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No.114 - 道化とピエロ [アート]

No.19「ベラスケスの怖い絵」で、中野京子さんの解説によるベラスケスの『ラス・メニーナス』を紹介しましたが、話をそこに戻したいと思います。中野さんは、王女の向かって右に描かれた小人症の女性、マリア・バルボラに着目し、当時のスペイン宮廷に集められた道化の話を展開していました。

No.19 以降、「ベラスケスと道化」に関係した話題を何回か取り上げています。まず、No.45「ベラスケスの十字の謎」では、マリア・バルボラの横に描かれている小人症の少年、ニコラス・ペルトゥサトを主人公にした小説「ベラスケスの十字の謎」を紹介しました。

さらに、No.63「ベラスケスの衝撃:王女とこびと」では、英国の詩人・文学者、オスカー・ワイルドが「ラス・メニーナス」からインスピレーションを得て書いた童話『王女の誕生日』と、その童話を原案として作られたツェムリンスキーのオペラ『こびと』に関して書きました。

また、No.36「ベラスケスへのオマージュ」では、エドゥアール・マネがベラスケスの『道化師 パブロ・デ・バリャドリード』に感銘を受けて『笛を吹く少年』を描いたことに触れました。

No.19, No.36 に引用したように、ベラスケスはスペイン宮廷の道化を多数描いています。しかし宮廷道化師はスペインだけではなくヨーロッパの各国にあり、それは中世からの歴史的経緯があります。


中世ヨーロッパにおいては、「道化」と「愚者」と「精神を病んだ者」は同じ呼ばれ方をした(英語 fool、フランス語 fou、ドイツ語 Narr)。宮廷では心を病んだり身体に障害がある者を、ある時は笑いものにするため、ある時は王侯の耳に痛い真実を語らせるために「飼った」。垂れ付き帽子やグロテスクな衣装を着せられた宮廷道化は、嘲笑ちょうしょうされたり小突こづかれたりとひどい扱いを受ける一方で、何を言っても罰せられない「愚者の自由」をも有するようになり、しまいに自由がほしくて道化になるという「利口者」まで登場した。


こういった道化の流れをくむ一つの存在が、近代から現代のピエロです。今回は、そのピエロを描いた19世紀フランス絵画の傑作を、中野さんの解説に従って紹介します。ジャン = レオン・ジェロームの『仮面舞踏会後の決闘』(1857。エルミタージュ美術館蔵)です。


仮面舞踏会後の決闘



冬の朝まだき、人けないブーローニュの森、裸形らぎょうの木々、遠景にかすむ二台の馬車、さまざまな扮装の男たち、雪の上に投げ捨てられた外套がいとうや細身の剣、後ろも振り返らず去っていく勝者、そして死にゆくピエロ ・・・・・・ 何が起こったかは一目瞭然だ。仮面舞踏会での小競り合いが、命をした決闘沙汰ざたへと転じたのだ。酒と女とダンスに酔いしれた仲間たちは、当事者の興奮をしずめるどころかむしろあおりたて、たちまち剣や馬車を用意すると、衣装を着替える暇も ─── つまりは冷静に考え直す時間も ─── 与えず、お祭り気分で決闘場所へ連れ出して、予想外の結末に恐慌をきたす。


仮面舞踏会後の決闘.jpg
ジャン = レオン・ジェローム(1824-1904)
仮面舞踏会後の決闘』(1857)
(エルミタージュ美術館蔵)

登場する6人の男は全員が仮装をしていて、皆が仮面舞踏会の客だったことが分かります。一番左に描かれた男がこの決闘の「証人」で、第三者の立場でこの決闘を仕切る役割です。彼は16世紀の貴族の装束をしています。首に巻いたラフ(蛇腹じゃばら状のレースえり)でそれが分かります。

ピエロのすぐ右の2人の男は、死にゆく敗者の「立会人」です。頭を抱えている男は僧服を着ていて、おそらく司祭の仮装であり、傷を確かめている男は赤い中国服を着ています。

右の方、右から2番目の男は道化の仮装をしていて、彼が勝者側の立会人です。一番右側、この決闘に勝った男は、アメリカ・インディアンの衣装です。よく見ると画面の右下、白い雪の上にインディアンの仮装から落ちた羽根が描かれています。


