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No.241 - ウリ科野菜による中毒の危険性 [科学]

No.178「野菜は毒だから体によい」の関連記事です。No.178で書いたことを要約すると次のようになります。

植物は昆虫や動物から守るため、毒素をもつように進化してきた。

これらの毒素のなかには人間にとって "ホルミシス" を起こすものがある。ホルミシスとは、少量を摂取すると有益だが、多量に摂取ると有毒になる現象を言う。

ホルミシスを起こす毒素を少量摂取すると、人間の体はそれを排除しようとして活性化する。これが人体にとって有益となる。

ホルミシスの一つの例だが、カレーの香辛料の一つであるターメリックに含まれるクルクミン(黄色の物質)は、脳において活性酸素を除去する抗酸化酵素の生産を促進するように働く。これがアルツハイマー病の直接原因であるベータアミロイドの蓄積を減少させる。

ターメリックに関して思い出しましたが、よく「インド人には認知症が少ない」と言いますよね。これは疫学的にも確かなようです。これもホルミシスの効果かも、と思ったりします。

しかしホルミシスの原因物質は「微量だと益になる」わけで、毒素であることには変わりありません。薬か毒かは一つの物質の表と裏です。そしてそれは植物が敵(昆虫や動物)を撃退するために発達せた "毒" が本来の姿なのです。

この「植物に含まれる毒」に関して、意外にも身近な野菜で中毒を起こす場合があるという記事を最近読みました。今回はそれを紹介したいと思います。2018年8月9日の Yahoo Newsに、

  ズッキーニやヘチマなど「ウリ科野菜」中毒の危険性

と題したコラムが掲載されていました。書いたのはライター・編集者の石田雅彦氏です。石田氏は Yahoo News のプロフィールでは「横浜市立大学・共同研究員」「自然科学から社会科学まで多様な著述活動を行う」「日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会員」とあるので、今回のコラム記事に関して言うと "科学ジャーナリスト" が適切な肩書きだと思います。このコラムには13の引用文献が明示されていて、いかにも科学ジャーナリストという感じがしました。以下、石田氏の記事の内容を紹介します。


ウリ科野菜


ウリ科の植物は人類の歴史上、極めて古い作物や野菜を含んでいます。つまり、

キュウリ
ズッキーニ
トウガン
ゴーヤー(ニガウリ、ツルレイシ)
ヒョウタン
ヘチマ
ユウガオ(カンピョウの原料になる)
カボチャ
メロン
スイカ
マクワウリ

などです。このウリ科植物を食べて、希に嘔吐や下痢などの中毒症状を起こすことが報告されています。原因物質はウリ科植物に含まれる苦味成分の "ククルビタシン"(Cucurbitacin。AからTまでの18種ある)です。ククルビタシンはウリ科植物以外にも、アブラナ科の植物や香木の沈香、ある種のキノコ(ベニタケやワカフサタケの仲間)、あるいは海の軟体動物にも含まれます。

ウリ科植物に含まれるククルビタシンによる中毒の事例は数々報告されています。石田氏の記事から紹介すると以下です(記事には引用元が明示されていますが省略しました)。


2001年には沖縄で自家栽培のヘチマを食べて30分後に嘔吐し、下痢が止まらないという人が出た。この場合、ククルビタシンの量は少なかったが、それでも中毒症状を引き起こした。

2007年には、長野県で自家栽培したヒョウタンの塩漬けを食べた直後に嘔吐し、吐血と下血して救急外来へ駆け込んだ事例が報告されている。これはヒョウタンに含まれるククルビタシンBによる十二指腸炎と診断された。

2008年には自家栽培したヘチマを食べ、これまでに経験したことのない苦味を感じて保健所に相談した事例が沖縄でいくつか報告されている。沖縄といえば同じウリ科のゴーヤーだが、味噌煮にしたヘチマや煮物や汁物にしたユウガオ(チブル)も食べる。

2014年には岡山県でズッキーニを食べた男女14人が、下痢や腹痛などの食中毒症状を訴えていたことがわかっている。同年、岡山県は「強い苦味のあるウリ科植物にはご注意ください」という注意喚起を出した。

2018年には、フランスでカボチャの(Squash)スープを食べたフランス人が中毒になり、嘔吐や下痢、1週間後に頭髪や陰毛の脱毛の症状を起こしたという2症例の報告が出された。フランスではカボチャを多く消費するが、2012~2016年にフランスの毒物管理センターに報告されたカボチャ中毒は353人に上るという。

日本でも最近(2018年5月)、長野県がウリ科植物に注意喚起をし、カンピョウの原料になるウリ科のユウガオで食中毒の危険性があるとしている。ユウガオはスイカなどを栽培する際の接ぎ木の台木に使用されることがあり、この台木からとれるユウガオの実にククルビタシンが多く含まれる場合があるそうだ。

石田雅彦
Yahoo News(2018年8月9日)

苦い野菜の代表格はゴーヤーですが、ゴーヤーの苦味はククルビタシンもありますが、そのほとんどは中毒を引き起こさないモモルジシン(momordicin)によるものです。沖縄ではゴーヤーの苦みに慣れっこになっています。石田氏の記事には「沖縄県では、ゴーヤーより苦いヘチマやユウガオは中毒の危険性があるので注意するように喚起しているが、ゴーヤーに慣れているせいか多少苦くても食べてしまうケースが多い」とありました。上の引用にあるヘチマ中毒が報告されたゆえんです。

普通、キュウリやスイカ、メロン、ズッキーニなど食用のウリ科植物には、ククルビタシンは含まれていないとされています。これらの野菜は長い品種改良の結果、苦味成分を除外し、ククルビタシンを含まないように栽培されてきたからです。

たとえばキュウリ(Cucumber)の原産地は中東と考えられていて、その後、東西へ伝えられて、日本でも古くから食用の野菜になってきました。キュウリの遺伝子を調べた研究によれば、野生種の苦いキュウリがこれまで4段階を経て品種改良され、食用になったことがわかったそうです。この研究では、キュウリの苦味が葉と実の遺伝子に分けられた結果、実のほうに苦味が少なくなったといいます。

このように食用野菜は安全なのですが、しかし連作や水やりの不足、温度変化、野生種や観賞用植物などからの花粉飛来や昆虫の受粉による交雑などの要因で、ククルビタシンを多く含むウリ科野菜ができてしまうことが希にあるようなのです。

石田氏は「キュウリやズッキーニ、ヘチマなどを食べる際には、切り口を少しなめてみて、もしも強烈な苦みがあり違和感があったらすぐ食べるのは避け、保健所などに相談したほうがいいだろう」と書いています。キュウリのヘタの部分が苦いことはありますが、切り口が苦いというのは普通ありません。普通は苦くない部分が苦いのは要注意、ということだと思います。


有毒な野生種を食用と見間違う


石田氏はさらにウリ科植物から離れて、有毒な野生種を食用の植物と見間違う場合があることに注意を喚起しています。


2018年7月23日には北海道でイヌサフランの球根(鱗茎)をジャガイモと間違えて食べて食中毒で亡くなった人が出た。イヌサフランには有毒なアルカロイドの一種、コルヒチン(Colchicine)が含まれ、呼吸困難などの症状を引き起こす。

ほかにもニラに似たスイセン(ヒガンバナ・アルカロイド)、フキノトウに似たナス科のハシリドコロ(ヒヨスチアミン、Hyoscyamineなど)、セリに似たドクゼリ(シクトキシン、Cicutoxinなど)など、間違えやすく毒性の強い植物は多い。

石田雅彦
Yahoo News(2018年8月9日)

子供のころにヒガンバナ(彼岸花、曼珠沙華)は毒だと教えられたことがあります。日本で水田のあぜ道にヒガンバナが植えられたり、また墓地(昔は土葬)に植えられたりしたのは、ネズミ、モグラ、虫などがその毒性を嫌って忌避するようにという工夫だったようです。

ヒガンバナ科の植物に含まれるアルカロイドを「ヒガンバナ・アルカロイド」と総称しますが、その中のリコリンは有毒です。そしてスイセンもヒガンバナ科の植物であり、全草が有毒です。スイセンの葉は形だけを見るとニラとそっくりなので、誤食による中毒も起こるのでしょう。

イヌサフラン(花).jpg
イヌサフラン(葉).jpg
イヌサフランの花と葉。いずれも有毒。
厚生労働省「自然毒のリスクプロファイル」より


ハシリドコロとフキノトウ.jpg
ハシリドコロの若い芽生え(左。有毒)と、フキの花(フキノトウ)の芽生え(食用)
厚生労働省「自然毒のリスクプロファイル」より


自然毒のリスク・プロファイル


石田氏のコラム記事からは離れますが、厚生労働省はホームぺージの中に「自然毒のリスクプロファイル」というページを設けています。これは動物性自然毒(=魚介類の毒)と植物性自然毒(キノコ毒、および高等植物毒)に分けて、その毒性や中毒事例をまとめたものです。石田氏のコラムで紹介されている植物は「高等植物毒」のカテゴリーにあって、ウリ科植物ではユウガオの毒性が紹介されています。

「自然毒のリスクプロファイル」にある高等植物毒の中で少々意外なのはアジサイです。アジサイの葉は刺身のツマのように時々料理に添えられることがあり、それを食べた人が中毒症状を起こした事例があるようです。アジサイがなぜ中毒を起こすのか、まだ本質的な解明はされていないようです。

高等植物毒で最も有名で、かつ身近な野菜はジャガイモです。よく知られているようにジャガイモの芽と、光が当たって緑になった皮の部分にはソラニンという毒素が含まれています。中毒症状を起こす事例も毎年出ているようです。

No.206「大陸を渡ったジャガイモ」で紹介しましたが、ジャガイモは南米のアンデス山脈の高地が原産です。山本紀夫氏「ジャガイモとインカ帝国」(東京大学出版会。2004)によると、アンデス高地には現在でもジャガイモの野生種が自生しています。しかし野生種は小指ほどの大きさしかなく、イモ全体にソラニンが含まれるため食用には向きません。この野生種から栽培種を作り出したのがアンデスの人々です。栽培種は、芽の部分にはソラニンがありますが、基本的に煮るだけで食べられます。この栽培種が全世界に広まり、19世紀ごろまでは「貧者の食べ物」として多くの人々の命をつないできたわです。

人類は農耕を始めてから、野生の植物を何とか食べられるように改良してきて、ジャガイモはその一例です。しかし本来、植物の毒は植物の防衛のためにできたものです。ウリ科植物に希に食中毒を起こす個体ができるというのは本来の姿が戻ったわけで、驚くに当たらないのでしょう。



ウリ科植物で中毒を起こすククルビタシンは、苦いと感じる物質です。この例のように「苦味」は基本的に「危険」のサインです。では「苦味」を忌避したらいいのかと言うと、そうではありません。No.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」に書いたように、人体は苦味を感じるとその原因物質を排除しようと活性化します。それは安全な苦味(たとえばコーヒー)でも起こる。このメカニズムは最初に書いたホルミシスと同じです。ククルビタシンを含む植物が漢方薬でも使われるように、有害と有益は表裏一体なのです。我々は「ダメージにはならない程度の、ごく小さな危険」と常時接することにより、防御反応を活性化させ、それが体にとって有益になる ・・・・・・。それは、No.225「手を洗いすぎてはいけない」で書いた、「微生物と常に接する環境でこそ人間は健康に過ごせる」ことと相似形だと思います。



 補記1 

ギョウジャニンニク(葉).jpg
ギョウジャニンニクの葉
2019年4月17日に群馬県でイヌサフランの誤食事故が発生しました。ギョウジャニンニクと誤認したそうです。ギョウジャニンニクはニンニク臭のある山菜で、"ギョウジャ" は山にこもる修験道の行者の意味です。厚生労働省の「自然毒のリスクプロファイル」のページには、イヌサフランに似た草としてギョウジャニンニクがわざわざ掲げてあります。


群馬県は20日、有毒植物のイヌサフランを食用のギョウジャニンニクと誤って食べた同県渋川市の70代夫婦が、食中毒症状を起こし病院へ搬送されたと発表した。夫は呼吸困難となり、意識不明の重体、妻は嘔吐(おうと)や下痢の軽症だという。

県食品・生活衛生課によると、夫婦は15日に知人宅の敷地内に自生していたイヌサフランをギョウジャニンニクとして譲り受け、17日昼に炒め物にして食べた。その後、下痢や嘔吐の症状が出て、17日夜に市内の病院に搬送された。病院から連絡を受けた県渋川保健福祉事務所が調べ、20日に食中毒と断定したという。

同課によると、イヌサフランは毒の強いユリ科の植物で、葉がギョウジャニンニクと似ている。同課は「食用と確実に判断できない植物は、絶対に採らない、食べない」と呼びかけている。(丹野宗丈)

朝日新聞デジタル(2019年4月20日)

(2019.4.21)



有毒植物のイヌサフランを食用のギョウジャニンニクと誤って食べた群馬県渋川市の夫婦が食中毒症状となって市内の病院に搬送された事故で、県警渋川署は22日、意識不明の重体だった夫(72)が死亡したと発表した。軽症だった妻は退院したという。

署や県によると、夫婦は15日、知人からイヌサフランをギョウジャニンニクとして譲り受け、17日に炒め物にして食べた。夫婦は夜に体調不良となって病院で治療を受けていたが、夫が22日午後2時50分ごろ死亡した。署は今後、食中毒との因果関係について調べる。

朝日新聞デジタル(2019年4月22日)

山であれ、宅地の敷地内であれ、とにかく自生しているモノを食べるのは絶対に要注意、ということでしょう。

(2019.4.23)


 補記2 

2019年6月に秋田県鹿角かづの市で、有毒植物(イヌサフラン)の誤食による死亡事件が発生しました。今度はギョウジャニンニクではなく、"ウルイ" と誤認したようです。


