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No.225 - 手を洗いすぎてはいけない [科学]

No.119-120「"不在" という伝染病」の続きです。No.119-120 ではモイゼス・ベラスケス = マノフ著「寄生虫なきやまい」(原題を直訳すると「不在という伝染病」)の内容を紹介しました。ごく簡単に一言で要約すると、

  人類が昔から共存してきた微生物(細菌や寄生虫)が少なくなると、免疫関連疾患(アレルギーや自己免疫病)のリスクが増大する

ということでした。No.119 にも書いたのですが、実は上の主張を早くから公表し、警鐘を鳴らしていたのが藤田紘一郎こういちろう博士(東京医科歯科大学名誉教授)です。今回は、その藤田博士に敬意を表して、博士が最近出版された本を紹介したいと思います。「手を洗いすぎてはいけない - 超清潔志向が人類を滅ぼす - 」(光文社新書 2017。以下「本書」)です。以降、本書の内容の "さわり" を、感想とともに書きます。本書を一言で要約すると、

  人は微生物が豊富な環境(体内と体外の環境)でこそ健康に生きられる

となるでしょう。


人は常在菌と共生している


人体(腸や皮膚など)に住みつき、病原性を示さない細菌を「常在菌」と総称します。常在菌は食物の消化を助けたり、ビタミンを合成したり、免疫を活性化したり、病原菌の排除したり、皮膚を守ったりといった重要な働きをしています。つまり常在菌は人体と共生しています。本書では「人の90%は細菌」という試算が書かれています。どういうことかと言うと、

常在菌の数は、腸だけでも100兆以上になる(1平方センチあたり数千万個。種類は200種)。そのすべてが遺伝子を持っている。

人体の細胞の数は約37兆ある(以前は60兆と言われていたが、最新の研究では37兆)。このうち26兆は遺伝子をもたない赤血球であり、遺伝子をもつ細胞は約11兆である。

ということであり、遺伝子をもつ細胞の数を比較すると、常在菌は人体の細胞の10倍というわけです。ちなみに赤血球はその発生の過程で DNA を失い、ヘモグロビンによって酸素を運搬する機能に特化した細胞になります。

手を洗いすぎてはいけない.jpg

数の比較を「遺伝子の数」で行うと、人の遺伝子の数は約2万です。一方、腸内細菌(腸に住みついている常在菌)がもつ遺伝子の総数は全部で60万~100万もあり、人体の30倍以上ということになります。

本書には書かれていませんが、この「遺伝子の数」だけをとってみても常在菌と共生するのが人にとって有利ということが分かります。常在菌の世代交代は2~3年で1万世代に達します(この項は本書)。これは人間に比べて約10万倍のスピードであり、しかも遺伝情報は人の数10倍もある。ということは、環境変化(たとえ食環境の変化)に追従して変化できる速さが人とは比べものにならないわけです。

常在菌の数(数としてはほとんどが腸内細菌)についてはさまざまな推定があります。本書には約100兆とありますが、No.70「自己と非自己の科学(2)」では "1000兆" という数字をあげました(東大の服部教授の雑誌記事 2012年)。数百兆と書かれている本もあります。各種の情報からすると100兆~1000兆ほどの幅がありますが、これは個人差や、年齢、性別、居住地域などでの差があるからでしょう。また、正確な推定が難しいという理由もあると思います。技術の進歩によってより正確な推定ができることもあるでしょう。

本書に戻って、常在菌のうちの大腸菌の働きが書かれています。


実際に大腸菌は腸の中でどのように働いているのでしょうか。

第一に大腸菌には、O157などの病原性大腸菌が進入してくると、まっ先に倒しにかかる働きがあります。大腸菌から派生した菌だといっても、腸に病気を起こすO157は、大腸菌にとってももはや敵なのです。このように、病原体にいちはやく闘いを挑む「番兵」の役割を担っているのが、大腸菌です。

また、人間は野菜類に含まれる食物繊維を分解する酵素を持っていません。ここで再び大腸菌の出番です。大腸菌はそれを分解しつつ、ビタミン類などの栄養素をとり出す働きがあります。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」
(光文社新書 2017)

人体はデンプンやグリコーゲンなどを除き、ほとんどの多糖類を消化できません。消化酵素がないからです。代表的なのが食物繊維で、セルロースが大半を占めています。健康のためには食物繊維の摂取が大切とやかましく言われるのですが、食物繊維は大腸菌を含む腸内細菌のエサであり、人は腸内細菌の "おこぼれ" にあずかっているわけです。



常在菌の重要な機能として「人体の免疫機構が過度に働かないようにする」ことがあります。本書では腸内寄生虫を例にしてそのことが書かれています。共生微生物(細菌・寄生虫)は人体で生息するために、人体の免疫機構が共生微生物を排除しないように働きかけます。これが免疫機構の過剰な働きを抑制することになります。この抑制が無くなるとアレルギー(= 人体には無害なはずのアレルゲンに対して炎症反応が起こる)のリスクが高まります。

このブログで過去に書いたことを振り返ってみますと、20世紀末から21世紀にかけての免疫学上の大発見は、大阪大学の坂口志文しもん教授の「制御性T細胞 = 免疫の発動を抑制する免疫細胞」の発見でした。坂口教授は毎年ノーベル生理・医学賞の候補にとりざたされるほどです。ブログではその制御性T細胞と腸内細菌との関係を2回書きました。

腸内細菌であるフラジリス菌がもつPSAという物質が、未分化のT細胞を制御性T細胞に分化させる。── No.70「自己と非自己の科学(2)」

腸内細菌であるクロストリジウム属を抗生物質で徐々に減らすと、ある時点で制御性T細胞が急減し、クローン病(炎症性腸疾患)を発症する。── No.120「"不在" という伝染病(2)」

「人 = 人体 + 常在菌」であって、人体は常在菌の存在を前提として機能するようになっています。常在菌は生息環境を維持するために、人体が健康になるように働くわけです。宿主=人体が不健康になったり、極端には死んでしまうと常在菌も存在できなくなるからです。そのかわりに "エサ" にありつく。まさに人体と共生関係を結んでいるのです。


常在菌は人が外界から取り込こむ


このように重要な常在菌は、そのすべてが外界から取り込まれたものです。その取り込みは赤ちゃんが生まれる際、産道を通るときから始まります。


母親の胎内は、一つの細菌もおらず、完全な無菌状態が保たれています。赤ちゃんが最初に菌と触れあうのは、出産のとき。お母さんの産道を通る際です。産道には、デーデルライン桿菌かんきんなどの細菌が無数にいます。この菌は、善玉菌である乳酸菌の一種です。そうした産道にいる菌を、赤ちゃんはまず吸い込みます。次に出産時、お母さんが大きくいきんだ際に、一緒に出てきた大便にいる腸内細菌と接します。

そのため、誕生のしかたが、自然分娩か帝王切開かによって、得られる腸内細菌の種類は違ってきます。ただし、それ以上に重要なのは、誕生後の生育環境です。

とくに大事なのは、両親や周囲の人たちと行うスキンシップです。赤ちゃっは、抱っこをしてくれた人の手を握りしめて、自分の口にもっていこうとします。これは自らの腸内フローラ(引用注:腸内細菌の総体を指す言葉)を豊かにはぐくもうとする、赤ちゃんの本能でもあります。人の皮膚にいる常在菌には、種類に個人差があります。たくさんの人の指をなめることで、赤ちゃんは多種多用な菌を腸にとり込もうとしているのです。ですから、「バッチイからダメ」などと言わず、おおいになめさせてあげることです。