彼は相手を傷つけはしても殺す気はなかったのだろう。勝利のよろこびなど微塵みじんも見せず、うなだれ、重い足取りで自分の馬車へ向かう。隣で、派手な柄タイツのアルレッキーノ(イタリアの旅回り劇団コメディア・デラルテに登場する道化)姿の友人が慰めても、耳に入らない。

白い雪は、死者をくるむシーツのようにどこまでも拡がっている。まもなく朝日が昇り、男たちの愚行ぐこうの痕跡をあかあかと照らすだろう。

『名画の謎』より

中野京子という人も困ったものです。絵が傑作だからこういう文章が書けるのか、文章が素晴らしいから絵も傑作に見えてくるのか、その狭間の混乱に読者を落とし入れるのだから・・・・・・。

それはともかく、この絵で分かることは、19世紀においても決闘が行われていたことです(20世紀初頭まであったようです)。武器は剣か拳銃で、双子の拳銃を用意してあるホテルもあったと本にあります。拳銃はあらかじめ撃つ弾の数を決めておくため、双方が無傷で終わることもあった。しかし命を賭けた戦いであることには間違いありません。まさに、剣で闘ったこの絵のように・・・・・・。中野さんの本には、著名人の決闘経験者がでてきます。

  決闘経験者ビスマルク(宰相。決闘25回)
デュマ(作家。大デュマ)
バイロン(詩人)
マネ(画家)

  決闘で死亡プーシキン(1799-1837。37歳)
ガロア(1811-1832。20歳。数学者)

有名な話ですが、現代数学の開始者の一人である天才数学者・ガロアは、わずか20歳で決闘で死にました。決闘の前日までガロアは代数方程式に関する研究ノートを書いていた。その余白に彼は書き込んだ。「僕には時間がない」・・・・・・。

この絵は「決闘」という、当時のフランスの「風俗」が描かれているところに特徴があります。一般的にジェロームの絵で良く知られているのは「歴史画」か「異国趣味の絵」です。前に、2つの作品を引用しました。

  『奴隷市場』No.23「クラバートと奴隷(2)ヴェネチア」
  『虎と子虎』No.94「貴婦人・虎・うさぎ」

の2つですが、いずれも異国の風物(動物)です。ところが『仮面舞踏会後の決闘』はパリでも起こりうる(現実に起こっていた)事件を描いた。それもあってか、世間には好評のうちに受け入れられたようです。しかし中野さんは、死を迎えようとしている男がピエロの仮装をしていることこそ、この絵の価値だと言います。


当時の批評家の多くは、「すばらしい道徳教訓絵画」とめあげた。十九世紀も半ばをすぎたというのに、男らしさを証明するため未だ古い時代のつまらぬおきてに従っていれば、こんな羽目に陥りますよ、と絵で説教しているというのだ。まあ、画家にその意図が全くなかったとは言えまいが、しかし焦点はそこにはない。

焦点は決闘ではなく、ピエロなのだ。この作品の悲しみの源はピエロからきている。

もし画面上の主役がピエロではなかったら? 友人たちに囲まれて死にゆく決闘者がピエロではなく、赤い中国服の男やアルレッキーノやインディアンだったら? ─── この絵自体が死んでしまう。なぜか?

『名画の謎』より

この絵に仮装として出てくるピエロとアルレッキーノは、「コメディア・デラルテ」の舞台道化師がルーツです。コメディア・デラルテは、北部イタリアを発祥としてヨーロッパに広まった、即興性の強い仮面笑劇です。俳優たちが類型的なキャラクターをユーモラスに演じるのが特徴です。その類型キャラクターにはいろいろありますが、『仮面舞踏会後の決闘』に関係するのは次の3つです。

アルレッキーノ
  軽業師。明るい性格で、活動的。場をかき回す。赤・緑・青のまだら模様の衣装をきている。フランス語ではアルルカン、英語ではハーレクイン。

プルチネッラ
  繊細な夢想家。白いだぶだぶの服を着ている。

ペドロリーノ
  お人好しで純粋だが無知。ピエロの起源とされる。

中野さんによると、プルチネッラの白塗りと白い衣装がペドロリーノに応用されたのが、フランスにおけるピエロの起源だと言います。しかし18世紀にもなると、コメディア・デラルテは下品で粗野なもの、下層民の娯楽と見なされるようになっていきました。それが19世紀に一変します。