イヌサフランで食中毒 女性死亡

3日、有毒なイヌサフランを山菜と間違えて食べた鹿角市の80代の女性が、4日夜遅く、入院していた病院で死亡しました。

亡くなったのは鹿角市に住む80代の女性で、3日、自宅の敷地に生えていた有毒のイヌサフランを山菜のウルイと間違えて食べ、おう吐や下痢などの症状を訴え、食中毒と断定され、市内の病院に入院していました。県によりますと、女性の症状は一時、回復に向かっていたということですが、4日夜遅くに呼吸が弱くなり、まもなく死亡したということです。

病院からの報告では、女性の死因は「イヌサフランを食べたことによる中毒死」だといことです。

イヌサフランによる食中毒はおう吐や下痢のほかに、呼吸困難や知覚障害などの症状も引き起こすおそれがあるということで、県生活衛生課は、山菜を食べる際にはよく観察して確認するよう注意を呼びかけています。

NHK NEWS WEB(秋田)
(2019年6月5日 21:18)

ちなみにウルイとは、オオバギボウシ(大葉擬宝珠)の若葉で、春の山菜として賞味されます。Wikipediaには「サクッとした歯ごたえでクセがなく、育ちすぎた葉は苦いが、軽いぬめりも魅力である。乾燥させて保存食にも利用され、山かんぴょうの名もある」とあります。山形県ではハウス栽培もされ、また光を遮断して栽培したものを「雪うるい」というブランドで出荷しています(次の画像)。

ウルイ.jpg
ウルイ(左画像)と、山形のブランドである「雪うるい」(右画像。光を遮断して栽培したもの)。「おいしい山形」ホームページより。

別の報道では、死亡した女性の自宅敷地にはウルイも自生していたとありました。厚生労働省の「自然毒のリスクプロファイル」にはイヌサフランと間違えやすい植物として、ギョウジャニンニクに加えて「ギボウシ」が写真とともに掲載されています。ウルイ(オオバギボウシ)はそのギボウシの一種です。とにかく、自生しているものを食する時には採取したものを1本1本、慎重に確認するのが必須ということでしょう。

(2019.6.6)



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No.238 - 我々は脳に裏切られる [科学]

No.149「我々は直感に裏切られる」で、極めて大きな数を私たちは想像できず、そのために直感が働かないという話を書きました。23人のクラスで同じ誕生日の人がいる確率は 50% 以上もあるとか(= バースデー・パラドックス)、10都市を巡回する全ての経路を総当たりで調べるのは家庭用パソコンで2秒で可能だが、32都市となるとスーパーコンピュータ "京" を宇宙の年齢(135億年)だけ動かしても絶対に不可能、といった話でした(総当たりでは不可能という意味)。これらの裏に潜んでいるのは日常生活とは全くかけ離れた大きさの数であり、それが直感に反する結果を招くのです。

今回は、それとは別の直感が裏切られる例をとりあげます。視覚が騙される例、いわゆる "錯視" です。もちろん錯視は昔から心理学の重要な研究テーマであり、数々の錯視図形が作られてきました。その多くは平面図形ですが、今回とりあげるのは立体の錯視です。

明治大学の杉原厚吉こうきち教授は数理工学が専門ですが、数々の立体錯視の例を作ってきた(= 発見してきた)方です。その杉原教授が日経サイエンスの2018年8月号に「立体錯視と脳の働きの関係」についての解説を書かれていました。大変興味深い内容だったので、それを紹介したいと思います。それは「我々が視覚によってまわりの立体物をどうやって認識しているのか」というテーマと深く関わっています。そしてこのテーマは人工知能の研究の重要な領域です。


エッシャーの不可能立体


杉原教授が立体の錯視に取り組まれたのはエッシャーの作品の影響が大きいようです。エッシャーの作品を一言でいうと「不可思議な絵(版画)」です。画面を鳥やトカゲが隙間なく埋め尽していたり、蜂が次第に魚に変身していくさまだったりと、いろいろありますが、「不可能立体」による "だまし絵" もエッシャー作品の大きなジャンルになっています。


20世紀に活躍したオランダの版画家エッシャーは、多様な素材を用いたダンディーで哲学的な作品をたくさん残している。代表的な作品グループの一つが不可能立体のだまし絵を用いたものである。不可能立体とは、絵には描けるけれど物理的な実体としては不可能で、だまし絵をみた人の脳に浮かぶだけの架空の構造である。例をあげれば、階段を上り続けるといつの間にか出発点に戻ってしまう無限巡回階段を素材とした《上昇と下降》1960年、柱の前後関係が床と天井で逆転する《ベルヴェデーレ(物見の塔)》1958年、水路を上った水が滝となって水車を回し続ける《滝》1961年などが典型である。いずれの作品も、普通なら違和感をもつはずのだまし絵を、緻密な描写によってリアリティのある情景の中に溶け込ませ、命を吹き込むことに見事に成功している。

杉原 厚吉「脳を裏切る立体」
(日経サイエンス 2018年8月号)

杉原教授があげているエッシャーの《上昇と下降》、《ベルヴェデーレ(物見の塔)》、《滝》の3作品は非常に有名なので、多くの人が知っていると思います。そのうちの《ベルヴェデーレ(物見の塔)》が下図です。

LW426-MC-Escher-Belvedere-1958.jpg
エッシャー
ベルヴェデーレ(物見の塔)」1958年
(site : www.mcescher.com)

この作品の1階と2階の関係の中に不可能立体が含まれています。また左下で腰かけている男性が持っている立体も、直方体のフレームとしてはありえない構造をしています。

不可能立体とは「絵には描けるけれど物理的な実体としては不可能な立体」ですが、実は工夫をすれば物理的実体として作ることができます。ただし、従来のやりかたは「不連続のトリック」や「曲面のトリック」を使うものでした。「不連続のトリック」とは、物理的実体として不連続だが、ある視点からみるとあたかもつながっているように見えるというトリックです。また「曲面のトリック」とは、実際はぐにゃっとした立体だが、ある視点から見たときだけ平面からできた立体に見えるというトリックです。ペンローズの3角形と呼ばれる有名な不可能立体を、この2つのトリックで作成した例が次の図です。

ペンローズの3角形.jpg
ペンローズの3角形の立体化
ペンローズの3角形(a, c)を、不連続のトリック(b)と曲面のトリック(d)で立体化したもの
(日経サイエンス 2018.8)

ここからが重要な話になります。実は、エッシャーの物見の塔の不可能立体は「不連続のトリック」や「曲面のトリック」を使わなくても物理的実体として作成できることを杉原教授は発見しました。

杉原版・物見の塔.jpg
杉原版・物見の塔
(日経サイエンス 2018.8)


この《物見の塔》に描かれている床と天井で前後が逆転する柱の構造は、不連続のトリックや曲面のトリックを使わないでも立体化できる。床と天井とそれをつなぐ4本の柱だけに単純化したものを立体化した例が上左の写真である。実際、長方形の床と天井の向きが直角にひねられており、隣り合う柱の前後関係も、床と天井で逆転していることがわかる。

この立体を別の方向から撮影したのが写真右である。これからわかるように、この立体には、不連続のトリックや曲面のトリックは使われていない。それにもかかわらず前後が逆転するだまし絵が写真上左のように立体として実現されている。

どのようなトリックが使われているのであろうか。左の写真を見ると、柱は垂直に立っているという印象を持つ。しかし、実際には、写真右に示すとおり、それぞれの柱は垂直とは程遠く、それぞれ別の方向を向いている。柱が斜めに立っているから、床と天井の前後関係が逆転できているのである。

このトリックは、直角に見えるところを直角以外の角度を使っているから「非直角のトリック」と呼ぶことができよう。実は、線図形からそこに描かれている立体図形を自動抽出できるロボットの目を開発しようという研究の中で私はこのトリックを見つけたのである。

「同上」



杉原教授もあげているエッシャーの有名な作品に《上昇と下降》があります。建物の屋上を周回する階段が描かれていますが、上り続ける人はいつまでも上り続け、下る人はいつまでも下る「無限巡回階段」になっています。

LW435-MC-Escher-Ascending-and-Descending-1960.jpg
エッシャー
上昇と下降」(1960年)
(site : www.mcescher.com)

杉原教授はこの「無限巡回階段」も物理的に作成できることを示しました。それが次の図です。

杉原版・上昇と下降.jpg
杉原版・上昇と下降
上の写真の位置から見ると「無限巡回階段」のように見えるが、実は下の写真のように "無限上昇(下降)" はしていない。

「不可能立体と不可能モーション」
国立情報学研究所セミナー
(2011.6.2)より



「杉原版・物見の塔」と「杉原版・上昇と下降」における重要なポイントは、

つながって見えるところは、物理的実体としてもつながっている。

平面に見えるところは、物理的実体としても平面である。

しかし直角に見えるところに非直角を使っている

の3点です。また、上の引用のところで杉原教授は「線図形からそこに描かれている立体図形を自動抽出できるロボットの目を開発しようという研究の中で私はこのトリックを見つけた」と書いていますが、ここも重要なポイントです。

人間の網膜に写る外界の像は平面です。人間の脳はそこから外界の立体とそれらの位置関係を推定します。それを無意識にリアルタイムに直感的に行っています。どうしてそれができるのか。目が2つあるからというのは当たりません。確かに両目の視差で奥行きが推定できますが、たとえ片目でも、かつ、全く初めての光景に出会ったとしても、立体とその位置関係が推定できます(ためしにやってみると分かる)。

ロボットやそれに相当する機械(自動運転のクルマや建機など)の "眼" も平面の画像センサーでできていて、基本的に人間の目と同じです。周りの状況に応じて動きが変化する精密なロボットを作ろうとすると(たとえば乱雑に置かれたモノを掴むロボット)、平面の画像がら立体を推定する必要がでてきます。クルマで言うとスバルのアイサイトのようなステレオカメラを使うこともできますが、コストアップになるし調整も大変です。あくまで1個のレンズとセンサーで実現したい。

このとき、人間がどうやって立体の認識をしているのかが解明されると、それをロボットに応用できる可能性が大です。杉原教授の研究と産業応用の関係はそうなります。


非直角のトリックによる立体錯視


人間は網膜に映る2次元画像から3次元をどうやって推定しているのでしょうか。下図のように、同一の網膜画像に帰着する3次元形状は無限にあります。これらの中から人間は特定のものを直感的に選択しています。「ものを見る」ということはそういうことです。

実世界を認識する目.jpg
実世界を認識する目
網膜に映る2次元画像を作れる立体は1つではなく、無限の可能性がある。脳はその中から特定のものを直感的に選択している。
(日経サイエンス 2018.8)

人間はその選択をどうやっているのか。そのことを推測できる立体錯視を杉原教授は作成しています。


ひとつの例を見てみよう(下の写真の上)。台の上に四角い柱が垂直に立ち、その4つの側面から水平に東西南北を指すように、4本の四角い横木が伸びている立体をこころの中に思い浮かべるであろう。この形を理解するのに時間はかからず、特に努力の必要はない。

この立体にはその下の写真のように赤い輪をかけることができるのだ。これを見たとたん、人間は不思議の世界に迷い込む。この硬くて平らな輪が、上下で柱の後ろ側を通っているのにもかかわらず、4本の横木の手前を通っているとしか見えない。こんなことは、4本の横木が東西南北四方へ水平に伸びていたのでは起こるはずがない。

実は、写真下に示すように、横木のうちの2本は水平ではなく、4本とも後ろ側に伸びている。だから、輪が写真のように絡まることができる。種明かしをされれば簡単に分かるが、こんなことでどうしてだまされてしまうのだろうか。

「同上」

杉原厚吉:四角柱.jpg
縦横に配置された4角柱(上)に、硬い赤の輪をかけられる(中)。実は柱の配置はみかけとは全く異なる(下)。
(日経サイエンス 2018.8)


読者は、下の写真から本当の形を理解したはずである。ここで、もう一度、いちばん上の写真に目を移してみよう。すると再び4本の横木が東西南北へ水平に伸びた立体を思い浮かべていまうのに気づくのではないだろうか。私たちの脳は、立体の本当の形を知っていることを無視して、最初に思い浮かべた別の立体をまた思い浮かべてしまう。

この事実は、私たちの脳は直角が大好きだということを示している、というのが私の仮説である。つまり、脳は、画像に映っている立体の無限の可能性の中から直角のなるべく多いものを選らんで即座に思い浮かべてしまうらしい。しかも、立体の本当の形を知ったあとでも、その知識を無視してしまう。いわば、理性とは別に脳に備わる自動回路で勝手に画像を処理して立体の奥行きを理解するのである。

「同上」

「脳は、画像に映っている立体の無限の可能性の中から直角のなるべく多いものを選らんで即座に思い浮かべてしまう」というのが、杉原教授の仮説です。この脳の作用と関係する錯視が、つぎの変身立体です。


変身立体


杉原教授は、ある特定の2方向から見ると全く違った形に見えてしまう立体を作成しました。鏡を使うとこの錯視が非常に効果的になります。下の写真の左は、そのまま見ると円柱に見え、鏡を通してみると4角柱に見えます。杉原教授はこのような立体を「変身立体」と名付けました。

変身立体.jpg
変身立体
直接見ると円柱に見えるが、鏡を通して見ると4角柱に見える(左)。実際の物体はそのどちらでもない形をしている(右)。
(日経サイエンス 2018.8)


「変身立体」は立体錯視の基本であるので、その見える原理と作成方法を詳しく説明しよう。

先ほどの「ものを見る」議論を思い起こそう。1枚の平面画像には奥行きの情報がないため、それに対応する立体には「無限の可能性」があるとした。見方を変えると、このことは、2つの方向から見るとそれぞれ望み通りに違う形に見える立体が作れる可能性があることを意味している。

左の写真に沿って説明すれば、第1の方向(たとえば直接に見る方向)から見ると円に見える立体は無限にあり、第2の方向(たとえば向こうの鏡から見る方向)から見ると四角柱に見える立体も無限にある。もし、この2群の両方に属する共通の立体があれば、実際にそれを作ることができるはずである。それを求めるのは数学を使えば可能である。

左の写真のようにできあがった「変身立体」の柱体上端に乗っている実際の曲線は、凸凹した起伏を持つ空間曲線である。円とも四角ともいえないこんな中途半端な曲線をもつ立体が、どうして方向によって円柱にも四角柱にも見えるのだろうか?

