣言 [アート]

No.97「ミレー最後の絵(続・フィラデルフィア美術館)」で、フィラデルフィア美術館が所蔵するミレーの絶筆『鳥の巣狩りBird's-Nesters)』のことを書きました。その継続で、今回はミレーの "最高傑作" である『落穂拾い』(オルセー美術館)を話題にしたいと思います。実は『落穂拾い』と『鳥の巣狩り』には共通点があると思っていて、そのことについても触れます。

  ちなみに、このブログで以前にとりあげたミレーの絵は『鳥の巣狩り』『晩鐘』『死ときこり』(以上、No.97)、『冬』『虹』(No.192「グルベンキアン美術館」)ですが、それぞれミレーの違った側面を表している秀作だと思います。

まず例によって、中野京子さんの解説によって『落穂拾い』がどういう絵かを順に見ていきたいと思います。


貧しい農民と旧約聖書


落穂拾い.jpg
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
落穂拾い」(1857)
(オルセー美術館)

この絵に描かれた光景と構図について、中野京子さんは著書「新 怖い絵」で次のように解説しています。


大地は画面の七割を占め、厚みを帯びて広がっている。『晩鐘ばんしょう』と同じく、明暗のコントラストが鮮やかだ。夕暮れのやさしいを浴びた豊穣ほうじょうな後景と、影の濃い貧困たる前景。麦藁むぎわらが天まで届けとばかりに積み上がった後景と、やっとの思いで集めた数束が画面右端に見えるだけの前景。干し草のかぐわしい匂いが漂う後景と、じめじめした土の臭いを感じさせる前景。おおぜいの人間が収穫に沸くにぎやかな後景と、三人一組であるかのような女性が腰を折って黙々と落穂を拾う前景・・・・・・。


『落穂拾い』の構図は、前景と後景の対比で成り立っています。中野さんの文章を整理してみると、

後景
明暗の対比の「明」
夕暮れのやさしい陽を浴びて豊穣
麦藁が天まで届けとばかりに積み上がる
干し草のかぐわしい匂いが漂う
大勢の人間が収穫に沸き、賑やか

前景
明暗の対比の「暗」
影が濃く貧困としている
やっとの思いで集めた数束が画面の右端に見える
じめじめした土の臭いを感じさせる
三人の女性が腰を折って黙々と落穂を拾う

となります。そしてもちろん絵の主役は "じめじめした土の臭いを感じる中で腰を折って黙々と落穂を拾う" 前景の三人です。


だがこのヒロインたちの、どっしりした存在感はどうだ。彼女らは今ここにまぎれもなく生きている。単調で厳しい労働に耐え抜く太い腰。あかぎれした無骨な手を持つ彼女らは、バルビゾンの農婦だった時代をはるかに超え、古典古代の力強い彫像のように永遠の命を与えられてここにいる。

ミレーのさりげない上手うまさが光る。画面構成はもちろんのこと、人物の動きと配置も完璧だ。はいいつくばるように前進する二人が奏でるリフレイン。もう一人は、おそらく少し休んで伸びをしていたのだろう。再び目を地面に落とし、かがみ込むところだ。全体に色彩の乏しい中、かぶりものの赤と青が印象的だ(聖母マリアが身にまとう赤と青を思い出させる)。

(同上)

中野さんは、落穂を拾う三人の「どっしりした存在感」と書いていますが、確かにその通りです。西洋絵画における "モデリング" というのでしょうか、骨太の立体感が伝わってきます。絵の中に彫刻作品があるような、造形の確かさがあります。実際に見た通りに描くと、こうはならないでしょう。絵画でしか成しえない世界を作ったという感じがします。それに加えて完璧な構図と色使いのうまさがあり(赤と青が利いている)、この絵が絵画史上の名画中の名画とされていることも分かります。

ミレーによって "永遠の命を与えられた" 三人の女性、表情は定かではないが存在感抜群の三人の女性は、いったいどういう人たちだったのでしょうか。これはよく知られています。中野さんは次のように書いています。


それにしても三人はなぜ後景の皆といっしょに働いていないのだろう? 村八分にでもあっているのか?

まあ、それに近いかもしれない。広大なこの麦畑は彼女たちには何の関わりもない。雇われてさえいない。刈り取りが終わった畑に勝手に入り、おこぼれにあずかっているだけなのだ。迷惑がられていた可能性もある。入るな、拾うなと言われれば従うしかない。こうして拾っていられるのは、地主側の黙認による。それも昼の刈り入れ後から日没までのわずかな時間のみなので大急ぎだった。

(同上)

さらに "落穂拾い" が聖書で言及されていることも、よく知られていると思います。


落穂拾いについては、旧約聖書の『レビ記』や『申命しんめい記』に記述がある。いわく、畑から穀物を刈り取るとき、刈り尽くしてはならないし、落穂を拾い集めてはならない。それらは貧しいもの、孤児、寡婦かふのために残しておきなさい、と。

こうした「喜捨きしゃの精神」、反転するなら「貧者の権利」は、近年になってもまだ続いていた。ただし貧しい地方、たとえばミレーの育った寒冷で土地のせたノルマンディー地方には見られない慣習だった。だから彼は、農村の最下層たる寡婦(あるいは夫が病に倒れた女性)が落穂を拾う姿に胸を打たれたのだろう。

(同上)

ミレーは敬虔なクリスチャンであり、有名な『種まく人』も聖書に由来があります。まず、そういった信仰がベースにあり、そこに懸命に生きる人間の "けなげさ" が加わり、さらに絵としての構図や描写の素晴らしさが重なって、この絵は当時から大いに人気を博しました。数々の複製画が出回ったと言います。



以上のように「最下層の農民」と「キリスト教」が、この絵の二つの背景です。しかしこういった見方とは別に、この絵が発表された当時は全く別の観点から見る人たちがいたのです。


共産党宣言


『落穂拾い』は人々の共感を呼んだと同時に、ミレーと同時代の一部の人たちに強い反感をもたらしました。


だがミレーと同時代人の中には、この絵を「怖い」と思う人々がいた。本気で怖がり、それゆえにみ嫌う人々が・・・・・・。

当時ヨーロッパ中が揺れていたからだ。

「ヨーロッパに幽霊が出る ── 共産主義という幽霊である。ふるいヨーロッパのすべての強国は、この幽霊を退治しようとして神聖な同盟を結んでいる」

あまりに有名な『共産党宣言』(マルクス エンゲルス、岩波文庫)の冒頭である。締めくくりの言葉、「万国のプロレタリア団結せよ!」もまた、人口に膾炙かいしゃした。

この書物は『落穂拾い』が発表される9年前の1848年に刊行され、次第に広く深く影響を与えつつあった。上流階級は、「下層の労働者」が分をわきまえぬ欲望を抱き、団結し、生まれついての、しかも必然的永久的であらねばならぬ「身分」の境界を越え、自分たちの神聖な領域へ割り込む気ではないかと心配し、おびえ、憤慨ふんがいした。彼らは少しでもそんな芽を感じると、文学であれ美術であれすばやく反応し、たたつぶそうとした。

(同上)

実は "落穂拾い" の主題は多くの画家によって取り上げられてきました。聖書に言及があるので当然とも言えるでしょう。その典型例がジュール・ブルトン(1827-1906)の『落穂拾いの女たちの招集』(1859)で、ミレーの『落穂拾い』(1857)と同時期に発表された作品です。

落穂拾いの女たちの招集.jpg
ジュール・ブルトン(1827-1906)
「落穂拾いの女たちの招集」(1859)
(オルセー美術館)

官展で1等をとったこの絵は、聖書の世界をあくまで美的に表現していて、ミレーが描いた現実の農民の姿とは全く違います。登場する女性は若々しく健康的で(非現実的)、前列の2人は裸足であり(これも非現実的)、拾い集めた麦も穂がたっぷりとついています(とても落穂とは思えない)。


ミレーだとこうはゆかない。保守派が猛然とみつく道理で、『落穂拾い』が発表されるや、「三人の女性には大それた意図がある。貧困の三美神のようにポーズをとっている」だの、「秩序をおびやかす凶暴な野獣」などと評された。詩人ボードレールのミレー嫌いも徹底していた。曰く、「取り入れをしていようと、種をいていようと、牝牛めうしに草をませていようと、動物たちの毛を刈っていようと、彼らはいつもこう言っているように見えます、『この世の富を奪われた哀れな者たち、だがそのわれわれが、この世を豊穣ほうじょうならしめているのだぞ!』(中略)彼らの単調な醜さの中に、これらの小賤民パリアたちは皆、哲学的でメランコリックでラファエルロ的な思い上がりをもっています。」(阿部良雄訳「一八五九年のサロン」/『ボードレール批評2』ちくま学芸文庫)。

肉体労働に従事する者は「醜い小賤民」で、詩を書く自分は貴族的というわけであろう。となるとそんなやから下克上げこくじょうされたらたまったものではない。持てる者の不安と恐怖が、ミレー作品の本質を見誤らせてしまった。

(同上)


絵を見る視点


中野京子さんが「新 怖い絵」という本に『落穂拾い』をとりあげたのは、この絵が発表された当時、ある種の人たちにとっては本当に "怖い絵" だったからでした。その背景になったのは、産業革命以降の資本主義の発達と貧富の差の拡大です。そこから社会主義運動が起こってきた。それは労働者の権利の主張という範囲を越えて、階級社会の否定、ないしは革命を目指す運動にもつながってくる。特にフランスの富裕層は、70年前に大革命が起きて王制や教会が打倒されたことを想起したでしょう。ミレーに階級社会を否定する意図が無かったようですが、意図があると見なされる社会的な素地があったわけです。

現代人である我々が『落穂拾い』を見るとき、キリスト教や聖書の背景を考えないとしても、

  貧しい中で黙々と働く農婦への共感を覚え、労働の尊さに想いを馳せる

のが普通でしょう。ところが19世紀半ばのフランスでは、必ずしもそうではなかったのですね。つまり、ボードレールに代表される『落穂拾い』への非難、ないしは反感が示しているのは、

現代人の感覚だけで過去を判断してはいけない。一面的な(ないしは誤った)見方をしてしまうことがある。
絵画は描かれた時代を映すものでもある。
絵画は、見る視点のとり方によって、その解釈がガラッと変わることがある。

ということだと思いました。


『落穂拾い』と『鳥の巣狩り』


鳥の巣狩り.jpg
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
鳥の巣狩り」(1874)
(フィラデルフィア美術館)

ところで、冒頭に書いた『鳥の巣狩り』のことです。この絵に初めてフィラデルフィア美術館で出会ったとき、パッと見て何を描いているのか分かりませんでした。題名も "Bird's-Nesters" となっていて、ちょっと不可解な題です(nesters という語の意味が分かりにくい)。しばらく絵をじっと見ていると理解が進んできました。登場人物は4人で、夜の光景です。おそらく2組の夫婦なのでしょう。2人の男が明かりをかざして、画面を覆う鳥を棍棒で叩き落としています。2人の妻は、地面にいつくばるようにして叩き落とされた鳥(実際は野鳩)を拾っているところです。

現代なら、立てた棒の間にネットを張って鳥を追いこむのでしょうが(=かすみ網。日本では禁止)、棍棒で鳥を撲殺するというのは随分 "原始的な" 方法です。夜に突如として強い光を当てられると鳥はパニックになって飛び去れない。そこをうまく突いた狩猟方法のようです。

  ちなみに、この絵を所蔵しているフィラデルフィア美術館は題名を『Bird's-Nesters = 鳥の巣狩り』としています。この題名通りに鳥の巣を狩るとしたら、その目的は鳥の卵か雛をとることです。しかしこの絵は "鳥そのものを狩る" 光景です。なぜ Bird Hunting(鳥狩り)か Bird Hunters(鳥狩り人)ではないのか。その理由の推測を No.97「ミレー最後の絵」に書きました。

この『鳥の巣狩り』という絵は『落穂拾い』を連想させるところがあります。それは絵の中の2人の農婦です。

  地面に屈み込んでいる(あるいは這いつくばっている)2人の農婦が、
小麦の穂
瀕死の野鳩(ないしは死んだ野鳩)
を拾っている光景

という点で連想が働くのです。絵の中の雰囲気はまるで違います。『落穂拾い』では、静かな夕暮れ時に2人の農婦がリズミカルに小麦の穂を拾っています。静寂の中、足音と小麦を掴むわずかな音だけが響くという光景です。一方の『鳥の巣狩り』は、野鳩の大群の啼き声と羽ばたき音が充満するなか、地面でまだバタバタと羽を動かしている瀕死の鳩を拾う光景です。地に落ちた野鳩の阿鼻叫喚あびきょうかんの中での作業です。

しかし地面に屈み込んで(あるいは "這いつくばって")何かを拾うことでは、2つの絵は共通しています。中野京子さんは『落穂拾い』を評して「這いつくばるように前進する二人が奏でるリフレイン」と書いていますが、『鳥の巣狩り』の2人の方がもっと "這いつくばって" いる。もちろん "リフレイン" どころではない光景だけれど。

落穂拾い(部分).jpg
落穂拾い」(部分)

鳥の巣狩り(部分).jpg
鳥の巣狩り」(部分)

No.97「ミレー最後の絵(続・フィラデルフィア美術館)」に書いたように『鳥の巣狩り』はミレーの絶筆です。描いた時点でミレーは死期を悟っていました。病床にあった彼は最後の最後まで手を入れ続けたといいます。なぜ彼がこの絵を描いたのか、その推測を No.97 に書きました。ミレーはノルマンディー地方の農家に生まれ、バルビゾンで農民を描いて成功した画家です。その人生の総決算が『鳥の巣狩り』だというような想像でした。

そして付け加えるなら、ミレーはこの絵を描くときに『落穂拾い』が念頭にあったのではないでしょうか。ミレーの代表作は『落穂拾い』『晩鐘』『種まく人』『羊飼いの少女』であり、当時からそう見なされていました。画家自身も自らの代表作と意識していたはずです。これらのうち一つをあげるとすると、やはり『落穂拾い』だと思います。ミレーは『落穂拾い』で地面に手を延ばしている2人を、人生最後の作品である『鳥の巣狩り』に再び登場させたのではないでしょうか。全く違うモノに手を延ばす2人として・・・・・・。



ミレーやコローを代表格とするバルビゾンの画家は、当時のパリで大いに人気を博したようです。都市化が進んだパリ市民には「自然へのあこがれ」があり、また「農村の牧歌的風景」や「農民の素朴さ」が求められたからでしょう。それはあくまで都会人の視点での農村・農民です。近・現代の日本でも、そういう "古きよき農村風景" を描いた絵はいろいろありました。

しかしミレーはそう単純ではなかった。あくまで農民の側に立って、農村の真実を描いたわけです。そこには、農民たちの喜び、神への感謝と祈り、労働の辛さと過酷さ、さらには "報われることがない人生に対する悲しみ" までが表現されているようです。だからこそ、見る人が見れば社会を告発している "怖い絵" にも思えたのでしょう。

そしてミレーという画家の人気の源泉、人の心を打つ理由は、まさにその点にあるのだと思います。




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No.199 - 円山応挙の朝顔 [アート]

円山応挙展ポスター.jpg
No.193「鈴木其一:朝顔の小宇宙」で、メトロポリタン美術館が所蔵する鈴木其一(1795-1858)の『朝顔図屏風』のことを書きました。2016年9月10日から10月30日までサントリー美術館で開催された「鈴木其一 江戸琳派の旗手 展」で展示された作品です。

実はこのすぐあとに、もう一枚の "朝顔" を鑑賞する機会がありました。円山応挙(1733-1795)が描いた絵です。根津美術館で開催された『円山応挙 -「写生」を超えて』展(2016年11月3日~12月18日)に、その朝顔が展示されていました。今回はこの展覧会のことを書きます。

この展覧会は応挙の画業を網羅していて、多数の作品が展示されていました。国宝・重要文化財もあります。その中から朝顔を含む4作品に絞り、最後に全体の感想を書きたいと思います。


朝顔図


朝顔図.jpg
円山応挙 「朝顔図」
天明四年(1784)51歳
(相国寺蔵)

並んで展示されていた『薔薇ばら文鳥図』と二幅一対の掛け軸で、この二幅は元々 "衝立て" の両面だったと言います。朝顔の銀地に対して、薔薇文鳥は金地でした。

この絵は、画面右下のほぼ4分の1に朝顔を密集させ、それによって銀地の余白を引き立てています。朝顔の蔓は左方向横と左斜め上に延び、銀地を心地よく分割しています。花と葉の集団は画面の右端でスパッと切断されていて、さらに右への朝顔の広がりが感じられます。"完璧な構図" といったところでしょう。

"完璧な構図" と書きましたが、これは日本的な美意識だと思います。つまり、不均衡で非対称な美と、何かがあることを想像させる余白の美です。また、モチーフのカットアウトによってズームインしたような印象を与え、それによって画面の外への広がり感を出す構図のとり方です。江戸期の美術の一つの典型がここにあるような感じがしました。

それと同時に、この作品は琳派を思わせます。つまり「全面の銀の箔押し中に草花を描く」というところです。広い余白で草花を強調し、同時に銀地も映えるようにする・・・・・・。この絵の優美で、落ち着いて、洒落た感じは、江戸琳派の祖、酒井抱一(1761-1829)の絵といってもおかしくはないと思いました。

円山応挙は「写生」の画家と言われていて、それはその通りですが、今回の展覧会のテーマは「写生を超えて」となっていました。つまり「写生」を基調にしつつ、応挙が試みた様々な画風というか、スタイルの絵が展示されていました。酒井抱一を先取りするような『朝顔図』も、まさに "超えた" 絵の一枚だと思います。


白狐びゃっこ


白狐図.jpg
円山応挙 「白狐図」
安永八年(1779)46歳
(個人蔵)

白狐は日本古来の信仰である「稲荷神」であり、人々に幸福をもたらす "善狐" です。日本に生息している狐に "白狐" はいないと思うのでですが、動物の常で、稀に白い個体が出現することはあるのでしょう。なお、No.126「捕食者なき世界(1)」で書いた "ホッキョクギツネ" は冬毛が真っ白で、まさに白狐です。

この絵のポイントは、白狐を "白く描いていない" ことです。つまり絹地に何も描かないことで白狐を表現している(=塗り残し)。墨で描いた毛は体の外周から少し内側にあり、そのことで毛並みの "ふわふわ感" や "ソフトな感じ" を出しています。その感じが、全く何も描かれていない体の中の方にもつながっていると想像させます。絵画技法がピタッと決まった絵という感じです。

円山応挙は、有名な国宝『雪松図屏風』(今回の展覧会で前期に展示)の雪の表現で "描かないことで描く" 手法をとりました。それ以外にも、雪を同一の技法で描いた作品が展示されていました。たとえば『雪中水禽図』です。雪のフワフワした、軽い感じがよく出ていると思いました。

雪中水禽図.jpg
円山応挙 「雪中水禽図」
安永六年(1777)44歳
(個人蔵)

余談ですが、近代の画家で "描かないことで描く" 達人は川合玉堂だと思います。玉堂が雪景色を描いた作品を引用しておきます。「塗り残し」で動的な表現(=風)まで踏み込んでいるのが素晴らしいところです。

川合玉堂・吹雪.jpg
川合玉堂「吹雪」
大正15年(1926)

川合玉堂は岐阜出身ですが、京都に出て「円山・四条派」を学んだ人です。川合玉堂もまた円山応挙の弟子なのでしょう。

この技法が使えるのは玉堂作品にもあるように "雪" が一般的だと思いますが、それ以外では動物が考えられます。白い鳥(白鳥やシラサギなど)や白ウサギが思い浮かびますが、応挙が選んだのは神獣である狐でした。 "描かないことで描く" 手法が、ボーッと浮かび上がるような、現実の動物ではないような感じを出していて、そこが印象的でした。


藤花図屏風


重要文化財である『藤花図屏風』は、今回の展覧会で是非とも見たかった絵です。『朝顔図』と違って、こちらは総金地です。その中に、日本の和歌や絵画の伝統的なモチーフである "藤" が描かれています。

藤花図屏風.jpg
円山応挙 「藤花図屏風」
安永五年(1776)43歳
(根津美術館蔵)

藤花図屏風・左隻.jpg
円山応挙 「藤花図屏風」 左隻

藤花図屏風・右隻.jpg
円山応挙 「藤花図屏風」 右隻

この屏風では、藤の幹・枝・蔓を描くのに、いわゆる「付け立て」の技法が使われています。筆や刷毛の全体に薄い墨を含ませ、先の方に濃い墨をつける。その状態で "一気呵成いっきかせいに" 一筆で描く。墨の濃淡やムラがあちこちに出現し、それによって幹・枝・蔓が表現されています。

もちろん事前にデッサンを重ねて、全体の構図を精密に決めてから描くのでしょうが、描く行為はそのものは一瞬です。やり直しはききません。いくら名手の応挙といえども、意図した以外の濃淡やムラも出るはずで、そういった偶然性も内包していると言えるでしょう。ここだけをとると、写生や写実とはほど遠い "前衛手法" という感じがします。まさに展覧会のテーマである「写生を超えた」表現です。

その一方で、藤の花と葉は時間をかけて丁寧にリアルに描いています。葉をバックに、空から降ってくるような花は華麗で美しい。その「リアルな美しさ」と「一気呵成」が違和感なく同居しているのが『藤花図屏風』です。異質なものを同居させて一つの屏風を仕立てた応挙の技量は、ちょっと感動的です。

「付け立て」に戻りますと、西欧の近代絵画に「筆触を残す描き方 = ブラッシュワーク」があることが思い出されます。つまり印象派の画家の描き方です。しかし応挙のブラッシュワークは濃淡のコントロールがあって大変に高度です。「付け立て」は日本画によくある手法ですが、その最良の例が応挙のこの絵でしょう。なお上で引用した川合玉堂ですが、玉堂の作品には「付け立てを使った藤の絵」があります。 明白に ”自分は応挙に習った” と宣言しているのです。

この『藤花図屏風』から連想したのは、印象派の絵というより、No.46「ピカソは天才か」で引用した『カナルス夫人の肖像』(バルセロナのピカソ美術館)でした。この絵においてピカソは肖像そのものを極めてリアルに描いています。しかしモデルがまとっているショールは、筆跡を生かした非常に素早いタッチです。薄いショールに最適な描き方だったのでしょう。つまり「リアルに描く緻密な筆」と「躍動する素早い筆」が同居しています。

ピカソと円山応挙は何の関係もありませんが、2枚の絵だけを見ると "一脈通じるもの" を感じます。文化的・歴史的背景や描かれたモチーフや絵画技法は全く違うのですが、絵であることは変わりません。描き方に類似のコンセプトがあったとしてもおかしくはない。こういうところに想いを馳せるのも、絵画を鑑賞する楽しみの一つだと想います。

藤花図屏風・左隻(部分).jpg
円山応挙 「藤花図屏風」 左隻・部分

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円山応挙 「藤花図屏風」 右隻・部分


瀑布亀図


瀑布亀図.jpg
円山応挙 「瀑布亀図」
寛政六年(1794)61歳
(個人蔵)

円山応挙が亡くなる前年に描いた絵です。この作品も異質な表現の対比が目を引きます。2匹の亀は写実的に描かれています。よく見ると簡易化しているところもありますが、受ける印象は親子亀をリアルに描いたという感じです。

一方、滝は直線をいくつか描いただけで表現されています。亀が乗っている岩も、"たらし込み" というのでしょうか、墨が滲んだ感じで、ぼんやりと描かれているだけです。滝壺は描くことさえなく、わずかな水しぶきだけで暗示されている。これらの表現は非常に抽象的です。特に滝が真っ直ぐな線だけというのが極端な抽象化で、現実とはほど遠い。これは「"勢い" の視覚表現」なのでしょう。単純な形が持つイメージの喚起力を引き出そうとしたようです。

『藤花図屏風』のような大作ではないけれど、"写実的" と "抽象的" を同居させた対比の妙という点では似通っています。晩年の応挙が描画力を自在に駆使して描いた洒落た絵、と感じました。


スタイルを超越する


今回の『円山応挙 -「写生」を超えて』という展覧会でよく理解できたのは、応挙にはさまざまな "画風" というか、描き方のスタイルがあることです。朝顔図の "琳派風" だけでなく、大和絵や南画を連想させる作品があり、絵巻物があり、また西洋っぽい遠近法を使った眼鏡めがね絵("覗き眼鏡" 用の絵)まであります。多数あった動植物の写生は素晴らしく、そういった写生が基本であることは間違いなのですが、全体を見渡すとスタイルはいろいろです。応挙は一つの画風に収斂しゅうれんする画家ではないのです。

葛飾北斎もそうですが、応挙はスタイルを超越した画家であり、その意味において江戸絵画の巨人、そういう感想を持ちました。




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No.198 - 侵略軍を撃退した日本史 [歴史]

No.37「富士山型の愛国心」の中で元寇(文永の役:1274年、弘安の役:1281年)についてふれたのですが、今回はその継続というか、補足です。

最近の新聞に、元寇について近年唱えられた説の紹介がありました。日本の勝因は「神風」ではなかったという説です。それを紹介したいと思います。


日本の勝因は「神風」ではなかった


くまもと文学・歴史館の館長・服部英雄氏(日本中世史)は著書の『蒙古襲来』(2014年、山川出版社)で「神風=暴風雨」説を否定し、学界の内外にセンセーションを巻き起こしました。


(神風が勝因という)見方は修正が必要らしい。くまもと文学・歴史館の服部英雄館長(日本中世史)は、文永の役について「モンゴル軍が日本に攻め寄せた夜に嵐が来て翌朝撤退したと書く本が多いが、そんな史料は存在しない」と主張する。

元になったと思われるのは『八幡愚童訓』という鎌倉時代の史料。だが、「夜中に神が出現し矢を射かけたため、蒙古はわれさきに逃げ出した」といった内容だ。さらに、西暦換算すると、モンゴル軍の襲来時期は11月で台風のシーズンではない。「寒冷前線通過に伴う嵐が来た可能性はある。でも、それで大量の軍船に被害が出たという記録はない」という。

では、なぜ撤退したのか。「攻略が思うようにいかない場合、冬の前に帰国する計画だったのでは。軍勢の数も900隻・4万人とされてきたが、これは搭載されたボートなどを含めた数字。実際は112隻、将兵は船頭を含めて1万2千人ほど」と服部館長。

続く弘安の役では、台風でモンゴルの軍船が一部被害を受けたと思われるが、「沈んだのは鷹島沖の老朽船だけ。本来なら大勢に影響はなかったが、食料などに不足をきたし、日本側の猛攻を受けたため撤退した」とみる。

編集委員・宮代栄一
朝日新聞(2017.1.8)

服部館長によると、「鎌倉武士は戦の勝因を神風とは考えていなかった」らしい。「主張したのは敵国調伏の祈祷きとうをした社寺。武士はむしろ自らの戦績を誇った」

しかし、そのはるか後世、「神風」の記憶だけが歪曲わいきょくされ、西欧列強の脅威に直面した明治期と、「神州不滅」が叫ばれた第2次世界大戦中の2度にわたり、「元寇」は日本人の国民意識の形成に大きな役割を果たすことになる。

(同上)

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朝日新聞(2017年1月8日)
(www.asahi.com より)

ちなみに「モンゴル軍」と書いてあるところは「モンゴル・高麗連合軍」の方がより正確でしょう。記事の内容をまとめると次の通りになります。

文永の役で嵐があったという史料はない。嵐があったとしてもモンゴルの軍船に被害が出たという史料はない。

弘安の役では嵐があったが、嵐によるモンゴルの被害は一部にとどまる。

鎌倉武士は勝因を神風とは考えていなかった。武士は自らの戦績を誇った。

「神風」の主張したのは敵国調伏の祈祷をした神社・仏閣である。

明治期と第2次世界大戦中の2度にわたり「神風」が勝因だと叫ばれた。

① ② は歴史資料から見えてきた事実であり、③ の「鎌倉武士は戦果を誇った」というのは当然です。また ④ の「敵国調伏の祈祷の成果だと誇った」のも、神社・仏閣の立場としては当然でしょう。

しかし異常なのは明治から昭和にかけての「神風勝因説」( ⑤ )です。これは国家とマスコミが宣伝したわけですが、侵略軍を撃退した自国の歴史を否定し、暴風雨によって敵が去ったと主張することは、長い歴史を有し独立性を維持してきた国家としては異常だと思います。


無敵艦隊を撃退したアルマダの海戦


視野を広げて考えてみるために、外国の例をあげてみたいと思います。「侵略軍の撃退と暴風雨」というテーマでひとつ思いつくのは、16世紀に英国とスペインが戦った「アルマダの海戦(アルマダ戦争)」です。

1588年、スペインのフェリペ2世は無敵艦隊(アルマダ)をイギリスに向かわせました。時の英国国王はエリザベス1世です。フェリペ2世が無敵艦隊を出撃させた経緯は少々複雑なので省略します。とにかく、フェリペ2世はイギリスを "やっつける" ために無敵艦隊(約130隻)を差し向け、イギリス上陸をめざした(艦隊に軍馬を積んでいます)。対するエリザベス1世も海上で迎え撃つために艦隊を繰り出します。イギリス艦隊の副指令官は、元海賊だったフランシス・ドレークで、これは有名な話です。

決戦は英仏海峡付近の数回の海戦(=アルマダの海戦)でした。近年の歴史家の研究では、戦いはほぼ互角です。もちろんスペインは苦戦したし、イギリス側が有利に終わったとする見解もあります。しかし決定的な差がついたわけではない。スペインの誤算は、短期決戦で決定的に勝利できなかったことです。スペインにとっては完全に "アウェイ" の戦いなので、戦争が長引けば補給などの関係で不利になります。スペインはいったん自国に引き上げることにしました。

Invincible_Armada.jpg
無敵艦隊とイギリス艦隊
16世紀の作者不詳の絵(Wikipediaより)

無敵艦隊は、英仏海峡からスコットランドの北をグルッと迂回して北海から大西洋に出るルートでスペインに帰ろうとしました。ところがアイルランド沖で暴風雨に遭遇し、多くの船を失ってしまいます。スペインに帰港できたのは約半数と言います。



この戦争を、その後のイギリスではどのように自国民に宣伝したのでしょうか。当然、

  イギリスの軍人と兵士は勇敢に戦い、世界最強と言われたスペインの無敵艦隊を撃破した。その上、神の加護(嵐)もイギリス側にあった。

です。神の加護を言うにしても、まず最初に自国を侵略から守ったイギリス国民の勇気と働きを称え、その次に(補足として)神の加護です。神の加護に全くふれない(無視する)のもいいでしょう。それが普通の、正常な国家のあり方です。事実、エリザベス1世はイギリスの勝利を大々的に宣伝したし、その後のイギリスの歴史でも「無敵艦隊の撃破」が語り継がれました。

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エリザベス1世の肖像画。いわゆる「アルマダの肖像」で、背後にわざわざ無敵艦隊が描かれている。無敵艦隊を破ったあとの1588年の絵で、右手を地球儀の上に置いているという念の入れようである。Wikipediaより。


侵略軍を撃退した事実を否定する史観


蒙古襲来絵詞.jpg
蒙古襲来絵詞 [部分](宮内庁・三の丸尚蔵館)。肥後の御家人・竹崎季長(すえなが)が、自分の戦いぶりを描かせたものと言われる。図は、モンゴル・高麗連合軍の船に乗り込む季長たち(至文堂 日本の美術 第414号 2000 より引用)

日本史に話を戻します。文永・弘安の役ですが、史料によると「暴風雨はなかったか、あったとしてもモンゴル軍の被害は軽微」だったようです。もちろん、史料に残っていない(ないしはまだ確認されていない史料に記載されている)暴風雨があったのかも知れません。モンゴル軍の被害も、史料にないだけで大きかったのかも知れない。しかし百歩譲って、たとえ暴風雨が主たる勝因だったとしても、

  日本全国から集まった武士は勇敢に戦い、侵略してくるモンゴル軍を撃退した。さらに神風の追い打ちもあって、モンゴル軍は退散した

と説明するのが正常な国家というものでしょう。もちろん暴風雨には一切ふれずに、

  日本全国から集まった武士は勇敢に戦い、侵略してくるモンゴル軍を撃退した

とするのもいいと思います。文永・弘安の役は、日本史において一方的に迫ってきた外国侵略軍を撃退した貴重な歴史です。勝因を「神風」だと言うことは、勇敢に戦った武士たちを愚弄するものだし、死んでいった武士たちや虐殺された対馬の住民の魂に唾をかけるようなものです。武士だけでなく、日本人そのものをおとしめています。さらに、勝因は神風などと言っている限り、"自らの手で国を守る気概" など生まれようがないと思います。

自虐史観というのはイヤな言葉で、あまり使いたくはないのですが、自虐史観と呼ぶに値する唯一のものは「文永・弘安の役の勝因は暴風雨」説だと思います。




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No.197 - 囲碁とAI:趙治勲 名誉名人の意見 [技術]

2016年3月、韓国のイ・セドル九段とディープマインド社の「アルファ碁」の5番勝負がソウル市内で行われ、アルファ碁の4勝1敗となりました。イ・セドル九段は世界のトップクラスの棋士です。コンピュータはその棋士に "勝った" ことになります。この5番勝負とアルファ碁については次の三つの記事に書きました。

No.174 ディープマインド
No.180 アルファ碁の着手決定ロジック(1)
No.181 アルファ碁の着手決定ロジック(2)

その8ヶ月後の2016年11月に、今度は日本最強の囲碁プログラム、DeepZenGoと趙治勲ちょうちくん名誉名人の3番勝負(第2回 囲碁電王戦)が開催され、趙名誉名人の2勝1敗となりました(11/19, 11/20, 11/23の3戦)。"人間側" の勝利に終わったわけですが、日本の囲碁プログラムが互先たがいせんでプロ棋士に勝ったのは初めてです。第1回 囲碁電王戦(2014)ではプロ2人とアマ名人相手に1勝もできなかったことを考えると、格段の進歩だと言えます。

以上の、アルファ碁 対 イ・セドル九段、DeepZenGo 対 趙名誉名人の棋戦を、趙名誉名人本人が振り返ったコラム記事が新聞に掲載されました。実際に囲碁プログラムと互先で戦ったトップ棋士の意見として貴重なものです。また大変に興味深い内容だったので、以下にそれを紹介したいと思います。

なお、DeepZenGo の前身は日本の有名な囲碁プログラム、"Zen" です(市販されている)。それに深層学習を取り入れた強化版が DeepZenGo です。以下、Zen と DeepZenGo を区別せずに "Zen" と書きます。趙名誉名人の記事もそうなっています。Zen の開発者は尾島陽児氏と加藤英樹氏(開発チーム代表)で、強化版の開発にあたっては深層学習の権威である松尾豊・東大准教授の研究室が協力しました。


イ・セドル九段 対 アルファ碁


まず趙さんはアルファ碁とイ・セドル九段の対局にふれ、その数ヶ月前に欧州チャンピオンに勝ったときと比べて、アルファ碁が急速に強くなったことを説明します。


欧州王者を下した時のアルファ碁を見るかぎり、アルファ碁は弱かった。勝負もどっこいどっこいで、どちらが勝つこともありえた。

欧州王者はセドルには到底及ばない。周囲にはセドルが100%間違いなく勝つと断言していた。ただ、欧州王者からセドルとの対局までの2ヶ月間で、ものすごく強くなっていた。人間だと200年か2000年かかる成長だ。天才でも最低20年はかかる。

趙治勲名誉名人「囲碁とAI」
(日刊工業新聞 2016.12.15, 16, 20, 21)

ここで趙さんが強調しているのは「アルファ碁は短期間で急激に強くなった」ということです。20年・200年・2000年という数字が出てきますが、これは趙さん独特の表現でしょう。なおアルファ碁と欧州王者との対戦は2015年10月、イ・セドル九段との対戦は2016年3月なので、その間は4~5ヶ月あります。趙さんが「2ヶ月間で」と書いているのは勘違いだと思います。

そのイ・セドル九段とアルファ碁の対局(5回戦)ですが、第1局、第2局と、イ・セドル九段はアルファ碁に連敗を喫してしまいます。この戦いを趙さんは次のように解説しています。


1局目は途中までセドルが勝っていた。アルファ碁の手は完璧ではなかった。ただ一発、いい手が入りセドルの動揺を誘った。正しく対応すれば大丈夫だったはずが、逆転されそのまま負けてしまった。相手が人間なら逆転したことで、自身も浮足立つ。ただAIは動揺せず押し切られた形だ

この負けがセドルをおかしくした。2局目はアルファ碁が良い碁を打った。人間なら疲れを持ち越してしまうがAIに疲労はない。セドルが完敗した。

(同上、以下同じ)

第1局と第2局の敗戦をふまえ、イ・セドル九段は第3局で対局の方針を変えたと趙さんは言います。


セドルはアルファ碁のとの対局で先に2敗し、後がなくなって仲間と人工知能(AI)を分析したそうだ。序盤に優勢に持ち込む必要があると結論が出て、戦略を持って3局目に臨んだ。

ただ、普段のセドルは相手の弱点を突く碁は打たない。自身の強さに絶対の自信を持っていて、ただ最善手を打って勝ってきた。セドルが相手の弱点を探すこと自体、動揺の表れだろう。3局目に敗れて負け越しが決まった。


3連敗したあとの第4局で、イ・セドル九段は妙手を放って勝ちます。


そこで最善を尽くす本来の姿に戻った。4局目も苦しい碁だったが、セドルは妙手を打った。これでコンピュータが狂い、素人同然のめちゃくちゃな手を打ち出した。


続く第5局はアルファ碁の勝ちに終わり、結局4勝1敗でアルファ碁が勝利しました。この棋戦全体を、趙さんは次のように振り返っています。


結果、4勝1敗でアルファ碁が勝ったが、1局目も2、3局目も弱点はたくさんあった。

セドルはアルファ碁を甘く見ていたため、動揺して弱点が見えなくなってしまったのだろう。驚き、AIの強い部分だけを見ると弱い部分が見えなくなってしまう。

セドルが平常心で打てば力量はアルファ碁に勝っていた。AIは完璧ではないし、最後の詰めが甘い。私も勝つ自信がある。ただ3ヶ月で欠点を克服したと聞く。どこまで強くなっているのか試したい



イ・セドル九段の敗戦の理由


趙治勲名誉名人といえば、歴代最多のタイトル獲得(74回)を誇り、第25世本因坊でもあるトップ棋士です。その趙さんが考えるイ・セドル九段の敗戦の理由は、

  アルファ碁を甘く見ていために、動揺し、平常心を失った

という極めて人間的なものです。「セドルが平常心で打てば、力量はアルファ碁に勝っていた」と趙さんが書いているのは(対戦当時のアルファ碁では)その通りなのでしょう。

逆にアルファ碁は、平常心というか、"心" はないので常に "平常" だったと言うべきです。趙さんも書いているように、人間なら「逆転して有利になった」と思った瞬間、浮き足立って逆に悪い手を打ってしまうことがあるのですが、そういうこともない。動揺、焦り、浮き足立つ、疲れ、うっかり、 ・・・・・・ そういうものに一切関係がありません。

アルファ碁を甘くみていたとの趙さんの見解ですが、しかしこれはやむをえないとも言えます。「欧州王者を下した時のアルファ碁を見るかぎり、アルファ碁は弱かった(趙さん)」のだから・・・・・・。No.181「アルファ碁の着手決定ロジック(2)」に書いたように、アルファ碁を開発したディープマインド社が英雑誌「Nature」に投稿した論文によると、欧州王者を下した時のアルファ碁の棋力はプロ五段相当です。イ・セドル九段に比べると断然弱い。従って趙さん自身も「周囲にはセドルが100%間違いなく勝つと断言していた」わけです。イ・セドル九段も、またイ・セドル九段の周囲も、おそらくそう思っていたでしょう。

しかしアルファ碁は急速に強くなった。その詳細は明らかではありませんが、自己対戦を繰り返して強化学習をさらにやったのかも知れないし、ハードウェアを増強してより深く読めるようになったのかも知れない。そのどうであれ、ここでわかることは「急速に強くなることがある。それがAI」ということです。人間の天才が20年かかる進歩(趙さんの表現)を数ヶ月で成し遂げることもあり得る。

趙さんによるとアルファ碁には弱点もあって、それは「最後の詰めが甘い」ことです。趙さんは「イ・セドル九段と対戦した時のアルファ碁には勝つ自信がある、その後に欠点を克服したと聞くが、どこまで強くなっているのか試したい」と書いています。



「どこまで強くなっているのか試したい」とあるように、趙さんはアルファ碁と対戦してみたいと公言していました。その対局は実現していませんが、日本製の囲碁AI、Zen との対戦が実現する運びになりました。


趙治勲名誉名人 対 Zen


イ・セドル九段とアルファ碁との対戦の8ヶ月後の2016年11月、日本最強の囲碁プログラム Zen と趙さんの対局が実現することになりました。冒頭に書いたように、深層学習で強化した Zen(正式名:DeepZenGo)です。なお、以下の引用の 《第1局》 《第2局》 《第3局》 は記事に付け加えたものです。

電王戦3局.jpg
電王戦第3局(2016.11.23)の趙治勲名誉名人(右)と開発チームの加藤英樹代表
(site: newswitch.jp)

日本製の囲碁AI「Zen」は以前から実力を知っていた。6ヶ月前に3子を置いて棋士に勝ったが、3子は片手片足で相撲をとるようなもの。勝負ではなくレッスンだ。その碁を解説したが負ける気はしなかった(引用注:Zen が小林光一名誉棋聖に3子を置いて4目半勝ちした碁を指す)。

《第1局》
Zenもアルファ碁同様、石の捨て方がうまい。序盤に布石のうまさが出た。布石は私より上手だろう。序盤は私が劣勢。中盤、形勢が良くなり、楽観しながら堅めに打ち、後半は良い勝負。Zen は形勢が悪くなると悪手が出る。悪手を見て勝ちを確信した。

《第2局》
反対に2局目は序盤で私がひどい手を打ってしまった。棋士としてはずかしい。

《第3局》
これで開き直り、(ゴルフの)OB覚悟で打ったら、Zen も気が緩んだのか、人間のようなミスをした。私は勝ちに行く手を選び、(Zenは:引用注)強引になってしまった。それで負けが決まった。

趙治勲名誉名人「囲碁とAI」
(日刊工業新聞 2016.12.15 - 12.21)

趙治勲名誉名人は Zen との対戦の経験をふまえて、AIの棋力について、次のように書いています。


AIの序盤の布石は素晴らしい。私は欲深い手を打って、相手をリードしようとしてしまう。AIは損得でなく、自然体だから強いのだと思う。真っ白なキャンバスに自由にデッサンしているようだ。創造性を身につけたように思える。

一方、終盤は未知数だ。まだまだ精進する必要がある。これは勉強すれば何とかなる。ただ創造性の部分は鍛えるには限度がある。最初の50手は創造の世界なのだ。AIが絵画や音楽などの芸術の分野でも活躍できるのではないかと思う。

(同上、以下同じ)


AIによって囲碁は発展する


趙治勲名誉名人はコラムのまとめとして、AIによって囲碁界は発展するだろという主旨の見解を述べています。


人工知能(AI)の台頭を恐れる考えもあるが、囲碁にとっては良いことだらけだ

トーナメントプロでは、日本でチャンピオンになっても世界にはまだ上がいる。ここにAIが入ってきただけだ。人間は世界チャンピオンになると、自分が最強だからとおごってしまう。AIは謙虚なままだ。チャンピオンは人間でもAIでもいい。棋士は、より強くなるために勉強し続ける。

レッスンプロはAIの手を借りられる。アマチュアが強くなり裾野が広がる。指導する一人ひとりに合わせた人間味のある教え方や、かゆいところに届く指導がちゃんと評価されるようになる。


このくだりで趙さんは、トーナメントプロ、レッスンプロ、アマチュアのそれぞれで、"AIの使い方" や "AIに対する向き合い方" があることを述べています。AI技術を使うと囲碁のアマチュアに対する完全個別指導がいつでも行える環境を作れる可能性があるわけです。これは囲碁人口を増やすことにつながります。

趙さんの "自信" の背景にあるのは、囲碁がとてつもなく奥深いものだという絶対の確信でしょう。この奥深さは、次のように表現されています。


碁は本当の面白さがわかるまで年月がかかる。例えばアルファ碁とイ・セドル九段の対局を理解できる人は世界に1000人もいない。私も中国や韓国のトップ棋士の対局は一度石を並べるだけではわからない。現在もトップ棋士はどんどん進化しているからだ。何度も石を並べ直して理解している。

普通の人も AI の助けを借りて強くなれば、トップの奥深さがわかり、その魅力に一生離れられなくなるだろう。それは6ヶ月前の Zen くらいだろうか。囲碁の競技人口は4000万人。10億人が打つようになればまったく新しい手も出てくる。AI も強くなり、棋士はもっと勉強して高みを目指す。



井山裕太 六冠の意見


趙治勲名誉名人に続いて、井山裕太 六冠(六冠は2017.1 現在)の意見も付け加えておきたいと思います。井山さんは囲碁プログラムと互先で戦った経験はありませんが、2017年3月に DeepZenGo と戦う予定があります。また言うまでもなく現代日本の最強の棋士であり、その方が AI をどういう風に見ているかは重要でしょう。


アルファ碁の棋譜をみると、部分的なヨミでは常に正しい正解を打っている感じてもなく、まだまだ人間の方が上かと思いましたが、人間的にいう大局感というのか、部分的に最善でなくても全体では遅れていない、むしろリードしている局面が多かったように感じました。

井山裕太 六冠
朝日新聞(2017.1.3)

今の段階では、ぱっとは目がいかないけれど、打たれてみるとなるほどと感じる部分はある。AI が生み出す新たな撃ち方、考え方を吸収できる。それで囲碁の可能性が広がればいいと、ポジティブに受け止めています。

AI が人間を完全に凌駕りょうがしてしまったら、今までと同じようにファンのみなさんが棋士同士の戦いを楽しんでくださるのか、気になるところです。でも自動車が出現しても、陸上競技の魅力は色あせません。人間には感情がある、疲れがある、ミスが出る。それらを含めての魅力が、人間同士の戦いにはあります

囲碁はまだわからないことだらけですが、私も徐々にではあるけれども強くなっている、進歩しているという感覚があります。強い気持ちで新たなステージに臨もうと思います。

(同上)

ちなみにこの朝日新聞の記事の中で井山 六冠は、「アルファ碁は、うわさレベルではさらに強く、とてつもないレベルに達していると聞きます」と発言しています。まさにその通りのようで、2016年末から 2017年初頭にかけて "新アルファ碁" が 囲碁対局サイトの「東洋囲碁」と「野狐のぎつね囲碁」に登場し、トッププロと対戦して60連勝しました。井山 六冠もその中の一人だとされます。

これはもちろん早碁ですが、持ち時間が十分ある碁ではどうなのでしょうか。それでも「ものすごく強いだろう」という大方の推測です。日本棋院は所属の棋士に全60局の棋譜を配布するとありました。"新アルファ碁" は日本だけでなく中国、韓国の棋士によって徹底的に研究されるでしょう。"新アルファ碁" とトッププロとの本格対局も予定されているようなので、注視したいと思います。


AIの "大局感"


これ以降は趙治勲名誉名人と井山裕太 六冠の意見についての感想です。

趙治勲名誉名人と井山裕太 六冠の意見に共通することは、二人とも AI囲碁にポジティブなことです。それは、囲碁のプロフェッショナルとして、

強い相手と対戦してみたい
囲碁の神様がいるなら、それを感じてみたい
そのことによって自らも進歩したい

という意欲・意識だと思います。では AI のどこが強いのか。二人の意見を総合してその強さを一言でいうと「大局感」だと思います。

AIの序盤の布石は素晴らしい(趙)。
Zen もアルファ碁同様、石の捨て方がうまい(趙)。
部分的に最善でなくても全体では遅れていない、むしろリードしている(井山)。

などをまとめると「大局感に優れている」ということだと思うのです。我々は普通、コンピュータの得意なところは細部の緻密な計算やヨミだと考えます。全体を見渡してマクロ的・直感的にものごとを把握するのは苦手だと考えるのが普通です。しかし囲碁の AI は逆です。全体を俯瞰する大局感の方が優れていて、細部に関しては「最後の詰めが甘い(趙)」とか「部分的には最善ではない(井山)」のです。



その理由を考えてみると、次のようだと想像できます。DeepZenGo も基本的にアルファ碁のロジックにのっとっているそうなので(日経ITpro 2016.11.09 の記事による)No.180-181「アルファ碁の着手決定ロジック」に沿って考えてみます。

アルファ碁の基本ロジックは「モンテカルロ木検索 - Monte Carlo Tree Search : MCTS」です。MCTSでは局面の勝率を判定しながら、有力な候補手を次々と木探索するのですが、局面の勝率を推定するのに使われるのが「ロールアウト(=プレイアウト)」です。ロールアウトとは、とにかく一定のロジックに従って終局までプレーしてみて勝ち負けを判定し、それを多数繰り返えし、その勝率を局面の勝率とするというものです。

No.180-181で書いたように、アルファ碁は独自の rollout policy でロールアウトをします。しかしそれだけではありません。policy networkvalue network という2つの多層ニューラルネットワーク(Deep Neural Network。DNN)をもっています。その働きは次の通りです。

policy network
囲碁のルール上許されるすべての手について、次に打つ手としての有力度合いを数値(確率分布)で示すDNN。

value network
局面の勝率を推定するDNN。膨大な局面のサンプルをもとに policy network を使ってロールアウトした事前シミュレーションに基づいて作成される。

というものです。そしてアルファ碁の勝率判定は rollout policy を使ったロールアウトによる勝率判定と、value networkによる勝率判定ををミックスして行われています。

結局のところ「アルファ碁の勝率判定はロールアウトによる」と言えるでしょう。ロールアウトは「とにかく終局まで打ってみたらどうなるか」というシミュレーションです。これを候補手(合法手)について、手の有力度合いに従って繰り返し、勝率の高い手を選ぶ。

つまり、常に白紙の状態で、終局までを見据えて(=最後までヨセて)最適な手を選んでいるのがアルファ碁です。一切の "こだわり" がない。これが「自然体」とか「真っ白なキャンバスに自由にデッサンしているよう」という趙名誉名人の感想や、「部分的に最善でなくても全体では遅れていない、むしろリードしている」という井山 六冠の発言につながり、それが大局感に優れていると見えるのだと思います。


AI は意味を説明できるか


趙名誉名人の新聞コラムの中に、AI によって囲碁の裾野が広がるという主旨の発言がありました。つまり「AI によって一人一人に合わせた教え方や、かゆいところに届く指導ができる。アマチュアが強くなり裾野が広がる」との主旨です。これは果たしてどこまで正しいのでしょうか。

もちろん、アマチュアを指導する囲碁の先生が、AI を参考にしながら指導するのは可能であり、大いに役立つと思います。しかし AI だけがアマチュアを指導する(=AI指導碁)というのは、どうなのでしょう。

"AIの先生" が打つべき候補手を数手示し、それぞれの勝率を示すのはいつでも可能です。しかし、たとえば候補手① の勝率は 60%、候補手② の勝率は 50%としたとき、①が 10%だけまさる理由を AI は説明できるのでしょうか。「②は相手の厚みに近寄り過ぎていて攻められる恐れがある、①のように控えるのが正しい」というようにです。また逆に「形勢が悪いので、思い切って相手の厚みに近寄ってでも模様を張る①が正解」という風にです。結論だけを言われても、人は納得はできないのです。

"捨て石" に関して言うと、趙名誉名人は、AI は捨て石がうまいと語っています。これは井山 六冠の「部分的に最善でなくても全体ではリードしている」という発言とも関係しているのでしょう。では、なぜその場面で石を捨てるのがいいのか、石を助けずに別の場所に打つのがより勝率をあげるのか、AI は説明できるでしょうか。「捨てたと見える石も完全に死んだわけではなく、あとあとの進行でこういう風に有効に生かせるから」というような、"捨てる理由" を説明できるかという問題です。

もちろん中には説明できるケースもあるでしょう。No.180-181「アルファ碁の着手決定ロジック」でもわかるように、シチョウに取られないようにするとか、ナカデで死なないようにするとか、ダメヅマリを回避するとか、そういった理由は説明できそうです。しかしこれらはアマチュアの囲碁初級者でも分かる理由です。かつ、局所的・部分的な打ち手に関する理由です。AI が得意なのは局所的・部分的ではなく、大局的な最善手を打つことでした(趙、井山両氏による)。その大局的な最善手について、そう打つ理由を AI は説明できるでしょうか。

このあたり、現代のAIの本質的な問題点がありそうです。「なぜだか分からないし、理由はさだかではないが、結構正しい」のが AI の出す回答だということがよくある。囲碁のプロなら AIが打つ手の意味を即座に解説できたとしても、AI 自身は分かっていない。逆に言うと、意味を無視して膨大なデータを統計的に処理するからこそ、AIの有効性や可能性があると言えるのでしょう。

もちろん囲碁に限っていうと、AI のヨミ筋はコンピュータに蓄えられているので、そのヨミ筋の解析から打ち手の理由や意味を解説できるようになるかもしれません。ただしこれは機械学習では無理でしょう。「ある局面における次の一手とその意味」を蓄積したビッグデータが存在しないからです。「ある局面と次の一手」というデータは膨大にあるけれども・・・・・・。従って人間が教え込む必要があるのですが、かなりの難作業ではないでしょうか。

アルファ碁が打った手の意味を真に解説できるのは、開発会社のディープマインド社の社員ではなく、アルファ碁の棋譜を詳しく研究したプロ棋士だと確信します。



ここで思い出すのは、前回の No.196「東ロボにみるAIの可能性と限界」で引用した、国立情報学研究所の新井教授("ロボットは東大に入れるか" プロジェクトのリーダ)の発言です。新井教授は中高生向けに講演するとき次のように話すそうです。


(AI は)数学の問題を解いても、雑談につきあってくれても、珍しい白血病を言い当てても、意味はわかっていない。逆に言えば、意味を理解しなくてもできる仕事は遠からず AI に奪われる。私は次のように講演を締めくくる。

「みなさんは、どうか『意味』を理解する人になってください。それが『ロボットは東大に入れるか』を通じてわかった、AI によって不幸にならない唯一の道だから」

新井紀子
朝日新聞デジタル
(2016.11.25)

人間は普通、暗黙であれ意識的であれ、意味・意図・理由を持って(込めて)行動します。だからこそ、良い結果の経験を蓄積したり、逆に悪い結果から反省をして進歩するわけです。無意味に(意味も分からずに)行動していたのでは進歩がありません。

囲碁とAIというテーマで見えてくるもの、それはやはり「機械学習によるAI」の驚くべき可能性と、その裏にある課題、ないしは限界だと思いました。




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No.196 - 東ロボにみるAIの可能性と限界 [技術]

No.175「半沢直樹は機械化できる」で、国立情報学研究所の新井紀子教授をリーダとする「ロボットは東大に入れるか」プロジェクト(略称 "東ロボくん")の話を書きました。東ロボくんの内容ではなく、プロジェクトのネーミングの話です。つまり、

プロジェクトの存在感を出すために、是非とも "東大" にしたかったのだろう(本来なら "ロボットは大学に入れるか" でいいはず)。

新井教授は「ロボットは東大に入れない」と思っているのではないか。その証拠にプロジェクト名称が疑問形になっている。

の2点です。

「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトは2011年に開始され、2013年からは模擬試験を受験しています。2016年11月14日、今年の成果発表会が開催されました。以下はその内容です。


東大は無理、MARCH・関関同立は合格可能


まず、新井教授が朝日新聞デジタルに寄稿した文章から引用します。


今年も「東ロボくん」の受験シーズンが終わった。今年ついに、関東ならMARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)、関西なら関関同立(関西、関西かんせい学院、同志社、立命館)と呼ばれる難関私大に合格可能性80%以上と判定された。だが、東京大学には及ばなかった。現状の技術の延長線上では、AIが東京大学に合格する日は永遠に来ないだろう

新井紀子
朝日新聞デジタル
(2016年11月25日)

この合格可能性判定は、ベネッセコーポレーションの「進研模試」(大学入試センター試験模試)で行われました。東ロボくんの5教科8科目の成績は525点であり(950点満点。全国平均:437.8)、偏差値は57.1でした。

やはり東大合格は無理、今のAI技術では、というのが新井教授の所感です。しかし「MARCH・関関同立」なら合格可能性80%以上というのは、それはそれですごいことではないでしょうか。ちなみに、全国の大学を対象とした東ロボくんの合格可能性は以下の通りでした。

  調査対象 合格可能性80%以上
大学 学部 学科 大学 学部 学科
国公立 172 576 2096 23 30 53
私立 584 1753 4309 512 1343 2993
756 2329 6405 535 1373 3046
(site : pc.watch.impress.co.jp より)

どの大学のどの学部が合格可能なのか、個別の発表はありませんでしたが、「MARCH・関関同立」については学部・学科の平均として、ないしは一部の学部・学科が80%ラインに入っているということでしょう。また国公立大学でも、23大学の30学部・53学科で合格可能性80%以上と判定されていることも注目すべきです。この結果で、プロジェクトの当初目標が達成されたと新井教授は言います。


11年にプロジェクトが始まり、私は目標を立てた。3年でどこかの大学に合格させる。4年目には箱根駅伝に出るような名のある大学に、5年目は国公立大学に。そして6年目に、MARCH・関関同立に合格させたいと思った。可能性は五分五分だろう。

(同上)

「東ロボくん」2016年成果報告会のポスター.jpg
「東ロボくん」2016年成果報告会のポスター

6年目に「MARCH・関関同立に合格」という目標は達成されたようです。これは "よくやった" とも言えるし、逆に言うと、アッと驚くようなブレイク・スルーは無かったとも言えます。ディープマインド社の "アルファ碁" は世界トップクラスの棋士を破ってAI研究者たちをアッと言わせたのですが(No.174「ディープマインド」No.180-182「アルファ碁の着手決定ロジック」)、そういうわけにはいかなかった。これはもちろん、碁と違って大学入試には多種の科目があり、科目ごとにAIの適用技術が違うからでしょう。大学入試は総合的な知力の勝負です。特に難関国立大学はそうです。

従って東ロボくんが東大や「MARCH・関関同立」に入れる・入れないということより、科目に得手・不得手があって、そこが明らかになったことにこそ、「東ロボくん」というプロジェクトの意義がありそうです。その、科目別成績は次のようです。


東ロボくんの科目別成績


大学入試センター模試の成績
ベネッセコーポレーション「進研模試」
(カッコ内は昨年の成績)
  得点 全国平均 偏差値
英語(筆記) 95(80) 92.9 50.5(48.4)
英語(リスニング) 14(16) 26.3 36.2(40.5)
国語(現代文+古文) 96(90) 96.8 49.7(45.1)
数学 I A 70(75) 54.4 57.8(64.0)
数学Ⅱ B 59(77) 46.5 55.5(65.8)
世界史 B 77(76) 44.8 66.3(66.5)
日本史 B 52(55) 47.3 52.9(54.8)
物理 62(42) 45.8 59.0(46.5)
合計(950点満点) 525(511) 437.8 57.1(57.8)
朝日新聞(2016.11.15)

昨年と比較すると、科目合計の偏差値で 0.7 ポイント下がっていますが、全体的には昨年同様の成績と言えるでしょう。上がった科目もあり、下がったものもあります。

得意科目をみると、世界史の66.3という偏差値が光っています。世界史は、教科書やインターネットなどから歴史記述や文献を大量に集め、それをもとに回答するという「従来からの得意分野」のようです。不得意科目は、英語、特にリスニングです。なぜ不得意かについては新井教授の解説があるので、それをあとで紹介します。

とにかく、東大に合格するためには最低でも100点満点で80点以上は必須ということなので、東ロボくんは "東大合格にはほど遠い" ということが分かります。



また東ロボくんは、東大の2次試験模試も受験しました。その成績が次です。

東大2次試験向け模試
代々木ゼミナール・論述式
  得点 全国平均 偏差値
世界史 16 14.5 51.8
数学(文系) 46 19.9 68.1
数学(理系) 80 30.8 76.2
朝日新聞(2016.11.15)

センター模試とは違って世界史が全国平均をわずかに上回る程度の成績です。これは「問題の趣旨を理解できなかったり、時代や地域を取り違えたりして取りこぼした」そうです(毎日新聞デジタル。2016.11.14による)。一方、数学(理系)は偏差値76.2という立派な成績、というより凄い成績です。この数字だけをみると東大合格(しかも理Ⅲに合格)ができそうですが、もちろん東大は "一芸" で入れるような大学ではありません。そこが難しいところです。



センター模試に成績にもどりますと、全体的に昨年と似た成績であり、1年間の "猛勉強" の成果は(試験結果で見る限りでは)あまりなかったと言えるでしょう。この結果を踏まえて新井教授は以下のように語っています。


昨年同様の成績だったことで、AIの可能性や限界が分かった。今後は得意分野を伸ばし、産業応用レベルに高めることを目指す。

新井紀子
朝日新聞(2016.11.15)

要は、東大は断念ということです。しかし新井教授の話にあるように、東ロボくんの目的は「AIの可能性と限界」を明らかにすることでした。AIの可能性というのは「AIの威力」と言ってもいいと思います。全く問題文の「意味」を把握していない東ロボくんが、MARCH・関関同立に合格できる。このAI技術の威力はすごいと思います。逆にいうと、問題文の意味を把握している(はずの)受験生がMARCH・関関同立に合格するのはどういう意義があるのだろう、と考えてしまうわけです。要するにMARCH・関関同立の受験問題を解くというレベルにとどまっている限り、人間の(その部分の)能力はAIに代替されるだろうということです。これはひとつの警鐘です。

それでは逆に、東ロボくんで見えた「AIの限界」とはどういうことでしょうか。ここが核心です。


AIの限界


東ロボくんで見えてきた「AIの限界」について、新井教授は日経産業新聞に大変分かりやすい解説を寄稿していました。それを紹介したいと思います。


めったにお目にかからない事例が全体のかなりの割合を占めている状態を棒グラフにすると、長い尾のように見える。

こうした現象は「ロングテール」と呼ばれ、物販ではよくある。米アマゾン・ドッド・コムでは、売り上げの過半を1年に数点しか売れないような商品が占める。実は大学入試の問題を人工知能(AI)に解かせようとしたときに直面するのもロングテール現象だ。

新井紀子
日経産業新聞(2016.12.8)
(コラム:Smart Times)

新井紀子教授.jpg
「東ロボくん」2016年成果報告会で、新井紀子教授(2016.11.14 一橋講堂)
(www.itmedia.co.jp)
まず新井教授が持ち出すキーワードは、ネットワーク社会でしばしば見られる現象を示す「ロングテール」という、ちょっと意外な用語です。

アマゾン・ドッド・コムは、もともと書籍の販売から始まりました。街の書店だと、1年に数冊しか売れない本を置くのはビジネスの効率を下げるので限界があります。しかし地価の安いところに巨大な物流倉庫を作り、本を在庫してネットで販売すれば、ほとんど売れない本でも利益が出る。アマゾンが創造したビジネスモデルです。結果として「あまり売れない多数の本 = ロングテール」に光が当たるわけで、本に関して言えばこれが本来の文化のありかたでしょう。ちなみに、iTunes Music Store ではすべての曲が一度はダウンロードされたという話を以前に聞いたことがありますが、同類の現象です。この "ロングテール" が入試問題とどういう関係があるのでしょうか。


大人に「大学入試にはどんな問題が出たか」と聞くと、たいていが「暗記と計算」と答える。科目を指定して、「英語ではどんな問題が出たか」と聞くと、「発音と文法問題」「和文英訳と英文和訳」と答えたりする。

だが、数学のセンター入試において単純な計算問題は全体の1割程度しかない。英語において発音と文法問題が占める割合も同じぐらいだ。

AIプロジェクト「ロボットは東大に入れるか」を2011年に始めた後、1年かけて過去20年のセンター入試と旧帝大の個別学力試験(2次試験)を分析した。その結果、「これは何の問題」と分類できるような問題群は、どんなに多く見積もっても全体の半数にとどまることがわかった。

(同上)

半数以上の問題は分類できない問題であると分析されています。分類できないとは、同一傾向の問題が他にないか、あったとしてもわずかなので、分類を始めるとキリがないということでしょう。つまり半数以上の入試問題はロングテールを構成しているわけです。


もうすこし具体的に説明しよう。あるリスニングの問題。母と息子の会話が流れる。父親のためにバースデーケーキを手作りしているらしい。息子がたずねる。「ブルーベリーはクリームの上に置いたほうがいいかな、それともクリームとクリームの間に置いたほうがいいかな」

東ロボは完全に音声認識できた。しかし、そこで問われたのは「この結果としてできあがったケーキはどれか。次の4枚のイラストから選びなさい」である。これはリスニングの問題ではない。リスニングをし、文書の意味とイラストの内容を理解し、そこから常識推論して判断する ── という複合問題なのである。

デコレーションケーキの問題は一度出たら、たぶん二度と出ない。翌年には、ダンスパーティーへの誘い方が、翌々年にはハンバーガー店での注文の仕方が問われた。

英語では、航空チケットや博物館の入場料金表のような、広い意味での表の読解も求められる。航空チケットの読み方をAIに覚えさせても、料金表には対応できない。そして航空チケットがテストに登場するのは一度だけだ

(同上)

この説明でロングテールの意味が明確になるとともに、東ロボくんがなぜリスニングが不得意か(他の教科と比べて)が理解できます。リスニングの問題というのは、実は「リスニングもある常識推論の問題」なのですね。だから、毎年新しい "ジャンル" の問題が作れる。高校3年生の常識の範囲に限っても、ほとんど無尽蔵に新しいジャンルの問題を出せるわけです。デコレーションケーキの作り方、ダンスパーティーへの誘い方、ハンバーガー店での注文の仕方の3つには何の関連性もないのだから・・・・・・。リスニングの問題というのは問題の本質を分析すると、リスニングというジャンルではくくれない、一つ一つがそれぞれ違う "ロングテールの典型" ということです。そして東ロボくんはロングテールに弱い


このように多様な「状況」が無尽蔵にあるのが人間の社会なのだ。状況が比較的限られる数学や、試験で問うことができる確実な事実に限りがある日本史や世界史とは異なり、英語や国語、物理といった科目では、いくらでも自然に状況を生み出すことができる。

こうした科目では、パターンで解ける問題は限りがあり、ビッグデータによる統計的手法に頼らざるをえない。では、どれだけのデータが必要になるか。

今年、東ロボの英語チームは次のような見解を示した。語順整序や文法の穴埋め問題のような「一文を正しくする」問題の正答率を9割程度に上げるために、AIが学習に要したのは約500億文であった。会話文を完成させるような複文問題で9割程度の正答率を達成するには、少なくとも500億の会話のパターンが必要だろう。

しかしそのようなデータは存在しないし、自動的に収集できる見込みもない。人手に頼って作成するにはざっと500兆円かかる計算になる。

(同上)

ちなみに、会話文(複文)の完成問題は、たとえば次のようなものです(これは今まで引用してきた日経産業新聞に新井教授が寄稿した記事ではありません)。


次の会話の(  )内に入る最も適当なものを①~④の中から選べ。

Parker : I hear your father is in hospital.
Brown : Yes, and he has to have an operation next week.
Parker : (   ) Let me know if I can do anything.
Brown : Thanks a lot.

