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No.251 - マリー・テレーズ [アート]

このブログではアートのジャンルで数々のピカソの絵を取り上げましたが、今回はその継続で、マリー・テレーズを描いた作品です。今までマリー・テレーズをモデルにした作品として、

◆『マヤに授乳するマリー・テレーズ
  No.46「ピカソは天才か」

◆『本を持つ女
  No.157「ノートン・サイモン美術館」

の2つを取り上げました。ピカソは彼女をモデルとして多数の作品をさまざまな描き方で制作していますが、今回はその中でも最高傑作かと思える絵で、『夢』(1932)という作品です。以下、例によって中野京子さんの解説でこの絵を見ていくことにします。中野さんは『夢』の解説でピカソとマリー・テレーズの出会いから彼女の死までを語っているので、それを順にたどることにします。

  以下の引用では漢数字を算用数字に改めました。また段落を増減したところがあります。下線は原文にはありません。

Picasso - Le Reve.jpg
パブロ・ピカソ(1881-1973)
」(1932)
(個人蔵)


マリー・テレーズとの出会い



1927年のパリ。45歳のパブロ・ピカソは街で金髪の少女を見かける。溌剌はつらつたる健康美にあふれた彼女にすぐ声をかけていわく、

「マドモアゼル、あなたは興味深い顔をしておられる。肖像画を描かせてください。私はピカソです」

ずんぐりした小男ながらカリスマ的魅力を放ち、すでに国際的な大画家でもあったピカソにしかできない芸当だ。

あいにくこの少女、17歳のマリー・テレーズ・ワルテルは、ピカソの名を知らず、絵画に興味は無かった。それでも彼についてゆき、モデルになり、愛人になり、妻とは離婚するとの約束を信じて子供も生む。


この出会いのエピソードは有名な話です。ピカソは街頭で30歳近く年下の少女を(結果として)ナンパしたわけですが、理由は "興味深い顔" なのです。そのマリー・テレーズの写真が次です。これは中野京子さんの本にものっている写真です。

Marie-therese-walter.jpg
マリー・テレーズ・ワルテル(1909-1977)


ピカソのミューズ



ピカソの派手な女性関係は伝説的だ。若く美しい女性からインスピレーションを受け、創造のエネルギーに転換してきた。その代わり飽きるのも速い。次から次へと恋の対象は変わってゆく。結婚は2回。愛人は無数。

ロシアの将軍の娘でバレリーナだった最初の妻は、ピカソを上流階級へと導いてくれた。写真家ドラ・マールのひりひりした感性は、ピカソを激しく刺激して傑作《泣く女》を描かせた。企業家の娘でソルボンヌ大学の学生だったフランソワーズ・ジローは、その知性と冷静さでピカソを魅了した。

中野京子「同上」

ここに出てくる3人の女性はピカソの生涯でも有名で、最初の妻のオルガ・コクラヴァはパリのピカソ美術館に有名な肖像画があります。ドラ・マールは『ゲルニカ』の制作過程を撮影したことで知られています。フランソワーズ・ジローはソルボンヌ大学の法科の出身というエリートで、父親の大反対を押し切って画家になった人です。しかし、マリー・テレーズは3人とは違いました。


そうした個性的な女性たちと比べると、マリー・テレーズは平凡だった。貧しい家に生まれ、学も才もない。にもかかわらず、彼女はかなり長くピカソのミューズであり続けた。

後年、フランソワーズ・ジローがマリー・テレーズと会ったときの印象を書いている。ギリシャ人のような輪郭りんかくの、独特な顔立ちをしており、他の誰よりもピカソに造形的な霊感を与えた理由もわかる、と

インテリの勝ち誇った表現がいやらしく感じられる。出身知性においても自分のほうが上だと言いたいようだ。マリー・テレーズがかつてピカソの愛を独占したのは、顔がエキゾチックだったからにすぎない。心や魂や才や学ではなく、肉体の「造形的」な要素が彼をきつけただけだ。