柱体の上端の曲線は、空間図形であるから1つの平面には含まれない。しかし、通常眼にする立体と同様に柱体の高さはどこも同じに作ってあるので、直角が大好きな脳は、上端の曲線で囲む面を、「軸で垂直な平面で柱体を切断しててきる断面」と奥行きを無視して解釈してしまう。

ある方向から円柱に見えるということは、上端の曲線を「平面で切った円」を斜め上から見ていると脳が解釈していることを意味する。平面で切った断面のように見えても、実は凸凹した起伏のある空間曲線は見る方向を変えれば別の見え方になる。その結果、もう1つの鏡の方向から見ると四角の断面を持った柱体、つまり四角柱に見える、と解釈される。

まとめると、①2つの方向から見て異なった形に見える空間曲線の存在 ②それを平面曲線に(誤って)解釈する脳の「直角好き」、が「変身立体」のポイントである。

「同上」

一つの視点からみると円弧に見え、別の視点から見ると2直線に見える空間曲線の作り方を示したのが次の図です。

変身立体の作り方.jpg
変身立体の作り方
水平面 H の上に円弧 A と 2直線 B がある。円弧上を動く点 P をとり、視点 E と視点 F と点 P を含む平面 S を考える。2直線 B と平面 S の交点を Q とし、直線 EP と直線FQ が交わる点を R とする。P が A の上を動くときに Q も B の上を動くが、P と Q の1対1対応がとれるように A と B を決めれば、点 R の軌跡が求める空間曲線 C となる。C を平面 H と垂直な方向に一定距離だけスイープさせれば変身立体の側面ができあがる。この図から、鏡を使って "変身" を演出するためには、鏡の上を手前に少し傾ける必要があることがわかる。
(日経サイエンス 2018.8)

杉原教授は「変身立体」は2016年の「Best Illusion of the Year Contest」で準優勝しました。その時の動画がYouTubeに公開されています。3Dプリンタの出現によって初めて製作可能になった立体と言えるでしょう。

Best Illusion of the Year Contest 2016.jpg
(YouTubeより)


立体錯視が提示する課題


立体錯視を起こす人間の脳の振る舞いは、心理学・認知科学・脳科学へ新たな研究課題を提供しているようです。杉原教授はそれを2つに分けて説明しています。


その第1は、脳がなぜ直角を好むかである。生まれながらの性質であろうか、それとも成長の過程で獲得した性質であろうか。自然には直角は少ないが、現代社会を囲む工業製品の多くは直角をたくさん含む形をしているため、直角を優先して知覚するようになったのかもしれない。これに関しては、まだ何も確かめられていない。確かめるためには、直角に囲まれないで育った人と比較しなければならないが、現代の地球上では、そのような人を見つけることは難しいだろう。

「同上」

動物実験という手はあります。つまり、動物を直角の無い環境で育てることは可能です。ただし、動物が立体錯視を起こしているかをどうやって調べるのか、その方法論が問題です。また、杉原教授もことわっているように「脳は直角を好む」というのは、現時点では仮説です。


もう1つの深刻な謎は、立体の本当の形を知った後でも、私たちは自分の知覚を修正することができず、特定の視点から立体を眺めると再び錯覚が起こってしまうことである。直角のように見えた立体を別の方向から見て、直角ではないと理解した後でも、もとの視点に戻ると、また直角に見えてしまう。ここでは、私たちの脳は知識や理性を無視して、意識の届かない脳の奥深いところで勝手に画像を処理し、直角の多い立体を思い浮かべてしまう。これは一体なぜなのであろうか。

「目で見る」ことの目的は、目の前の状況を判断し、見えたものをつかんだりよけたりという実際の行動に移すことであろう。そのためには、できるだけ短い時間で網膜の画像が持つ情報を脳で処理しなければならない。だから、この処理は自動化されているように見える。しかし、この自動回路は "過剰に安定" で、本当のことを知らされても頑固に修正を拒否する。これは進化の過程で生き残った最良選択なのであろうか。現代の状況ではそれが思わぬ落とし穴につながることもあるかもしれない。

「同上」


脳の高度な情報処理


立体錯視は脳の働きによって起こります。つまり脳が現実を裏切ることになるわけです。それはもちろん "脳を騙す" ような立体を人間が意図的に構成したからです。このことを裏返すとどうなるかと言うと、

  脳は少ない情報(2次元画像)から立体を推定するという高度な情報処理を瞬時にやっている

ということです。もちろん意図的に脳の "裏をかく" ことはできます。しかしほとんどの場合、脳の瞬時の情報処理は正しいし、我々はそれで問題なく生活しています。脳は2次元画像から物体の形を推定するだけでなく、複数の物体の位置関係を把握します。それは "あたりまえ" であり、我々が疑問をもつことがありません。しかし考えてみると、これはすごいことです。もしコンピュータに(AI技術も駆使して)やらせようとすると非常に難しい。

画像から物体を認識することだけなら実用化されています。たとえば前方衝突防止ブレーキがついたクルマでは、この機能を単眼カメラの画像だけでやっています。これは前方にあるクルマ、歩行者、バイク、自転車など、道路の上によく現れる物体の知識をもとにして画像から物体を判定しているわけです。そして道路と物体の接地部分を画像で判定し、単眼カメラの地上高と仰角から三角測量の原理で距離を計算している。つまり「事前知識をもとに画像から物体を検出し、物体までの距離を推定する」ことなら実用になっています。しかし、人間の脳がやっているような「事前知識なしに、画像だけから物体の3次元的な形状を推定する」のは、それとはレベルがかなり違います。

以上のことを考えると、人間の脳の働きは大変に高度であり、3次元形状を推定することだけをとってみても解明できていないことが分かります。No.233「AI vs.教科書が読めない子どもたち(1)」で紹介したように、国立情報学研究所の新井紀子教授は、

  人間の知性と同等ベルのAI(=真の意味でのAI)はまず無理である。なぜかというと、人間の知能の原理が解明されていないからであり、解明するにも人間の知能を科学的に観測する方法がそもそもないからだ。自分の脳がどう動いているか、何を感じていて、何を考えているかは、自分自身もモニターできない。

との主旨を書いていましたが、それが思い出されます。もちろん「実用上十分な範囲で、画像から3次元物体形状を推定する」のは、今までも研究されてきたし、今後も研究されるでしょう。立体錯視も「ロボットの目を開発しようという研究」から始まったのでした。杉原教授も、人が立体を認識するメカニズムについて「心理学・認知科学・脳科学などの成果で近い将来、答えが見つかることを期待したい」と書いています。ともかく、

エッシャーの不可能立体
立体錯視
立体形状を推定できるロボットの眼

の3つは「3次元世界と、それを覗く2次元の窓(眼)の関係」という意味で、密接に関係していることがよく理解できました。


杉原教授の公開動画


立体錯視や変身立体は動画で見るのが最適です。杉原教授が作られた「不可能モーション(立体錯視)」と「多義柱体(変身立体)」の動画が YouTube で多数公開されています。そのリンクを掲げておきます。

不可能モーション2(2009)
不可能モーション3(2010)
不可能モーション4(2012)
不可能モーション5(2013)
不可能モーション6(2014)
多義柱体1(2014)
多義柱体2(2015)
多義柱体3(2015)
多義柱体4(2016)




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No.229 - 糖尿病の発症をウイルスが抑止する [科学]

今回は、No.225「手を洗いすぎてはいけない」と同じく、No.119-120「"不在" という伝染病」の続きです。No.119-120 をごく簡単に一言で要約すると、

  人類が昔から共存してきた微生物(細菌や寄生虫)が少なくなると、免疫関連疾患(アレルギーや自己免疫疾患)のリスクが増大する

ということでした。「衛生仮説」と呼ばれているものです。その No.119 の中に糖尿病のことがありました。今回はその糖尿病の話です。

糖尿病には「1型糖尿病」と「2型糖尿病」があります。我々がふつう糖尿病と呼ぶのは「2型糖尿病」のことで、肥満や過食といった生活習慣から発症するものです。もちろん、生活習慣から発症するといっても2型糖尿病になりやすい遺伝的体質があります。No.226「血糖と糖質制限」で書いた糖質制限は、もともと2型糖尿病を治療するためのものでした。

一方、「1型糖尿病」は遺伝で決まる自己免疫疾患です。幼少期から20歳以下の年齢で発症するので、小児糖尿病とか若年性糖尿病とも言われます。これは、膵臓すいぞうにある膵島すいとう(ランゲルハンス島)を攻撃する自己免疫細胞が体内で作られ、膵島のβ細胞で生成されるインスリンが作られにくくなり(あるいは作られなくなり)、血糖値が上昇したままになって糖尿病になるというタイプです。No.119 で、この「1型糖尿病」について次の意味のことを書きました。

「1型糖尿病」は20世紀後半に激増した。

「1型糖尿病」の発症をそのままにしておくと生殖年齢まで生きられない。

唯一の治療法はインスリンの投与だが、インスリンは1920年代になってから医薬品としての使用が始まった。

なぜ遺伝子変異による致死性の自己免疫疾患が人類に伝わってきたのか。これは、1型糖尿病の発症を押さえる要因が以前はあったが、現代になってその要因がなくなったことを示唆している

この「1型糖尿病の発症を押さえる要因」とは何か、最近になってそれが解明されつつあります。それは No.119-120「"不在" という伝染病」のテーマであった「微生物と免疫関連疾患」に関係しています。そのことを「日経サイエンス」の記事から紹介します。


衛生仮説と1型糖尿病


日経サイエンスの2018年4月号に「1型糖尿病ワクチン - 衛生仮説が示す可能性」という解説記事が掲載されました。著者はアメリカのクレイトン大学(ネブラスカ州)のドレッシャー教授と、ネブラスカ大学のトレイシー教授です。この記事はまず、副題にある「衛生仮説」からはじまります。


30年近く前、英国の疫学者ストラッチャン(David P. Strachan)は花粉症や湿疹、喘息が20世紀になってから増えた理由を説明するため、直感には反するが明快な仮説を提唱した。彼は英国におけるこれらのアレルギー疾患の上昇率と、産業革命以降の生活水準の向上、特に幼児期に感染症にかかる例が激減したこととを関連づけた。生後1年以内に細菌やウイルスに曝露して生き延びることが、後の人生でこうしたアレルギー症状が表れるのをなぜか防ぐのだと彼は推測した。

現在「衛生仮説」として知られるこの仮説は本来アレルギー疾患に関するものだが、研究者たちはその後、この仮説の基本的な考え方を他の様々な疾患の歴史的増加を説明するのに用いてきた。ポリオや多発性硬化症、1型糖尿病の増加だ。多くの疫学調査によって、工業化がヨーロッパから北米その他に広がるにつれてこれらの疾患が増えたことが明らかになっている。

ドレッシャー、トレイシー
「1型糖尿病ワクチン」
(日経サイエンス 2018年4月号)

引用に出てくるポリオ(いわゆる小児麻痺)はポリオウイルスによって引き起こされますが、19世紀後半以降に大流行しました。多発性硬化症は神経細胞の保護膜(=ミエリンしょうNo.169「10代の脳」参照)を免疫系が攻撃する自己免疫疾患で、20世紀後半に世界のいくつかの地域で倍増しました。ドレッシャー、トレイシー両教授の研究テーマである1型糖尿病(=自己免疫疾患)も同様で、20世紀前半に増え始め、1950年代に激増しました。


激増する1型糖尿病



私たちの研究はストラッチャンが抱いたのと同様の根本的な疑問から始まった。以前は非常にまれだった1型糖尿病が1950年代には流行病となったのか ?

古代のギリシャやアラブ、インド、中国の医師はみな、あるまれな病状を記録に残している。急速な体重減と異常は喉の渇き、甘い尿などを特徴とするもので、これが1型糖尿病を指しているのはほぼ確実だ。

個々の病院のデータから推定して、20世紀初めには15歳未満の子供10万人につき1~2人が1型糖尿病に罹患していたとみられる。これに対し現在の数字は米国の一部では10万人あたり約20人、フィンランドでは同60人を超え、気がかりなことになおも増え続けている。

ただし増加のペースは一定でなかった。いくつかの国では長年じわじわと増えた後、20世紀半ばになって急増しはじめた。その後の1型糖尿病の増加は世界平均で年率3~5%と計算されている。2010年の1型糖尿病の罹患率は1998年に比べて40%も高まっている。

(同上)

日経サイエンス 2018-4.jpg
2型糖尿病と違って1型糖尿病は肥満や過食などの生活習慣が原因ではありません。遺伝性の自己免疫疾患で、発症リスクを高める遺伝子がいくつかあることが分かっています。しかし20世紀後半の1型糖尿病の急増の原因が遺伝子の変化ではありえません。DNAはこのような短期間では変化しないからです。急増は何らかの環境要因によるものと考えられます。

興味深いことに「赤道から遠く離れるほど発症例が多くなる」という研究が複数あります。ということは、日光を浴びると体内で作られるビタミンDが欠乏すると発症例が多くなるのかと疑われますが、そうでもないのです。フィンランドなどのいくつかの北国で「日照時間の短い地域よりも長い地域で1型糖尿病の有病率が高い」ことが疫学調査で分かったからです。

さまざまな環境要因が検討されるなかで、ある種のウイルスが1型糖尿病の発症に深くかかわっている疑いが出てきました。


エンテロウイルスと1型糖尿病


エンテロウイルスと総称されるウイルス群があります。エンテロとは古代ギリシャ語で "腸" を意味し、その名のとおり腸で増殖するウイルスの総称です。小児麻痺を引き起こすポリオウイルスはエンテロウイルスの仲間です。また手足口病もエンテロウイルスで引き起こされます。このエンテロウイルスが1型糖尿病の発症と進行にかかわっているという報告が相次ぐようになりました。