最近では、「虫歯になるからキスをしてはいけない」と指導する歯科医もいるようですが、腸の研究者から言わせると、こんなにおろかなことはありません。口内にも唾液にもたくさんの細菌がいます。赤ちゃんは周囲の人とキスをすることで、それらの菌を口内や腸にとり込むことができるのです。その中には虫歯をつくる菌もいるでしょう。しかし、多種多様な菌がいる場所では、一種類の菌だけが異常繁殖することはできないものです。また、虫歯菌のエサとなる糖質の摂取を抑えることと歯磨きによって、虫歯は十分に防げます。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

スキンシップのさいたるものは授乳でしょう。本書には書かれていませんが、No.119「"不在" という伝染病(1)」に、赤ちゃんはお母さんの乳頭からビフィズス菌を取り込むという話を書きました。ビフィズス菌は母乳に含まれるオリゴ糖(結合数3~10の糖類)を消化するのに必須です。母乳に細菌でしか消化できない糖が含まれるというのも、人体は細菌との共生を前提としていることを如実に示しています。

本書に戻り、赤ちゃんは人の指だけでなく、おもちゃとかスリッパとか、あらゆるものをなめようとしますが、これが常在菌を取り込む手段になっています。また大きくなってからは、子供に泥んこ遊びをさせるのも常在菌を豊かにします。落ちたものをすぐに拾って食べるのも有益です。


自宅のテーブルや床に落ちたものを拾って食べるのは、腸内細菌の活性化のために最良の方法です。反対に、テーブルや床を殺菌剤などでせっせと消毒している家庭では、腸内フローラを育てられず、腸の「空き家」を増やしてしまいます。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

腸にびっしりと腸内細菌が生息していると、病原菌が進入する余地がありません。その反対が、本書が言う「空き家」がある状態です。

床に落ちたものを拾って食べることに関して「直ぐに拾って食べれば大丈夫」ということを、本書では「3秒ルール」と言っています。アメリカでは「ファイブ・セカンド・ルール」と言うそうで、このような認識は世界共通だそうです。研究した人によると、3秒以内に拾ろうと有害な病原菌は付着しないとのことです。しかし一番大事なのは秒数ではなく、落ちた場所です。つまり有害な菌がいる可能性がある台所や風呂場の床は避けるべきです。



乳酸菌などの細菌が含まれる食物をとることも、常在菌を増やすために大切です。代表的なのが各種の発酵食品ですが、本書では腸内環境を整える「最強の」細菌として、土壌菌(土の中にいる細菌)に着目しています。


日本には土壌菌からつくられる最良の発酵食品があります。それは納豆です。

大豆を発酵させる納豆菌は枯草菌こそうきんといって土壌菌の仲間です。枯草菌は細胞の膜が硬く、生きて腸まで届く菌です。腸の届くと、仲間の菌たちの働きを活性化し、数を増やすことに役だってくれます。また、土壌菌を育てた納豆の大豆は、腸にいる土壌菌の仲間たちにとっても、とてもよいエサになってくれます。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

ヨーグルトにいる乳酸菌やビフィズス菌は9割が胃酸で死滅してしまいますが、枯草菌は腸まで届くところがポイントです。

腸内細菌の数や種類は変動します。腸内細菌のバランスが崩れると、特定の菌が異常繁殖し病原性を示すようになります(悪玉菌に変化する)。腸内細菌のバランスを維持する根本は食事であり、特に腸内細菌のエサになる食物繊維をとることが重要です。


食物繊維には、水溶性のものと不溶性のものとがあります。腸内細菌のいちばんのエサとなるのは、水溶性の食物繊維です。文字通り水に溶けるタイプの食物繊維で、水を含むとドロドロのゲル状になります。そのゲル状になった食物繊維を腸内細菌は発酵させることでエサとし、宿主の健康に必要な成分をさまざまにつくりだし、腸に吸収させていきます。

水溶性の食物繊維は、納豆や山芋、メカブ、オクラ、モロヘイヤなど、ネバネバしている食品に豊富です。(中略) ワカメや昆布などの海藻類にも豊富です。しかも、大半の日本人の腸には、海藻類からもエネルギーや栄養素を取り出してくれる細菌がいます。これは、欧米人などにはいない特別な細菌です。この細菌を増やすためにも、海藻類は毎日食べたいものです。(中略)

一方、不溶性の食物繊維は、水に溶けないタイプのもので、水を含むと膨張します。そして腸内細菌たちのほどよいエサとなる一方で、腸の不要物をからめとりながら大きな大便を作る働きをしています。不溶性の食物繊維は、腸の掃除屋なのです。つまり、これをいっぱい食べると、腸のなかがきれいに保たれるようになります。

不溶性の食物繊維は、豆類、イモ類、キノコ類に豊富です。また、玄米などの全粒穀物ぜんりゅうこくもつにもたくさん含まれます。主食をたべるなら、食物繊維をそぎ落としてしまった白米や白い小麦粉食品ではなく、玄米や五穀米ごこくまい十割じゅうわりそばなどを選ぶことが、腸内細菌を育てることに役立ちます。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」


"チョイ悪菌" との戦いが免疫力をつける


以上のように、人体は常在菌を外界から取り込んで「人 = 人体 + 常在菌」になるわけですが、当然のことながら外界には有害な病原菌もいます。しかし人体には有害な菌を選別するしくみが備わっています。


赤ちゃんはふれあったすべての菌を腸にすまわせるわけではありません。腸壁には「IgA」という抗体が存在しています。最近の研究では、IgA抗体が最近の選別をしていることがわかっています。

抗体とは、免疫システムの中心となるものの一つです。病原体などの異物を倒すための「武器」というとわかりやすいえでしょう。免疫システムは、異物が体内に入ってくると、その異物にある目印(抗原)と特異的に結合して破壊する抗体を作りだします。免疫システムは、どんな異物にもピッタリ合う抗体をつくり出すことができます。

抗体には「IgG」「IgE」「IgA」「IgM」などのいろいろな種類があります。このうち、腸壁に分泌される粘液に大量に存在しているのがIgA抗体です。

生後一年以内の赤ちゃんの腸は、ふれあった最近をどんどんとり込んでいきます。その際、どの細菌は腸にすまわせ、どれは受け入れないのか、それを決めているのがIgA抗体です。抗体は免疫システムの武器としてのみ働いているのではありません。腸では、IgA抗体がくっついた細菌だけが腸内の粘液に済むことを許され、そうでないものは定着できないシステムになっています。

つまり、腸は無分別に菌を住まわせているわけではない、ということです。人の腸内細菌としてふさわしくないものは、排除されます。ですから、お母さんが「バッチイからダメよ」と制する必要はなく、腸の選択にまかせておけばよいのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