今やピカソはそんな表面的なことから離れ、本当に価値ある女性、すなわち自分に夢中で、この愛は不変である ── フランソワーズはそう言いたいのだ(たぶん)。

中野京子「同上」

中野さんによるフランソワーズ・ジローの内心の "推測" が正しいかどうかはさておき、上の下線のところ、つまり、

  (マリー・テレーズは) ギリシャ人のような輪郭りんかくの、独特な顔立ちをしており、他の誰よりもピカソに造形的な霊感を与えた理由もわかる

という発言は、その通りだと思いました。「ギリシャ人のような輪郭の、独特な顔立ち」は、上に引用したマリー・テレーズの写真を見ても感じられます。それが「ピカソに造形的な霊感を与えた」のも、全く確かに違いないと思いました。それには理由があって『本を持つ女』というピカソの作品を思い出したからです。



ここでちょっと中野さんの解説を離れて、ピカソがマリー・テレーズを描いた『本を持つ女』を振り返ってみます。この作品は No.157「ノートン・サイモン美術館」で書いたのですが、フランソワーズ・ジローの「マリー・テレーズがピカソに造形的な霊感を与えた」という発言を裏付けていると思うので、重複しますが再度取り上げます。


ピカソを引きつけた "造形的要素"


ノートン・サイモン美術館は米国・ロサンジェルス近郊のパサデナにある美術館ですが、ここにピカソの『本を持つ女』があります。

本をもつ女.jpg
パブロ・ピカソ
Woman with a Book(1932)
本を持つ女
ノートン・サイモン美術館

ノートン・サイモン美術館の公式ホームページには、次の意味のことが書いてあります。

  この絵はピカソがアングルの『モワテシエ夫人の肖像』を踏まえ、マリー・テレーズを描いたものである。

そのアングルの『モワテシエ夫人の肖像』は、現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵している次の絵です。ノートン・サイモン美術館に行ったときには、この絵の写真が『本を持つ女』の傍に参考として掲示してありました。

モワテシエ夫人の肖像.jpg
ドミニク・アングル
「モワテシエ夫人の肖像」(1856)
ロンドン・ナショナル・ギャラリー

本を持つ女 = マリー・テレーズのポーズはアングルの絵とそっくりです。モワテシエ夫人が持つ扇が、ピカソの絵では本に置き換えられています。本のページが "雑に" 開かれていますが、これはモワテシエ夫人が持つ "扇" をイメージしているのですね。マリー・テレーズの右上には、右向きの横顔の絵らしきものがありますが、これはアングルの「鏡に写るモワテシエ夫人の横顔」に相当します。こういう風に横顔が写ることは位置関係上ありえないのですが、絵画表現としてはしばしばあることです。

ピカソはアングルから影響を受けたとはよく言われることです。もちろん画家が先人からの影響を受けるのは当然であり、ピカソはエル・グレコから影響を受けたと自ら語っていたはずです(青の時代に典型的にみられる "引き伸ばされた身体")。ピカソは『本を持つ女』で、アングルを踏まえた絵だということを明白にしつつ、マリー・テレーズを描いた

ではなぜ『モワテシエ夫人の肖像』なのでしょうか。ロンドン・ナショナル・ギャラリーの『モワテシエ夫人の肖像』は座像ですが、その5年前に完成した夫人の立像が、ワシントン・ナショナル・ギャラリーにあります。モワテシエ夫人を真っ正面から描いた絵です。

Madame Moitessier.jpg
ドミニク・アングル
「モワテシエ夫人の肖像」(1851)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー

フランソワーズ・ジローがマリー・テレーズを評した「ギリシャ人のような輪郭の独特な顔立ち」という発言でなるほどと思ったのですが、上に写真を引用したマリー・テレーズの顔立ちと、2枚のモワテシエ夫人の顔立ちには明らかな共通点があると思うのですね。つまり、鼻が高く、鼻筋がとおり、鼻筋が額へと一体化していくような彫りの深い顔立ちです(いわゆる "ギリシャ鼻")。これは古代ギリシャ彫刻によくあります。たとえば "ミロのヴィーナス" を思い浮かべるとよいと思います。

ということからすると「マリー・テレーズの顔立ちが、他の誰よりもピカソに造形的な霊感を与えた」というフランスワーズの発言はまさに図星でしょう。同様に、ピカソはアングルの『モワテシエ夫人の肖像』にビビッとくるものがあったはずです。ちなみにピカソの「新古典主義の時代」といわれる時期(1918~1925頃。マリーテレーズと会うよりは前)には、マリー・テレーズ的(ないしはモワテシエ夫人的)な顔立ちの人物を登場させた絵を多数描いています。