十九世紀の幕開けとともに、一人の天才役者がパリに現れる。ドビュローだ。彼は白塗りの顔、大きなボタン付き白いだぶだぶの衣装、髪の毛を隠す小さな帽子といういでたち、ダンスのような芸術的パントマイムによって、ピエロを再創造した。何をやってもヘマばかりで滑稽こっけいな反面、メランコリックで夢見がちな、まさに「悲しきピエロ」「嘆きのピエロ」の誕生であった(マルセル・カルネ監督の映画『天井桟敷さじきの人々』では、ジャン・ルイ・バローがドビュロー役を演じた)。

ドビュローの、このピエロ解釈にまず熱狂したのは作家や評論家たちで、ゴーチェは「《蒼/あお》ざめせこけ、いつも疲れはてているピエロは、古代の奴隷、今日の下層民、無抵抗のプロレタリアートであり、主人たちの狼藉ろうぜきを無言のままに見つめている」と書いた。コメディア・デラルテは再評価され、ピエロの新たなイメージは広く受け入れられた。

ピエロは、愚かしく滑稽な仮面の奥に深い感情を秘した存在となる。

『名画の謎』より

レオンカヴァッロのオペラ『道化師』(1892)は、旅回りのコメディア・デラルテ一座の話です。主人公は妻の浮気を知りながら、舞台では観客を笑わせなければならない。その「秘した感情表現」がオペラの見どころ、聞きどころになっています。

中野さんの解釈による『仮面舞踏会後の決闘』の結論は次です。


悲しきピエロは、純粋無垢むくでロマンチックな存在、むくわれぬ芸術家、哀れな恋する男の象徴となった。そしてそれらはどれも、青春と分かちがたく結びついてはいないだろうか。若者は純粋ゆえに、ロマンティシズムゆえに、社会で報われぬゆえに、そして恋ゆえに愚行に走り、痛ましくも自滅するのではないか・・・・・・。

ここで胸を刺し貫かれ、今まさに息絶えんとするこの若者が殊更ことさらに悲劇的に感じられるのは、彼が他ならぬピエロに仮装し、ほんもののピエロになってしまったからなのだ。

『名画の謎』より

中野さんは数々の絵画の評論を書いてますが、この『仮面舞踏会後の決闘』についての文章は特に冴えています。この絵に対する「思い入れ」の強さが感じられるし、ほとんど絶賛と言っていい文章になっています。

この絵はいわゆる「物語絵」です。物語絵は西洋でも日本でも数々描かれていますが、多くは宗教、神話、故事であり、近代以降は世相風刺・社会風刺が多い。この絵も「世相風刺の物語絵」なのでしょう。しかし、そこに

  若者の愚行 = ピエロ = 悲しみ

という構図をピタリと重ね合わせている。傑作と言っていい絵でしょう。


深い感情を秘した存在としての道化


ここからはジェロームの絵からの連想です。「道化の悲しみ」を描いた絵には先駆者がいると思うのですね。それは道化を描いた先駆者・ベラスケスの作品で、No.19「ベラスケスの怖い絵」で引用した『セバスティアン・デ・モーラの肖像』です。この絵は2002年に日本で開催された「プラド美術館展」で展示されたので(マドリードに行ったことがなくても)実際に見た人は多いと思います。

No.19-7 Don Sebastian de Morra.jpg
ベラスケス(1599-1660)
セバスティアン・デ・モーラの肖像』(1646)
(プラド美術館)

この絵はまさに「内面に深い感情を秘した存在としての道化」を描いた絵と言うしかないでしょう。その「深い感情」についての中野さんの解説を No.19 に引用しました。国王の「お抱え絵師」だった人がこういう絵を描くのは奇跡的だと思うし、ベラスケスという画家の凄さというか、先進性を表していると思います。



先駆者がいれば、後継者もいます。19世紀以降に道化を描いた絵はいろいろあって、たとえばセザンヌも何点か描いていますが、1枚あげるとするとオランジュリー美術館にあるアンドレ・ドラン(1880-1954)の「アルルカンとピエロ」(1924)です。アルルカンは『仮面舞踏会後の決闘』の説明にあったアルレッキーノ(絵では勝者側の立会人)に相当するフランス語で、パッチワークのような、菱形模様が特徴的な衣装を着ています。

アルルカンとピエロ.jpg
アンドレ・ドラン(1880-1954)
アルルカンとピエロ」(1924)
(パリ:オランジュリー美術館)