① Exactly, yes.
② No problem.
③ That's a relief.
④ That's too bad.

問題提供:代々木ゼミナール
(www.itmedia.co.jp より)

これが単なる英文解釈でないことは明らかでしょう。それぞれの発話の意図を理解し、会話として自然な人間の感情の流れを答える問題です(正解は④)。



AIの限界の一つは「無尽蔵にある状況への対応」です。少なくとも現代のAI技術では、そこに限界がある。今のAI技術の主流を極く簡単に言うと「問題に関連するビッグデータを収集し、統計手法で答えを導く」というものだからです。

従って、たとえば世界史の論述問題は東ロボくんの得意分野になります(今回の東大模試では "取りこぼした" ようですが)。高校3年生がアクセスしうる世界史の情報には限度があり、かつ高校3年生に出題してよい世界史の知識レベルや事実の数にも限度があるからです。従って、例をあげると「732年、フランク王国の軍はトゥールとポアティエの間で侵攻してきたウマイヤ朝のイスラム軍を破りました。この戦いの結果がその後の西ヨーロッパに与えた影響を、政治と経済の観点から200字以内で述べなさい」というような論述問題は得意なはずです(全く仮想の問題です)。

しかし統計手法には限界があるというのが新井教授の主旨です。英語の単文の「穴埋め問題」や「語順を正しくする問題」を、ビッグデータをもとに90%以上の正解率で解くため、東ロボくんは500億の単文を収集したわけです。インターネットの発達があったからこそ出来たことでしょう。例文(単文)をネットから自動収集できる。しかし、この手法を会話文を完成させる問題には適用できません。適用するには500億の "複文の会話サンプル" が必要であり、その収集は現実的に不可能だからです。実現のためには全く違うアプローチのAI技術を開発する必要があるが、その技術開発のコストは、それがもたらす成果に全く見合わないと考えられます。新井教授の結論は次のとおりです。


これがAIと呼ばれるソフトウェアが抱えている根本的な課題である。このことを再認識するために、私は5年間、このプロジェクトを率いてきた。東ロボが示した可能性と限界が、日本の企業がAI投資を検討する上での客観的データとして活用されることを心から願っている。

新井紀子
日経産業新聞(2016.12.8)
(コラム:Smart Times)


東ロボくんの意義


新井教授の解説を読んで、AIのプロジェクトに大学入試の模試を選んだ理由がわかりました。試験問題は基本的に一度きりなのですね。全く同じ問題は出ない。もちろん科目によっては過去問に類似しているケースもあるでしょう。しかし問題作成者は、まず自分の知識に照らして過去にないはずの問題を複数個作成し、次に手分けして本当に過去に出題されていないのかを徹底的に検証すると思います。特定の受験生に有利にならないようにするためです。この検証でOKとなった問題だけが出題される。一度きりの問題が出るテストが、毎年決まった時期に行われ、成績の履歴がトレースできるのは大学入試の模試しかない。だから東ロボくんなのです。

ちょっと話を広げますと、我々は人生やビジネスにおいてさまざまな "問題" に答えを出し、意志決定する必要が出てきます。もちろん同じ(ないしは類似の)問題も多いのですが、中には1回きりという場合もあります。類似の問題であっても、シチュエーションが違うという意味で初めての問題もある。そして大事なことは、人生においてもビジネスおいても、重要な問題ほど1回きりの問題なのです。経験のない状況で答えを見つける必要がある。それが人生であり、社会です。



東ロボくんの模試で分かったことは、東ロボくんの目的である「AIの可能性と限界を明らかにする」ということの意義です。

AIについては "アバウトな" 言説が充満しています。2030年には人間の頭脳を越えるとか、人間を越えることは絶対に無理だとか、いろいろあります。しかしそれらはどれも実証的データにもとづく推定ではありません。No.175「半沢直樹は機械化できる」で紹介したオックスフォード大学の「雇用の未来」も、あくまでAI専門家の「AIに置き換えられる仕事、置き換えられない仕事」という "意見" の集約です。それらに反して東ロボくんは、数年をかけて、入試問題という範囲ではあるが、実際にAIのプログラムを開発し、その可能性と限界を明白な成績とともに検討してきたわけです。

その可能性と限界ですが、一般的にはAIの可能性(威力)について目にする事が多いと思います。このブログでも、

No.166  データの見えざる手(2)
No.173  インフルエンザの流行はGoogleが予測する
No.180  アルファ碁の着手決定ロジック(1)
No.181  アルファ碁の着手決定ロジック(2)

などがそうでした。従来ありえなかった推論をコンピュータがやってしまう。これらの特徴は、いずれもビックデータの解析をもとにした推論だということです。碁の世界チャンピオンに勝ったアルファ碁も、アマチュア高段者が打った16万局の囲碁データを出発点にしています。これらの例だけでなく、現代のAI研究の主流はビックデータの解析による推論です。

一方で我々はAIの限界の具体例を目にすることは少ないというか、ほとんど無いといってもいいでしょう。しかし東ロボくんは、数年かけて丹念に、AIの可能性とともに限界をも明らかにしてきました。

新井教授が日経産業新聞への寄稿で、英語の文章完成問題における単文と複文の大きな溝を述べていました。単文のビッグデータは何とか得られるが、複文では実質上無理である。論理上可能であってもコストの視点で無理という話でした。ビックデータが得られないか、実用上リーズナブルなコストで得られる見込みのない問題は、現代主流のAI技術では無力なのです。こういった実証的研究の大切さを示したこと、それが東ロボくんというプロジェクトの意義でしょう。


意味を理解すること


AIに使われているのは、コンピュータ・サイエンスを含む、広い意味での数学です。東ロボくんのプロジェクト・リーダである新井教授も数学者です。

数学を割り切って分類すると「論理」と「統計」の二つでしょう。「統計」と「統計以外のすべて」と言った方がいいかも知れません。ビックデータをもとにした推論は統計のジャンルであり、現代の主流の(華々しい成果を出している)AIは統計に偏っています。

一方、人間の行動はそれだけではありません。論理の部分も重要視します。問題の意味を理解し、原則はこうだからとか、そもそもの目的はこうだからとか、こういう理由だからこうするとか、意図を込めて意志決定したり、行動したりします。新井教授は中高校生向けの講演のとき、最後は次のように締めくくるそうです。


(AIは)数学の問題を解いても、雑談につきあってくれても、珍しい白血病を言い当てても、意味はわかっていない。逆に言えば、意味を理解しなくてもできる仕事は遠からずAIに奪われる。私は次のように講演を締めくくる。

「みなさんは、どうか『意味』を理解する人になってください。それが『ロボットは東大に入れるか』を通じてわかった、AIによって不幸にならない唯一の道だから」

新井紀子
朝日新聞デジタル
(2016年11月25日)

この最後の「みなさん」から始まる一行を確信をもって中高生に言える。これが『ロボットは東大に入れるか』の大きな成果だと思いました。


3つの余談


プロジェクトの目的とは無関係ですが、東ロボくんで分かったことは、「MARCH・関関同立」に入学する学力と東大に入る学力には大きな差があり、その差は連続的変化ではなく不連続な落差だということです。なぜなら、東ロボくんが東京大学に入学できる日は、現在のAI技術だと永遠に来ないのだから・・・・・・。AIと人間の学力を同じ土俵で比較はできない思いつつも、「80%の確率で合格」と「永遠に合格できない」との差は決定的だと思いました。そこで思ったのは、東大と「MARCH・関関同立」の間にある大学です。おそらく京大は「落差の東大側」でしょう。では、たとえば早稲田と慶応はどうか。落差のMARCH側なのか東大側なのか。もちろん学部によるでしょうが、ちょっと気になりました。

東ロボ手くん.jpg
デンソーが開発した、解答代筆ロボットアーム「東ロボ手くん」
(www.itmedia.co.jp)
2つ目の余談は、今回の成果発表会に、デンソーが開発した "解答代筆ロボット" である「東ロボ手くん」が登場したことです。ボールペンで筆記ができるロボットアームです。No.176 「将棋電王戦が暗示するロボット産業の未来」に書いたように、デンソーは将棋電王戦のために「電王手さん」という "代指しロボット" を開発しています。そしてこのロボットは「人間の手と指の微妙な動きを完全に模擬できるロボットを開発するという、デンソーの大きな企業目標の一つとして位置づけられているのかも」と書きました。今回の「東ロボ手くん」もその一環でしょう。ここまで来たら、次には囲碁電王戦のために "代打ちロボット" を是非開発してもらいたい。碁石は丸みがあるので難しそうですが、デンソーの技術力をもってすれば可能でしょう。日本の "3大AIチャレンジ"(東ロボくん、将棋電王戦、囲碁電王戦)のすべてに参戦してこそ、デンソーのロボット技術の優秀性が証明されるはずです。特に囲碁は欧米、中国、韓国に広まっているので、"代打ちロボット" が活躍できる場はグローバルです。デンソーはあとには引けないはずです。

3つ目の余談です。日経産業新聞への寄稿文で新井教授は「東ロボくん」を「東ロボ」と "呼び捨て" にしています。これはおそらく「自分の身内は呼び捨てにする」という、日本語の慣習に忠実に書いているのでしょう。これでちょっと思い出しました。私は新井教授の講演を一回だけ聞いたことがあるのですが、彼女は講演に熱が入ってくると「東ロボ」とも言わずに「うちの子」と、母親的雰囲気の言い方になってしまうのですね。「呼び捨て」なり「うちの子」なり、新井教授がプロジェクトに賭けた意気込みを感じました。




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No.195 - げんきな日本論(2)武士と開国 [本]


江戸時代の武士という特異な存在


げんきな日本論.jpg
橋爪大三郎・大澤真幸
「げんきな日本論」
(講談社現代新書 2016)
第16章「なぜ江戸時代の人びとは、儒学と国学と蘭学を学んだのか」には、江戸時代における武士が論じられています。まずイエ制度にささえられた幕藩体制の話があり、その中での武士の存在が議論されています。以下のようです。

 幕藩体制 

徳川家康が作った「幕藩体制」において、日本は300程度の独立国ないしは自治州(藩)に別れ、各藩は徴税権、裁判権、戦闘力を持っていました。圧倒的な軍事力は幕府にはありません。直接国税もない。それでいて250年ものあいだ平和が続いたのは驚異的です。なぜ平和が維持できたのか。


大澤
「空気」ってあるじゃないですか。空気を読むとか。空気は、全員の総意だという想定になっていて、誰もがそれを前提に行動するわけですが、実は個人的には全員、空気と違っていることを思っているということがあります。しかも、そのことを、つまりほとんどの人が個人的には空気とは違った見解をもっているということを誰もが知っている。それでも空気は機能し、人びとの行動は空気に規定される。幕藩体制にこれに似たものを感じます。

この場合、空気に帰せられている判断は、徳川家(幕府)がずば抜けて強いということ。関ヶ原の戦いに勝った以上は、徳川家が圧倒的に強い、ということになっている。まあ、強いことは強いんですよ。しかし、その強さは、相対的なもので、絶対に勝てないかっていうとそうではなく、少なくともいくつかの藩を束ねて勝負すれば勝てるわけで、そんなことはどの大名もわかっているのです。しかし、そんなことがわかっていても、誰もが空気を読んで、他の大名がたちが皆「徳川家が強い」という想定で行動することを知っているので、あるいは少なくともそのような想定で行動すると予期するので、どうしても、徳川家に刃向かうことができない。だから、結局は完全な自己言及です。誰もが徳川家が強いという前提で行動するから徳川家は強い、と。

橋爪大三郎・大澤真幸
『げんきな日本論』
(講談社現代新書 2016)

もちろん幕府は "空気" を維持するために、さまざまな手を打ちました。大名がしくじると改易したり領地をとりあげたりします。参勤交代をやらせたり、大名の妻子を江戸に住まわせて人質にしました。空気を維持する上で、かなり成功したわけです。

しかし空気は "水を差す" とすぐにしぼみます。誰かが公然と空気に反して行動すると、皆が空気通りに行動するだろうという予期が壊れるので、しぼんでしまうのです。幕藩体制の場合、水を差したのは幕末にアメリカからやってきたぺリーでした。幕府はペリーに対して「圧倒的に強いもの」として振る舞えなかったので、空気が消えてしまった。その後「いくつかの藩を束ねて勝負すれば勝てる」ことが実証されました。

 イエ制度 

幕藩体制を下部構造としてささえたのが「イエ制度」です。イエは、次男・三男には行き場所がない「単独相続」です。また血統とは無関係に養子をとってもよい。女の子がいれば男の養子をとって跡を継がせる。誰もいなければ男と女を養子にとって結婚させ、跡を継がせる(=両養子)。両養子の制度は世界中で日本だけです。

イエ制度は最小の経済単位であるだけでなく、世間のすべての業務を分担するシステムとして機能しました。


橋爪
イエ制度は ──[中略]── 幕藩体制と緊密に結びついている。これは、日本のすべての業務を、それぞれのイエに分担させるという壮大なシステムです。武士が担当する行政も、農家が担当する農業も、商家が担当する商業も、すべてイエが分担し、イエが事業体となる。このためにまず、イエを、士農工商のカテゴリーに分離する。個人はイエに属し、イエはカテゴリー(身分)に属する。それが固定されて、移動できない。身分で世襲だから、本人の選択の余地がない。日本のすべての業務が安定的に運行するため、イエの存続が至上命令になります。

(同上)

その一方で、イエ制度は日本の近代を準備するものともなりました。イエが割り当てる職務を果たしさえすれば、あとは自由です。そうすると、イエ制度の力学から相対的に自由な人びとが精神的自由の担い手になります。次男・三男坊、上層の農民、上層の町人などです。その人たちが、文化や学問(儒学、国学、蘭学)の担い手となりました。

この単独相続(=長子相続)のイエ制度と、その上部構造の幕藩体制は、世界史にも例がない空前絶後のシステムです。

 武士の矛盾 

イエ制度に支えられた幕藩体制を支配していたのは武士階級ですが、この体制の中で大きな矛盾を抱えていました。

武士は生まれながらの戦闘者であり、小さいころから武芸の鍛錬をします。しかしそれを戦闘には使わないし、平和が続いているので使いようがありません。もし仮に戦争が起こったとしても、刀と槍では敵に勝てません。すでに鉄砲の時代であり、鉄砲を持つものが圧倒的な戦闘能力を持つことは、信長をはじめとする戦国大名が証明済みです。鉄砲どころか、世界史的には大砲の時代に入っていて、そのことは幕末に、70門以上もの大砲を搭載した4隻のペリー艦隊で実証されました。

武士が実際にやっていることはデスクワークです。番方(軍事系)と役方(行政官僚系)があって、番方が上ということになっているのですが、実際に藩で重要であり、藩を動かしていたのは役方です。つまり武士は「戦闘なき戦闘者集団」という矛盾を抱えていた。これを象徴するのが『葉隠』という書物です。


大澤
葉隠はがくれ』という本があるじゃないですか。佐賀鍋島藩の藩士・山本常朝が武士を心得を口述筆記したものです。「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という一文が有名です。でもね、世は泰平で、武士たちが死ななきゃいけなくなるときなんてないんです、戦わないんだから。かっこいい言葉だけど、ドン・キホーテみたいに現実から遊離している。

これは、実はとても変な本です。この有名な一文とはまったく対照的に、大半の内容は、サラリーマンのちまちました処世術のようなことが書いてある。あまり好きでない上司に酒を勧められたときにはどうやって断るとか、他人の面前であくびをするのをどうやってこらえるかとか。こちらは、実は当時の武士の現状にとてもマッチした実用的なアドバイスなのです。

・・・・・・・・・・・・

いざとなったら死ぬんだ、と思いながら、上司の酒の勧めを回避する策を練ったり、つまらない話を聞きながらあくびをこらえたりする。すると、ちょっとは何か意味のあることをやっている気分になる。『葉隠』は、武士道なんていうものは、ほとんどもうないからこそ語られていることだと思います。

(同上)

江戸時代の武士がかかえる「矛盾」を最も端的に、かつ時代錯誤的に体現したのが幕末の新撰組です。すでに鉄砲はライフル銃の時代です。アメリカから最新鋭のライフル銃が輸入されていた。そういう時代に、幕府方は剣術の使い手を取り立てて京都で人殺しをさせた。


大澤
新撰組のメンバーは、最底辺の武士か、もしくは武士でさえないものたちなのに、いやそれゆえかもしれませんが、武士の原理に徹底的に執着した人たちです。考えてみると、江戸時代は、一応武士の時代の範囲ということになっていますが、武士は、すでに武士としては死んでいるんですよね。つまり、武士は、自分がすでに死んでいることに気づかないので、刀なんか差して、武士をやっていた。でも、もしかして俺は死んでいるんじゃないか、という不安も抱いていた。

これに対して、新撰組は、幕末になって「武士はまだ生きている」という抗議をしているわけです。だから、刀を単に腰に差しているだけではなく、実際に人を殺すのに使う。だから時代錯誤です。これに対して、武士はもうとっくに死んでいるという現実に合わせて行動した人たちが、勝者になっていった

(同上。この引用は18章)

江戸時代の武士は「戦闘なき戦闘者」であり「戦闘者でありながら現実にやっていることはデスクワーク」という矛盾をかかえていました。これでは武士は "アイデンティティ・クライシス" に陥ります。

幕府はこの矛盾を緩和するため、儒学、特に朱子学を奨励しました。儒学によって武士の倫理を保とうとしたのです。日本に儒学が入ってきたのは6世紀ですが、それ以降、儒学者はほとんどいません。江戸時代になって急に儒学者がいっぱい出てきたのはこういう事情によります。

しかしこの朱子学が尊皇思想の土壌になりました。それは朱子学が中国の天子の正統性を説明する学問でもあったからです。さらに、古事記が成立した時代を研究した国学は、武士が天下を支配する以前の日本を明らかにしました。朱子学と国学が尊皇思想を生み、それがと倒幕へとつながっていきました。



第16章には儒学、国学の社会的意味が詳しく語られているのですが、それは省略しました。この第16章(と18章)の感想ですが、江戸時代の武士は非常に特異な存在だという認識を新たにしました。18章では新撰組のことが論じられていて「新撰組は時代錯誤的に武士の原理に執着した人たち」だと大澤氏は述べていますが、ここで連想したのが「赤穂事件」です。忠臣蔵のもとになった、江戸城松の廊下の刀傷にんじょうから四十七士の切腹までを「赤穂事件」と呼ぶとすると、この事件は非常に不可解なものです。

まず発端が不可解です。江戸城で刃傷に及ぶなど絶対のご法度であって、そんなことをすれば本人は死罪、お家断絶になることは誰もが知っていたわけです。幕藩体制は "戦争禁止" であり、江戸城に昇殿する武士が帯刀を許されなかったことがその象徴でした。浅野長矩ながのり内匠頭たくみのかみ)は錯乱したか、コトの意味を全く理解できない精神状態に陥ったとしか考えられないわけです。しかし、そもそも一国の主がそのようになるのだろうかと思います。もしそうだとしたら完全に藩主失格です。

四十七士の討ち入りという "復讐" も不可解感が否めません。浅野内匠頭と吉良上野介が殿中で取っ組み合いの喧嘩でもしたのなら、喧嘩両成敗で、たとえば「両名、数ヶ月の蟄居」のような処罰を受けたのでしょうが、問題は内匠頭が江戸城で小刀を抜いたことなのです。幕府(将軍)はそれに怒って即日切腹を申し付けた。吉良上野介に何の咎めもなかったのは幕府の手落ちでしょうが、だからといって浅野内匠頭の切腹が無くなるわけではない。仮に吉良上野介に「数ヶ月の蟄居」のような処分があったとしても、四十七士は吉良邸に討ち入ったのではないでしょうか。何となく割り切れない感じがします。

しかし「武士という矛盾した存在」という視点でみると、少しは理解できるかもしれないと思いました。つまり、

浅野内匠頭は「侮辱されたのなら刀を抜くのが本来の武士」だということを、身をもって示した。

四十七士は、たとえ主君が藩主としてふさわしくなくとも、主君のために命を捨てるのが武士だということを示した。また、自らの命をかけて敵を殺すのが「本来の武士」だと、行動で示した。

というような理解です(考えにくい面もありますが)。とにかく新撰組も赤穂事件も、江戸時代の "武士の矛盾" が露呈したものという感じがしました。こういった矛盾が頂点にまで達し、爆発して一挙に解消に向かったのが明治維新なのでしょう。

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大澤氏は上に引用した文章の中で、『葉隠』は、武士道なんていうものは、ほとんどもうないからこそ語られていることだ、と言っています。これはちょっと違うと思いました。

  武士道は、平和だからこそ語られ、戦闘をする必要がないからこそ完成された概念

だと思います。「死ぬことと見つけたり」とは平和だからこそ言えることであって、隣国との戦争が続いている時にこんな悠長なことは言ってられません。戦争に勝つためには「生き延びて機会をうかがい、反撃に出て国を守る」ことが必須です。

主君のために命をかけるものよいが、愚鈍な主君だと国が滅びます。謀反を起こさないまでも、さっさと主君を取り替えるべきであり、そういう例が戦国時代にはありました。そもそも、自分が仕える主君を替える武将が数々いたわけです(典型は藤堂高虎)。戦国時代の合戦は、寝返りで勝敗が決まったものが多々あります。国や領地を守るためには当然でしょう。

鉄砲があれだけ急速に広まり、フランスの10倍の数を保有するに至ったのも(No.194「げんきな日本論(1)定住と鉄砲」参照)、戦国武将たちが、戦いに勝つためには何をすべきかを理解した "リアリスト" だったからでしょう。鉄砲は卑怯ひきょうだと言っているのでは戦争に勝てません。

江戸時代の武士は、刀のつばや武具のモチーフによくトンボを使いました。トンボは前に進むだけで後退しない(後退できない)からです。恐れずに前に進むことは重要ですが、後退を一切しないのでは、これも戦争に勝てません。全国の統一寸前までいった織田信長は、まずいと判断すれば兵を引き、じっと戦力を蓄えて機が熟するのを待つタイプでした。もちろん家康もそうです。

越前・朝倉家の家臣であった朝倉宗滴そうてきの『朝倉宗滴話記』の有名な一節に「武者は犬ともいへ、畜生ともいえ、勝つことが本にて候」というのがあります。全くその通りです。要するに、一般に理解されている「武士道」で戦争はできない。「武士道」は平和な時代の産物です。

従って、幕末のリアリストたち、たとえば高杉晋作は鉄砲が政権を生むと確信していて、町民と農民を組織し、鉄砲を持たせて戦ったわけです。官軍の方にリアリストがより多かったのが、倒幕が成功した要因でしょう。幕末の会津戦争において、官軍の板垣隊は会津若松への急襲を成功させますが、山道を道案内したのは会津藩の農民だったという話を読んだことがあります。会津藩では武士が戦って農民は見物していたのですね。幕府方が敗北した理由につながる象徴的なエピソードだと思います。

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明治維新で武士はなくなりましたが、その後も「武士道」は生き残り、その概念が "一人歩き" するようになったと考えられます。そもそも武士道という言葉が広く認知されるようになったのは、新渡戸稲造の『武士道』(明治33年。1900年)からといいます。そして「一人歩きした武士道」は桜の花と結びつけられるまでになった。パッと咲いてパッと散るというわけです。

小川和佑かずすけ著『日本の桜、歴史の桜』(NHKライブラリー 2000)によると、桜が武士と結びついたのは江戸時代中期以降とあります。まさに武士道は平和な時代の産物なのです。その桜が明治になって「軍国の花」となり、国民思潮に強烈な影響を及ぼしました。パッと散るというのは、戦争をするには最も不適切な価値観です。パッと散ったとすると、敵方は大歓迎でしょう。さらに、捕虜になるぐらいなら死ねと言わんばかりの教えがありましたが、このような考えで戦争はできません。旧日本軍の将校は日本刀を持っていたという話も暗示的です。「一人歩きした武士道」は極めてゆがんだものになり、国民に多大な惨禍をもたらした。

江戸時代の武士の矛盾は、あとあとまで尾を引いた・・・・・・。そう感じました。まだ尾を引いているのかもしれません。今も、日本人は忠臣蔵と新撰組が好きです。


日米和親条約:攘夷から開国への転換


第18章「なぜ攘夷のはずが開国になるのか」では、日本の開国、特に日米和親条約が論じられています。以下の引用は長くなりますが、重要な指摘がしてあると思いました。



日本が尊皇思想でまとまったのは、外国と戦争することを想定したからです。そして勤王派も幕府も、戦争をするためには何をすべきかが分かっていた。

アメリカの南北戦争が終結すると、余った中古のライフル銃を商人が売り込みに来ました。これを買ったのが中国と日本です。長州も薩摩も、そして幕府も買った。こんな最新式の銃の前では、武士の伝統的な戦闘能力は役にたたないことがますます明らかになりました。

攘夷とは戦争をすることであり、つまり日本の独立を保つということです。明治維新前後の歴史をみると「攘夷」のはずが「開国」へと180度変化したように見えますが、攘夷と開国は2つの対立するオプションではありません。独立を保つこと=主権を維持することが最重要事項です。その主権を保つことになったのが「日米和親条約」でした。


橋爪
大変幸運なことにアメリカが、日本と条約を結んでくれた。日本側では、朝廷に断りがなかったと、このあと問題にされたが、そんなことは実はどうでもよい。条約を結ぶことは、日本を、対等な主権国家として認めたということ。このことをよく理解しなければならない。

日米和親条約には、どこの港を開くとか、水や食料を提供するとか、書いてあるかもしれないが、そんな中身は、どうでもよい。アメリカにとってこの条約を結んだ意味は、

1. 日本は独立国である。
2. アメリカはそれを承認した。
3. ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、そのほかは勝手なまねはするな。

なんですね。要するに、日本を植民地にしたら承知しないぞ、とアメリカが国際社会に意思表示をしてくれた。日本にとって、これぐらい好都合なことはないのです。

条約で、日本の独立が保証された。それなら、戦争をするまでもない。攘夷は必要なくなってしまった。ゆえに、開国しても、なんの問題もない

これは日本の国益にとって大変なプラスで、外交的大勝利だった。日本がそれを意図していたかどうかは別として。

・・・・・・・・・・・・

なぜこんなにうまくいったか。それは、幕府(日本政府)のパフォーマンスがそれなりだったから。加えて、日本の社会秩序が整然としているとか、清潔で勤勉だとか、さまざまな物産や工芸品があるとか、自立できる基礎があり、植民地にしないとどうしようもないひどい状態の国ではないと思ってもらった、ということでしょう。

(同上)

条約を結ぶことによって、国際社会に独立国として認められるという意味では、第二次世界大戦後のサンフランシスコ講話条約と似ています。


大澤
サンフランシスコ講話条約が結ばれて、日本は主権国家として、いちおう独立を認められた。でも同時に、無理やり日米安保条約を結ばされた ─── というのはちょっと言い過ぎですが、日本としては、「やむをえない」という気持ちをもちながらアメリカと安保条約を結んだ。中身的に見ると、「ちょっとこれはかなり不平等じゃないの」みたいなところはあるのだけど、それ以前に、独立の主権国家であることを認めた上でのことではある。

開国のときも、向こうは条約を結んだ以上 ── 条約の中身の上ではかなりこっちを見下してる感じはあるんだけでども ── 建前上は対等になった。いきなりぶん殴られるより全然いい、ということかもしれないですね。結論的に言えば、条約の内容は不平等かもしれないけれども、条約という形式は、両者の対等性を前提している。そして、内容よりも形式の方が重要だ、と。

橋爪
今でも意識していないと思うけど、これって世界的に見て、超例外だと思うよ。

大澤
けっこい運のいい展開になったということですねえ。でも、最初の国がアメリカじゃなかった場合に、どうなったのだろうか。

橋爪
それは日本の蘭学者らが十分に研究を重ねていて、まずアメリカがイギリスと戦争をして、独立国になったという情報は、わりに早くに知られている。地理の本がけっこう翻訳されているんだけれども、アメリカ独立前の地理書には、植民地として出ていた。そのあと翻訳された本では、アメリカが独立したと紹介してある。「合衆国」という言葉はまだないので、共和政治とか、結構工夫した訳語がしてある。それらを通じて、アメリカはもともと植民地だったけれど独立したという認識はあった。

アメリカと接触するようになってからは、ブリーフィング(情報提供)もいろいろあって、ロシアには注意しなきゃいけないとか、いろんなことを教えてもらった。アメリカに対する好意的な感覚は、だから、日本外交のはじめからあった。

大澤
なるほどね。

橋爪
アメリカが、ヨーロッパ列強と違って、海外に植民地を持たないというポリシーを持っていることは、公然の主張だったから、日本側にも知られていたという可能性がある。

(同上)



この章の感想ですが、引用した日米和親条約についての指摘は重要だと思いました。日米和親条約(を始めとする欧米との条約)は、その不平等面が強調され、明治政府はその解消のために多大な努力をしたと、学校の日本史で習いました。現代の視点からすると確かに不平等条約です。しかしその視点だけで過去を見てはいけないのですね。幕末に視点を移すと、交渉当事者の思いがどうであれ、たとえ不平等であっても主権国家としてアメリカと条約を結べたのが大きいわけです。欧米諸国に侵略されて領土をもぎ取られ、ボロボロになっていた東アジアの状況を考えれば・・・・・・。

橋爪さんは「世界的に見て、超例外」と言っています。確かにその通りなのでしょう。ラッキーだったという言い方があたるかもしれません。しかし幕府の方としても蘭学者からの情報でアメリカがどういう国かを知っていたはず、というのが橋爪さんの指摘です。アメリカは海外に植民地を持たない国(当時)だと・・・・・・。

ちょっと思い出したことがあります。ペリーが日本に開国を迫った大きな理由は、アメリカの捕鯨船の補給だったことはよく指摘されます。No.20「鯨と人間(1)欧州・アメリカ・白鯨」で書いたように、当時の日本近海にはアメリカの捕鯨船がウヨウヨいたわけです。日本沿岸まできて薪と水を要求したり、沿岸住民とトラブルになったこともあった。捕鯨船に物資を密輸する日本人さえいたようです。捕鯨船の補給はアメリカにとって重要な問題でした。「日本を開国させることができたら、それはアメリカの捕鯨産業の功績だ」という意味のことを『白鯨』の著者であるハーマン・メルヴィルは書いています(ペリー来航以前にそう書いている。No.20参照)。

地球儀を念頭に当時の日本を想像してみると、たとえば鹿島灘にはボストン近郊の捕鯨基地からやってきた捕鯨船がいた。航行ルートは南アメリカ大陸南端(ホーン岬)まわりか、アフリカ大陸南端(喜望峰)まわりです。なぜわざわざ地球を半周以上も航海してきたかというと、大西洋で鯨がとれなくなったからです。そして、アメリカ東海岸のヴァージニアを出航したペリーは、喜望峰をまわって浦賀にやってきた。

なぜ捕鯨船とペリーが日本に来たかというと、日本近海が鯨の格好の漁場であることに加え、日本がアメリカからみて一番近いアジアの国だからです。距離は数千キロ離れているが「一番近い」。そして、その地政学的ポジションは今も変わらないのです。鎖国をしていた日本が開国の条約を最初に結んだのがアメリカだったのは確かにラッキーでしたが、それは必然だったのかもしれないと思いました。


社会学という武器


『げんきな日本論』を通読しての印象ですが、この本は2人の社会学者の対論です。そこに感じるのは、社会の成り立ちや "ありよう" をミクロからマクロまで研究する「社会学という方法」の意義です。

社会学者は、社会の成り立ちという観点から日本史を論じてもいいし、前著の『ふしぎなキリスト教』のように "西欧社会を作ったキリスト教" を論じてもいい。さらに、戦争史、マスメディア、資本主義、日本語、文学、芸術などを議論してもいいわけです。社会の成り立ちという観点から考察することで、それぞれのジャンルを深堀りする専門家とはまた違った切り口が見いだせそうです。橋爪大三郎氏と大澤真幸氏の次作に期待したいと思います。




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No.194 - げんきな日本論(1)定住と鉄砲 [本]

No.41No.42で2人の社会学者、橋爪大三郎氏と大澤真幸まさち氏の対論を本にした『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書 2012)を紹介しました。この本はキリスト教の解説書ではなく、"西欧社会を作った" という観点からキリスト教を述べたものです。社会学の視点から宗教を語ったという点で、大変興味深いものでした(2012年の新書大賞受賞)。

げんきな日本論.jpg
橋爪大三郎・大澤真幸
「げんきな日本論」
(講談社現代新書 2016)
その橋爪氏と大澤氏が日本史を論じた本を最近出版されたので紹介したいと思います。『げんきな日本論』(講談社現代新書 2016)です。「二匹目のドジョウ」を狙ったのだと思いますが、社会学者が語る日本史という面で数々の指摘があって、大変におもしろい本でした。多数の話題が語られているので全体の要約はとてもできないのですが、何点かをピックアップして紹介したいと思います。

・・・・・・・・・・

そもそも我々は「日本論 = 日本とは何か」に興味があるのですが、それは本質的には「自分とは何か」を知りたいのだと思います。日本語を使い、日本文化(外国文化の受容も含めて)の中で生活している以上、"自分" の多くの部分が "日本" によって規定されていると推測できるからです。

「日本とは何か」を知るためには「日本でないもの」や「諸外国のこと」、歴史であれば「世界史」を知らなければなりません。社会学とは簡単に言うと、社会はどうやって成り立っているか(成り立ってきたか)を研究する学問であり、それは日本を含む世界の社会について、歴史的な発展経緯を含めて研究対象としています。その意味で、歴史学者ではない「社会学者が語る日本とは何か」に期待が持てるのです。この本を読んでみて、その期待は裏切られませんでした。


げんきな日本論


『げんきな日本論』は3部、18章から成っていて、その内容は以下の通りです。

 第1部 はじまりの日本
 1. なぜ日本の土器は、世界で一番古いのか
2. なぜ日本には、青銅器時代がないのか
3. なぜ日本では、大きな古墳が造られたのか
4. なぜ日本には、天皇がいるのか
5. なぜ日本人は、仏教を受け入れたのか
6. なぜ日本は、律令制を受け入れたのか

 第2部 なかほどの日本
7. なぜ日本には、貴族なるものが存在するのか
8. なぜ日本には、源氏物語が存在するのか
9. なぜ日本では、院政なるものが生まれるのか
10. なぜ日本には、武士なるものが存在するのか
11. なぜ日本には、幕府なるものが存在するのか
12. なぜ日本人は、一揆なるものを結ぶのか

 第3部 たけなわの日本
13. なぜ信長は、安土城を造ったのか
14. なぜ秀吉は、朝鮮に攻め込んだのか
15. なぜ鉄砲は、市民社会をうみ出さなかったか
16. なぜ江戸時代の人びとは、儒学と国学と蘭学を学んだのか
17. なぜ武士たちは、尊皇思想にとりこまれていくのか
18. なぜ攘夷のはずが、開国になるのか

章のタイトルからも明らかなように、縄文時代から幕末までの日本史が取り上げられています。この中から最初と最後、つまり第1章の縄文時代と、第15章以降の江戸時代の中か何点かのポイントを以下に紹介します。


森と定住と土器


第1章は「なぜ日本の土器は、世界で一番古いのか」と題されています。日本の土器の起源は世界史的にみて極めて古いことはよく指摘されますが、これについての論考であり、以下のようです。



まず日本の自然環境条件ですが、現在、国土の森林被服率は60%を越えています。これは先進国ではめずらしい状況です。一つの理由は山地が多く、可住面積が国土の25%程度と少ないことです。フランスやイギリスの可住面積は70%~80%程度もあります。このあたりが日本を考える上での初期条件として重要です。


大澤
中東は、世界史では、「肥沃な三日月地帯」といわれるあたりで、農業もそこから始まったし、豊かな場所だった。いまは砂漠で、どこが肥沃なのかと思うんだけど、文明化・都市化の過程で、木をたくさん切り出し、森林がなくなったために、土地の保水力がなくなってしまった。そのために、不毛地帯になってしまった。

森林があっても、人間が住んでいると、まあ、1000年ぐらいの間になくなってしまうんです。森林が残るとすれば、ジャングルみたいに、そもそも人が住めない場所。だから、人間がおおぜい住んでいるけれど森林が残っているのは、日本だけだということは、驚くべき初期条件なのですね。その意味を、考えなきゃいけない。

橋爪大三郎・大澤真幸
『げんきな日本論』
(講談社現代新書 2016)

日本には照葉樹林があり、ドングリやクルミなどがとれます。根菜類ではヤマイモなどがある。青森県の三内丸山遺跡の周辺には栗林があって食用にしていたことが分かっています。

また日本の水系は細かく分かれていて、飲める水にこと欠きません。このような場所が数百、数千とあります。海岸線は長く、貝や魚がとれて、それはタンパク源になります。

このような自然環境条件を前提に、農業が始まる前から定住が始まったことが日本の大きな特徴です。定住しても狩猟採集でやっていける環境にあったわけです。世界史的には、農業が始まってから定住するのが普通です。

もちろん農業は狩猟採集より効率的であり、同一面積で養える人口は狩猟採集の10倍から100倍だとい言います。従って、いったん農業で人口が増えると農業が大前提となります。しかし日本ではそうなる以前から定住が始まった。そして、定住の結果として生まれたのが土器です。


大澤
縄文の人々は、土器を造った。この土器が異様に古いですよねえ、世界的にみて。

橋爪
ええ。

大澤
同じぐらい古いものも、よく探せばあるのかも知れませんが、少なくとも地球で指折り数えるほど古いことは確か。ほかのものがなんにもないわりに、土器だけ造ったというのは、異常じゃないか。わざわざ重い土器を持って移動するひとはいないですね。土器は、ほかの道具と違って、定住している人びどだけが使う道具ですね。

橋爪
定住の結果だと思います。

大澤
なるほど。

橋爪
土器みたいなものとして、カゴなどをつくってもいい。このほうが軽くて便利ですけど、耐久性がない。数年したら壊れちゃう。土器は丈夫だが、重い。定住して、持ち運ぶ必要がない時に限って、土器をつくるわけです。粘土を火に入れて、焼成したものをカゴみたいにつくれば便利だと、誰かが考えた。

土器は、定住していることの結果で、農業の結果ではないんです。農業は定住するから、必ず土器をもっているけども、土器をもっているから、農業をしている、ではない。

(同上)

なぜ定住したのか、一言でいうと、気候も含めて自然環境が「住みやすい」からなのです。



第1章の感想ですが、日本の歴史を語る上でまず自然環境から入るのは大正解だと思います。キーワードは森林ですね。森林を起点として、森林 → 水・食料 → 定住 → 土器と連鎖しています。

No.37「富士山型の愛国心」にも書きましたが、森林被服率が60%を越えて70%近い国は、先進国(たとえばG20)ではまずないわけです(最も多い高知県は84%もある)。この数字はスウェーデン、フィンランドなみです。しかしスウェーデン、フィンランドの人口密度は日本の1/20とか、そういう値であって、人口も全く違います。No.37では森林の多さと人口の多さに関する象徴的な例として「熊と人間が近接して生活している」をあげました。小学生が熊よけの鈴をつけて登校する例が全国のあちこちにある国は、まず他にないと思います。

森林の保水力が河川の源泉になっています。さらに森林から流れ出した栄養分は海にそそぎ、沿岸の漁業資源を増やします。森林が水や食料をもたらす元になっています。

山地が多くても、森林を伐採してしまったのではダメなのですね。文明が古くから発達したギリシャやトルコの海岸をエーゲ海から撮った観光写真を見ると、海岸の山地が写っていても木がありません。ギリシャ神話を読むと、鬱蒼とした森がないと成り立たない話がいろいろとあるのですが、現在は禿山だらけです。「人が住むと1000年ぐらいの間に森がなくなってしまう」と大澤氏が言うのは、まさにその通りだと思います。そうなると土地の保水力がなくなり、表土は流出して岩だらけになり、河川は埋まり、海に栄養分が届かなくなる。森林からの水分の蒸発がなくなって、気候も変わってしまいます。降水量が減って悪循環に陥る。

日本は海岸の景観を見ても違います。そこが山地だと木が密集しているのが普通であり、それが内陸までつながっています。日本はこのような環境条件にあり、それは縄文時代から続いているということに、まず着目すべきでしょう。まとめると、

日本の土器は、世界史で考えても最も古いもののひとつである。
それは定住の結果である。
農業なしに、狩猟採集だけでも定住できる自然環境条件が日本にあった。
その環境の源泉は森林である。

ということになります。日本史を考える上での出発点です。



以下、『げんきな日本論』の第2章以降は、

  鉄器と青銅器、古墳、天皇、仏教、律令制、貴族、漢字と仮名、院政、武士、幕府、一揆、信長と安土城、秀吉と朝鮮出兵

などのキーワードをもとに日本史が俯瞰されています。特に、漢字と仮名の問題をとりあげた章(第5章:なぜ日本人は仏教を受け入れたのか、第8章:なぜ日本には源氏物語が存在するのか)は、日本史を語る上で欠かせないものだと思いました。

以降は、江戸時代を中心にその前後を含めて何点か紹介します。


武家政権という希有な歴史


江戸時代とその前後を語るためには、武士について触れないわけにはいかないのですが、第11章「なぜ日本には、幕府なるものが存在するのか」の冒頭に次のような指摘があります。


橋爪
日本では幕府、すなわち、武家政権なるものが成立します。これは、とても特異なことである。ヨーロッパには、武家政権にあたる現象がない。ましていわんや、中国では絶対ありえない。

まず、ふつうありえないことが起こったことに、驚かないといけないわけですね。

大澤
その通りですね。

(同上)

我々日本人は、小学校以来の教育、時代劇、大河ドラマなどから、日本にはかつて武士がいて、武士が政権を担当していたということに何の疑問も抱きません。鎌倉幕府の成立から大政奉還まで武家政権だった。そして我々は暗黙に、鎌倉幕府以降が今の日本に直結していると感じています。特に戦国時代以降、もっと絞ると安土桃山時代以降です。平安時代、ないしは奈良時代やそれ以前となると、あまりに今とは違いすぎて遠い昔に感じます。今の日本のいしずえになり、また日本独自の文化や精神面でのカルチャーは安土桃山時代以降に確立したと、我々は暗黙に感じていると思います。その時代はというと "武家政権の時代" なのです。

その武家政権は、世界史の視野でみると極めて特異なものというのが橋爪・大澤両氏の指摘です。これは我々が気づきにくい点です。

武家政権を担った武士は、生まれながらの戦闘員です。小さいときから刀や槍や弓や乗馬の練習をしてきたプロフェショナルであり、代々受け継がれた階級です。そういった武士の政権が世の中を支配するのが世界史的に特異だということは、そこに日本史や日本の独自性につながるさまざまな事柄が派生すると想像できます。この視点に関係したことを以下に何点か書きます。まず鉄砲の話です。


鉄砲が歴史を動かす


世界史をひもとくと武器の革新が歴史を動かし、社会を変革してきた例が数々あります。騎兵(乗馬)がそうだし、馬を使った戦車がそうです。もっと古くは鉄製の武器(剣、槍、矢尻、など)もそうだった。鉄砲(銃)も、そういった歴史を動かした武器です。

第15章「なぜ鉄砲は、市民社会をうみ出さなかったか」では「鉄砲史観」とでも言うべき "鉄砲と歴史の関係" が、ヨーロッパと日本を対比させて語られています。その概要は以下のようです。



 ヨーロッパでは 

火薬は中国で発明されましたが、火薬を応用した鉄砲はヨーロッパで実用化されました。鉄砲の製造は難しいのですが、いったん製造できたとなると誰でも引き金を引けば人を殺せる武器になります。甲冑を射抜いて敵を倒せるわけであり、重装備の歩兵も騎兵も無力になります。

さらに大型の「大砲」となると要塞を破壊できます。戦史の本では、ナポリにあった難攻不落の要塞は7年持ちこたえたが、大砲で攻撃したら7時間で打ち壊されたとあります。結果として、封建領主の騎兵と要塞は無意味になりました。

鉄砲は強い軍事力をもたらすともに、個人戦から集団戦へと戦い方を変えました。また、鉄砲をコントロールしていたのが都市の住民だったので、軍事力の中心は市民階級や傭兵になりました。これに目をつけたのが絶対君主です。傭兵を使って鉄砲を装備した常備軍を組織し、貴族をやっつけて強力な政府を作りあげました。傭兵はスイス人が多かったのですが、その理由はスイスが中立だからで、つまり戦いの相手に寝返ることがないからです。

鉄砲を撃つ兵士を「銃士」と言います。デュマの小説「三銃士」(時代設定は17世紀)の "銃士" がそうです。この小説でもわかるように、ヨーロッパでは銃が得意だということが威信の根拠になりました。

絶対君主の次の時代に起こったのが、鉄砲で武装した市民による革命です。以上のようにヨーロッパでは「鉄砲のない封建制」→「鉄砲のある傭兵制(絶対君主)」→「鉄砲のある市民革命」というように社会が変化した歴史があります。鉄砲によって社会変動が生じたわけであり、社会の変化と武器の変化は連動していました。

  ちなみに中国は先進文明でありながら、鉄砲をあまり使わなかった文明です。この結果、軍事技術にヨーロッパと差がついただけでなく、社会のタイプがヨーロッパとは異なるものになりました。

 日本では 

一方の日本はというと、鉄砲がヨーロッパからもたらされたことは衆知の事実です(1543年)。そしてすぐさま日本で製造されるようになり、鉄砲は急速に普及しました。それだけの製鉄や鍛冶かじ冶金やきんの技術が日本にあったわけです。しかし鉄砲の社会的意味はヨーロッパとはかなり違った。


橋爪
鉄砲がこんなにあっと言う間に普及して、全国を統一する決め手になったにもかかわらず、最後まで武士が、鉄砲をコントロールしている。それ以外の人々の手にまず渡らなかった。ここが日本の歴史を理解する、一番の急所ではないか

大澤
なるほど。おもしろいですね。ジャレット・ダイアモンドは『銃・病原菌・鉄』で、江戸時代の直前、つまり1600年の段階でみたとき、日本は、世界でもっとも高性能な銃を世界のどの国より多く持っていた、と書いています。短期間にこれほど銃が普及したのに、日本で、ヨーロッパのような社会変動が生じなかったのは奇妙ですね。

(同上)

戦国時代、鉄砲の使い方がうまかったのが織田信長です。刀と槍で相手に襲いかかる戦法をとり(桶狭間など)、鉄砲では襲ってくる敵を向かえ打つというように(長篠など)、両方の特性をうまく使い分けた。そして何よりも、戦争は個人戦ではなく集団戦であることを徹底させました。

しかし信長は同時に、今まで武器を持っていなかったものが鉄砲を持つことによって政治的な力にならないよう、注意を払いました。いわゆる「兵農分離」もそれが念頭におかれています。信長だけでなく、鉄砲伝来から関ヶ原の戦いに至るまで、戦国武将は鉄砲を使いました。鉄砲隊を組織し、鉄砲の数もジャレット・ダイアモンドが言うように世界史的にみても非常に多かった。しかし鉄砲は、戦術として補助的に使われました。関ヶ原の戦いでも中心は騎兵や歩兵です。

そして日本の特徴は、武士が常に鉄砲をコントロールしたことです。ヨーロッパでは都市が発達し、都市に富が集中して、そこに鉄砲が蓄えられました。日本ではそういう都市の発達がなかったことが一つの原因だと考えられます。また、日本では伝統的に武士だけが戦闘員資格をもち、農民や商人は戦闘員にはなれませんでした。必然、武士が鉄砲を独占することになった。例外は紀州の雑賀さいか衆ぐらいです。

武士は生まれながらの戦闘員です。小さいときから刀や槍や乗馬の練習をしてきたプロフェッショナルです。刀や槍で戦う限り、付け焼き刃では武士に太刀打ちできません。従って武士と農民が戦えば必ず武士が勝ちました。例外は島原の乱ですが、天草四郎の軍には武士も加わっていました。

  ちなみに中国史では、しばしば皇帝の軍が農民軍に負けました。農民を雇って武器の訓練をさせたものが皇帝軍だからです。

しかし、急速に普及した鉄砲は誰でも使える武器です。しかも刀や槍より圧倒的に強い。これは武士の地位を危うくします。従って武士は刀狩りをやって兵(武士)と農(農民)を分離し、身分を固定化する方向にいった。もともと鉄砲は平民性(=誰でも使える)と反武士性(=武士の地位を危うくする)がありますが、それが抑止されたわけです。

その抑止が完成された江戸時代においては、銃が得意だということが戦闘者としての威信の根拠にはなりません。あくまで刀が武士の威信の最大の根拠です。刀は一騎討ち向きであり、個人の英雄性に結びつく武器です。武士は刀に異様にこだわることになりました。

鉄砲は威信の根拠にならないだけでなく、軽蔑されました。武士は子供の頃から10年、20年と鍛錬を重ねて刀が槍を使いこなせるようになったのに、鉄砲はすぐに使えます。しかも刀や槍より強い。鉄砲に対する軽蔑は武士の屈折した心理と言えるでしょう。

従って、鉄砲を持っているからといって政治的主体にはならなかった。鉄砲は威力があるが、鉄砲を持っている人間は威力がないということにしたわけです。日本では鉄砲の戦術的効果と社会的無効性の対比が際だっています

江戸時代を特徴づけるのは「戦争の禁止」と「幕藩制による現状凍結」ですが、以上の考察からすると、幕藩制は鉄砲が入ってきたことによる武士の防衛反応だと考えられます。鉄砲によってヨーロッパは身分の平等化が促進されましたが、日本では逆に武士が上位となる身分化が固定されたのです。



これ以降は、第15章「なぜ鉄砲は、市民社会をうみ出さなかったか」の感想というか、補足です。大澤氏はジャレット・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』で「1600年の段階でみたとき、日本は世界でもっとも高性能な銃を世界のどの国より多く持っていた」と書いていることに言及しています。このブログでも、No.33「日本史と奴隷狩り」で堺屋太一氏の文章を引用しました。再掲すると次の通りです。


1600年の関ヶ原の戦いを頂点とする戦争では、東西両軍合わせて約6万丁の鉄砲が動員されたというから、おそらく日本全体では10万丁に近い鉄砲があったと推定される。その当時、ヨーロッパ最大の陸軍を誇ったフランス王の軍隊には、鉄砲は1万丁しかなかったというから、全ヨーロッパを合わせても、日本一国に及ばなかったであろう。

堺屋太一『日本とは何か』
(講談社 1991)

しかしその鉄砲を、武士は(武士であるがゆえに)放棄してしまった。鉄砲を作る技術は急速に衰えていきました。そのあたりの経緯を『銃・病原菌・鉄』から引用すると次の通りです。


江戸時代の日本で、銃火器の技術が社会的に放棄されたことはよく知られている。日本人は、1543年に、中国の貨物船に乗っていた二人のポルトガル人探検家から火縄銃(原始的な銃)が伝えられて以来、この新しい武器の威力に感銘し、みずから銃の製造を始めている。そして、技術を大幅に向上させ、1600年には、世界でもっとも高性能な銃をどの国よりも多く持つまでになった。

ところが、日本には銃火器の受け容れに抵抗する社会的土壌もあった。日本の武士には多数の階級があり、サムライにとって刀は自分たちの階級の象徴であるとともに芸術品であった(低い階級の人びとを服従させる手段でもあった)。サムライたちは、戦場で名乗りをあげ、一騎討ちを繰り広げることに誇りをもっていた。しかし、そうした伝統にのっとって戦う武士は、銃を撃つ足軽たちの格好の餌食になってしまった。

また、銃は、1600年以降に日本に伝来したほかのものと同様、異国で発明されたということで、所持や使用が軽蔑されるようになった。そして幕府が、銃の製造をいくつかの都市に限定するようになり、製造に幕府の許可を要求するようになり、さらに、幕府のためだけに製造を許可するようになった。やがて幕府が銃の製造を減らす段になると、実用になる銃は日本からほとんど姿を消してしまったのである。

ジャレット・ダイアモンド
『銃・病原菌・鉄』
(草思社 2000)

ジャレット・ダイアモンドがここでなぜ江戸時代の銃の放棄を説明しているのかというと、世界史では一度獲得した重要技術が放棄されることがあり、その典型例としてあげているのです。ダイアモンドによると、ヨーロッパでも銃を嫌い、銃の使用を制限した人がいた。しかしヨーロッパでは国と国が始終戦争をしていたので、銃の制限や放棄は長くは続かなかった。一方、日本は孤立した島国だったので銃の放棄が現実化した。しかしそれは大砲を備えたペリー艦隊で終わりを告げた・・・・・・。そういう文脈です。

  ちなみに「一度獲得した重要技術の放棄」は中国でも起こりました。外洋船・外洋航海(鄭和ていわはアラビア半島やアフリカまで航海した!)、水力紡績機、機械式時計がそうだと、ジャレット・ダイアモンドは書いています。

武士が政権を担当し社会の支配層である状況(=世界史てみると特異な状況)の中に鉄砲が突如入ってきて、全国統一の決め手になった。決め手なったからこそ鉄砲は捨てられ非武装社会(=江戸時代)が出来上がった・・・・・・。こういう風に理解できます。



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No.193 - 鈴木其一:朝顔の小宇宙 [アート]

No.85「洛中洛外図と群鶴図」で尾形光琳の『群鶴図屏風』(フリーア美術館所蔵。米:ワシントンDC)を鑑賞した感想を書きました。本物ではなく、キヤノン株式会社が制作した実物大の複製です。複製といっても最新のデジタル印刷技術を駆使した極めて精巧なもので、大迫力の群鶴図を間近に見て(複製だから可能)感銘を受けました。

鈴木其一展.jpg
「鶴が群れている様子を描いた屏風」は、光琳だけでなく江戸期に数々の作例があります。その "真打ち" とでも言うべき画家の作品、光琳の流れをくむ江戸琳派の鈴木其一きいつの『群鶴図屏風』を鑑賞する機会が、つい最近ありました。2016年9月10日から10月30日までサントリー美術館で開催された「鈴木其一 江戸琳派の旗手」展です。今回はこの展覧会から数点の作品をとりあげて感想を書きます。

展覧会には鈴木其一(1795-1858)の多数の作品が展示されていたので、その中から選ぶのは難しいのですが、まず光琳と同じ画題の『群鶴図屏風』、そして今回の "超目玉" と言うべき『朝顔図屏風』、さらにあまり知られていない(私も初めて知った)作品を取り上げたいと思います。


鈴木其一『群鶴図屏風』


群鶴図屏風・其一.jpg
鈴木其一群鶴図屏風
ファインバーグ・コレクション
(各隻、165cm×175cm)

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鈴木其一「群鶴図屏風・左隻」

群鶴図屏風・其一(右隻).jpg
鈴木其一「群鶴図屏風・右隻」

この屏風を、No.85「洛中洛外図と群鶴図」で紹介した尾形光琳の「群鶴図屏風」(下に画像を掲載)と比較すると以下のようです。

光琳の「群鶴図」は、かなり様式性が強いものです。水辺は抽象化されていて、川なのか池や沼なのかはちょっと分かりません。鶴の描き方もそうです。「デザインとして鶴を描いている」感じがあり、その形はスッキリしていて、あか抜けています。

そして、じっと見ていると、鶴は鶴であって鶴でないように見えてきます。鶴の一群は "何か" を象徴しているかのようです。二つの勢力が対峙している様子が描かれている、つまり「何か非常に存在感がある群れが対峙している、そのシチュエーションそのものを描いた」ような感じがします。



そして鈴木其一の「群鶴図」です。二曲一双ということもあって鶴の数は少ないのですが(光琳:19羽、其一:7羽)、水辺を抽象化して描いたのは光琳と同じです。その水辺の描き方はそっくりであり「光琳を踏まえている」と宣言しているかのようです。

しかし光琳と違うのは "鳥そのものを描いた" と感じさせることです。鶴の姿態の変化などを見ると、鶴の生態をさまざまな角度から描写している感じです。羽の具体的な様子が描き込まれているし、羽毛の表現もあります。