これまでに約40本の論文が1型糖尿病の発症と様々なエンテロウイルスの存在を強く関係づけている。死亡患者の膵臓組織からウイルスもしくはその遺伝物質が単離されているのだ。また、ある種のエンテロウイルス感染が1型糖尿病の進行に長期的な役割を果たしている可能性を示した研究もある。

(同上)

エンテロウイルスは100種以上のウイルスの総称で、その中のいくつかが1型糖尿病と関わっているようです。「コクサッキーB群」と呼ばれる6種のエンテロウイルスも関係が疑われるものです。

一般的にあるウイルスが病気の原因であることを証明するためには、患部からウイルスを単離する必要があります。しかし人間の膵臓から組織を安全に採取するのは外科的に極めて困難です。そこで著者たちはマウスを使って実験をはじめました。

「NODマウス」という系統のマウスがあります。NOD とは Non-Obese Diabetic の略で、直訳すると "非肥満性糖尿病の" です。糖尿病だが肥満ではない、つまり "1型糖尿病の" という意味です。その名のとおり NODマウスは何もしなくても1型糖尿病を発症します。さらに NODマウスはコクサッキーB群ウイルスによく感染することが分かりました。そこで著者たちは、NODマウスとコクサッキーB群ウイルスを使って実験を始めました。


私たちは2002年、無菌環境下に保たれたごく若い NODマウスに人為的にコクサッキーB群ウイルスを感染させた。これらのマウスは感染させなかった対照群と比べ、後に1型糖尿病を発症する率が大幅に低くなった。早期に病原体に曝露することが1型糖尿病の発症を防ぐ効果があるとする仮説を支持する結果だ。

興味深いことに、この効果はどのコクサッキーB群ウイルスによっても生じた。ただし保護効果の程度はウイルスのタイプによって違うようだった。フィンランドのタンベレ大学のウイルス学者フィオテらの実験も同様の結果を示した。

(同上)

若いNODマウスにコクサッキーB型ウイルスが感染すると1型糖尿病の発症リスクが大幅に減るという実験結果が得られました。では、コクサッキーB群ウイルスが1型糖尿病の発症を防ぐメカニズムはどうなっているのでしょうか。それを調べるため、著者たちはさまざまな年齢のNODマウスで実験をしました。


私たちは異なる年齢のマウスにコクサッキーB群ウイルスを感染させ、30週間以上にわたって観察した。何年も実験を重ねた結果、高齢の NODマウスに感染させた場合には、1型糖尿病の発症が減るのではなく、むしろ増えることがわかった。若い NODマウスで観察された先の結果とは対照的だ。

私たちはエンテロウイルスが高齢 NODマウスの膵島細胞に感染して増殖し1型糖尿病の発症をもたらすには、膵臓がすでに炎症を起こしている必要があると結論づけた。つまり、インスリンを作る膵島細胞が自己免疫T細胞によってすでに攻撃されている状態だ。

(同上)

両教授の結論は、1型糖尿病はまだ発症していない段階だが、膵島細胞が自己免疫T細胞によってすでに攻撃されて炎症を起こしている段階でコクサッキーB群ウイルスに感染するとウイルスが1型糖尿病の発症を早める、ということです。コクサッキーB群ウイルスは、若い NODマウスに感染するときと、成熟した NODマウスに感染するときでは働きが違うわけです。

ウイルスの感染によって病気が発症したり症状が悪化するという話は比較的わかりやすいものです。ではなぜ、若いNODマウスにコクサッキーB群ウイルスが感染すると1型糖尿病の発症が抑えられるのでしょうか。その理由は別の研究者が解明しました。


ラホヤ・アレルギー免疫学研究所(カリフォルニア州)のフォン・ヘラート(Matthias von Herrath)らの研究から、生後早期(自己免疫攻撃が始まる前)にエンテロウイルスに感染すると制御性T細胞の生成が刺激され、その細胞が成人期まで存続することが示された。

制御性T細胞は自己免疫性T細胞の生成を抑えることで1型糖尿病を防ぐ。だが膵臓が自己免疫性T細胞ですでに炎症を起こしていると(高齢の NODマウスでは自然にそうなる)、ウイルスは膵島細胞で増殖することが可能になり、この細胞を傷つけて糖尿病を加速する。

言い換えると、エンテロウイルスは NODマウスの1型糖尿病を防ぐことも促進することも可能で、どちらになるかは感染時の年齢による。

(同上)

ここでまた出てきたのは、大阪大学の坂口教授が発見した「制御性T細胞 = 免疫の発動を抑制する免疫細胞」です。"また" というのは、このブログで制御性T細胞について過去に2回書いたからです。

腸内細菌であるフラジリス菌がもつPSAという物質が、未分化のT細胞を制御性T細胞に分化させる。── No.70「自己と非自己の科学(2)」

腸内細菌であるクロストリジウム属を抗生物質で徐々に減らすと、ある時点で制御性T細胞が急減し、クローン病(炎症性腸疾患)を発症する。── No.120「"不在" という伝染病(2)」

人間の体内に入り込んだ微生物は、人間の免疫系の攻撃を避けるために免疫を抑制する制御性T細胞の生成を促すことがあります。微生物が人間の自己免疫病の発現を抑制する一つの原理がこれです。


ウイルスが1型糖尿病の発症と進行を左右する


以上の「エンテロウイルスと1型糖尿病の関係」をまとめた分かりやすい図が解説記事に載っていました。その図を下に引用します。この図は A、B、C、D の4つのケースで示してあります。それぞれのケースは以下のようです。

 A:遺伝的に1型糖尿病のリスクがないマウス 

1型糖尿病のリスクがないマウスの膵臓にエンテロウイルスが感染しても免疫系がそれを撃退する。

 B:1型糖尿病のリスクがある高齢マウス 

1型糖尿病のリスクがある高齢マウスの膵島は、すでに自己免疫性T細胞によって損傷している。そこにエンテロウイルスが感染すると1型糖尿病が発症する(発症が早まる)。

 C:1型糖尿病のリスクがある若いマウス 

1型糖尿病のリスクがある若いマウスにエンテロウイルスが感染すると、制御性T細胞が生成され、エンテロウイルスは撃退される。制御性T細胞はその後長期間に渡って膵臓にとどまり、膵臓は自己免疫反応に対する抵抗性を獲得する。

 D:Cのマウスが高齢になったとき 

Cのマウスが高齢になったとしても、制御性T細胞の存在によって自己免疫性T細胞の生成が抑制され、膵島は損傷しない。またエンテロウイルスが感染しても撃退される。1型糖尿病は発症しない。

エンテロウイルスと糖尿病.jpg
エンテロウイルス感染と1型糖尿病
日経サイエンス(2018年4月号)より


1型糖尿病予防ワクチン


NODマウスでの観察と同様のことが1型糖尿病遺伝子をもつ人間でも起こるとしたら(起こっているとしたら)、病気の発症を防ぐ手段がありうることになります。つまり、幼少期に人為的にエンテロウイルスに感染させれば、1型糖尿病の発症を抑止できる可能性があるわけです。こういった「人為的感染」は医学における長い歴史があります。それはジェンナーの種痘以来、病気の予防に多大な貢献をしてきた「ワクチン」です。

ワクチンには何種類かのタイプがありますが、まず「弱毒化生ワクチン」です。これはウイルスの発病能力を弱めたもので、ウイルスが体内で増殖するため効果が持続します。ただし病原性のウイルスに変異するリスクがあります。これに対して「不活性化ワクチン」はウイルスを増殖しないように "殺した" もので、リスクはありませんが、いずれ体内から消えてしまうので一般には再接種が必要になります。

実は、エンテロウイルスに対するワクチンで病気の撲滅に至った歴史があります。ポリオ(小児麻痺)です。ポリオウイルスもエンテロウイルスの一種です。ポリオは19世紀後半から流行が始まり、20世紀には数万人が死亡し、数百万人が身体障害者になりました。しかしワクチンが開発され(不活性化ワクチンと弱毒化生ワクチンの両方)その接種が徹底されたため、現在、ポリオの流行は世界でわずか3カ国だけになりました。

ポリオワクチンを接種すると体の中にポリオウイルスを攻撃する抗体ができ、それが記憶されるので、ポリオに罹患しなくなります。いわゆる "免疫記憶" であり、このメカニズムは No.69-70「自己と非自己の科学」に詳述しました。ポリオワクチンの特徴は、安全で効果抜群であることです。それでポリオはほとんど根絶されるに至った。だとしたら、同じエンテロウイルスの仲間である「1型糖尿病の発症を抑止するウイルス」のワクチンを作ればよいはずです。ウイルスに罹患しないことと自己免疫疾患を発症しないことは原理が違いますが、同様のワクチンで可能なはずです。

上の引用に出てきたフィンランドのウイルス学者、フィオテは、フィンランドのバイオ医薬企業、ワクテク社の会長です。ワクテク社はコクサッキーB群ウイルスのある一種に対する「不活性化ワクチン」を開発し、マウスで実験を始めました。2018年のうちには人(成人)でも実験を開始する予定です。今までの数多くの観察結果から、1型糖尿病の発症にかかわっているエンテロウイルスは1種類ではないことが分かっています。著者は「このワクチンが発症を有意に低下することを祈るばかりだ」と書いています。

しかし発症を有意に低下させることが分かったとしても、やるべきことはたくさんあります。1型糖尿病の発症に関わっているエンテロウイルス数種類の「混合ワクチン」を作ることや、「不活化ワクチン」と「弱毒化生ワクチン」の使い分け方の確立、そして何よりも小児に対する安全性の確認が重要です。著者は「1型糖尿病の予防を小児で試験するには10年以上かかるだろう」としています。


微生物と人間


1型糖尿病とエンテロウイルスの関係でも分かることは、人はウイルスをはじめとする微生物と深く関わりながら生きてきたことです。もちろん微生物には病気を引き起こすものがあります。自己免疫疾患でいうと、多発性硬化症はウイルスによって引き起こされるという説が有力です。その一方で、エンテロウイルスのように自己免疫疾患の発症を抑止するものがある。また、No.225「手を洗いすぎてはいけない」で書いたように、多くの常在菌は人間と "共生" していて、人間の役に立っています。

人間の微生物環境は、この100年程度で大きく変わりました。清潔な都市環境での生活は昔からあったものではありません。著者も次のように書いています。


つい忘れがちだが、現代の先進国の人々が享受している生活利便性の多くはまだ100年ほどの歴史しかない。ヨーロッパと北米で都市水道が普及するまで、人々は井戸や池、公共の泉から水を汲み、それを飲用から入浴、衣服の選択などあらゆる用途に使っていた。そうした飲料水が人間や動物の糞で少なからず汚染されていたのは驚くにあたらない。流水と石鹸の不足によって、現代とは違ってトイレの後に手を清潔に保つこともできなかった。したがって、食事の用意や握手といった単純な行動を通じて病原体が広範囲に拡散した。

(同上)

最後の一文に「病原体が広範囲に拡散」とあるのは、この文章がポリオ・ウイルスについて書かれたものだからです。しかし上の引用はもちろんエンテロウイルス全体にいえるし、また広く微生物全体と人間の関わりでもあるでしょう。

100年というのはヒトの進化の歴史からみるとごく短いものです。すべての現世人類の祖先は約10万年前にアフリカを出たヒトに由来するというのが最新の研究ですが、100年は10万年の1000分の1にすぎません。もっと遡って初期人類が二足歩行を始めたのが500万年前とすると、100年はその5万分の1です。進化の歴史からいうと無いに等しい時間のあいだに、ヒトの生活環境は激変してしまった。

何かを得れば、何かを失います。我々が現代の生活利便性を得ると同時に失ったものも、また大きいわけです。もう昔には戻れない以上、我々のできることは「失ったことの認識」を持つことであり、人間とそれをとりまく生態系のありようを「知ること」でしょう。そこからすべてが始まると思います。




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No.226 - 血糖と糖質制限 [科学]

No.221「なぜ痩せられないのか」の続きです。No.221 で米国・タフツ大学の研究を紹介しました。食物のグリセミック指数(Glycemic Index。GI値)と肥満の関係です。GI値とは、その食物を摂取したときにどの程度血糖値(血液中のブドウ糖の濃度)が上昇するかという値で、直接ブドウ糖を摂取したときを 100 として指数化したものです。タフツ大学の研究結果は、

高GI値の食物を摂取すると、その後に脳が空腹感を感じやすく、このことが原因となって過食になりやすい。

被験者を集めて実験した結果、低GI値の食事メニューを半年間食べ続けると体重が平均8kg減り、脳が低GI値の食物により強く反応する(= 脳がほっする)ようになった

というものでした。この研究は、肥満(ないしはダイエット)と脳の働きの関係に注目しているのがポイントです。空腹感は人を生き延びさせる大切な脳の働きであり、ダイエットをするために空腹感と戦ってはダメです。そもそも空腹感が起きにくい(かつ健康的な)食事をすべきだということでした。

No.221 にも書いたのですが、「低GI値の食物 = 血糖値の上昇が少ない食物を食べてダイエットをする」というのは、いわゆる糖質制限と基本的には同じです。そこで今回は、血糖値と肥満の関係、糖質制限がなぜダイエットになるのかという基本的なところを振り返ってみたいと思います。こういった人間の体の微妙なメカニズムを理解することが、健康に生きるために大切なことだと思うからです。

理解のためのキーワードは「糖」であり、「糖質」と「血糖」です。人体のメカニズムに入るまえにまず、糖質とはなにか、血糖とは何かを整理しておきます。


糖質と血糖


 糖・糖類 

"糖" はアミノ酸や脂肪酸と並んで人体の構成要素やエネルギー源になっている最も基本的な物質です。「単糖類」が基本であり、「二糖類」「オリゴ糖」「多糖類」があります。

単糖類は、消化酵素でそれ以上は分解できない糖で、

ブドウ糖(グルコース)
果糖(フルコース)
ガラクトース

が代表的なものです。いずれも甘味があります。単糖類がそれだけで食品になっているのがハチミツで、成分はブドウ糖と果糖です。果糖は果物に多く含まれていて、天然に存在する物質としては最も甘いものです(砂糖より甘い)。ガラクトースは乳汁に含まれています。