No.120「"不在" という伝染病(2)」の「補記」に「IgA抗体が人体と共存させる細菌を選別している」という、理化学研究所のシドニア・ファガラサン氏の研究を紹介しました(「NHKスペシャル」での放映内容)。ここに再掲しておきます。


No.120「"不在" という伝染病(2)」の「補記」

免疫システムのキーである「抗体」の一種、免疫グロブリンA(IgA)が、人体との共存を許す細菌だけに選択的に取り付き、腸の壁を覆っている粘液層に細菌が入りやすくしています。IgAが「取り付く」ことで粘液層に入るときの抵抗が少なくなるようです。これを研究している日本の理化学研究所のシドニア・ファガラサン氏がインタビューに答えていました。

IgA抗体は攻撃するためでなく、腸内細菌を助けるために働いています。IgA抗体は私たち人間に必要な菌だけを選んで腸に住み着かせているのです。

私たちは細菌とともに長い進化の歴史を過ごしてきました。その過程で互いに助け合う仕組みを発達させたのです。腸内細菌と共に生きていることの本当の意味を知るべきです。私たちは腸内細菌と一緒になって初めて一つの生命体なのです。

シドニア・ファガラサン(理化学研究所)
NHKスペシャル(2015.2.22)
「腸内フローラ ~ 解明!驚異の細菌パワー ~」より


人間の免疫システムは、取り込む菌と排除する菌を区別するようにできています。No.69-70「自己と非自己の科学」で書いたように、この免疫システムは複数種類の免疫細胞の協調作業で行われます。この協調作業を行う免疫細胞群を本書では "チーム免疫" と呼んでいます。微生物の多い環境にいると "チーム免疫" が鍛えられる。これが大切です。


私たちの体内には、空気や食べ物に混ざって、日々たえまなく細菌やウイルスが侵入してきています。それらのほとんどは、感染してもたいした症状を起こさない「チョイ悪菌」たちです。そんなチョイ悪菌たちが "チーム免疫" の好敵手となり、組織力育成の役に立っているのです。

でも、ときには "チーム免疫" より強い敵が体内に侵入してくることもあります。その際、免疫と病原体の闘いはヒートアップし、つらい症状が表に出てきます。しかし、治癒ちゆしたのちは、"チーム免疫" が連携力を高めるすばらしい経験となります。

つまり「免疫力が強い」というのは、"チーム免疫" の組織力も個人力も高まっていて、一枚上手の外敵がやってきたとしても、それを倒す力を備えている状態のこと。反対に「免疫力が弱い」というのは、免疫細胞たちの経験不足がわざわいして、チーム力が低下している状態のことを指すのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

本当に怖い病原菌が侵入してきたとき、それと真っ先に戦うのは医療でも薬でもなく、"チーム免疫" です。その力を高めるには「チョイ悪菌」と仲良くし、練習試合をたくさんやって鍛えるしかありません。

要するに「人体の機能は、使わなければ衰える」のが根本原理です。これはたとえば筋肉と同じと考えていいでしょう。手や足を骨折して筋肉を動かせない状態を続けると筋肉が固まってきます。その回復のためにリハビリの期間がかなり必要だったりする。それと同じです。我々には "チーム免疫" を使う機会が常時あることが必要なのです。


超清潔指向が人間を滅ぼす


以上ような人の成り立ちを考えると、

  微生物の少ない環境(体内・体外環境)は人の健康を阻害する

ことになります。現在の日本では「殺菌」「抗菌」「除菌」「薬用」というようなキーワードがついた衣類用洗剤、掃除用洗剤、スプレー、ハンドローション、うがい薬、家電製品、日用品があふれています。また「泥んこ遊びをさせない」などの、子どもを微生物環境から遮断するような育児を行う人もいます。さらに日本の水道水への塩素注入量は世界でみても極端に高いと本書にあります。水道水中の微生物の基準がWHO(世界保健機構)の基準に比べても厳しすぎるからです。

このような「行きすぎた清潔指向」「超清潔指向」が人間を滅ぼすことになる、というのが本書の警告です。超清潔指向は「常在菌の減少や不在」を招き、「免疫関連疾患のリスク」を高め、また「免疫力の低下」をもたらします。

 常在菌の減少や不在を招く 

常在菌は数から言うと腸内細菌がほとんどで、上に書いたように人の健康維持に密接に関係しているのでした。腸内細菌の「空き家」は病原菌の進入を許すことになります。

しかし常在菌は皮膚にも生息していて、我々の皮膚を守っています。従って、過度に手を洗うと "皮膚常在菌" の不在を招き、感染症にかかりやすくなります。手洗いは流水で10秒間流すことで十分というのが本書の強い推奨です。このあたりの事情は本書の題名、「手を洗いすぎてはいけない」にもなっているので、少々長めに引用してみましょう。


人間の皮膚には、表皮ブドウ球菌をはじめとする約10種類以上の「皮膚常在菌ひふじょうざいきん」という細菌がいて、私たちの皮膚を守ってくれています。

彼らは私たちの健康において、非常に重要な役割を担っています。皮膚常在菌は皮膚から出る脂肪をエサにして、脂肪酸の皮脂膜ひしまくをつくり出してくれているのです。この皮脂膜は、弱酸性です。病原体のほとんどは、酸性の場所で生きることができません。つまり、常在菌がつくり出す弱酸性の脂肪酸は、病原体が付着するのを防ぐバリアとして働いているのです。

皮膚を覆おう弱酸性のバリアは、感染症から体を守る第一のとりでです。これがしっかり築かれていれば、病原体が手指に付着することを、それだけで防げるのです。

では石けんで手洗いをするとどうなるのでしょうか。

石けんを使うと、一回の手洗いで、皮膚常在菌の約90パーセントが洗い流されると報告されています。ただし、1割ほどの常在菌が残っていれば、彼らが再び増殖し、12時間後にはもとの状態に戻ることもわかっています。したがって、1日1回、お風呂に入って体をふつうに洗う、という程度であれば、弱酸性のバリアを失わずにすみます。

しかし、昔ながらの固形石けんでさえ、常在菌の約9割を洗い流してしまう力があるのです。薬用石けんやハンドソープ、ボディソープなどに宣伝されているほどの殺菌効果が本当にあるのだとしたら、そうしたもので前述の手洗い法のように(引用注:感染症予防で推奨されている12ステップの手洗い。最後はアルコール消毒)細部まで2回も洗い、アルコール消毒などしてしまえば、さらに多くの常在菌が排除されることになります。

しかもそれを数時間ごとに行ってしまうと、どうなるかわかりますか。わずかながら残されている常在菌が復活する時間さえ奪ってしまうことになるのです。

皮膚常在菌の数がいちじるしく減ってしまうと、皮膚は中性になります。脂肪酸のバリアがつくれないからです。脂肪酸のバリアがない皮膚は、要塞ようさいを失ったお城のようなものです。外敵がわんさと襲ってきても、守るすべを失えば、城は炎上します。

脂肪酸を失って中性になった皮膚には、外からの病原体が手に付着しやすくなります。こうなると、手指から口に病原体が運ばれやすくなります。

洗いすぎると皮膚は感染症を引き起こしやすい、「キタナイ」状態になってしまう、というのはこういうことだったのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