鈴木其一は別の「群鶴図屏風」(プライス・コレクション所蔵)を描いていて、それは光琳の「群鶴図屏風」の模写になっています。それにひきかえ、このファインバーグ・コレクションの屏風は、光琳からは離れた個性的な「群鶴図屏風」になっていると思いました。

群鶴図屏風・光琳.jpg
尾形光琳群鶴図屏風
フリーア美術館(ワシントンDC)
(各隻、166cm×371cm)

群鶴図屏風・光琳(左隻).jpg
尾形光琳「群鶴図屏風・左隻」

群鶴図屏風・光琳(右隻).jpg
尾形光琳「群鶴図屏風・右隻」



展覧会には其一のさまざまな作品があったのですが、その中でも其一の画業の集大成というべきが、次の『朝顔図屏風』です。


鈴木其一『朝顔図屏風』


メトロポリタン美術館が誇る日本美術コレクションでは、尾形光琳の『八橋図屏風』とともに、この『朝顔図屏風』が最高のクラスの作品でしょう。日本にあれば当然、国宝になるはずです。

私はメトロポリタン美術館に2度行ったことがあるのですが、いずれも『朝顔図屏風』は展示されていませんでした。季節感を配慮して夏によく展示されるということなのですが、8月中旬に行った時にも展示はなかった。作品保護のためでしょうが、こういった屏風はそれなりの展示スペースが必要なので、広大なメトロポリタン美術館といえども常設展示は困難なのかも知れません。その意味で、あこがれていた作品にやっと出会えた気分であり、今回の「鈴木其一 江戸琳派の旗手」展は貴重な機会でした。

朝顔図屏風.jpg
鈴木其一朝顔図屏風
メトロポリタン美術館
(各隻、178cm×380cm)

朝顔図屏風(左隻).jpg
鈴木其一「朝顔図屏風・左隻」

朝顔図屏風(右隻).jpg
鈴木其一「朝顔図屏風・右隻」

『朝顔図屏風』の実物を見てまず思うのは、非常に大きな屏風だということです。各隻は 178cm×380cm の大きさです。比較してみると、尾形光琳の『燕子花かきつばた図屏風』(根津美術館)は 151cm×339cm (各隻)なので、それよりも一回り大きい。面積比にすると 1.3倍です。その大きさの中に多数の朝顔が、うねるように、ほとんど画面いっぱいに描かれています。

『朝顔図屏風』は光琳の『燕子花かきつばた図屏風』を連想させます。花だけをモチーフにしていることと、色使いがほぼ同じという点で大変よく似ているのです。其一は描くにあたって光琳を強く意識したことは間違いないでしょう。具体的に『燕子花図』と比較してみます。

光琳の『燕子花かきつばた図』の描き方は写実的です。一本一本の燕子花かきつばたもそうだし、群生している姿もリアルにみえる。咲いている姿そのままを描き、そこから背景を取り去ったと、まずそう感じます。構図はエレガントでシャレています。リズミカルな花の連続が気持ちよく、画面の端で群生を切り取る構図が上下左右へのさらなる広がりを感じさせます。

さらにじっと見ていると『群鶴図屏風』と同じで、燕子花かきつばたは何かの象徴のように思えます。金地に燕子花だけという極限までに単純な造形がそう思わせるのでしょう。たとえば、それぞれの燕子花は "人" の象徴であり、何らかの "行列" を描いたというような・・・・・・。何の行列かは、いろんなことが考えられるでしょう。



鈴木其一の『朝顔図屏風』も、朝顔の花と葉とツルはリアルに描かれています。その特徴は、一個一個の花の表情が全部違えてあり、それがリズムとなって屏風全体を覆っていることです。また、青色岩絵具を使った花の描き方には暖かみや柔らかさがあり、花弁には微妙な色の変化がつけてあります。

以前のNHK「日曜美術館」(2013年)で放映されたメトポリタン美術館の科学分析の結果を思い出しました。其一は『朝顔図屏風』の花弁の青を描く時に、岩絵具(群青)に混ぜるニカワの量を通常より減らしているそうです。その結果、絵の表面に岩絵具の粒子が露出し、それによって光が乱反射してビロードのような花のタッチになった・・・・・・。そういった内容でした。其一は独自の工夫をこの絵に盛り込んでいます。

そして『朝顔図屏風』が光琳の『燕子花図』と違うところ、其一のこの絵の独自性の最大のポイントは、

  『朝顔図屏風』は、全体としては現実を描いたものではないと、一見して分かるところ

です。まず、この屏風のように朝顔が生育するためには、背景として何か "格子状の竹垣のようなもの" を想定しなければなりません。しかしそういった格子は現実には見たことがありません。たとえ格子があったとしても、朝顔はこの様に渦巻くようには生育しません。あくまで下から上へと、重力に逆らって伸びるのが朝顔です。この絵は朝顔の生態を無視して描かれています。

鈴木其一は『朝顔図屏風』で何を表現したかったのでしょうか。考えられるのは、朝顔の "みずみずしさ" とともに、植物が持っている生命力です。六曲一双の小宇宙の中に蔓延する植物を描き、その生命力をダイレクトに表現した・・・・・・。それはありうると思います。

さらに考えられるのは、光琳の『燕子花かきつばた図』と同じで、何かの象徴かもしれないということです。この六曲一双の屏風を少し遠ざかって眺めると、そういう思いにかられます。つまり、朝顔の集団によって別のものを表そうとしているのでは、という感じです。

左隻には "何らかの勢力" が渦巻いています。そして右隻にも "何らかの別の勢力" がある。その二つの勢力が拮抗している、そういった印象です。京都・建仁寺の天井画では二匹の龍が絡み合っていますが、そういった絵を連想します。あるいは、葛飾北斎が信州小布施の祭屋台に描いた二面の怒濤図(男波と女波)を思い出してもいいと思います。

しかし「左隻と右隻が向かい合って、二つの勢力が拮抗している、ないしは対峙している」ということで思い出すのは、俵屋宗達以来の琳派の伝統である『風神雷神図』です。全くの個人的な想像なのですが、この『朝顔図屏風』は『風神雷神図』のもつダイナミズムを、風神・雷神とは全くの対極にある "朝顔" という、小さくて、はかなげで、清楚で、しかし生命力の溢れた存在で表現しようとしたのではないか・・・・・・、ふとそう思いました。

鈴木其一の『朝顔図屏風』は、其一の画業の集大成だと言われています。生涯のそういう時期に描かれたわけです。その集大成において其一は、朝顔という日常よく見かける花を用いて六曲一双の中に小宇宙を作り上げた。宗達や光琳以来の光琳の伝統を踏まえつつ、あくまで独自の世界、この絵しかないという世界を築いた。そいういう風に感じました。

燕子花図屏風.jpg
尾形光琳燕子花図屏風
根津美術館
(各隻、151cm×339cm)

燕子花図屏風(左隻).jpg
尾形光琳「燕子花図屏風・左隻」

燕子花図屏風(右隻).jpg
尾形光琳「燕子花図屏風・右隻」


鈴木其一『花菖蒲に蛾図』


『朝顔図屏風』という傑作のあとに何を取り上げようかと迷ったのですが、1点だけ『花菖蒲に蛾図』ということにします。これもメトロポリタン美術館所蔵の作品です。

花菖蒲に蛾図.jpg
鈴木其一
花菖蒲に蛾図
メトロポリタン美術館
(101cm×33cm)

今回の展覧会に多数展示されていた鈴木其一の作品の中には、花、草、昆虫、小動物を描いた作品がいろいろとありました。この『花菖蒲に蛾図』もそうした絵の中の一枚ですが、注目したいのは "蛾" が描かれていることです。

蛾を描いた絵というと、真っ先に思い出すのは速水御舟の『炎舞』(山種美術館。重要文化財。No.49)です。夜、焚き火の明かりに誘われた数匹の蛾が、互いに絡みあうように炎の上を舞う・・・・・・。この絵は我々が蛾に抱くイメージとピッタリ重なっています。蛾は基本的に夜行性だし、何となく "妖しい" イメージがある。それと合っています。

しかし其一の蛾は違います。夜とか夜行性をイメージさせるものは何もなく、明らかに昼間の "健康的な" 光景です。昼間に蛾がこのように花菖蒲に飛んでくることは普通ありえず、これは現実の光景ではありません。何か夢でも見ているような画題になっています。『朝顔図屏風』について "一見して現実を写したのではないことが分かる" と書きましたが、『花菖蒲に蛾図』もそれとよく似ています。

もし花菖蒲に飛んできているのが蝶だとすると、それは普通の絵です。今回の展覧会にも芍薬しゃくやくに黒アゲハ蝶がとまっている絵がありました。しかしこの絵では蛾が配置されていて、それがちょっと変わっているというか、独特です。

ここで "蛾" のイメージを考えてみると、昆虫愛好家は別として、我々の普通の感覚は「蝶は好きだが蛾は好きではない」というものです。蝶をる人の方が、蛾を愛でる人より圧倒的に多いはずです。但し、そういった現代の感覚を単純に江戸期に当てはめるのは注意すべきです。江戸時代が現代と同じだとは限りらないからです。そこは要注意です。

其一はなぜここに蛾を描いたのでしょうか。その理由は、描かれている蛾そのものにあるような気がします。この絵に描かれている蛾はオオミズアオ(大水青)です。大きさが10cm程度の、比較的大型の蛾で、その画像例を次に引用します。

オオミズアオ.jpg
オオミズアオ(大水青)

早朝に竹垣にとまっているオオミズアオを見たことがあります。今でもその場所が記憶に残っていまずが、その理由は、朝の散歩で意外な蛾に出会ってギョッとしたことと、薄い緑白色というのでしょうか、独特の色をした大きな蛾の存在感に圧倒されたからだと思います。調べてみるとオオミズアオは蛾の中でも最も美しいもののひとつで、昆虫愛好家・蛾愛好家のファンも多いようです。オオミズアオは英語で Luna Moth というそうです。Luna とは月のことで、つまり青白い月光をイメージした名前であり、なるほどと思います。以上を踏まえると、鈴木其一は現実の光景とは無関係に「美しい花」と「美しい昆虫」を一つの絵に同居させた、そういうことでしょう。

そこで思い出すのが、No.49「蝶と蛾は別の昆虫か」で書いたフランスとドイツの事情です。フランス語にもドイツ語にも、一般的な言葉として蝶と蛾を区別する言葉はなく、普通使われるのは鱗翅類全体を表す単語であり(=仏:パピヨン、独:シュメッタリンク)、それは蝶も蛾も分け隔てなく指すのでした。No.49では、ドイツ人であるフリードリッヒ・シュナックが書いた「蝶の生活」の序文から、著者が蛾をこよなく愛する言葉を引用しました。再掲すると次のような文章です。


ささげる言葉

この地上のずべての鱗翅類にこの書をささげる。そのすべてがここに登場するわけではないけれども。昼の蝶と夜の蛾にこの書をささげる。たそがれのスズメガに、心を浮き立たせるように庭園や草原の花の蜜が香り、草木の茂みから薫り高い芳香がしたたるたそがれどきに活動するスズメガ類にこの書をささげる。ヤママユ類やシャクガ類に、ヤガ類やヒトリガ類にこの書をささげたい。みんな愛すべきものたちだ。

フリードリッヒ・シュナック
『蝶の生活』
(岡田朝雄訳。岩波文庫。1993)

トビイロスズメ.jpg
トビイロスズメ
シュナックがあげているスズメガの一種である。「理科教材データベース・昆虫図鑑」より。
この引用にあげられてる鱗翅類の名前はすべて蛾です。ちなみに『蝶の生活』という題名は、原文のドイツ語を正確に訳すと『鱗翅類の生活』となるのでした。

シュナックが愛情を捧げる蛾として真っ先にあげているのはスズメガですが、スズメガとオオミズアオを比較してみると、普通の人の感覚ではオオミズアオの方が美しいと感じるのではないでしょうか。もちろん人の感覚はそれぞれだし、見た目以上に蛾の習性も大切なのだろうと思います。

とにかく、シュナックの文章からも思うことがあります。つまり、文化的背景を抜きにすると、蝶も蛾も「美しいものは美しい」ということです。あたりまえだけれど・・・・・・。鈴木其一もそういった感性をもった人だったのではと想像しました。

鈴木其一の『花菖蒲に蛾図』に戻ると、花菖蒲もオオミズアオも「美しいものは美しい」わけです。蝶ではなく蛾が描かれている、と議論すること自体がおかしいのでしょう。この絵は画家の確かな観察眼、審美眼と、約束ごとや決まりにとらわれない姿勢を示しているように思いました。



以上あげた鈴木其一の3点は、いずれもアメリカの美術館や個人コレクションの所蔵作品です。こういった展示会がないと、まず作品を見るのが難しいわけです。その意味で今回の「鈴木其一 江戸琳派の旗手」展は大変に貴重な機会でした。




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No.192 - グルベンキアン美術館 [アート]

個人コレクションにもとづく美術館について、今まで5回にわたって書きました。

  No. 95バーンズ・コレクション米:フィラデルフィア
  No.155コートールド・コレクション英:ロンドン
  No.157ノートン・サイモン美術館米:カリフォルニア
  No.158クレラー・ミュラー美術館オランダ:オッテルロー
  No.167ティッセン・ボルネミッサ美術館スペイン:マドリード

の5つです。今回はその "個人コレクション・シリーズ" の続きで、ポルトガルの首都、リスボンにある「グルベンキアン美術館」をとりあげます。今までの5つの美術館はいずれも、19世紀から20世紀にかけて事業で成功した欧米の富豪が収集した美術品を展示していて、コレクターの名前が美術館の名称になっていました。グルベンキアン美術館もそうです。


カールスト・グルベンキアン


カールスト・グルベンキアン(1869-1955)は、イスタンブール出身のアルメニア人です。石油王と呼ばれた人で、石油の売買で膨大な財を成しました。そして美術品のコレクターでもあった。晩年、グルベンキアンはポルトガルに移住し、遺言によって遺産と美術品がポルトガルに寄贈されました。それを元にグルベンキアン財団が設立され、財団は美術館だけでなく、オーケストラやバレエ団の運営、各種の芸術・文化活動を行っています。

以上の美術館設立の経緯は、何となく No.167 で紹介したティッセン・ボルネミッサ美術館に似ています。マドリードのティッセン・ボルネミッサ美術館には、ドイツの鉄鋼王、ティッセン家のティッセン・ボルネミッサ伯爵がスペイン(=5度目の妻の祖国)に売却した美術品が展示されています。「コレクターの出身国ではない国にある個人コレクション」という点が似ているのです。

スペインとポルトガルは、大航海時代に始まる "栄光の時代" に繁栄を誇りますが(その遺産がプラド美術館)、産業革命以降の資本主義の時代にはイギリス、フランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国の後塵を拝しました。それでも大量の第一級の美術品が "タナボタ" 的にもたらされる・・・・・・。そういう巡り合わせの国なのかと思ってしまいます。


グルベンキアン美術館


グルベンキアン美術館は、リスボンの中心部から少し離れた北の方向にあります。メトロで言うとブルー・ラインのサン・セバスティアン駅かプラザ・デ・エスパーニャ駅が最寄駅になります。

Lisbon.jpg

ゆったりとしたグルベンキアン財団の敷地の中に、数個の建物が配置されています(次の図)。その中の "Founder's Collection" となっている建物にカールスト・グルベンキアンが収集した美術品が展示されています(グルベンキアン美術館)。

Gulbenkian - Layout.jpg
この図は上が南方向(リスボン中心部の方向)である。敷地の中には3つの建物がある。左下がFounder's Collection棟で、それとつながっているのがグルベンキアン財団のビルである。上の方のModern Collection棟には現代ポルトガルのアーティストの作品がある。

Gulbenkian - Museum.jpg
Founder's Collection棟のエントランス



"Founder's Collection" として展示されている美術・工芸品は極めて幅広いものです。年代・地域で言うと、古代エジプト、メソポタミア、ギリシャ・ローマ、ヨーロッパ、東アジア、アルメニアなどであり、美術・工芸品のジャンルも、絵画、彫刻、家具、銀器、装飾品、タペストリー、絨毯、タイル、陶磁器など多岐に渡っています。またカールスト・グルベンキアンはルネ・ラリックと親交があり、ラリックのガラス工芸作品が展示されています。これらの中から絵画作品を何点か紹介します。


美術館の顔


まず取り上げるべきは「美術館の顔」とも言うべき女性の肖像画で、ドメニコ・ギルランダイヨの「若い女性の肖像」です。以下、絵の英語題名はグルベンキアン美術館のもので、その日本語試訳を付けました。

Portrait of a Young Woman.jpg
ドメニコ・ギルランダイヨ(1449-1494)
Portrait of a Young Woman(1490)
(若い女性の肖像)
グルベンキアン美術館

思い起こすと、マドリードのティッセン・ボルネミッサ美術館の「顔」となっている絵も、ギルランダイヨの女性の肖像画でした。この点もグルベンキアンがティッセン・ボルネミッサと似ているところです。

ティッセン・ボルネミッサのギルランダイヨの絵は真横からの横顔(= Profile)でしたが、グルベンキアンの絵は典型的な "4分の3正面視(= Three Quarter View)" の絵です。しかも女性の視線は真横方向に注がれていて、まさに今、その方向に目をやった瞬間をとらえたような感じがあります。ほんのりと赤い、ふくよかな頬と、キリッと引き締まった小さな赤い唇が印象的で、何となくこのモデルとなった女性の意志の強さを感じます(個人的印象ですが)。いい絵だと思います。


近代絵画


以下、グルベンキアン美術館の展示方法に従って、年代順に近代絵画を何点か紹介します。ターナーの絵は2点ありますが、その中の1点が次です。

Quillebeuf - Mouth of the Seine.jpg
ジョセフ・M・W・ターナー(1775-1851)
Quillebeuf, Mouth of the Seine(1833)
(キュバッフ、セーヌの河口)
グルベンキアン美術館

セーヌの河口の町、キュバッフ=シュル=セーヌを描いたた絵です。ターナーの絵にしばしばある、水面と空が一体になったような描き方で、その中に河口の町が小さく配置されています。人間の営みに比べた自然の大きさを表現しているように見えました。ちなみに、もう一枚あるターナーの絵は「輸送船の難破(ミノタウルス号の難破)」です。Wikipedia(日本語版・英語版)にターナーの代表作の一つとして掲載されています(2016.11現在)。


Self-portrait (Degas Saluant).jpg
エドガー・ドガ(1834-1917)
Self-portrait or 'Degas Saluant'(1863)
(自画像、または "挨拶するドガ")
グルベンキアン美術館

ドガは自画像を何枚か描いていますが、最も有名なのは No.86「ドガとメアリー・カサット」で引用したオルセー美術館の自画像でしょう。しかしこのグルベンキアンの自画像もオルセーに匹敵する出来映えです。ちなみに Wikipedia の「ドガ」の項で引用されている自画像は、日本語版・英語版ではオルセーのものですが、フランス語版 Wikipedia ではこのグルベンキアンの自画像になっています(2016.11現在)。


Boy Blowing Bubbles.jpg
エドアルド・マネ(1832-1883)
Boy Blowing Bubbles(1867)
(シャボン玉を吹く少年)
グルベンキアン美術館

グルベンキアンの絵画では、このマネの絵が "最も記憶に残る絵" かもしれません。男の子が一人でシャボン玉を吹いているというモチーフがユニークだからです。他にあるかもしれませんが、記憶にはこの絵しかありません。例によって背景を描かず、真剣に大きなシャボン玉を作ろうとしている男の子の姿だけを捉えています。


Winter.jpg
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
Winter(1868)
(冬)
グルベンキアン美術館

The Rainbow.jpg
ジャン=フランソワ・ミレー
The Rainbow(1872/73)
(虹)
グルベンキアン美術館

この2枚のパステル画は、ミレーがパステルという画材をを使いこなした絵、という感じがします。「冬」は、殆ど単色と思える暗い色調の中に、雪に覆われた畑とポツンと配置された積み藁が凍えつくような空気感を表現しています。ミレーは冬のバルビゾンを好んだようです。


ミレーは冬の風景が好きで、誰も描かない雪のバルビゾンを喜んで写生した。冬の間、画家仲間たちはパリで過ごし、村にはミレーしか残らなかったが、冬を越した者でしか春の訪れは理解できない、とミレー自身も語っている。

井出洋一郎
「農民画家」ミレーの真実
(NHK出版新書 2014)

一方の「虹」の方は、雨があがり、画面後方から太陽がさし込み出したその一瞬の光景で、全体に暗い色使いの中で、日光に照らされた緑の表現が美しい絵です。この絵で直観的に思い出すのはオルセー美術館の「春」という油絵作品で、構図がほぼ同じです。「虹」もまた春の光景ということでしょう。

Millet - Le Printemps.jpg
ジャン=フランソワ・ミレー
春 (1868/73)
(オルセー美術館)


Portrait of Madame Claude Monet.jpg
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
Portrait of Madame Claude Monet(1872/74)
(モネ夫人の肖像)
グルベンキアン美術館

若い頃のルノワールの絵の典型という感じで、青を中心に白を配した色使いが大変に美しい。シンプルで落ち着いて鮮やかな配色が、描かれたモネ夫人・カミーユを引き立てています。


The Break-Up of the Ice.jpg
クロード・モネ(1840-1926)
The Break-Up of the Ice(1880)
(解氷)
グルベンキアン美術館

セーヌ河が結氷したあと、気温が上がり、氷が割れて流れ出す・・・・・・。その光景をモネは何枚か描いていますが(オルセーの絵が有名)、その中の1枚です。こういう光景は現代だと、たとえばロシアのアムール河を描いたという感じです。当時でもセーヌ河はめったに結氷しなかったと言いますが、それでも大寒波が来るとこのような光景になる。「19世紀のセーヌ河は結氷したのだ」と改めて認識させられます。

モネの "解氷" の絵については、原田マハさんの評論があるので紹介します。モネはセーヌ河畔のヴェトゥイユに住んでいるとき(1878-81。38歳-41歳)に、最愛の妻であるカミーユを亡くします(1879)。モネは絵を描く意欲を失ってしまいました。


そんなとき、冬の大寒波がパリとその近郊を襲い、めったに凍らないセーヌ河が氷結します。滔々とうとうと流れるセーヌ川。そのセーヌ川さえも凍ってしまった。ここからは私の想像ですが、モネは自分の状況をセーヌに重ねて、「ついにセーヌも凍った。そして自分の心も凍りついてしまった」と思ったのではないでしょうか。

ところが、春も近づいたある朝、目覚めたら、セーヌ川の氷が解け、水面が動きはじめたのです。その瞬間に、モネは気づいたのかもしれません。「この世界は一刻たりとも止まっていない。同じ風景を見ているようでも、時間が流れている限り、それは一瞬しかない。その移りゆく世界を、自分はカンヴァスの中にとどめたい」と。

「この世界の一瞬を、生涯かけて追い求めよう」という決意。

ヴェトゥイユでの1880年の冬の経験は、モネにとって大きなターニング・ポイントになったのではないでしょうか。モネがその冬ヴェトゥイユにいて、セーヌ川の氷解を見たのは奇跡です。その瞬間がモネに訪れなかったら、私たちはモネの作品を、いまこのような形で見ることができなかったかもしれません。

このセーヌ川の氷結という出来事の中に、私はモネの連作の萌芽を感じます。

原田マハ
『モネのあしあと』
(幻冬舎文庫 2016)

モネの連作には「クルーズの峡谷」「積み藁」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」がありますが、その先駆けとなったのが数枚のセーヌの解氷の絵だ、というのが原田さんの見立てです。ちなみに、引用した文章はオルセー美術館の "解氷" の絵を念頭に書かれたものですが、グルベンキアンの絵の評論としてもそのまま通用するものです。


The Stocking.jpg
メアリー・カサット(1844-1926)
The Stocking(1887)
(ストッキング)
グルベンキアン美術館

このブログで何回かメアリー・カサットについて書きました。No.86「ドガとメアリー・カサット」No.87「メアリー・カサットの少女」No.125「カサットの少女再び」No.187「メアリー・カサット展」ですが、その中には「母と子」や「子ども」のモチーフが多数ありました。この絵は、パッと見てカサットだと分かる作品(パステル画)です。

ストッキングを履かせてもらう子どもの自然な仕草がとらえられています。左手は何をしているのでしょうか。描かれた女性は家政婦で、子どもは母親の方を指しているのかもしれません。ストッキングを履くのをいやがっている感じもします。


Lady and Child Asleep in a Punt under the Willows.jpg
ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)
Lady and Child Asleep in a Punt under the Willows(1887)
(柳の下のパントで眠る母と子)
グルベンキアン美術館

パント(Punt)とは、イギリスでよく見かける平底の小舟です。Puntで川を漕いて回る遊びを Punting(パンティング)と言ったりします。テムズ河、ないしはその支流の光景だと思います。サージェントの絵は、No.36「ベラスケスへのオマージュ」で、

『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』(ボストン美術館)
『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』(テート・ギャラリー)

を引用しました。いずれもサージェントの代表作と言うべき作品です。No.96「フィラデルフィア美術館」の『A Waterfall(滝)』という作品もありました。

グルベンキアンのこの作品は、サージェントの代表作とは雰囲気が違います。垂れ下がった柳、画面の端で切り取られた小舟、その上の女性、川面を見下ろす構図、カンヴァス全体に筆触を残す描き方・・・・・・、これらは "正統的" な印象派のモチーフや構図、描法そのものです。モネの絵だといっても通用するのではないでしょうか。この絵はサージェントが最も印象派の手法に寄り添って描いた作品でしょう。その意味で記憶に残る作品です。


The Church of Santa Maria della Salute - Venice.jpg
ジョン・シンガー・サージェント
The Church of Santa Maria della Salute, Venice(1904/1909)
(サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会 - ヴェネチア)
グルベンキアン美術館

この水彩画は、前作とは違ったサージェントらしい作品です。おそらく朝の光景でしょう。サルーテ教会と水路をはさんて北側(サン・マルコ広場のある側)から南を見た構図のようであり、画面の左方向、つまり東方向から光があたっています。ヴェネチアの朝の空気感と水彩画の淡くてやわらかな感触がマッチした、すがすがしい作品です。



画像の引用は以上で終わりますが、その他の主な画家では、ファン・デル・ウェイデン、カルパッチョ、ルーベンス、レンブラント、ハルス、ルイスダール、ヴァン・ダイク、フラゴナール、コロー、ファンタン=ラトゥール、ゲインズバラ、ブーディン、テオドール・ルソー、ドービニー、ボルディーニ、タウロヴなどの作品があります。

ちなみに Google Street View で内部が閲覧できる美術館というと、メトロポリタン美術館などの "超メジャー館" が思い浮かびますが、意外にもグルベンキアン美術館は Google Street View で閲覧可能です(2016.11 現在)。あくまで "小じんまりした" 美術館なので、Street View で見るにはちょうどいいと思います。

Gulbenkian - Street View.jpg
Google Street View で内部が閲覧できる美術館はメトロポリタン、MoMA、大英博物館、テート・モダン、オルセー、ウフィツィ、ウィーン美術史美術館などであるが、意外にもグルベンキアン美術館(と財団の庭園)は閲覧できる(上の画像)。マネの「シャボン玉を吹く少年」の右の絵はモネの静物画である(画像はグルベンキアン美術館のホームページで公開されている)。


グルベンキアンの北斎


下の写真は、グルベンキアン美術館のショップで見かけたカードの棚です。現代作家の作品に混じって、真ん中にあるのは葛飾北斎です。

Gulbenkian - Postcard.jpg
グルベンキアン美術館のショップにあったカードの棚。真ん中にあるのは葛飾北斎の「諸国名橋奇覧」の中の1枚である。

この作品は、北斎の「諸国名橋奇覧」の11枚の連作の一つで、『上野こうずけ佐野舟橋の古図』です。"佐野の舟橋" というと、万葉集に歌われた歌枕であり、はかない恋を象徴しました。枕草子の「橋」の段にも出てきます。北斎の時代、佐野(今の栃木県)に舟橋はもう無かったようです。しかし舟橋そのものは日本にあり、北斎は過去を想像して描いたようです。「古図」としてあるのはその意味です。

グルベンキアン美術館はこの作品を所蔵しています。欧米の美術館で北斎の作品を見かけることはよくあるのですが、このポルトガルの首都でもそうであり、欧米における北斎の "メジャー感" が認識できます。

佐野の舟橋.jpg
葛飾北斎(1760-1849)
上野こうずけ佐野舟橋の古図
(かうつけ佐野ふなはしの古づ)
「諸国名橋奇覧」より


美術館から少し歩くと・・・・・・


ここからは余談です。グルベンキアン美術館からリスボン中心部の方向(南方向)に5分程度歩くと、エル・コルテ・イングレスというデパートがあります(上に掲げた地図参照)。スペイン各地にあるデパートですが、リスボンにも進出しています。

ここの地下1階はスーパーになっていて、また高級食料品(というか、スーパーよりワンランク上の食品や菓子)を売る店が併設されています(ここがポイントです)。ポルトガルの土産物を買うには最適のスポットだと思います。もしグルベンキアン美術館を訪れたなら、近くのエル・コルテ・イングレスに立ち寄られることをお勧めします。

El Corte Ingres.jpg
リスボンのデパート、エル・コルテ・イングレス。グルベンキアン美術館の方向から見た画像(Google Street View)。




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No.191 - パーソナリティを決めるもの [本]

小説『クラバート』に立ち帰るところから始めたいと思います。そもそもこのブログは第1回を『クラバート』から始め(No.1「千と千尋の神隠しとクラバート」)、そこで書いた内容から連想する話や関連する話題を、尻取り遊びのように次々と取り上げていくというスタイルで続けてきました。従って、折に触れて原点である『クラバート』に立ち戻ることにしているのです。

クラバートは少年の物語ですが、他の少年・少女を主人公にした小説も何回かとりあげました。なぜ子どもや少年・少女の物語に興味があるのか、それは「子どもはどういうプロセスで大人になるのか」に関心があるからです。なぜそこに関心があるかというと、

自分とは何か
自分は、どうして自分になったのか

という問いの答が知りたいからです。

就職以来の仕事のスキルや、そのベースとなったはずの勉強の蓄積(小学校~大学)は、どういう経緯で獲得したかがはっきりしています。記憶もかなりある。一方、人との関係における振る舞い方やパーソナリティ・性格をどうして獲得してきたか(ないしは醸成してきたか)は、必ずしもはっきりしません。ただ、自分の振る舞い方やパーソナリティの基本的な部分は子どもから10歳代で決まったと感じるし、20歳頃から以降はそう変わっていない気がします。だからこそ「自分はどうして自分になったのか」を知るために、人の少年時代に興味があるのです。

人の個性は遺伝と環境で決まります。「生まれ」と「育ち」、「もって生まれたもの」と「育った環境」で決まる。パーソナリティ(性格・気質)に「遺伝=もって生まれたもの」が影響することは明白で、これは子どもを二人以上育てた人なら完全に同意するでしょう。全く同じように育てたつもりでも、兄弟姉妹で性格が大きく違う。「もって生まれたもの」が違うとしか考えられないわけです。

では「環境」ないしは「育ち」はどう影響するのでしょうか。人のパーソナティ(性格や気質に関係する個性)に影響を与え、自分が自分になったその「環境」とは一体何なのでしょうか。

実はこれについては『子育ての大誤解』(ジュディス・リッチ・ハリス著。早川書房 2000)で展開されていた「集団社会化説」が、私にとっては最も納得できた説明です。この「集団社会化説」を踏まえて、最初に書いた小説『クラバート』を考えてみるのが、この記事の趣旨です。



そこで、まずその前に「遺伝=もって生まれたもの」が人にどの程度影響するのかという科学的知見をまとめておきます。以下の行動遺伝学の話は、安藤寿康『心はどのように遺伝するか』(講談社ブルーバックス 2000)によります。安藤寿康氏は慶応義塾大学教授で、日本の行動遺伝学の第一人者です。


行動遺伝学


人の一生変わらない形質が遺伝で決まるというのは、非常に分かりやすいわけです。血液型、髪の毛の色、虹彩の色はそうだし、特定の病気(血友病とか若年性糖尿病など)は遺伝で決まることがよく知られています(その他、多数ある)。

遺伝とは「親と似る」ということではありません。血液型で言うと、A型の両親から生まれた二人の子どもが二人ともO型というのは十分ありうるわけです。遺伝とは、親から子へと形質を伝達すると同時に、多様性を生み出す仕組みでもある。「蛙の子は蛙」であると同時に「鳶が鷹を生む」こともある、それが遺伝です。

  遺伝で決まるとは、遺伝子(=もって生まれたもの)で決まるという意味

だということを、忘れないようにしなければなりません。



一生変わらない形質が遺伝子で決まるというのは分かりやすいのですが、では、たとえば「体重」はどうでしょうか。普通に考えて、

  体重は遺伝と環境で決まる

はずで、この場合の環境とはもちろん生活習慣(食生活)のことです。このうち遺伝の影響はどの程度でしょうか。

こころはどのように遺伝するか.jpg
安藤寿康
「心はどのように遺伝するか」
(講談社ブルーバックス 2000)

行動遺伝学(Behavioral Genetics)という学問があります。この行動遺伝学の手法を使えば、体重についての遺伝の寄与率を求めることができます。行動遺伝学の研究手法は双子の研究です。双子には「一卵性双生児」と「二卵性双生児」があり、一卵性双生児の遺伝子は全く同じです。一方、二卵性双生児は同時に生まれた兄弟であり、両親から半分ずつ遺伝子を受け継ぐので、双子同士の遺伝子は約50%が同じです。双子の家庭内での育児環境は同じだと考えられ、ここがポイントです。

そこで、一卵性双生児と二卵性双生児、それぞれ数百の体重データを集め、「一卵性双生児の体重の相関係数」と「二卵性双生児の体重の相関係数」を算出します。相関係数は統計学の手法で、二つの量が完全な比例関係(一方が大きければ他方も大きいなど)にある時は "1"、全く無関係なら "0"になります。調べてみると、

一卵性双生児の体重の相関係数:0.80
二卵性双生児の体重の相関係数:0.43

となりました。一卵性双生児の体重は非常に似通っているが、二卵性双生児の体重はそれなりに似ている、という常識的な結果です。ここから遺伝子の影響を算出することができます。つまり、双子の体重が似ているのは、遺伝子が似ている(一卵性双生児は全く同じ)ことと、同じ家庭環境で同時に育ったからと仮定します。つまり

  G:相関係数に対する遺伝子の寄与率
C:相関係数に対する同一環境(家庭)の寄与率

とすると、

  0.80 = C + G
0.43 = C + 0.5*G

という連立方程式が得られます。0.5という係数は二卵性双生児の遺伝子の類似性が0.5であることによります。この式を解くと

  G = 0.74
C = 0.06

となり、遺伝子の寄与率(G)が求まります。行動遺伝学の実際の統計処理はもっと複雑なようですが、本質は上のようなものであることは間違いありません。安藤寿康氏の『心はどのように遺伝するか』にも、この計算方法が紹介されています。



行動遺伝学では環境を二つに区別し「共有環境」と「非共有環境」という概念を使います。

  共有環境
  同居する兄弟を類似させる環境要因。主として家庭環境。上の式の C。

非共有環境
  同居する兄弟の差異を増大させる環境要因。これは一般的には家庭の外の友人関係や、学校のクラスといった、兄弟で相違する環境です。また家庭内環境でも、親の育て方が兄弟で違うと、それは非共有環境になります。さらに、双子であっても一人が外出している時にもう一人が家庭内で偶然の重大な経験をしたような場合は、その経験が非共有環境になります。

非共有環境は多様で、ランダムで、特定しにくいものです。一卵性双生児の体重で言うと、その相関係数は 0.8 にとどまり "1" にはなりません。この残りの 0.2 の部分が非共有環境の寄与ということになります。

このたあたりは定義の問題です。人の形質や性格、行動について、遺伝の影響を除いたものが環境、環境から兄弟で共有される環境を除いたものが非共有環境です。従って非共有環境は「残りすべて」であり、雑多で、訳の分からないものまで含むことになります。

この「遺伝率」「共有環境」「非共有環境」という言葉を使うと、体重については以下のようになります。

遺伝率 共有環境 非共有環境
体重 0.74 0.06 0.20

この表の解釈は、体重は、その74%が遺伝で説明できるということです。また残りの影響のほとんどは非共有環境(家庭外の環境)だということです。ただし、この数値は統計データであって、多くの人の平均をとってみたらそうなるということに注意すべきです。個々の人に着目すると、過食でメタボリック症候群の人もいれば、ダイエットが趣味で痩せている人もいます。


パーソナリティは遺伝と非共有環境で決まる


では人間の「行動」はどうでしょうか。行動遺伝学で言う行動は、単に「対人関係における振る舞いかた」という意味だけではありません。一般知能(IQ)や論理的推論能力、記憶力などの「認知能力」も含まれます。また「性格・気質」(パーソナリティ)も重要な研究分野で、外向性、神経質傾向、協調性、新規性追求などが含まれます。さらに音楽、数学、美術などの「才能」もあります。

これらの認知能力や性格、才能は、何らかのテストや観察で測定するしかなく、つまり人間の「行動」として外面に現れたものを計測して分析するわけです。それについての遺伝の寄与を研究するのが行動遺伝学です。行動遺伝学の研究で分かってきた重要な点を3点だけあげます。

 遺伝的影響が年齢とともに増大する 

IQテストで計られる一般知能(IQ)は、決して固定的なものではなく年齢によって変化することが知られていますが、この一般知能についての遺伝の影響は年齢とともに増加する傾向にあります。下の図は一卵性双生児と一卵性双生児の一般知能の相関係数の年齢変化ですが、遺伝的に同一な一卵性双生児は年齢とともに似てくる傾向にあります。

IQの類似性の発達的変化.jpg
一般知能(IQ)の類似性の発達的変化
(安藤寿康「心はどのように遺伝するか」より)

さらに次の図が示しているのは、一般知能に対する遺伝の影響が年齢とともに増加するとともに、共有環境(家庭感環境)の影響が年齢とともに低下することです。それに対し、非共有環境の影響はほぼ一定しています。

IQへの遺伝と環境の寄与率の発達的変化.jpg
一般知能への遺伝と環境の寄与率の発達的変化
(安藤寿康「心はどのように遺伝するか」より)

この「遺伝的影響が年齢とともに増大」というのは認知効力に特有の現象のようです。安藤寿康氏の『心はどのように遺伝するか』には次のように説明されています。


IQで測られる一般知能だけでなく、記憶や推理能力などの下位の認知能力で見た場合でも、遺伝的影響が発達とともに増大するというこの傾向は、さまざまな研究でくり返し報告されており、人間行動遺伝学の知見としては、ほぼスタンダードになったといえる。ちなみにこの傾向は、外向性や神経質さといったパーソナリティ特性では見ることができない。認知能力に特殊な現象のようである。

安藤寿康
『心はどのように遺伝するか』
(講談社ブルーバックス 2000)

 遺伝と非共有環境が性格に影響 

外向性、神経質傾向、協調性、新規性追求などの性格(パーソナリティ)は、遺伝の影響が50%程度、非共有環境の影響が50%程度です。共有環境の影響は小さいかほとんどない、というのが行動遺伝学の結論です。

 遺伝的傾向が家庭外環境を選択する 

『心はどのように遺伝するか』には、家庭外環境における子供の「人気者度」「非行傾向」「大学志望傾向」を調査した結果が記載されています。それによると、遺伝的に近いものほど、「人気者度」でも「非行傾向」でも「大学志望傾向」でも、より類似した仲間をもつ傾向が強いことが分かりました。子どもは自分と似た子どもに引かれる、というわけです。



以上のような行動遺伝学の成果を踏まえて書かれたのが、ジュディス・リッチ・ハリスの『子育ての大誤解』です。以降はこの本の内容、特に「非共有環境」とは何かについて紹介します。


環境とは何か


『子育ての大誤解』においてハリスはまず、行動遺伝学の知見にもとづいて「子育て神話」を否定します。子育て神話とは、

  子ども時代の家庭での親の育て方が、子どもパーソナリティを決め、その影響は大人になっても続

という言説ですが、それは "神話" であり、根拠のない思い込みに過ぎないと・・・・・・。

子育ての大誤解.jpg
ジュディス・リッチ・ハリス
「子育ての大誤解」
(早川書房 2000)

もちろんハリスも、育児の重要性を否定しているわけはありません。体や脳の発達、言語の習得に育児は大変重要です。また、親から虐待を繰り返された子どもは性格が変わったり、場合によっては脳に回復不可能な損傷を受けることも分かっています。

しかし「普通の」家庭では、育てかたや家庭環境は子どものパーソナリティに影響は与えないか、あったとしても少しなのです。このことをハリスは数々の例をあげて説明してます。そのうちの2~3を紹介します。

まず一卵性双生児の性格です。同じ家庭で育った一卵性双生児も、性格は同じにはなりません。では別々の家庭で育った一卵性双生児の性格はどうでしょうか。世の中には、生まれて直後に養子に出された一卵性双生児があります。双生児の一人を養子に出すという慣習は世界中にあります。別々の家庭で育った一卵性双生児を調査すると、その性格の類似性は、同じ家庭で育った一卵性双生児の性格の類似性とほぼ同じなのです。

出生順は子どもの性格に影響しないというも重要です。ハリスは多くの研究を調査し、出生順は子どもの性格に影響しないか、影響したとしてもわずか、と結論づけています。ではなぜ人々は、出生順が子どもの性格に影響すると思い込むのでしょうか。

それは家庭内での子どもの行動を観察するからです。家庭内で子どもは、第1子は第1子らしく、末子は末子らしく行動するのが普通です。親もそのように教育する。しかし子どもはそれを家庭外には持ち出さない。つまり、子どもの本質的な性格ではないのです。ハリスは次のように書いています。


今まで明らかにされてきた証拠によると、家庭内での適所選びや家庭で割り当てられた役割は、性格にはなんら永続的な痕跡を残さない。子どもたちが決まった役を割り当てられる一つの例が出生順位だ。上の子は親から見ると責任感があり、感受性が豊かで人に頼る傾向にある。弟や妹の目には威張っているように映る。しかし出生順位によって見られる一貫した違いは、一般的には成人向けの性格テストでは現れてこない。また研究者たちも一人っ子と兄弟のいる子の間で一貫性のある性格上の違いがあることを証明できずにいるのだ。

ジュディス・リッチ・ハリス
『子育ての大誤解』 p.409
(早川書房 2000)

両親の離婚は子どもの性格に影響しないことも書かれています。離婚した両親の子どもは、離婚する前から情緒障害や行動傷害を起こすことがあります。つまり離婚に至るまでの両親の確執の時期からです。しかしこれをもってして、両親の確執や離婚が子どもの性格に影響するとは言えません。

話は逆だというのがハリスの主張です。離婚は「共同生活は無理」と夫婦のどちらか(ないしは双方)が確信するときに起こりますが、それを引き起こすのは夫婦の(ないしはどちらかの)性格特性であることが多い。その性格特性が子どもに遺伝し、両親の確執がトリガーとなって情緒障害を引き起こす。親の離婚と子どもの情緒障害は、遺伝による性格特性の類似がポイントなのです。

この議論から言えることは、家庭環境が子どもに与える影響を議論するときには、親と子ども、兄弟同士で共有されているもの、つまり遺伝子の影響を除外して議論をしないと意味がないということです。



なお性格特性ではありませんが、肥満度の遺伝率は70%程度であり、かつ家庭からの影響は受けないことが書かれています。これは安藤寿康『心はどのように遺伝するか』の体重の遺伝率が 74% であり、残りのほとんどは非共有環境という記述と整合的です。肥満児をさして「親の育て方が悪い」というようなことを言う人がいますが、一般論としては根拠がありません。


集団社会化説


ジュディス・リッチ・ハリスが『子育ての大誤解』に数々の事例をあげているように、家庭環境(子育ての環境。共有環境)はパーソナリティに影響しないか、影響があったとしも少しです。行動遺伝学の知見によると、パーソナリティに影響する環境とは「非共有環境」です。

これは言葉の定義なのですが、遺伝では説明できないものが環境、環境から共有環境(=兄弟に均等に与えられ、兄弟をより類似させる環境。主として家庭環境)を除いたものが非共有環境です。では、パーソナリティに影響する非共有環境とはいったい何なのでしょうか。

ジュディス・リッチ・ハリスはこの問いに対する回答として、以下のような「集団社会化説」を唱えています。

  集団社会化説
  子どもが「仲間集団」に属することによる「同化」と「分化」が、社会における振る舞い方とパーソナリティ(性格)を決める

用語ですが、「集団」とは同年齢、または近い年齢の、二人以上の子どものグループです。子育てをした人なら分かるはずですが、子どもは赤ちゃんの時から自分と年齢が近い、自分に似た子どもに引かれます。子どもは自然と年齢の近い仲間で集団を作る。具体的には、仲のよい友達、近所の遊び仲間、男の子・女の子のグループ、学校のクラスの中のグループ、学校・学校外の各種のサークルでのグループなどです。もちろん、同時に複数の集団に属するのが可能です。

社会化」とは、集団や社会における「振る舞い方」と「パーソナリティ(性格)」が形作られることを言います。社会化というと一見「振る舞い方」だけを指しているように思えますが、ハリスが言っているのはそうでなくパーソナリティ(性格)も含みます。むしろ、行動遺伝学が対象とする「行動」の全部を指すと言ったほうがいいでしょう。

同化」とは、自分が属する集団の行動様式に自らを合わせようとすることです。それによって振る舞い方と性格がグループで共有されたものに近づいて行く。

分化」とは、子どもが集団内で自分なりの役割やポジションを見つけ、集団においてもその子独自の行動様式を身につけていくことです。集団で共有された行動様式の中でも、たとえばリーダーとして振る舞うとか、世話役として振る舞うとかといった「個性」がでてくる。そのことを言っています。

ハリスは「集団対比効果」にも触れています。二つの近接する集団があると、集団の行動様式をより鮮明にするような力学が働く。たとえば男の子グループと女の子グループがあったとき、女の子の行動様式を男の子がやったとすると「女の子みたいだ」と仲間から言われて、その行動は二度とやらなくなる。そういった意味です。

日本ではあまりないのですが、米国には人種問題があります。白人の子どもグループで共有された価値観が「勉強してテストでいい点をとる」ことだとすると、黒人の子どものグループの価値観は全く別の方向に行き(たとえばスポーツ)、勉強していい点をとる黒人の子どもはグループでは異端とされる。そういうことも一つの例になります。



ジュディス・リッチ・ハリスの「集団社会化説」のきっかけになったものの一つは「移住者の子どもが綺麗な英語を話す」という、彼女がハーバード大学の学生の頃の観察だったようです。


学生時代、私はマサチューセッツ州ケンブリッジで下宿をしていたが、大家さんはロシア人夫妻で三人の子供たちとともに一緒に住んでいた。夫妻はお互いに対しても、子どもたちに対してもロシア語で話した。彼らは英語がへたで、ロシア訛りが強かった。ところが五歳から九歳までの彼らの子どもたちはというと、まったく訛りのないきれいな、すわわち近所の子どもたちが話すボストン=ケンブリッジ・アクセントの英語を話していた。外見も近所の子どもたちとそっくり。親の方はその洋服のせいなのか、身振り顔つきなのか、どこか「外人くささ」が漂っていた。しかし子どもたちはまったく外人には見えない。ごく普通のアメリカの子どもたちだった。

私は不思議に思った。もちろん赤ちゃんは独自に言語を覚えるわけではない。話す言葉はもちろん親から習う。しかしこの子どもたちの話す言葉は親から習ったものではない。五歳の子どもでさえ親より流暢な英語を話していた。

ジュディス・リッチ・ハリス
『子育ての大誤解』 p.27

これは言語習得のケースですが、パーソナリティもそうだという数々の研究報告を、ハリスは掘り起こしていきました。ラリー・アユソという少年のケースが書かれています。


少年非行が横行する地域で育つ子どもたちや非行少年たちとかかわりあう子どもたちは問題を起こしやすいということは長年、心理学者や社会学者の間では周知の事実とされてきた。そうしたことから、問題を起こす可能性のある子どもを救う一つの手段として、彼をその地域から連れだし、非行少年の仲間たちとの接触を断つことが編み出された・

ラリー・アユソの場合はそれが功を奏した。16歳のラリーはサウス・ブロンクスに住んでいた。バスケットボールのチームに入りたかったが、成績不振で入部が認められなかった。友人のうち三人は麻薬がらみの殺人事件に巻き込まれ、命を落とした。彼は高校を中退し、まさに犯罪まみれの生活(もしかすると死んでいたかもしれない)に足を踏み入れようとしていたその矢先に救われたのだ。

彼を救ったのは、スラム街から子どもたちを連れだし、遠く離れた別の土地に転居させるプログラムだった。落ち着き先は、ニューメキシコ州の小さな町で、彼は中流階級の白人家族とともに暮らすことになった。

二年後の彼は、成績もAとBばかりで、高校のバスケット・チームの所属し、1試合平均28点を稼ぎ、大学進学を目指していた。

彼がサウス・ブロンクスの古巣を訪れたとき、友人たちは彼の服装に驚き、話し方がおかしいと言った。ラリーはもはや彼らのような話し方はしない。服装も違えば、振る舞い方も違う。話し方まで違うのだ。

ジュディス・リッチ・ハリス
『子育ての大誤解』 p.263

ラリーの変身は、ラリーを引き取った白人夫婦の功績ではなく、ラリーの仲間集団が劇的に変わったからだというのがハリスの結論です。ラリーのケースはいかにも(アメリカらしい)極端なケースですが、集団社会化説を象徴する事例として引用しました。



集団社会化説によると、行動遺伝学の知見である「別々の家庭の育った一卵性双生児の性格が似る」理由は次のように説明できます。つまり「遺伝的傾向の似ている子どもは、より類似した仲間をもつ傾向が強い」という研究成果がありました。子どもは自分と似た性格の仲間たちでグループ・集団を作る傾向にある。その集団の行動様式に同化する中で、性格が似てくるわけです。

一卵性双生児の遺伝子は全く同じですが、パーソナリティの遺伝率は 50% で、残りは非共有環境の影響です。しかし「遺伝的傾向が非共有環境を選択する」としたら「別々の家庭の育った一卵性双生児の性格の類似性も、同じ家庭で育った一卵性双生児の性格の類似性と同じ程度」であることが理解できます。日本のことわざにある、

類は友を呼ぶ
朱に交われば赤くなる

ということです。子どもはそうして属した集団の中で、自分なりの、自分に合った役割やポジションを見つけていく。そこで「分化」が起こり、パーソナリティが形成される。それが集団社会化説です。



集団社会化説から導かれる結論の一つは、子どもの居住地域の重要性です。特にアメリカでは、親の年収や社会的地位、人種によって住む地域が決まってくる傾向が強い。もちろん、日本を含むどこの国にでもある傾向です。どこに住むかで、子どもの遊び仲間、幼稚園、小学校が決まり、仲間集団の振る舞いや価値観は居住地域によって違ってきます。

ここで直感的に思い出すのは、中国の故事である「孟母三遷」です。孟子は子どもの頃、墓地の近くに住んでいた。すると葬式の真似ごとをするようになった。まずいと思った孟子の母親は、市場の近くに引っ越した。すると孟子は商売の真似ごとをするようになった。これではいけないと、母親は学校の近くに引っ越した。すると孟子は学生がやっている礼儀作法の所作を真似るようになり、母はやっと安心した。そして孟子は中国を代表する儒家になった・・・・・・という故事です。

孟子の母親が偉かったのは、息子に学問の道を歩ませるために、いわゆる「教育ママ」にはならなかったことです。あくまで息子の生活環境を変えた。行動遺伝学の言葉でいうと、孟子の母親は、子どもの成長にとって非共有環境が大切だと理解していたわけです。ジュディス・リッチ・ハリスの集団社会化説は、実は2000年以上前の昔から理解されていたということだと思います。



以上の集団社会化説を踏まえて、小説『クラバート』を振り返ってみたいと思います。


『クラバート』の意味


No.1「千と千尋の神隠しとクラバート(1)」であらすじを紹介したプロイスラー作の小説『クラバート』ですが、舞台はドイツ東部のラウジッツ地方の水車場(製粉所)でした。この水車場は厳しい親方(魔法使いでもある)が支配していて、粉挽き職人はクラバートを含めて12人です。クラバートはこの水車場の職人としての3年間で、自立した大人になっていきます。

No.2「千と千尋の神隠しとクラバート(2)」で書いたように、クラバートの自立に影響を与えたのは粉挽き職人としての労働だと考えられます。人間社会では、労働が人間性を形作る基礎となっているからです。

さらに No.79「クラバート再考:大人の条件」で書いたように、人間にとっては「自己選択できない環境で最善を尽くせる能力」が重要だということも『クラバート』は暗示しています。そのためには、自分自身が「変化する能力」が必要だし、また「努力を持続できる」ことも重要です。それに関係して、No.169「10代の脳」では最新の脳科学の成果から、10代の少年少女は冒険心や適応し変化する能力があることを紹介しました。

しかし、上に紹介した集団社会化説に従って考えると『クラバート』は、

  水車場の職人という仲間集団における "同化" と "分化"で、クラバートが自己のパーソナリティを確立していく物語

だとも言えるでしょう。水車場に来るまでのクラバートは、物乞いで生活している孤児であり、引き取られたドイツ人牧師の家を飛び出した浮浪児です(クラバートはスラブ系民族)。物語に親や家庭生活の影は全くありません。

しかし彼は水車場に来て成長し、物語の最後では水車場を根本から変えてしまうような "強い" 行動に出ます。そこまでの過程にあるのは、11人の職人仲間たちとの共同生活であり、いろいろな性格の職人たちとの人間関係です。その中でクラバートは自己を確立していった。そういう物語として読めると思いました。

クラバート1.jpg クラバート2.jpg


少年・少女の物語


結局のところ、人間が一番興味をもつのは人間であり、その中でも一番の関心は「自分」だと思います。自分は、どうして自分になったのか、ということを是非知りたい。

  日本とは何かを知りたいのも、その一環です。自分の思考パターンが日本文化、その中でも特に日本語に強く影響されていることは確かです。ではその文化の特質は何か。それを知るためには「日本でないもの」を知る必要があります。特に、現代日本が強く影響されている欧米文化を知りたいわけです。

人の性格形成に子ども時代から中学・高校あたりまでが重要なことは言うまでもないでしょう。最近の脳科学からしても、その時期に脳は急速に成熟します(No.169「10代の脳」)。才能面でも、たとえば画家の才能は、環境さえあれば10代で開花することは明らかです(No.190「画家が10代で描いた絵」)。ヴァイオリニストなどもそうです(No.11「ヒラリー・ハーンのシベリウス」)。

世界中で少年・少女の物語が書かれてきました。このブログでも『クラバート』のほかに、『少公女』『ベラスケスの十字の謎』『赤毛のアン』について書きました。映画では『千と千尋の神隠し』です。これらのいずれの物語も親の影は薄く(千尋以外は、孤児か、孤児相当)、主人公はそれまでとは全く異質な環境に放り込まれて、そこで仲間とともに成長していくことが共通しています。

それ以外にも、少年・少女を主人公にした数々の名作があります。我々が大人になっても少年・少女の物語に惹かれるとしたら、それは「自分とは何か」を知りたいからであり、その答えの重要なポイントが少年・少女の時期にあると直観してるからだと思います。




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No.190 - 画家が10代で描いた絵 [アート]

No.46「ピカソは天才か」で、バルセロナのピカソ美術館が所蔵するピカソの10代の絵をとりあげ、それを評した作家の堀田善衛氏の言葉を紹介しました。

実は、ピカソの10代の絵は日本にもあって、美術館が所蔵しています。愛知県岡崎市に「おかざき世界こども美術博物館」があり、ここでは子どもたちがアートに親しめる数々のイベントが開催されているとともに、日本を含む世界の有名画家が10代で描いた絵が収集されています。この中にピカソの10代の絵もあるのです。

私は以前からこの美術館に一度行ってみたいと思っていましたが、そのためだけに岡崎市まで行くのも気が進まないし、何か愛知県(東部)を訪問する機会があればその時にと思っていました。

ところがです。今年(2016年)のお盆前後の夏期休暇に京都へ行く機会があったのですが、たまたま京都で「おかざき世界こども美術博物館」の作品展が開催されていることを知りました。会場はJR京都駅の伊勢丹の7階にある「えき」というギャラリーで、展示会のタイトルは「世界の巨匠たちが子どもだった頃」(2016.8.11 ~ 9.11)です。これは絶好の機会だと思って行ってきました。

世界の巨匠たちが子どもだったころ.jpg


ピカソのデッサン


今回の展覧会の "目玉作品" がピカソの14歳ごろの2つの絵で、いずれも鉛筆・木炭で描かれた石膏像のデッサンです。展覧会の図録によると、ピカソの石膏像のデッサンは30点ほどしか残されていないそうで、つまり大変貴重なものです。振り返ると、No.46「ピカソは天才か」ではバルセロナにある別のデッサンと堀田善衛氏の評言を紹介しました。

この2点は、2000年に「おかざき世界こども美術博物館」がスペインの個人収集家から買い取りました。つまり岡崎で世界初公開された絵であり、それを京都で鑑賞できたというわけです。

ピカソ:女性の石膏像.jpg
パブロ・ピカソ(1881-1973)
女性頭部石膏像のデッサン
紙、鉛筆
(1894-95 頃。13-14歳)

ピカソ:男性の石膏像.jpg
パブロ・ピカソ
男性頭部石膏像のデッサン
紙、鉛筆と木炭
(1895。14歳)

この2つのデッサンは、比べて見るところに価値がありそうです。石膏の女性像と男性像ですが、「静」と「動」の対比というのでしょうか。女性像の顔や髪は大変なめらかで、静かな雰囲気が出ています。特に、目尻から頬をつたって口元に至る造形と陰影の美しさは格別です。伏し目で静かにたたずんでいる女性。そういった感じが出ています。

比較して男性像の方は、顔が少しゴツゴツした感じです。髪もボリューム感がずいぶんあって "波打っている" ようです。荒々しいというと言い過ぎでしょうが、それに近い感じを全体から受けます。大きく描かれた影が強烈な光を想像させ、石膏像はその光に "立ち向かっている" というイメージです。

この2枚は、単に石膏像をリアルにデッサンしたという以上に、対象の本質に迫ろうとするピカソ少年の意図を感じます。13-14歳でこのような描き方ができたピカソは、やはり希有な画家だと思いました。



展示されていたピカソ以外の絵は、ヨーロッパの画家でいうと、モネ、ムンク、ロートレック、デュフィ、クレー、ビュッフェ、カシニョール、シーレなどでした。

また、日本人画家の10代の絵も多数展示されていました。日本画と洋画の両方です。以下はその中から何点か紹介します。


水彩画・2点


日本人画家の絵は多数あったので迷うのですが、まず水彩画を2点、岸田劉生と佐分 真さぶり まことの絵を取り上げます。

岸田劉生:秋.jpg
岸田劉生(1891-1929)

紙、水彩
(1907。16歳)

この岸田劉生の水彩の一番のポイントは、まず画面下半分の「道、土手、川」を大きく右に湾曲させた構図でしょう。「道、土手、川」の曲がり具合いが少しずつ違っていて、絵にリズムを生んでいます。画面の上半分に描かれた樹と家屋はどっしりと落ち着いていて、この上半分と下半分の対比が構図のもう一つのポイントです。全体の描き方は細やかで写実的です。

風景画はこういう風に描くのだという、お手本のような絵です。16歳のときの絵ですが、すでに "できあがっている" という感じがします。劉生は38歳という若さで亡くなったのですが、もっと長生きすれば「麗子像」のように強烈なインパクトを与える作品をいろいろと生み出したはずと思いました。16歳にしてこれなのだから。

佐分真:裏庭.jpg
佐分 真(1898-1936)
風景(裏庭)
紙、水彩
(1912。14歳)

佐分真は、岸田劉生と同じく38歳で亡くなった画家です。この絵も劉生と同じく構図がいいと思いました。庭の縁と屋根の線が画面の中心に向かっていて、それによって遠近感を出しています。画面の上に描かれた木の枝と、下の方の木の陰もうまく配置されている。

全体は淡い中間色ですが、各種の色がちりばめられています。のどかな昼下がりの裏庭の感じが、その空気感とともに伝わってきます。画家になってからの佐分真の絵は、明暗を利かせた、重厚で厚塗りの油絵が多いのですが、それとはうって変わった "爽やかな" 絵です。14歳で描いたのだから、あたりまえかも知れません。



その他、日本の洋画家では、坂本繁二郎、青木繁、安井曾太郎、小出楢重、古賀春江、村山隗多、東郷青児、関根正二、山下清などが展示されていました。


日本画


日本画もいろいろありました。鏑木清方、奥村土牛、山口華陽、平山郁夫、田渕俊夫などです。この中からひとつを取り上げると、伊東深水の「髪」と題した作品が次です。

伊東深水:髪.jpg
伊東深水(1898-1972)

絹本着彩
(1913。15歳)

伊東深水:髪(部分).jpg

伊東深水は佐分真と同年の生まれで、この「髪」は佐分の水彩画と同時期に描かれました。伊東深水は美人画で有名ですが、15歳で描いたこの絵をみると、すでに画家として成り立っている感じです。絹本けんぽんを横長に使い、女性の横顔をとらえて髪を表現するという描き方が斬新です。一目みて忘れられない印象を受けました。


高村咲子の日本画


高村咲子さくこは、高村光太郎の6歳上の姉です。この展覧会では、高村咲子が9歳から14歳で描いた5点が展示されていました。今回はじめて、光太郎に "画家" の姉がいたことを知りました。