以上の観点からすると『本を持つ女』はピカソ作品の中でも重要な作品ということになります。「アングル」「ギリシャ的な顔」「マリー・テレーズ」という、ピカソ芸術にとって大変重要な3つの要素が交わるところで成立した絵なのだから。

Portrait of Narie-Therese 1935.jpg
パブロ・ピカソ
マリー・テレーズの肖像」(1935)
紙に鉛筆
(Gagosian Gallery. New York)

写実的に描かれたマリー・テレーズのポートレート。ピカソに霊感を与えたという顔立ちがよくわかる。マリーの写真は何枚か残っているが、それと比較してもこの絵は(いくぶんの美化はあるものの)特徴をよくとらえている。金髪のショート・ヘアを表現する濃淡の鉛筆の線が的確で、さすがと言うしかない。額のまわりの金髪の表現などは適当に描いているように見えるが、決して誰にでも出来るものではない。



「マリー・テレーズの顔立ちが、他の誰よりもピカソに造形的な霊感を与えた」のは確かだとして、しかし、ピカソにとってのマリー・テレーズはそれだけではないというのが中野さんの論です。以降、中野さんの解説に戻ります。


マリー・テレーズへの愛



フランソワーズの自惚うぬぼれは二重の意味で間違っていた。

一つには、ピカソにとってフランソワーズもワン・オブ・ゼムだったこと。彼は巧妙に彼女をあざむき、別の若い女性との再婚に踏み切っている。もう一つには、マリー・テレーズを描いた数多くの絵が証明しているように、彼女への思いが ── 永久不変というわけにはゆかなかったにせよ ── 造形的興味に留まらず、まぎれもない深い愛からきていたことだ。

それはフランソワーズをモデルにした、ピカソにしては類型的でやや面白みに欠ける作品群と比べて一目瞭然いちもくりょうぜんである。彼女のような知に勝った女性は精神の愛を肉体の愛の上に置くのだろうが、しかし恋愛には上も下もない。

肉体でつながる愛、性愛が、薄っぺらだと誰に言えようか。マリー・テレーズのエロスは、いっときピカソを圧倒したのだ。フランソワーズの知性が、いっときピカソを圧倒したように。

どちらに対しても、だがピカソはそのさなかにあっては真剣だった。

中野京子「同上」

「マリー・テレーズを描いた数多くの絵が証明しているように、ピカソには彼女への深い愛があった」という主旨を中野さんは書いていますが、その通りだと思います。『夢』や『本を持つ女』を見て感じるのは、モデルの女性を "いとおしい存在" という目で描いていることです。モデルが明確なピカソの絵で、そういう風に感じるのはマリー・テレーズが最も多いと思います(あとはドラ・マールを描いた一部の絵)。



なかなか『夢』の評論にたどりつきませんが、ここまでが『夢』を理解するために必要な前置きです。


陶酔的な『夢』


Picasso - Le Reve.jpg
パブロ・ピカソ(1881-1973)
」(1932)
(個人蔵)

ここからが中野さんの『夢』の評論です。少々長くなりますが、文章の勢いを殺さないために、そのまま引用します。


マリー・テレーズを描いた代表作が、《夢》。彼女は女盛りの22歳だ。

まろやかな曲線、優しい色彩、とろけるような官能に満ち、ピカソ彼女からある種の(身勝手かもしれないが)やすらぎを得ていたことがわかる。マリー自身もピカソの前で安心しきって無防備にまどろむ。

ピカソはとにかく絵が上手い。少年時代にはもう「ラファエロのように」描けたと豪語しており、実際そのとおりだった。アカデミズムが要求するテクニックを完璧に我が物としていたから、そのままゆけばアカデミーのトップにも君臨できたろう。

だがそんなことに興味はなかった。

彼は常に絵画の新しい領域を開拓し、自在に目まぐるしく大胆に画法を変えてゆく。どう変えようと絵は売れた。生前に売れなかった絵はない。ピカソなら線一本でも買いたいという人間が世界中にいた。今もいる。

《夢》の線をみれば納得であろう。伸びやかで軽やかな線は、単純に描けそうに見えて、その実、ピカソならではの緻密ちみつな計算の上に名人芸が披瀝ひれきされている。

色彩の配分も完璧で、赤の隣の差し色に水色(首筋)を選ぶことは普通ならありえない。グリーンの壁、格子縞こうしじまに花をあしらった茶系のタペストリー、真っ赤な椅子とネックレス、強い色に囲まれたマリー・テレーズの、肌の白さと柔らかさが引き立つ。