手を洗いすぎると皮膚の角質層を壊すことにもなります。皮膚は常に新陳代謝をおこなっていて、古い皮膚はいずれ垢となって剥がれ落ちるのですが、垢になる一歩手前が角質です。角質層はアレルゲンや病原体が皮膚に入り込むのを防ぎます。


角質層は脂肪酸の皮脂膜で覆われていることで正常な状態を保つことができます。角質層がバラバラにならないよう、皮脂膜が細胞同士をつなぎとめているからです。

ところが皮膚を洗いすぎると皮脂膜がはがれ落ちます。すると、角質層にすき間が生じ、皮膚を組織している細胞がバラバラになっていきます。こうなると、皮膚に潤いを与えている水分の多くが蒸発して、カサカサしてきます。この状態が乾燥肌です。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

本書は、肌の乾燥の原因は「季節」や「加齢」ではないと断言しています。常在菌が作ってくれた皮脂膜 = 天然の保湿剤を洗い流し、高価な保湿クリームを塗るなどは愚の骨頂というわけです。

洗いすぎてはいけないのは手だけではありません。温水洗浄トイレ(商品名:ウォシュレットなど)は確かに快適で便利だし、多くの痔の患者さんを救ってきたのは事実ですが、使い過ぎるのもよくありません。


日本の男性に、大便のあとに温水洗浄トイレを使いすぎて「お尻が痛くなる」人たちが増えています。使いすぎると、肛門周囲の皮膚常在菌が少なくなり、ただれたり、かぶれたり、血が出たりして、肛門専門の医療機関を受診する人も多いと聞きます。(中略)

温水洗浄トイレの普及で、オシッコの時でも便座に座る男性が増えてきているのも事実です。排尿のあとでも、肛門にシャーシャーと温水をかけているのです。そのたびに肛門周囲の常在菌は流されて皮膚が中性になり、角質がバラバラになって、肌荒れを起こすようになります。すると、大腸のなかにいる腸内細菌が肛門付近の皮膚にくっつきます。腸のなかにいればよい働きをしてくれる細菌も、自分の居場所から離れると本来の仕事を忘れ、悪さをはじめます。その腸内細菌が炎症を起こし、肛門が痛くなったり、かゆくなったりするのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

人の皮膚は洗いすぎると汚くなるのです。洗いすぎて中性からアルカリ性に傾いた皮膚は、病原菌の格好の住処になります。本書には男性だけでなく女性の話も出てきます。


日本の女性は、歴史上、膣をビデで洗う経験はありませんでした。「洗えばきれいになる」と、オシッコのたびに膣を洗うようになったのは、ウォシュレットが販売された1980年以降のことです。

しかし、膣も「洗いすぎれば汚くなる」のは同じことです。女性の膣にはデーデルライン桿菌かんきんという乳酸菌がいて、膣をきれいに保っています。この菌は、膣のグリコーゲンをエサにして膣内を酸性に整えます。つまり、正常な膣は酸性なのです。

酸性の場所では、雑菌は増殖できません。原始時代、ろくに体を洗っていない男性と雑菌だらけの環境で交わっても、女性は膣炎になどなりませんでした。デーデルライン桿菌が膣を酸性に保ってくれていたからです。

ところが、現代の女性は膣炎になります。「洗えばきれいになる」とばかりに、オシッコのたびにビデで洗っているからです。そのたびにデーデルライン桿菌は洗い流され、膣は中性にかたよっていきます。そうなると、雑菌が膣内で増殖し、おりものが出てきて、膣炎となってしまうのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

 免疫関連疾患のリスクを高める 

微生物の少ない環境は、免疫関連疾患であるアレルギーの発症リスクを高めます。そもそも藤田博士は「寄生虫の不在とアレルギーの発症の因果関係」で、このことを早くから主張されていたのでした。アレルギーに関しては、No.119「 "不在" という伝染病(1)」に「兄弟効果」「保育園効果」「農場効果」を書きました。つまり、

兄弟効果
兄弟で比較すると、後に生まれた子の方がアレルギーが少ない
保育園効果
保育園に通った子どもの方が、そうでない子どもよりアレルギーが少ない
農場効果
農場で育った子どもにはアレルギーが少ない

というものです。本書にはこのうち「兄弟効果」と「保育園効果」が説明されています。下の図は第1子(一人っ子を除く)に着目し、第1子と第2子以降のアレルギーの発症率を調査したものです。明らかに差が見てとれます。

兄弟効果.jpg
本書にある、第1子(一人っ子を除く)と第2子以降のアレルギーの発症率を対比したグラフ。この調査は、子を持つ親:10118人に対し、第1子の数:3639人、第2子以降の数:6479人であり、調査した子の数=親の数となっている。つまり同じ親からは子が一人だけ選択されている。これは親の育て方以外で兄弟が似る要因(遺伝や居住地など)の影響を排除するためと考えられる。どの子を選ぶかはランダムに決めたはずである。No.223「因果関係を見極める」のRCT(ランダム化比較試験)の項参照。

このグラフを見て思うのは、そもそも「子どもの約30~40%がアレルギー体質」というのが多すぎるということである。
「手を洗いすぎてはいけない」より。


一人っ子と同じく、お母さんは第1子にはとかく目が向かいがちなものです。ときには、神経質なまでに手をかけてしまうこともあるでしょう。それが第2子、第3子になると、「このくらいならば大丈夫」と加減がわかるようになり、いい意味で手が抜けるようになるのだと思います。

私の知人の女性は、3人の子持ちです。最初の子のときには、初めてのことばかりで不安が大きく、哺乳瓶はもちろん、離乳食で与える野菜まで野菜洗い用の洗剤で洗っていたそうです。赤ちゃんがハイハイするときには、それ専用のカーペットをわざわざ床に敷き、そこを夫が歩こうものなら悲鳴をあげて阻止したともいいます。それが第3子になると赤ちゃんがバッチイことをするのも気にならず、公園の土の上を転げ回り、アリをつまんで口に入れてしまっても、笑って見ていられるようになりました。

彼女の子どもも、第1子はひどいアレルギー性鼻炎で、第2子、第3子は健康優良児だとのことです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

知人女性の第1子の「アレルギー性鼻炎と育て方の因果関係」を立証することはできないと思いますが(何らかの遺伝的要因かもしれない)、いかにもありそうな話です。結果としてですが、その知人女性は第1子に対しては "最悪の育て方" をしたわけです。

また本書にも「保育園に早くからあずけられた子どもの方がアトピーになりにくい、というデータがある」と、"保育園効果" のことが書かれています。大勢の子どもがいて皆で遊ぶ環境が微生物と接する機会を増やすからです。

 免疫力が低下する 

超清潔指向は私たちの外部環境からも細菌を追い出すことになります。これは人の免疫力を低下させ、感染症にかかりやすくなることにつながります。ノロウイルスの流行やエルトール型コレラの集団発生もその現れだと、本書では危惧しています。( )内は引用注です。


最近では(ノロウイルスの)新型のウイルスも発見されていますが、ノロウイルスはもともと感染力の弱い、あまり問題視されないウイルスだったのです。人に感染するウイルスの多くは、人類の進化とともに生き抜いてきたものたちです。昔から私たちとともにあった病原体ともいえるでしょう。それが最近になって大流行を起こすようになったのは、ウイルスの病原性が増していること以上に、ヤワな病原体にやられてしまうほど、宿主=人間の抵抗力が弱っていることを示しています。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