高村咲子が "画家" として知られていないのは、わずか15歳で亡くなったからです。光太郎が10歳の時です。せめて関根正二のように20歳頃まで生きたとしたら「夭折の画家」と言われたのかもしれませんが、咲子は「夭折の画家」にもなれなかった。

しかし咲子の技量は、子どもにしては卓越しています。下に掲げた「鶴」と「猿」は、今でいうと小学生の高学年の絵ですが、とてもその年頃の子どもが描いたとは思えません。

今回の展覧会のタイトルは「世界の巨匠たちが子どもだった頃」でした。多くの画家の10代の絵が展示されていたのですが、高村咲子だけは「画家が子どもだった頃の絵」ではなく「子どもで人生を終えた "画家" の絵」というのが印象に残りました。

高村咲子:鶴.jpg
高村咲子(1877-1892)

絹本墨彩
(1888。11歳)

高村咲子:猿.jpg
高村咲子
絹本墨彩
(1889。12歳)


絵画の原点


展覧会全体の感想です。有名画家の絵がいろいろあったので、画家として名をなした以降の作品を思い浮かべながらの鑑賞もできました。

芸術家としての画家は個性を追求します。自分にしかない画風というのでしょうか、描くモチーフや描き方について、その人にしかないという独自性を追求するわけです。絵をみて「あの画家の作品だ」とか「見たことのある画風の絵だ」と思わせる "何か" です。

しかしこの展覧会の絵は、そういった画風を確立する以前に描かれたものです。そこに感じるのは、描く対象を見きわめようとする少年・少女の真剣な姿勢です。そこは多くの絵で共通している。絵画の原点がよく分かった展覧会だったと思いました。




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No.189 - 孫正義氏に潰された日本発のパソコン [技術]

No.175「半沢直樹は機械化できる」の補記(2016.9.18)に書いたのですが、みずほ銀行とソフトバンクは 2016年9月15日、AI(人工知能)技術を使った個人向け融資の新会社設立を発表しました。そのソフトバンクとAIについては、AI技術を使ったロボット「ペッパー」のことも No.159「AIBOは最後のモルモットか」で書きました。

二つの記事でソフトバンク・グループの孫正義社長の発言や人物評価に簡単にふれたのですが、今回は、その孫正義氏に関することを書きます。最近、ソフトバンク・グループが英国・ARM(アーム)社を買収した件です。以前に強く思ったことがあって、この買収でそれを思い出したからです。


ソフトバンクが英国・ARM(アーム)社を買収


ソフトバンク・グループの孫正義社長は、2016年7月18日にロンドンで記者会見をし、英国・ケンブリッジにあるARM社を240億ポンド(約3兆3000億円)で買収すると発表しました。ソフトバンクがボーダフォン日本法人を買収した金額は1兆7820億円、米国の電話会社・スプリントの買収は1兆8000億円ですから、それらを大きく上回り、もちろん日本企業の買収案件では史上最大です。

ARM(アーム)は、コンピュータ、パソコン、スマートフォンなどの心臓部である「マイクロ・プロセッサー」を設計する会社です。

  コンピュータで演算や情報処理を行う半導体チップがマイクロ・プロセッサー(Micro Processor)であり、MPU(Micro Processing Unit)とか、CPU(Central Processing Unit)とも呼ばれます。以下「マイクロ・プロセッサー」ないしは単に「プロセッサー」と書きます。

現代のマイクロ・プロセッサーの有名メーカーはインテルで、Windowsが搭載されているパソコンにはインテル製、ないしはそれと互換性のある(=代替可能な)マイクロ・プロセッサーが組み込まれています( "インテル、はいってる" )。

ARMがインテルほど一般に有名でないのは、ARMはマイクロ・プロセッサー(= 半導体チップ)そのものを製造する会社ではなく、マイクロ・プロセッサーの "設計仕様" と、その仕様に基づいて作られた "設計データ" を開発している会社だからです(専門用語で "アーキテクチャ" と "IPコア")。マイクロ・プロセッサーの開発会社はARMから "設計データ" を購入し、それに自社の設計データも付加して、そのデータをもとにマイクロ・プロセッサーを製造します。製造は自社の工場で行うか、ないしは台湾などの製造専門会社に委託するわけです。

ARMの "設計データ" の大きな特長は、それをもとに作られたマイクロ・プロセッサーの電力消費量が少ないことです。そこがARMのノウハウであり、技術力です。この特質があるため、現在の世界のスマートフォンの90%以上は、ARM仕様の(=ARMの "設計仕様" か "設計データ" を使った)半導体チップになっています。Androidのスマートフォンのみならず、アップルもARMから設計仕様を購入しています。

ちなみに、日本最速のスーパー・コンピュータ "けい" の後継機種である "ポスト京" を計画している富士通は、そのプロセッサーとして「スパコン拡張版のARM仕様」の採用を発表しました(2016.6.20)。富士通が出した拡張要求に ARM社が同意したことがポイントのようです。ARMはスパコンにも乗り出すということです。

ARM-HP-Printer.jpg
ヒューレット・パッカード(HP)のプリンタに搭載された、ARM仕様のマイクロ・プロセッサー。半導体チップの製造メーカ・STマイクロエレクトロニクスのロゴとARMのロゴが見える(画像はWikipediaより)。

ところで、ARMという会社の名前は元々、

  Acorn RISC Machine

の略称でした。今は Advanced RISC Machine の略とされているようですが、元々は Acorn RISC Machine だった。この英単語の意味は以下の通りです。

  Acorn
  ドングリ
RISC
  Reduced Instruction Set Computer の略。処理可能な命令の種類が少ないマイクロ・プロセッサー。処理可能な命令の種類が少ないとプログラムの量が増えて非効率にみえますが、マイクロ・プロセッサーの回路がシンプルになり、個々の命令の実行速度は上がります。その兼ね合いの最適なところを狙って設計するのがRISCです。

ここでなぜ "Acorn(=ドングリ)" なのかというと、ARM社の前身が「エイコーン・コンピュータAcorn Computers)」という、英国のケンブリッジに設立された会社だったからです。


エイコーン・コンピュータ


エイコーン・コンピュータは、1978年に設立されたコンピュータ会社です。Acornと命名したのは、そこから芽が出て大きな木に成長するという意味だとか、また電話帳で Apple より前に記載されるようにだとか言われています。余談ですが、そのAppleという名前はスティーヴ・ジョブズが働いたこともあるゲーム会社・Atariより電話帳で前に来るようにしたという説があります。

エイコーン・コンピュータが大きく伸びたのは、1980年代から1990年代前半にかけて、イギリスの教育用コンピュータ(当時のマイコン。今のパソコン)の市場を独占したからです。

BBC_Micro.jpg
BBC Micro(1982~1986)。画像はWikipediaより
イギリスの公共放送のBBCは、これからの時代におけるコンピュータの重要性に気づき、コンピュータ教育を推進するため、BBC Computer Literacy Project を1980年に開始しました。この一環で "BBC Micro" というマイコンを開発することになりました。このときイギリス政府は、開発企業を英国企業にするようにという強い指導を行ったのです。いろいろと経緯があって、最終的に選ばれたのはエイコーン・コンピュータでした。その "BBC Micro" は1982年に発売されました。ちなみに、公共放送が教育に関与するのは日本と似ています。

1980年代、イギリス政府は全国の学校にコンピュータを導入する補助金をばらまき、また教師の訓練やコンピュータ関連プロジェクトにも補助金を出しました。このとき最も売れたのが "国策コンピュータ" の "BBC Micro" とその後継機種だったわけです。当然、エイコーン・コンピュータの売り上げは伸び、会社は発展を遂げます。そして1980年代の半ばにエイコーン・コンピュータ社内で始まったのが、全く新しい設計思想(=RISC)のマイクロ・プロセッサーを開発する "ARMプロジェクト" だった。だから "Acorn RISC Machine" なのです。そのARMプロセッサーを搭載した BBC Micro の後継機種は英国の学校にも導入されました。

AcornArchimedes.jpg
BBC Microの後継機種である, Acorn Archemedes(1987)。ARM仕様のマイクロプロセッサーが搭載されている。下位機種はBBC Archemedesのブランドで学校に導入された(画像はWikipediaより)
エイコーン・コンピュータはその後、いくつかの会社に分割されましたが、マイクロ・プロセッサー部門は ARM社として生き残り、現代のスマートフォンで世界を席巻するまでになりました。

以上の経緯を振り返ってみると、ソフトバンク・グループが買収した ARM は、英国政府と公共放送の施策に従って開発された「英国発の学校用コンピュータ」にルーツがあると言っていいわけです。もちろん現代のARMは、当時のマイクロ・プロセッサーからすると技術的に比べられないほど進化を遂げています。あくまでルーツをだどるとそこに行き着くという意味です。

1990年代半ばより、マイクロソフトのWindowsがメジャーになり、それに従って、マイクロ・プロセッサーとしてはインテル製品が普及しました。インテル(とアップル)のプロセッサーが、パソコン用として世界を制覇したわけです。

しかしARMは "英国発" の技術として生き残り、生き残っただけではなく特定分野(スマートフォン)では世界を席巻するまでになりました。その源流はと言うと、政府肝入りの教育用コンピュータだったのです。



ここで話は日本に飛ぶのですが、実は日本においても、日本発のコンピュータの基本ソフト(OS)とパソコンが、日本の教育現場に大量導入されてもおかしくない時期があったのです。そのコンピュータ基本ソフトが、坂村健・東大教授の TRON(トロン)です。


TRONプロジェクト


TRONはコンピュータの基本ソフト(OS:Operating System)です。コンピュータの作りを簡略化して言うと、まずハードウェアがあり、その中核がマイクロ・プロセッサーです。そのマイクロ・プロセッサーで動作するのが基本ソフト(OS)であり、基本ソフトの上で動作するのが各種のアプリ(アプリケーション・プログラム)です。現代のパソコンの基本ソフト(OS)の代表的なものは、マイクロソフト社の Windows や、アップル社の iOS です。

その意味で、TRON(= OS)は ARM とは位置づけが違います。ARMはマイクロ・プロセッサー(=ハードウェア)の設計仕様だからです。しかし TRON も ARM も、コンピュータの動作を基礎で支える基本的な技術であることには変わりません。むしろパソコンやスマートフォンを考えると、一般利用者から見た使い勝手はマイクロ・プロセッサーよりも基本ソフト(OS)に強く影響されます。そのためパソコンメーカーは、基本ソフト(OS)の仕様に合うようにパソコンのハードウェア全体を設計し、販売しています。

  なお、TRONプロジェクトでは各種の技術が開発されていて、中には "TRONチップ" のようなマイクロ・プロセッサーそのものもありますが、以下の記述での TRON は基本ソフト(OS)としての TRON に話を絞ります。

TRONプロジェクトではまず、機械に組み込まれたマイクロ・プロセッサーでの使用を前提とした ITRON( I は Industry )が開発されました。TRONは The Real-time Operating system Nucleus であり、Real-timeというところに「機器組み込み用」という本来の狙いが現れています。さらにTRONプロジェクトでは、一般の個人が家庭や学校、職場で使うパソコン用に BTRON( B は Business )が開発されました。以下はその BTRON の話です。


BTRON


BTRON プロジェクトを主導したのは、坂村教授と松下電器産業(現、パナソニック)であり、1985年に開発がスタートしました。BTRONを開発し、その仕様に合ったパソコンを開発しようとしたのです。BTRONは次第に知名度を高め、賛同するパソコン・メーカーも増えてきました。そしてこの開発と平行して、全国の学校にパソコンを設置する話が持ち上がったのです。イギリスから数年遅れということになります。

以下、日経産業新聞に連載された坂村教授の「仕事人秘録」から引用します。下線は原文にはありません。


当時の文部省と通産省が作ったコンピュータ教育開発センター(CEC、現日本教育情報化振興会)という団体があった。86年にCECはパソコン教育の必要性から、全国の学校にハソコンを配備しようとしていた。そのパソコンの標準OSとしてBTRONを検討したのだ。

その理由は私がロイヤルティー ── つまり使用料をとらなかったのと、世界中のメーカーが開発に参加できるようにしたことへの評価だった。全国の学校にトロン仕様のパソコンを配備するとなればその影響は大きい。我々は勇みたったが、そのことが大きな反動を生むとは、このときは思いもしなかった。

坂村 健「仕事人秘録⑧」
日経産業新聞(2014.7.31)

コンピュータ教育開発センター(CEC)がBTRONを教育用パソコンの標準OSとして検討するというニュースは大きく報道され、パソコンに関心があるメーカーが次々に参入した。

そのなかで乗り気でなかったのがNEC。すでにマイクロソフトのOS「MS-DOS」を使った「PC98」シリーズで成功を収めていた。BTRON仕様のパソコンとは食い合わせが悪かったのだろう。教育用パソコンの標準化自体にも反対していたが、最終的にはMS-DOSでもBTRONでも動くパソコンを作ることで合意した。

坂村 健「仕事人秘録⑨」
日経産業新聞(2014.8.1)

教育用パソコンの標準OSにBTRON、という動きに対して、当時はマイクロソフトのOS、MS-DOSをかつぐ勢力があり、それで成功していた会社もあったというのがポイントです。このことが、その後の "異様な" 展開を引き起こすのです。


潰された BTRON



そんな時、いきなり飛び込んできたのが、米通商代表部(USTR)がトロンを米通商法スーパー301条の候補に入れたというニュース。

今でもはっきり覚えている。1989年のゴールデンウィークで、私は長野県内の山小屋で休暇を過ごしていた。衛星放送でテレビを眺めていたら、突然トロンの名前が持ち上がったのだ。

これには驚いた。なにしろトロンは米国へ輸出などしていないし、誰でも無料で使える。米IBMも使っていたほどで、IBMの三井信雄副社長(当時)からは「ウチもトロンパソコンを作ろうとしていたのに、こういう間違いがどうして起こったのか」という心配の電話をもらった。

しかし、米国の不動産を買いあさるなどした日本の経済力への警戒が米国内で高まっており、冗談事ではないとすぐにわかった。ただ、マスコミは面白がって煽り、TRONがやり玉にあがった

坂村 健・日経産業新聞(2014.8.1)

1980年代後半というと、日本の経済力が飛躍的に伸びた絶頂期であり、バブル景気とも言われた時期です。アメリカとの貿易摩擦もいろいろと起った。そういう時代背景での出来事です。


米国のUSTRに文句を言ったら、すぐに会いたいとのこと。面会すると「どこからの申請とは言えないが、米国の企業に不利との訴えがあれば、まず制裁候補に挙げる。だから何か反論があれば言ってほしい」と言う。私は米国のメーカーだって使っているOSで、米国の不利益にはならないと主張したら、「調査する」と約束してくれた。

1年ほどして結局、トロンは制裁対象から外れるが、面倒事に関わりたくないメーカー100社近くがBTRONから手を引いた。政府内でも米国の機嫌を取りたい人たちは「パソコンのOSなんか米国から買えばいい」と言う。

まだ大した市場になっていないパソコンの、それもOSの規格などどうでもいいと思ったのだろう。今振り返れば、この先見性の無さが現在の情報通信分野における日本の苦境につながったと思う


マスコミは日の丸パソコンが日米の貿易障壁のように書き立てた。この件は米マイクロソフトが仕組んだに違いないとか様々な噂が流れたが、後に思いがけない事実が明らかになる

坂村 健・日経産業新聞(2014.8.1)

無料の(今で言う "オープン・ソース" の)基本ソフト(OS)を "国を越えて" 使っても、それは貿易ではないので貿易摩擦を生むはずがありません。唯一、BTRONが広まると困るのは「既存の有料のパソコン用OSやそのアプリでビジネスを展開している日米の人たち」であることは明白なわけです。そして実際その通りだったことは、坂村教授が「後に思いがけない事実が明らかになる」と書いているように、後で判明します。


1999年に出版された「孫正義 起業の若き獅子」(大下英治著、講談社)。孫氏の自伝的なノンフィクションだ。この本によると、当時の孫氏はパソコン用ソフトを米国から輸入していた。国がトロンを優遇し、ほかのソフトを閉め出そうとしているとして、トロン潰しに動いたという

後にある人の仲介で孫氏に会った。彼は「若気の至りで ・・・・・・。不愉快に思われたら、遺憾です」と言った

制裁対象から外れた後、米国政府から食事をしながら話がしたいという誘いがあった。港区にあるホテルに出向くと「調査の結果、トロンにまったく問題ないことがわかったが、先生に迷惑がかかったなら残念だ」と言われた。

米国の大学の先生も一緒にいて、技術論で盛り上がった。私の研究を高く評価し「米国の大学に来ませんか」と誘ってきた。そのときに「今回の件は日本側の事情のようですね」とやんわり言われた。当時は何の話かわからなかったが、後から考えると孫氏のことだったのだろう

この事件が与えた影響は大きく、BTRONから次々に日本の企業が脱退した。文部省などによる教育用パソコンの事業もなくなった。

坂村 健「仕事人秘録⑩」
日経産業新聞(2014.8.4)

現在のソフトバンク・グループは「情報通信業」であり、数々の事業を手がけていますが、元はというとソフトウェアの卸(=流通業)や出版をする会社でした。上の引用にあるような米国のソフトを輸入販売する立場から言うと、そのソフトはマイクロソフトやアップルのOSで動くように作られたものです。従って、日本で BTRON ベースのパソコンが広まるのは、孫氏のビジネスにとってはまずいわけです。だから "トロン潰し" に動いた。

この事件が坂村教授に「不愉快な思い」をさせただけならどうということはないのですが、それよりも坂村教授が一つ前の引用で語っているように、日本の情報通信産業に与えたダメージが大きかったわけです。

しかし、トロンが無くなったわけではありません。坂村教授の述懐を続けます。


トロンプロジェクトの本命である組み込み機器用ITRONは着実に広がっていた。デジタルカメラの普及のきっかけとなるカシオの「QV-10」や、90年代に立ち上がってきた携帯電話などに使われた。

ただ、貿易摩擦時に政府やマスコミがトロンを悪役扱いした影響か、トロンを自社製品に使っていることを公にしたいメーカーはほとんどなかった。

ただ、90年代後半になると、このようなトロンの現状に同情してくれたのか、トロンを正当に評価すべきだと言ってくれる人々が現れた。特に当時の三菱電機の常務で、トロン協会の専務理事にもなった中野隆生氏にはお世話になった。中野氏はあらゆる機会でトロンの独自技術や自由な開発環境を整える重要性を主張してくれた。

中野氏は多くのメーカーに「トロンを使っているならば公表してほしい」とまで言ってくれた。こうした手助けのおかげで99年にトヨタ自動車が SUV「プラド」にトロンを使ったことを発表。2003年にはNHKの番組「プロジェクト X」でトロンが取り上げられるなど、徐々に再認識されるようになった。

坂村 健・日経産業新聞(2014.8.4)


孫正義氏の "TRON 潰し"


孫正義.jpg
「孫正義 起業の若き獅子」
大下英治著
(講談社。1999)
坂村教授が言っているように、孫正義氏の "TRON 潰し" は「孫正義 起業の若き獅子」(大下英治著。講談社。1999)に書かれています。

当時、孫正義氏は情報産業や学界に"TRON反対" を説いて回るのですが、コンピュータ教育開発センター(CEC)は1988年1月にBTRONを教育用パソコンの標準OSとすることを決めます。一発逆転を狙った孫正義氏は1989年に入ってまもなく、ソニー会長の盛田昭夫氏に依頼し、通産省の高官とじかに話をしようとします。そのあたりの記述です。

(以下の引用では、漢数字を数字にしました。また段落を再構成しました。下線は原文にはありません)。


翌日、さっそく盛田から電話が入った。「機械情報産業局長の棚橋祐治君に電話を入れた。彼も、ぜひ君に会いたいと言っている」

孫はその日の夕方、棚橋局長と会った。棚橋局長は、あらためて孫から話を聞き眉をひそめた。「こいつは、ちょっとやっかいですね。どうしたらいいでしょう」

孫は言った。「僕に転換させるいいアイデアがあります。方法論については後日お話しますから、ちょっと待っていてください」「わかりました。では事務方については林という課長がいますので、そのものと話を詰めてください」

孫は林良造情報処理振興課長と話を詰めた。いよいよ通産省の幹部を巻きこみ、TRON壊滅へのレールが敷かれはじめた

そんな矢先の1989年4月28日、アメリカ通商代表部が各国ごとの貿易障壁を調査した「貿易障壁報告」を発表した。日本に対しては、たばこ、アルミニウム、農産物、医薬品・医療機器、電気通信・無線・通信機器、自動車部品、流通制度など34項目がヤリ玉にあげられた。その中の一つにTRONも含まれていた。

孫が危ぶんでいたように "TRONを小・中学校に導入しようとしているのは、政府による市場介入" だとする懸念を指摘していた。「貿易障壁報告」はスーパー301条の参考になる。つまり、TRON はスーパー301条の対象となっていた。孫は日本の報道機関が発表する前に、その情報を手に入れていた

(それみたことか!)

孫が林課長に電話を入れようとしてたときに、林の方から電話が入った。林の声は上ずっていた。「えらいことになりました」

孫はにやりとした。

「いえ、そうでもないですよ。このときこそ千載一遇のチャンスです。この機を逃したら、予算もなにもつけて動いている国家プロジェクトを潰すチャンスは二度とないでしょう。スーパー301条をたてにすれば相手もほこをおさめやすい。これを口実に一気にTRONを潰したほうがいいです」

「そうだ。きみのいうとおりだ」

通産省は小・中・高校における TRON仕様機を中止した。教育機関に TRON が蔓延するのをまさに波打ち際で止めることができたのであった。

大下英治
「孫正義 起業の若き獅子」
(講談社。1999.8.2)

坂村教授がアメリカ通商代表部に面会したとき、通商代表部側は「どこからの申請とは言えないが、米国の企業に不利との訴えがあれば、まず制裁候補に挙げる」と答えました。誰が TRON をアメリカ企業に不利だと申請したのか、大下英治氏の本には書いていません。しかしその申請者は、ソフトの流通業をやっていたソフトバンク=孫氏だと推測させるような書き方がされています。つまり、

「僕にいいアイデアがあります」と、孫氏が語ったこと
貿易障壁報告の内容を、報道される前に知っていたこと

の2点です。孫氏の「いいアイデア」とは何か、本には書かれていませんが、その後の経緯から推測できます。また坂村教授は、長野県の山小屋での休暇中に衛星放送テレビの報道で貿易障壁報告を知りました。つまり坂村教授にとってUSTRの貿易障壁に TRON があげられることは、全くの "寝耳に水" だったわけです。事前に何らかの噂でもあったのなら、TRONプロジェクトのリーダーの耳に入らないはずがない。

しかし孫氏は明らかに報告が出るのを注視していました。注視していたからこそ、報道以前に知り得たのです。わざわざ注視していた理由は一つしかないと思われます。


英国と日本の落差


孫氏の "TRON潰し" の行動は、別に悪いことではないと思います。孫氏のような「政治的な動き」も駆使して自社ビジネスに有利な状況を作ろうとすることは、大企業なら多かれ少なかれやっているし、米国企業だとロビイストを使った "正式の" 手段になっています。

そもそもソフトバンクの過去からの企業行動を見ていると、独自技術をゼロから育てるつもりはなく、技術は買ってくればよいという考えのようです。ましてや、日本発の技術を育てようとは思わないし、そこに価値を見い出したりはしない。

そのような企業のトップとして孫氏は「TRON潰しは、我ながらよくやった」と、今でも思っているはずです。孫氏が坂村教授に語った「若気の至り」は、あくまで社交辞令であって、そんなことは心の中では全く思っていないでしょう。しかし、TRONプロジェクトのリーダに会った以上、そうとでも言うしかない。



それよりも、日本の "BTRON事件" で思うのは、このブログの最初に書いた英国と比較です。つまり、日英の官庁とマスメディアの、あまりにも大きい落差です。英国政府とマスメディア(BBC)は、断固として英国発の技術を使ったコンピュータを全国の学校にばらまく。それは(今から思うと)最終的には Windowsパソコンに置き変わることになったとしても、その中からARMのような世界を席巻する技術が生まれる。

片や日本の官僚は、ソフト流通業のトップといっしょになって日本発のコンピュータを潰しにかかる。通産省(当時)の機械情報産業局というと、日本の情報産業を育成する立場の組織です。その官僚が日本発の技術をつぶしていたのでは "日本国の官僚組織" とは言えないでしょう。それに輪をかけて、日本のマスメディアは貿易摩擦をおもしろおかしく書き立て、火に油を注ぐ。結果として起こった火災は、日本発のパソコンを壊滅に導いた・・・・・・。



最初に「ソフトバンク・グループの ARM 社買収で、以前に強く思ったことを思い出した」と書いたは、ARM(英国)とTRON(日本)の対比であり、日英の官庁の落差でした。

この対比において、日英の官庁の落差に加えてもう一つ重要なことがあります。官僚がTRON潰しに邁進したにもかかわらず、TRONは機器組み込み用のITRONとして生き残ったという事実です。ARMほどではないにしても・・・・・・。それは坂村教授というより、TRONを支えた日本の多数の技術者の功績のはずです。

新しいものを生みだそうという努力には敬意を払いたい、それが英国の ARM であっても日本の TRON であっても・・・・・・。そういう風に思いました。



 補記:ソフトバンクの ARM 買収 

記事の最初に書いたソフトバンクグループの ARMアーム社買収について、朝日新聞の大鹿記者が内情を書いていました。興味ある内容だったので、その前半3分の2ほどを紹介します。記事全体の見出しは「3.3兆円で買収した千里眼」です。「千里眼」の意味は以下の引用の最後に出てきます。まず、孫正義社長が買収を切り出した場面です。


エーゲ海に臨むトルコの景勝地マルマリス。ソフトバンクグループの孫正義社長は今年7月4日、ここのヨットハーバーに面するレストランを借り切った。

ランチに招いたのは、英半導体設計会社ARMアームホールディングスのスチュアート・チェンバース会長(当時)とサイモン・シガースCEO(最高経営責任者)。地中海で休暇中のチェンバース氏に、孫氏が急な面談をもちかけたところ、指定されたのが彼のヨットが寄港するこの港町だった。

ふだんは米シリコンバレーにいるシガース氏は、トルコへ呼び出されたことをいぶかしんだ。その1週間前、夕食をともにした孫氏から「IoT(モノのインターネット化)に関して何か一緒にできないか」と意味深長な提案を受けていたからだ。「買収だろうか。いやいや提携の申し入れぐらいだろう・・・・・・」

打ち解けた雰囲気のなか料理を楽しんでいると、孫氏が切り出した。「我が社なら御社の事業を加速できる。だから買収したい」

日本企業として過去最高の3.3兆円の巨額買収という大勝負に出た瞬間だった。それは、彼が10年越しで温めていた案だった。

朝日新聞(2016.10.24)
(大鹿靖明)

記事では続いて、この10年間の孫社長の動きが紹介されています。ボーダフォン日本法人を買収した直後から、アーム社買収の構想を練り始めたようです。


孫氏がアームに魅力を感じたのは、2006年に英ボーダフォンの日本法人(現ソフトバンク)を買収して間もないころ。シガース氏は、すでに「アームに淡い気持ちを抱いていた」という孫氏と東京で携帯電話の将来について語り合っている。孫氏側近の後藤芳光財務部長は当時をこう語る。「孫さんは『通信事業も大事だが携帯に入るチップ(半導体)はより重要だ。アームという面白い会社があるんだ』と言い出した。僕らへの刷り込みが始まっていた」

米通信大手スプリント買収を計画した12年、孫氏の念頭にアーム買収もよぎったが、「より直接的な相乗効果がある」と同業のスプリント買収を先行させた。だが、「毎年のようにアーム買収の研究をしてきた」(後藤氏)という。

パソコンのCPU(中央演算装置)は米インテルが制したが、携帯電話やスマートフォンの9割以上にアームが設計した中核回路(コア)が搭載。アームは低消費電力で小型化できる利点から携帯むけ回路設計で頭角を現し、今やアームのコアが組み込まれた半導体の年間出荷数は148億個以上にもなる。

孫氏は、保有する中国ネット通販大手アリババ株を一部売却するなど2兆円余りの軍資金を用意すると、一気に動きだしたのだった。

朝日新聞(2016.10.24)

2006年にソフトバンクがボーダフォンの日本法人を買収して間もないころ、アームのシガース氏は孫氏と東京で携帯電話について語り合った、とあります。このころ、スマートフォンはありません。iPhoneの米国発売は2007年、日本発売は2008年です。アームとソフトバンクを引きあわせたもの、それは日本の携帯電話だったわけです。日本の高度に発達した携帯電話のチップとして、省電力性能に優れたアーム仕様のチップが広まった。アームと日本のかかわり合いを示すエピソードです。

続く記事では、ソフトバンクがアームを買収した理由が出てきます。


IoT「次」は何?

英ケンブリッジ大に近いアーム本社の展示室には、一見ハイテク機器とは無縁な帽子やフォークが並んでいる。「中にチップが入っています」と社員。「この靴の中敷き。寒くなると自然と発熱します。スキー場や冬山で使えますね」。IoTで意外なものへのチップ搭載が進み、アームのコアへの需要は激増しそうなのだ。

アームは1990年、英コンピュータ会社から独立した12人のエンジニアが創業した。半導体業界でその成り立ちは特異だ。インテルや東芝などの半導体メーカーは開発から製造、販売まで自社で担う垂直統合型が一般的。だがアームは設計に特化した。回路の設計図をメーカーに売り、製品に搭載されたコアの知的財産権の使用料も収入源となる。量産工場はもたない。

創業メンバーの一人、マイク・ミュラーCTO(最高技術責任者)は「アイデアはあったが資金がなかったからね」と笑う。垂直統合型の半導体メーカーは毎年巨額投資が必要だし、過剰生産は値崩れを呼ぶ。量産工場をもたないアームはそうしたリスクを避けられる。売上高営業利益率は40%という高業績ぶり。企図せずに進化したビジネスモデルとなった。

最終製品の性能を決定する回路設計の担うだけに、注文は早い段階で舞い込む。シガース氏は「開発中のものは2、3年後に完成し、その後、出荷に1、2年かかる。消費者が製品として手にするまでにさらに数年」と言う。5~10年先の製品の回路設計に、いま取り組んでいるのだ。

シガース氏はソフトバンクとの相乗効果について「まったくない」と即答。むしろ孫氏に買収された背景をこう受け止める。「孫社長は『次に何がくるのか』と非常に気にしている。アームを買収したことで、次は何が重要なのか、どんな分野に投資すればいいのか、そいういうことが分かるのではないか

設計図の納入先との契約は新オーナーの孫氏にも秘密だが、今後の潮流ぐらいは占うことができる。孫氏の側近の後藤氏は「アームに集まる情報で未来を予測できる。ライフスタイルがどう変わるのか予見できるようになる」とみる。アームは孫氏にとって未来を見通す「千里眼」になりそうだ。

朝日新聞(2016.10.24)

「アームは1990年、英コンピュータ会社から独立した12人のエンジニアが創業した」という表現には注意が必要です。アーム仕様を最初に開発したのは、このブログ記事に書いたように "エイコーン・コンピュータ" です。アーム(ARM)の "A" は、もともとエイコーン(Acorn = ドングリ)の "A" だった。そのエイコーンの半導体回路設計部門が独立してアーム社になった。アーム仕様はベンチャー企業が独自に開発したのではありません。そのアームのルーツをたどると英国の学校用コンピュータに行き着くことは、このブログ記事に書いた通りです。

シガース氏がアームとソフトバンクの相乗効果は全くないと即答したのは、全くその通りだと思います。相乗効果が無いからこそ、独占禁止法に触れることなく買収できたのでしょう。インテルがアームを買収するのは無理というものです。

しかし記事にあるように、孫氏が「千里眼」を獲得するためにアームを買収したというのはどうでしょうか。確かにそういう面もあるでしょうが、「千里眼」のために3.3兆円というのはいかにも高すぎる。3.3兆円の裏には冷徹な計算があるはずです。

アームのビジネスモデルは、チップの設計仕様(アーキテクチャ)や回路設計データ(コア)を半導体メーカーに供与し、半導体が売れるたびに製品価格の何%かを収入として得るというものです。これは特許ビジネスと同じです。しかもアームのコアは、情報産業で言う "プラットフォーム" の一種です。いったんプラットフォームを握ると、そのビジネスは長期に続く可能性が高い。パソコン・スマホのOS(マイクロソフト、アップル、グーグル)、パソコンのCPU(インテル)がそうです。プラットフォームを乗り換えるには "コスト" がかかるのです。

プラットフォームを握り、日銭ひぜにを稼ぐ。それがアームのビジネスモデルです。つまり安定的な売り上げが見込める。この点は、ソフトバンクが過去に買収したボーダフォン日本(その前身はJ-Phone)、スプリントという携帯電話のビジネスと似ています。激しい競争はあるものの安定している。1年後に売り上げが30%ダウンなどどいう状況は、まず考えられません。しかもアームは設計に特化しているため、営業利益率が40%という高収益企業です。孫社長は今後のソフトバンクグループの成長戦略を描くために、そこに魅力を感じたのだろうと思いました。

(2016.11.7)



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No.188 - リチウムイオン電池からの撤退 [技術]

今までの記事で、リチウムイオン電池について2回、書きました。

No.39 リチウムイオン電池とノーベル賞
No.110 リチウムイオン電池とモルモット精神

の二つです。No.39はリチウムイオン電池を最初に作り出した旭化成の吉野氏の発明物語、No.110はそのリチウムイオン電池の製品化(量産化)に世界で初めて成功した、ソニーの西氏の話でした。

そのソニーですが、リチウムイオン電池から撤退することを先日発表しました。その新聞記事を振り返りながら、感想を書いてみたいと思います。No.110にも書いたのですが、ソニーのリチウムイオン電池ビジネスの事業方針はブレ続けました。要約すると次の通りです。

盛田社長・岩間社長・大賀社長時代(1971-1995)
  携帯機器用電池・自動車用電池を推進。1991年、世界で初めて携帯機器用を製品化。車載用は日産自動車のEVに供給。
出井社長時代(1995-2000)
  自動車用電池から撤退(1999年頃)
安藤・中鉢・ストリンガー社長時代(2000-2012)
  自動車用電池に再参入を表明(2009年、2011年の2回)
平井社長時代(2012-)
  電池ビジネス全体の売却を検討し(2012年末)、それを撤回(2013年末)

この詳しい経緯は、No.110「リチウムイオン電池とモルモット精神」に書きました。こういった事業方針の "ブレ" が過去にあり、そして今回の発表となったことをまず押さえておくべきだと思います。

SonyLion.jpg
(site : www.sony.co.jp)


撤退の発表、村田製作所への事業売却


2016年7月28日、ソニーはリチウムイオン電池から撤退を発表しました。それを報じた日本経済新聞の記事から引用します。以下、アンダーラインは原文にはありません。

(日本経済新聞 1面記事)

ソニー、電池事業売却
 リチウムイオン 村田製作所に

ソニーは28日、電池事業を村田製作所に売却すると発表した。ソニーはスマートフォン(スマホ)などに使うリチウムイオン電池を世界で初めて実用化したが、韓国勢との価格競争などで赤字が続き、事業継続は難しいと判断した。業績回復が続くなかでも不採算事業の切り離しを進め、競争力の高い画像センサーなどに集中する(関連記事11面に)。

福島県郡山市やシンガポール、中国など国内外に5カ所ある電池工場を2017年3月末をメドに売却する。ソニーブランドのアルカリ乾電池などの消費者向け販売事業は売却の対象外となる。

ソニーの電池事業の15年度の売上高は1600億円。今後具体的な売却条件を詰め、10月に正式に譲渡契約を結ぶ。売却額は400億円を下回る見通しで、売却損が発生する可能性がある。

同社は2次電池として幅広く使われるリチウムイオン電池を1991年に世界で初めて実用化したが、電池事業は10年度以降、14年度を除いて営業赤字が続いていた。

村田はスマホ部品でシェアを高めており、電池などエネルギー分野の強化も目指している。産業機器向けや車載向けのリチウムイオン電池の開発を続けてきた。

日本経済新聞(2016.7.29)

高性能2次電池の重要性は誰もが理解できるわけです。スマホや電気自動車は言うに及ばず、ロボットやドローンが21世紀に真に普及するかどうかの重要な鍵は "電池" です。ソニーの経営陣も存続させるかどうか迷ったでしょう。しかし存続するためには投資をしなければならないが、その投資は "非中核事業" と位置づけてしまった以上、優先度の観点から難しいということだと思います。「関連記事11面に」とあるように、日本経済新聞の11面に解説記事がありました。

(日本経済新聞 11面記事)

ソニー、収益改善を優先
 電池事業売却 赤字体質抜け出せず

ソニーが電池事業の切り離しを決めた。1991年に繰り返し充電できるリチウムイオン電池を世界で初めて実用化したが、パソコン向けの電池で過熱・発火の問題が発生して増産投資を手控えると、サムスンSDIなど韓国勢との競争が激化して赤字体質から抜け出せなかった。非中核事業となった電池に見切りを付けて収益改善を優先する。

ソニーは2012年ごろに日産自動車などとの事業統合を試みるなど、電池事業のリストラを模索した経緯があるが、スマートフォン(スマホ)向けの受注が増えた13年末には単独で事業を延ばす方針に転換していた。

だが競争環境は厳しいままだ。15年のリチウムイオン電池の世界シェアは前年の4位から5位に後退した。電気自動車向け電池への再参入も表明したが実現していない。画像センサーやゲームを中核事業に位置づけるソニーにとって、赤字が続く電池事業に「これ以上投資するのは難しい」(幹部)状況になった。

村田製作所は自動車やエネルギー分野に注力する方針を示している。車載部品は連結売上高の15%まで育ったが、エネルギー事業の規模は小さく、M&Aが必須とされていた。

村田はソニーから電池事業を買収すれば生産設備や事業ノウハウを一気に取得できると判断した。採算が厳しいモバイル機器向けのリチウムイオン電池も、村田の生産技術や顧客網を活用すれば改善できると見ている

村田はリチウムイオン電池より性能や安全性が優れた「全固体電池」と呼ぶ次世代電池も見据える。「全固体電池の研究が進んでいる」(村田製作所の藤田能孝副社長)というソニーの技術と村田の生産技術を組み合わせ、将来の市場で先行する戦略を描いている。

日本経済新聞(2016.7.29)

記事の中に「パソコン向けの電池で過熱・発火の問題が発生して」とあるのは、2006年のことです。ソニー製リチウムイオン電池の不具合により、米国を含むパソコンメーカが回収を余儀なくされまた。

リチウムイオン電池の過熱・発火事故というと、ソニーの事業売却の発表があった1ヶ月後の 2016年9月2日、韓国サムスン電子は、Galaxy Note7の回収を発表しました。グループ会社であるサムスンSDIが製造したリチウムイオン電池の発火事故が報告されたからです。対象となる台数は全世界で250万台といいます。ソニーの撤退の理由の一つとして「サムスンSDIなど韓国勢との競争が激化して」と日経の記事にあったのですが、ほかならぬそのサムスンSDIが問題を起こしたわけです。

振り返ってみると、2016年1月にも パナソニック製の一部の電池に、最悪の場合は発火の危険性があることが判明し、東芝のノートパソコンなどの該当機種が回収されました。ソニーの2006年の事故以来、消費者向け製品の回収事件はこれだけでなく、もっとあったと記憶しています。

リチウムイオン電池の安全性については、当初からの課題だったわけです。No.39「リチウムイオン電池とノーベル賞」の「補記4」に、ソニーで世界初の製品化を主導した西氏が「開発をためらった」という話を書きましたが、それはつまり安全性に懸念があったからです。ソニーが1991年に最初に製品化してから既に25年が経過しました。25年もたってまだ安全性の問題が解決できないのかと思ってしまいますが、この25年の間、リチウムイオン電池に求められ続けたのはコンパクト化・大容量化・低コスト化です。これらの市場の要求と安全性の両立が非常に難しいようです。この課題を根本的に解決するのが、日本経済新聞の記事にある「全固体電池」です。

「全固体電池」とは、電池の電解質に固体を使う電池です。リチウムイオン電池は、正極、負極、正極と負極の間の電解質、正極と負極を分離するセパレータから構成されていますが、現在の電池は電解質に有機溶媒液を使っています。このため液漏れのリスクがあり、最悪の場合は過熱から発火事故につながったりします。この電解質を固体(たとえばリチウムイオンを伝導できるセラミックス)で置き換えるのが全固体電池です。現在、各社が開発を競っていて、試作品も作られています。

とにかく、村田製作所への事業譲渡は決まりました。村田製作所に果たして成算はあるのかどうか。上の引用における「生産技術」と「全固体電池」がキーワードのようです。これについて日本経済新聞・京都支社の太田記者が、村田製作所の立場から解説を書いていました(村田制作所は京都が本社です)。


ソニーの電池事業は「利益は(黒字と赤字の)トントン」(藤田ソニー副社長)。ただ毎年10%の値下げを要求される電子部品の世界で培った(村田製作所の:引用注)生産技術と緻密な生産管理は定評があり、採算改善は可能とみているようだ。

さらに村田が見据えるのはリチウムイオン電池に比べ容量や寿命が格段に大きい「全固体電池」と呼ぶ次世代電池。同電池は村田が高い世界シェアをもつセラミックコンデンサの基盤技術である「積層技術」が必要とされる。ソニーの技術と、村田の生産技術を組み合わせ、次世代市場でも先行を狙う考えだ

日経産業新聞(2016.7.29)
(京都支社 太田順尚)

村田製作所の経営陣の判断を日経の記事から要約すると、以下のようになるでしょう。

村田製作所の生産技術と生産管理のノウハウをもってすると、現在のソニーのリチウムイオン電池事業は黒字化できる。

ソニーの「全固体電池」の研究は優れている。村田製作所が持つセラミックコンデンサの積層技術とを合わせて、次世代の「全固体電池」を新事業に育てられる。

の2点です。この村田製作所の経営陣の判断が正しいかどうかは分かりませんが、リチウムイオン電池を研究中という村田製作所にとっては、一気にエネルギービジネスに進出するチャンスと見えたのでしょう。村田製作所はまだ電池の生産ラインさえ持っていない段階です。

しかし「全固体電池」は世界的にみても試作レベルであり、量産技術が確立しているわけではありません。現在のリチウムイオン電池より安全性で上回ったとしても、大容量・コンパクト・コストのすべてで上回わらないと製品化はできないわけで、これは並大抵ではないと思います。従って、少なくとも現在のリチウムイオン電池が韓国勢と競争できるレベルになるのが必須条件でしょう。村田製作所の経営陣は、これが可能だと判断したと考えられます。


技術評論家の見方


ソニーが電池事業を村田製作所に売却する発表を受けて、技術評論家の志村幸雄氏がコラムを書いていました。以下にコラムの感想とともに引用します。アンダーラインは原文にはありません。


ソニー、電池事業売却
 往年の活力いまいずこ

7月下旬、ソニーが電池事業を電子部品大手の村田製作所に譲渡することで合意した。両社共同の報道資料によれば、双方のポートフォリオ戦略上の観点からも、事業の持続的拡大を図るうえでも、適切な対応だったとしている。だが、ソニーが1991年、今日主流のリチウムイオン電池を世界で初めて製品化し、長らく市場で先導的な役割を果たしてきたことを考えると、それほど説得力のある判断とは言いがたい。

志村幸雄
日経産業新聞(2016.9.6)

ソニーは1991年、リチウムイオン電池を世界で初めて製品化(量産技術を確立)しました。しかし、このブログの最初に書いたように、その後のソニーの電池ビジネスの方針はブレ続けたわけです。2012年末から2013年にかけて(現・平井社長の時代)は、一度、電池ビジネスの売却を検討しています。志村氏が言うように「長らく市場で先導的な役割を果たしてきた」のかどうか、それは疑問でしょう。志村氏のコラムを続けます。


ソニー側にしてみれば、リチウムイオン電池といえども価格競争によるコモディティ(日用品)化の波に洗われ、2010年度以降は14年度を除いて赤字事業と化していた。その元凶が韓国勢の安値攻勢にあるというのだが、高い技術力を蓄積してきたはずのソニーの実力をもってしても、性能・品質面での勝機はつかめなかったのか。

聞くところでは、ソニーは売り上げ構成比の大きいスマートフォン向けで米アップル社の iPhone 最新機種への採用を逸したとされ、その原因が「容量や充電速度に問題があった」と同社首脳の1人も認めている。「バッテリーウォーズ」などという言葉が飛び交う過剰な熱気の中で、こんな腰の引けた対応ではいかにもふがいない。

日経産業新聞(2016.9.6)

志村氏の指摘は、ソニーの電池事業の売却の要因は「技術力の低下」ではないかということであり、その象徴が「米アップル社の iPhone 最新機種への採用を逸した」ことだというわけです。この iPhone 最新機種とは、2016年9月8日に発表された iPhone7 /7 Plusのことでしょう。


リチウムイオン電池は技術的に成熟したと見る向きもあるが、異常発熱などの安全性の問題や大容量材料の開発も含めてまだ課題が山積しており、その限りで伸びしろのある技術領域なのだ。

一方、ソニーは今回の決定にあたって、リチウムイオン電池の市場性を過小評価してはいなかったか。最近では、電気自動車、電力貯蔵装置への急ピッチな普及、ロボット、ドローン、電動工具、そしてフォークリフトなど重機への採用が進んでいる。ソニーが得意とする消費者向けでも「ポケモンGO」の爆発的な人気による特需が生まれた。

日経産業新聞(2016.9.6)

志村氏が「リチウムイオン電池は伸びしろのある技術領域」というのは全くのその通りだと思います。上に書いたように、ソニーもパナソニックもサムスンSDIも問題を起こしている。それだけ難しい技術領域であり、逆にいうと未開拓技術がある領域なのです。

一方、志村氏が「ソニーは今回の決定にあたって、リチウムイオン電池の市場性を過小評価してはいなかったか」と書いているのは、ハズレていると思います。リチウムイオン電池の市場性は誰もが理解できるからです。ドローンをとってみても、積載重量を増やして長時間の飛行を可能にするには、電池の大容量化(かつコンパクト化)が必須です。ドローンが真に21世紀の大産業になるかどうかは、電池にかかっているわけで、これは素人でも理解できます。

そもそも "経営判断" というのは、

誰しも将来性を疑っている分野ではあるが、事業の成長を見越して経営資源を投入する

誰しも成長領域だと思っているが、経営資源を別領域に集中させるために、あえて撤退する

のどちらかです。「誰もが将来性を疑っている分野から撤退」したり、「誰もが成長分野と思っている事業に経営資源を投入」するのは、どの企業でもやっている "普通の事業の進め方" であって、経営判断と言うには "おこがましい" わけです。

ソニーの「リチウムイオン電池からの撤退」が正しい経営判断かどうかは分かりませんが、少なくとも "経営判断" と言うに値することは確かでしょう。「誰もが成長領域だと思っているが、あえて撤退する」のだから・・・・・・。志村氏のコラムは次のように結ばれています。


こんなことを考えながら、ソニー創立50周年記念誌「源流」を開くと「夢のリチウムイオン電池」と題した1章がある。新会社ソニー・エナジー・テックを中核に、ソニーグループ挙げての事業となった経緯を詳述。最後に「ソニーは先陣を切って開発に成功した後、高いシェアを維持し、リーディングカンパニーとしての地歩を固めた」と結んでいる。

ソニーこれまでにも、いったんは製品化したロボット、有機ELモニターなどに、なぜか中断や撤退策を講じている。世に言う「モルモット企業」から「日和見企業」に転じては、往時の活力いまいずこと言わざるをえない。

日経産業新聞(2016.9.6)

以降は、ソニーのリチウムイオン電池からの撤退についての感想です。


継続発展の難しさ


ソニーの電池ビジネス売却のニュースを読んで思うのは、新事業を創出し、かつそれを発展させることの難しさです。No.110「リチウムイオン電池とモルモット精神」に書いたように、いわゆる「モルモット精神」を発揮して世界で初めてリチウムイオン電池の量産技術を確立したのがソニーでした。しかし、そうして新事業を創出したあとの第2ステップが問題です。

第2ステップで必要なのは、参入してくる企業とのグローバルな競争に勝つことと、次世代技術への開発投資です。競争を勝ち抜くためにはコスト優位性が必須であり、そこでは生産技術や生産管理が大きなポイントになります。しかしこの領域は、新事業を創出するマインドや人材とは必ずしも同じではない。

またコスト優位性を確立できたとして、そこで得た利益を次世代技術の研究開発に投資する必要がありますが、「今成功しているのに、あえてリスクをとる必要があるのか」という意見が上層部から出てきます。

ソニーでリチウムイオン電池の製品化をした西氏によると、ソニーが角型リチウムイオン電池(携帯電話やノートPC用)に出遅れたのは「丸型で儲かっているのだから、あえてリスクをとる必要はない」という、当時の事業部長の反対だそうです(No.110「リチウムイオン電池とモルモット精神」の「補記1」参照)。リスクを恐れて保身に走る上層部の "不作為" がビジネスの足を引っ張るわけです。丸型・角型の件は、リチウムイオン電池の歴史全体からすると小さな件かもしれませんが、一つの典型例だと考えられます。

第2ステップでも成功するには、第1ステップ以上のハードルがある。そういうことを思いました。


ブレ続けた経営方針


最初に書いたように、ソニーのリチウムイオン電池ビジネスについての経営方針はブレ続けたわけです。自動車用電池については、1990年代に日産自動車のEVに電池を供給しながら、そこから撤退し、2000年代後半に再参入を表明したもののそれを実現させず、2012~2013年には電池ビジネス全体の売却を検討し、それを撤回する、といったブレようです。志村氏のコラムに「腰の引けた対応」とありましたが、それは今に始まったことではなく "歴史" があるのです。

こうなると、優秀な人材の継続的な確保は困難でしょう。たとえば自動車用電池に参入するときには、モバイル用電池の世界初の製品化を行った優秀な人材を投入したはずです。自動車メーカの安全に対する要求はモバイル用とは比較にならないぐらい厳しいからです。しかしそのビジネスから撤退してしまう・・・・・・。中核となっていた技術者は「やってられない」と思ったでしょう。2012~2013年に撤退の検討をしたときには、もうこれで終わりと、多くのこころざしがある技術者が思ったはずです。競合他社に移籍した人も多いのではないか。転職のオファーは国内外を含め、いくらでもあったでしょう。ソニーでリチウムイオンをやってるのだから。

リチウムイオン電池のような "奥深い" 技術領域については、志のある優秀な研究者、技術者、人材の継続的な確保が必須だと思います。それには、電池を会社のコア事業と位置づける一貫した経営方針が大前提となるはすです。


"世界初" から撤退する意味


技術評論家の志村氏が指摘しているように、ソニーは「自らが作り出した世界初の製品」について、撤退や中断の判断をしています。

AI型ロボット(AIBO)
有機ELテレビ
リチウムイオン電池

の3つです。AI型ロボット(AIBO)については、No.159「AIBOは最後のモルモットか」No183「ソニーの失われた10年」に書いた通りです。2006年に撤退し、2016年に再参入を発表しました。

この3つとも、ソニーが初めて製品化したのみならず、「誰もが今後伸びるだろう、重要だろうと思える領域」であるのが特徴です。もちろん、先ほど書いたように「伸びる領域だが、経営資源をコアビジネスに集中させるために撤退・中断する」という意志決定はありうるわけです。

ここで不思議なのは、有機ELテレビの表示装置である「有機ELディスプレイ(パネル)」です。

ソニーという会社は「映像と音響に関するビジネスをコアだと位置づけていて、そこからは撤退しない会社」だと思っていました。テレビ、ウォークマン、ビデオ、デジタル・カメラ、画像センサー、放送局用の映像装置、ゲーム機、映画などです。最新の製品でいうと、VR(仮想現実)機器もそうでしょう。「映像と音響」はソニーの "祖業" ともいえるもので、だからコアなのです。この定義からすると、AI型ロボット(AIBO)とリチウムイオン電池は「コア領域ではない」と言えないこともない。

XEL-1.jpg
ソニーの11型有機ELテレビ XEL-1。2007年12月発売。2010年1月生産終了。
(site : www.sony.co.jp)
しかし有機ELディスプレイは違います。それはソニーにとってコアのはずです。かつてソニーはブラウン管の時代にトリニトロンを発明し、かつ、平面トリニトロンまで開発・実用化しました。この大成功が、逆に液晶ディスプレイに出遅れることになったわけですが、それを取り戻すべく、液晶の次と位置づけたのが有機ELディスプレイだったはずです。ソニーは2007年12月に11インチの「有機ELテレビ」を世界で初めて商品化しました。しかしなぜか中断してしまった(最終的には、パナソニックとともに有機ELディスプレイの事業をジャパンディスプレイに事業統合。2015年にJOLED - ジェイオーレッド - が設立された)。

困ってしまった日本の有機EL材料メーカ(出光興産など)や製造装置メーカ(キヤノントッキなど)は、韓国メーカとの提携を進め、現在、有機ELディスプレイはLG電子(テレビ向け)とサムスン電子(スマホ向け)の独壇場です。

リチウムイオン電池からの撤退を報じた日経新聞に「画像センサーなどに集中する」とありました。「映像の入り口」が画像センサー(イメージセンサー)です。では「映像の出口」であるディスプレイはどうなのか。それはコア事業ではないのか。もちろん液晶テレビの建て直しに資源集中するためなどの経営判断なのでしょうが、不可解感は否めません。

人のやらないことをやるのが "ソニー・スピリット" だとすると、リチウムイオン電池、AIBO、有機ELディスプレイには、それを開発した技術者の "誇り" と "思い" が込められているはずです。自分たちこそ "ソニー・スピリット" の体現者だという・・・・・・。その世界初のビジネスからの撤退は、当然、人材の流出を招くでしょう。No.55「ウォークマン(2)」で引用しましたが、元ソニーの辻野晃一郎氏(VAIO開発責任者)は「未踏の領域に足を踏み入れて全く新しいものを生みだそうというソニーのスピリット」を踏まえて、次のように語っています。


私は、ソニーとは企業ではなく、生き方だと考えています。

辻野晃一郎
元ソニーのVAIO開発責任者
朝日新聞(2012.3.14)

VAIOは斬新な機能をもったパソコンだったのは確かですが、パソコンそのものは世界初でも何でもありません。パソコンの開発責任者でさえこうなのだから、世界初の製品(リチウムイオン電池、AIBO、TVに使える中大型の有機ELディスプレイ)を作り出した技術者は、辻野氏のような思いが人一倍強いのではないでしょうか。撤退することは、"ソニーという生き方" をしてきた、その人たちの存在理由を否定することになるでしょう。


ソニー・スピリット


リチウムイオン電池の話に戻ります。紹介した志村氏のコラムの最後に、ソニーは世に言う「モルモット企業」から「日和見企業」に転じたと、手厳しいことが書いてありました。

ソニーが、当時発明されたばかりのリチウムイオン電池の製品化に乗り出したのは1987年です(No.39「リチウムイオン電池とノーベル賞」の「補記4」参照)。2017年3月に村田製作所への事業譲渡が完了するとしたら、ソニーのリチウムイオン電池事業の生命いのちは30年だった、ということになります。

もし今後、仮にです。村田製作所がリチウムイオン電池を黒字転換させ、かつ、次世代電池(全固体電池)でも成功をおさめるなら、巨視的に長いスパンで見て「ソニーはモルモットの役割だった」と言えるでしょう。しかし、それでもいいから "人のやらないことをやれ" というのが、ソニー創業者である井深大氏の教えでした。それを改めて思い返しました。



 補記1 

SONY A1Eシリーズ(77型)-CES2017.jpg
SONY AE1シリーズと平井CEO
- CES 2017 にて -
(site : www.phileweb.com)
2017年1月5日から8日の日程で、米・ラスベガスでCES(セス)が開催されました。ここでソニーの平井社長は有機ELテレビへの再参入を発表しました。ブラビア A1E シリーズで、画面は 77/65/55型の3種類(4K)です。ユニークなのは「画面そのものから音を出す」機能があることです。有機ELだからこそできた、とありました。もちろん有機ELディスプレイ(パネル)は他社から調達するそうです。

このブログ記事で「ソニーは映像と音響に関するビジネスからは撤退しない会社と思っていたが、有機ELディスプレイからは撤退してしまった」との主旨を書きました。確かに有機ELディスプレイからは撤退したのですが、有機ELテレビのビジネスは中断しただけであり、撤退はせずに再参入したということでしょう。

しかも新しい有機ELテレビは「映像と音響を一体化させた」製品であり、スピーカーなしでちゃんとステレオ・サウンドが出る。いかにもソニーらしいし、誰もやらないことをやるというソニー・スピリットの発揮に見えます。有機ELテレビに再参入ということより、未踏の世界に挑戦した(している)ことの方が大切でしょう。これからのソニーに期待したいと思います。

(2017.1.6)


 補記2 

このブログの本文に、村田製作所がソニーのリチウム電池事業を買収することを書きました。買収は2017年4月に完了する見込みです。一方、2017年2月3日付の日本経済新聞に、サムスン電子が村田製作所とリチウム電池の調達交渉中とありました。これには本文にも書いた Galaxy Note7 の発火事故が関係しています。日経新聞の記事を以下に引用します。


村田製作所と協議
 サムスン スマホ充電池の調達

【ソウル=山田健一】  韓国サムスン電子が今春発売予定の新型スマートフォン(スマホ)「ギャラクシーS8」に採用する充電池の調達について、村田製作所と協議を始めたことが、2日分かった。サムスンは昨年発売した最上位機種の発火事故で、足元のスマホ販売が低迷。信頼回復が最優先課題となるなか、日本メーカーとの取引を通じて信頼性の高い調達体制の構築をめざす。

サムスンは「S8」を、昨年の発売後に発火事故が相次いだ「ギャラクシーノート7」に代わる最上位機種に位置づける。同社は先月下旬、「発火事故は充電池が原因」とする調査結果を発表した。充電池の調達戦略はスマホ事業復活のカギを握る。

村田は昨年7月、ソニーの電池事業を買収すると発表した。買収は今年4月中に完了する見通し。サムスンはソニーが開発したリチウムイオン電池の実績と信頼性を評価しているもよう。

ノート7の充電池は、サムスンSDIとTDK子会社のアンプレックステクノロジーの2社購買だった。サムスンによると2社の充電池は、設計ミスと製造ミスといったそれぞれ別々の原因で発火事故を誘発した。

2社購買を3社購買に改めれば、リスクは低減する。サムスンは充電池を韓国LG電子から調達することも検討したが、S8での搭載は見送る公算が大きい。S8にアンプレックス社の充電池を採用することも確定していない。サムスンと村田の協議次第では、SDI社と村田の2社購買に変わる可能性も残る。

日本経済新聞(2017.2.3)

村田製作所のリチウム電池事業の買収と、Galaxy Note7 の発火事故の経緯を時間を追って書くと以下のようになります。

2016年7月28日
ソニーはリチウムイオン電池事業を村田製作所に売却すると発表。

2016年8月19日
サムスン電子がGalaxy Note7 を発売。その直後から発火事故が相次いだ。

2016年9月2日
サムスン電子が Galaxy Note7 の全世界での出荷と販売を停止。販売済みの250万台を回収へ。それまでの発火事後は35件と報告された。

2017年1月23日
サムスン電子は発火事故の原因がバッテリーにあったと最終的に発表。バッテリーの供給会社はサムスンSDIとアンプレックス・テクノロジー(Amperex Technology Limited = ATL。香港)であるが、それぞれ別の原因であるとされた(報告で供給会社の名称は伏せられていた)。なお、アンプレックス・テクノロジーは日本のTDKが2005年に買収しており、TDKの子会社である。

2017年2月3日
日本経済新聞が「サムスン電子が村田製作所とリチウム電池の調達を交渉」と報道。

もし仮に、サムスン電子が村田製作所からリチウムイオン電池を調達することになると、村田製作所は大手供給先を確保することになります。これは赤字続きだった旧ソニーのリチウムイオン電池事業を立て直す上で大きなプラス要因になるでしょう。ソニーはアップルの最新スマホの受注を逃したわけであり(本文参照)、それ挽回する商談です。サムスンとの取引で利益が出るかどうかは分かりません。サムスンは厳しい品質基準を突きつけてくるはずだし、競争相手が韓国・香港企業では価格的にも厳しいでしょう。しかし一般に生産規模の拡大はリチウムイオン電池の部材調達コストを下げるので、事業全体としてはプラスになることは間違いないと思います。

こういう言い方は不謹慎かもしれませんが、村田製作所がソニーのリチウムイオン電池事業を買収した直後に起こったサムソン製品の発火問題は、結果として村田製作所にとってラッキーだったと言うしかないでしょう。しかも、発火事故の当事者の一つであるアンプレックス・テクノロジーは TDK の子会社であり、その TDK は電子部品事業において村田製作所の最大のライバルメーカーなのです。またサムスン電子にとって「ソニーからリチウムイオン電池を調達するのはハードルが高いが、村田製作所からだとやりやすい」ということが当然考えられるでしょう。

急激に技術が進歩していくエレクトロニクス業界においては何が起きるか分からない例として、日経新聞の記事を読みました。

(2017.2.7)



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No.187 - メアリー・カサット展 [アート]

今回は、横浜美術館で開催されたメアリー・カサット展の感想を書きます。横浜での会期は 2016年6月25日 ~ 9月11日でしたが、京都国立近代美術館でも開催されます(2016年9月27日 ~ 2016年12月4日)。