肉体ばかりか心も、突つかれたら相手に合わせてやんわりへこむ、かぐわしいマシュマロのようだ。どこもかしこも彼女は甘い。

顔はキュビズムの手法で描かれている。ハート型の顔面が黒く太い直線で分割されることで、下半分は横顔にも見える。マリーにキスするピカソだとの説もあるが、額から真っ直ぐ長いギリシャ鼻と金髪からして、これもマリーであろう。横顔と正面が赤い唇で合体している。うっとりと美しく。

だがここにも直接的な性愛描写がある。半円の乳房の横に目を凝らしてほしい。白っぽいために目立たないが、屹立きつりつする男性器が描き込まれている。そこから腕にかけて黄色の二本の線が漏斗ろうと状を呈し、女性器を仄めかす。

中野京子「同上」

中野京子さんは文章が上手な人ですが、この『夢』を評した文章は特にうまいと思います。当然のことながら自分が惚れ込んだ絵についての文章がえることが多く、おそらくこの絵もそうなのでしょう。

最後の方で男性器と女性器について触れられています。普通の美術評論では、2つに分割された顔の上の方が男性器を表しているとされています。もしくは、マリー・テレーズの向かって右の肩から首と顔の形が男性器の暗喩とする見方もある。また、マリー・テレーズの両手の形が女性器を表すというのが一般的な見方です。その見方からすると、この絵はピカソが自分の性愛感情をまどろんでいるマリー・テレーズに投影した絵、となるでしょう。

しかし中野さんの見方では、男性器の表現は露わになっている乳房の横(=向かって左)です。小さなデジタル画像ではそれは分からないのですが、乳房の左の方が特に白っぽく描かれています。上のデジタル画像では乳房の左の方の上下に伸びる線が屹立した男性器ということになります。また女性器はそのさらに左の方の黄色い2本の線でほのめかされているとの見方です。

この見方によると性愛描写はあくまで "仄めかし" の程度で、それよりもこの絵の素晴らしさは、安心し切ってまどろむマリー・テレーズの姿であり、彼女の白く柔らかな肌であり、それを的確な描線と強い色彩配置で作品にしたピカソの力量だ、ということになるでしょう。中野さんの文章は、このような完璧な絵を描いたピカソへの賛美と、マリー・テレーズへのシンパシーに溢れています。そのシンパシーは、ピカソとマリー・テレーズとの出会い以降を綴った文章でも明らかです。



中野さんの『夢』についての評論は、次のように結ばれています。


本作はオークションに出される度に値が高騰し、2013年にはついに1億5500万ドル(およそ170億円)で落札らくさつされた。人気の程が知れよう。

さて、現実のマリーだが、本作の4年後に妊娠。離婚するから生めと言われ、女児を産む。

しかし声をかけられてから10年近くも日陰の身を押しつけてきた男が、約束を守るはずがない。ピカソは別の愛人のもとへ去り、哀れな妻子には涙金があてがわれる。マリーはピカソの死後、自殺した。

中野京子「同上」

この最後の文章を含めて、中野さんはピカソについて辛辣な表現を何回か使っています。つまり、

巧妙に彼女(=フランソワーズ)を欺き
約束を守るはずがない
哀れな妻子には涙金

というような言い方です。確かに「多数の傑作を生み出した偉大な芸術家」という面を取り払って男女関係を軸にピカソをみると、"男のクズ" ということになるでしょう。特に女性から見ると ・・・・・・。中野さんも "許せない男" という気持ちが心のどこかにあるに違いなく、それが辛辣表現になったのだと思います。しかしそうだとしても『夢』は素晴らしい。

そして、ピカソは少なくとも『夢』を描いた時期にはマリー・テレーズに対して深い愛情を抱いていた。それは一枚の絵だけを見るだけで一目瞭然であって、間違いない。深い愛情がないとこんな絵は描けない。そう、中野京子さんは言っているのでした。

絵画とは不思議なもので、絵を見ただけで画家がモデルを愛していたのかどうかがわかる。それが真実かどうかは別にして、少なくとも鑑賞者はそう強く感じることができる。そう感じさせる一つの要因は『夢』の場合、ピカソが用いた絵画手法(スタイル)にもあるのでしょう。この作品は、「画家がモデルを見つめる目」「絵画のスタイル」「画家の力量」の3つが融合した傑作だと思いました。




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