1995年のことになります。インドネシアのバリ島帰りの日本人が次々とコレラを発症し、患者数が300人近くにもなった事件がありました。コレラは江戸時代からの恐ろしい伝染病です。伝染力が強く、致死率も高い。明治から昭和の初めまで、日本の国家的な衛生システムはコレラの防疫で生まれたと言われるほどです。ここで言うコレラは「アジア型」と言われるタイプのものです。一方、1995年に発生したコレラは違いました。


1995年に大発生したのは、エルトール型です。このコレラは1900年代後半に出現した新しいタイプです。菌の毒性が低く、軽症あるいは無症状に終わるケースが70~80パーセントを占めています。とても病原性の低い菌といえるでしょう。

このときコレラを発症したのは、日本人だけでした。現地の人や他国の観光客はなんともなかったのに、日本人だけが集団発症したのです。これがどいうことか、おわかりになるでしょうか。日本人の免疫力は、ヤワな菌に集団発症してしまうほど、世界の人々に比べて低くなっているのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

バリ島は有名な観光地です。現地のバリ島の人たちがエルトール型コレラを発症しないのはともかく、世界からバリ島にやってきた観光客のなかで日本人だけが発症したという事態は、確かに日本人の免疫力の低下を疑わせます。最近よくあるインフルエンザの季節はずれの流行も、日本人の免疫力の低下ではないかと、本書で危惧されています。



超清潔指向が総合的に作用して社会問題となったのが(なっているのが)病原性大腸菌、O157です。1990年、O157の感染で日本で初めて死者が出ました。埼玉県浦和市(現、さいたま市)の幼稚園で、井戸水の引用によって2人が亡くなったのです。また、日本中を震撼させたのが1996年の堺市の事件です。同じ給食を食べた児童・職員の9492人が罹患し、3人の児童が亡くなりました。

O157は人の腸の中に入ると、血管壁を壊して出血を起こすベロ毒素(志賀毒素)を出すことがあります。この毒素が血液中に入るとさまざまな症状を起こします。毒素が腎臓に入り込むと急性腎不全となり尿毒症が起こる。こうなると脳に影響を与えて意識障害や痙攣けいれんを引き起こし、ときに死亡することもあります。

O157は大腸菌の変異菌です。大腸菌は本書にも書かれているように、人の腸のなかに生息し、O157を含む病原菌を排除したり、食物繊維を分解したりといった働きをしています。O157はその変異菌であり、157番目に見つかった変異なのでO157と命名されました。1982年のアメリカでのことです。そしてO157の流行は先進国にかたよっていて、いわゆる発展途上国では起こっていません。

このような変異菌がなぜ生まれてきたのか。それは殺菌剤や抗菌剤の多用だというのが本書の見立てです。抗生物質の多用が変異菌を生みだし、その中から抗生物質が利かない耐性菌が生まれるのと同じ原理というわけです。

  ちなみにO157が出すベロ毒素(=志賀毒素)の "志賀" とは、赤痢菌を発見した志賀潔博士のことです。O157は、赤痢菌と同じ毒素を出すように変異した大腸菌です。

実は、O157は生命力の弱い菌です。毒素の生成に多くのエネルギーを使ってしまうからです。O157は不潔な場所では生きられません。雑菌が多いところでは淘汰されてしまいます。反対に、雑菌の少ない清潔な場所に入り込むと一気に増殖を始めます。従って衛生に細心の注意を払う場所ほどO157の格好の住処となります。学校の給食室、スーパーの総菜売場、水耕栽培をする野菜工場などです。人が殺菌剤をふりまいて雑菌を殺しておいてくれるからです。さらに、そのO157に感染して重症化する人には特徴があると言います。


東京医科大の中村明子兼任教授は1996年、O157が集団発生した埼玉と岡山両県の小学校を調査しています。その際、感染者の「清潔度」のチェックもあわせて行いました。このとき、重大な事実がわかりました。

重症化した子どもはすべて、「超」がつくほどの清潔志向の家庭で育てられていたのです。また、一戸建てに住むような裕福な育ちでした。おそらく、泥んこになったり、虫とふれあったりして遊ぶことを「バッチイからダメ」と制され、帰宅時には薬用石けんやハンドソープでていねいに手を洗うようにしつけられ、家庭内ではさまざまな洗剤や抗菌スプレーが常用されていたのでしょう。

反対にO157に感染していながらまったく症状の出ていない子どもたちもいました。無症状の子はみんな親がほどよく放任で、毎日真っ黒になって外を駆け回り、「バッチイ遊び」をたくさんしているような子どもたちだったのです。

外遊びをたくさんする子は、空気中を舞う土壌菌を自然と吸い込んでいますから、腸内フローラが豊かにはぐくまれています。O157はヤワな菌なので、腸内細菌が多種多様にすんでいる腸のなかでは増殖できません。抗菌薬の乱用など超清潔志向によって作られた「空き家」の多くなった腸でのみ、増殖できるのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

何回か発生したO157の集団感染は、マスメディアによって大々的に報道され、これがまた日本人の清潔指向を倍加させました。以上の O157 に関するストーリーを「清潔」をキーワードにまとめると、

抗菌剤や殺菌剤の多用が大腸菌の変異菌(O157)の出現を招いた(のだろう)。

そのO157は清潔な場所でないと増殖できない。

超清潔志向の家庭で育った子どもがO157感染症を発症し、重症化した。

O157による重症患者の発生は、日本人の清潔志向を倍加させた。

ということになります。これはいわゆる悪循環というヤツです。この悪循環をどこかで断ち切る必要があります。それはひとえに「清潔」という意味をよく理解し、正しい知識をつけることでしょう。


ヒトと微生物の共生


本書の内容をまとめると、次のようになると思います。

人は微生物である常在菌と共生している。人=人体+常在菌であり、人体は常在菌との共生を前提に正しく機能するようになっている。

人の機能は、その機能を常時働かせることにより強化され、維持される。免疫力も外界の微生物と常時接することで高まり、維持される。

超清潔志向は常在菌の減少や不在を招き、また外界の微生物との接触を少なくする。その結果として人は "やまい" に陥る(機能不全、感染症、アレルギーなど)。

以上のことは、どちらかというと常識的であり、本書に何か新しい知見が書かれているわけではありません。ただ、専門用語を極力排し、多くの事例を引用してわかりやすく解説し、警鐘を鳴らした本として価値があると思いました。




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No.224 - 残念な「北斎とジャポニズム」展 [アート]

No.156「世界で2番目に有名な絵」で、葛飾北斎の「富嶽三十六景」の中の『神奈川沖浪裏』が "世界で2番目に有名な絵" であるとし、この絵が直接的に西洋に与えた影響の一例を掲げました。No.156 で書いたのは、