メアリー・カサットの生涯や作品については、今まで3つの記事でとりあげました。

No.86 ドガとメアリー・カサット
No.87 メアリー・カサットの「少女」
No.125 カサットの「少女」再び

の3つです。また次の2つの記事ですが、

No.93 生物が主題の絵
No.111 肖像画切り裂き事件

No.93では、カサットの愛犬を抱いた女性の肖像画を引用し、またNo.111では、ドガが描いた「メアリー・カサットの肖像」と、その絵に対する彼女の発言を紹介しました。これら一連の記事の継続になります。

メアリー・カサット展ポスター.jpg
メアリー・カサット展
横浜美術館
(2016年6月25日~9月11日)
絵は「眠たい子どもを沐浴させる母親」(1880。36歳。ロサンジェルス美術館蔵)


浮世絵版画の影響


Mary Cassatt - Photo.jpg
1867年(23歳)に撮影されたメアリー・カサットの写真。彼女がパリに到着した、その翌年である。手にしているのは扇子のようである。フィリップ・クック「印象派はこうして世界を征服した」(白水社。2009)より。
今回の展覧会の大きな特徴は、画家・版画家であるメアリー・カサット(1844-1926)の "版画家" の部分を念入りに紹介してあったことです。カサットの回顧展なら当然かもしれませんが、今まで版画をまとまって見る機会はなかったので、大変に有意義な展覧会でした。

彼女が版画を制作し始めたのは日本の浮世絵の影響ですが、その浮世絵の影響はまずドガ(1834-1917)との交流から始まりました。カサットがドガに最初に出会ったのは1877年(33歳)です。その時点でドガ(43歳)は、モネやマネやといった初期印象派の仲間でも熱心な日本美術愛好家でした。横浜美術館の主席学芸員の沼田英子氏は、メアリー・カサット展の図録の解説「メアリー・カサットと日本美術」で、次のような主旨の解説しています。

 ・・・・・・・・

カサットの『桟敷席にて』にみられるような、人物をクローズアップして遠景との関係を際立たせる手法は、ドガが広重などの浮世絵から想を得て、オペラのオーケストラやカフェ・コンセールの場面に用いたものと類似しています。

オーケストラ席の楽師たち.jpg 桟敷席にて.jpg
エドガー・ドガ
「オーケストラ席の楽師たち」
(1870/72)
シュテーデル美術館
(フランクフルト)
メアリー・カサット
「桟敷席にて」(1878)
ボストン美術館
この絵はロンドンのコートールド美術館にあるルノワールを絵を踏まえて描かれたと想像するのだが、どうだろうか。

浜辺で遊ぶ子供たち.jpg
メアリー・カサット
「浜辺で遊ぶ子どもたち」(1884)
ワシントン・ナショナル・
ギャラリー
また『海辺で遊ぶ子供たち』のように場面を俯瞰的にとらえ、地面や床面を "地" のようにして人物を浮き上がらせる構図は、ドガがバレエのレッスン場面でよく用いているものです。ドガはそれを浮世絵の室内表現から着想したと考えられています。─── そう言えばカサットの『青い肘掛け椅子の少女』も室内を俯瞰的な構図で描いていました(No.87「メアリー・カサットの少女」No.125「カサットの少女再び」参照)。

ドガは1886年の印象派展に沐浴する裸婦のパステル画を出品してセンセーションを起こしました。西洋画の伝統での裸婦は、神話の女神として描かれていたからです。しかし浮世絵では、半裸の女性が行水をする場面や髪をくしけずる場面はよく描かれていた画題です。ドガはこれを取り入れ、普通の女性が沐浴する一瞬を覗き見たような視点で描きました。そしてカサットも、タオルで体を拭くセミヌードの女性や、髪を整える女性の姿を描いています。

さらにドガは、西洋銅版画の技法を使って絵画的な版画を作る試みを始めていましたが、カサットもドガにさそわれ、ドガの版画の道具とプレス機を借りて版画を制作しました。

 ・・・・・・

以上のように、カサットはまずドガを通して浮世絵版画の影響を受けたのですが、版画家・カサットの誕生にとって決定的だったのは、1890年にパリで開かれた日本版画展でした。


版画家:メアリー・カサット


1890年4月25日から5月22日まで、パリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)で「日本版画展」が開催されました。カサットが46歳になる直前のころです。


カサットは、この「日本版画展」に感激し、少なくとも二回は会場に足を運んでいる。一回目は開催初日にドガと一緒に出かけている。その4日後にはベルト・モリゾに次のように書き送っている。

「もしよろしかったら、こちらで私たちと食事をしませんか。その後で、ボザールで開催中の日本版画展を一緒に見に行きましょう。あなたはこの展覧会を絶対に見逃してはいけません。色彩版画を作りたいのなら、これ以上美しいものなど想像できないでしょう。それは私の夢にも現れ、色彩銅版画のことしか考えられません」

カサットがいかにこの展覧会に夢中になったかがわかるだろう。モリゾは、1988年頃から多色刷りリトグラフに関心を寄せており、この喜びを共有できる仲間だったのである。モリゾはマラルメに宛てた手紙の中で、

「水曜日にカサットさんのところで食事をし、ボザールのすばらしい日本美術を見に行きます」

と書いている。ふたりは、5月7日に一緒に展覧会を見に行ったと考えられる。これらのエピソードは、カサットがこの展覧会でいかに浮世絵版画に夢中になったかを伝えているが、それは、この後の作品にも影響を与えることになる。

沼田英子(横浜美術館・主席学芸員)
「メアリー・カサットと日本美術」
メアリー・カサット展・図録 所載
(改行を付加しました)

日本版画展.jpg
日本版画展のポスター
(1890。パリ・国立美術学校)
カサットは少なくとも2回「日本版画展」を見に行った、1回はドガと一緒に(4月25日)、1回はベルト・モリゾと一緒に(5月7日)というわけです。会期は5月22日までなので、さらに行ったことも十分に考えられるでしょう。

彼女はこの「日本版画展」を見た後、すぐに多色版画の制作に取りかかり、1891年に25部限定の10点組の銅版画を完成させました。いずれもパリの女性の日常生活のシーンをとらえたものです。近代版画の傑作ともいうべき作品ですが、メアリー・カサット展ではこの10点の版画が全部展示されていました。今回の展覧会の "目玉展示" と言っていいと思います。

  ちなみにこの展覧会では、銅版画の各種の技法を実物とともに解説した展示がありましたが、よい企画だと思います。その銅版画技法の中から、カサットの版画作品に使われている「ドライポイント」「エッチング」「ソフトグランド・エッチング」「アクアチント」の制作工程を、この記事の最後に掲載しておきます。

その、10点組の多色銅版画ですが、以前の記事で紹介した作品を含めて3点だけをあげます。

The fitting.jpg
メアリー・カサット
「仮縫い」(1890/91)
アメリカ議会図書館
(site : www.loc.gov)

No.87「メアリー・カサットの少女」でも紹介した『仮縫い』という作品です。No.87ではタイトルを『着付け』としましたが、英語題名は『The Fitting』なので『仮縫い』がより適当でしょう。用いられた技法はドライポイントとアクアチントです。ドライポイントで銅版に直接線を描き、アクアチントで作った版で色をつけるという技法です(この記事の末尾の銅版画の説明参照)。

この版画の女性の姿態、ポーズで直感的に思い出すのは、喜多川歌麿や鈴木春信の浮世絵作品です。歌麿の作例を次にあげます。カサットは、こういったタイプの浮世絵を踏まえて制作したのだと思います。

歌麿・青楼十二時 子の国.jpg
喜多川歌麿
青楼十二時せいろうじゅうにときの刻
川崎・砂子の里資料館
(大浮世絵展・2014 図録より)

次の『沐浴する女性』は、No.86「ドガとメアリー・カサット」の「補記」で紹介したように、ドガが「女性にこれほどみごとな素描ができるとは、認めるわけにはいかない」と評したものです。この作品もドライポイントとアクアチントで制作されています。No.86では『化粧』としましたが、英語題名は「Woman bathing = 沐浴する女性」です。

Woman bathing.jpg
メアリー・カサット
「沐浴する女性」(1890/91)
アメリカ議会図書館

次の『ランプ』は、ソフトグランド・エッチングとドライポイント、アクアチントが使われています。まず紙に下絵を描き、ソフトグランド・エッチングで輪郭線をなぞって版を作る(この記事の末尾の銅版画の説明参照)。細部はドライポイントで直接描き、さらにアクアチントの版で色を付けるという作り方です。

The lump.jpg
メアリー・カサット
「ランプ」(1890/91)
アメリカ議会図書館

いずれの作品でも目立つのは線の美しさです。版画なので陰影は(ほとんど)なく、線だけで女性の仕草の美しさやふくよかさを表現しています。ドガが感嘆するのも分かります。


デッサンの技量


もちろん版画家・カサットの作品は、浮世絵版画の影響で作られたものだけではありません。伝統的な西洋銅版画の技法、デッサン、絵のモチーフで作られたものも多いわけです。その例が「メアリー・カサット展」の出口付近に展示されていたドライポイントの12作品です。その中の一つが次の版画です。

ソファに腰かけるレーヌとマーゴ.jpg
メアリー・カサット
「ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ」
(1902。58歳)
アメリカ議会図書館

こういった版画作品は "モノトーンの小品" なので、油絵の大作が並んだ中に展示されると見過ごすことが多いと思うのですが、この12作品は必見です。とにかく、カサットのデッサンの技量が優れていることが直感できます。ドライポイントは、銅版の表面をニードルで直接に線刻する技法です。もちろん紙に鉛筆などで素描を何枚か描き、構想を固めたところで銅版にとりかかるのでしょうが、線刻のやり直しはできません。的確な線の集まりで対象をとらえるメアリー・カサットの技量に感心しました。



デッサンの技量に関係すると思うのですが、油絵や版画にかかわらず、カサット作品には「難しいアングルから顔を描いた」ものがいろいろあることに気づきました。実は『バルコニーにて』という油絵作品の音声ガイドで、そう指摘していたのです。

On th Balcony.jpg
メアリー・カサット
「バルコニーにて」(1873。29歳)
フィラデルフィア美術館

「難しいアングル」とは、顔を上方から見下ろしたり、下方から見上げたり、また斜め後ろ方向から捉えたりといったアングルです。上に引用した『ランプ』や『ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ』のマーゴ(少女)がまさにそうで、普通の絵画・版画作品にはあまりないような方向から女性の顔をとらえています。この記事の最初に掲げた展覧会のポスターになっている『眠たい子どもを沐浴させる母親』の母親もそうでした。

『バルコニーにて』は、カサットがパリに定住する前、スペイン滞在中に描いた作品です。つまり彼女は若い時からそういう "チャレンジ" をしていたようで、また自分の素描の技術に自信があったのでしょう。

なお『バルコニーにて』は、ゴヤの『バルコニーのマハたち』を連想させます。そのゴヤの絵を踏まえて、マネは『バルコニー』を描きました(ベルト・モリゾが描かれている有名な作品)。カサットも絵画の伝統をしっかりと勉強した画家だということが分かります。


母と子


メアリー・カサットというと "母と子" を描いた一連の作品で有名です。上に引用した銅版画『ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ』も、そのテーマです。では、なぜ母と子のモチーフなのか。それは、西洋絵画の伝統(=聖母子像)の影響だと思っていました。もちろん「母と子」は最も根源的な人間関係であり、また画家・カサットを常に支援してくれた母親との関係も影響しているのでしょう。

しかし、女性、子ども、母と子などのモチーフは、当時の女性画家に暗黙に "許された" 画題でした。カサットの友人であるベルト・モリゾの画題もそうです。このことについて、横浜美術館の主席学芸員の沼田氏は、次のように解説していました。


若い頃に因襲的サロン絵画に抵抗して前衛的なグループに身を投じたカサットが、なぜ女性画家の画題とされていた「母子」を積極的に描いたのだろうか。

ひとつには、19世紀後半のフランスで起こった子どもの人権を見直す動きが指摘される。子どもの人権保護の観点から、若年労働の禁止や学校の整備に加え、乳児を母親自身で育てることが推奨されるようになっていた。当時、パリで出生した子どもの約半数が里子に出され、多くのブルジョア階級では家庭内で乳母が育てていた。親は子どもの様子に無関心で乳幼児の死亡率も高かったといわれる。

それに対して、この頃から母親が母乳で育て、子どもの健康のために、衛生、入浴、運動、睡眠をとりしきることが推奨されるようになったのである。社会的意識が高く女性参政権運動にも協力したカサットが、この問題を考えていたという可能性は大きい。

沼田英子
「メアリー・カサットと日本美術」
メアリー・カサット展・図録 所載

我々は「母親が子どもを(母乳で)育てるのはあたりまえ」と思ってしまうのですが、それは現代人の感覚なのです。その感覚で19世紀のパリを(ヨーロッパを)想像してはいけない。カサットの「母と子」の絵には、二人がいかにも親密な状況にある一瞬を捉えた絵が多いのですが、それは当時としては "社会的な意味のある絵画" だったのでしょう。



そして、今回のメアリー・カサット展でもう一つ示してあったのは「母と子」というテーマについての浮世絵版画の影響です。日常生活における母と子のなにげない情景、母の愛情溢れるしぐさという画題は、実は浮世絵にしばしばあるのですね。そのテーマの歌麿の作例と、カサットの「10点組の多色銅版画」からの一枚を引用します。なるほど、そういう面もあるのかと思いました。

歌麿・行水.jpg
喜多川歌麿「行水」
メトロポリタン美術館

The bath(The tub).jpg
メアリー・カサット
「湯浴み(たらい)」(1890/91。46歳)
アメリカ議会図書館



母子関係が大切だという当時の社会の動きや、浮世絵版画からの影響があるのでしょうが、やはりカサットは西洋絵画の伝統=聖母子を意識して描いたと思ったのが、次の油絵による作品です。

The Family.jpg
メアリー・カサット
「家族」(1893。49歳)
クライスラー美術館
(ヴァージニア)

美しき女庭師.jpg
ラファエロ
「美しき女庭師」
(ルーブル美術館)
この絵を見て直感的に思うのは、西洋絵画の伝統的なモチーフである「聖母子と聖ヨハネ」との類似性です。もちろん、その画題で最も有名なのはルーブル美術館にあるラファエロの作品です(いわゆる "美しき女庭師")。カサットは何回となくこのラファエロの絵を見たはずです。

カサット作品を見ると、どっしりした三角形の、左右対称的な構図です。ドガやカサットは、浮世絵版画から学んだとされる "左右非対象で、モチーフを画面の縁で切断するような構図" の絵をいろいろ描いていますが、それとは全くの対極にある伝統的な描き方がこの絵です。メアリー・カサット展の解説で、女の子が差し出しているカーネーションは受難の象徴とありました。確かに伝統的にはそうなのでしょうが、そこまで考えなくても、この絵が伝統と現代をミックスさせ、それを貫く "永遠なるもの" を表現しようとしたことは明白だと思いました。



"版画家" と "母子像の画家" の接点とも言うべき「版画の母子像」もありました。『池のほとりで』という作品です。

By the Pond.jpg
メアリー・カサット
「池の畔で」(1896。52歳)
フィラデルフィア美術館

この版画も「現代版の聖母子像」といったおもむきがあります。独自の意志を感じるような子どもの表情も聖母子を連想させる。その子を母親が慈しみをこめて見つめています。

構図は斬新で、かなりのクローズアップで描かれています。『池の畔で』というタイトルなので、池の畔にたたずむ(ないしはベンチに腰掛けている)母子です。二人のクローズアップと、背景の池と木々を対比させる構図が印象的です。

ドライポイントとアクアチントで制作された版画です。母と子はドライポイントの線で陰影と立体を感じさせるように描いてあります。また背景の池と木々も、平面的ではあるものの、それなりに立体感を感じさせる表現です。

この作品は「10点組み多色版画」にみられる "線と平面で構成された浮世絵的な銅版画" とはまた違った、"西洋絵画的な銅版画" だと言えるでしょう。メアリー・カサットが作りあげた「独自の世界」であり、いい作品だと思いました。



メアリー・カサットは白内障のため視力が衰え、1910年代になるとパステル画がほとんどになり、1915年頃には絵画制作を断念したようです。版画や油絵を制作したのは1900年代までなのですが、その最後期の油絵で「母と子」を描いた作品が今回展示されていました。その作品を最後に引用しておきます。

ボートに乗る母と子.jpg
メアリー・カサット
「ボートに乗る母と子」(1908。64歳)
アディソン美術館
(マサチューセッツ)

ボートを断ち切る構図や俯瞰的に水面を見る描き方は、元はと言うと浮世絵の影響だと思います。国立西洋美術館にモネの『舟遊び』という有名な絵がありますが、同じ発想です。

しかしカサットのこの絵の特徴は、右上から左端の中央、右下から左端の中央へと視線を誘導する、横向き三角形の伝統的な構図です。俯瞰的な構図にマッチするように、母親の顔を斜め上方から描いているのもカサット的です。水面に映った少女の足を描くという試みも光っている。少女の足もとに視線を誘導する構図になっています。そして何よりも、彼女が追求してきた「母と子」のテーマです。画家・メアリー・カサットの集大成とでも言うべき優れた作品だと思いました。

Mary Cassatt(in Grasse - 1914)a.jpg
メアリー・カサット
1914年撮影。70歳。
(メアリー・カサット展の図録より)


シャトー・ド・ボーフレーヌ


ここからは補足です。メアリー・カサットは1894年(50歳)に、パリの北北西、約70kmにあるル・メニル・テリビュ村の "シャトー・ド・ボーフレーヌ" という館を購入し、毎夏はここで過ごすようになりました。上に引用した『ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ』の二人のモデルはこの村の住人です。また『池の畔で』も館付近の光景です。彼女は1926年にボーフレーヌで亡くなり(82歳)、村の共同墓地に葬られました。現在、ル・メニル・テリビュには「メアリー・カサット通り」があり、カサットは村民の記憶に受け継がれています。

このル・メニル・テリビュ村のシャトー・ド・ボーフレーヌまで旅した記事が、NHKの日曜美術館のサイトに掲載されています。現地に行かないと分からない情報がいろいろと書かれていて、メアリー・カサットのことを知りたい人にとって必見のサイトです(http://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/249960.html)。

ル・メニル=テリビュ.jpg
ル・メニル・テリビュの位置(赤印)
- Google MAP -

以下、シャトー・ド・ボーフレーヌの現在の写真(2014年時点)を掲載しておきます。引用元は「American Girls Art Club in Paris」というブログ・サイトです(https://americangirlsartclubinparis.com/2014/11/

ボーフレーヌ1.jpg
館の正面(北側)

ボーフレーヌ2.jpg
館の南側

ボーフレーヌ3.jpg
室内から南側の庭を望む

ボーフレーヌ4.jpg
敷地にある水車小屋。NHK・日曜美術館のサイトによると、カサットはこの小屋を版画の工房として使っていた。

ボーフレーヌ5.jpg
館の敷地は広大な庭園になっていて、小川が引き込まれ、池もあり、水辺には柳の木もある。モネがここに移り住んでいたとしたら、風景画を量産したに違いない。そう言えばカサットは印象派の絵とともに浮世絵を100点ほど館に飾っていたが、その面でもモネのジヴェルニーの館と似ている。

ボーフレーヌ6.jpg

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ル・メニル・テリビュ村の共同墓地にカサット家の墓がある。メアリーの上の墓碑名は、若くしてドイツで死んだ弟、ロバートの名前である。

なお、カサットがシャトー・ド・ボーフレーヌに飾っていたセザンヌの「ラム酒の瓶がある静物」(ポーラ美術館蔵)という絵の話を、No.125「カサットの"少女"再び」の「補記」に書きました。


カサットが用いた銅版画技法


二つ目の補足です。メアリー・カサットが「10組の色刷り銅版画」で用いた銅版画の技法をまとめておきます。図は女子美術大学・版画研究室のホームページ(http://www.joshibi.net/hanga/)から引用しました。

 ドライポイント 


ドライポイントは銅板に直接、ニードルで線を刻んで版を作ります。線を刻むときに銅の "めくれ" が生じ、その状態によってインクのたまり具合が違ってきて、線にさまざまな表情が生まれます。


DrypointPic01.jpg
鋼鉄製のニードルで銅版面を引っ掻く。①ニードルを引く方向に倒して描画、②ニードルを立てて描画、③ニードルを寝かせて描画、などの方法があり、それぞれ特徴のある "めくれ" ができる。

DrypointPic02.jpg
スクレイパーを使い、不要なめくれを取る。

DrypointPic03.jpg
インクを詰める。

DrypointPic04.jpg
プレス機で紙にインクを刷り取る。


 エッチング 


エッチング、ソフトグランド・エッチング、アクアチントは、いずれも腐蝕液(硝酸や塩化第二鉄の溶液)で銅版を腐蝕させて版を作る技法です。エッチングはその中でも基本的な技法で、アスファルト・松脂・蝋などの防蝕剤で銅板をコーティングし、そこに描画します。


EtchingPic01.jpg
銅板の裏面に防蝕剤を塗る。

EtchingPic02.jpg
銅板の表面を防蝕剤(グランド)で覆う。グランドはアスファルト、松脂、蝋などを溶剤で溶かしたものである。エッチングで用いるグランドは、溶剤が揮発すると固まる「ハードグランド」である。

EtchingPic03.jpg
ニードルで描画する。

EtchingPic04.jpg
腐蝕液につけて、腐蝕させる。

EtchingPic05.jpg
溶剤でグランドをとる。

EtchingPic06.jpg
インクを詰める。

EtchingPic07.jpg
紙にインクを刷り取る。


 ソフトグランド・エッチング 


ソフトグランドとは、防蝕剤を油脂で練ってペースト状にしたものです。エッチングに使う防蝕剤(=ハードグランド)は銅版に塗ると固化しますが、ソフトグランドは柔らかいままで、容易にはがせます。この性質を利用したエッチングがソフトグランド・エッチングです。エッチングより少しにじんだような線になります。


SoftgroundPic01.jpg
版の裏を防蝕し、版面にソフトグランドを塗る。

SoftgroundPic02.jpg
表面がざらざらした紙をあて、鉛筆などで描画する。紙に描いておいた下絵をなぞってもよい。

SoftgroundPic03.jpg
紙をとるとソフトグランドが紙に付着してはがれる。また、表面に凹凸がある素材を直接あててソフトグランドを取ってもよい。

SoftgroundPic04.jpg
腐蝕液につけて腐蝕させる。

SoftgroundPic05.jpg
インクを詰める。

SoftgroundPic06.jpg
紙にインクを刷り取る。


 アクアチント 


アクアチントは銅板画で面を描く技法です。松脂の粉の振り方、加熱や腐蝕の時間によって、インクの濃淡の違うさまざまなテイストの面を作り出せます。


AquatintPic01.jpg
版の裏を防蝕し、版面の腐蝕させない部分(インクをのせない部分)を黒ニスなどで防蝕する。

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松脂まつやにの粉末を散布する。

AquatintPic03.jpg
版の下から加熱して松脂を溶かし、版面に定着させる。

AquatintPic04.jpg
腐蝕液につけて、短時間腐蝕させる。

AquatintPic05.jpg
色の薄い部分には黒ニスを塗り、これ以上の腐蝕を止める。

AquatintPic06.jpg
再度、腐蝕液につけて腐蝕させる。

AquatintPic07.jpg
黒ニスと松脂を溶剤で取り去る。

AquatintPic08.jpg
インクを詰める。

AquatintPic09.jpg
紙にインクを刷り取る。

アクアチント.jpg
アクアチント- 武蔵野美術大学のサイトより
(site : zokeifile.musabi.ac.jp)




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No.186 - もう一つのムーラン・ド・ラ・ギャレット [アート]


ポンピドゥー・センター傑作展


2016年6月11日から9月22日の予定で「ポンピドゥー・センター傑作展」が東京都美術館で開催されています。今回はこの展示会の感想を書きます。この展示会には、以下の4つほどの "普通の展示会にあまりない特徴" がありました。

 1年・1作家・1作品 

まず大きな特徴は「1年・1作家・1作品」という方針で、1906年から1977年に制作された71作家の71作品を制作年順に展示したことです。展示会の英語名称は、

Masterpieces from the Centre Pompidou : Timeline 1906-1977

とありました。つまり Timeline = 時系列という展示方法です。制作年順の展示なので、当然、アートのジャンルや流派はゴッチャになります。

デュフィ「旗で飾られた通り」.jpg
デュフィ
「旗で飾られた通り」(1906)

しかし、だからこそ20世紀アートの同時平行的なさまざまな流れが体感できました。Timeline 1906-1977 だと72作品になるはずですが、71作品なのは1945年(第2次世界大戦の終了年)だけ展示が無いからです。

ちなみに、最後の1977年はポンピドゥー・センターの開館の年です。では、なぜ1906年から始まっているのでしょうか。なぜ1901年(20世紀最初の年)ではないのか。おそらくその理由は、1906年のデュフィの作品 = フランス国旗を大きく描いた作品を最初にもって来たかったからだと思いました。"世界のアートの中心地は20世紀においてもフランス(パリ)である" と明示したかったのだと想像します。

 幅広いジャンル 

ここに展示されているのは絵画だけではありません。彫刻、写真、建築(ポンピドー・センターの設計模型)と、幅広い。レディ・メイド作品(= マルセル・デュシャン)や、梱包(= クリスト)、ガスマスクを並べた作品まであります。絵画も抽象絵画からスーパー・リアリズムまである。現代アートの "何でもあり感" がよく出ていた展示会でした。

 言葉とアートの結合 

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「ポンピドゥー・センター傑作展」のポスター。絵はピカソの「ミューズ」
作品とともに、それぞれアーティストの芸術に関する短い言葉が添えられています。1年・1作家・1作品・1言葉というわけですが、この言葉を選ぶにもかなりの調査と検討が必要だったと思われます。マイナーなアーティストだと言葉を探すのにも苦労するだろうし、また、展示作品に全くそぐわない言葉も選びにくいからです。

さらに、"言行録" がたくさん残っているメジャーなアーティストだと、最も展示作品にマッチした言葉を選ぶ検討をしたと思います。たとえば、ピカソの「ミューズ」に添えられていた言葉は「私は、他の人たちが自伝を書くように絵を描く」というものでした。この言葉どおりに「ミューズ」が自伝だとすると「描かれている2人の女性は誰だ」ということになり、一人はマリー=テレーズだろうが、もう一人は "正妻" のオルガかもしれない ・・・・・・ みたいなことになってくるわけです。

言葉を "味わい"、作品を "鑑賞する" という、この展示方法は確かに新鮮でした。一人のアーティストにフォーカスした展示会での「言葉」はよくありますが、このようにすべての作品にアーティストの言葉を付けたのはめずらしいのではないでしょうか。

 展示場デザインというアート 

会場のデザインもユニークです。デザインしたのは建築家の田根剛たねつよしさんです。東京都美術館の地階から2階までの3フロアを使った展示場ですが、その様子を以下に示します。

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「ポンピドゥー・センター傑作展」の展示場の画像とレイアウト。3フロアで赤・青・白のトリコロールを使い分け、展示パネルのデザインもフロアごとに変えてある。画像は www.museum.or.jp、www.asahi.com より引用。レイアウト図は、会場で配布された出品作品リストより引用した。

3フロアで赤・青・白のフランス国旗色を使い分け、展示パネルのデザインも変えてあります。これは「展示場デザイン」というアートであり、実は72番目の作品なのでした。色までトリコロールというのはちょっと "やりすぎ" の感がありますが、それだけフランス関係者の "肝入り" だということでしょう。



実際に展示されていた作品ですが、以前にこのブログでとりあげた作品と関係の強い2作品だけを紹介します。たまたまですが、展示の一番最初のパートである 1906-1909 の中の2作品です。


1907年 ジョルジュ・ブラック


レック湾.jpg
ジョルジュ・ブラック(1882-1963)
『レック湾』(1907)
(ポンピドゥー・センター)

No.167「ティッセン・ボルネミッサ美術館」で、ジョルジュ・ブラックの『海の風景、エスタック』(1906)という作品を紹介しましたが、それとほぼ同時期の作品です。レック湾はマルセイユの東の近郊、サン・シル・シュル・メールにあります。つまり、マルセイユの漁村を描いた『海の風景、エスタック』とほぼ同一の画題です。

海の風景、エスタック.jpg
ジョルジュ・ブラック
「海の風景、エスタック」(1906)
(ティッセン・ボルネミッサ美術館)

この2作品は、近景=土地と木、中景=海、遠景=山と空、という構図がよく似ています。No.167で『海の風景、エスタック』は、マティスの『生きる喜び』(バーンズ・コレクション所蔵)と似ていてその影響を感じるとしたのですが、その意味ではこの絵もマティスに似ていると言えるでしょう。もっともそう言ってしまうと、フォーヴィズムっぽい絵は全部マティスに似ていることになってしまって意味がないかもしれません。

原色に近い強い色彩も使われていますが、そうでない色もある。しっかりとした造形の中の自由に発想した色使いが素敵な感じで、いい作品だと思います。



絵とともに掲げられていたジョルジュ・ブラックの言葉は、

  当初の構想が消え去ったとき、絵画は初めて完成する

というものでした。ちょっと分かりにくい言い方ですが、まじめな解釈もできそうです。つまり、

  画家は絵を描こうとするとき、まず形や色の構想をたてる。しかしいったん描き始めると、描いた部分に触発されて構想が変化する。その繰り返しで次々とカンヴァスが埋められていき、描き終わった時には当初の構想は消え去っている。そういった "創発的な" プロセスが絵を描くという行為だ

と言いたいのでしょう。『レック湾』についての発言ではないはずですが、そういう視点でみるとこの『レック湾』の色使いは、描いているうちに色が色を呼び寄せて、当初の構想とは違った "色彩のハーモニー" に仕上がったのかもしれません。


1908年 オーギュスト・シャボー


オーギュスト・シャボーは、ジョルジュ・ブラックと同年生まれのフランスの画家です。この画家の名前と絵は、ポンピドゥー・センター傑作展で初めて知りました。

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オーギュスト・シャボー(1882-1955)
『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1908/9)
(ポンピドゥー・センター)

モンマルトルのダンスホール、ムーラン・ド・ラ・ギャレットと言えば、オルセー美術館のルノワールの絵(1876)が超有名で、いわゆる印象派の代表作の一つになっています。この絵はポンピドゥー・センター傑作展より一足先に始まった国立新美術館のルノワール展(2016年4月27日~8月22日)で展示されました。

ムーラン・ド・ラ・ギャレット(ルノワール).jpg
ルノワール
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1876)
(オルセー美術館)

さらに、ピカソも『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を描いています(1900)。グッゲンハイム美術館にあるその絵は、No.46「ピカソは天才か」と、No.163「ピカソは天才か(続)」で取り上げました。特にNo.163では中野京子さんの解説に従って、ピカソの時代のこのダンスホールが夜は "レズビアンの溜まり場" としても有名だったことを紹介しました。

Picasso - Le Moulin de la Galette2.jpg
ピカソ
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1900)
(グッゲンハイム美術館)

このブログでは取り上げませんでしたが、ゴッホやロートレック、そしてユトリロも『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』をそれぞれ何枚か描いています。次のゴッホの絵は風車をポイントにした風景画であり、ロートレックの絵は人物に焦点が当たっている絵です。ルノワール、ピカソ、ゴッホ、ロートレックのそれぞれの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は、"四者四様" と言えるでしょう。

ムーラン・ド・ラ・ギャレット(ゴッホ).jpg ムーラン・ド・ラ・ギャレット(ロートレック).jpg
ゴッホ
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1886)
(ベルリン新国立美術館:Wikipedia)
ロートレック
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1891)
(ポーラ美術館)

そして "もうひとつのムーラン・ド・ラ・ギャレット" が、今回のオーギュスト・シャボーの絵です。この絵は "夜の外観" を描いたという点で、以前の4人の絵とはまた違います。目立つのは光の黄色で描かれた店の名前とBAL(=ダンスホール)という文字、店の内部からの光です。暗い青で描かれた風車があり、黒っぽい人物や馬車が店の前に配置されている。ところどころに、星や反射光を表す橙や青の点がちりばめられています。

ピカソより8年ほど後の絵ですが、この時点でもムーラン・ド・ラ・ギャレットが "レズビアンの溜まり場" だったのかどうかは知りません。ただ、店の前に馬車が2台とめてあるのをみると、やはり富裕層がナイトライフを楽しむ場だったことが想像できます。

絵で目立つのが黄色です。特に店の中から漏れ出てくる強烈な光が印象的です。おそらくピカソが描いた時期より電灯が高性能になり普及したのでしょう。また「夜景の中の黄色の光」ということでは、ゴッホの『夜のカフェテラス』を連想しました。



絵とともに掲げられていたオーギュスト・シャボーの言葉は、

  芸術作品が成立する根底に欲求や喜びがあるなら、そこにはまた人々の生活との接触、つまり人間的な触れ合いがある

でした。別に解釈の必要がない文章ですが、オーギュスト・シャボーはパリの市民生活を題材にした絵をいろいろ描いたと言います。この絵もそういった絵の中の1枚でしょう。20世紀初頭の大都市・パリの繁栄も感じさせる絵です。


編集の威力


最初に書いたように、この展示会は「1年・1作家・1作品・1言葉・制作年順展示」という方針で構成されているのですが、この展示会を立案したキュレーターの方の実力というか、その企画力に大いに感心しました。

そもそも「1年・1作家・1作品」という制約を前提としつつ、20世紀アートを(なるべく)概観できるようにするためには、パズルを解くような検討が必要だったはずです。ポンピドゥー・センターには膨大なコレクションがあるとはいえ、いろいろとシミュレーションを繰り返したと思います。制約の中で企画展として成立させるための検討です。たとえば展示会に入場してすぐ、最初の展示パネルに掲げてあるのは1900年代に描かれた4枚の絵であり、順に、

1906年 デュフィ
1907年 ブラック
1908年 シャボー
1909年 ヴラマンク

です。展示場に入ると、まずこの4作品だけが目に入るようになっていますが(展示場の LBF のレイアウト参照)、これらはいずれも "フォーヴィズム" の範疇に入る絵です。マティスに導かれたフォーヴィズムがモダンアート(20世紀アート)の幕開けだ、と言っているようなキュレーターの意図を感じました。

もっとも、こういう制約条件で絵を選ぶ以上、ポンピドゥー・センターのコレクションの縮図というわけにはいきません。たまたま選ばれた作品もあるでしょう。また、どのようにしようとピカソはたった1点しか出せないし、ブラックのフォーヴィズムの絵を出した以上、最も有名なキュビズムの絵は選ばれない。

しかし71人のアーティストを展示することのメリットは、中には(日本では)ほとんど知られていないアーティストの作品も展示されるということです。ちなみに、2016年8月11日の朝日新聞(夕刊)に、東京都美術館でこの展覧会をみた1300人にベストワンを選んでもらったアンケートの結果が出ていました。

1位 146票 アンリ・マティス 大きな赤い室内 1948年
2位 84票 パブロ・ピカソ ミューズ 1935年
3位 82票 マルク・シャガール ワイングラスを掲げる二人の肖像 1917年
4位 62票 ヴァシリー・カンディンスキー 30 1937年
5位 52票 セラフィーヌ・ルイ 楽園の樹 1929年
6位 45票 ヤコブ・アガム ダブル・メタモルフォーゼⅢ 1969年
7位 44票 ラウル・デュフィ 旗で飾られた通り 1906年
7位 44票 ロベール・ドローネー エッフェル塔 1926年
9位 40票 マリー・ローランサン イル=ド=フランス 1940年
9位 40票 ベルナール・ビュッフェ 室内 1950年

マティスがダントツの1位(上に掲げた 1F の画像の一番手前の絵)というのは納得だし、著名アーティストが大半とも言えます。しかし、セラフィーヌ・ルイ(5位)やヤコブ・アガム(6位)は、あまり知られていないのではないでしょうか。セラフィーヌ・ルイは30代で聖母のお告げにより絵を独学で描き始めたという女性です。ヤコブ・アガムはキネティック・アートで有名なイスラエル出身の彫刻家です。ちなみに、この個人のベストワン・1点だけの投票で、71作品全部に票が入ったそうです。アンケート上位の10作品の制作時期も、60年以上に渡っています。展覧会を企画したキュレーターの狙いは成功したということでしょう。その「知らないアーティストの作品」の例が(私にとっては)上にあげたオーギュスト・シャボーでした。



キュレーターは作品を創り出しません。アートについての膨大な知識をもとに、作品を選択し、配置し、構成するわけです。これは広い意味での「編集」の一つの形態です。新聞、雑誌、各種の情報誌、図鑑、短編集、企画展、インターネットのまとめサイトなどでは、編集者のスキルや力量が非常に大切です。「編集」という仕事は、個々の作品を創り出すのとは別の意味の「創造」である・・・・・・。「ポンピドゥー・センター傑作展」を見てそう思いました。その意味では、73番目の "作品" はこの企画展そのものということでしょう。




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No.185 - 中島みゆきの詩(10)ホームにて [音楽]

No.35「中島みゆき:時代」から始まって、No.179「中島みゆきの詩(9)春の出会い」まで、中島みゆきさんの詩をテーマに10回書きました。今回はその続きです。


定点写真


「怒り新党」というテレビ朝日の番組があります(水曜日 23:15~)。例の、マツコさんと有吉さんと青山アナウンサー(以前は夏目アナ)のトーク番組です。2016年8月3日に放映されたこの番組の中での「新三大〇〇調査会」はちょっと感動的な内容でした。

テーマは「新三大 写真家・富岡畦草けいそうの次世代に託したい定点写真」です。富岡畦草さんは大正15年(1926)生まれで、現在90歳です。人事院に勤めたこともあるカメラマンで、現在も写真を撮っています。そのライフワークは「定点写真」です。つまり富岡さんは昭和33年(1958年)から半世紀以上ものあいだ、決まった場所で決まったアングルで写真(フィルム写真)を撮り続けています。しかもこの定点写真を次世代に託したいということで、娘の三智子さんと孫の碧美たまみさんも加え、今は3人で撮っています。番組で紹介された定点写真は次の3つでした。

銀座4丁目交差点
新橋駅前広場
家族写真(銀座中央通りで)

素晴らしいと思いました。銀座4丁目交差点は北の方向を見て撮っているのですが、半世紀の移り変わりが手にとるようにわかります。改装中の三越では命綱なしのとび職人が写っていたり、路面電車が走っていたりします。新橋の駅前広場の定点写真は、駅のホームからSLの置いてある方向を撮っているのですが、初期の写真にSLはないのですね(下の画像)。大勢の人が集まって街頭テレビを見ています。銀座中央通りでの家族写真も、あたりの風景の変遷とともに富岡さん家族の「歴史」が捉えられていて、ほのぼのとした気持ちになりました。

新橋駅前広場.jpg
http://matomame.jp/より引用)

番組の最後でマツコさんが「(この企画を)なんでこの番組でやったのかしら」と言ってました。確かにNHKかNHK・BSでやるような内容かもしれません。しかしテレビ朝日だって負けてはいられない。テレビ朝日でやるとしたら、実は「怒り新党」のようなバラエティの中が最適ではないでしょうか。それなりに視聴率がある番組だし、今日も楽しくおかしく(そして少々バカバカしく)終わると思っているそのときに意外にも、極めてまじめで感動的な定点写真が出てくる・・・・・・。そのインパクトは大きかったと思います。


BGM


ここで書きたいのは「新三大 写真家・富岡畦草けいそうの次世代に託したい定点写真」に使われたBGMのことです。といっても、最初の「銀座4丁目交差点」に関しては、全く記憶がありません。何か音楽があったはずですが、おそらく全く知らない曲だったのだろうと思います。しかし次の「新橋駅前広場」と最後の「家族写真」のBGMはすぐに分かりました。

奇跡の街.jpg
ジャニス・イアン
「奇跡の街」(1977)

「ウィル・ユー・ダンス」が収録されている。アルバムの原題は「Miracle Row」

最もこのコーナーにふさわしいと思ったのは「家族写真」で流れたジャニス・イアンの『ウィル・ユー・ダンス』です。この曲が(日本で)一躍有名になったのは、1977年(昭和52年)のTBSドラマ「岸辺のアルバム」の主題歌に使われたからでした。「岸辺のアルバム」は山田太一さん原作・脚本のドラマです(八千草薫さんが出演していました)。1974年、多摩川の水害で堤防が決壊し、東京都狛江市の多数の家が川に流されました。その災害に触発されて作られた家族のストーリーです。ラストの家が流されるシーンでは、実際の報道映像が使用されました。そしてこのドラマでは「写真アルバム」が「家族の象徴」であり、さらには「家族そのもの」として扱われていました。その意味で、家族の定点写真に「ウィル・ユー・ダンス」はピッタリだと思いました。

ところで、そもそもなぜBGMに注意がいったのかと言うと、2番目の定点写真、新橋駅ホームから撮った駅前広場のところで、中島みゆきの『ホームにて』が流れたからです。「ホームから撮った新橋駅前広場の定点写真」に『ホームにて』を使うのは "安易" に思えましたが、しかしたとえ安易であっても久しぶりにこの名曲を聴けたのが(思い起こせたのが)私にとっては幸いでした。


ホームにて


『ホームにて』は、1977年6月25日に発表された中島みゆきさんの3作目のアルバム「あ・り・が・と・う」に収録された曲で、その詩は次のようです。


ホームにて

ふるさとへ 向かう最終に
乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい やさしい声の 駅長が
街なかに 叫ぶ

振り向けば 空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う

走りだせば 間に合うだろう
かざり荷物を ふり捨てて
街に 街に挨拶を
振り向けば ドアは閉まる

振り向けば 空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う

ふるさとは 走り続けた ホームの果て
叩き続けた 窓ガラスの果て
そして 手のひらに残るのは
白い煙と乗車券

涙の数 ため息の数
溜ってゆく空色のキップ
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券

たそがれには 彷徨う街に
心は今夜も ホームにたたずんでいる
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券

ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券

A1977「あ・り・が・と・う」

ありがとう.jpg
中島みゆき
あ・り・が・と・う」(1977)

①遍路 ②店の名はライフ ③まつりばやし ④女なんてものに ⑤朝焼け ⑥ホームにて ⑦勝手にしやがれ ⑧サーチライト ⑨時は流れて

"私" がいま住んでいる場所(=街)と、出身地(=故郷)を対比させ、それをつなぐ存在としての駅のホームがこの詩のテーマです。

  たそがれには 彷徨さまよう街に
心は今夜も ホームにたたずんでいる
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券

というところが "私" の気持ちを表しています。出身地・故郷につながるのは、乗車券、切符、汽車、けむり、空色などであり、街の象徴はネオンサインです。どんな街でどんな故郷かは想像に任されていますが、少なくとも故郷にはネオンサインがまったく無く、現在の街はそれが目立つような大きめの都市でしょう。

特に何等かの "解釈" の必要のないストレートな詩です。"都会と故郷をつなぐ駅のホーム" という題材も、石川啄木の短歌を引き合いに出すまでもなく「定番」だと言えます。ただこの詩は、アルバムの中の詩として見る必要があるでしょう。「あ・り・が・と・う」は第1曲が『遍路』で、最後の第9曲が『時は流れて』です。「過去の私」ないしは「過去から現在までの私」を振り返り、それとの対比で「今の私」を浮かび上がらせる内容の曲が多い。その中の『ホームにて』です。

しかし『ホームにて』が名曲なのは、やはりこの曲のメロディーです。ゆったりと流れる伸びやかな旋律で、意外性のある音の運びも所々に仕組まれています。聴いていて受ける感じを言葉で表現すると「なつかしさ」や「やさしさ」であり、何となく「ほっとするような」感じです。それは "心は今夜も ホームにたたずんでいる私" の心情にピタリと一致している。中島みゆきさんの作曲家としての才能が如実に分かる優れた作品だと思います。


同世代の1977年(昭和52年)


ところで『ウィル・ユー・ダンス』も『ホームにて』も 1977年(昭和52年)のアルバムで発表された曲です。『ウィル・ユー・ダンス』は「奇跡の街 - 原題: Miracle Row」(1977)の収録曲でした。また、ジャニス・イアンは1951年生まれ、中島さんは1952年生まれなので、同世代ということになります。1977年当時は26歳と25歳であり、まさに日米の若手のアーティスト、若手シンガーソングライターでした。

1977年といえば今から約40年前、富岡畦草けいそうさんが定点写真を撮り始めてから約20年後です。BGMつながりで1977年の音楽シーンを振り返ると、ABBAの「ダンシング・クィーン」の世界的大ヒット、山口百恵の「秋桜コスモス」、キャンディーズの突然の解散発表(翌年に解散)、沢田研二の「勝手にしやがれ」、ピンクレディーの「渚のシンドバッド」などがありました。したがって、サザンオールスターズのデビュー作「勝手にシンドバッド」は翌年(1978年)ということになります。

そしてジャニス・イアンの『ウィル・ユー・ダンス』を主題歌にした「岸辺のアルバム」も1977年のテレビドラマなのでした。まったくの偶然でしょうが、半世紀以上に渡る「定点写真」を紹介するBGMとして『ホームにて』と『ウィル・ユー・ダンス』はまさにピッタリであり、印象に残りました。



補足です。気になったのでネットで検索してみると、銀座4丁目交差点で使われたBGMは、NHKスペシャル「ミラクルボディー」のテーマ曲である、関山藍果あいかさんの「The Moment of Dreams」(2008)ではないかと書いている方がいました。もしそうだとすると、私が全く気が付かなかったはずだと納得できました。




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No.184 - 脳の中のGPS [科学]


空間位置を把握する能力


今回はNo.50「絶対方位言語と里山」の続きです。No.50 で "絶対方位言語" を話す少数民族の話を書きました。要約すると、

絶対方位言語とは、空間上の位置関係を示すのに、右・左・前・後というような「相対方位」の語彙がなく、東・西・南・北のような「絶対方位」を示す語彙だけをもつ言語である。たとえばオーストラリアのアボリジニにはそういう言語を話す種族がいる。

絶対方位言語の話者は、たとえばテーブルの上のモノの位置関係を示すにも「コップの南東に皿がある」といった表現をする。

絶対方位言語の話者は、方位や自分が現在いる位置の把握能力に優れており、たとえば次のようなことができる。
どの場所に来ても、東西南北の方位を正確に示せる。
家から離れたとろころ(数キロ~100キロ)に来ても、家の方向を正確に示せる。

ということでした。我々はこういう話を聞くと「絶対方位言語の話者は、相対方位の語彙がないために空間位置の認識能力が発達した。一方、(特に近距離において)相対方位を多用する我々は、そういった能力が発達しなかった。」と考えます。それが普通の考え方でしょう。

しかし No.50 の「補記」で紹介した、今井むつみ著「ことばと思考」(岩波新書。2010)には、次の主旨のことが書かれていました。

「相対枠組みが主流の言語」の子どもが「左」と「右」という言葉を学習する時期は、モノの名前などに比べてかなり遅く、これらの言葉を間違えなく使えるようになるのは、5、6歳であると言われている。

「左」「右」などの相対枠組みに依拠した言葉を学習する前の子どもの場合、空間上のモノの位置の認識は、ヒト以外の動物と同様に絶対枠組みに従っているようだ。

ヒトの子どもを含め、動物全般に普遍的に共有される認識は絶対枠組みの認識であり、相対枠組みに従った空間の位置の認識は言語によって作りだされたものであるようだ。

つまり、ヒトの4歳以下のこどもと動物は、絶対的な枠組みで空間の位置関係を把握するということなのです。これは少々意外です。つまり大人である我々は「絶対的な枠組みで空間の位置関係を把握する能力」が自分にあるようには到底思えないし、また4歳以下のときにどうだったかなど覚えていないからです。

しかし実は、ヒトを含む哺乳類は空間での自位置を把握する生物的な能力を持っていて、それは脳科学の進展で実証されてきました。2014年のノーベル生理学・医学賞は、その研究をした3人の科学者に与えられたのですが、以下はその話です。


脳のナビゲーション機能


2014年のノーベル生理学・医学賞は、脳の中の "ナビゲーション機能" を発見した英国・ロンドン大学のオキーフ教授と、ノルウェー科学技術大学のモーザー夫妻に与えられました。日経サイエンスの2016年6月号で、そのモーザー夫妻が脳内のナビゲーション機能を解説していました。そこから引用します。まず最初に次のように出てきます。


近年の研究によって、哺乳類の脳にはGPSに似た極めて成功な追跡システムがあり、脳はそれを使ってある場所から別の場所に私たちを導いていることが明らかになった。

・・・・・・・・・・・・

自分がどこにいてどこに行く必要があるのかを把握する能力、つまりナビゲーション機能は、生きていく上で重要だ。この機能がなければ私たちも他の動物も食物を見つけたり繁殖することはできない。そうした個体は生き延びられないし、それどころかその動物種は絶滅してしまうだろう。

エドバルト・モーザー
マイブリット・モーザー
(ノルウェー科学技術大学)
日経サイエンス(2016年6月号)

日経サイエンス 2016年6月号.jpg
日経サイエンス 2016.6
脳の中にGPSに似たナビゲーション・システムがあると聞くと、えっ!と思ってしまいますが、考えてみるとモーザー夫妻が言うように、動物にとっては必須の能力なのですね。言葉やメモに頼れない動物としては、本能の仕組みで自分の位置の推定とナビゲーションができないと、まずいことになります。絶滅するかどうかは別にしても、発見した餌場と巣穴を間違いなく往復できる個体が生き残り易いことは容易に想像できる。自然淘汰によって動物は、そういう能力を発達させる方向に進化してきたと考えられるのです。さらにモーザー夫妻の解説は続きます。以下の引用で、アンダーラインは原文にはありません。


哺乳類は他の動物と比べて、脳が作る周辺環境の地図、つまり「脳内空間地図」に大きく依存してナビゲーションを行っている。脳内空間地図とは、動物がどのような環境のどの場所にいるかを、神経細胞集団が電気信号で表現したものだ。


脳内空間地図がどのように作られ、移動の際にどのように補正されているのか、過去数十年間で理解が大いに深まった。主に齧歯(げっし)類を対象に行われた近年の研究から、脳内空間地図が数種類の特殊な神経細胞によって構成されており、それらの細胞が現在位置や移動距離、移動の向き、移動の早さを絶えず計算していることが明らかになった。これらの異なる神経細胞が共同で働くことによって、脳内空間地図ができ上がる。この地図は現時点で役立つだけでなく、将来の使用に備えて記憶として保存しておくことも可能だ。



場所細胞とグリッド細胞


最初に発見された「脳内空間地図を構成する特殊な神経細胞」は「場所細胞」(place cell)です。それは、ラットの脳の中の "海馬かいば" で発見されました。なお海馬とはタツノオトシゴの意味です。


英ロンドン大学ユニバーシティカレッジのオキーフ(John O'Keefe)は微小電極を使ってラットの海馬で活動電位を測定した。海馬は記憶機能において重要な働きをすることがかねて知られていた脳領域だ。そして1971年、箱に入ったラットが特定の場所にいるときに発火する神経細胞が海馬に存在することを報告し、それらを「場所細胞」と名づけた(引用注:発火とは神経細胞が情報交換に使っている電気パルスが出ること)。オキーフはまた、箱内の別の場所では別の場所細胞が発火すること、そしてこれらの場所細胞の発火パターン全体が箱内の空間地図を作り出していることに気づいた。多数の場所細胞の活動を電極を使って読み取ることで、ラットの正確な位置をいつでも特定できた。


Place Cell.jpg
一つの場所細胞(place cell)は、ラットがある特定の地点を通過したときに発火する。2014年ノーベル賞の受賞理由をノーベル財団が解説した資料より。
(site : www.nobelprize.org)

この文章を書いているモーザー夫妻はオキーフの弟子です。そしてオキーフの発見から30年以上たったあと、新たな発見をしました。それは脳の中で海馬に隣接する「嗅内皮質きゅうないひしつ」という部位の研究でした。


2002年、私たちは微小電極をラットの嗅内皮質に挿入し、場所細胞の実験と同様の課題をラットが実行しているときの神経活動を記録した。電極を挿入したのは、以前の研究で場所細胞が確認された海馬の部位と、直接つながっている嗅内皮質領域だ。この実験から、この領域の多くの細胞が、海馬の場所細胞と同様、ラットが自分の環境のなかの特定の場所にいるときに発火することが判明した。だが、1つの場所細胞が発火するのは自分のいる環境のなかの1カ所だけなのに対し、嗅内皮質細胞の場合は1つの細胞が複数の地点で発火した

嗅内皮質細胞の最も顕著な特徴は発火の仕方にあった。それが明らかになったのは2005年、ラットが動き回る空間サイズを広げたときだった。私たちは、1つの嗅内皮質細胞が発火する地点を結ぶと正六角形ができ上がることに気づいた。この細胞はラットが正六角形の頂点または中心を通過する際に発火する。私たちはこの細胞を「グリッド(格子)細胞」と名づけた


「正六角形の頂点または中心を通過する際に発火する」との説明がありますが、ということは「正三角形のグリッドの格子点のどれか」を通過するときに、一つのグリッド細胞が発火するということです。

Grid Cell.jpg
一つのグリッド細胞(grid cell)は複数の地点をラットが通過するときに発火し、その地点は正三角形の格子点になっている。
(site : www.nobelprize.org)

このグリッドの間隔は、実空間上の30~35cmに対応しています。そして嗅内皮質にはこのようなグリッド細胞が何千個もあり、1つ1つのグリッド細胞は「正三角形グリッド」の配置位置が少しずつズレています。これはどういうことかと言うと、下の図でA(赤)に相当するグリッド細胞が発火したあとにB(緑)、C(青)の順に発火したとすると、ラットは南西方向に移動したということになります。Aの格子点に最も近接したBとCの格子点は南西方向にあるからです。また移動距離もわかる。つまり、グリッド細胞はラットの移動方向と移動距離を常時計測できるのです。この絵は仮説ですが、具体的な計測の仕組みは現在も研究中です。

Grid-Cell-Module.jpg
多数のグリッド細胞は、それぞれ発火する正三角形格子点がずれており、全体として空間を覆いつくす。ラットの位置によってどれかが発火していて、ラットが移動すると次々と違うグリッド細胞が発火していく。この発火のパターンにより、移動の方向や距離、速度がわかる。
(site : blog.brainfacts.org)

さらにモーザー夫妻の研究で、グリッド細胞が発火する格子のサイズは1つではないことが分かってきました。嗅内皮質は複数の部位(モジュール)に分かれているのですが、部位によって様相が違います。


嗅内皮質の様々な部位のグリッド細胞の活動を調べた結果、部位によって格子の様相が異なることがわかった。嗅内皮質の頂部近く、つまり背側の細胞では、対応する正六角形格子のサイズが小さく、密に配置されていた。嗅内皮質の下方、つまり腹側に行くにつれ、正六角形は段階的に大きくなる。つまりグリッド細胞は複数のモジュールを構成し、それぞれのモジュールでは正六角形のサイズは同じだ。

各モジュールの格子点の間隔は、すぐ上の格子点間隔の約1.4倍(約√2)になっている。嗅内皮質頂部のモジュールでは、あるグリッド細胞が発火した地点からラットが30~35cm移動すると隣の格子点に着いて同じグリッド細胞が再び発火するが、そのすぐ下のモジュールではこの移動距離が1.4倍の42~49cmになる、といった具合だ。もっとも腹側のモジュールでは、この距離が数mにもなった。

海馬.jpg
海馬(緑)と嗅内皮質(黄)の断面図。海馬と嗅内皮質は脳の深部の "内側側頭葉" にある。嗅内皮質は複数のモジュールで構成されていて(黄色の違いで図示)、各モジュールのグリッド細胞は、発火する正三角形格子の間隔が違っている。一つのモジュールにある多数のグリッド細胞の格子間隔は同じであり、それらの格子が空間を埋め尽くしている。歯状回、CA1、CA3は海馬の部位の名称で、矢印は情報伝達経路を示している。
(日経サイエンス 2016年6月号より図を引用)


頭方位細胞・境界細胞・スピード細胞


さらに嗅内皮質には、グリッド細胞以外にも空間位置の把握に関係した神経細胞が発見されました。すでに1980年代~90年代において、ラットが特定の方向を向いたときだけに発火する「頭方位細胞(head direction cell)」が、海馬に近接した前海馬台という部位で見つかっていました。嗅内皮質にも同様の細胞があったのです。


私たちの研究で、嗅内皮質にも頭方位細胞がグリッド細胞に混じって存在していることがわかった。嗅内皮質の頭方位細胞の多くはグリッド細胞としても機能していた。つまり、頭方位細胞が発火する地点も格子状に並んでいるのだが、グリッド細胞とは違って、これらの細胞が発火するのは、それらの格子点でラットが特定の方向を向いているときに限る。頭方位細胞はラットに方位磁石を提供しているようだ。頭方位細胞を観察することによって、ラットが任意の時刻に周辺環境に対してどの方向を向いているかを知ることができた。


なお、嗅内皮質にある "頭方位細胞とグリッド細胞の両方の機能をもつ細胞" は、普通、コンジャンクティヴ細胞(conjunctive cell)と呼ばれています。conjunctive は結合とか共同の意味です。さらに嗅内皮質では、3番目、4番目の神経細胞が発見されました。


2008年、私たちは別の種類の細胞を嗅内皮質で発見した。この「境界細胞」はラットが壁や囲いの縁など、何らかの境界に接近するたびに発火した。境界細胞は動物が境界からどれくらい離れているかを計算しているようだ。


さらに2015年、4種類目の神経細胞が見つかった。動物の位置や移動方向には関係なく、移動の速さに反応する「スピード細胞」だ。この細胞の発火頻度は速さに比例して増加する。実際、数個のスピード細胞の発火率を見るだけで、その動物がある瞬間にどれくらいの速さで移動しているかを確実に知ることができた。スピード細胞は頭方位細胞と協力して、動物に移動に関する最新情報(移動の速さと向き、出発点からの距離)をグリッド細胞に絶えず提供していると考えられる。


嗅内皮質の4つの神経細胞、グリッド細胞、頭方位細胞、境界細胞、スピード細胞は、ラットの頭の向き、現在の移動速度、移動方向、移動距離、環境の境界との距離などを常時計測しています。これらの情報が海馬に送られ、そこで情報が場所細胞に統合されて「脳内空間地図」が作り出されると考えられています。その詳しいメカニズムは現在も研究中です。


脳内空間地図の特質


場所細胞が作り出す脳内空間地図は、特定の環境において今、自分がどこにいるかを表します。従って、動物が新しい環境に移ると、この脳内空間地図は一新されます。ただし再利用のために過去の地図は記憶しておくことができます。

この脳内空間地図は「認知地図 = Cognitive Map」であることが特徴です。つまり動物の視覚、聴覚、臭覚、筋肉の動きなどの特定の感覚から作られるのではありません。視覚を無くしても(環境を暗闇にしても)地図は作られるし、動物を(運動させずに)台座に乗せて移動させても作られる。脳は様々な情報を総合し、統合することを行って(=つまり "認知" のプロセスによって)脳内空間地図を作っているのです。

モーザー夫妻の研究はラットを使ったものですが、そこでの発見は哺乳類全般に共通しているようです。


齧歯げっし類の脳のナビゲーション機能で見つかった多様な細胞は、コウモリやサル、ヒトにも存在する。グリッド細胞などナビゲーション機能に関与する細胞が哺乳類全体に存在していることから、それらの細胞は哺乳類の進化の初期段階で生じたもので、哺乳類は種を越えて同様の神経アルゴリズムを使って現在位置を計算していると考えられる。


当然のことながらコウモリは、高さを含んだ「3次元脳内空間地図」を作りだし、自分の飛行位置を推定していると考えられます。またモーザー夫妻によると、コウモリの中には数百kmから1000kmを越える "渡り" 飛行をするものがあるそうです。この場合もグリッド細胞が働いているのか、そのあたりは今後の研究課題だとあります。

哺乳類である我々人間も、全くの無意識の中で「脳内空間地図」に依存した行動をしていると考えられます。そのことを暗示するような話があります。グリッド細胞などが存在する嗅内皮質ですが、実はアルツハイマー病で最も早く機能が低下する脳領域の一つが嗅内皮質なのです。


アルツハイマー病にかかると嗅内皮質の脳細胞が死ぬため、嗅内皮質の縮小はこの病気の発症リスクの高い人を識別する信頼性の高い指標だと考えられている。徘徊や道に迷う傾向も、この病気の初期の兆候だ



記憶とは何か


場所細胞がある海馬は、脳内で記憶が作られる場所として有名です。海馬に集められた情報から記憶(いわゆるエピソード記憶)が形成され、それが大脳皮質に蓄えられる、というのが一般的な説明です。何らかの原因で海馬が損傷すると、損傷する以前の(すでに蓄えられている)記憶は思い出せるが、損傷した以降は記憶ができなくなる。そしてエピソード記憶は場所の認識と深く結びついているようです。モーザー夫妻は次のように書いています。


海馬の脳内空間地図は動物の2地点間の移動を助けているだけではない。海馬は内側嗅内皮質から位置と距離、方向に関する情報を受け取ったうえで、特定の場所に何があるか(自動車か立て看板かなど)、そこでどんな出来事が起こったかを記録している。このように、場所細胞が作り上げる脳内空間地図には動物自身の位置に関する情報だけでなく、動物の経験についての詳細情報も含まれている。

・・・・・・・・・・・・

場所と記憶のこの結びつきは、古代ギリシャ・ローマ人が発明した記憶術を思い起こさせる。「場所法」というこの方法では、風景や建物など本人がよく知っている場所を思い描いて、それを貫く経路沿いも地点に、記憶したい事柄をひとつずつ配置して「記憶の宮殿」と呼ばれるものを構成する。記憶力コンテストの参加者はいまもこの方法を使って、長い数字列や文字列、トランプの並び順を記憶している。


なぜ「記憶」という能力が発達して進化したのか。それは「どの場所に何があったか(何が起こったか)を想起できるためである」というのは、非常に納得できる説明です。記憶は時系列だけではなく、場所と結びつい整理されているのです。