この絵は一見して非常に不思議な感じがします。背景は何故か荒涼とした丘のような土地で、空の下半分が雲に覆われているのは普通ではありません。二人の道化はうつろな表情で、その「踊り」はとってつけたような「稚拙な」感じです。ギターとマンドリンを持ってはいるが、ギターには弦さえ描かれていません。楽器を奏でているのではないということでしょうが、そもそも楽器をもって何をしているのか ? 背景からしても、彼らが何らかの意味のある行動をしているとは思えません。絵全体に「ミスマッチ感」や「ちぐはぐ感」が漂っています。

この絵のピエロの顔は、アンドレ・ドランの専属画商だったポール・ギヨームの似顔絵だと言われています(オランジュリー美術館の公式カタログによる。オランジュリーにはギヨームの所有絵画が多数展示されている)。だとするとアルルカンは画家自身であり、画家と画商という立場をアルルカンとピエロで表したと考えられます。意図的に「ちぐはぐ感」を出すことで、シニカルに自画像を描いたのでしょう。道化を描くことは何か特別のことがある、と感じさせる絵です。



道化の絵では「真打ち」とでも言うべき画家がいます。ドランと同世代であるパブロ・ピカソ(1881-1973)です。ピカソはアルルカンを多数描いているし、サルタンバンクと呼ばれた、特定の一座に属さない放浪の旅芸人や曲芸師を描いた絵もあります。

これらの絵はピカソの「バラ色の時代」(24~26歳ごろ)に多いわけですが、後のキュビズムの絵にも道化のテーマが出てくるし、ブリジストン美術館の「腕を組んで座るサルタンバンク」は40歳台前半の作品です。また晩年の作品にも道化が登場します。さらに、自らアルルカンの格好で絵の中に登場したり、息子(ポール)にアルルカンやピエロの格好をさせて描いた絵もある。これだけ執拗に道化の絵を描くというのは、特別な思い入れがあったのでしょう。

しかし画家の思いはどうであれ、絵を見る我々の受けとめ方としては、道化(ないしは旅芸人)の「哀愁」を感じさせるものが多いわけです。ピカソもまた、道化を「内面に深い感情を秘した存在」と見ているのだと思います。No.95「バーンズ・コレクション」で紹介した作品と、プーシキン美術館の傑作を最後に引用しておきます。



曲芸師と若いアルルカン.jpg
パブロ・ピカソ(1881-1973)
曲芸師と若いアルルカン』(1905)
191cm×109cm
バーンズ・コレクション Room19 East Wall)

背景は街並みのようですが、おぼろげに描かれています。その"街頭" に描かれた二人の旅芸人は、兄と弟でしょう。剣を持っている兄はアクロバット(曲芸師)の装束であり、弟はアルルカンの衣装を着ている。二人は顔をそむけたような構図で等身大に描かれ、無表情な顔からは孤独の雰囲気が漂っています。あいまいに描かれた街は、彼らと街との距離感を暗示しているようです。ただ兄が弟の肩に伸ばした手から、弟への気遣いが伝わってきます。「街角」「旅芸人」「孤独」「家族愛」といった、若い二人のその時点での人生を凝縮したような美しい作品。この絵を見るためだけにフィラデルフィアまで足を伸ばす価値は十分にあると思います。

全くの余談ですが、この絵は1994年に国立西洋美術館で開催された「バーンズ・コレクション展」で展示されました。この展覧会にはコレクションから80点が出品され、100万人という驚異的な入場者を集めました。この展覧会の入場券に印刷されたのがピカソのこの絵でした。ところが、これがピカソの相続人の許諾なしに行われたために提訴され、展覧会の主催者(読売新聞社)は敗訴しました。もちろん、著作権の保護期間中の絵画(ピカソが亡くなったのは1973年)を許諾なしに入場券に印刷するのはルール違反です。しかし、幾多のバーンズ・コレクションの名品からこの絵を選んで入場券にした主催者側の気持ちは、わかるような気がします。



アルルカンと女友達.jpg
パブロ・ピカソ
『アルルカンと女友達』(1901)
(プーシキン美術館)

赤・青・白のトリコロールと黒、というシンプルな色調の中に、絶妙に配置された男と女とグラスが重厚な迫力で迫ってきます。全く平面的に描かれた顔や背景と、立体的な腕やグラスの対比が効いています。現実とファンタジーの間をさまよっているような人物像ですが、ポイントとなっているアルルカンの装束が哀愁を感じさせます。絵画史上この一枚しかないとも思える、天才の名に恥じない傑作です。




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