二糖類は単糖類2つからなる糖で

蔗糖(スクロース)
 ブドウ糖+果糖
麦芽糖(マルトース)
 ブドウ糖+ブドウ糖
乳糖(ラクトース)
 ブドウ糖+ガラクトース

が代表的です。いずれも人の消化酵素によって単糖類に分解され、またそれ自身が甘味を持っています。最も甘いのは蔗糖しょとう(=砂糖の成分)です。麦芽糖は発芽した麦類に多く含まれ、乳糖は乳汁に多く含まれます。

オリゴ糖は 3~10個の単糖類が結合した糖類です。人間にはオリゴ糖を消化できる酵素がなく、腸内細菌であるビフィズス菌や乳酸菌で分解されます。ちなみに母乳には乳糖のほかにオリゴ糖が含まれていて、人は生まれた時から腸内細菌の存在を前提としていることが分かります。オリゴ糖を少糖類と言うことがあり、また二糖類まで含めて少糖類とすることもあります。

多糖類は10を越える単糖類が結合したもので、デンプンとグリコーゲンが代表的なものです。デンプンはブドウ糖が多数結合したもので、穀物や根菜類(イモなど)に多く含まれます。アミラーゼという酵素で麦芽糖に分解され、さらにブドウ糖へと分解されます。もちろん穀物や根菜類だけでなく、多くの豆類もデンプンを含んでいます。

グリコーゲンも多数のブドウ糖の結合体です。人体ではブドウ糖からグリコーゲンが合成され、再びブドウ糖に分解されることでエネルギー源になります。つまり、ブドウ糖の貯蔵物質としての役割をもっています。

多糖類は人間が消化できないものが多いのですが、その代表がセルロースです。セルロースは植物の細胞壁を構成する物質で、地球上にある糖類は量からするとセルロースが最も多くなります。人の腸内細菌はこれを脂肪酸などに変換し、これがエネルギー源となります。草食動物(たとえば牛)は胃にセルロースを分解できる細菌がいて、そこで栄養素が生み出されます。

栄養素としてよく話題になる食物繊維は、難消化性の多糖類の総称で、セルロースがその代表的なものです。食物繊維が多い代表的な食品は、前回の No.225「手を洗いすぎてはいけない」にあげました。

 炭水化物・糖質 

炭水化物は糖類とほぼ同義です。分子式で書くと C(炭素)と H と O(水分子の構成原子)になるので "[炭][水]化物" ですが、化学的な見方だといえます。難消化性の炭水化物が食物繊維で、それ以外の消化性のものが糖質です。つまり、

 炭水化物 = 糖質 + 食物繊維

が普通の言葉の使い方です。

 血糖・血糖値 

血糖とは血液中のブドウ糖のことで、脳の主要なエネルギー源になります。厳密にはケトン体も脳のエネルギー源ですが、話をシンプルにするために、以降は「脳のエネルギー源 = ブドウ糖」とします。血糖値とは血液中に含まれるブドウ糖の濃度で、人間では 100mg/dl 程度が平均的な値です。dl(デシリットル)とは小学校で習う単位ですが、デシは 1/10 の意味で、1dl = 0.1リットルです。100mg/dl は 1g/L ということになります。

血糖値は食事によって変化します。健康診断の結果表を見ると、血糖値の基準値が「食後1時間の値」「食後2時間の値」「空腹時の値」にわけて書いてあります。全体では70~160程度の値(あるいは80~140程度)になっていて、これをざっくり平均すると 100mg/dl 程度になるということです。

血糖値を上げる唯一の物質は糖質で、消化酵素によってブドウ糖が生成されることにより血糖値が上昇します。なかでも特にデンプンと砂糖です。食物繊維は腸内細菌によって分解されますが、生成されるのは主に脂肪酸であり、血糖値が上昇することはありません。もちろん脂質やタンパク質そのものは血糖値を上げません。

食物には「純粋な糖質」とか「純粋な食物繊維」はなく、タンパク質が豊富な大豆にもデンプン(糖質)や食物繊維が含まれています。No.221「なぜ痩せられないのか」に、食品のグリセミック指数(GI値)書きました。GI値の低い食物は血糖値の上昇が少なく、GI値の高い食物(70以上)は血糖値を上げやすい。再掲すると以下です。

GI値の低い食物(55以下)
  タンパク質が豊富な食物(魚貝類、肉類、肉加工品、豆類、納豆、豆腐、豆類加工品、卵、牛乳、乳製品、ヨーグルト、など)。また、食物繊維が豊富な食物(ほとんどの野菜、海草、果物、全粒穀物、小麦ブラン、ナッツ類、など)。

GI値が中程度の食物(55-70)
  そうめん、そば、ライ麦パン、玄米、五穀米、パスタ、サツマイモ、など

GI値の高い食物(70以上)
  食パン、白米、うどん、もち、もち米、ビーフン、コーンフレーク、シリアル、ジャガイモ、カボチャ、ヤマイモ、チョコレート、ドーナツ、ショートケーキ、など

GI値の高い食物の共通項は、穀物か根菜か砂糖であり、穀物と根菜の共通項はデンプンです。


糖質食で太る理由、糖質制限で痩せる理由


以上をふまえて、糖質が多い食物を摂取し過ぎるとなぜ太るのか、また糖質制限でなぜ痩せるのかをまとめます。実は、私が一番納得のいった(そして分かりやすい)説明は、夏井 まこと氏の著書である『炭水化物が人類を滅ぼす』(光文社新書 2013)にあった説明でした。それを以下に引用します。夏井氏は医者(形成外科医)です。題名の「人類を滅ぼす」とは随分 "過激な" タイトルですが、本の全体の内容は後で書くことにします。


健常人の血液には、1リットルあたり1グラム(100mg/dl)のブドウ糖が含まれている。体重60キロの男性の全血液量は4.2リットル前後だから、トータルで4.2グラムのブドウ糖が含まれていることになり、これは大きめの角砂糖1個分に相当する。

夏井 睦
「炭水化物が人類を滅ぼす」
(光文社新書 2013)

「大きめの角砂糖1個分」との記述がありますが、これは「4.2グラムは、大きめの角砂糖1個分の重さ」ということです。角砂糖の成分はほぼ100%の蔗糖(砂糖)で、二糖類の説明に書いたように蔗糖はブドウ糖と果糖の結合体です。ということは、あくまで概算ですが「体重60キロの男性の血液中のブドウ糖は、大きめの角砂糖2個に含まれるブドウ糖と同程度」ということになります。たとえば紅茶に角砂糖を1個入れて2杯飲むと、そのブドウ糖は全身の血糖量に "相当する"、ということは覚えておいた方がいいと思います。


一方、人体のなかで、ブドウ糖の最大の消費地は脳である。他の組織や器官では、おもに脂肪酸をエネルギーとして使っているが、脳や網膜などでは、ブドウ糖とケトン体が唯一のエネルギー源である。脳は四六時中働いているから、血管のなかにはつねに、最低必要量のブドウ糖が流れていなければならない。その量が 100mg/dl 前後なのだろう。

夏井 睦「同上」

血液によってブドウ糖が供給されないと脳は正常に働きません。血糖値が 50mg/dl 以下になると精神症状が出始め、もっと低くなると意識障害を引き起こします。もちろん普通の人はそうなる前に血糖値を正常に戻す機能が働きます。実は、ブドウ糖を主なエネルギー源として使っている脳のような組織は、人体では例外的です。


人体のさまざまな組織や細胞のなかで、ブドウ糖を主に使っているのは、脳、目の網膜、赤血球などであり、手足の筋肉や心臓の筋肉は、安静時や軽度の運動時は、脂肪酸をエネルギー源とし、激しい運動の時に限って、ブドウ糖を取り込んでいる。いすれにしても、人体の多くの組織のエネルギー源は脂肪酸であり、ブドウ糖は例外的な組織でのみ使っているわけだ。

夏井 睦「同上」

少々本筋からはずれますが、夏井氏の本にはエネルギーを取り出す効率は脂肪酸の方がブドウ糖より断然高いと書かれています。では、脳はなぜ脂肪酸を使わないのか。夏井氏は2つの仮説を紹介しています。

神経細胞網による情報伝達が目的の脳にとって、脂溶性である脂肪酸は細胞膜を通過してしまい、都合が悪い。ブドウ糖は水溶性であり、細胞膜を自由には通過できないので制御しやすい。

生命の発生と進化の歴史においては、ブドウ糖からのエネルギー生成が古く、中枢神経系(脳など)が進化したときにすでにあった。一方、脂肪酸からのエネルギー生成は新しく、比較的新しく進化した筋肉組織はブドウ糖と脂肪酸の両方を利用するハイブリッド型になった。

話を本筋に戻します。脳へのブドウ糖供給はどうやって維持されるのかという点です。


脳が何らかの原因で、大量のブドウ糖を消費した場合を考えてみよう。この時、体はただちにブドウ糖を補充して、100mg/dl のブドウ糖濃度を維持しようとするはずだ。それができなければ脳が停止してしまい、生命は維持できなくなるからだ。つまり、人間の体は、この「ブドウ糖濃度(血糖値)維持システム」を備えていなければ生きていけないことになる。

そして、この「血糖値維持システム」が使用しているブドウ糖は、食物に含まれるブドウ糖ではないことは明らかだ。脳がブドウ糖を大量消費した時に、手元につねに糖質を含む食べ物があるとは限らないからだ。ましてや、夜寝ている時にも血糖は消費されるが、この時には食事由来のブドウ糖はまったくあてにできないのだ。

つまり、人間に備わっている「血糖値維持システム」は、食事によらないシステムである、と推察できる。

これは糖質をいっさい食べない肉食動物のことを考えればわかる。肉食動物の脳も、われわれ同様、ブドウ糖(とケトン体)しか使っていないからだ。つまり、肉食獣はすべて、「食事によらない血糖値維持システム」を備えているはずだ。

夏井 睦「同上」

この引用の最後に「糖質をいっさい食べない肉食動物」のことが出てきますが、「糖質をいっさい食べない草食動物」でも同じことです。たとえば反芻動物の牛です。現代の家畜としての牛は糖質たっぷりの飼料を "食べさせられて" いますが、牧場で放し飼いの牛の食料は草です。草の炭水化物はほとんどが食物繊維で、セルロースが大量に含まれています。牛は胃に共生しているセルロース分解菌の助けで、セルロースを栄養にしてい生きています。しかしセルロース分解菌がつくり出すのはアミノ酸と脂肪酸であり、糖質ではありません。肉食動物だけでなく、牛の血糖も食物由来でないことが明白です。

話を人間に戻しますと、人間の血糖値の維持はどうやって行われるのか、それが "糖新生とうしんせい" という人体の機能です。これは動物にも共通しています。


血糖値維持に必要なブドウ糖がどこから供給されるかというと、「タンパク質からの糖新生とうしんせい」である(糖新生には別ルートもあるが、説明の都合上、単純化する)。

人体を例にとると、血糖値が低下すると、ただちにタンパク質の分解が始まり、ブドウ糖が作られる。これが糖新生だ。もちろん、タンパク質は人体を構成する重要な物質でもあるが、すべてのタンパク質が生命維持に必要というわけではなく、不要不急のタンパク質が、糖新生で消費される。

人体のブドウ糖源としては、もう一つ、肝臓や筋肉のグリコーゲンがあり、これを分解するとブドウ糖が得られるが、グリコーゲンの場合は備蓄量が少ないので、「四六時中血糖値を一定に保つ」には不向きだ。グリコーゲンはあくまでも緊急用備蓄である。

夏井 睦「同上」

この説明で糖新生はタンパク質からと単純化されていますが、夏井氏の本の別のところには、現在判明している糖新生の5つのルートが書かれています。

  糖源性アミノ酸ブドウ糖
  ピルビン酸ブドウ糖
  プロピオン酸ブドウ糖
  グリセロール酸ブドウ糖
  乳酸ブドウ糖

糖源性アミノ酸とは「糖新生の原料になるアミノ酸」のことで、タンパク質からの糖新生とはこのルートを言っています。タンパク質を分解してアミノ酸にし、そこからブドウ糖を作る。この糖新生において血糖値の低下を感知して糖新生のトリガーを引くホルモンは、グルカゴン、アドレナリン、コチゾール、成長ホルモンなど、複数種類あることが書かれています。


さらに、物質を分解するにはエネルギー(ATP)が必要だ。タンパク質を分解してブドウ糖を作るにはそれ相応のATPを調達しなければいけない。それが通常、脂肪細胞から遊離した脂肪酸でまかなわれている。脂肪酸がβ酸化されて細胞に入り、ミトコンドリアでエネルギー(ATP)が生成され、とのATPを使って糖新生システムを動かしているのだ。

つまり、今までの流れをまとめると、「血糖値を維持するために、備蓄脂肪を分解してエネルギーを作り、そのエネルギーで備蓄タンパク質からブドウ糖を作る」ということになる。

夏井 睦「同上」

ちなみに ATP とは、高校の生物に出てきたと思いますが、アデノシン三リン酸(Adenosine TriPhosphate)の略です。ATP は細菌から人間まで、エネルギーの貯蔵・放出の役割を担っている物質で、生体のエネルギー通貨と呼ばれています。

上の引用の下線のところが、糖質制限で痩せる理由になっています。つまり糖質を制限すると、血糖値の低下を補うためタンパク質と脂肪が分解されるというわけです。


逆に、糖質食をたっぷり摂取すると、必要以上のブドウ糖が体内に入ることになり、血糖値は 100mg/dl という適正値を越えてしまい、糖新生は起こらない。さらに、血液中のブドウ糖が多くなると、血管にさまざまな傷害が起こる。血液中のブドウ糖は生存に欠かせないものだが、多すぎると逆に毒になるわけだ(これを糖毒性とうどくせいという)。