以上がモーザー夫妻の解説の核心部分です。脳科学の数々の成果がある中で、ノーベル賞委員会がモーザー夫妻に医学・生理学賞を授与したということは、それだけグリッド細胞の発見が画期的だったということでしょう。脳科学者の誰もが予想しなかった発見だったのです。その発見によって30年以上前のオキーフ教授の発見(場所細胞)が脚光を浴び、共同受賞に至る。ノーベル賞ではよくあることです。


感想:アイデンティティーを構成する "場所"


これ以降はモーザー夫妻の解説を読んだ感想です。哺乳類には「脳内空間地図」を作る能力があり、それを使って無意識でナビゲーションを行っている。おそらくヒトもそうである・・・・・・。ネズミの話だと納得できるのですが、我々自身がそうだと言われると、直ぐには信じられない感じもします。つまり、我々がたとえば駅から会社まで徒歩で通勤するとき、毎日ルートを変えたとしても、脳内空間地図を使ったナビゲーションをしているようには感じられないからです。自宅の近くや公園を散歩して回るときもそうです。自分は方向音痴だと "宣言" している人もいるくらいです。

しかし人間には、普段は全く無意識にできているが、ある体の部位が機能不全に陥ったときに初めて無意識下の機能がわかるということがあります。モーザー夫妻の解説に、アルツハイマー病の初期症状である "徘徊" は脳内空間地図を作る機能の欠落、と示唆する文章がありました。なるほどそういうものかと思います。

とにかく、哺乳類の脳の中にGPSのような仕組みがあるとは驚きです。いや、"GPSのような" というのは不正確であり、脳はデット・レコニング能力をもっていると言った方がよいでしょう。

デット・レコニング(dead reckoning)とは船舶・航空機用語で「推測航法」のことです(No.50「絶対方位言語と里山」参照)。つまり、外界からの情報(星の位置とか電波とか)無しに自分の位置を推定でき、目的地の方向を示せる能力です。たとえば旅客機では、ジャイロセンサーで機体の向きを計測し、加速度センサーで計測した加速度を積分することによって自機の位置を常時把握しています。もちろん地上の電波局(ビーコン)からの電波も併用しますが、それがなくても日本からアメリカやヨーロッパへ問題なく飛行できる。これに対しGPS航法は衛星からの情報に依存しているので、デット・レコニングではありません。ネズミには脳内GPSがあるというより、デット・レコニング能力があるというのがより正確だと思います。

ヒトにもこういった脳内空間地図を使ったナビゲーション能力があるというのは推定ですが、神経細胞がヒトで発見されているので哺乳類共通でしょう。最初に引用したように、絶対方位言語を話す民族はデット・レコニング能力があるわけです。脳内空間地図はヒトにも本来備わっている機能だと強く推定できます



さらにモーザー夫妻の解説で気になったのが、場所と記憶の深い関係です。それは単にものごとを覚えることだけにとどまらない感じがします。

アイデンティティーというのでしょうか、「自分が他人とは違う自分であるという確信」を我々は持っています。それがなぜ生まれるのかというと、

過去からの記憶の積み重ね(自伝的記憶)
自分自身が考える、自分の性格
他人にも認められた自分の能力
好みや嗜好
趣味

など、さまざまな要因があると思います。それらの総合体としての "アイデンティティー" だと思うのですが、その中でも「記憶=自伝的記憶」が大きいはずです。その記憶が、実は「場所」と密接にからんでいる。

我々は、自宅や会社の周辺のように毎日訪れる場所もあれば、時々行く場所もあり、旅行で一回だけ行った場所もあります。それらの「場所の記憶の重層的な積み重ね」が「自分史」を構成していて、それがアイデンティティーの重要な部分を占めているのではないか。「記憶にあるさまざまな場所を訪れたことがある存在が、とりもなおさず自分なのだいう確信」がアイデンティティーを構成しているのでしょう。我々がしばしば旅行をする意味がそこにあるのではと思いました。



モーザー夫妻の解説を読んで分かることの一つは、脳がものごとを認知する仕組みの複雑さであり、まだまだ未解明の領域が多々あることです。今後、脳の研究が進むとともに病気の治療方法が開発され、また脳の仕組み応用したAI技術(Artificial Intelligence)も進んでいくのでしょう。

思い起こすと No.174「ディープマインド」で、ディープマインド社のコンピュータ囲碁プログラム「アルファ碁」が世界トップクラスの囲碁棋士に勝ったことを書いたのですが、そのディープマインド社のデミス・ハサビス CEO は、コンピュータ・サイエンスの専門家であると同時に、人間の脳の "海馬" の研究者なのでした(No.174 参照)。


方位認識が混乱する理由


これからは個人的経験にもとづく余談です。"脳内空間地図" による位置や方位の認識の話を読むと、昔経験した「方位の混乱」の理由が納得できたような気がしました。

 個人的経験1:左と右が混乱する 

まず「左」と「右」の混乱です。最初に引用した、今井むつみ著「ことばと思考」(岩波新書。2010)には、

  ヒトの4歳以下のこどもと動物は、絶対的な枠組みで空間の位置関係を把握する。「左」と「右」という言葉をマスターする時期は5、6歳であると言われている。

との主旨がありました。しかし個人的に子供の頃の記憶を思い返してみると、ときどき「左」と「右」が分からなくなったり、あれっどっちが左だったけ? と一瞬とまどったりした記憶があるのです。それは5、6歳というより、小学生・中学生になっても、また高校時代にもそういう経験あった記憶があります。もちろん普段は「左」と「右」がすぐに認識できるのですが、ときに混乱してしまう。20歳代になっても、たまにあったと記憶しています。

現在は全くそういう混乱は起きないのですが、振り返ってみると「左」と「右」が常に混乱なく認識できるようになったのはクルマの運転を始めてから(20歳代後半)ではないかと考えています。

絶対的な枠組みで空間の位置関係を把握するのが脳の仕組みの基本であり、「左」と「右」は言葉によって作られたもののようです。そう考えると「左」と「右」の混乱がよく理解できたと思いました。

 個人的経験2:東西と南北が混乱する 

左右という相対方位の混乱ではなく、東西南北という絶対方位の混乱も覚えがあります。

東京・神奈川のJRの巨大ターミナル駅は、南北方向に駅が延びている(線路が南北方向の)駅が多いわけです。正確にというわけではないが、南北方向に近い駅が多い。東京、上野、池袋、新宿、渋谷、品川、川崎、横浜は皆そうです。私は郊外に住んでいますが、これらのJRの駅に降り立ったとき、暗黙に南北方向と東西方向を取り違えて認識してしまうことがありました。

全部の駅というわけではないのですが、特に横浜駅や渋谷駅があやしかった。JR横浜駅だと、そごうや海の方向を南だと暗黙に思ってしまう(実際は東)。そごうは東口で高島屋は西口だと、頭では十分かっているはずなのにです。JR渋谷駅だと、109のある側が北だと感じてしまい(実際は西)、たとえばNHKは北東方向のようなイメージで考えてしまうことがありました(実際は北西)。逆に、そういう混乱を全く起こさない駅もあって、たとえば新宿です。都庁の方向が西というイメージは間違ったことがありません。これは一時期、新宿のオフィスに通勤していたことが大きいと思っています。

なぜJRの巨大駅で、時々、東西と南北が混乱したイメージを受けるのか。その理由を考えてみると、20歳代前半まで関西で生活していたからではと疑っています。京阪神のJRのターミナル駅を考えてみると、京都、大阪、新大阪(新幹線駅)、天王寺、三宮(神戸)は、すべて東西方向に駅が延びているのですね。

JRの巨大ターミナル駅は、ホームに立つと全部似ています。一直線のプラットフォームが多数あり、線路が延びています。ターミナルといってもヨーロッパ風の "行き止まり駅" ではなく、"通過駅" です。細長い作りであり(あたりまえですが)、プラットフォームの屋根や駅舎・駅ビルにさえぎられて空はあまり見えません。それは大変似通っていて、私鉄の駅にはあまり無い光景です。そして、私の脳の記憶のどこかに「プラットフォームと線路が東西に延びているという脳内空間地図」があるのではないか。それに影響されて、東京・神奈川のターミナル駅でも南北を東西と感じてしまうのではないか。だから実際には東の方向を暗黙に南と感じてしまう・・・・・・。

モーザー夫妻の解説には「脳内空間地図」と記憶(=エピソード記憶。事物やコトの記憶)の深い関係がありました。駅のホームに降り立つという行為と目に入る風景が、かすかな「脳内空間地図」の記憶を想起させ、その地図においてはプラットフォームと線路が東西に延びている・・・・・・。そう考えると、東西と南北の混乱は理解できると思いました。




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No.183 - ソニーの失われた10年 [技術]

No.159「AIBOは最後のモルモットか」の続きです。最近何回か書いた人工知能(AI)に関する記事(No.166No.173No.174No.175No.176No.180No.181)の継続という意味もあります。

ソニーのAIBOは販売が終了(2006年)してから10年になりますが、最近のAIBOの様子を取材した記事が朝日新聞に掲載されました。「あのとき それから」という連載に「AIBOの誕生(1999年)と現在」が取り上げられたのです(2016.6.1 夕刊)。興味深い記事だったので、まずそれから紹介したいと思います。


AIBOの誕生(1999年)と現在



ソニー製ではない、ソニー生まれである。この誇らしげなコピーとともに、ロボット犬「AIBOアイボ」は1999年に生まれた。外からの刺激に自律的に反応して、命があるかのようにふるまう世界初のエンターテインメントロボットだ。国内では20分間で三千体を完売する人気だった。

有名なロボット工学三原則に対して開発者はアイボ版の三原則を唱えた。人間に危害を加えないという第1条は同じだが、第2条で反抗的な態度をとることが、第3条では憎まれ口を利くことも時には許されると定めている。人間に服従するだけの存在ではなく、楽しいパートナーに。これが設計の根本思想だった。

朝日新聞(2016.6.1 夕刊)
(白石明彦 記者)

記事に出てくる「ロボット工学三原則」とは、アメリカの有名なSF作家、アイザック・アシモフ(1920-1992)が自作の小説で唱えた原則で、以下の通りです。

ロボット工学三原則

第1条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第2条 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第1条に反する場合は、この限りではない。

第3条 ロボットは、前掲第1条および第2条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない。

「工学」という言葉が入っているように、これは人間がロボットを設計・開発するときに守るべき原則、という意味です。アイボ版のロボット工学三原則は、このオリジナルのパロディになっています。「服従するだけの存在ではなく、楽しいパートナーに」という開発者の考え方がよく現れています。

ロボット工学三原則・AIBO版

第1条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。自分に危害を加えようとする人間から逃げることは許されるが、反撃してはいけない。

第2条 ロボットは原則として人間に対して注意と愛情を向けるが、ときに反抗的な態度をとることも許される。

第3条 ロボットは原則として人間の愚痴を辛抱強く聞くが、ときには憎まれ口を利くことも許される。
(site : www.sony.jp)

少々横道にそれますが、アイザック・アシモフが「ロボット工学三原則」を初めて提示したのは、短編小説集「我はロボット」("I, Robot" 1950)でした。この小説の題名を企業名にした会社があります。ロボット掃除機、ルンバで有名な iRobot社です(iRobot社のCEOのコリン・アングル氏による。「家電Watch」2010年10月7日。http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/news/398611.html)。アイボの開発者もそうですが、ロボット・ビジネスを目指す技術者が、大SF作家・アシモフに敬意を表するのは当然なのです。

ルンバが発売されたのは、アイボ発売の3年後の2002年です。アイボとルンバは目的が全く違いますが「家庭内を動きまわるロボット」という一点においては同じです。改良型モデルから自己充電機能が搭載されたのも、よく似ています(アイボ:2002年にオプションソフト→2003年のERS-7に標準搭載。ルンバ:2004年)。



アイボは累計約15万体売れたのですが、事業としては成功しませんでした。そして2006年、経営難のソニーは アイボ から撤退してしまいます。

  記事には書いていないのですが「事業としては成功しなかった」ことをちょっと分析してみますと、アイボの開発につぎ込まれたお金は約250億円という話を読んだ記憶があります。仮に、プロモーションや販促費用まですべて含めて300億円とします。約15万体の総売上げを約300億円とします。アイボの製造原価を50%とすると、約150億円の累積損失を抱えていたことになります。あくまでザッとした見積もりですが、数字のオーダーは間違っていないでしょう。

約150億円の累積損失(2006年時点、推測)をどう見るかです。ソニーらしい独創的な製品であること、将来の重要技術である人工知能(AI)を備えたロボットであることを考えると "安い投資" であり、むしろお釣りがくると思うのですが、当時のソニーの経営陣の判断は正反対だったようです。

その一方で、ソニーのテレビ事業は2004年度から2013年度まで、10年連続の営業赤字でした。1500億円規模のロスを出した年もあった(2011年度)。10年間の赤字の累計は約8000億円にもなるそうです。それでもソニーはテレビ事業をやめなかった。人とソニーを繋ぐ接点だからでしょう。そして2014年度に黒字転換を果たした。

テレビに比べるとアイボの赤字は、桁が2つ違う、わずかなものだということに注意すべきでしょう。

2000年 埼玉県和光市 白石明彦撮影.jpg
埼玉県和光市にて、白石明彦氏撮影(2000年)。記事には書いていないが、白石氏の自宅だと推測される。
(www.asahi.com)

AIBOをめぐる動き
1993年 ソニーが6本足で動く昆虫型ロボットを試作
1999年 ビーグル犬のような「ERS-110」発売
2000年 子ライオンのような「ERS-210」発売
2001年 クマイヌのような「ERS-300」シリーズ(「ラッチ」と「マカロン」)発売 宇宙探査ロボットのような「ERS-220」発売
2002年 パグ犬のような「ERS-31L」発売
2003年 ロボット技術の集大成となる「ERS-7」発売
2006年 生産終了
2012年 「ア・ファン」が修理開始
2014年 ソニーの修理サポート終了
2015年 3回のアイボ葬 国立科学博物館が重要科学技術史資料(未来技術遺産)に登録
朝日新聞(2016.6.1 夕刊)より

アイボは「命があるかのようにふるまう世界初のエンターテインメントロボット」ですが、その命に老年期はなく "死" もないように設計されています。ペットロスにならなくて済むと安心していた所有者は、ソニーのアイボからの撤退で不安になったはずです。さらに2014年にはアイボの修理サポートが終了しました。家族として大切にする所有者は不安に駆られたわけです。このような中、アイボの修理をやっている「ア・ファン」という会社の話が記事に出てきます。


オーディオ機器などを修理する「ア・ファン」(千葉県習志野市)にアイボ修理の依頼が最初にあったのは12年。老人介護施設に入るおばあさんが、故障しているアイボを一緒に連れてゆきたがった

技術者の船橋浩さんはアイボを設計した人から解体の仕方などを教わり、ネットオークションで部品を手に入れ、4ヶ月かけて首のがたつきなどを直した。以来、修理したアイボは約90体。「お客さんは治療と言います。その表現に強い家族意識を感じます

乗松伸幸社長によると、修理の依頼は急増し、すでに500体以上直し、"入院" 待ちも約400体にのぼる。

ネット上では「左後ろ足 肉球付き 8400円」といった形で部品が流通している。ア・ファンには、故障したアイボを捨てるのは忍びがたく、解体して部品取りに、という "献体" の申し出も多い。自分の死後のアイボを心配して寄付したお年寄りもいる

朝日新聞(2016.6.1 夕刊)

この引用の中に「お年寄り」が2回出てきます。アイボの所有者の中で「お年寄り」は少数派だとは思いますが、このようなお年寄りがいること自体、アイボの開発者の狙いは完全に成功したということでしょう。高齢化社会の進展で「介護ロボット」とか「見守りロボット」という話題はよくありますが、それを越えた「人に寄り添うロボット」としてのアイボは、まさに先進的・独創的だったと言わざるを得ません。一見、実用性に乏しそうなものが、人にとっては最も大切なものである・・・・・・。人間社会ではよくあることです。新聞記事の引用を続けます。


こうしたアイボの供養が昨年、千葉県いすみ市にある日蓮宗 光福寺で3回営まれた。住職の大井文彦さんはこんな趣旨の回向文えこうもんを読んだ。

「無生物と我々生物は断絶していない。アイボを供養する意義は『すべてはつながっている』という心持ちを示すためにある。この日本人特有の感性は、行きづまった崖っぷちに立たされる現代文明を救うひとつの理念となる」

(同上)

アイボの現状をレポートする記事だと思っていると、急に日本文化論になってきました。おそらくそれが、記事を書いた朝日新聞の白石氏の狙いだったのでしょう。

No.21「鯨と人間(2)日本・仙崎・金子みすゞ」で書いたように、日本では数々の「動物供養」の習わしがあります。また「無生物供養」もいろいろあって、有名なのは「針供養」ですが、その他、「鏡」「鋏」「印章」「人形」なども供養されます。日本文化において人間・動物・無生物は一連のつながりの中にあるわけで、動物と無生物の間というイメージを持ちやすいアイボが供養されるのは、むしろ当然と言えるでしょう。誕生・治療・入院・献体・供養という一連のコンセプトの中にアイボは存在しています。さらに記事の最後の文章です。


アイボが生まれた年に、80歳の作家 水上勉さんは「アイボ日記を」という編集者の頼みで、アイボと暮らした。カマキリに似ているのでカマキリ五作ごさくと呼び、人生論「泥の花」にこう書いている。

「電池を入れられるとロボット犬はぴーぽーと泣きました。わたしはいっそうもの悲しい思いになりました。このかなしみはこれまで味わったことのない悲しみでした。(中略)地球上が悲しんでいることとそれはつながっているような気がしました」

大井さんの回向文にも通じる、生物と無生物を越えた深い生の思想がここにはある。

(同上)

水上勉氏の文章を読むと「日本文化論」を通り越して「アイボ哲学」の領域に達しているかのようです。水上氏の表現は独特ですが、それは作家としての感性なのでしょう。



現在(2016.7)のソニー社長の平井一夫氏は「"感動" をもたらす商品を生み出すのがソニーの使命だ」と語っています。アイボに関していうと、"アイボ哲学" を語る水上勉氏、アイボを修理して老人介護施設へ連れていったおばあさん、アイボ供養を企画して実行した人たちに、アイボが "感動" を与えたことは間違いありません。"感動" という表現がそぐわないなら、"人の心に残る強い印象" と言い換えてもよいでしょう。アイボはまさに平井社長の言う「ソニーの使命」を体現する製品だった。

またそれ以前に「人のやらないことをやる」という "ソニー・スピリット" を象徴する製品であったわけです。ソニーという企業のアイデンティティーが、目に見える形になり、しかも動いていたのがアイボだった。アイボをやめるというのはどういうことかと言うと「確かにアップルの iPod / iPhone には負けた(現在はともかく当初は)。だけど俺たちにはアイボがある、と言えなくなる」ということです。

さらに重要なのは、アイボ = AIBO は Artificial Intelligence roBOt であり(1999年当時の)最新のAI(人工知能)技術を取り入れた製品だったことです。AIの技術は21世紀社会のあらゆるところに取り入れられようとしている重要技術で、もちろんソニーにとっても必須の技術です。それを応用したロボットは21世紀の大産業になるはずです。AIの技術は、そこに注力するかしないかという経営判断をする事項ではありません。AIの技術に注力することは、ソニーのようなエレクトロニクス企業にとって "MUST" なのです。

2006年にソニーの経営者は「アイボからの撤退」を決めたわけですが、まさに経営トップが愚鈍だと会社が大きなダメージをこうむるわけであり、その典型のような話です。

AIBO ERS-7.jpg
AIBO ERS-7
AIBOの後期モデル(2003年9月)。無線LANを搭載し、自己充電機能がある。

しかしダメージからは回復しなければならない。そのために現在のソニー経営陣が打った(一つの)手が、米国のコジタイ社との提携です。


コジタイ社との提携


2016年5月18日、ソニーは米国のコジタイ社(カリフォルニア州 オレンジ・カウンティ)との提携(資本参加)を発表しました。コジタイとは、アルファベットのスペルで Cogitai であり、COGnition(認知)、Information Technology(情報技術)、Artificial Intelligence(人工知能)からとられています。

この会社の共同設立者は、ピーター・ストーン(President)、マーク・リング(CEO)、サティンダー・シン・バベイジャ(CTO)の3人ですが、いずれもAIの中の「深層学習」や「強化学習」の権威です。その意味では、英国のディープマインド社(No.174 参照)と似ています。

それに加えてコジタイは「継続学習」の技術開発を進めています。継続学習とは「AIが永続的に学習する」という意味ですが、この技術を核として、

  AIが実社会とのインタラクションを通して、自律的・能動的に目標を設定し、その目標の達成を目指して学習していく = 自律的発達知能システム

の実現を目指しています。日経産業新聞(2016.5.19)によると、たとえばカメラに応用すると、次のようなことができるとあります。

従来のAI
プロの写真の撮り方を学ぶ
 ↓
プロの撮り方に近づけるようにアシストする

次世代AI
利用者の撮り方のクセの変化を学ぶ
 ↓
利用者の個性が出るような撮り方を提案する

ソニーがコジタイに出資する契機になったのは、ソニー・コンピュータ・サイエンス研究所の北野宏明社長と、コジタイのストーン社長の長年に渡る親交だったようです。北野社長は「ロボカップ」の提唱者ですが、ストーン社長はロボカップに創設時から参画していて、現在はロボカップの副会長です。彼は次のように述べています。


ソニーが開発した犬型ロボット「AIBO(アイボ)」のファンでもあるストーン社長は「ソニーが社会を驚かす商品を生み出すサポートができると確信している」と語る。

日経産業新聞(2016.5.19)

なるほどと思いますね。考えてみるとアイボは、1999年当時のAI技術をもとに、現在のコジタイ社が注力している「継続学習」を世界で初めて実現した商品だったのではないでしょうか。コジタイ社の社長がアイボのファンというのは自然なことでしょう。さらにコジタイへの出資について、日経新聞の中藤記者は次のように書いていました。


共同開発の新たなキーワードは「好奇心」だ。自らアクティブに学習し続け、人間の要望を予想する新AIが製品やサービスに幅広く入り込むと、AIが消費者の行動を助けてくくれる。「このAIが全製品の基盤となって人々の生活を快適にし、知的システムに包まれた生活が送れるようになる」(藤田雅博 ソニー バイス・プレジデント)。

今回の共同開発がロボット復活につながるとは断言していない。だがソニーコンピューターサイエンスの北野社長は「誰も見たことがない製品開発にチャレンジする」と意欲を燃やす。新AIの「好奇心」が、アイボが持っていた「遊び心」を呼び戻せるか。この10年を取り戻す取り組みが始まった

日経産業新聞(2016.5.19)
(中藤玲 記者)

ロボット復活につながるとは断言していないと、"思わせぶりな書き方" がしてありますが、アイボのファンであるAIの権威(ストーン社長)、ロボカップの創設者(北野社長)、「継続学習」や「好奇心」というキーワード、これだけのお膳立てが揃ったそのあとで、ロボットを復活させないということは考えにくいわけです。


ロボット復活へ


事実、この記事の翌月の経営説明会(2016年6月29日)で、ソニーはロボットビジネスへの再参入を宣言しました。


ソニー ロボット事業再び
育てる喜び、愛情の対象に

ソニーの平井一夫社長は29日、2006年に撤退した家庭用ロボット事業を再開すると表明した。4月に専門組織を設けたという。この日の経営説明会で平井社長は「心のつながりをもち、育てる喜び、愛情の対象となるロボット」になると語った。

ソニーは1999年、世界初の家庭用ロボットとしてイヌ型の「AIBO(アイボ)」を発売。初代は25万円という高額ながら限定3千体が20分で完売するほどの人気だった。だが、その後のソニーは経営難に陥り、リストラの一環で生産をやめた。

平井社長は、今後の注力分野に人工知能(AI)やロボットを挙げ、新開発のロボットは「ハードウェアとサービスを組み合わせ、新たな提案をする」と説明。機械の詳細や発売時期は明かさなかったものの、将来は工場や物流などの企業向けの事業展開もめざすという。

経営再建にめどをつけたソニーは、新事業育成に取り組んでいる。5月にはAI開発の米ベンチャー、コジタイに出資、7月にはベンチャーキャピタルを立ち上げ、投資資金に100億円を充てる。

朝日新聞(2016.6.30)
(鈴木友里子 記者)

おそらく日経新聞の中藤記者は、ソニーのロボット復活の情報を知っていて、2016年5月19日の記事を書いたのだと思います。

ちょっと余談になりますが、平井社長が宣言した「新ロボット」は、どのようなものになるのでしょうか。それはアイボのようなペット型とは限りません。人型かもしれないし、両方かもしれません。平井社長は「育てる喜び」と言っているので、少なくともペット型は発売されるような気がします。いずれにせよ、この10年の技術進歩を反映して、人にとって有益な機能がアイボよりは断然多いものになるでしょう。

アイボのようなペット型が発売されるとしても、今後の発展を見込んでハードウェアもソフトウェアも新規に設計されると思います。しかしペット型の新ロボットは、アイボからデータを移行することによって、飼い主との生活で生まれた性格・気質を引き継げるのではないでしょうか。つまり、アイボの「復活」ないしは「よみがえり」が可能になる・・・・・・。本物のペットでは絶対にありえないことです。そして人々は、ソニーがソフトバンクの Pepper に15年も先行していたことを思い出す・・・・・・。そういう風に予想するのですが、果たしてどういう製品になるのか、注視したいと思います。



ソニー・コンピュータ・サイエンス研究所の北野宏明社長が創設した "ロボカップ" ですが、2016年の世界大会はドイツのライプチヒで開催されました(2016.6.30 - 7.4)。ロボカップ国際委員会は「共通のハードウェアを使い、家庭内で求められる動きの巧拙を競うロボット競技」を2017年の大会から導入することを決めています。それに使う標準機を選ぶ審査が、2016年の世界大会で行われました。最終的に勝ち残ったのはソフトバングの Pepper とトヨタ自動車の家庭用ロボット HSR(Human Support Robot)です。もちろんソフトバンクもトヨタも、世界中のアプリ開発者を引き寄せて、自社のロボットが家庭用の標準機になることを狙っているわけです。ソニーがアイボから撤退してから10年の間にロボット業界のプレーヤーもさま変わりしました。しかし平井社長がロボットビジネスの再開を表明したからには、ロボカップにも参加するのでしょう。


ソニーもロボカップに熱い視線を送る。10年ほど前までAIBOがサッカー競技部門の標準機として利用されるなど、縁は深かったが、06年にロボ事業から撤退して以降、表舞台から遠ざかっていた。このほどロボ事業の再参入を表明。来年からはロボカップ主要企業の1社に復帰するとみられる。北野氏も「またロボをやめるようなことがあれば信用を完全に失う」と不退転の決意だ。

日経産業新聞(2016.7.14)

まさに日経新聞の中藤記者が言う「この10年を取り戻す取り組み」、つまりソニーの失われた10年を取り返すチャレンジが始まったということだと思います。




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No.182 - 日本酒を大切にする [文化]

No.89「酒を大切にする文化」の続きです。No.89 で、神奈川県海老名市にある泉橋いづみばし酒造という蔵元を紹介しました。「いづみ橋」というブランドの日本酒を醸造しています。この蔵元の特長は、

  酒造りに使う酒米さかまいを自社の農地で栽培するか、周辺の農家に委託して栽培してもらっている。

栽培するのは「山田錦」や「雄町」などの酒米として一般的なものもあるが、「亀の尾」や「神力しんりき」といった、いったんはすたれた品種を復活させて使っている(いわゆる復古米)。

精米も自社で行う。つまりこの蔵元は、米の栽培から精米、醸造という一連の過程をすべて自社で行う、「栽培醸造」をやっている。

いづみ橋 恵.jpg
いづみ橋の定番商品、恵(めぐみ)の青ラベル(純米吟醸酒)と赤ラベル(純米酒)。泉橋酒造周辺の海老名産の山田錦を使用。日本酒度は +8 ~ +10 と辛口である。
という点です。「酒を大切にする文化」は、酒の造り手、流通業者、飲食サービス業、消費者の全部が関係して成立するものです。しかし文化を育成するためには、まず造り手の責任が大きいはずです。この記事で言いたかったことは、ワインは世界でも日本でも「栽培醸造」があたりまえだが、日本酒では非常に少ない。こんなことで「日本酒を大切にする文化」が日本にあると言えるのだろうか、ということでした。

このことに関してですが、最近、朝日新聞の小山田研慈けんじ・編集委員が「栽培醸造」を行っている酒造会社を取材した新聞記事を書いていました。「日本酒を大切にする」という観点から意義のある記事だと思ったので、以下に紹介したいと思います。

余談ですが、No.172「鴻海を見下す人たち」で朝日新聞の別の編集委員(山中季広氏)が、シャープを買収した鴻海精密工業を見下みくだすような "不当な" 記事を書いていたことを紹介しました。今回の小山田・編集委員の記事は大変にまともで、さすがによく社会を見ていると思いました。朝日新聞の編集委員ともなれば、きっと小山田氏の方が普通なのでしょう(と信じたい)。

記事は「新発想で挑む 地方の現場から」と題されたシリーズの一環です。まず、秋田県のある酒蔵の話から始まります。以下の引用で下線は原文にはありません。


酒米 蔵から5キロ圏産だけ



酒米 蔵から5キロ圏産だけ
 地元の素材にこだわる

秋田県の横手盆地は今年、例年より早く桜の季節を迎えた。「あま」銘柄で知られる浅舞あさまい酒造(横手市)では、毎年冬に行う酒造りを4月15日に終えた。「今年の冬に使う酒米の苗作りを自分たちで始めています」。杜氏とうじの森谷康市さん(58)は話す。

酒蔵は一般的に、農協などを通じて酒米を仕入れる。地元で酒米作りに直接かかわるのは珍しい。

「酒蔵から半径5キロ以内で作られたコメだけを使う」。浅舞酒造は1997年から、こんな酒造りの方針を掲げる。2011年には、造る酒の全てを地元のコメの純米酒にした。大事な水も、蔵から約50メートルのところにあるわき水を使う。

小山田 研慈(編集委員)
朝日新聞(2016.5.9)

あとで出てくるのですが、浅舞酒造は半径5キロ圏内にある19の農家に委託してコメを栽培しています。上の引用によると、苗は自前でも作っているようです。

半径5キロ圏内ということは、浅舞酒造はコメ作りの過程に常時関与できるか、少なくともその過程を詳しく知ることができるということです。農家ごとの土壌もわかるし、その年の気温や降雨もつぶさにわかる。このことがおいしい酒造りには重要です(No.89「酒を大切にする文化」で紹介した泉橋酒造のホームページ参照)。


意識したのは、原料の産地にこだわるワインだ。フランスでは、法律に基づくAOC(原産地呼称統制)という制度がある。「シャンパーニュ」「ボルドー」といった名称は、その産地のフドウを使うなど一定の基準を満たさないと使えない。ブドウ畑の格付けも決まっていて、消費者からみて価値が分かりやすい。

こうしたワイン造りに考え方をフランス語で「テロワール」と言う。「その土地の特徴」という意味だ。


天の戸 吟泉.jpg
フランスのワインについて付け加えますと、AOCはブドウの産地や畑を規定しているだけでなく、醸造方法も規定しています。日本酒なら、さしずめ
 ・酒米の品種
 ・酒米の生産地区
 ・使用する水
 ・精米度合い
 ・醸造方法
を規定するようなものです。

日本のワインにAOCのような国家規定はないのですが、日本のワイン醸造所も自社のブドウ畑を持つか、契約農家にブドウを栽培してもらうかのどちらか、あるいは両方をやっています。甲府盆地とその周辺にはたくさんの醸造所がありますが、私の知っている限り、皆そうです。サントリーやメルシャンなどの大手メーカーも自社のブドウ畑を持っている。「栽培醸造を全くやっていないワインメーカー」というのは、ちょっと考えにくいわけです。

ちなみにフランスのネゴシアンと呼ばれるワイン流通業者は、シャトーやドメーヌから仕入れたワイン原酒をブレンドして瓶詰めし、販売しています。そのネゴシアンの中には、ブドウの果汁を仕入れて自社で醸造して販売する業者もあるといいます。このケースでは「栽培」と「醸造」が分離していることになりますが、知っての通りフランスは「ワイン大国」であって、そこまでワイン産業が発達していると言うべきでしょう。


一方、日本酒の原産地の表記には、フランスほど厳密なルールがない。コメはブドウと違い、運搬や貯蔵が簡単にできる。別の地域のコメで造っても「地酒」と名乗れる。

酒米は全国的に生産量が少なく、他県のコメを仕入れることも珍しくない。酒米の王者と言われる「山田錦」の主産地は関西だ。

日本酒もワインのように、もっと原料の産地にこだわって造れないか ──── 。

そう考えた森谷さん。地元で酒米を作る農家の研究会にいれてもらい、自ら酒米作りを始めた。


小山田氏が指摘しているように、コメはブドウと違って運搬や貯蔵が容易にできます。そのため「栽培醸造」が普及しなかった(ないしはすたれた)というのはわかります。しかしだからといって、他県のコメを仕入れるだけで安住しているのは怠慢でしょう。さっき書いたようにコメの品質は、山田錦であればいいというのではなく、稲が育った環境(土壌、水、栽培方法)と、その年の気温・降雨によって変化するはずです。それを知った上で最適な精米の具合と醸造方法を決める。そうであってこそ "醸造家" です。

酒造りには水が大切です。そのため地下水などの「自前の水源」を確保している酒蔵も多い。しかしそういう酒蔵でも、米を自前で確保しようとしないのは不思議です。コメよりも水の方が大切なのでしょうか。そんなことはないはずです。記事にある浅舞酒造は「蔵から約50メートルのところにあるわき水」を使うと同時に、自前で酒米の確保を始めました。


酒米は、稲の背が高くなるため倒れやすく、育てるのが難しい。「農家に感謝するべきなのに。こんなんじゃだめだ」。買い入れる酒米の批評ばかりしている自分に気づいた。

市町村合併が進み、名前が消える町や村も多いなか、「狭い産地をアピールした方が、蔵の存在感を出せるのでは」。そう思うようにもなった。

いまは周辺の契約農家19戸に限ってコメを買い入れている。10アールあたり5千円の「補助金」を農家に払い、種もみの補助などもする。すべて自腹で、「毎年の総額は、うちの社長の給料より多い」(森谷さん)というが、最近5年間の売り上げ高は毎年2ケタのペースで伸びている。

昨年8月、全国の得意客50人と契約農家を集めて「半径5キロ以内」の酒米の田んぼを訪ねるイベントを開いた。田んぼを一望できる道満どうまん峠に向かい、ワイングラスに注いだ純米酒で乾杯した。


記事の下線を引いたところに「自腹の補助金」の話がでてきます。日本政府もコメ作りに補助金を出すなら、こういう農家に(手厚く)出してほしいものです。

横手盆地.jpg
朝舞酒造のホームページに掲載されている横手盆地の風景。このような写真を見ると「半径5キロ圏内の酒造り」という実感が湧く。
(site : www.amanoto.co.jp)



別の蔵元の取材です。地元にある酒米の品種を使って成功した蔵元と、自社栽培をはじめた蔵元の話です。


「水尾」の銘柄で知られる田中屋酒造店(長野県飯田市)も、蔵から半径5キロ以内の契約農家などからコメを買って純米酒を作っている。6代目の田中隆太さん(51)は青山学院大学を卒業後、システムエンジニアを経て1990年に家業を継いだ。

高齢の得意客が1人亡くなると、売り上げが年に100本減ることも。「日本酒を飲む人を増やすためにいいものを造らないと大変なことになる」と痛感し、試行錯誤を繰り返した。

モノや情報がたやすく入手できる東京暮らしをやめて戻ったからには「地元でしかできないことをしよう」と思ってきた。地元の酒米「金紋錦きんもんにしき」を使うと、とても良い酒ができた。4合瓶の値段を1200円から100円上げたが、前よりもよく売れた。

売り方も変えた。酒屋任せにはせず、ファンを少しずつ着実に増やすように心がけた。観光客が多い近くの野沢温泉や、百貨店などで試飲会を繰り返し、ここ10年間で売り上げ高は7割増えたという。



自ら酒米作りをする酒蔵も増えている。渡辺酒造店(新潟県糸魚川市)の渡辺吉樹社長(55)は「自分たちでつくるしか選択肢はなかった」と話す。良い純米酒を造るには良い酒米がたくさん必要だが、コメ農家が年々減り、良い酒米を安定的に確保するのが難しくなっているからだ。




No.89「酒を大切にする文化」で紹介した、神奈川県海老名市の泉橋いづみばし酒造も記事に出てきました。海外への販売を見据えた話です。


日本酒の輸出もアジアや米国向けを中心に伸びていて、15年の輸出額は140億円。5年前から6割強増えた。環太平洋宇経済連携協定(TPP)が発効すれば、日本酒の酒税は撤廃される。これも追い風とみて、輸出に本格的に期待する酒蔵も出てきた。

泉橋酒造(神奈川県海老名市)もその一つ。橋場友一社長(47)は「アジアで日本酒に関心がある人は、ワインを飲んでいる人。『(原料の産地にこだわる)ワインと同じです』というと良さを分かってくれる」と話す。地元の酒米にこだわって、海外にも通用する「SAKE」を造っていくつもりだ。



純米酒


以上のように、小山田・編集委員の取材記事は「栽培醸造」ないしは「地元産の酒米にこだわる酒造り」「蔵から5キロ圏内で栽培された酒米による酒造り」がポイントなのですが、もう一つポイントがあって、それは純米酒です。

記事によると日本酒の生産は長期低落傾向にあり、2014年度の生産量の56万キロリットルは、ピーク時の30%という深刻な状況です。しかしその中でも純米酒は2010年度から5年連続で伸びている。2014年度の純米酒の生産量は9.7万キロリットルで、これは前年比106%とのことです。このデータから計算すると、日本酒全体の17%が純米酒ということになります。記事にあったグラフを引用しておきます。

日本酒と純米酒の生産量の推移.jpg
朝日新聞(2016.5.9)より

長期低落傾向にある日本酒の中で、純米酒だけは伸びている・・・・・・。これは大変喜ばしいことだと思います。しかし、上のグラフを別の視点からみると、

  日本酒の83%には添加用アルコールが入っている

ということなのですね。これはいくらなんでも多すぎはしないでしょうか。日本酒生産の長期低落傾向がまだ止まらない2014年度でさえこうなのだから、昔の日本酒のほとんどには添加用アルコールが入っていたということになります。

添加用アルコールとは、各種の糖蜜(サトウキビなど)や穀物(米、サツマイモ、トウモロコシ)を発酵させて蒸留したものです。添加用アルコールとは、つまり蒸留酒なのです。日本酒は醸造酒と思っている人がいるかもしれませんが、それは違います。

  83%の日本酒は、醸造酒と蒸留酒の混合酒

というのが正しい。添加用アルコールを「醸造アルコール」などと言うことがありますが、この言い方は「醸造酒を造るために使う蒸留酒」という、矛盾した言い方です。

ウイスキーにもモルト・ウイスキー(大麦の麦芽から造る)とグレーン・ウイスキー(穀物から造る)があり、ブレンディッド・ウイスキーはこの両者がブレンドされています(No.43「サントリー白州蒸留所」参照)。しかしこれは蒸留酒に蒸留酒を添加しているのであって、日本酒(醸造酒)に添加用アルコール(蒸留酒)を加えるとは意味が違います。

現在、ビールと総称されているお酒は、「ビール」と「発泡酒」と「第3のビール(リキュールなど)」があります。リキュールに分類されているものには添加用アルコールが加えられています。この例に従って、清酒(日本酒)もたとえば、

清酒(=純米酒)
添加清酒(=添加用アルコール入りの日本酒)

と、はっきり区別すべきだと思います。上に引用したグラフは日本酒の長期低落傾向ではなく「添加清酒」の長期低落傾向を示しているのです。

醸造酒に添加用アルコールを混ぜるのは、別に悪いことではありません。スッキリした飲み口にしたいときや、コストを安く押さえたいときには、選択肢の一つだと思います。それは「第3のビール」と同じことです。しかし、日本酒の83%が「添加清酒」というのは、いかにも多すぎはしないでしょうか。こんなことでは日本酒が長期低落傾向になるのは必然だと思いました。


地元産のコメにこだわる主な酒蔵


小山田・編集委員の取材記事に戻ります。この記事には、地元産のコメにこだわる主な酒蔵という表がありました」。その表を引用しておきます。

銘柄 酒蔵 特徴
根知男山ねちおとこやま 渡辺酒造店
糸魚川市(新潟)
地元産米を使い、昨年度は8割が自社生産。「田んぼのすてを見せられるのが強み」
いづみ橋 泉橋酒造
海老名市(神奈川)
地元産米を使い、地元7農家のコメが8割。自社生産も。今は純米酒のみ生産。
日置桜ひおきざくら純米酒 山根酒造場
鳥取市
全量が県内農家の契約米。農家ごとにタンクを分け、ラベルに農家の名前を入れる。
会津娘純米酒 高橋庄作酒造店
会津若松市(福島)
地元の酒米が9割弱。うち自社田が25%。
紀土きつど 平和酒造
海南市(和歌山)
紀州の風土を表現するため、自社田で栽培も。全国の蔵元が味を競う「酒-1グランプリ」で優勝。


山根酒造場の「日置桜ひおきざくら純米酒」がユニークです。酒のラベルに酒米を栽培した農家の名前を入れる・・・・・。酒米がいかに大切かを言っているわけだし、こうなると酒米農家も張り切らざるを得ないでしょう。ウイスキーに「Single Malt Whisky」があります。これに習い「Single Farmer SAKE」と銘打って輸出をしたらどうでしょうか。そうすると商品に強い「物語性」を付与できます。そういった物語性はブランド作りのための基本です。また、泉橋酒造の橋場社長のコメントにもあったように、SAKEは海外進出のチャンスです。おりしも和食がユネスコの無形文化遺産になりました(2013.12登録)。橋場社長の言うアジアだけでなく、欧米にもチャンスはあると思うのです。

余談はさておき、要は、酒造りにもいろいろな創意工夫があるということだと思います。

日置桜純米酒.jpg
(右の写真のラベルに酒米生産者の氏名が明記してある)


日本酒を大切にする文化


誤解されないように言いますと、日本酒は栽培醸造の純米酒であるべき、と主張しているわけでは全くありません。酒の好みは人によって多様だし、飲酒のシチュエーションも多様です。一人ないしは二人でじっくり味わう場合もあるし、多人数で楽しく盛り上がりたい時もある。値段も多様であるべきだと思います。他県から酒米を調達してもよいし、純米酒でなくてもかまわない。しかし、醸造酒作りの基本は、

  自社農地で栽培された原料、ないしは、目の届く範囲の契約農家で栽培された原料を使い、添加アルコールを入れないで醸造する

ことだと思います。その「基本の酒づくり」が非常に少ないことが問題だと思うのです。「基本の酒づくり」でどこまでおいしい日本酒ができるかを極めないと、応用は無理だと思います。応用とは、添加物を加えるとか、全国から酒米を調達するとかです。

朝日新聞の小山田編集委員が「蔵から5キロ圏産だけの酒米」を用いる酒造会社を取材した記事は、「新発想で挑む 地方の現場から」というシリーズの一環でした。醸造酒作りの基本であるばずのものが「新発想」というのは、大変悲しむべきことだと感じます。また、この記事がまるで "地方再生の活動を紹介するような" 印象を与えるのも、本当は異常なことです。もちろん、記事そのものは良いと思いますが。

こういった「地方の現場の新発想」が、新発想でも何でもなく、全国のいたるところの酒蔵と大手酒造会社で行われるようになったとき、日本酒を大切にする文化が真に復活し、日本酒の長期低落傾向が止まるのだと思います。




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No.181 - アルファ碁の着手決定ロジック(2) [技術]

前回から続く)

前回の No.180「アルファ碁の着手決定ロジック(1)」の続きです。以下に出てくる policy networkSL policy networkRL policy networkロールアウトUCB については前回の説明を参照ください。


モンテカルロ木検索(MCTS)の一般論


モンテカルロ木検索(Monte Carlo Tree Search : MCTS)は、現代のコンピュータ囲碁プログラムのほとんどで使われている手法です。以下にMCTSの最も基本的なアルゴリズムを書きますが、もちろんこのような話はディープマインド社の研究報告には書かれていません。MCTSは既知のものとしてあります。しかしアルファ碁の検索はMCTSにのっとっているので、このアルゴリズムが分かると、アルファ碁の検索手法も理解できます。

  余談ですが、モンテカルロという言葉は数学において「確率的なアルゴリズム」である場合に使われます。たとえば「モンテカルロ法で円周率を計算する」としたら、円周率は半径 1 の円の面積なので、-1 以上 1 以下の実数の乱数を2つ発生させ、そのペアを平面上の座標値として原点からの距離を計算する。そして、距離が 1 以下かどうかを判定する。この計算を大量にやって 1 以下のものの個数の割合を計算すると、その割合の 4倍が円周率ということになります。

余談の余談ですが、こういった問題は中高校生にプログラミングを教えるのには最適ではないかと思います。現代のパソコンは、この計算を1000万回繰り返すなど、わけなくできます(家庭用パソコンで1~2秒)。もちろん、1000万回繰り返しても精度は悪く(せいぜい小数点以下4桁程度)実用にはなりませんが、コンピュータの威力を実感するには最適だと思います。

以下、候補手のことを、木検索の「ノード」と呼びます。最初に、現在の盤面(白が打った直後の黒の手番とします)から黒の候補手のノードを展開します(下図)。これらノードに対して、UCB値が最大のノードを「木検索」でたどり、末端ノードに達したときロールアウトをします。その勝敗結果を、当該ノードから木検索を逆にたどって反映させます(=逆伝播)。UCB値は、逆伝播の結果で関係するものが再計算されます。

あるノードのロールアウト回数が閾値以上になったとき(下図では10回)、そのノード(下図ではNode-A)を「展開」し、次の候補手のノードを作ります。「展開」を行う閾値の設定によって、限られた時間でどこまで深く読むかが決まってきます。「展開」のあと、改めて最上位のノードから始まって最大UCBのノードをたどって末端ノードに到達します(下図ではNode-F)。そこでロールアウトを行い、結果を逆伝播させます。そしてUCB値を再計算します。UCBの計算式は、木が増殖していくことを考慮して、次のように再定義します。

UCBi 候補手i のUCB
Ni 候補手i 以下のノードのロールアウト数
Wi 候補手i 以下のノードのロールアウトによる勝ち数。候補手の色に依存。
N 候補手i の親ノードのNi
k 定数(探検定数 と呼ばれることがある)
MCTS_REV.jpg
この図は、黒白とも候補手が3つしかない単純化された状況です。従って、閾値(=10)以上のロールアウト回数になった Node-A を展開するとき、次の白の3つの候補手はいずれも "ロールアウト経験済" としました。しかし一般的には展開の段階で "ロールアウト未経験" の候補手が現れるわけで、そのような候補手は Ni がゼロであり、Node-Aの次の一手としては真っ先にロールアウトされることになります。

上の図で Node-F の次にロールアウトされるのは Node-C ということになります。上図のように少ないロールアウト総回数では、候補手のロールアウト回数が少ないことが有利になるからです。図で言うと、Node-A が有力そうで「開拓」してみたが、ひょっとしたら Node-C が宝の山かも知れないから「探検」しようというわけです。

このような「木検索」「ロールアウト」「逆伝播」「UCB再計算」「展開」を許容時間まで繰り返します。そして最終的に次の一手として、ロールアウト回数が最も多い手を選びます。勝率最大の手は "ロールアウト回数少ないから勝率が高い" かもしれないからです。これがモンテカルロ木検索(MCTS)です。

なお、以上に述べたUCBの計算式はあくまでコンピュータ囲碁に導入された当初のもので、最新のコンピュータ囲碁プログラムは独自の計算式を使っているようです。後で説明するようにアルファ碁も独自の式です。しかし「開拓項」と「探検項」を組み合わせ、バランスよく、かつ無駄を避けつつ有効な手を探索することは同じです。



現代のコンピュータ囲碁プログラムは MCTS をベースとし独自に改良を加えていますが、MCTSには大きな弱点があります。それは、

  黒と白の "必然の応酬" が長く続き、結果は "ほどほど" のワカレになるか、仕掛けた方が少しの利得を得る。ただし必然の応酬を間違えると、間違えた方が多大な損失をこうむ

というようなケースに弱いことです。MCTSはあくまで確率的に最善手に近づこうとするものです。最善手が明白に1つしかない状況が連続すると、MCTSは間違える率が高くなる。囲碁で言うと、死活の問題とか攻め合いとかコウ争いです。このあたりをどうカバーするかは、コンピュータ囲碁プログラムのノウハウです。

このMCTSの弱点について思い出すシーンがあります。No.174「ディープマインド」で書いたように、アルファ碁とイ・セドル九段の対戦の第4局は、アルファ碁の唯一の敗戦となりました。イ・セドル九段が放った白78(No.174参照)のあと、アルファ碁は「素人でもわかる損な手」を連発し、一挙に敗勢になってしまったのです。それまで世界最高クラスのプロ棋士と(少なくとも)互角に渡り合ってきたアルファ碁が、急に "狂った" か "暴走した" ように見えた。このあたりについてディープマインド社のデミス・ハサビスCEOは、あるインタビューで「モンテカルロ木検索の弱点が露呈した」という意味の発言をしていました。

この発言の真意を推測すると「イ・セドル九段の "白78" という好手に対して黒(アルファ碁)が打つべき応手(=シノギの手)が、実はいくつかの必然手の連続であり、アルファ碁はそれを最後まで読み切れず、黒が敗勢と判断した」のだと考えられます。従ってアルファ碁は、全く別の「白が誤れば黒が得だが、白に正しく応じられれば黒が損をする手」を打った。これが悪手を連発することになった理由と考えられます。白の正しい応手は素人でも分かったので、いわば "ハッタリ" の手です。

しかしよくよく考えてみると、敗勢の時に「成功確率は低いが、成功すると大きな得になって優劣不明に持ち込める手」を打つことがあります。たとえば、相手の勢力範囲の中に深く打ち込んで活きようとするような手です。「さあ殺してください。殺せますか?」と開き直るような手です。そして、たとえプロといえども応手を誤れば活きてしまって形勢不明になったりする。こういう手を "勝負手" と言ったりします。

残念ながらアルファ碁は "ハッタリ" と "勝負手" の区別ができなかったようです。それは常に確率的な判断で勝敗を予測している現状のアルファ碁では致し方ないと思います。それより本質は「モンテカルロ木検索の弱点」です。これを解消するような手段を、ディープマインド社は今後繰り出してくるでしょう。そして弱点を解消した上でさらに "ハッタリ" を防止する手も打ってくるのではないでしょうか。ディープマインド社には、デミス・ハサビスCEOをはじめ Go Player が多いようです。Go Player にとって許せないのは、勝負に負けることよりも素人にもわかる "ハッタリ" を打つことだろうから。



アルファ碁は以上のモンテカルロ木検索(MCTS)をロジックの根幹にしていますが、加えて value network というニューラルネットワークを構成し、それを勝率の判断に使っています。その説明が以下です。


value network


アルファ碁の基本的な考えかたは、

  RL policy network によるロールアウトでモンテカルロ木検索を行う

というものです。SL policy network は囲碁熟練者の着手を 57% の精度で予測でき、RL policy network は SL より強いので(前回の No.180 参照)、これができると最強のモンテカルロ木検索になりそうです。

しかし、このままではうまくいきません。それは処理時間の問題です。policy network の計算には3ミリ秒かかります。終局までロールアウトする手数を平均100手とすると、ロールアウトに最少でも300ミリ秒 = 0.3秒必要です(その他、木検索の時間が必要)。前回の No.180 で述べた値を採用して1手に費やせる "思考" 時間を72秒とすると、この時間で可能なロールアウトは240回ですが、この程度の回数では話になりません。少なくとも10万回といった、そういう回数が必要です。

そこで登場するのが value network です。value とは価値という意味ですが、ここでは盤面の(次の打ち手にとっての)価値、という意味であり、盤面の優劣というのがシンプルな言い方です。この優劣は「勝率」で表現します。つまり、

  value network とは、"RL policy network を使ったロールアウト" による勝率判定を近似するニューラルネットワーク

です。つまり「ロールアウトを代行する」ニューラルネットワークであり、この発想が非常にユニークというか、ディープマインド社の独自性を感じるところです。value network の計算時間は policy network と同じ3ミリ秒です。従って、近似の精度が高いという前提で、候補手から RL policy network によるロールアウトを例えば100回繰り返すより、value network は1万倍高速に計算できることになります(ロールアウトにおける終局までの手数を100とした場合。100×100で10,000)。

value network の構造は policy network とほぼ同じです。入力層と隠れ層1~13は、policy network の入力層と隠れ層1~12、および出力層と同じ構造をしています。隠れ層14は256×1であり、出力層は1×1です。出力層は -1.0 ~ +1.0 の1個の実数値であり、入力層の勝率を表します。
Value Network.jpg
value network の訓練に使われたデータは、KGS Serverからダウンロードした約3000万の盤面データではなく、SL policy network で作り出された盤面(state)です。value network の場合、KGSのデータを訓練データとすると "過学習" になってしまったからです。つまり、訓練データでは非常に成績がいいが、訓練データ以外となると成績が悪くなる。同じ教材に学び過ぎて応用問題が解けないわけです。その理由ですが、3000万の盤面は約16万局のデータであり、同じ対戦の盤面データ同士には強い相関関係があるからです。

そこで、1つの訓練データを作るために、まず1~450までの数からランダムに U を選びます。そしてSL policy network で第1手から第(U-1)手目までを打ち、第U手目は合法手をランダムに打ちます(!!)。その結果の盤面(state)を訓練用のデータとします。このデータを RL policy network でロールアウトを繰り返し、勝率を求めます。このstateと勝率の組が訓練データの一つとなります。これを合計3000万組作成し、それを教師として学習させたのが、value network です。この訓練データの作り方は非常にユニークであり、なぜそうするのかという理由は書いていないのですが、ディープマインド社の試行錯誤の積み重ねによるノウハウの蓄積を感じるところです。

ディープマインド社の研究報告には「value network を使った勝率推定は、RL policy network でロールアウトして勝敗を判定するより 15,000倍 速い」と書かれています(上で1万倍速い、と推定した値)。



ここまでの説明におけるニューラルネットワークについて復習すると、以下のようになります。このネットワークは隠れ層が多段階になっているディープ・ニューラルネットワーク(Deep Neural Network)なので、DNNと表記します。

  policy network = 熟練者が打ちそうな手を予測
  SLRLの2種類。
SL:大量の熟練者の打ち手を機械学習したDNN
RL:DNN同士の自己対戦で、SLをさらに "強く" したDNN

value network = 現在の盤面の優劣を判定
  SLで初期盤面を作り、そこからRLでロールアウトを繰り返して勝率を求める。その初期盤面と勝率のペアを大量に作成して、それを機械学習したDNN

アルファ碁は囲碁プログラムに深層学習の技術を持ち込んだのですが、そのDNNは以上のように2段階になっています。この2つのDNN(policy networkを2つに分けると合計3つのDNN)を使い分けるのがアルファ碁です。ただしDNNだけでなく、従来手法のロールアウトも併用しています。それが以下の説明です。


rollout policy


value network は、まさにコンピュータ将棋でいう「評価関数」に相当します(コンピュータ将棋の評価関数については No.174「ディープマインド」参照)。囲碁で評価関数を作るのは困難と言われていたのですが、ディープマインド社はそれを覆したわけです。従って、木検索と value network を使ってコンピュータ囲碁プログラムが作れるはずですが、アルファ碁はそうはなっていません。従来手法のロールアウトも併用しています。

アルファ碁のロールアウト・ポリシー(rollout policy。研究報告では fast rollout policy と書いてある)は次のようなものです。まず、自分が打つ手を、直前に相手が打った手(直前手)に応答する手と、そうではない手に大別します。そして手を以下のように詳細分類します。

アタリから逃げる手。1種。
直前手の周り8箇所のどこかに打つ手。8種。
ナカデを打つ手。8,192種。このパターンは手作り。
応答手 = 直前手の周辺12箇所に打つ手。12箇所とは、直前手の周辺8箇所プラス、直前手から上下左右に2つ離れた4箇所。12箇所の石の配置パターンと呼吸点の数で分類し、合計 32,207種。
非応答手 = 直前手には応答しない手。打つ手の周辺の3 X 3 領域を石の配置パターンと呼吸点の数で分類して、合計 69,338種。

つまり碁の着手を合計、109,746種に分類し、実際の対局でどの手が多く打たれたか回帰分析の手法で分析し、ロールアウト・ポリシーの計算式を求めます。もちろんロールアウト・ポリシーは高速演算が必須条件なので、ニューラルネットワークは使わず、通常の線形演算(マトリクス演算)で可能な回帰式です。

この回帰式を求めるのに使われた訓練データは(少々意外なことにKGS Go Serverではなく)Tygem の800万の盤面データです。「タイゼム(Tygem)」は韓国の東洋オンライン社が運営する有料の囲碁対局サイトで(無料もある)、日本では「東洋囲碁」です。利用者は東アジア(韓国、日本、中国)が中心です。

以上のように、ロールアウト・ポリシーは熟練者の実際の手を予測するもので、その意味では policy network と同じです。しかし予測の精度が違います。前に SL policy network の予測精度は 57.0% と書きましたが、ロールアウト・ポリシーの予測精度は 24.2% です。SL policy network よりかなり低いわけですが、これはもちろんロールアウトに使う目的だから「ランダムなロールアウトよりは格段にマシ」なわけです。しかも計算時間が policy network より圧倒的に速い。

ロールアウト・ポリシーの計算時間は 2マイクロ秒です。ということは、3ミリ秒の RL policy network より1500倍高速ということになります。研究報告には ロールアウト・ポリシーによるロールアウト(初手から始める)を1秒間に約1000回できるとあります。アルファ碁のメイン・コンピュータは 40 多重で計算可能です。つまり、1秒間に(少なくとも)4万回のロールアウトが可能ということになります。1回の平均思考時間を72秒と仮定すると、約300万回のロールアウトが可能なことになり、これは十分な数です。ちなみに多重処理について言うと、policy network / value network はサブのコンピュータで1個づつ(多重処理なしに)計算されます。1回の計算そのものが多重処理されるからです。


アルファ碁のモンテカルロ木検索(MCTS)


アルファ碁のMCTSのアルゴリズムは、上に述べた基本のMCTSと考え方は同じです。つまりUCB値の最大値によって木検索を行い、ロールアウト・ポリシーでロールアウトを行います。ただし次の点が基本のMCTSと違っています。

候補手の勝率の判定に、ロールアウトによる勝率だけでなく、value network による勝率を加味する。

アルファ碁独自のUCB値の計算式を使う。ここに policy network による確率(囲碁熟練者がそこに打つ確率の推定値)を使う。

の2点です。まず①ですが、アルファ碁は検索が木の末端に到達するとまず、value network の計算を行います。実際にはニューラルネットワークの計算は、検索やロールアウトを行うメイン・コンピュータとは別のサブ・コンピュータで行っており、そこに計算の依頼だけを出します。木の末端が既に value network の計算依頼を出している場合(ないしは計算済の場合)はロールアウト・ポリシーによるロールアウトになりますが、value network の計算は3ミリ秒かかり、ロールアウト・ポリシーによるロールアウトの計算は最大でも1ミリ秒(1秒間に1000回)なので、この2つは一般的には平行して行われることになります。もちろん value network の計算は一つのノードにつき1回だけです。なお、ロールアウトの1ミリ秒というのは報告に書いてある最大値(初手からのロールアウト)なので、実際にはその数分の1だと考えられます。

同一の末端ノードを訪れる回数が閾値を越えるとノードを展開するのは、基本のMCTSと同じです。その閾値はpolicy network / value network の計算のための "待ち行列" の長さによって動的に変更します。早めに展開し過ぎてニューラルネットワークの計算が間に合わないのでは意味が無いからです。

ノードを展開するとき(=次の候補手をリストアップするとき)には、policy network を使って、その候補手の確率(=囲碁の熟練者がその候補手を打つ確率の推定)を計算してノードに記憶しておきます。この値はそのノードの UCB の計算に重要な役割を果たします。



  ただし、話がややこしいのですが、policy network の計算を依頼してから終わるまでの間、別の暫定値で policy network の値の代用とするというロジックが研究報告に書かれています。これが ツリー・ポリシー(tree policy)と呼ばれるもので、このポリシーの作り方はロールアウト・ポリシーとほぼ同じです。ただし、打ち手の分類がロールアウト・ポリシーよりも詳しい(分類数が約1.5倍)。つまりロールアウト・ポリシーよりは計算時間がかかるが、熟練者が打つ手の予測はロールアウト・ポリシーよりは正確ということだと思います。このツリー・ポリシーの計算時間は研究報告には書いていないのですが、たとえば 3マイクロ秒だとすると policy network(計算時間=3ミリ秒)より1000倍速いことになります。正確さに欠けたとしても policy network の計算終了を待ってられない。暫定値でもよいからモンテカルロ木検索をどんどん進めた方がいい・・・・・・。このあたり、コンピュータ囲碁にニューラルネットワークを持ち込むということは、ニューラルネットワークの計算の遅さをいかにカバーするかが非常に大切なことがわかります。

とは言え、ここで感じる疑問は、ロールアウト・ポリシーとツリー・ポリシーという "似て非なるもの" がなぜあるのかです。ロールアウト・ポリシーをやめてツリー・ポリシーでロールアウトしてもよいはずです。論文を読む限りそれは十分可能で、一見、その方がよさそうな気がします。なぜ二つあるのか。推測なのですが、問題は処理時間ではと思います。ツリー・ポリシーの計算時間が3マイクロ秒だとするとロールアウト・ポリシー(計算時間=2マイクロ秒)の1.5倍であり、ということはツリー・ポリシーでロールアウトすると一定時間でロールアウトできる回数が3分の2になってしまいます。ツリー・ポリシーだとロールアウトの回数が稼げず、かえって弱くなってしまう・・・・・・。そういうことかと想像しました。逆に言うとロールアウト・ポリシーは "手を読む精度" と "計算時間" という二つのトレードオフのぎりぎりのところを狙って設計されているのではと感じました。想像ですが、最初にツリー・ポリシーが設計されてロールアウトにも使っていたが、よりロールアウト回数を稼ぐために簡略化した(従って速い)ロールアウト・ポリシーが作られたのではないでしょうか。ロールアウト・ポリシーを研究報告では fast rollout policy としてあるのは、そういう意味かと思いました。



②のアルファ碁独自のUCB値の計算式(UCBAlphaGo とします)は、次のような形をしています。次式は研究報告にある式を、本質を変えない範囲で簡略化しました。また記号を少し変えてあります。
UCBalphago.jpg
上の式における Q(-1.0~1.0) は、研究報告で action value と書かれているもので、その時点までに判明している候補手の勝率を表します。つまり、勝率の高い項ほど「開拓」するようになります。なお、候補手の最大の Q が -0.8 以下になったとき(通常の意味での勝率が 10% を切ったとき)、アルファ碁は投了します。

λはアルファ碁のチューニングのためのパラメータで、0.0~1.0 の数字です。要するに value network の勝率推定とロールアウトによる勝率推定のどちらを重視するかです。研究報告では、この値を実戦では 0.5 にしたとあります。つまり、2つの勝率推定の平均値をとるということです。その理由は、各種のコンピュータ囲碁プログラムと対戦してみて、それが一番強かったからです。このあたり、いろいろと試行錯誤があったようです。

u(P)は「探検」に相当する項です。これは基本のMCTSの UCB の第2項と似ていて、考え方は同じです。ただし、大きな違いは P の存在です。これは、そのノードを生成したときに計算しておいた、policy network による候補手の確率値です(但し、先ほど書いたように、この値の計算が終わるまでは tree policy で代用します)。つまり熟練者が打ちそうな手ほど重視するということであり、これは非常に納得できます。

しかし全く意外なのは、この値が RL policy network ではなく SL policy network だということです。つまり、最強のはずの RL policy network は、対戦には全く使われていません。RL policy network は value network を作るために(対戦前に)使われるだけなのです。前に RL はコンピュータ囲碁プログラム(Pachi)と対戦して 85% の勝率だったが、SL は 11% の勝率だった、と書かれていました(前回の No.180 参照)。そんなに強い RL をなぜ使わないのか・・・・・・。これについて研究報告では次のように書かれています。


The SL policy network performed better in AlphaGo than the stronger RL policy network, presumably because humans select a diverse beam of promising moves, whereas RL optimizes for the single best move.