ドビュッシーの交響詩「海」。スコアの表紙に『神奈川沖浪裏』が使われているし、そもそも作曲のきっかけが北斎だと考えられる。
ドビュッシーの家の室内写真。ストラヴィンスキーとのツー・ショット写真だが、壁に『神奈川沖浪裏』が飾られている。
カミーユ・クローデルの彫刻作品『波』。
『神奈川沖浪裏』を立体作品にした、ドレスデン街角のオブジェ。
『神奈川沖浪裏』を童話に仕立てたスペインの絵本。
サーフィン用ウェアの世界的ブランドである Quiksilver のロゴマーク。『神奈川沖浪裏』が単純化されてデザインされている。

でした。もちろん『神奈川沖浪裏』を含む「富嶽三十六景」や「北斎漫画」など、北斎の多数の作品が19世紀以降の西欧アートに影響を与えたし、北斎だけでなく日本の浮世絵や工芸品がヨーロッパに輸出されて、いわゆる "ジャポニズム" の流れを生んだわけです。

No.187「メアリー・カサット展」で書いたのですが、カサットは1890年にパリで開催された「日本版画展」に感激し、自らも版画の制作を始めました。No.187 では 喜多川歌麿の『青楼十二時せいろうじゅうにときの刻』とカサットの『The Fitting(仮縫い)』の対比、同じく歌麿の『行水』とカサットの『湯浴み』の対比を掲げました。カサットはこの歌麿の作品そのものではないにしろ、類似の浮世絵からインスピレーションを得て作品のテーマと構図を決めたのは間違いないと思います。

そういったジャポニズムを紹介する展示会が最近、国立西洋美術館で開かれました。「北斎とジャポニズム」展です(2017.10.21 - 2018.1.28)。この展示会は国立西洋美術館の馬渕明子館長が監修したものです。馬渕館長はジャポニズム研究の専門家なので、いわば "渾身の展覧会" でしょう。なぜ北斎なのかというと、ジャポニズムの中でも北斎の影響がダントツに大きいからです(馬渕館長の言)。つまりこの展示会は「北斎が西洋美術・工芸に与えた影響」を中心テーマとしつつ、「北斎を代表格とする日本の美術が西洋に与えた影響」も俯瞰するものと言っていいでしょう。

北斎とジャポニズム展.jpg

展示会の内容は北斎の画業全般に渡っていて、"森羅万象を描き尽くそうとした" 北斎の制作態度がよく分かるようになっていました。またそれに対する西洋のジャポニズムの方も、日本紹介の書物から絵画、工芸、版画まで多様でした。全体として大変理解がしやすい良い展覧会だと思いました。



以下は、この展示会を見て "残念" と思ったことをいくつか書きます。展示会そのものが "残念" というわけでは全くありません。もっとこういう作品を展示してほしかったという意味の "残念" です。あたりまえですが、展示会のために作品を所蔵美術館(ないしは個人)から借りるのは相手がある話なので思い通りに行くとは限りません。それは十分承知した上での "無いものねだり" を以下にあげたいと思います。


雨を線で表現する


浮世絵には雨を線で表現したものが多々あります。すぐに思い浮かぶのは広重の「東海道五十三次」の『土山宿』や『庄野宿』、ゴッホも模写した「名所江戸百景」の『大はしあたけの夕立』などです。この浮世絵の影響を受けてヨーロッパでも雨を線で表現した絵が描かれるようになりました。「北斎とジャポニズム」展で対比されていたのは、北斎の『北斎画式』からの一枚と、ゴッホの『雨中の畑で種を蒔く人』という素描です。もちろん広重の "雨" の方が有名ですが、この展覧会は北斎とジャポニズムを対比するのが主旨なので、これはこれでよしとしましょう。

北斎画式.jpg
葛飾北斎
北斎画式」(1819)

雨中の畑で種を蒔く人.jpg
フィンセント・ファン・ゴッホ
雨中の畑で種を蒔く人」(1890)
フォルクヴァンク美術館(独:エッセン)

"問題" はゴッホの方で、ここでゴッホを持ち出すのならフィラデルフィア美術館にある『雨』という油絵作品を展示して欲しかったと思います。No.97「続・フィラデルフィア美術館」で引用した絵です。

PMA - Gogh.jpg
フィンセント・ファン・ゴッホ
」(1889)
フィラデルフィア美術館

ゴッホのサン・レミ時代の絵です。小麦畑に雨が降っているという、ただそれだけの絵ですが、この雨の線の "乱れよう" は画家の心情を表しているようです。北斎の版画もゴッホの素描も「雨を線で描いた作品」です。それに対してこのゴッホは「雨を線で描くことによって何かを表現しようとした絵」で、そこが違います。この絵は、巨大美術館であるフィラデルフィア美術館でも大変印象に残る絵です。それは日本人だからでしょう。

そのゴッホが浮世絵と出会う20年以上前から浮世絵を研究し、その構図やテーマを作品に取り入れていたのがドガです。今回の「北斎とジャポニズム」展でもドガの作品が数点展示されていました。そしてドガも雨を線で表現した絵を描いています。『雨の中の騎手』というパステル画です。この絵も No.97「続・フィラデルフィア美術館」で引用しました。

Jockeys in the Rain.jpg
エドガー・ドガ
雨の中の騎手」(1880/91)
ケルヴィングローブ美術館
(英:グラスゴー)

ドガは馬が登場する絵(郊外での競馬が多い)を多数残しています。また絵画制作のためだと思いますが、小型の馬の彫像(いわゆるマケット)も残しています。ちょうど「踊り子」でやった絵画制作を「馬」でやった。今回の展示会でも、北斎漫画の馬の絵とドガの「競馬場にて」(1866/68。オルセー美術館)を対比させた展示がありました。

上に引用した絵はその「馬」と「線で描かれた雨」がミックスされています。さらに右端の馬をカットアウトした構図も浮世絵の影響を感じさせます。このドガの絵も展示して欲しかった絵なのでした。


並木越しの風景


葛飾北斎の「富嶽三十六景 東海道程ヶ谷」は、松並木の向こうに富士が見えるという構図で、富嶽三十六景の中でも比較的良く知られた作品です。この絵とモネの2つの絵を対比して展示してありました。

富嶽三十六景「保土ヶ谷」.jpg
葛飾北斎
富嶽三十六景 東海道程ヶ谷」(1830-33)


ヴァランジュヴィルの風景.jpg
クロード・モネ
ヴァランジュヴィルの風景」(1882)
ポーラ美術館

陽を浴びるポプラ並木.jpg
クロード・モネ
陽を浴びるポプラ並木」(1891)
国立西洋美術館

モネの最初の絵の舞台であるヴァランジュヴィルとは、ノルマンディーの海岸に面した地方です。No.202「ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館」で「ヴァランジュヴィルの漁師小屋」という作品を引用しました。たまたま見つけたポプラの木という感じで、これは並木ではありません。

一方、次の『陽を浴びるポプラ並木』は北斎も描いた "並木" で、しかもクローズアップで描いています。これはジヴェルニー付近の川沿いのポプラ並木で、モネによくある連作の中の1枚です。この絵は確かに「富嶽三十六景 東海道程ヶ谷」からインスピレーションを得て描かれたと思えるものです。

しかしモネの絵よりさらに北斎に近いと思えるのは、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークにあるゴッホの『アルルの風景』です。この絵は No.10「バーバー:ヴァイオリン協奏曲」で引用しました。

アルルの風景.jpg
フィンセント・ファン・ゴッホ
アルルの風景」(1889)
ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)