だから、血糖値を速やかに正常値に戻さなければいけない。そのために、人体が選んだのは「余ったブドウ糖を中性脂肪に変えて、脂肪細胞にストックする」という方式である。だから糖質を食べると脂肪細胞中の脂肪が増加し、その結果として体重が増え、ウエスト回りが肥大化してくるわけだ。これが糖質食で太るメカニズムである。

夏井 睦「同上」

上の文章に何点か補足しますと、血糖値が高い状態が続くと血管や神経が損傷します。我々は糖尿病がひどくなるとどうなるを知っています。網膜の血管がやられて失明に至り、足が壊疽して切断に至り、あるいは糖尿病性の腎不全になったりする。腎不全になると脳にダメージがくるので生命にかかわります。

また、余ったブドウ糖は中性脂肪に変えられるだけでなく、グリコーゲンに変えられて肝臓などにストックされます。こういった余剰なブドウ糖をストックするトリガーを引いているのが、膵臓で作られるホルモン、インスリンです。血糖値を低下させるホルモンはインスリンしかなく、血糖値を上昇させるホルモンが数種類あるのとは対照的です。夏井氏は「血糖値低下にはセーフティーネットがない」と書いていますが、その通りです。もしインスリンの分泌が悪いとか、インスリンが分泌されても体がそれに反応しにくいとかだと、まずいことになるわけです。なぜ血糖値低下のためのセーフティーネットがないのか、人体の不思議なところです。

さらに糖質と肥満の関係ですが、単糖類の果糖(フルクトース)は中性脂肪に変えられて脂肪細胞にストックされます。果糖は果物に多く含まれているので、肥満を避けるためには要注意でしょう。もちろん程度問題です。



以上の説明を「糖質食で太る理由、糖質制限で痩せる理由」という観点でまとめると次のようになります。

脳は24時間働いていて、ブドウ糖を主要なエネルギー源としている。

脳にブドウ糖を補給するために、血液中のブドウ糖(血糖)は一定の濃度(血糖値)を保つ必要がある。血糖値は 100mg/dl 前後である。血糖値は高すぎても低すぎても体に危害を及ぼす。

血糖には、食事(=糖質が含まれる食事。糖質食)由来の血糖と、体のタンパク質などから作り出された血糖の2種類がある。血糖を作り出す体の仕組みが "糖新生" で、これが基本の血糖値維持システムである。

糖質食によって血糖値が高くなりすぎると、血糖は中性脂肪に変換されて脂肪細胞にストックされる。糖質食の過食で太る原因がこれである。

糖質制限で血糖値が低くなりすぎると、糖新生の機能が働いて血糖値を正常に戻す。このとき、体のタンパク質と脂肪が消費される。糖質制限で痩せる理由がこれである。


糖質制限


糖質制限で痩せる理由を振り返ると、ブドウ糖以外のものからブドウ糖を作り出す "糖新生" という体のメカニズムが鍵となっています。夏井氏の本には「必須アミノ酸と必須脂肪酸はあるが、必須炭水化物はない」と書かれていました。なるほど。生存に必須だが人体が作り出せず、食べ物から摂取するしかないアミノ酸と脂肪酸があります。しかし必須炭水化物や必須糖質はないのですね。

糖質制限は特に近年広まってきました。糖質ゼロや低糖質をうたった食品や飲料が売られているし、外食産業でも低糖質のメニューを用意するようになっています。RIZAPなどのビジネスとしての成功も影響しているでしょう。

しかし考えてみると、糖質制限はかなり昔からありました。「糖質制限によるダイエットを最初に提唱したのは、19世紀イギリスのウィリアム・バンティング(1796-1878)だと言いますから、150年ほどの歴史がある由緒あるダイエットであるわけです。また、以前からよく言われる「太らないために甘いものを食べ過ぎないようにしましょう」と基本的に同じです。砂糖は消化されてブドウ糖になる典型的な糖質です。そのため、甘さ控えめのケーキや菓子が作られてきたし、コーヒーや紅茶に砂糖を入れない人も多い。甘いものに拒否反応を示す人も大勢います。また商品としての飲料に甘みをつけるときには人工甘味料を使うわけです。

その砂糖とおなじく糖質のカテゴリーなのが、穀類やイモ類に多く含まれるデンプンです。しかしデンプンは甘くないのが落とし穴なのですね。食品のグリセミック指数(GI値)を並べたリストを書きましたが(前出)、詳しく言うと精白米のGI値は80程度、食パンのGI値は90程度です。この値はブドウ糖を直接摂取するのと比較したものなので、血糖値をあげるという観点からみると、精白米も食パンも砂糖(蔗糖)と同じようなものということになります。人体においてはグリコーゲンが "ブドウ糖備蓄物質" でしたが、植物においてはデンプンが "ブドウ糖備蓄物質" であり、我々はそれを食べているという認識が必要です。

もちろん糖質制限には注意も必要です。糖質制限で痩せる原理から分かるように、糖質制限をするなら栄養を補給するために脂質やタンパク質を十分にとる必要があるでしょう。しかし、だからと言って脂質・タンパク質の過食に陥ると、糖質だけを制限していても肥満になるのは当然です。また、糖質がたっぷりある食品で食物繊維も多いものがあります(玄米など)。糖質制限の結果として食物繊維も制限してしまうと話がおかしくなります。

要はバランスと程度問題です。我々としては体のメカニズムを知り、肥満に陥らずに(もちろん糖尿病にならずに)健康に過ごすべきだというこです。


「炭水化物が人類を滅ぼす」


炭水化物が人類を滅ぼす.jpg
夏井 まこと氏の『炭水化物が人類を滅ぼす - 糖質制限からみた生命の科学 - 』(光文社新書 2013)という本のことを書きます。この題名は誰がつけたのか知りませんが、随分と "過激な" 題名です。前回の No.225 で紹介した藤田紘一郎こういちろう氏の『手を洗いすぎてはいけない』(光文社新書 2017)の副題は「超清潔志向が人類を滅ぼす」でしたが、"人類を滅ぼすシリーズ" としては夏井氏の本が先輩です。どうも光文社の編集部はこの題名が好きなようで、次はどんなものが人類を滅ぼすのか楽しみにしていましょう。

それはともかく、題名を一見すると "キワモノ本" か "トンデモ本" かと思ってしまいますが、内容はそうでもありません。つまり「炭水化物が」というのが言い過ぎであって「穀物食が」か「デンプン食が」が適切です。また「人類を滅ぼす」というのも大げさで「行き過ぎたデンプン食が人類を不幸にする」ぐらいが正しい。ただし、こんなインパクトのない題名では本は売れないのでしょう。

夏井氏は外科医(形成外科医)ですが、自身の肥満と高血圧と高脂質症(医者の不養生!)を改善するために糖質制限を始めました。きっかけは2011年に、糖質制限の提唱者である江部康二先生(京都・高雄病院)のネット記事を読んだからです。その結果、半年で11kg痩せたそうです。高血圧症や高脂質症(中性脂肪過多とLDLコレステロール=悪玉コレステロール過多)もすっかり改善しました。

夏井氏の "師" にあたる江部先生の糖質制限は、もともと糖尿病患者の治療のためのものです。その糖質制限でまず思うのは、

  血糖値をあげる唯一の食物は糖質であり、糖尿病患者が糖質制限をするのはあたりまえのはずなのに、その糖質制限を京都の病院の医師である江部先生がわざわざ提唱しないといけないのはなぜだろう

という疑問です。実は数年前に印象的な出来事がありました。私の間接的な知人である Aさんのことです。Aさんは糖尿病になったのですが、病院で治療せず、医者とも相談せず、自分で本と文献を読みあさり、食事制限だけで糖尿病を完治させました。何でも、主食は "おから" にしたそうです。その Aさんの言は「今の糖尿病治療は医者と製薬会社の陰謀だ」というものでした。この Aさんの言と全く同じ主旨が夏井氏の本に書かれています。Aさんのことがあったので、夏井氏の本も(その過激なタイトルにもかかわらず)意義があると思ったのです。

江部先生は糖質制限を次の3つに分けています。

プチ糖質制限
夕食のみ主食抜き
スタンダード糖質制限
朝食と夕食のみ主食抜き
スーパー糖質制限
三食とも主食抜き

夏井氏によると、プチ糖質制限はこれから糖質制限を始めようという初心者向け、スタンダード糖質制限が標準、スーパー糖質制限は医者にかからずに糖尿病を直したい人、ないしはスタンダード糖質制限では物足りないストイックな人向けだそうです。おそらく先ほどの Aさんは「スーパー糖質制限」だったのでしょう。ごはんの代わりに "おから"(=極めて低糖質)は良い選択だと思います。ちなみに私は随分前から夕食にごはんは食べませんが、妻の手作りピザを食べることもあるので「プチ糖質制限」ぐらいでしょう。夏井氏は「スタンダード以上、スーパー未満」だそうです。


人類史と糖質


夏井氏の本は「糖質制限からみた生命の科学」という副題がつけられているように、糖質制限のことだけを書いているのではありません。生物の仕組みや生命の誕生と進化、人類の歴史などを糖質と結びつけて論じているところに特色があります。「動物の血糖値」「生命の起源とブドウ糖」「哺乳類の起源と糖質」「定住の起源」「農耕の起源と小麦栽培」「食事を楽しみにしたのは糖質=穀物と砂糖」「1日が3食になった理由」などのテーマです。ちなみに「定住の起源」については、西田正規氏(筑波大学名誉教授)の「定住が先で農業がその後。定住こそが革命的な出来事」という論を紹介したものです

「動物の血糖値」のところですが、さまざまな動物の血糖値は 50 ~ 150mg/dl 程度で、人間の 100mg/dl 前後と良く似ています(ほとんど動かないナマケモノは 20 程度)。しかし鳥類だけは200台後半~300台後半と極めて高いのですね。300mg/dl というのは人間の3倍です。これだけ高血糖でも鳥類の血管は哺乳類と構造が違うので損傷しないようです。飛翔という運動は脳の高度な働きが必要なことを想像させます。また鳥は恐竜から進化したものですが(No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」参照)、夏井氏は恐竜の血糖値も高かったのではと想像しています。恐竜の中には運動能力に優れたものがあって、それは高血糖に支えられていたのではという推測です。

人類の最初の農業になった小麦栽培の話が念入りに書かれているのですが、米作の起源についての記述もありました。


少なくとも、コムギの栽培がなければ、コメを栽培することは絶対になかったことは確かである。コメの原種は東南アジアなどに自生しているが、前にも述べたように、湿潤多雨な東南アジアでは、コメは他の圧倒的に繁茂する草本に紛れるように生えている、ごく目立たない「その他大勢」的な草であり、コムギの原種が見せていたような「見渡すかぎりコムギの草原」的な、目立つ生え方はしていなかったからだ。

つまりコメは、「コムギに似た草をみつけよう」という意志を持って見ないかぎり、絶対に目にとまらない、地味で特徴のない雑草の一つでしかなかったのだ。

夏井 睦「同上」

以上のほとんどが夏井氏の、ないしは夏井氏が本で勉強した先人の仮説ですが、仮説を展開することは別に悪いことではありません。それらの中でも、本の題名に関係する「人類史と糖質の関係」を俯瞰した部分が最も重要です。夏井氏の主旨をまとめると以下のようになります。

人類の歴史は数100万年であり、食性としては雑食(ないしは肉食+雑食)であった。

この期間、人類は血糖値過多・糖質過多にはなり得ない状況だった。その証拠に、血糖値を上げるホルモンは数種類あるのに、血糖値を下げるホルモンは1種(インスリン)しかない。人体は高血糖の状況を想定していない。

この状況の中で(わずか)1万2千年前の中東で小麦の栽培が始まった。そして河の周辺の乾燥地帯で小麦を栽培する灌漑農業へと発展した。小麦の栽培(とその類似技術。たとえば米の栽培)は短期間で世界の各地に広まった。

小麦の灌漑農業は驚異的に生産性が高く、蒔いた種の200~300倍を収穫できる。また小麦は貯蔵可能である。これが社会を生み、文明を生んだ。小麦と類似の性質をもつイネ科穀物(米やトウモロコシ)も同様の役割を果たした。

しかしデンプンが主体である穀物食は、肥満や高血圧症、高脂質症、糖尿病のリスクを人類にもたらした。穀物は「神」であると同時に「いつわりの神」でもあった。

農業が始まって以来、農業生産量の拡大は基本的に農地面積の拡大で行われた。しかし1960年代からの「緑の革命」は状況を一変させた。化学肥料(窒素肥料)と農薬の大量使用、品種改良、灌漑技術の進歩により、耕地面積が増えないにもかかわらず、穀物生産を飛躍的に増大させた。

しかしその反面、地下水の枯渇(淡水の枯渇)、土地への塩分集積などの環境破壊が起こった。それは大穀倉地帯であるアメリカ中西部で顕著である。

環境破壊型の穀物増産には限界がある。穀物の過食による病気のリスクを考えると、我々は今こそ穀物に頼らない食料システムを真剣に考えるべきである。

少々マイルドに(というか、かなりマイルドに)まとめると以上のようになるでしょう。

しかし、穀物に頼らないのは簡単ではありません。穀物には、当然のことながら飼料用穀物があります。日本の上質の和牛はたっぷりと脂身(サシ)が入っていますが、それは主としてアメリカの穀物生産(トウモロコシと飼料用の麦)に依存しています。肉食も穀物があるからこそなのです。このあたり、夏井氏も明確な解決策を書いているわけではないのですが、一つの警鐘として受け止めればいいと思います。


糖質とのつきあい方


本書を読んで思ったのですが、そもそも人間は糖質を好むようにできていると考えられます。それは「甘みを好ましいと思う感覚」が人間に備わっていて、かつ、甘いと感じる天然由来のものは、ほとんどが糖質だからです。アミノ酸にも甘いと感じるものがありますが(グリシン、アラニンなど)、甘いものの大多数は糖質です。