(試訳)
アルファ碁では SL policy network の方が、より強い RL policy network よりも良くプレーした。これはおそらく、人間は多数の打つべき手の "光"(beam)を選別しているのに対し、RL policy network は一つの最良の手に向けて最適化するからだろう。


意味が取りにくい、曖昧な文章です( beam ? )。さらに、研究報告の次の文章では、SL policy network を使って作った value network でプレーしてみたが、それは RL policy network で作られた value network(対戦に使われたもの)より成績が悪かった、と書いてあります。

推測するに、RL policy network の出す確率は最良の手にピンポイントで集中する傾向にある。それに対して SL policy network の出す確率は「良さそうな手」に分散する傾向がある。これは人間の思考に近く、候補手を広く探索する目的で使うにはその方がよい。value network を作るときのロールアウトのように、policy network の出す確率だけに従って手を打つのなら、RL policy network がの方がよい、ということだと思います。

そう推察できるものの、何となく納得できない説明です。報告に「たぶん(presumably)」と書いてあるように、ディープマインド社も明確な理由を理論的に説明できないのだろうと思います。このあたり、ディープマインド社もいろいろと試行錯誤し、対局を繰り返して現在のアルファ碁に到達したことがわかります。



研究報告では、その他、細かい検索のアルゴリズムやニューラルネットワークの学習の手法が多々書いてあるのですが、本質的なところは上の説明に尽きていると思うので省略します。

もう一度念を押しますが、研究報告に書かれているのは、韓国のイ・セドル 九段と戦う数ヶ月前の状況です。研究報告にあるグラフから読みとれるのは、その当時のアルファ碁の強さは KGS のレーティングで 5p(プロ五段)相当ということです。これとイ・セドル 九段は、相当な開きがあります。その後の数ヶ月の間、ディープマインド社は数々の強化をしたはずです。ロジックの見直しやチューニングはもちろんのこと、ロールアウト時間の短縮やニューラルネットワークの演算高速化もあったのではないでしょうか。計算性能は「読める手の数」に直結するので大変に重要です。以上のようなことを頭に置いておくべきでしょう。

以降は、ディープマインド社の研究報告を読んだ感想です。


感想:アルファ碁とは何か


No.174「ディープマインド」で書いたように、アルファ碁は AI研究の画期的な成果であり、それどころか、コンピュータの発展の歴史の転換点ともいえるものだと思います。その考えは変わらないのですが、研究報告を読むといろいろなことが見えてきます。

 囲碁の常識が盛り込まれている 

個人的な一番の関心事は、アルファ碁がどこまで汎用的であり、どこまで囲碁ディペンドなのかという点でした。No.174「ディープマインド」で「Nature ダイジェスト 2016年3月号」より、次の説明を引用しました。


アルファ碁は、囲碁を打つプログラムではない。汎用アルゴリズムに対局パターンの情報を大量に読みとらせて学習させた。同社の別のAIは同様にして Atari 2600の49種類のビデオゲームのプレイを学習している。

Elizabeth Gibney(三枝小夜子・訳)
「Nature ダイジェスト 2016年3月号」

しかし研究報告を実際に読んでみると「汎用アルゴリズム」という言い方の印象がかなり変わりました。確かに policy network や value network に機械学習をさせたり強化学習をすのは汎用のアルゴリズムですが、アルファ碁全体をみるとそうとは言えない。もちろんゲームである以上、ゲームのルールや勝敗の決め方を教え込むのは必須です。しかし、それ以外に「囲碁の常識」がかなり含まれています。たとえば policy network / value network の入力層における「ダメヅマリ」を判別できるプレーンとか、シチョウに取る手、シチョウから逃れる手などです。また、rollout policy におけるナカデのパターン(8192種)です。この程度の常識は教え込まないと、とても強いプログラムは作れないのでしょう。

逆の観点からすると、現代のコンピュータ囲碁プログラムの強豪に比べるとアルファ碁は "囲碁の常識の入れ具合い" が少なく、それでもヨーロッパ・チャンピオン(プロ)に勝ったというところに価値があるのかもしれません。

そもそも policy network / value network の出発点は、アマチュア高段者が実際に対局した 2840万の盤面データであり、それは大袈裟に言うと囲碁4000年の歴史の結晶です。アルファ碁はそこから出発しています。囲碁を打つ際の人間の英知がなければ、アルファ碁はなり立たなかったわけで、そこは再認識しておくべきだと思います。

そして、このことがアルファ碁の "限界" にもなりうると思いました。典型的なのは(アルファ碁独自の)UCBの計算式に policy network を取り入れていることです(上の説明参照)。これはどういうことかと言うと「人間の熟練者が打ちそうな手ほど優先して深く読む」ということです。これはいかにもまっとうに見えるし、プロ棋士と戦って勝つためにはこれが最善なのかも知れません。しかし我々がコンピュータ囲碁プログラムに真に期待するのは、囲碁の熟練者が思いもつかない手、囲碁の歴史で培われてきた "常識" ではありえないような手、そういう手の中で「最善とは断言できないが、十分に成立する手」をコンピュータ囲碁プログラムが打つことなのです。それでこそコンピュータの意義だし、囲碁がいかに奥深いものかを再認識できることになるでしょう。人間のマネをし、人間より遙かに高速に、遙かに深く読める(しかも心理的な動揺や疲れなどが全くない)ことだけに頼って勝つというのでは、"おもしろくない" わけです。

このあたり、アルファ碁にはまだ幾多の改良の余地があると見えました。

 アマチュア高段者の打ち手を学習 

アルファ碁の「畳み込みニューラルネットワーク」の訓練(=機械学習)に使われたデータがプロの棋譜ではなく、KGS Go Server で無料のオンライン囲碁対局を楽しんでいるアマチュア高段者(6d~9d)の棋譜(約16万)というのは意外でした。アルファ碁はプロ棋士に勝つ目的で開発されたものであり、2015年10月に樊麾(ファン・フイ)2段に5戦5勝の成績をあげました。樊麾2段はフランス在住ですが、中国棋院の2段です。アマチュア高段者が中国棋院のプロ2段に勝つことはありえません。つまりアルファ碁の機械学習はあくまで出発点であって、その後の強化学習(RL policy network)や value network、rollout policy に強さの秘密があると考えられます。

しかし、どうせなら初めからプロの棋譜を機械学習すればいいのでは、と思うわけです。なぜアマチュアの棋譜なのか。16万局程度のプロの棋譜が入手できなかったとも考えられますが、ふと思い当たることがあります。No.174「ディープマインド」で紹介した、日本のプロ棋士の方がアルファ碁の "戦いぶり"(対、イ・セドル 九段)を評して語った言葉です。

いままでの感覚とはかけ離れたものがあった。弟子が打ったら、しかり飛ばすような」(王 銘琬めいえん 九段)

空間や中央の感覚が人間と違う。懐が深い」(井山 裕太名人)

この二人のプロ棋士が言う「感覚」とは、当然「プロの感覚」ということでしょう。アルファ碁は、無料のオンライン囲碁対局を楽しむアマチュア高段者の棋譜で訓練された。だからこそ「プロの感覚」とは違うものになったのではと、ふと思ったのです。そういう要素もあるのではないか。

しかも集められた約16万の棋譜の35.4%は置き碁の棋譜なのです。ディープマインド社の研究報告にそう書いてあります。アルファ碁は、プロの世界トップクラスと互先たがいせんで(ハンディキャップなしに)戦って勝つという "野望" のもとに開発されたものです。訓練用のデータから置き碁の棋譜を除外することなど簡単にできるはずなのに、あえて置き碁を入れてある。置き碁の白(上手うわて)は少々無理筋の手も打って、棋力の差で勝とうとするものです。普通の手ばかり打っていては、上手はハンディキャップ戦に勝てません。そういう手もアルファ碁の訓練データの中にあることになります。さらに言うと、rollout policy を作るために policy networkの訓練に使った KGS とは別の有料囲碁サイトの対局データを使っている。

ニューラルネットワークの訓練データの選び方については、ディープマインド社の緻密な戦略があるのではないかと思いました。あくまで想像ですが・・・・・・。

 AI研究とは試行錯誤 

ディープマインド社の研究報告を読むと、AI研究というのは「試行錯誤の積み重ね」が非常に重要だと思いました。たとえば policy network を構成する「畳み込みニューラルネットワーク」ですが、なぜ隠れ層が12なのか、入力層が48プレーンなのはなぜなのか、説明はありません。おそらく数々の試行錯誤の上に、このようなアーキテクチャに落ち着いたのだと思います。

value network について言うと、訓練データの作り方が独特だということは上の説明だけでもよく分かります。1手だけ SL policy network を使わずに、あえて「合法手をランダムに打つ」のはなぜでしょうか。画像認識などのAI研究において、訓練データにランダムな "ノイズ" を加えることがあります。そうした方が入力データの少々の誤りやデータ間の偶然の一致に対しても判定がブレない "強い" ニューラルネットワークを構成できるからです。合法手をランダムに打つのはそれを連想させますが、囲碁の勝率判定をする value network の場合にはどのような具体的効果があるのでしょうか。数手の合法手をランダムに打ったらどうなるのか、なぜ1手なのか。これもいろいろと試した結果のように思えます。

盤面の優劣判定に value network とロールアウトを併用し、しかもλというチューニング・パラメタをいろいろと "振ってみた" のも試行錯誤です。おそらくディープマインド社は、value network だけの優劣判定で最強の囲碁プログラムを作りたかったのではないでしょうか。それでこそ、ニューラルネットワークの技術にけたディープマインドです。それが出来たなら、研究報告のタイトルどおり「ディープ・ニューラルネットワークと木検索で囲碁を習得」したと言える。しかし想像ですが、そのような value network を開発できなかったのではと思います。他のコンピュータ囲碁プログラムで一般的なロールアウトを併用せざるを得なかった。従って「ディープ・ニューラルネットワークとモンテカルロ木検索で囲碁を習得」が、より正確です。ロールアウトを使ったということは、確率的アルゴリズムには違いないのだから。

実際の対局に "最強の" RL policy network を使わなかったのも、コンピュータ囲碁プログラムとの実戦を重ねて行きついた結論でしょう。実戦に使える RL policy network を開発しようとしたが、それが出来なかったとも考えられます

もちろんAI研究だけでなく、科学の研究には試行錯誤がつきものです。特に生命科学や物理・工学系の学問ではそうです。このブログでいうと、No.39「リチウムイオン電池とノーベル賞」で書いたリチウムイオン電池の開発物語はまさにそうでした。しかし「囲碁をAIでプレーする」というのは、純粋に論理の世界です。そこに未知の生命現象とか、解明されていない物理現象とか、そういうものは一切からまない。それにもかかわらず試行錯誤の世界だとみえる。しかもその試行錯誤は、まだ途中段階のようです。そのあたりが印象的でした。

逆の見方から言うと、こういった試行錯誤を、発散しないように、常に正解につながりそうな道にガイドした研究リーダ(ディープマインドのデミス・ハサビスCEO)の存在は大きいと感じました。

 コンピュータ技術を結集 

アルファ碁が、決して突然新しいものが生まれたのではないこともよく理解できました。それはコンピュータ囲碁の歴史を調べてみると分かります。基本となっているアルゴリズムは、まずロールアウト(プレイアウトと呼ばれることが多い)です。これは1993年にアメリカのブリューグマンが発表した論文が発端です。「次の手以降をランダムなプレイで最後まで打って勝敗を判定し、次の手の有効性を判断する」という、この驚くような発想が、現代のコンピュータ囲碁の原点となりました。次にモンテカルロ木検索(MCTS)ですが、これは2006年のフランスのクローンの論文が最初です。ここにおいて、ロールアウトと木検索をどういう風に組み合わせるかという、アルゴリズムの基本が確立しました。どの手をロールアウトするかの判断にUCB(Upper Confidence Bound)を使ったのもクローンです。

ディープマインドがやったのは、そこに深層強化学習を持ち込むことでした。まず機械学習によってアマ高段者が打ちそうな手を精度よく予測できるニューラル・ネットワークを作り(= policy network)、それとロールアウトを使って盤面の優劣を計算できる別のニューラル・ネットワークを作った(= value network)。ディープマインドの深層強化学習は確かに大きなブレークスルーですが、アルファ碁の全体の枠組みは、先人の発想した技術(ロールアウトとMCTS)にのっとっていることがよく分かります。

さらに付け加えると、アルファ碁の数々のチューニングや試行錯誤とその検証は、世に出ているコンピュータ囲碁プログラムとの対戦で行なわれています。アマチュア有段者並みに強いコンピュータ囲碁プログラムがあったからこそ、アルファ碁は開発できた。人間相手に検証するのではとても開発できなかったでしょう。人間相手に戦うのは最後の最後です。

もっと言うと、No.180「アルファ碁の着手決定ロジック(1)」に書いたように、RL policy networkの開発ではオープンソースのコンピュータ囲碁プログラム・Pachiとアルファ碁を対戦させて、RL のチューニングや検証がされました。"オープンソース" がキーワードです。つまりソースコードが公開されているので、Pachiをディープマインド社のコンピュータの中に取り込み、一部を修正して、アルファ碁と自動対戦を繰り返すようなことができるわけです。こういったあたりもアルファ碁の開発に役だったと考えられます。

「畳み込みニューラルネットワークによる深層学習」は、画像認識の分野で発達してきたものです。画像認識は手書き文字の認識にはじまって、自動運転にも応用されようとしています。要するに「人間の眼と、それに関係した脳の働きを模擬する技術」です。現代のAI研究で最もホットな分野と言っていいでしょう。

コンピュータのハードウェア技術も見逃せません。研究報告によると「分散型のアルファ碁」は、複数のコンピュータの複合体の超並列処理で実行され、そCPUの数は合計1202、GPUの数は176とあります。CPU(Central Processing Unit)は通常のパソコンなどの演算LSIであり、ここで全体の制御と、ロールアウトを含むモンテカルロ木検索が実行されます。

GPU(Graphics Processing Unit)はニューラルネットワークの演算を行う部分です。ここでなぜ "Graphics" が登場するのかと言うと、GPUはコンピュータで3次元の図形画像をリアルタイムに(たとえばマウスの動きに追従して)回転させたりするときに働く演算ユニットだからです。3次元図形は、コンピュータ内部では微小な表面3角形の集合として定義されています。その数は数10万とか数100万になることも多い。その微小3角形の内部を、視線の向き、光の方向、3角形の位置から計算したグラディエーションで塗る。これを全部の3角形に行うことで、いかにもなめらかに陰影がついた3次元画像が表示されるわけです。このすべての処理を1秒間に10回以上繰り返します(でないと、なめらかに動かない)。そのためのユニットがGPUです。

つまりGPUは、比較的単純な処理を、同時平行的に、大量に、超高速に行うために開発された画像処理用LSIです。それをニューラルネットワークの計算に応用した。特に、画像認識に使われる「畳み込みニューラルネットワーク」は GPU との相性がよい。この応用は何もディープマインドだけではないのですが、もしGPUの技術がなければ「コンピュータ囲碁プログラムにニューラルネットワークを持ち込む」のは "絵に書いた餅" に終わったに違いありません。コンピュータ・ゲームやコンピュータ・グラフィックスの世界で長年培われてきた技術によってアルファ碁が成立したことは確かです。

逆の視点から言うと、このようにコンピュータ技術を結集しているということは、アルファ碁の経験から新たなコンピュータ技術が生まれてもいいわけです。たとえば上に書いたGPUですが、GPUがあったからこそアルファ碁が "絵に書いた餅" ではなくなったことは確かでしょう。しかしそのGPUでもニューラルネットワークの計算は遅い。RL policy network の計算に3ミリ秒もかかるから、RL policy network によるロールアウトを近似する value network が作られたわけです(value network の説明参照)。value network による勝率の推定は、RL policy network によるロールアウトを繰り返して勝率推定するより 15,000倍速いと報告に書かれています。

そうであれば、今より10,000倍程度速く RL policy network が計算できたとすると、value network は不要になり(ないしは補助的なものになり)、それが「最強のコンピュータ囲碁」になると考えられます。10,000倍速くするには「アルファ碁が採用した規模の "畳み込みニューラルネットワーク" を演算できる専用LSI」を開発すれば可能なのではないでしょうか。10,000倍とまではいかなくても、1000倍速く計算可能な専用LSI・数10個の並列処理でいいのかもしれない。コンピュータ囲碁のためにそんなことをする会社はないと考えるの早計です。「畳み込みニューラルネットワーク」は、画像認識の中核的なアルゴリズムです。その画像認識が超重要技術になるのが自動運転です。そしてディープマインドの親会社のグーグルは(自動車会社ではないにもかかわらず)自動運転の研究を進めていることで有名です。ひょっとしたらグーグル・ディープマインドは、そういった専用ハードウェアの開発を始めているのかもしれません。そのときに必須になるのは「畳み込みニューラルネットワーク」の動作についての深い専門知識なのです。

憶測で話を進めることには意味がありませんが、要するにアルファ碁の開発が「単に囲碁の世界に閉じたものではない」ということを言いたいわけで、それは全く正しいと思います。


画期的だが、道は遠い


アルファ碁は画期的な技術であり、AI研究のターニングポイントを越えたと思います。しかしそこを越えてみると、その先はまだまだ長いと感じました。その先とは人の「知性」と呼ばれている領域に入ることです。

No.174「ディープマインド」で、ディープマインド社のAI技術が「Atari社のビデオゲームのプレーを学習した」ことを書きました。「コンピュータ画面に表示される得点を知ることによって、ゲームのルールや遊び方を学習した」わけです。現在、ディープマインドはグーグルの子会社ですが、グーグルが買収するきっかけとなったのは「最高経営責任者のラリー・ペイジ氏が、ある種の人間性の萌芽を思わせるAIの登場に感銘を受けた」ことのようです(No.174)。2016年5月末のNHKスペシャルで、将棋の羽生 善治さんがディープマインド社を訪問する様子が出てきましたが(デミス・ハサビスCEOと羽生さんがチェスをプレーしていました)、そこでもAtari社のビデオゲームの習得の様子が解説されていました。

この話と、研究報告の題名である「Mastering the game of Go」の "マスター" とは、意味がかなり違います。アルファ碁は、2840万のKGSの盤面データと、800万の東洋囲碁の盤面データ(いずれもアマチュア囲碁プレーヤの打ったデータ)から、囲碁の戦い方を学習したわけです。Atari社のゲームの場合のように「ゲームのルールや遊び方を学習した」とはとても言えない。その意味で「Nature ダイジェスト 2016年3月号」の記事(上に引用)にあった「Atari社のゲームの習得と囲碁の習得を同一視するような書き方」は間違いだし、少なくとも大きな誤解を招く言い方です。

画期的な成果だが、まだ道は遠い。そのことはディープマインドのCEOであるデミス・ハサビス氏が一番実感していることでしょう。どこかのインタビューで、彼はそういう発言をしていたと記憶しています。


人の知性のすばらしさ


実は、ディープマインド社の研究報告を読んで一番感じたのは、アルファ碁と対戦できるプロ棋士の「知力」の素晴らしさでした。ここまでやっているコンピュータ囲碁プログラムと「戦える」こと自体が驚きというのが率直な感想です。相手はプロセッサーを1400個近くも並列処理させる、超高速コンピュータです。その相手に勝てることもある(2016年3月のイ・セドル 九段の一勝)

人間の知性や知力の奥深さはすごいし、その秘密を解明するにしても、まだまだ先は遠いと思いました。


欧米に囲碁を広める努力をしたのは・・・・・・


これからは余談です。このディープマインド社の研究報告を読んでみようという気になったのは、アルファ碁とイ・セドル 九段の対決がきっかけでした。その対局のネット解説(マイケル・レドモンド 九段)を見ていて思ったのですが、英語の囲碁用語には日本語がいろいろとあるのですね。aji(アジ、味)とかdamezumari(ダメ詰まり)とかです。普段、英語の囲碁用語に接する機会などないので、これは新しい発見でした。

ディープマインド社の研究報告にも、atari(アタリ、当たり)とか nakade(ナカデ、中手)とか dan(段)とか komi(コミ)とか、いろいろ出てきます。最も驚いたのは byoyomiです。「持ち時間を使い切ったら一手30秒の秒読み」と言うときの「秒読み」です。世界トップクラスのイギリスの科学誌「Nature」に byoyomi(= 日本語)が出てくるのです。日本語について言うと、No.174 にも書きましたが、そもそも英語で囲碁を示す Go(AlphaGo の Go)が「碁」の日本語発音です。

囲碁の発祥地は中国です。しかし、囲碁英語に日本語がたくさんあるという事実は、欧米に囲碁を広めたのは日本人棋士、ないしは日本で囲碁を学んだ欧米人だということを如実に示しています。欧米に囲碁が広まったのはその人たちの功績だった。日本のプロ棋士では、特に岩本薫・元本因坊です。

そうして広まってくると、欧米でも囲碁の深淵さが理解されるようになり、コンピュータ囲碁プログラムを開発する人が欧米に現れた。それがAI研究者のチャレンジ意欲をかき立て、そして英国・ロンドンでアルファ碁が誕生した・・・・・・。

欧米に囲碁を広めた人たちの努力(日本人プロ棋士、欧米人を含む)

欧米で囲碁が普及

コンピュータ囲碁プログラムの出現(欧米で)

AI研究者が囲碁に挑戦

ディープマインド社とアルファ碁の出現

というのは、一本の線で繋がっているのではないでしょうか。これは決して「風が吹いたら桶屋が儲かる」式の話ではなく、ロジカルな繋がりだと思うのです。

ディープマインド社はアルファ碁の開発で得られた知見を社会問題や産業分野に応用しようとしています。そのルーツをたどると、一つとして「日本のプロ棋士、ないしは日本で囲碁を学んだ人たちが、欧米に囲碁を普及させた努力」がある。そう考えられると思いました。




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No.180 - アルファ碁の着手決定ロジック(1) [技術]


アルファ碁(AlphaGo)


No.174「ディープマインド」で、英国・ディープマインド社(DeepMind)のコンピュータ囲碁プログラム、アルファ碁が、世界最強レベルの囲碁棋士である韓国の李世乭(イ・セドル)九段に勝利した話を書きました(2016年3月。アルファ碁の4勝1敗)。

AlphaGo vs Lee Sedo.jpg
AlphaGo vs イ・セドル9段(右)第1局
(YouTube)

このアルファ碁に盛り込まれた技術について、No.174 では「Nature ダイジェスト 2016年3月号」に従って紹介しました。要約すると、ディープマインド社のやったことは、

次に打つ手を選択して碁盤を読む能力をもったニューラルネットワークを、深層学習と強化学習によって作った。

このニューラルネットワークを、手筋のシミュレーションによって最良の手を選択する市販の囲碁プログラムの探索アプローチと組み合わせた。

となります。非常に簡単な説明ですが、そもそも「Nature ダイジェスト」の解説が簡素に書いてあるのです(それが "ダイジェスト" の意義です)。

もうちょっと詳しく言うとどういうことなのか、どこに技術のポイントがあるのか、大変気になったので「Nature 本誌」の記事を読んでみました。ディープマインド社が投稿した「ディープ・ニューラルネットワークと木検索で囲碁を習得した - Mastering the game of Go with deep neural network and tree search」(Nature 2016.1.28)という研究報告です。以下、この報告に書かれているアルファ碁の仕組みを分かりやすく書いてみたいと思います。以下の要約によって「Nature ダイジェスト」の説明を詳しく言うとどうなるのかが見えてくると思います。たとえば「次に打つ手を選択して碁盤を読む能力をもったニューラルネットワーク」というのは、実は「次に打つ手を選択するニューラルネットワーク」と「碁盤を読む能力をもったニューラルネットワーク」の二つあることも分かります。

Mastering_the_game_of_Go_1st_Page.jpg


前提


前提事項が2つあります。まず1点目ですが、「Nature」の研究報告(2016.1.28)が発表された時点で、イ・セドル 九段との対戦はまだ行われていません。アルファ碁は、2015年10月に囲碁の欧州チャンピオンに5戦5勝の成績をあげました。相手は樊麾二段(ファン・フイ。中国出身でフランス国籍。フランス在住。中国棋院二段)で、その成果を受けての報告です。おそらくディープマインド社はイ・セドル 九段との戦いまでの間に、アルファ碁のロジックの強化やチューニングを繰り返したと思います。囲碁のトップレベルの国は中国・韓国・日本であり、韓国のイ・セドル 九段は樊麾二段とは "格" が違います。イ・セドル 九段との戦いという、ディープマインド社にとっての(そして親会社のグーグルにとっての)晴れ舞台に向けて、アルファ碁の強化を繰り返したことが十分に想定できるのです。以下の研究報告の解説は2015年10月時点の技術内容と考えるべきであり、それ以降の強化は含まれないことに注意が必要です。

2番目の注意点は、ニューラルネットワークの専門用語です。ディープマインド社が「Nature」に投稿したのは「囲碁を素材にしたニューラルネットワークの研究報告」なので、専門用語や数式がいろいろ出てきます。しかしそういった用語や数式は、以下の要約では必要最小限にしました。さらに、研究報告の内容を順番に説明するのではなく、そこに書いてあることを、補足を交えて再構成しました。ニューラルネットワークにそのものついては、各種Webサイトに紹介やチュートリアルがあります。また多数の書籍も出版されているので、そちらを参照ください。


4つの技術


ディープマインド社の研究報告を読むと、アルファ碁は次の4つの技術の組み合わせで成り立っていることが分かります。

policy network
value network
モンテカルロ木検索(Monte Carlo Tree Search : MCTS
rollout policy

このうち、①policy network、②value network はディープマインド社の独自技術です。一方、③モンテカルロ木検索と ④rollout policy は、現在、世に出ている多くのコンピュータ囲碁プログラムが採用しています。もちろん③④についてもディープマインド社独自の工夫や味付けがあるのですが、基本的なアイデアは既知のものです。「Nature ダイジェスト」に「ニューラルネットワークと既存の検索アプローチを組み合わせた」という意味のことが書かれていましたが、これは ①② と ③④ を組み合わせたことを言っています。「Nature ダイジェスト」の要約に①~④を対応させると次の通りです。

次に打つ手を選択して(= policy network)碁盤を読む能力をもった(= value network)ニューラルネットワークを、深層学習と強化学習によって作った。

このニューラルネットワークを、手筋のシミュレーションによって最良の手を選択する(= rollout policy)市販の囲碁プログラムの探索アプローチ(= MCTS)と組み合わせた。

以降、この4つの技術について、順に説明します。


policy network


まず言葉の意味ですが、ポリシー(policy)とは、着手を決めるロジック、ないしはアルゴリズムのことです。現在の盤面の情報をもとに、次にどこに打つべきかをコンピュータ・プログラムで決める、その決め方をいっています。またネットワーク(network)とは、AI(人工知能)の研究で多用されるニューラルネットワーク(neural network)のことです。つまり、

  policy networkとは、現在の盤面の情報をもとに、次にどこに打つべきかを決めるためのニューラルネットワーク

です。ディープマインド社がコンピュータ上に構築した policy network は、ニューラルネットワークの中でも「畳み込みニューラルネットワーク(Convolutional Neural Network. CNN)」と呼ばれるタイプのもので、画像認識の研究で発達しました。画像認識で、たとえば画像の中にある猫の顔を認識しようとすると、それは画像いっぱいにあるもしれないし、画像のごく一部かもしれない。また猫の顔が移動しても(どこにあっても)、大きさが違っても、少々変形していても認識できないといけない。画像の大域的な特徴と局所的な特徴を同時にとらえ、かつ移動や変形、拡大縮小があったとしても普遍的な特徴をとらえる。「畳み込みニューラルネットワーク」はこのようなことが可能なニューラルネットワークです。ディープマインド社が使ったのは隠れ層が12層あるもので(いわゆるディープ・ニューラルネットワーク。Deep Neural Network。DNN)、図示すると以下のようです。
Policy Network.jpg
kは "フィルタ" の数で、プロとの実戦では 192 が使われた。入力層から第1隠れ層への "カーネル" は5×5である。従って、周辺に 0 を2つパディングした 23×23×48 が入力層となる。5×5×48個の重み値(フィルタ)と、入力層の5×5×48の部分領域の値を掛け合わせて合計した値が、第1隠れ層の1つの値の入力になる。この操作を、入力層の部分領域を上下左右に1ずつずらしながら19×19回繰り返すと、第1隠れ層の1つのプレーンができる。さらにこの計算全体を、フィルタをかえて192回繰り返すと第1隠れ層ができあがる。

第1隠れ層から第12隠れ層に至るカーネルは3×3である。出力層へのカーネルは1×1であるが 19×19 個の異なったバイアスを使用し、また出力層の合計値が 1.0 になるように調整される。ニューラルネットワークの訓練とは、訓練データが示す出力と最も近くなるように、フィルタ(重み)およびバイアスの値を調整することである。

このニューラルネットワークの出力層は 19×19×1 で、碁盤の 19×19個の交点(目)に対して 0.0 ~ 1.0の数値が出力されます。この数値は囲碁の熟練者がそこに打つ確率を表します。すべての交点の確率を合計すると1.0になります(いわゆる確率分布)。

入力層は 19×19×48 のサイズで、碁盤の19×19の交点が48層(48プレーン)があります。一つのプレーンの一つの交点は 1 か 0 の値をとります。コンピュータに詳しい人なら「19×19の交点のそれぞれに48ビットを割り当てた」と言った方が分かりやすいでしょう。No.174「ディープマインド」で紹介した「Nature ダイジェスト 2016年3月号」の記事では、「入力層は碁盤の黒石・白石の配置パターン」と受け取れる表現がありましたが、実際の入力層はそれよりもかなり複雑です。48のプレーンは以下のように構成されています。全ての情報は打ち手(次に手を打つ人)を基準に計算され、一手進むごとに再計算されます。

policy network の入力層の構成
プレーン
の数
説明
1 打ち手の石(打ち手の石があれば 1)
1 相手の石(相手の石があれば 1)
1 空点(空点であれば 1)
1 すべて 1
8 その交点に石が打たれてから現在までに進んだ手数。
8 石の呼吸点(上下左右の空点)の数。その交点の石と連結している石全体の呼吸点を表す。
8 その交点に打ち手の石を打ったとしたとき、相手の石を取れる数。
8 その交点に相手が石を打ったとしたとき、打ち手の石が取られる数。
8 その交点に打ち手の石を打ったとき、その石と連結している石全体の呼吸点の数。
1 その交点に打ち手の石を打って相手の石をシチョウで取れるとき 1
1 その交点に打ち手の石を打ってシチョウから逃げられるとき 1
1 合法手。その交点に打ち手の石を打つのが囲碁のルールで許されるとき 1。ただし打ち手の目をつぶす手は合法手とはしない。
1 すべて 0

8つのプレーンで一つの数を表すものが5種類ありますが、いずれも「0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8以上」を表します。1 の場合は1番目のプレーンだけが 1、2 の場合は2番目のプレーンだけが 1、以下、8以上の時は8番目のプレーンだけが 1です。情報科学でいう one-hot encoding("8ビット" のうち 1 は一つだけ)になっています。

この構成で分かるように、入力層は単なる黒石・白石の配置パターンではありません。囲碁のルールが加味されています。さらに「シチョウに取る・シチョウから逃げる」や「ダメヅマリ(連結する石の呼吸点の数)」というような、ルールから派生する囲碁の常識(が判別できる情報)も含まれています。

以上の 19×19×48 の入力層の情報をディープマインド社の研究報告では盤面の "state" と読んでいます。これに従って、以下「盤面(state)」ないしは単に「state」と書くことにします。

当然ですが、盤面(state)の情報は、打った手の履歴が分かれば計算できます。アルファ碁は着手を決定する際に policy network を使うのですが、まず state を計算し(再計算し)、ニューラルネットワークの計算を行って、囲碁の熟練者がどこに打つかの確率を求める。これを着手ごとに繰り返すことになります。


SL policy network


ディープマインド社がまず作成した policy network は、教師あり機械学習(supervised learning)による policy network で、これを SL policy network と呼びます。以下、単に SL と書くこともあります。SL policy networkの「訓練データ」は、KGS Go Server からダウンロードされた、囲碁の対局データです。

KGS Go Serverは、もともと神奈川県茅ヶ崎市の囲碁用品店、棋聖きせい堂が運営していた無料の囲碁対局サイト(Kiseido Go Server : KGS)で、現在はアメリカの篤志家と各国のボランティアが運営しています。このサイトには世界の囲碁愛好家が集まっていて、無料の囲碁対局サイトとしては最も広まっているものの一つです。

参加者はアマチュア30級(30k)から1級(1k)、アマ初段(1d)から九段(9d)までにレーティングされます。このレーティングは、KGSの独自のアルゴリズムにより対局が行われるたびに自動更新されます。KGS にはプロ棋士も参加しており、自ら参加を公表しているプロ棋士もいます。プロのレーティング(段位)は d ではなく p と表示します。アマチュアの中には、コンピュータ囲碁のプログラムも参加しているようです。

ディープマインド社が SL policy network の訓練データとしたのは、KGS のアマチュア高段者(6段~9段)の約16万局の対局データで、それには2940万の盤面データがありました。このうち100万の盤面データは、できあがった SL policy network の評価に使用されました。従って実際の訓練データは「2840万の盤面データと、その場面で囲碁熟練者が実際に打った手」です。もっとも、囲碁には対称性があるので盤面を90度づつ回転した4つの盤面データ、およびそれらの裏返しを含めた合計8つの盤面データが教師データとして使われました。これらの state をあらかじめ計算しておき、policy networkを "教育" しました。つまり「出力層の確率分布」と「実際に打たれた手の確率分布(どこか1箇所が 1 で、その他は 0)」との誤差の総体が最も小さくなるように、ニューラルネットワークの重みを調整していったわけです。この調整には "確率的勾配降下法"(stochastic gradient descent。SGD。報告では ascent も何回か使われているが、同じ意味)という手法が使われました。こうして出来あがったのが SL policy network です。

この SL policy network が、どの程度の精度で熟練者の実際の手を予測できるかを、訓練データとしては使わなかった100万の盤面データで調べた値があります。それによると予測精度は57.0%とのことです。この定義ですが、実際に打たれた手に対応する SL policy network の出力層での確率(の100万個の平均値)だと読み取れます。とすると、出力層の最高確率の手を打てばアマチュア高段者の手がかなりの精度で近似できるということになります。57.0%は100万のテストデータの平均値なので、中にはハズレもあるでしょう。また、アマチュア高段者が打った手が最善手だとは限りません。しかしこの57.0%という数字は SL policy network が有効だということを示しています。想像するに、確率が上位の3つぐらいの手の中にアマチュア高段者が実際に打った手が極めて高い確率で含まれるのではないでしょうか。

興味あるデータがあります。もし SL policy network の入力層が48プレーンではなく11プレーン(石の配置が3プレーン、手数が8プレーン)ならどうなるかということです。それを実際にやってみると、予測精度は 55.7% になったとのことです。わずか 1.3% の違いなのですが、研究報告で強調してあるのは、この程度の予測精度のわずかな違いが囲碁の強さに大きく影響するということです。

予測精度をあげるためには、畳み込みニューラルネットワークの隠れ層を増やすという案も当然考えられます。しかしそうすると、policy network の計算時間が増えます。つまり、限られた時間内に「読める」手が少なくなる。ディープマインド社は超高速コンピュータシステムを使っているので、policy network の一回の計算は3ミリ秒で終わります。しかしあとから出てくるように、コンピュータ囲碁に適用するにはこの速度でも遅すぎるのです(その回避策もあとで説明します)。

入力層のプレーンが48や、畳み込みニューラルネットワークの隠れ層が12というのは、ディープマインド社が精度と速度のバランスを試行錯誤して決めたものだと想像できます。

  補足ですが、No.174「ディープマインド」で紹介した「Nature ダイジェスト 2016年3月号」に「プロ棋士どうしの対局の3000万通りの局面を調べ」とあるのは間違いです(原文か訳か、どちらかの間違い)。SL policy network の訓練データは KGS Go Server のアマ高段者の対局データです。


RL policy network


RL policy networkとは、強化学習(reinforcement learning)の手法を使って、SL policy network をさらに "強く" したものです。基本的な方針は policy network 同士の「自己対局」です。policy network に従って碁を打つということは、policy network が示す確率分布に従って手を打つということになります。

まず初期値として RL = SL とします。そして「強化試合相手の集合(policy pool)」を設定し、初期状態ではSLをひとつだけ policy pool に入れておきます。

一回の「強化」は次のように進みます。policy poolの中から「強化試合相手」をランダムに選び、RLをその相手と128回対戦させます(AI研究の用語でいう mini batch)。この対戦過程の全盤面を記憶しておき、RLの対戦成績が最も高くなるように、RLのニューラルネットワークのパラメータを調節します。

以上の強化を500回行うごとに、その時点でのRLを policy pool に入れます。この強化を1万回(1回あたりの対戦は128回)繰り返して、最終的なRLとします。従って「自己対戦」は128万回行ったことになります。もともと SL policy network は KGS Go Server の約16万局のデータをもとに訓練されたものでした。それからすると RL の作成で行った自己対局の128万回は断然多いことになります。

こうして作成された RL policy network を市販のコンピュータ囲碁プログラムと対戦させた結果が報告に載っています。Pachi というプログラムは、オープンソースの(ソースコードが公開されている)コンピュータ囲碁プログラムでは最強と言われていて、KGSのレーティングではアマチュア2段(2d)です。RL はPachi と対戦して 85%の勝率でした。一方、SL は 11%の勝率でした。RL policy network は SL policy network に比べて格段に強くなったと言えるでしょう。このように、すべてコンピュータ内部で自動的に行える「自己対局」を繰り返すことで強くできるアルゴリズムを作れることが、ニューラルネットワークをコンピュータ囲碁に持ち込む大きなメリットでしょう。



RL policy network はなぜ強くなったのかを推定してみます。SL policy network の最大の弱点は、機械学習の教師データとした「2840万の盤面における次の一手」が最善手とは限らないことです。教師データは、あくまでアマチュア高段者の実際の対局データ(約16万局)です。高段者と言えども、次の一手には悪手や疑問手が多数含まれているはずだし、中には "ポカ" もあるでしょう。それらを全部 "正しい" 教師データとして機械学習したのが SL です。

RL は SL 同士の自己対局で作られました。「SL に勝つような SLの修正版が RL」であり、そういった "カイゼン" を次々と繰り返していって完成したのが最終的な RL です。しかも "カイゼン" のための自己対局の数は、元の教師データの対局数より圧倒的に多い。この結果、元々の SL に含まれていた「疑問手・悪手・ポカ」を打つ傾向が薄まったと考えられます。RL が最善手を打てるとは言わないまでも「最善手を打たない傾向は、かなり弱まった」と考えられるのです。想像するに「アマチュア高段者が実際に打った手を予測できる」という点に絞れば、RL は SL より予測精度が悪いのかも知れません。RL の予測精度は研究報告には書いてないのですが、つまり「そういった議論は意味がない」ということでしょう。しかし RL が最善手を示す確率は SL よりも高い。おそらくそういうことだと考えられます。

強化学習というと何か新しい能力を獲得したように感じてしまいますが、この学習はあくまで自己対局によるものです。「SLには無かった良い面」を新たに獲得したとは考えにくい。むしろ「SLの悪い面」を少なくした、これが強化学習の意義だと思います。市販のプログラム、Pachi との対戦で 85%もの勝率をあげたのは、このような理由だと推定できます。



Pachi との対戦での重要な注意点は、市販のコンピュータ囲碁プログラムは、打つ手の先を次々と読んで有力な次の手を判断していることです。一方の policy network は「手を先読みする」ことは一切せず、現在の盤面(state)だけから、次に打つべき有力手を計算します。つまり人間同士の囲碁の勝負でいうと、盤面を見て直感で打つことに相当します。直感で手を打つ RL policy network が、手を先読みする市販のコンピュータ囲碁プログラムと対戦して85%の勝率をあげたということは、RL policy network を手を先読みする機能と組み合わせれば非常に強いコンピュータ囲碁プログラムができるだろう、と推定できるのです。

ディープマインド社がやったことはまさにそういうことであり、市販のコンピュータ囲碁プログラムで「手を先読みする」ときに広く使われているモンテカルロ木検索(Monte Carlo Tree Serch. MCTS)と policy network を組み合わせることでした。

次にその「モンテカルロ木検索」なのですが、その前に、モンテカルロ木検索で使われる重要な手法である「ロールアウト」の説明です。ロールアウトもディープマインド社の発明ではなく、現在のコンピュータ囲碁プログラムで一般的に使われている手法です。


ロールアウト(rollout)という手法


ロールアウトとは、モンテカルロ木検索で使われる重要な手法です。プレイアウト(playout)と呼ぶことが多いのですが、ディープマインド社の研究報告に従ってロールアウトとします。ロールアウトとは次のようなものです。

ある盤面において次に打つ候補手が複数あるとする(たとえば合法手のすべて)。

どの候補手が一番有力かを見極めるために、候補手の次から始まって黒白交互に合法手をランダムに打って終局まで進め、その勝敗をみる(=ロールアウト)。

これを何回か繰り返して勝率を計算する。そして勝率のよい候補手ほど有力とする。別の言い方をすると、候補手を打ったときの盤面の優劣を、そこからのロールアウトの勝率で判断する。

この「黒白交互に終局まで合法手をランダムに打って勝敗をみる」のがロールアウトです。ランダムということは、候補手の有力な度合いを確率的に判断するということです(自分の目をつぶす手は合法手から除外します)。かつ、序盤であれ中盤であれ、また終盤であれ、とにかく最後までヨセてみる。それを繰り返してその勝率で候補手の有力度合をみるということです。これは人間の思考とはかなり違います。人間なら「最後までヨセたらどうなるか」という思考で打つのは終盤だけです。序盤・中盤でそんなことは考えない(考えられない)。ロールアウトはコンピュータ囲碁の着手に人間とは違った要素を持ち込むと考えられます。

ロールアウトという "乱暴な" 手法がなぜ成立するのかと言うと、囲碁というゲームが「どこに打ってもいいから合法手を順に打っていくと終局に至るゲーム」だからです。囲碁は着手をするたびに打てる所が少なくなっていきます。だから成り立つ。ちなみに将棋だとこうはいきません。将棋の合法手を互いにランダムに指していって王様が詰むという保証はどこにもありません(逃げられる王手を見逃すのは将棋のルール違反)。

ロールアウトを使うと、次のような着手決定アルゴリズムが考えられます。まず許された時間に何回ロールアウトが可能かを見積もります。囲碁は持ち時間(考える時間)が決まっています。たとえばアルファ碁とイ・セドル 九段の対戦では、持ち時間はそれぞれ2時間でした。囲碁の平均手数を200手とすると、黒白それぞれ100手ですから、1手あたり許される思考時間は72秒です。もちろんそれは平均であって、思考時間の配分もコンピュータ囲碁プログラムを設計する時のポイントです。とにかく許される思考時間の間に、たとえば10万回のロールアウトが可能だとしましょう。そして着手可能な合法手(囲碁のルール上許される手)は100手だとします。そうすると、100手のそれぞれで1000回のロールアウトを行い、最も勝率の良い手を着手する・・・・・・。

もちろん、こんな単純なアルゴリズムでは強いコンピュータ囲碁プログラムにはなりません。なぜなら「無駄なロールアウト」をいっぱいやっているからです。ルール上許される合法手といっても、アマチュア初心者でも絶対打たないような手がいっぱいあります。そんな手にたくさんのロールアウトを繰り返すのは時間の無駄です。ロールアウトはあくまで「確率的判断」で有力な手を見極めようとするものです。有力そうな手にはできるだけ多くのロールアウトを割り当て、ダメそうな手は早々に切り上げる。そうしないと確率的に最善手に近づくことができません。つまり、まず候補手をそれぞれ何回かロールアウトして様子を見て、その中から良さそうな手を選択し、さらにそこをロールアウトする・・・・・・。そのようなアルゴリズムが必要です。しかしロールアウトによる勝敗判断はあくまで確率的なので、何回かロールアウトしてみてダメそうな手であっても、もっとロールアウトすると勝率が良い手に "ける" かもしれないのです。では、どうしたらよいのか。

実は、どの手をロールアウトすべきか、それを決めるための「数学的に最良な方法」が知られています。それが、候補手の Upper Confidence Bound(UCB。信頼上限)という値を計算し、常にUCB値が最大となる手をロールアウトするというアルゴリズムです。UCBは1回のロールアウトのたびに変化していく値で、次の式で計算されます。

  UCB.jpg
UCBi 候補手i のUCB
Ni 候補手i をロールアウトした数
Wi 候補手i のロールアウトによる勝ち数
N ロールアウトの総数(logは自然対数)
k 定数(理論的には2の平方根だが囲碁プログラム依存)

その時点で「UCB最大の手」をロールアウトします。もしUCBが第1項(Wi/Ni)だけだと「その時点で最も勝率が高い手を常にロールアウトする」ことになってしまいます。しかし第2項があるためにそうはなりません。第2項にはNiの逆数があるので「その時点でロールアウトの配分が少ない手」ほどロールアウト候補として有利になります。しかし第2項を見ると分子には logN があります。この意味するところは、ロールアウトの配分率が少ない手が有利だとはいうものの、ロールアウトの総数(N)が大きくなると第2項の効果は相対的に薄れていくということです(logN ではなく N だと薄れない)。k は第2項をどの程度重要視するかという定数です。k が小さいと、より勝率の高い手をロールアウトするようになり、k が大きいと勝率が小さくても "チャレンジ" するようになる。このあたりの決め方がコンピュータ囲碁プログラムのノウハウとなっています。第1項を開拓(exploitation)、第2項を探検(exploration)と呼んだりします。



この数学的裏付けにもとづいたUCBを使うアルゴリズムでも、まだ問題点があります。一つはランダムに合法手を打ってロールアウトするところです。これではいくらなんでも単純すぎる。囲碁には「常識的な手」があります。相手の石が取れるなら取るとか、ノゾキにはツグとか、また、アマチュアで段位を持っている人なら誰でも知っている手筋も多い。そういう常識的な手が打てるなら打つ。そうした方がランダムなロールアウトより盤面の優劣の判断がより正確になると考えられるのです。

実際、現代のコンピュータ囲碁プログラムでは、ランダムではなく一定のロジックに基づいてロールアウトをしています。このロジックをロールアウト・ポリシー(rollout policy)と呼びます。後で書きますが、アルファ碁もロールアウト・ポリシーによるロールアウトを使っています。ロールアウト・ポリシーの必須条件は、高速に計算できることです。ロールアウトによる勝率の推定は、あくまで確率的なものです。ロールアウトの回数が多いほど推定が正確になるので、高速性が大変重要です。

さらに上のアルゴリズムの問題点は、候補手をリストアップする段階で「合法手すべて」としていることです。少なくともロールアウト総数が少ない初期の段階では、それらを均等に扱っている。合法手の中には「囲碁の常識上ダメな手」があるはずです。「囲碁の常識上ダメな手」がロールアウトなしで高速に判別できれば、候補手の中でもロールアウトの優先度を落とすべきでしょう。このロジックも、現代のコンピュータ囲碁プログラムで採用されています。



以上の「常にUCB値を再計算しながら、それが最大となる候補手をロールアウトし、その勝敗の数で手の有力度合いを判定する」アルゴリズムに「手を先読みする」機能を加えたのが、次の「モンテカルロ木検索」です。



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No.179 - 中島みゆきの詩(9)春の出会い [音楽]

今回は、No.168「中島みゆきの詩(8)春なのに」の続きです。No.168では中島みゆき作詞・作曲の、

  春なのに柏原芳恵への提供曲(1983)
  少年たちのように三田寛子への提供曲(1986)

をとりあげました。2曲とも "春の別れ" をテーマとした詩です。そのときに別の中島作品を連想したのですが、今回はそれを書きます。2曲とは全く対照的な "春の出会い" をテーマとする曲、

  ふたりはアルバム『夜を往け』1990

です。


ふたりは


「ふたりは」は、1990年に発売されたアルバム『夜を往け』に収録されている曲です。また、その年の暮れの第2回目の「夜会」で最後に歌われました。その詩を引用すると以下の通りです。


ふたりは

「ごらんよ あれがつまり遊びって奴さ
声をかけてみなよ すぐについて来るぜ
掃除が必要なのさ
この街はいつでも 人並みに生きていく働き者たちの
ためにあるのだから」

街を歩けば人がみんな振り返る
そんな望みを夢みたことなかったかしら子供の頃
街じゅうにある街灯にあたしのポスター
小さな子でさえ私のこと知っていて呼びかけるの
「バ・イ・タ」

「ごらんよ子供たちよ ああなっちゃ終わりさ
奔放な暮らしの末路を見るがいい
近づくんじゃないよ 病気かもしれない
耳を貸すんじゃない 呪いをかけられるよ」

緑為す春の夜に 私は
ひとりぽっちさまよってた
愛だけを望むたび
愛を持たない人だけが何故よびとめるの

「ごらんよ あれがつまり ごろつきって奴さ
話はホラばかり 血筋はノラ犬並み
掃除が必要なのさ
この街はいつでも 人並みに生きていく働き者たちの
ためにあるのだから」

街じゅうにあるどんな店に入っても
誰かがきっと席をあけて招いてくれる おとぎばなし
夢は叶って 誰もが席をたつ
まるで汚れた風を吸わぬために逃げだすかのように急いで

す春の夜に あなたは
傷ついてさまよってた
誰からも聞こえない胸の奥のため息が
私には聞こえた

緑為す春の夜に ふたりは
凍えきってめぐりあった
与えあう何ものも残ってはいないけど
もう二度と傷つかないで

耳を疑うほどに 他人ひとは喜んでいた
「まとめて片付く 早く旅立つがいい」

緑為す春の夜に ふたりは
凍えきってめぐりあった
与えあう何ものも残ってはいないけど
もう二度と傷つかないで

A1990『夜を往け』

夜を往け.jpg
中島みゆき夜を往け」(1990)

①夜を往け ②ふたつの炎 ③3分後に捨ててもいい ④あした ⑤新曾根崎心中 ⑥君の昔を ⑦遠雷 ⑧ふたりは ⑨北の国の習い ⑩with

さっき書いたように、この曲は1990年の第2回目の「夜会」の最後に歌われました。その前の年、1989年の夜会(第1回)の最後は『二隻の舟』です。『二隻の舟』は「夜会」のために書かれた曲で、1990年の「夜会」の最初の曲でもあり、3年後にアルバムに収録されました(『EAST ASIA』1992)。『ふたりは』という曲は、"二人" ないしは "あなたと私" のことを詩にしているという点で『二隻の舟』と似ています。アルバム『夜を往け』の発売(1990.6.13)は「夜会 1990」(1990.11.16~)より先なのですが、「夜会」の最後に歌うことを想定して書かれたのかもしれません。


シャンソン


『ふたりは』という曲を初めて聴いたとき、詩で描かれた物語について、"どこかで聴いた(見た)ような・・・・・・" という既視感がぬぐえませんでした。

男と女の物語です。男は、社会や町、ないしはコミュニティーの "アウトサイダー" です。最も極端なのはヤクザですが、そこまで行かなくても、不良、チンピラ、アウトロー、嫌われ者であり、さげすんだ言い方では「ゴロツキ」です。

対するのは「性的に奔放な女性」です。職業としては「売春婦」ないしは「風俗嬢」ですが、そうでなくても「あばずれ」とか「ふしだら女」と呼ばれる女性。「誰とでもやる女」と見られていて、さげすんだ言い方では「バイタ(売女ばいた)」です。

要するに、社会や町やコミュニティーの表ではなく裏、光の部分ではなく陰の部分を象徴するような二人です。しかし二人の心の奥底には非常にピュアな部分があり、人を愛したい、人から愛されたいとの思いを秘めている。人々からは蔑まれてはいるが、内心は愛を求めている。二人とも "夢破れて"、夢とは正反対の状況で生きている。そんな「ごろつき」と「バイタ」が、たまたま街で出会い、かれ合う、そういった物語・・・・・・。

これって、映画か歌に似たようなストーリーがあったのではないでしょうか。映画だとすると、イタリア映画かフランス映画です。イタリア映画だと、最後は二人の意志とは無関係な悲劇で終わるというような・・・・・・。映画だと登場人物も多いし、さまざまな尾鰭おひれがついてはいるが、ストーリーの骨子は上のような映画です。

・・・・・・と思ったものの、その映画の題名は何かと問われると、ピッタリとした映画が思い出せません。それに近い映画はあるのですが・・・・・・。

「既視感」が映画ではなく歌によるのだとすると、思い浮かぶのはシャンソンです。しかし、シャンソンでも同じストーリーの曲は思い出せません。

そこで、既視感を抱いた理由はストーリーそのものというより、この曲の構成スタイルがシャンソンのあるジャンルを思い起こさせたから、とも考えました。つまり、物語性がある歌詞で、人生の一断面にハイライトが当たっている。曲の作りとしては「街の人々の声や囁き」と「主人公の言葉」が交錯する。つまり「語りのような部分」と「歌の部分」、オペラで言うとレチタティーボとアリアが交替するような作りになっている。こういった曲の作り方はシャンソンにいろいろあったと思います。

「語りと歌の交替」でいうと、大御所、シャルル・アズナブールの『イザベル』などはその典型です。イザベルという女性への思いを綿々と綴った詩ですが、「歌」の部分の歌詞は "イザベル" という女性名が繰り返されるだけであり、その他の歌詞はすべてメロディーをつけない「語り」になっています。ちょっと極端かもしれませんが。

『ふたりは』と似た詩の内容のシャンソンは思い出せないのですが、詩の内容はともかく、曲の作り方がシャンソンの影響を感じる。そういった全体の雰囲気から既視感を覚えたのだと思いました。既視感の本来の意味は、本当は見聞きしたり体験したことがないのに、あたかも過去に経験したことのように感じることなのです。

  余談ですが、シャルル・アズナブールは92歳(2016年5月現在)です。その「最後の日本公演」を2016年6月に東京と大阪で行うそうです。92歳で現役というのは凄いことですが、「最後の」と銘打って宣伝するプロモーター側の言い方も相当なものです。さっきアズナブールの名前を出したのは、この日本公演のことが頭にあったからでした。


言葉の力


中島みゆき『ふたりは』の詩の話でした。ここには "あそびめ"、"ばいた"、"ごろつき" など、あまり日常的ではない言葉が使われています。そうしたこともあり、描かれた物語は「ある種のおとぎ話」のように聞こえます。詩の中に主人公の言葉として "おとぎばなし" が出てきますが、全体が「おとぎばなし」のようです。物語の内容もシンプルで、中島作品にしてはめずらしく平凡な感じがします。もっとストレートに言うとステレオタイプに思える。中島みゆき "らしくない" 物語という感じがします。

しかしこの詩には全体を引き締める「言葉」があると思うのですね。それは4回繰り返される「緑為す春の夜」という表現です。この印象的な一言があるために、詩の全体が生きてくる。物語としては "ありがちな" 話かもしれないけれど、短いが印象的な言葉の力で詩全体が独特の光を放っていると強く感じます。

その「緑す春の夜」とはどういう意味でしょうか。まず「夜」ですが、主人公の二人は社会において、光よりは陰、表よりは裏のポジションにいる男と女です。二人が出会う時間は「夜」というのが当然の設定でしょう。この曲が収められたアルバムのタイトルも『夜を往け』です。男と女はまだ "夜をって" いる。

しかし季節は「春」です。冬が終わり、肌にあたる空気も刺すような冷たさではありません。夜に戸外をさまよったりすると "凍えきる" かもしれないが、空気感は明らかに冬とは違う。"春先" か "早春" と言うべきかもしれません。生命の活動が再開する季節であり、物語としてはポジティブな将来を予想させます。夜もいずれ終わり朝がくることも暗示しているようです。"夜をった" 向こうには朝がある。

この「春の夜」ですが、古今和歌集や新古今和歌集に「春の夜」を詠った和歌がいくつもあったと思います。古今和歌集の有名な歌に、

  春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香やは隠るる(凡河内 躬恒おおしこうちのみつね

があります。「春の夜の闇は、わけの分からないことをするものだ。梅の花は隠しても、香りは隠せるだろうか(隠せない)」というほどの意味ですが、ここで「春の夜」に付け加えられているモチーフは花(梅)の香りです。夜であっても香りは感じます。

ほかに五感に関係するもので「春の夜」に合わせるとしたら月でしょう。それも、空気が乾燥してくっきりと見える冬の月ではなく、南からの風が吹いて湿度が高くなったときのおぼろ月です。「春の夜」に朧月を登場させた短歌もいろいろあったと思います。

しかし『ふたりは』において「春の夜」に添えられているのは「緑為す」という形容句です。これはどういう意味でしょうか。少なくとも「春の夜」に戸外では「緑」を視認しにくいはずだし、ここに「緑」をもってくるのは意外な感じがします。これには、次の二つの意味が重なっていると思います。

ひとつは、日本に古来からある「緑なす黒髪」という表現で、女性のつややかな黒髪を表します。確か、枕草子にもあったはずです。現代でも、ポップスの歌詞に現れたりする。つまり「緑なす」は「黒」を連想させる言葉であり、と同時に "好ましい黒" というイメージになります。それがこの詩では「夜」に懸かっている。つまり「緑為す夜」であり、それは "好ましい夜" です。

もうひとつの「緑為す」の含意は、草木の葉の緑です。季節は春(春先、早春)なので、新芽や若葉の緑、生命いのちの再生や息吹きを感じさせる緑です。つまり「緑為す春」という連想が働く。まとめると「緑為す」は「春」と「夜」の両方にかかる表現になっていると思います。

「緑為す春の夜」は、きわめて短い表現だけれども『ふたりは』という詩で語られる物語の全体をギュッと濃縮したような言葉になっています。この「緑」と「春」と「夜」の三つの単語を一つのフレーズに持ち込んだのは、ちょっと大袈裟ですが、日本文学史上初めてではないでしょうか。もちろん "あてずっぽう" ですが、そう感じるほと言葉が輝いています。

さらにこの曲は、中島さんの圧倒的な歌唱力と「歌で演技する力」が遺憾なく発揮されています。それとあいまって、数ある中島作品の中でも出色の曲に仕上がっていると思います。


出会い


No.168で取り上げた2曲を含めて

  春なのに1983
  少年たちのように1986
  ふたりは1990

の3曲を比較すると顕著な対比がみられます。「春なのに」と「少年たちのように」は、純真な少年と少女が(卒業で)春に別れる詩です。一方、「ふたりは」のほうは、純真とは真逆まぎゃくの男と女が春に出会い、一緒に旅立とうとする詩です。前の2つの別れの詩とは全くの対極にあります。