モネの『陽を浴びるポプラ並木』は、「ポプラ並木の向こうに見えるのはポプラ並木」ですが、ゴッホ作品では「ポプラ並木越しに見えるアルルの田園風景」です。そこが「並木越しに見える富士」により近いと感じます。北斎もゴッホも「もし並木がなかったとしても成立する絵」です。主題はあくまで富士であり、アルルの田園風景です。にもかかわらず、あえて松並木・ポプラ並木で主題を "ぶった切って"(部分的に)隠している。構図の発想が大変よく似ているのですね。浮世絵が大好きだったゴッホもまた、「富嶽三十六景 東海道程ヶ谷」からインスピレーションを受けたのだと思います。



このゴッホの絵から連想するのが、オーストリアの画家、エゴン・シーレの『4本の木』という作品です。ウィーンのベルヴェデーレ宮殿(オーストリア・ギャラリー)にあります。

4本の木.jpg
エゴン・シーレ(1890 - 1918)
4本の木」(1917)
(オーストリア・ギャラリー)

こうなると単なる風景画ではなく、思想性を感じる絵になっています。4本の木はそれぞれ何らかの象徴で、落日も何かを象徴している、というような ・・・・・・。ジャポニズムの影響とは言い難い感じもします。

しかし気になるのは、当時のウィーンがジャポニズムの "メッカ" だったことです。本展示会にもウィーンで活躍したアーティストの作品が展示されていましたが、特にヴァルター・クレムの「橋」という作品(次項)はジャポニズムそのものです。『4本の木』もインスピレーションのもとになったのかもしれません。





橋は浮世絵にたびたび現れる画題です。「北斎とジャポニズム」展で対比してあったのは、北斎の『富嶽三十六景 深川万年橋下』とヴァルター・クレムの『橋』でした。ヴァルター・クレムとはあまり聞かない名前ですが、ドイツの画家・イラストレーターで、ウィーン分離派で活躍した人です。

富嶽三十六景「深川万年橋下」.jpg
葛飾北斎
富嶽三十六景 深川万年橋下」(1830-33)

Walther Klemm - Bridge.jpg
ヴァルター・クレム(1883-1957)
」(1909より前)
オーストリア応用美術館

確かによく似ています。19世紀末から20世紀にかけてのウィーンはジャポニズムの一つの拠点で、その代表格がクリムトです。No.164「黄金のアデーレ」にクリムトの作品を引用しました(アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 1)。クリムトは日本の着物だけでなく、甲冑や能面(!)まで所有していたそうです。そんな状況を考えると、このヴァルター・クレムの作品も納得できます。

ただし "橋" がテーマの作品としては、ジャポニズムの作品を多く手がけたホイッスラーも是非展示してほしいところでした。『ノクターン:青と金色 - オールド・バターシー・ブリッジ』です。

Whistler - Nocturne.jpg
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー
ノクターン:青と金色 -
オールド・バターシー・ブリッジ
」(1872-75)
テート・ブリテン

普通、このホイッスラーの絵は広重の『名所江戸百景 京橋竹がし』の影響だと言われるのですが、今回は「北斎とジャポニズム」展です。北斎の橋の絵とホイッスラーを対比するのは全くOKのはずです。ちょうど "雨を線で描いた絵" で、広重でなく北斎とゴッホを対比させたように・・・・・・。実際にロンドンにあったオールド・バターシー・ブリッジは、こんなに橋桁が高くなかったようです(ホイッスラーが描いた橋の素描が残っている)。デフォルメとクローズアップを用い、それに加えてまるで水墨画のように描いたこの絵は、まさにジャポニズムに影響を受けた作品でしょう。

名所江戸百景「京橋竹がし」.jpg
歌川広重
名所江戸百景 京橋竹がし


春画


浮世絵の半数以上(6割?)は春画だと言われています。西欧の著名画家も春画を保有していたようで、木々康子氏の『春画と印象派』(筑摩書房)によるとロートレックは春画の大コレクターだったとあります。「北斎とジャポニズム」展にあったのは、北斎の『万福和合神』とクリムトの『横たわる恋人たち』でした。ほかにロダンの素描もありました。

万福和合神・上編.jpg
葛飾北斎
万福和合神上編(1821)


横たわる恋人たち.jpg
グスタフ・クリムト(1862-1918)
横たわる恋人たち」(1904/05)
ウィーン・ミュージアム

しかしここでは是非ともピカソを持ち出して欲しかったと思いました。たとえばバルセロナのピカソ美術館が所蔵している次の作品です。男女の性の場面を描いたものとしてナマナマしい感じで、クリムトよりも北斎の絵の "精神" を受けついでいると思います。

ピカソ「恋人たち」.jpg
パブロ・ピカソ恋人たち
バルセロナ・ピカソ美術館

「万福和合神」のような春画はたくさんあるので、ピカソがこれを見たかどうはは分かりません。しかしピカソにはダイレクトに北斎を踏まえたと考えられる作品があります。北斎の春画集「喜能会之故真通きのえのこまつ」に『蛸と海女』という有名な絵がありますが、これから発想を得たと考えられる『女と烏賊』です。この絵は No.163「ピカソは天才か(続)」で引用しました。ピカソも北斎のイマジネーションに驚いたのではないでしょうか。

蛸と海女.jpg
葛飾北斎蛸と海女


ピカソ「女とイカ」.jpg
パブロ・ピカソ女と烏賊
バルセロナ・ピカソ美術館

そもそもピカソは北斎を強く意識していたようです。No.163「ピカソは天才か(続)」 で引用した瀬木慎一氏(美術評論家)と浦上満氏(浦上蒼穹堂・主人)のコメントを再度掲げます。


ピカソは日本の画家の中では北斎を尊敬していました。北斎は年とってから自分のことを「画狂老人」と言っていた、あれを非常に気に入って「俺はヨーロッパの画狂老人だ」と言ったくらいです。

瀬木慎一
NHK 日曜美術館(2010.5.23)
「ピカソを捨てた花の女」より

北斎はとにかく変化へんげの画家なんです。こういう画家は西洋に一人しかいません。それはピカソ。ピカソは明らかに北斎を意識していますよ。自分で北斎の雅号にならった『西洋画狂人』と名乗っていたといわれます。近年わかったことですが、ピカソは春画も集めていて、彼のキュビズムは春画からきているという説もあるんです。

浦上満
雑誌『東京人』
(No.378 2016.12)

ほかでもない「北斎とジャポニズム」という企画展だからこそ、"ヨーロッパの画狂老人" を自認していたピカソを展示して欲しかったと思いました。


カサット


冒頭に書いたように、メアリー・カサット浮世絵に感動して自ら版画を制作しました。その例として No.187「メアリー・カサット展」で対比させた喜多川歌麿とカサットの作品をここに再掲します。

歌麿・青楼十二時 子の国.jpg
喜多川歌麿
青楼十二時せいろうじゅうにときの刻
川崎・砂子の里資料館
(大浮世絵展・2014 図録より)

The fitting.jpg
メアリー・カサット
仮縫い」(1890/91)
アメリカ議会図書館
(site : www.loc.gov)