No.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」で書いたように、苦みは(本来は)危険のサインです。舌や鼻にある苦味受容体は苦み物質を排除するように働きます。苦みは「食べてはいけないサイン」であり、その反対に、甘みは「食べるべきだというサイン」だと思います。それは人類の誕生(数100万年前)から人類を生き延びさせてきた大切なセンサーでしょう。

甘みに関して、夏井氏自身がおもしろいことを書いています。小麦栽培の始まりについての仮説です。農耕=小麦栽培がはじまった中東の「肥沃な三日月地帯」において野生の小麦の原種が自生している姿を初めてみた人類は、小麦が食用になると認識したはずがないというのが夏井氏の考えです。木の実であれば数十~数百粒集めれば食べられます。しかし小麦はそうはいかない。小麦は粒が小さいうえ、そのままでは食べられません。硬い外皮(今でいう小麦ブラン)と実を分離する必要があります。


コムギは、食べられるものだとわかったとしても、じっさいに食べるまでにはいくつもの手順を経なければ食物になってくれない厄介なシロモノだ。

こんな物をいったい誰が「育ててみよう」と考えるだろうか。

もちろん、現代の私たちは「コムギは200倍、300倍に増える効率がよい作物だ」とか、「一年草で自家受粉するので、粒が大きく脱粒しない品種に改良するのは簡単だ」とか、「年間500mm程度の降水量でも栽培可能」とか、さまざまな知識をもっているから栽培しているが、それはあくまで現代人の後知恵であり、最初に栽培した人にとっては、この草がその後に奇跡的な作物として大化けするなんて、まったくあずかり知らぬことである。

夏井 睦「同上」

作物の栽培は、半年後の収穫のために水やりとか雑草取りの努力することであり、栽培している時点では何の利益もありません。狩猟採集とは大違いです。半年後の利益が保証されているわけでもない。夏井氏は、小麦には食用になるということ以外の、栽培をはじめる強力なインセンティブがあったはずだと書いています。


最初の栽培者は「コムギの甘さ」に驚き、それをもっと味わいたくて栽培を始めた、というのが私の考えたシナリオだ。

私たちは、身近に砂糖や甘い果物があるので甘さに慣れっこになっているが、当時の肥沃な三日月地帯の植生から考えると、彼らが甘いものを口にする機会はほとんどない。

そういうなかで、コムギの麦芽は例外的に「甘い食物」であり、最初の栽培者は、おそらく生まれて初めて口にする「甘さ」に驚愕きょうがくしたはずだ。穀物は、発芽すると自然に甘くなる性質をもっているからだ。

前述のように、穀物の胚乳はデンプンを主成分としているが、発芽する際に、胚乳自身がアミラーゼを作ってデンプンを分解し、ブドウ糖に変え、それからエネルギー(ATP)を作るのだ。

夏井 睦「同上」

補足しますと、アミラーゼ(ジアスターゼとも云う)と総称される一連の酵素群は、デンプンを二糖類の麦芽糖に分解したり、さらにそれからブドウ糖を生成したりします。これは小麦、大麦、米などで共通です。唾液にはアミラーゼが含まれているので、ごはんをよく噛んでいると甘く感じます。

人間は発芽した小麦の「甘さ」驚き、それをもっと味わいたくて栽培を始めた、という夏井氏の推測、ないしは仮説が正しいかどうかは分かりません。実証することは(ないしは反証することは)出来ないでしょう。ただし興味深い推測です。

しかし、このストーリーで大切なことは、人間は甘さに対する(強い)欲求があり、それは穀物栽培を始める以前から人体にビルト・インされていたものだということです。そして自然界において甘いものが、すなわち糖質です。人間は糖質を好むように進化してきた。

No.221「なぜ痩せられないのか」に、タンザニアの北部で今でも完全な狩猟採集生活を送っている(=農業をしない)ハッザ族の話を書きました。彼らの主食は、女たちが地中から掘り出したイモです。男たちはヒヒやキリンなどの野生動物を毒矢で狩ります(ただし狩りの成果は不安定)。またノドグロミツオシエという鳥の誘導で蜂の巣をとり、蜂蜜を食べたりもする。ここで出てきたイモ(デンプンたっぷり)と蜂蜜(ほぼ純粋なブドウ糖と果糖)は、現代の糖尿病患者が最も食べてはいけないものです。しかし狩猟採集で生きてきた人類にとって、こういった糖質への欲求と志向こそが生存の鍵だったのではと思います。

我々は糖質とうまくつき合えばいいのだと思います。無理に糖質食を否定することは何もなく、体重過多の時には糖質制限をし、普段から甘いものやデンプン食を食べすぎないようにする。食事や間食は「バランス」と「適度」が大切である。そういうことだと思いました。




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No.225 - 手を洗いすぎてはいけない [科学]

No.119-120「"不在" という伝染病」の続きです。No.119-120 ではモイゼス・ベラスケス = マノフ著「寄生虫なきやまい」(原題を直訳すると「不在という伝染病」)の内容を紹介しました。ごく簡単に一言で要約すると、

  人類が昔から共存してきた微生物(細菌や寄生虫)が少なくなると、免疫関連疾患(アレルギーや自己免疫病)のリスクが増大する

ということでした。No.119 にも書いたのですが、実は上の主張を早くから公表し、警鐘を鳴らしていたのが藤田紘一郎こういちろう博士(東京医科歯科大学名誉教授)です。今回は、その藤田博士に敬意を表して、博士が最近出版された本を紹介したいと思います。「手を洗いすぎてはいけない - 超清潔志向が人類を滅ぼす - 」(光文社新書 2017。以下「本書」)です。以降、本書の内容の "さわり" を、感想とともに書きます。本書を一言で要約すると、

  人は微生物が豊富な環境(体内と体外の環境)でこそ健康に生きられる

となるでしょう。


人は常在菌と共生している


人体(腸や皮膚など)に住みつき、病原性を示さない細菌を「常在菌」と総称します。常在菌は食物の消化を助けたり、ビタミンを合成したり、免疫を活性化したり、病原菌の排除したり、皮膚を守ったりといった重要な働きをしています。つまり常在菌は人体と共生しています。本書では「人の90%は細菌」という試算が書かれています。どういうことかと言うと、

常在菌の数は、腸だけでも100兆以上になる(1平方センチあたり数千万個。種類は200種)。そのすべてが遺伝子を持っている。

人体の細胞の数は約37兆ある(以前は60兆と言われていたが、最新の研究では37兆)。このうち26兆は遺伝子をもたない赤血球であり、遺伝子をもつ細胞は約11兆である。

ということであり、遺伝子をもつ細胞の数を比較すると、常在菌は人体の細胞の10倍というわけです。ちなみに赤血球はその発生の過程で DNA を失い、ヘモグロビンによって酸素を運搬する機能に特化した細胞になります。

手を洗いすぎてはいけない.jpg

数の比較を「遺伝子の数」で行うと、人の遺伝子の数は約2万です。一方、腸内細菌(腸に住みついている常在菌)がもつ遺伝子の総数は全部で60万~100万もあり、人体の30倍以上ということになります。

本書には書かれていませんが、この「遺伝子の数」だけをとってみても常在菌と共生するのが人にとって有利ということが分かります。常在菌の世代交代は2~3年で1万世代に達します(この項は本書)。これは人間に比べて約10万倍のスピードであり、しかも遺伝情報は人の数10倍もある。ということは、環境変化(たとえ食環境の変化)に追従して変化できる速さが人とは比べものにならないわけです。

常在菌の数(数としてはほとんどが腸内細菌)についてはさまざまな推定があります。本書には約100兆とありますが、No.70「自己と非自己の科学(2)」では "1000兆" という数字をあげました(東大の服部教授の雑誌記事 2012年)。数百兆と書かれている本もあります。各種の情報からすると100兆~1000兆ほどの幅がありますが、これは個人差や、年齢、性別、居住地域などでの差があるからでしょう。また、正確な推定が難しいという理由もあると思います。技術の進歩によってより正確な推定ができることもあるでしょう。

本書に戻って、常在菌のうちの大腸菌の働きが書かれています。


実際に大腸菌は腸の中でどのように働いているのでしょうか。

第一に大腸菌には、O157などの病原性大腸菌が進入してくると、まっ先に倒しにかかる働きがあります。大腸菌から派生した菌だといっても、腸に病気を起こすO157は、大腸菌にとってももはや敵なのです。このように、病原体にいちはやく闘いを挑む「番兵」の役割を担っているのが、大腸菌です。

また、人間は野菜類に含まれる食物繊維を分解する酵素を持っていません。ここで再び大腸菌の出番です。大腸菌はそれを分解しつつ、ビタミン類などの栄養素をとり出す働きがあります。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」
(光文社新書 2017)

人体はデンプンやグリコーゲンなどを除き、ほとんどの多糖類を消化できません。消化酵素がないからです。代表的なのが食物繊維で、セルロースが大半を占めています。健康のためには食物繊維の摂取が大切とやかましく言われるのですが、食物繊維は大腸菌を含む腸内細菌のエサであり、人は腸内細菌の "おこぼれ" にあずかっているわけです。



常在菌の重要な機能として「人体の免疫機構が過度に働かないようにする」ことがあります。本書では腸内寄生虫を例にしてそのことが書かれています。共生微生物(細菌・寄生虫)は人体で生息するために、人体の免疫機構が共生微生物を排除しないように働きかけます。これが免疫機構の過剰な働きを抑制することになります。この抑制が無くなるとアレルギー(= 人体には無害なはずのアレルゲンに対して炎症反応が起こる)のリスクが高まります。

このブログで過去に書いたことを振り返ってみますと、20世紀末から21世紀にかけての免疫学上の大発見は、大阪大学の坂口志文しもん教授の「制御性T細胞 = 免疫の発動を抑制する免疫細胞」の発見でした。坂口教授は毎年ノーベル生理・医学賞の候補にとりざたされるほどです。ブログではその制御性T細胞と腸内細菌との関係を2回書きました。

腸内細菌であるフラジリス菌がもつPSAという物質が、未分化のT細胞を制御性T細胞に分化させる。── No.70「自己と非自己の科学(2)」

腸内細菌であるクロストリジウム属を抗生物質で徐々に減らすと、ある時点で制御性T細胞が急減し、クローン病(炎症性腸疾患)を発症する。── No.120「"不在" という伝染病(2)」

「人 = 人体 + 常在菌」であって、人体は常在菌の存在を前提として機能するようになっています。常在菌は生息環境を維持するために、人体が健康になるように働くわけです。宿主=人体が不健康になったり、極端には死んでしまうと常在菌も存在できなくなるからです。そのかわりに "エサ" にありつく。まさに人体と共生関係を結んでいるのです。


常在菌は人が外界から取り込こむ


このように重要な常在菌は、そのすべてが外界から取り込まれたものです。その取り込みは赤ちゃんが生まれる際、産道を通るときから始まります。


母親の胎内は、一つの細菌もおらず、完全な無菌状態が保たれています。赤ちゃんが最初に菌と触れあうのは、出産のとき。お母さんの産道を通る際です。産道には、デーデルライン桿菌かんきんなどの細菌が無数にいます。この菌は、善玉菌である乳酸菌の一種です。そうした産道にいる菌を、赤ちゃんはまず吸い込みます。次に出産時、お母さんが大きくいきんだ際に、一緒に出てきた大便にいる腸内細菌と接します。

そのため、誕生のしかたが、自然分娩か帝王切開かによって、得られる腸内細菌の種類は違ってきます。ただし、それ以上に重要なのは、誕生後の生育環境です。

とくに大事なのは、両親や周囲の人たちと行うスキンシップです。赤ちゃっは、抱っこをしてくれた人の手を握りしめて、自分の口にもっていこうとします。これは自らの腸内フローラ(引用注:腸内細菌の総体を指す言葉)を豊かにはぐくもうとする、赤ちゃんの本能でもあります。人の皮膚にいる常在菌には、種類に個人差があります。たくさんの人の指をなめることで、赤ちゃんは多種多用な菌を腸にとり込もうとしているのです。ですから、「バッチイからダメ」などと言わず、おおいになめさせてあげることです。

最近では、「虫歯になるからキスをしてはいけない」と指導する歯科医もいるようですが、腸の研究者から言わせると、こんなにおろかなことはありません。口内にも唾液にもたくさんの細菌がいます。赤ちゃんは周囲の人とキスをすることで、それらの菌を口内や腸にとり込むことができるのです。その中には虫歯をつくる菌もいるでしょう。しかし、多種多様な菌がいる場所では、一種類の菌だけが異常繁殖することはできないものです。また、虫歯菌のエサとなる糖質の摂取を抑えることと歯磨きによって、虫歯は十分に防げます。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

スキンシップのさいたるものは授乳でしょう。本書には書かれていませんが、No.119「"不在" という伝染病(1)」に、赤ちゃんはお母さんの乳頭からビフィズス菌を取り込むという話を書きました。ビフィズス菌は母乳に含まれるオリゴ糖(結合数3~10の糖類)を消化するのに必須です。母乳に細菌でしか消化できない糖が含まれるというのも、人体は細菌との共生を前提としていることを如実に示しています。

本書に戻り、赤ちゃんは人の指だけでなく、おもちゃとかスリッパとか、あらゆるものをなめようとしますが、これが常在菌を取り込む手段になっています。また大きくなってからは、子供に泥んこ遊びをさせるのも常在菌を豊かにします。落ちたものをすぐに拾って食べるのも有益です。


自宅のテーブルや床に落ちたものを拾って食べるのは、腸内細菌の活性化のために最良の方法です。反対に、テーブルや床を殺菌剤などでせっせと消毒している家庭では、腸内フローラを育てられず、腸の「空き家」を増やしてしまいます。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

腸にびっしりと腸内細菌が生息していると、病原菌が進入する余地がありません。その反対が、本書が言う「空き家」がある状態です。

床に落ちたものを拾って食べることに関して「直ぐに拾って食べれば大丈夫」ということを、本書では「3秒ルール」と言っています。アメリカでは「ファイブ・セカンド・ルール」と言うそうで、このような認識は世界共通だそうです。研究した人によると、3秒以内に拾ろうと有害な病原菌は付着しないとのことです。しかし一番大事なのは秒数ではなく、落ちた場所です。つまり有害な菌がいる可能性がある台所や風呂場の床は避けるべきです。