『ふたりは』という詩は、1990年代からの中島さんの詩の新しい潮流を象徴するかのようです。この前後から中島さんは、二人でいることの喜び、人が人と出会うことの意義、めぐり逢うことの素晴らしさ、パートナーシップの大切さなどを言葉にした詩を発表しています。

  ふたりは「夜を往け」1990
  with「夜を往け」1990(アルバム最終曲)
  二隻の舟「夜会」1989。「EAST ASIA」1992
  「EAST ASIA」1992(アルバム最終曲)

などです。そのことは、No.66「中島みゆきの詩(3)別れと出会い」でも書きました。数々のアーティストによってカバーされている『糸』は、その典型でしょう。


《糸》

なぜ めぐりあうのかを
私たちは なにも知らない
いつめぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない

どこにいたの 生きていたの
遠い空の下 ふたつの物語

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす糸は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

・・・・・・・・・

A1992『EAST ASIA』

これら一連の詩の中で、強い物語性をもっている『ふたり』の詩は異色であり特別だと言えます。そして物語の "結論"、つまり最後の言葉は「もう二度と傷つかないで」です。中島さんが数多く作ってきた「別れ」のシチュエーションの詩では、傷ついた主人公の女性を表現していることがほとんどでした。強がりを言っているようでも、内心は深く傷ついている。そういった数々の詩に対して『ふたりは』の最後の言葉、

もう二度と傷つかないで」

は、傷ついている過去の幾多の主人公への呼びかけのように聞こえます。

この曲は1970年代から数多く作られてきた「別れ」の詩とは逆の内容を提示することにより、クリエーターとしての中島さんが新しい段階に進んだことを示しているようです。その意味では「中島みゆき作品史」の中では一つの記念碑的な作品だと思います。

続く


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No.178 - 野菜は毒だから体によい [科学]

前回からの続きです。前回のNo.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」で書いたことをまとめると、

苦味とは(本来は)危険のサインである。

舌で苦味を感じている「苦味受容体」は、実は体のあちこちに存在し、細菌を排除するためのセンサーとして働いている。

我々が往々にして「苦いが安全な飲物・食物」を摂取するのは「苦味受容体」を活性化させるためではないか。

ということでした。No.177は日経サイエンスの記事からの紹介なのですが、記事に書いてあったのは ① と ② であり、③ はあくまで個人的な感想です。しかしなぜ ③ を思ったのかというと「植物の毒素がヒトにプラスの効果をもたらす」ことを解説した別の記事を読んでいたからでした。今回はその話です。


野菜を食べる意味


世の中一般に「野菜を食べましょう」と推奨されています。野菜を食べることは体にいい、健康にいいと、多くの情報が各種メディアで発信されています。野菜不足を補うためのサプリメントや機能性食品も数多く発売されている。では、なぜ野菜が体にいいのでしょうか。

普通の答は、消化器系を活発にする食物繊維がとれるからであり、各種のビタミンや鉄分などの栄養素の摂取であり、また、活性酸素(フリーラジカル)を弱める抗酸化作用がある各種成分が含まれているからでしょう。そう考えるのが普通です。

しかし最近の研究で「野菜や果物を食べる」ことは、一般的に考えられている以上の効果があることが分かってきました。その効果こそ、野菜や果物を食べるべき一番の理由かもしれないのです。

以下に、日経サイエンス(2016.1)に掲載された「微量毒素の効用」という解説記事から引用します。著者はマーク・マトソン教授で、ジョンズ・ホプキンス大学医学部教授、かつ米国・国立老化研究所 神経科学研究室長の方です。


微量毒素の効用


この解説記事では「なぜ野菜や果物が体によいのだろうか」という問いに対する答えとして、次のように書かれています。


いま見えはじめてきた答えは、植物が害虫から身を守るために何百万年もかけて進化させた防御策に深く関係している。植物が作り出す苦味のある化合物は天然の殺虫剤の役目を果たしている。私たちが植物由来の食品を食べると、これら低濃度の毒性化合物も摂取され、それが人体の細胞に運動や断食と同じような軽いストレスをかける。それで細胞が死ぬことはない。それどころか、弱いストレスに対抗することで、より強いストレスに耐える能力がむしろ強化される。

細胞の回復力が高まるこの現象は「ホルミシス」と呼ばれ、最近の多くの研究は果物や野菜の摂取が体によいのもホルミシスのためであることを示している。

マーク・マトソン教授
「微量毒素の効用」
日経サイエンス(2016年1月号)

植物が昆虫との戦いの中で毒素を獲得してきた経緯、およびヒトと毒素の関係については、以下のように書かれています。


果物や野菜が健康によいのは、植物がそれを食べる昆虫などの動物との間で太古の昔から繰り広げてきた戦いの偶然の副産物だ。個体として、そして種として存続するため、植物は身を守る対抗策を発達させる必要があった。そして何億年もの進化の中で、天然の殺虫剤を合成できるようになった。

それらの化合物はふつう、昆虫を殺しはしない。植物にとって捕食者が死ぬかどうかはどうでもよく、ともかくいなくなってくれればよいのだ。植物がよく使う手は害虫の神経系に作用して追い払う化合物だ。人の舌の味蕾みらいと同様の感覚器が昆虫の口にもあり、これが化合物を感知すると脳に合図が伝わり、植物を食べるのをやめるべきかが判断される。

植物にとって最大の敵は昆虫だが、私たちの祖先である初期の霊長類も、すみかとしていた熱帯林で見つけた植物の根や葉、果実を利用した。植物は食べ物や薬として役立つ一方で、場合によっては悪心おしんや嘔吐を引き起こし、死につながることもあった。

「同上」

確かに植物の毒の中には、食べると死に至るような猛毒もあります。しかし人間にとってはごく軽い毒も多い。ヒトは長い歴史の中で、そういうものをより分け、食物とし、それを文化として伝承してきたのだと考えられます。


ホルミシス


最初の引用に「ホルミシス」という用語が出てきました。ホルミシスとは「少量なら有益だが、量が増えると有毒になる」という現象です。それを示す分かりやすい図が解説記事にあるので引用します。この図でホルミシスを起こさない毒物とは、たとえば少量でも毒になる水銀です。

ホルミシス.jpg
ホルミシスを起こす毒(上の曲線)と、起こさない毒(下の曲線)を概念的に表した図。ホルミシスを起こす毒は、微量だと体に好影響をもたらす。
(日経サイエンス 2016年1月号より引用)

解説記事では、著者が研究した脳の神経系を例にとって、ホルミシスを起こす物質があげられています。

スルフォラファン(ブロッコリー)
クルクミン(ターメリック)
カフェイン(コーヒーや茶)
カテキン(茶)
カプサイシン(唐辛子)

などです。( )はその化合物が含まれる代表的な植物です。ターメリックはカレーによく使われる香辛料ですね。脳神経においては、これらの化合物が引き金となり、結果として神経伝達物質(アセチルコリン)の量が増えたり、傷ついたタンパク質が除去されたり、抗酸化物質が増えたりします。

著者は米国・国立老化研究所 神経科学研究室長ですが、なぜその著者が植物由来の微量毒素を研究するかというと、これらが、たとえばアルツハイマー病の治療や予防に使えないかと考えているからなのです。著者の行った実験によると、カレー香辛料の一つであるターメリックに含まれるクルクミンをアルツハイマー病を発症させたマウスに投与すると、活性酸素による脳細胞の損傷が押えられ、アルツハイマー病の直接原因であるベータアミロイドの蓄積が少なくなったそうです。これはクルクミンが活性酸素を除去するのではなく、クルクミンが脳細胞にストレスを与え、それがきっかけとなって脳細胞内で抗酸化酵素の生産が始まるからだと分かりました。ヒトの体はストレスに対抗する、ないしはストレスによるダメージから回復する機能を備えています。その機能を軽いストレスで活性化させる。そこがポイントなのです。

上の図を見て思ったのですが、ホルミシスは「ストレスから回復する体の機能」があるからこそで、その機能は長い進化の中で獲得されてきたものです。ということは、この100年程度の間に人間が作り出した化学物質は、もしそれがヒトにとって毒だとすると、水銀と同じようにホルミシスを起さない毒なのでしょう。植物の微量毒素と人間が作り出した微量毒素(放射線なども含む)を同列に論じることはできないと思いました。


人間と植物のつきあい


これ以降は記事を読んだ感想です。人と植物の毒素のつきあいを振り返ってみると、次のようにまとめられると思います。

植物は昆虫に食べられることを避けるために毒を作り出す。その毒はヒトにとって苦味として感じられる。

その苦味は基本的には「食べてはいけない」というサインである。

しかし毒のなかにはホルミシスを引き起こす毒がある。そのような毒は、微量(適量)を摂取するなら、ヒトの体を健康にする効果をもつ。

そのことをヒトは経験の蓄積で知り、それを伝承してきた。だから我々は、往々にして苦い飲物・食物を摂取する。

この観点からすると、子どもがブロッコリーや渋茶を忌避するとしたら、それは本能的行為であり、子どもとしては正しい行為ということになります。しかし大人になってもなおかつ忌避するとしたら、それは「人類の歴史や文化をわきまえない行為」ということになるでしょう。もちろん食物や飲料には誰しも嗜好があるので、好き嫌いがあってもかまいません。かまわないのですが、苦味(渋味)があるという理由でだけで忌避するとしたら、それは子ども並みだということです。


スポーツの効用


日経サイエンスの記事の引用で、食物の微量毒素が「運動や断食と同じような軽いストレス」を与え、それが体によいという記述が出てきました。断食をしたことはないので何とも言えませんが、運動は確かにそう思います。

個人的にはランニングが趣味なのですが、ランニングというのは「体に軽いダメージ」を与える行為だと思うのですね。体はそのダメージから回復する力を内在している。常に「軽いダメージからの回復過程」に体を置くことで、健康が維持され、風邪もほとんどひかない。そういう風に思います。

もちろん「軽い」ということが重要です。蓄積するような重いダメージ、ないしはケガにつながるようなダメージでは元も子もありません。筋力の鍛え具合い、年齢、ランニングの間隔やタイミング、その時の体調などを判断し、運動量を調整することが重要です。それはランニングだけでなく、趣味でやるスポーツ全般について言えると思います。食物の微量毒素がホルミシスによって体によい影響を与えることと、スポーツが体によいことは、全くパラレルに論じることができると思いました。


使わない機能は衰える


さらに以上の話は、人間の免疫機能についても同じように考えられると思いました。No.119-120「不在という伝染病」で書かれていたことは、人間の免疫機能を正しく維持するには「微生物に接する環境」が重要であり、それによって免疫関連疾患も少なくなるいうことでした。人間は、

ストレスやダメージからの回復機能
ダメージの原因となる物質や微生物の排除機能

を持っています。こういった機能も「使わないと衰える」わけです。それは、筋肉を使わないと衰えるのとまったく同じことです。回復機能や排除機能を衰えさせないためには、常にそれが働く環境を作ることが重要ということだと思います。

健康に過ごすために、人は往々にして「不健康になる原因を取り除く」ことばかりを考えていまいます。しかし不健康になる原因は生活環境中にいっぱいあります。それを完全に排除することはできません。だとしたら、人が本来もっている「少々の不健康からはすぐに回復できる力」を鍛えておいた方が得策というものです。鍛えないまでも、衰えないような生活習慣を身につけた方がよい。そいういうことだと思いました。


サプリメントと品種改良


この「微量毒素の効用」という記事は、「サプリメント」と「野菜の品種改良」についての問題提起にもなっていると感じました。記事を読んで分かることは、

  野菜をとることと、野菜不足を補うためにサプリメントを飲むことは意味が違う

ということです。なぜなら、サプリメント(ビタミンや各種の栄養素、食物繊維など)には微量毒素が入っていないからです。サプリメントに意味が無いわけではありませんが、野菜の摂取を代替できないことを知っておくべきでしょう。

このことに関してですが、記事の中に「運動と抗酸化サプリメントの摂取の両方をやると血糖値が低下しなかったが、運動だけをすると血糖値が低下した」という、別の研究チームの実験結果が出てきます。この理由ですが、抗酸化サプリメントの摂取が運動によるホルミシスを阻害するからではと疑われています。サプリメントは野菜を代替できないのみならず、有害なこともありうる(疑い)のです。

さらに、前回のNo.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」でも書いたのですが、

  野菜や果物に含まれる苦味物質=微量毒素を少なくするような品種改良は、人間の健康にとってマイナスになる

と理解できます。なぜならその手の品種改良は、わざわざ一番大切なものを失っているからです。これは品種改良ではなく品種改悪と呼んだ方がよいでしょう。

植物を含む自然界の仕組みは奥深いし、人間の体のしくみも解明されていないことがいっぱいあります。うわべだけを見て判断する「浅知恵」にならないようにしたいものです。




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No.177 - 自己と非自己の科学:苦味受容体 [科学]

ヒトの免疫についての記事の続きです。今までの記事でヒトの免疫について5回書きました。

  No.69自己と非自己の科学(1)
  No.70自己と非自己の科学(2)
  No.119「不在」という伝染病(1)
  No.120「不在」という伝染病(2)
  No.122自己と非自己の科学:自然免疫

の5つです。No.69とNo.70は "獲得免疫"、No.122 は "自然免疫" の話です。また No.119-120 は免疫関連疾患と "微生物の不在" の関係でした。

獲得免疫は特定の "非自己"(細菌やウイルス)に特異的に反応する免疫系です。その発動には時間がかかりますが(数日程度)、免疫記憶が成立するので2度目に同じ "非自己" が進入しようとしたときには速やかに撃退します。つまり実質的に病気にかからなくなるわけです(ワクチンの原理)。

一方の自然免疫は、自然界に存在する "非自己" の一般的な特徴(RNAや細胞壁など)に反応するため、特定の非自己を狙い撃ちすることはできませんが、反応時間が短いという特徴がありました。速効性がある免疫系です。

ヒトの免疫系は、従来、これら獲得免疫と自然免疫だと考えられてきました。しかし最近の研究で、別種の「非自己排除システム」がヒトに備わっていることが見つかってきました。それは「第2の自然免疫」とでも言うべきもので、今回はその話です。


鼻や気道の防御システム


ヒトが外界から何らかのモノを取り入れる器官というと、まず思い浮かぶのが口・食道・胃・十二指腸・小腸という消化器系です。消化器系には食物や水分とともに各種の細菌やウイルスが入ってくるので、ヒトの免疫系がそれらを排除する "最前線の戦場" となっています。

しかし外界からモノを取り込むという意味では、もう一つ重要な器官があります。鼻・気道・気管・肺という呼吸器系です。ここにも空気と一緒に細菌やウイルスなどの "非自己" が入ってきますが、最近の研究でこれらを排除するしくみがあることが分かってきました。以下に、日経サイエンス 2016年5月号の解説記事から引用します。著者はペンシルヴァニア大学のリー助教授とコーエン準教授です。引用中の下線は原文にはありません。


人は平均して1日に1万リットルを超える空気を主に鼻を通して吸い込んでおり、その空気には無数の細菌や真菌、ウイルスが含まれている。つまり鼻は呼吸器における防御の最前線に位置するわけだ。息をするたびに塵やウイルス、細菌、真菌の胞子などが鼻で捕らえられる。だが驚くことに、たいていの人は気道感染症を患うことなく自由に呼吸して歩き回っている。

その理由は、かつては思いも寄らなかったことに、舌にあるらしい。舌で苦味を感じているタンパク質、つまり「苦味受容体」が、別の役割を持っていて、細菌から体を守っていることが明らかになったのだ。私たちの研究で苦味受容体が鼻の細胞にも存在し、細菌に対して3種類の防御反応を誘発することが示された。

リー助教授・コーエン準教授
(日経サイエンス 2016年5月号)

ここで "味" について復習しておきますと、舌の味蕾みらいには、味のセンサーである「味覚受容体」があります。味覚受容体は5種類あり、甘味、苦味、うま味、酸味、塩味を検知します。これは私たちが口にした食物の情報を脳に伝えるものです。甘味は「糖」、うま味は「アミノ酸」、酸味は「酸 = 水素イオン」、塩味は「塩 = ナトリウムイオン」です。では苦味は何を検知しているのでしょうか。


苦味受容体はストリキニーネやニコチンなどアルカロイドと総称される植物由来の毒性化学物質を検知できる。そして、私たちが「苦い」と表現している味を、脳は不快なものと感じる。苦味受容体は、害を及ぼす可能性がある化学物質の存在を知らせるために進化してきたからだ。

有害物質の検知は生存に不可欠である。苦味受容体に実に多くの種類があるのはこのためだろう。甘味や塩味、酸味、うま味を感じる受容体はそれぞれ1種類しかないが、苦味受容体は少なくとも25種類ある。これらの苦味受容体はまとめて T2R と呼ばれ、おそらく多様な毒素を私たちが認識して飲み込まないようにするために進化したのだろう。

「同上」


3種の防御システム


苦味受容体は、最初の引用にあるように、細菌に対して3種類の防御反応を誘発します。それが初めて発見されたのは、肺でした。


体の別の場所にある苦味受容体が果たしている役割について手がかりが得られ始めたのは2009年のことだ。その年、アイオワ大学の研究者が肺の内面を覆う上皮細胞にT2Rを発見した。肺に吸い込まれた病原菌や刺激物質は、上皮細胞の上にあるねばねばした粘液に捕らえられる。すると、細胞表面の小さな線毛が同期して1秒間に8~15回むち打ち運動し、刺激物質を喉に向けて押し戻す。押し戻された刺激物質は、飲み込まれるか体外に吐き出される。

アイオワ大学の研究チームは、T2Rが苦味物質によって刺激されると、人間の肺上皮細胞の線毛運動が速くなることを見いだした。この発見は、害を及ぼす可能性のある吸引物質(口では苦いと感じられるもの)を気道から除去するのにT2Rが寄与していることを示唆している。

「同上」

苦味受容体が誘発する3種類の防御反応のうち、その1番目は「細胞にシグナルを送り、線毛を動かして進入物を押し出す」という防御反応です。それは肺だけでなく鼻にもあることが分かりました。



2番目の防御反応は「苦味受容体が細胞に指示して殺菌作用のある一酸化窒素を放出させる」というものです。この反応は次のように進みます。①~④の数字は下の図と対応しています。

グラム陰性菌は鼻に感染すると、アシル化 ホモセリン ラクトン(AHL)という化学物質を放出する。

このAHLは鼻の上皮細胞の線毛に存在するT2R38と呼ばれる苦味受容体(25種ある苦味受容体の一種)によって検知される。

これを受けて、細胞は一酸化窒素をガスを放出する。

このガスが細菌を殺す。

一酸化窒素プロセス.jpg
(日経サイエンス 2016年5月号より引用)

グラム陰性菌という言葉が出てきましたが、一般に細菌は「グラム陽性菌」「グラム陰性菌」「マイコプラズマ」の3種に大別できます。これについては、No.122「自己と非自己の科学:自然免疫」に説明を書きました。ヒトの病原性細菌の大多数はグラム陰性菌です。



3番目の防御反応は「苦味受容体が別の細胞にシグナルを送り、ディフェンシンという抗菌タンパク質を放出させる」というものです。この反応は次のように進みます。この反応には、ブドウ糖などを検知する甘味受容体(T1R)も関係しています。

感染性細菌が出す苦味物質が苦味受容体(T2R)に接触する。

細胞はカルシウムを放出する。

カルシウムが合図となって周辺の細胞がディフェンシンというタンパク質を作りだし、放出する。

ディフェンシンは細菌を傷つけて殺す。

その結果、ブドウ糖などの甘味物質が細菌に消費されなくなり、増加する。

甘味受容体(T1R)がブドウ糖を検知すると、苦味受容体(T2R)の活動が押さえられる。

ディフェンシン・プロセス.jpg
(日経サイエンス 2016年5月号より引用)

甘味受容体(T1R)が苦味受容体(T2R)の過剰反応を押さえる役割を担っていると考えられています。



さらに最近の研究によると、苦味受容体は鼻や肺などの呼吸器系だけでなく、体のあちこちに存在し、免疫機能を果たしていることが分かってきました。


鼻以外の器官でも、味覚受容体と免疫との関連性が見えてきた。2014年、尿路の化学感覚細胞が病原性大腸菌に出会うと、T2Rを使って膀胱を刺激して排尿を促すことが明らかになった。体が細菌を尿とともに洗い流して膀胱感染症を防ごうとしているのだろう。最近の別の研究では、好中球やリンパ球などの白血球(免疫系の主要メンバー)もT2R38を使ってグラム陰性菌が作るAHLを検知していることが示されている。

「同上」


自然免疫との比較


苦味受容体による細菌からの防御システムと、No.122 の自然免疫を対比すると、大きな違いはその反応時間です。自然免疫の反応は数時間かかりますが、苦味受容体は数秒から数分で反応すると言います。リー、コーエン両教授の解説記事にも、


苦味受容体は一種の "臨戦態勢" にあって、即座に反応を起こすことで、感染初期において最も重要な防御を担っているのかもしれない。他の免疫受容体(引用注:自然免疫、獲得免疫にかかわる受容体)は感染が長期化した場合に重要になるのだろう。最初の免疫反応では不十分だった場合に、免疫軍を召集するのだ。

「同上」

と書かれていました。まさに苦味受容体による防御反応は第2の自然免疫であり、最初に反応する最前線の免疫系なのです。


苦味受容体の多様性


苦味受容体の大きな特徴として解説記事で強調されているのは、その遺伝的な多様性です。


T2R苦味受容体に多くの遺伝的変異体が存在することは、免疫におけるこれらの受容体の役割をいっそう興味深いものにしている。25種類の苦味受容体のほとんどに検知能が異なる遺伝的変異体があるため、苦味物質に対する感受性は人によって異なる。

「同上」

そして、苦味物質に対する感受性の強い人は、グラム陰性菌による鼻の感染症にかかる率が低いことが書かれていました。

ここからは感想ですが、このくだりを読んで思い起こしたのが獲得免疫の多様性です(No.69-70)。免疫の働きは人によって強い・弱いがあります。"非自己" を徹底的に排除する(免疫力が強い)のが一見良いようですが、そうすると、間違って "自己" を攻撃することになりかねません。また "非自己" といっても、細菌の多くは人間と共生しているわけであり、病原性を示すものは少数です。さらに "非自己" のありようは、ヒトを取り巻く環境によって大きく変わります。つまり多様性が大切なのであって、ヒトは長い進化の中で多様性を獲得してきたわけです。

獲得免疫に関するこの多様性の話は、苦味受容体にも当てはまりそうです。しかも、苦味受容体の反応を押さえる役割(甘味受容体)もある。これも獲得免疫と似ていると思いました。


苦味の効用


苦味とは何か。それは五味(甘味、うま味、苦味、酸味、塩味)の中で、一つだけ他とは違っているようです。解説記事にあるように、

  苦味とは危険のサイン

だと理解できます。ヒトは舌で苦味を感じると、その苦味物質を吐き出す。鼻にある受容体が苦味をキャッチすると、その原因物質(細菌)を排除する。同じメカニズムが働いています。苦味のセンサーである苦味受容体は多種類あり、それはヒトが長い進化の歴史の中で獲得してきたものです。

しかし飲料・食物の中には、苦味を感じても危険でないものがあるわけです。そして我々は往々にして、そういった「安全な苦味」を口にしている。たとえばコーヒーです。コーヒーにもいろんな濃さがありますが、たとえばスターバックスのドリップ・コーヒーやエスプレッソをブラックで飲むと、それはかなり苦い。でも我々は(私は)ブラックのコーヒーやエスプレッソを飲みます。

他の飲料では、ビールが苦いわけです。ホップの苦味がないとビールではなくなります。お茶(緑茶、紅茶)も、種類や入れ方にもよりますが、苦味がある。

ここで言葉(日本語)に注意しなければならないと思います。No.108「UMAMIのちから」で書いたように、日本語では「苦い」と「渋い」を区別しますが、英語では両方とも bitter です。そして学術的に言うと「渋味」は「苦味」の中に含まれています。「渋味」というのは5つの基本味には入っていないのです。苦味受容体という場合の「苦味」は、日本語の「渋味」を含めて考えないといけない。そういう意味で、お茶は(特に緑茶は)"苦い" ものが多いわけです。さらに飲み物では、赤ワインにもブドウの皮に由来する "苦味"(=渋味)がある。基本味で言うと、酸味プラス苦味で成り立っている飲み物が赤ワインなのですね。

日常の食品でも苦いものがあります。生のニンジン、ブロッコリー、キュウリ、菜の花、芽キャベツ、ホウレン草、ピーマン、パセリ、セロリなどは(本来は)苦味を感じるものだし、その他、いろいろあると思います。柑橘類にも苦いものがある。サンマや鮎の塩焼きや、丸干しなどのワタ(魚の内臓)もそうです。我々は子どもの頃は、そういった飲料・食品は好まないのですが、大人になるにつれてしばしば(ないしは日常的に)口にするようになる。それはどういうことなのか。

それは「安全な苦味」を口にすることで、消化器系や呼吸器系の苦味受容体を活性化させ、体から "非自己"(細菌など)を排除する働きを高めているということではないでしょうか。苦味受容体が「第2の自然免疫」のセンサーとして働いていることを知ると、そういう風に思えてきました。その意味で、苦み物質を消し去るように野菜を品種改良することは、果たしていいことなのかとも考えました。甘ければいいというのは、違うのではないか。子供に "おもねる" がごとき品種改良はやめた方がいいのではないか・・・・・・。

とにかく、この記事を読んで「ブラックのコーヒーを毎日飲む理由」と「赤ワインをしばしば飲む理由」が、個人的には納得できた次第です。さらに、長い日本の歴史において日常的に緑茶を飲む習慣ができあがり、それから発展して日本文化の大ジャンル(=茶道)が確立した理由が(あくまで個人的感想としてですが)理解できました。

続く



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No.176 - 将棋電王戦が暗示するロボット産業の未来 [技術]

No.174「ディープマインド」No.175「半沢直樹は機械化できる」に続いて AI(人工知能)の話を書きます。特に人工知能とロボットの関係です。考える糸口としたいのはタイトルに書いた "将棋電王戦" なのですが、まずその前に、ロボットについて振り返ってみます。


産業用ロボット


ロボットはすでに現代社会において広く使われています。いわゆる「産業用ロボット」で、主に工場や倉庫で活躍しています。ここで言う "ロボット" とは、単なる機械ではありません。複数の工程や手順の組み合わせを自律的に行って、まとまった仕事や人に対するサービスを行う機械です。単一の動作、たとえば "瓶に液体を積める作業" だけを繰り返す機械は、ロボットとは言いません。また常に人間の指示によって動く機械、たとえば建設現場のクレーンや遠隔操縦のマジックハンドのような「非自律的な機械」も、ふつうロボットとは言いません。複数手順の組み合わせを自律的に行うのがロボットであり、そのうち、主として工場・倉庫などで使われているのが産業用ロボットです。具体的な用途としては、自動車の生産ラインにおける溶接や塗装、製品や部品の搬送、部品の研磨、電子部品の装着、製品の検査などがあります。

No.71「アップルとフォックスコン」で書いたマシニングセンター(工作機械の一種)は、ふつう "ロボット" とは呼びませんが、ロボットと同等の機械です。鴻海ホンハイ精密工業は、iPad / iPhone の外装ボディを金属塊から削って作っていますが、ここで使われているマシニングセンターは、複数のドリル・工具をとっかえひっかえして "自律的に" iPad/iPhone の複雑な曲面を切削していきます。日本のファナックの製品名は「ロボドリル」であり、このネーミングは産業用ロボットだと言っているわけです。

以上のように産業用ロボットは「自律的」に動作するのですが、この動作は人間があらかじめ "教え込んだ" ものです。一連の動作をどう進めるか、どういう条件ならどいういう風に動作を変えるかなどがあらかじめ詳しく指示されていて、その指示がプログラムとしてロボットの制御装置の中に内蔵されています。この指示通りにロボットは動きます。

産業用ロボットは日本の有力産業であり、世界のシェアの60%程度は日本企業が占めています。安川電機、ファナック、川崎重工、不二越、パナソニック、ヤマハ発動機、デンソーなどが有力メーカーです。


次世代ロボット


一方、産業用ロボットと対比する形で、今後大きく伸びると考えられているロボットがあります。それを「次世代ロボット」と呼ぶことにします。次世代ロボットは次のような特徴を備えています。

 知能化 

まず、人間の「脳の働き」がメジャーだと考えられている仕事を行うという特徴があります。力仕事や高速動作などの "物理的身体能力" を越えた仕事やサービスを行うのが次世代ロボットです。何点かの例をあげます。

二足歩行
人間とは "二足歩行するサル" という言い方もあるぐらいです。二足歩行は人間の顕著な特徴であり、脳の複雑な機能で達成されています。この二足歩行ロボットの先駆けとなったのは本田技術研究所の ASIMO です。二足歩行は、平坦な床ならまだしも、"階段を上る・下る" となるととたんに難しくなるし、"瓦礫がれきの中を進む" となると格段に難しくなります。

画像認識や音声認識
画像から意味を認識するのも、知能の働きです。たとえば手書き文字を認識したり、猫の写真をみて猫だと認識したり、顔の画像から同じ人だとわかるといった認識機能です。

言語認識
画像や音声の認識をベースに、もっと高度な知能として言葉の認識があります。言葉の意味を理解して、行動したり質問に答えたりするものです。

また、これらの機能が「固定的ではない」のが次世代ロボットです。つまり次世代ロボットの特徴として次があげられます。

学習する
ソニーのAIBOやソフトバンクのPepperがそうであるように、次世代ロボットは学習し、成長します。つまり、
使っていると、使用者に合わせるようになる
だんだんと賢くなる
次第に効率的に仕事をこなせるようになる
といった特徴、性質です。

類推する
あらかじめ学習しなかった状況、いままで無かった状況にも対応します。新しい状況にどう対応すべきか、過去の経験をもとに類推し、推論して行動を決めることができます。
これは、No.174「ディープマインド」で書いたコンピュータ将棋のプログラムと本質的に同じです。プロ棋士の過去の指し手をもとに、局面の優劣を判断する「評価関数」が決まるのですが、この評価関数はもちろん過去に現れなかった局面でも優劣を判定できます。将棋のは、序盤はともかく特に終盤は過去の棋譜と同じ形が現れることはまずないので、類推・推論ができないとコンピュータ将棋のプログラムにはなりません。

 社会で活躍 

工場や倉庫だけでなく、家庭、病院、オフィス、公共施設、小売店の店頭、リクレーション施設、道路、空、農場、牧場、海や河川、など、社会のさまざまな場所やシーンにロボットの活躍の場が広がります。その目的も、エンターテインメントから、移動、介護、窓口対応、案内、危険作業まで、さまざまです。

一つだけ例をあげると、道路を活躍の場とする自動運転車です。これは次世代ロボットの代表と言っていいでしょう。自動車各社は自動運転の公道実験を繰り返しているようで、実現時期を公表している会社もあります。公表時期が一番早いのは日産自動車で、2016年に高速道路の1車線、2018年に高速道路の複数車線、2020年に交差点を含む市街地となっています。2016年4月15日の日経新聞は、高速道路での自動運転ができるミニバン(セレナ)を2016年8月に売り出すと報じました。

高速道路の1車線限定でも自動運転ができれば、そのメリットは大です。高速道路の長距離運転をしていて一番怖いのは(私にとっては)居眠りです。眠気を感じてゾッとすることがある。万一、事故を起こしたら・・・・・・と思ってゾッとするわけです。もちろん "休み 休み" 運転するのが大原則ですが、自動運転モードにすることが可能だと非常に大きな安心材料になります。

自動運転ではありませんが、一般的になってきた「自動ブレーキ」だけでもメリットは大きい。スバル車の自動ブレーキ機能(EyeSight)を搭載したクルマは、非搭載車より1万台あたりの追突事故件数が84%も減ったそうです。スバルが2016年2月にこの調査データを公表しました。自動ブレーキだけでこの効果です。自動運転が実用化されると交通事故は激減するでしょう。

さらに、任意の道路での自動運転までいかなくても、たとえば過疎地において「自宅と、指定した数カ所を巡回するだけの自動運転」が実用化できれば、高齢者の足の確保に大きな威力を発揮するはずです。地方再生にもつながるでしょう。

 動かないロボット 

「知能化」が大きな特徴だとすると、その特徴を生かすなら「次世代ロボットは動かなくてもいい」わけです。この点で、今後一番ホットな開発競争なるのは、個人が常時携帯するスマートフォンでしょう。

No.159「AIBOは最後のモルモットか」でスマートフォンのビジネスを展開するソニーモバイルコミュニケーションズの話を書いたのですが、そこで「知性をもち、個人に対して働きかけ、役立つスマホ」や、「人工知能(AI)やロボティックスが非常に重要な要素」といった会社幹部の発言を紹介しました。全くその通りだと思います。



いろいろと書きましたが、もちろん次世代ロボットが上にあげたすべての特徴を持つというわけではありません。部分的な特徴から順次組み込まれていくはずです。現在の工場で働いている検査用ロボットの中には、画像認識だけで不良品を検出するものがあります。これなどは「次世代ロボット」の先駆けでしょう。また「知能」と言っても程度問題です。どういう特徴を備えたら「知能」と言えるのか、明確になっているわけではありません。

つまり「産業用ロボット」と「次世代ロボット」の区別は厳密なものではなく、両者の境界に属するようなロボットもいろいろあります。あくまでロボットのトレンドとして、ないしはロボット産業の方向性として、今までは「産業用ロボット」が市場の中心だったが、今後は「次世代ロボット」にシフトしていく、そいういう傾向だと言いたいわけです。そして重要なのは、

  21世紀の大産業を一つだけあげよ、と言われたとしたら、その答えは「次世代ロボット」

だと思うのです。ここに世界の産業の浮沈、大げさにいうと国の経済の盛衰がかかっていると思うのです。


将棋電王戦


以上の「産業用ロボット」と「次世代ロボット」を踏まえた上で、題名にあげた「将棋電王戦」を考えてみたいと思います。将棋電王戦は、将棋のプロ棋士とコンピュータ将棋がハンディキャップなして戦う棋戦で、ドワンゴと日本将棋連盟が主催し、過去何回か行われました。現在も「第1期 電王戦」が進行中です(2016.5.13現在)。

  第1回 将棋電王戦2012年
  第2回 将棋電王戦2013年
  第3回 将棋電王戦2014年
  将棋電王戦 FINAL2015年
  第1期 電王戦2016年

①は米長邦雄永世棋聖との1番勝負、②~④は、プロ棋士とコンピュータ将棋の団体戦(5番勝負)でしたが、⑤から方式が変わりました。⑤は、ドワンゴがスポンサーになって2015年から始まった「叡王戦」の優勝者と、コンピュータ将棋選手権「将棋電王トーナメント」の優勝プログラムとの頂上決戦(2番勝負)です。2016年は山崎隆之 八段と ポナンザ(ponanza。山本一成いっせい氏が開発したコンピュータ将棋プログラム) の戦いです(ポナンザ が先勝。2016.5.13現在。第2局は2016.5.21-22)。

ここでは、プロ棋士とコンピュータ将棋の勝ち負けを論じるのが目的ではありません。注目したいのは、この電王戦のためにデンソーが開発した将棋用ロボット(コンピュータの代わりに将棋を指すロボット=代指しロボット)です。以下はその話です。


デンソーが開発した「代指しロボット」


株式会社 デンソーは、2014年の第3回将棋電王戦から、コンピュータ将棋のプログラムの指令に従って将棋を指すロボットを提供しています。プログラムの代わりに将棋を指すので「代指しロボット」と呼ばれています。その後、改良が続けられて、現在は第3代目になっています。このロボットはデンソーの子会社、デンソーウェーブが開発したものですが、以降、デンソーもデンソーウェーブも区別せずに "デンソー" と記述します。

棋戦 ロボット名称
2014年 第3回 将棋電王戦 電王手くん
2015年 将棋電王戦 FINAL 電王手さん
2016年 第1期 電王戦 新電王手さん

将棋電王戦FINAL・第2局.jpg
将棋電王戦 FINAL・第2局の対戦風景(2015年3月23日)。プロ棋士は永瀬拓矢六段。ロボットはデンソーが開発した「電王手さん」。永瀬六段が勝利した。
(日本将棋連盟のホームページより)

まずデンソーのホームページから、これらのロボットの説明をみてみましょう。下線は原文にはありません。


【電王手くん】

「電王手くん」は、将棋界で初めてプロ棋戦に採用されたロボットアームで、2014年に開催された第3回将棋電王戦において、全5局を通じてコンピュータソフトの代指しを務めました。

棋士が安全かつストレスなく真剣勝負を行うことができるように開発され、駒が斜めになっていたり、ずれて置かれていても、アーム先端に装着したカメラが多方向から将棋の駒を認識し、1mmの誤差もない着手が可能です。また、駒をコンプレッサで吸着して移動させるので、隣の駒に触れることがなく、公式棋戦と同じ将棋盤と駒を使用することができます

デンソーのホームページより

電王手くん.jpg
電王手くん
(デンソーのホームページより)

最初に開発された「電王手くん」は、画像認識の技術が駆使されていて、駒をつかんで置くために「吸着」が使われていることが分かります。


【電王手さん】

「電王手さん」は、2014年の第3回将棋電王戦で代指しを務め話題となった「電王手くん」の代わりに、新たに開発したロボットアームです(中略)。

《駒をはさめる》
新たに開発したアーム先端のグリッパーで駒を挟んでつかみ、隣の駒に触れることなく移動が可能です。公式棋戦とおなじ将棋盤と駒が使用できます。

《成りができる》
世界初の技術となる "成駒" の動作を実現! グリッパーで駒をつかみ、裏側に回転させて成り駒にすることが可能になり、より通常に近い将棋の対局を再現します。

デンソーのホームページより

電王手さん.jpg
電王手さん
(デンソーのホームページより)

最初に開発された「電王手くん」では、駒をつかむために "吸着" が使われていました。吸着は工場のロボットでモノを搬送するのに広く使われている技術です。ホームページの説明にあるように、上から駒を吸い付けるので「隣の駒に触れることがない」というメリットがありました。

しかし第2世代の「電王手さん」では吸着を使わず、駒をはさむ特殊なグリップが開発されました。駒をはさんでも隣の駒に影響を与えない小型のグリップで、しかも駒を裏返しにできるという特殊なものです。おそらくデンソーの開発陣としては、吸着を使っているのでは技術者のプライドが許さない、どうしても人間の手の動きと同様のグリップを実現したかったのでしょう。技術者魂を感じるロボットです。


【新電王手さん】

《消音化》
厳粛な対局の雰囲気に合わせて、静かに駒をつかみ、静かに駒を指します。新電王手さんはTPOに配慮した紳士的な存在に!

《成りの高速化》
成りの時間が17秒から約7秒に大幅短縮! より早く、正確に動くことで対局のテンポを乱すようなことはありません。

デンソーのホームページより

新電王手さん.jpg
新電王手さん
(デンソーのホームページより)

第3世代の「新電王手さん」は、第2世代の技術を継承しつつ、消音化と高速化がされたようです。ということは、代指しロボットとしては一応の完成域に近づいたということだと思います。



これらのロボットを開発したデンソーの技術者のチャレンジ精神と開発力は大したものだと思います。何しろ、全く前例のない世界最初のロボットです(あたりまえだけれど)。本物の将棋盤と駒を使い、画像認識技術を駆使し、専用に開発したロボットアームとグリップの微妙な動きを制御しなれければならない。

最も大変だったのは、ロボット動作の信頼性の確保ではないでしょうか。対戦相手は生身の人間であるプロ棋士です。ロボットの誤動作や不正確な駒の動きは許されないし、駒を盤上に落とすようなこともあってはならない。工場のロボットであれは、ラインを止めてやり直しができます。しかし一発勝負ではだめです。プロ棋士の方も、コンピュータに負けるのは恥という意識があるはずだから、真剣勝負です。トラブルが起こると対局の雰囲気を壊し、プロ棋士のリズムを乱してしまう。そうなるとデンソーとしても責任を問われるでしょう。全国の将棋ファンが固唾かたずをのんで見守る棋戦を「ぶちこわす」ことにもなりかねない。また、デンソーのロゴをつけたロボットが大舞台でトラブルとなると、ブランド・イメージにもマイナスになるでしょう。

こういったハードルとプレッシャーを越えて、過去3回の棋戦を乗り切ったデンソーの技術陣は、大いに賞賛されてしかるべきだと思います。


産業用ロボット・メーカーは衰退する


しかしプロ棋士と「代指しロボット」が対決する動画や画像を見ていて、私としては大きな違和感というか、奇妙で複雑な感じを受けたのです。というのも「代指しロボット」に対する指令は、すべてコンピュータ将棋のプログラムが与えているからです。つまり「プログラム + ロボット」で1人の人間だと考えると、

コンピュータ将棋のプログラムが「頭脳」
ロボットが「腕と手と指」

に相当するのは明らかです。ロボットがやっていることは、あくまでプログラムの「代指し」に過ぎない。

さきほど書いたように、この「代指しロボット」には最先端の技術が盛り込まれています。ロボット技術者たちのチャレンジ精神も詰まっている。しかしそれでもなおかつ「代指しロボット」は "コンピュータ将棋プログラム = 頭脳" の "しもべ" であって、意志を持たない機械に過ぎません。そういうポジションに "成り下がっている" のです。どんなに「代指しロボット」が将棋をうまく指したとしても、また成り駒がうまくできたとしても、棋戦としての価値の100%はコンピュータ将棋のプログラムにあるのです。

デンソーは自動車部品メーカーとして有名ですが、一つの顔は産業用ロボットのメーカーです。「代指しロボット」は "産業" に使われるわけではありませんが、機能としては "産業用ロボット" の典型です。一方、コンピュータ将棋プログラムと代指しロボットを合わせた「複合体」を考えると、この複合体は "次世代ロボット"の典型と言えるでしょう。ゲームをプレーするまでの知能を備えた、エンターテインメント分野の次世代ロボットです。「代指しロボット」のハードウェアの中にコンピュータを埋め込み、そこでコンピュータ将棋のプログラムを動かすことなど、いくらでも(やろうと思えば)できます。対戦するプロ棋士が指した手を画像認識で判別することだってできる。そうなると本当の「将棋指しロボット」ということになります。

  将棋電王戦で我々が見た光景は、産業用ロボットが次世代ロボットに置き替わっていき、現在の産業用ロボットメーカーが衰退していくことの「暗示」

だと思えたのです。さきほど書いた「違和感」や「奇妙なで複雑な感じ」は、そいういうところからきています。



デンソーの経営陣は、将棋電王戦を見て危機感を覚えたはずです。それは、デンソーとの取引関係が深いトヨタ自動車を考えてみるとすぐに分かります。トヨタの経営陣は、グーグルがトヨタ車を改造した自動運転車の公道実験をしている映像を見て、最大級の危機感を抱いたはずです。将来の自動車の「価値」がグーグルに握られるのではないかと・・・・・・。それと同じ構図が、コンピュータ将棋のプログラムと代指しロボットです。自動車(ロボット)技術者が精魂を傾けて開発した機械が、それとは全く無関係なソフトウェア技術者によって意のままにあやつられている。そのあやつり方にこそすべての価値がある。全く同じ構図です。デンソー経営陣が危機感を抱かなかったはずがない。

ちなみに、2016年の第1期 電王戦を山崎隆之 八段と戦っているコンピュータ将棋プログラムは「ポナンザ」ですが、このプログラムを開発した山本一成氏は、AI応用ソフトを開発するベンチャービジネス、HEROZ(ヒーローズ。東京)の社員です。第1期 電王戦は、ベンチャーの頭脳が大企業(デンソー)の腕・手・指をあやつる構図なのです。

それともデンソー経営陣は「将棋はゲームだから大したことはない」と思ったでしょうか。しかし、ゲームをあなどってはいけません。No.174「ディープマインド」で書いたように、ディープマインド社のAI技術を使った「アルファ碁」は世界トップクラスの囲碁棋士に勝ったのですが、歴史的に眺めてみると、そこで使われたAI技術(深層強化学習)は「ゲームに導かれた革新」だったわけです。

デンソーのホームページを見ると、代指しロボットの開発経緯に取材した動画が公開されています(2016.5.13 現在)。技術者としてこの開発成果を誇るのは当然だし、またデンソーの広報部としてもPR(= Public Relation)の観点から、ホームページの目玉の一つとして掲載しているのだと思います。しかしもっと大きな視点からすると、代指しロボットを短期間に開発したことを誇るだけでいいのかと思うわけです。局所的に素晴らしいが大局には遅れる、ないしは、局所的に素晴らしいからこそ大局に遅れる、ということがあるのではないか。

デンソーは、代指しロボットの開発を契機に「コンピュータ将棋選手権」に参戦すべきだったと思うのですが、どうでしょうか。もちろんコンピュータ将棋のプログラムの開発は一朝一夕にはできません。すでに「コンピュータ将棋選手権」に参戦されている開発者の方に "三顧の礼を尽くして"、デンソーに迎える。そして、コンピュータ将棋のプログラムを開発するとともに、デンソーのAI技術のアドバイザーをしてもらう。ことによっては、別にAIの専門家を迎えて「本格的にAI技術や深層学習を使ったコンピュータ将棋プログラム」を開発してもいいわけです。繰り返しになりますが「知能をコンピュータで実現する技術 = AI技術」の活用は、単にゲームにとどまりません。No.174のディープマインド社は、コンピュータ囲碁ソフトを開発する会社でなく、そこで得られた技術をさまざまな社会問題にまで応用しようとしている会社です。

デンソーはロボットメーカーとしては中堅ですが、自動車部品メーカーとしては日本最大の会社であり、世界でも有数の会社です。そのデンソーが目標とする自動車部品メーカーはドイツのボッシュ社でしょう。そのボッシュは、自動運転の研究を大々的にやっています。その自動運転で使われる重要技術がAIです。上に書いたように、自動運転車こそ次世代ロボットの典型であり、自動車部品メーカーの雄であるデンソーは、そこに深くコミットせざるを得ないはずです。その自動運転車と将棋を指すロボットは「次世代ロボット」というキーワードでつながっていると思うのです。



自動車が知能化していくように、産業用ロボットも知能化して次世代ロボットへと変身していかざるを得ない。これには他の理由もあります。現在の産業用ロボットのメーカーは、ある競争にさらされようとしているからです。日経新聞の比奈田記者は、最近、次のような記事を書いていました。


産ロボ、TVの道歩む?
 参入障壁低く、後発急伸

デンマークの産業用ロボットベンチャー、ユニバーサルロボットの業績が急伸している。2015年の売上高は14年比91%増の4億1800万デンマーククローネ(約70億円)、税引き前利益は2.2倍となる10億円に達した。12年以降、販売台数ベースで年平均75%の成長を遂げている。

同社は05年に設立。製品のURシリーズは、周囲の物との接触を検知すると止まる。ヒトと並んで作業する協調型ロボットの先駆的な存在であり、ドイツの大手自動車メーカーなどで一気に採用が広がった。

従来、独KUKAやスイスのABBのほか、ファナックや安川電機などの日本勢が席巻してきたのが世界の産ロボ市場だ。ところが近年はベンチャーが台頭しており、世界的な需要地の中国でも、瀋陽新松機器人自動化といった新興メーカーが存在感を増している。

産ロボはモーターの力を引き出す高精度の減速機を調達すればつくれることから、他の製造業と比べると参入障壁は低い。大手メーカーも「キーデバイス」の減速機は調達品だ。

これに世界中の起業家が目を付けた。耐久性や品ぞろえは大手が依然として先行しているが、ユニバーサルロボットのようにきらりと光る技術と戦略があれば、風穴を開けられる。

思い浮かぶのは、高い品質を誇りながら衰退した液晶テレビだ。海外の後発の破壊的な価格戦略に押され、競争力を失った商材になお固執した電機メーカーは経営の危機を迎えた。日本の産ロボメーカーがビジネスモデルの転換を求められる日は確実にやってくる。合従連衡を含めた業界地図の変化は案外と近いかもしれない。(比奈田悠佑)

日経産業新聞(2016.4.4)

比奈田記者が書いている産業用ロボットのキーデバイスですが、ロボットのすべての関節にはモーターとともに "精密減速機" が内蔵されています。精密減速機がモーターの回転数を大きく落とすことで、ロボットは強い力を発揮する。この産業用ロボット用の精密減速機で世界の60%ものシェアを握っているのが、日本のナブテスコです。上の記事にある「デンマークの産業用ロボットベンチャー、ユニバーサルロボット」が、ナブテスコから精密減速機を調達しているということは大いにありうると思います。

比奈田記者は産業用ロボットを液晶テレビになぞらえていいますが、これはちょっと違うのではと思います。液晶テレビはロボット(=メカトロニクス製品)と違い、完全なエレクトロニクス製品(動かない、デジタル製品)だからです。しかし、ごくマクロ的なアナロジーとして読めば理解できます。そして、比奈田記者の言うビジネスモデルの転換のための重要技術が、個々のロボットの高度な作業や、工場全体のロボット群の協調作業を見据えた「知能化」だと思います。



以上の状況を考えると、将棋電王戦で、頭脳に相当するコンピュータの指示どおりに黙々と "手" を動かしているだけの「代指しロボット」は、それがいかに技術的に優れていたとしても、ロボット・ビジネスとしての凋落を暗示するように思えてしまったのです。開発したデンソーは自動車部品の大会社であり、かつ産業用ロボットメーカーです。知能化の研究や先行開発は社内で鋭意やっているのでしょう。しかし、将棋電王戦だけをみると凋落に見えたということです。


産業用ロボット・メーカーは変身し、発展する


ここまで、将棋電王戦の「代指しロボット」について否定的なことを書いたのですが、もう一度よくよく考えてみると、この「代指しロボット」は、産業用ロボットメーカーであるデンソーの大きな戦略の一環かもしれないとも思えました。それはこのロボットが、将棋の駒をつかむときの人間の(プロ棋士の)手と指の動きと同等の働きをするからです。つまりこの代指しロボットは「人間の手と指の微妙な動きを完全に模擬できるロボットを開発する」という、デンソーの大きな企業目標の一つとして位置づけられているのかもしれないと思ったわけです。

ここで思い出すのは、No.71「アップルとフォックスコン」で紹介した鴻海ホンハイ精密工業の工場の光景です。鴻海精密工業はアップル製品(iPhone や iPad など)の筐体きょうたい(= 外装ボディ)を金属の塊から "削り出す" ことで製造しています。そのための工具を自社生産する工場の様子が、下の写真の右中です(No.71に掲載した写真)。小型のマシニング・センター(=産業用ロボット)がズラッと並び、当然のことながら、人の姿はまばらです。残念ながら iPhone / iPad の筐体きょうたいの製造工場の写真はないのですが、下の工具製造工場と類似の風景であることは間違いありません。

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アップル製品の筐体と、製造のための工具、工具製造工場。工作機は数万台ある。必要な工具は内製している(日経ものづくり 2012年 11月号より引用。出典はフォックスコンの社内報「画説富士康」2010.7)

一方、アップル製品を組み立てる工場が下の光景(同じくNo.71に掲載した写真)ですが、ここはまさに "人海戦術 " です。アップルの製品は最新のデジタル技術を使い、先端のエレクトロニクス部品のオンパレードなのですが、最終組立ては人手に頼らざるを得ない。従って鴻海精密工業(ないしは、同業の製造受託会社)に委託せざるをえない。ここにアップルのビジネスモデルの最大の隘路あいろがあると考えられます。

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フォックスコンの組み立て工場(日経ものづくり 2012年 11月号より引用。出典はフォックスコンの社内報「画説富士康」2010.7)

もしアップル製品の最終組立てが出来るような「組立てロボット」ができたとしたらどうでしょうか。ものづくりは大変貌するに違いありません。ものづくりだけでなく、たとえば衣類の縫製ができるような「縫製ロボット」が出来たとしたら、ユニクロのビジネスモデルも大きく変わるでしょう。当然、工場の立地も変わってくる。

「組立てロボット」の開発は難しいはずです。まず人間の手に近い柔軟性を持ち、微細な動きが可能なロボット・ハンドを開発する必要があります。その制御プログラムも非常に難しそうです。高度な画像認識技術も必要だし、当然、学習する能力も必要で、つまりAIを駆使しなければならない。これは明らかに「次世代ロボット」の範疇に入るものです。

ロボットの導入コストも問題です。仮に、鴻海精密工業の中国工場の労働コストを1人・1ヶ月あたり日本円換算で10万円とすると(あくまで "仮に" です)、3交代で30万円、1年で約400万円になります。ロボットの減価償却期間を3年間とし、ランニングコストを無視すると、ロボットの価格が1200万円で人と同じということになります。ということは、その半分程度、たとえば500万円程度でロボットが導入できないと、人に置き代わるのは無理でしょう。その価格でロボットが大量生産できるかどうかです。あくまでざっとした見積もりですが、製造コスト面でも「次世代組立てロボット」は大きなチャレンジだということが分かります。中国より人件費が安い国もあります。

しかし障壁を乗り越えて「次世代組立てロボット」ができたとすると、産業構造が大きく変わります。アップルも、アメリカ国内の土地の値段が安い場所(ただし、道路のアクセスが良い所)を選んで自社工場を建ててもいいわけです。論理的にはそうなります。



ここで、前回の No.175「半沢直樹は機械化できる」で紹介したオックスフォード大学の研究チームの「雇用の未来」が思い当たります。このレポートは、AI技術によって仕事が機械に奪われる、その「奪われ易さ」を数値で出しているのですが、エレクトロニクス製品の組立て作業はどうなっているかです。レポートをみると、次の記述があります。

職 業 奪われる確率
Electromechanical Equipment Assemblers97%
Electrical and Electronic Equipment Assemblers95%

Electromechanical Equipment Assemblers は「何らかの稼働部(メカ)を電子制御する製品の組立て」であり、家電製品でいうと掃除機などでしょう。今問題にしているのは iPhone/iPad などのアップル製品の組立てなので Electrical and Electronic Equipment Assemblers の方です。この95%という確率は、全702の職業について機械に奪われそうな確率を並べた表で、上位から82番目にリストされています。意外にも、エレクトロニクス製品の組立ては機械に奪われる確率が高いと予測されているのです。前回のNo.175「半沢直樹は機械化できる」でも引用した、小林雅一著『AIの衝撃』からもう一度引用してみましょう。


これまでコンピュータ科学者やAI専門家の間では、コンピュータやロボットにも苦手な仕事があると言われてきました。その一つが新しいビジネスモデルを生み出す企業家のように創造的な仕事、あるいはマネージメントやマーケティングなど高度なコミュニケーション能力を要する仕事、さらにはベストセラー小説を書いたり大ヒット映画をプロデュースするといった芸術的な仕事です。言うまでもなくこれらは一般に高収入の職業です。

もうひとつコンピュータやロボットが苦手とする仕事は、たとえば「庭師」や「理髪業者」、あるいは「介護ヘルパー」や「料理人」などの非定型的な労働です。この主の仕事では、対象とする人や物に対する注意深い観察や器用な手先の動きが必要とされます。より専門的な用語で言い直せば「視覚や聴覚のような高度なパターン認識と、繊細な運動神経や移動運動など」を組み合わせる仕事です。これは数百万年に及ぶ進化の歴史を経て、高度な発達を遂げた人間の脳にしかできません。つまりある意味ではハイレベルの仕事でありながら、これらの職種はどちらかと言えば低賃金です。この逆説的な傾向は「モラベックスのパラドックス」と呼ばれ、1980年代にAI専門家のハンス・モラベックス氏やマービン・ミンスキー氏らが指摘したものです。

小林雅一『AIの衝撃』
(講談社 現代新書 2015)

この引用に書かれていることをまとめると、現代のコンピュータやロボットが苦手とする仕事は、二つのジャンルに分類される、つまり

創造的な仕事、高度なコミュニケーション能力が必要な仕事、芸術的な仕事(=高収入)

視覚や聴覚のような高度なパターン認識と、繊細な運動神経や移動運動などを組み合わせる仕事(=低収入)

の二種類というわけです。これは非常に納得できます。ところが、オックスフォード大学の研究チームの「雇用の未来」は見解が違います。


しかし、オックスフォード大学による「雇用の未来」調査では、今後、機械学習とロボット技術の発達により、これまで「モラベックスのパラドックス」という一種の防御壁によって守られてきた非定型的な肉体労働も、今後はロボとやAIに奪われてしまう可能性が高いとみています。

小林雅一『AIの衝撃』


機械学習とはコンピュータやロボットが各種センサーから取得した大量データ(いわゆるビッグデータ)を解析し、それによって認識能力や理解力を高めていくという技術です。これに加え、繊細な人間の手の動きを忠実に再現する、ロボット・アームなどの研究開発も急ピッチで進んでいます。

(同上)

iPhone/iPad などのエレクトロニクス製品を組立てるには「繊細な人間の手の動きを忠実に再現するロボット・アーム」が必要なことは言うまでもありません。これが出来たとして、問題はそのロボット・アーム制御するコンピュータ・プログラムの作り方です。これは、従来の産業用ロボット的な発想では無理であり、小林氏が指摘するように、AI技術の要となっている「機械学習」が必須でしょう。たとえば、人間がロボット・アームを遠隔操縦して部品を掴む様子を動画に撮る。それを大量に集めて手と指の動きを解析する。人間は部品が少々ずれても微妙な指の動きで修正できます。部品と手の位置関係によって指をどう動かせばよいのか、それを大量データをもとにした機械学習でロボットに学ばせるというやり方です。

まとめると、精巧なメカと機械学習で「視覚や聴覚のような高度なパターン認識と、繊細な運動神経や移動運動などを組み合わせる仕事」は、ロボットに置き換えられていくというのがオックスフォード大学の予測なのです。一言で言うと、ロボットの「知能化」の効果です。

現在、工場内部で各種作業を行っている産業用ロボットですが、それらもいずれ「知能化」し、現在は人間でないと無理と思われる作業、たとえばエレクトロニクス製品の組立てとか、工業用ミシンを使った服の縫製などに乗り出していく、つまり産業用ロボットが「次世代ロボット」に変身していく。そういった将来が予測できるのです。



将棋電王戦に登場したロボットの話に戻ります。デンソーの「代指しロボット」は、

  視覚や聴覚のような高度なパターン認識と、繊細な運動神経や移動運動などを組み合わせる仕事の、ごく初期段階を実現したもの

と見なすことができます(聴覚はありませんが)。つまりこのロボットを突き詰めていくと、製品組立てなどの、今はロボットには不可能と思われていることができる可能性があるのです。「代指しロボット」は、そういったデンソーの企業戦略の一環かもしれないのです。


「代指しロボット」が暗示する将来


デンソーの「代指しロボット」が予感させる産業用ロボットの将来として、「産業用ロボット・メーカーは衰退する」と「産業用ロボット・メーカーは変身し、発展する」の二つを書きました。改めてまとめると、将来についての次の2つのシナリオです。

シナリオ1
AI技術にけた勢力が勃興して「知能」の部分を担当し、現在の産業用ロボットメーカーはその手足となって指示どおりに動く存在となる。もちろん知能とモノとの接点である「手足」がなくなることはないが、全体としての価値が他企業に移転し、現在のメーカーは実質的に衰退する。

シナリオ2
現在の産業用ロボットは、知能をもった「次世代産業用ロボット」へと高度化し、組立てや縫製などの(現状のロボットでは無理な)複雑な仕事を担当することになる。つまり産業用ロボットメーカーは変身して、発展する。

この2つのシナリオの間の中間的な将来も考えれるでしょう。もちろん現在の産業用ロボットメーカーにとってのベストのシナリオは、シナリオ1における「AI技術にけた勢力」に自らがなり、かつシナリオ2も実現させることです。

デンソーは、なぜ将棋電王戦に「代指しロボット」を提供したのでしょうか。おそらくその直接的な理由は、会社の認知度の向上でしょう。デンソーの顧客は自動車会社などの企業であり、一般消費者向けの製品は(ほとんど)作っていません。将棋電王戦に "参戦" することによって認知度を上げ、ブランドの強化につなげる。そういう思惑でしょう。

しかしはからずもこの "参戦" は、現在の日本の産業用ロボット・メーカーの将来を予見させるものとなった。その予見には「明るい将来」と「暗い将来」の両方が混在しています。そして重要なことは、日本の産業用ロボットの世界シェアは60%と極めて高く、現代日本の有力産業だということです。たとえ現在のロボット・メーカーの勢力地図が変わったとしても、産業全体としては「明るい方の将来」であって欲しいと思いました。



 補記1:アディダスの国内回帰 

アップル製品の組立てが出来るような次世代ロボットが出現したら、産業構造が変わり、工場の立地も変わるだろうという意味のことを本文に書いたのですが、それに関連して、ドイツの有名なスポーツ・シューズのメーカー、アディダスが、ドイツ国内での靴の生産を再開するという記事を紹介します。


ロボットで靴大量生産
 アディダス 24年ぶり国内回帰

【フランクフルト=加藤貴行】独アディダスは24日、2017年からドイツ国内でロボットを使って靴を量産すると発表した。1993年に国内生産から撤退していたが、中国の人件費高騰やロボットの生産性向上を受け、24年ぶりに国内回帰する。欧米市場に近いドイツで生産し、トレンドへの対応も早まる。

アディダスは昨年末から独自動車部品・医療機器メーカーと協力し、本社のある独南部バイエルン州に「スピード・ファクトリー」を設置、試験的に500足を小規模生産していた。数百万単位を効率よく生産するめどがつき、大量生産へ移行を決めた。18年には米国でも量産を始める計画だ。

ロボット活用で24時間の生産が可能になり、欧米で流行に即応したモデルを柔軟に生産できる。中国やベトナムからの輸入コストも削減できる。

日経産業新聞(2016.5.26)

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