歌麿・行水.jpg
喜多川歌麿行水
メトロポリタン美術館

The bath(The tub).jpg
メアリー・カサット
湯浴み(たらい)」(1890/91)
アメリカ議会図書館

歌麿の『青楼十二時せいろうじゅうにときの刻』で立っている女性のポーズは、女性を美しく描くための浮世絵の "定番" と言ってよいでしょう。また『行水』にみられるような「母と子、ないしは母と赤ん坊」というテーマも浮世絵でよく描かれました。カサットはこの歌麿作品そのものではないにしろ、類似の浮世絵からインスピレーションを得て作品のテーマと構図を決めたのは間違いないと思います。

しかし今回は「北斎とジャポニズム」展なので北斎と対比させる必要があります。出展されていたカサット作品は『青い肘掛け椅子の少女』でした(これ以外にもカサットの絵が2点ほどありました)。この絵は No.87「メアリー・カサットの "少女"」No.125「カサットの "少女" 再び」に詳しく書きました。No.125では絵を所有しているワシントン・ナショナル・ギャラリーの分析に従って、背景の一部にドガの手が入っていることにも触れました。そしてこの絵と対比されていたのが『北斎漫画』の中の "布袋" の絵でしたが、これはちょっとやりすぎというか、こじつけではないでしょうか。

Mary Cassatt - Little Girl in a Blue Armchair (Renewal).jpg
メアリー・カサット
青い肘掛け椅子の少女」(1878)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー

北斎漫画・初編より(部分).jpg
「北斎漫画」より
普通、モデルを使った絵はモデルにそれなりのポーズをとらせますが、このカサットの絵は違います。育ちのよい少女(ドガの友人の娘です)であれば "普段はしない格好" というか、親に見つかると厳しく叱責されるに違いない姿です。つまり、

  少女が見せるある瞬間の姿態や表情、それをカンヴァスに定着させた

と感じさせるのがこの作品です。「少女」を「踊り子」に変えたとしたら、これはまさにドガの作品の特徴です。そして北斎漫画やその他の北斎作品にも「モデルのある瞬間の姿態や表情を定着」した絵が多数あり、そこが共通している部分です。カサットは画家としてドガと親しい関係にあったので、北斎 → ドガ → カサットという影響が推測できます。またカサットが『北斎漫画』を直接見たことも考えられる。こうした「ある瞬間の定着」が「北斎とジャポニズム」展で『青い肘掛け椅子の少女』を展示した主旨のはずですが、そこに "布袋" の絵を持ち出したので何となく嘘っぽくなってしまった、そこが残念なところでした。

余談ですが『青い肘掛け椅子の少女』の特色は少女の姿態だけはなく、肘掛け椅子の配置を含む部屋の描き方にあります。床と壁の境を極端に上にとり、少し上の方から俯瞰したアングルで、椅子を不規則に配置し、しかもすべての椅子をカンヴァスからはみ出して描く。この絵の所有しているワシントン・ナショナル・ギャラリーの公式ガイドに「少女がいなければほとんど抽象画」とありましたが(No.222「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」参照)、そう言いたくなるほど斬新な構図でです。


ドガ


この項は「残念」ではなく、私とっての新発見です。当然のことながら「北斎とジャポニズム」展にはドガの作品が数点出展されていましたが、"発見" はドガの次の版画に関してです。

ルーブルのメアリー・カサット.jpg
エドガー・ドガ
ルーヴル美術館絵画室の
メアリー・カサット
」(1879-80)
フィラデルフィア美術館

この版画はルーブル美術館でのメアリー・カサットの姿を描いたものです。立っているのがメアリー、座ってガイドブックを広げているのは姉のリディアです。No.86「ドガとメアリー・カサット」を書いたときにいろいろ調べていて、この版画に出会いました。ドガは他に「ルーブルの考古学室のメアリー・カサット」も制作しています。この「絵画室のメアリー」の後ろから見た立ち姿、美術館の中でパラソルを持っている姿は "何だか不思議な感じだな" と思っていたのですが、今回の展覧会で対比されていたのが『北斎漫画』の中の一品でした。なるほど、北斎を踏まえて制作されたのだとすると納得できました。

北斎漫画・九編より.jpg
葛飾北斎
北斎漫画」九編より


マティス


前々から気になっていたのですが、マティスと北斎の関係はどうなのでしょうか。「北斎とジャポニズム」展でマティスに関する展示はありませんでした。しかし気になる点があって、その一つはマティスが画家のアルベール・マルケを「我らが北斎」と呼んだと伝えられることです。アルベール・マルケはマティスと同じフォービズムの画家仲間(後輩)で、フォービズムにしてはどちらかと言うと"穏やかな色使い" で、風景画を得意とした人です。森羅万象を描き尽くそうとした北斎とは制作態度がかなり違います。従ってマルケの絵だけを見ても、マティスの言う北斎との関連性は分からないのですが、たとえばマルケのデッサンの力量を北斎に比したのかも知れません。

気になる二つ目は、マティスは明らかに日本美術の影響と思われる作品を描いていることです。それはフィラデルフィアのバーンズ・コレクションにある『三姉妹』という3連作です(No.95「バーンズ・コレクション」参照。Room 19 West Wall にある作品)。

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バーンズ・コレクションの Room 19 West Wall の画像。マティスの「三姉妹」の三連作が壁一面に展示されている。

この「3人の女性を描いた3つの連作」というスタイルは「大判錦絵三枚綴り」に発想を得たものでしょう。たとえば歌麿の次の作品です。

喜多川歌麿「両国橋上下(上)」.jpg
喜多川歌麿両国橋上下(上)

バーンズ・コレクションにある『三姉妹』は「西洋絵画史上、これしかないと思える作品」です。こういう作品を制作するぐらいなら、ほかにも日本美術からインスピレーションを得た作品があるのではと思うのですね。特に北斎をヒントにした作品が ・・・・・・。

画家が他人の絵からインスピレーションを受ける場合、その内容は大変微妙です。No.36「ベラスケスへのオマージュ」で、画家のサージェントがベラスケスの『ラス・メニーナス』へのオマージュとして描いた『ボイト家の娘たち』という作品を紹介しましたが、一見すると一体どこが『ラス・メニーナス』なのか分からないのです。マティスにも実はそういった作品があるのではないだろうか ・・・・・・。このあたりを「北斎とジャポニズム」展で展示して欲しかったし、展示しないまでも情報発信して欲しかったと思いました。一度、ジャポニズムの専門家である馬渕館長に聞いてみたいところです。


アートとインスピレーション


馬渕館長も各種メディアで強調していたことですが、ジャポニズムは決してコピーではありません。西洋のアーティストは、北斎をはじめとする日本の美術品の中に従来西洋になかった美を発見し、ヒントを感じ、インスピレーションを得て、それを自家薬籠中のものにして作品を作った、そういうものがほとんどでした。それがまた近代日本のアートに影響を与えたわけです。それ以前に、北斎をはじめとする江戸期の画家も西洋絵画の影響を受けています。たとえば冒頭に出した『神奈川沖浪裏』にも西洋画の影響を感じるし、北斎の遠近法画法も今回の展示会にありました。

そういったダイナミックな "影響のしあい" がこの展覧会で理解できたのでした。




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