乳酸菌などの細菌が含まれる食物をとることも、常在菌を増やすために大切です。代表的なのが各種の発酵食品ですが、本書では腸内環境を整える「最強の」細菌として、土壌菌(土の中にいる細菌)に着目しています。


日本には土壌菌からつくられる最良の発酵食品があります。それは納豆です。

大豆を発酵させる納豆菌は枯草菌こそうきんといって土壌菌の仲間です。枯草菌は細胞の膜が硬く、生きて腸まで届く菌です。腸の届くと、仲間の菌たちの働きを活性化し、数を増やすことに役だってくれます。また、土壌菌を育てた納豆の大豆は、腸にいる土壌菌の仲間たちにとっても、とてもよいエサになってくれます。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

ヨーグルトにいる乳酸菌やビフィズス菌は9割が胃酸で死滅してしまいますが、枯草菌は腸まで届くところがポイントです。

腸内細菌の数や種類は変動します。腸内細菌のバランスが崩れると、特定の菌が異常繁殖し病原性を示すようになります(悪玉菌に変化する)。腸内細菌のバランスを維持する根本は食事であり、特に腸内細菌のエサになる食物繊維をとることが重要です。


食物繊維には、水溶性のものと不溶性のものとがあります。腸内細菌のいちばんのエサとなるのは、水溶性の食物繊維です。文字通り水に溶けるタイプの食物繊維で、水を含むとドロドロのゲル状になります。そのゲル状になった食物繊維を腸内細菌は発酵させることでエサとし、宿主の健康に必要な成分をさまざまにつくりだし、腸に吸収させていきます。

水溶性の食物繊維は、納豆や山芋、メカブ、オクラ、モロヘイヤなど、ネバネバしている食品に豊富です。(中略) ワカメや昆布などの海藻類にも豊富です。しかも、大半の日本人の腸には、海藻類からもエネルギーや栄養素を取り出してくれる細菌がいます。これは、欧米人などにはいない特別な細菌です。この細菌を増やすためにも、海藻類は毎日食べたいものです。(中略)

一方、不溶性の食物繊維は、水に溶けないタイプのもので、水を含むと膨張します。そして腸内細菌たちのほどよいエサとなる一方で、腸の不要物をからめとりながら大きな大便を作る働きをしています。不溶性の食物繊維は、腸の掃除屋なのです。つまり、これをいっぱい食べると、腸のなかがきれいに保たれるようになります。

不溶性の食物繊維は、豆類、イモ類、キノコ類に豊富です。また、玄米などの全粒穀物ぜんりゅうこくもつにもたくさん含まれます。主食をたべるなら、食物繊維をそぎ落としてしまった白米や白い小麦粉食品ではなく、玄米や五穀米ごこくまい十割じゅうわりそばなどを選ぶことが、腸内細菌を育てることに役立ちます。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」


"チョイ悪菌" との戦いが免疫力をつける


以上のように、人体は常在菌を外界から取り込んで「人 = 人体 + 常在菌」になるわけですが、当然のことながら外界には有害な病原菌もいます。しかし人体には有害な菌を選別するしくみが備わっています。


赤ちゃんはふれあったすべての菌を腸にすまわせるわけではありません。腸壁には「IgA」という抗体が存在しています。最近の研究では、IgA抗体が最近の選別をしていることがわかっています。

抗体とは、免疫システムの中心となるものの一つです。病原体などの異物を倒すための「武器」というとわかりやすいえでしょう。免疫システムは、異物が体内に入ってくると、その異物にある目印(抗原)と特異的に結合して破壊する抗体を作りだします。免疫システムは、どんな異物にもピッタリ合う抗体をつくり出すことができます。

抗体には「IgG」「IgE」「IgA」「IgM」などのいろいろな種類があります。このうち、腸壁に分泌される粘液に大量に存在しているのがIgA抗体です。

生後一年以内の赤ちゃんの腸は、ふれあった最近をどんどんとり込んでいきます。その際、どの細菌は腸にすまわせ、どれは受け入れないのか、それを決めているのがIgA抗体です。抗体は免疫システムの武器としてのみ働いているのではありません。腸では、IgA抗体がくっついた細菌だけが腸内の粘液に済むことを許され、そうでないものは定着できないシステムになっています。

つまり、腸は無分別に菌を住まわせているわけではない、ということです。人の腸内細菌としてふさわしくないものは、排除されます。ですから、お母さんが「バッチイからダメよ」と制する必要はなく、腸の選択にまかせておけばよいのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

No.120「"不在" という伝染病(2)」の「補記」に「IgA抗体が人体と共存させる細菌を選別している」という、理化学研究所のシドニア・ファガラサン氏の研究を紹介しました(「NHKスペシャル」での放映内容)。ここに再掲しておきます。


No.120「"不在" という伝染病(2)」の「補記」

免疫システムのキーである「抗体」の一種、免疫グロブリンA(IgA)が、人体との共存を許す細菌だけに選択的に取り付き、腸の壁を覆っている粘液層に細菌が入りやすくしています。IgAが「取り付く」ことで粘液層に入るときの抵抗が少なくなるようです。これを研究している日本の理化学研究所のシドニア・ファガラサン氏がインタビューに答えていました。

IgA抗体は攻撃するためでなく、腸内細菌を助けるために働いています。IgA抗体は私たち人間に必要な菌だけを選んで腸に住み着かせているのです。

私たちは細菌とともに長い進化の歴史を過ごしてきました。その過程で互いに助け合う仕組みを発達させたのです。腸内細菌と共に生きていることの本当の意味を知るべきです。私たちは腸内細菌と一緒になって初めて一つの生命体なのです。

シドニア・ファガラサン(理化学研究所)
NHKスペシャル(2015.2.22)
「腸内フローラ ~ 解明!驚異の細菌パワー ~」より


人間の免疫システムは、取り込む菌と排除する菌を区別するようにできています。No.69-70「自己と非自己の科学」で書いたように、この免疫システムは複数種類の免疫細胞の協調作業で行われます。この協調作業を行う免疫細胞群を本書では "チーム免疫" と呼んでいます。微生物の多い環境にいると "チーム免疫" が鍛えられる。これが大切です。


私たちの体内には、空気や食べ物に混ざって、日々たえまなく細菌やウイルスが侵入してきています。それらのほとんどは、感染してもたいした症状を起こさない「チョイ悪菌」たちです。そんなチョイ悪菌たちが "チーム免疫" の好敵手となり、組織力育成の役に立っているのです。

でも、ときには "チーム免疫" より強い敵が体内に侵入してくることもあります。その際、免疫と病原体の闘いはヒートアップし、つらい症状が表に出てきます。しかし、治癒ちゆしたのちは、"チーム免疫" が連携力を高めるすばらしい経験となります。

つまり「免疫力が強い」というのは、"チーム免疫" の組織力も個人力も高まっていて、一枚上手の外敵がやってきたとしても、それを倒す力を備えている状態のこと。反対に「免疫力が弱い」というのは、免疫細胞たちの経験不足がわざわいして、チーム力が低下している状態のことを指すのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

本当に怖い病原菌が侵入してきたとき、それと真っ先に戦うのは医療でも薬でもなく、"チーム免疫" です。その力を高めるには「チョイ悪菌」と仲良くし、練習試合をたくさんやって鍛えるしかありません。

要するに「人体の機能は、使わなければ衰える」のが根本原理です。これはたとえば筋肉と同じと考えていいでしょう。手や足を骨折して筋肉を動かせない状態を続けると筋肉が固まってきます。その回復のためにリハビリの期間がかなり必要だったりする。それと同じです。我々には "チーム免疫" を使う機会が常時あることが必要なのです。


超清潔指向が人間を滅ぼす


以上ような人の成り立ちを考えると、

  微生物の少ない環境(体内・体外環境)は人の健康を阻害する

ことになります。現在の日本では「殺菌」「抗菌」「除菌」「薬用」というようなキーワードがついた衣類用洗剤、掃除用洗剤、スプレー、ハンドローション、うがい薬、家電製品、日用品があふれています。また「泥んこ遊びをさせない」などの、子どもを微生物環境から遮断するような育児を行う人もいます。さらに日本の水道水への塩素注入量は世界でみても極端に高いと本書にあります。水道水中の微生物の基準がWHO(世界保健機構)の基準に比べても厳しすぎるからです。

このような「行きすぎた清潔指向」「超清潔指向」が人間を滅ぼすことになる、というのが本書の警告です。超清潔指向は「常在菌の減少や不在」を招き、「免疫関連疾患のリスク」を高め、また「免疫力の低下」をもたらします。

 常在菌の減少や不在を招く 

常在菌は数から言うと腸内細菌がほとんどで、上に書いたように人の健康維持に密接に関係しているのでした。腸内細菌の「空き家」は病原菌の進入を許すことになります。

しかし常在菌は皮膚にも生息していて、我々の皮膚を守っています。従って、過度に手を洗うと "皮膚常在菌" の不在を招き、感染症にかかりやすくなります。手洗いは流水で10秒間流すことで十分というのが本書の強い推奨です。このあたりの事情は本書の題名、「手を洗いすぎてはいけない」にもなっているので、少々長めに引用してみましょう。


人間の皮膚には、表皮ブドウ球菌をはじめとする約10種類以上の「皮膚常在菌ひふじょうざいきん」という細菌がいて、私たちの皮膚を守ってくれています。

彼らは私たちの健康において、非常に重要な役割を担っています。皮膚常在菌は皮膚から出る脂肪をエサにして、脂肪酸の皮脂膜ひしまくをつくり出してくれているのです。この皮脂膜は、弱酸性です。病原体のほとんどは、酸性の場所で生きることができません。つまり、常在菌がつくり出す弱酸性の脂肪酸は、病原体が付着するのを防ぐバリアとして働いているのです。

皮膚を覆おう弱酸性のバリアは、感染症から体を守る第一のとりでです。これがしっかり築かれていれば、病原体が手指に付着することを、それだけで防げるのです。

では石けんで手洗いをするとどうなるのでしょうか。

石けんを使うと、一回の手洗いで、皮膚常在菌の約90パーセントが洗い流されると報告されています。ただし、1割ほどの常在菌が残っていれば、彼らが再び増殖し、12時間後にはもとの状態に戻ることもわかっています。したがって、1日1回、お風呂に入って体をふつうに洗う、という程度であれば、弱酸性のバリアを失わずにすみます。

しかし、昔ながらの固形石けんでさえ、常在菌の約9割を洗い流してしまう力があるのです。薬用石けんやハンドソープ、ボディソープなどに宣伝されているほどの殺菌効果が本当にあるのだとしたら、そうしたもので前述の手洗い法のように(引用注:感染症予防で推奨されている12ステップの手洗い。最後はアルコール消毒)細部まで2回も洗い、アルコール消毒などしてしまえば、さらに多くの常在菌が排除されることになります。

しかもそれを数時間ごとに行ってしまうと、どうなるかわかりますか。わずかながら残されている常在菌が復活する時間さえ奪ってしまうことになるのです。

皮膚常在菌の数がいちじるしく減ってしまうと、皮膚は中性になります。脂肪酸のバリアがつくれないからです。脂肪酸のバリアがない皮膚は、要塞ようさいを失ったお城のようなものです。外敵がわんさと襲ってきても、守るすべを失えば、城は炎上します。

脂肪酸を失って中性になった皮膚には、外からの病原体が手に付着しやすくなります。こうなると、手指から口に病原体が運ばれやすくなります。

洗いすぎると皮膚は感染症を引き起こしやすい、「キタナイ」状態になってしまう、というのはこういうことだったのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

手を洗いすぎると皮膚の角質層を壊すことにもなります。皮膚は常に新陳代謝をおこなっていて、古い皮膚はいずれ垢となって剥がれ落ちるのですが、垢になる一歩手前が角質です。角質層はアレルゲンや病原体が皮膚に入り込むのを防ぎます。


角質層は脂肪酸の皮脂膜で覆われていることで正常な状態を保つことができます。角質層がバラバラにならないよう、皮脂膜が細胞同士をつなぎとめているからです。

ところが皮膚を洗いすぎると皮脂膜がはがれ落ちます。すると、角質層にすき間が生じ、皮膚を組織している細胞がバラバラになっていきます。こうなると、皮膚に潤いを与えている水分の多くが蒸発して、カサカサしてきます。この状態が乾燥肌です。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

本書は、肌の乾燥の原因は「季節」や「加齢」ではないと断言しています。常在菌が作ってくれた皮脂膜 = 天然の保湿剤を洗い流し、高価な保湿クリームを塗るなどは愚の骨頂というわけです。

洗いすぎてはいけないのは手だけではありません。温水洗浄トイレ(商品名:ウォシュレットなど)は確かに快適で便利だし、多くの痔の患者さんを救ってきたのは事実ですが、使い過ぎるのもよくありません。


日本の男性に、大便のあとに温水洗浄トイレを使いすぎて「お尻が痛くなる」人たちが増えています。使いすぎると、肛門周囲の皮膚常在菌が少なくなり、ただれたり、かぶれたり、血が出たりして、肛門専門の医療機関を受診する人も多いと聞きます。(中略)

温水洗浄トイレの普及で、オシッコの時でも便座に座る男性が増えてきているのも事実です。排尿のあとでも、肛門にシャーシャーと温水をかけているのです。そのたびに肛門周囲の常在菌は流されて皮膚が中性になり、角質がバラバラになって、肌荒れを起こすようになります。すると、大腸のなかにいる腸内細菌が肛門付近の皮膚にくっつきます。腸のなかにいればよい働きをしてくれる細菌も、自分の居場所から離れると本来の仕事を忘れ、悪さをはじめます。その腸内細菌が炎症を起こし、肛門が痛くなったり、かゆくなったりするのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

人の皮膚は洗いすぎると汚くなるのです。洗いすぎて中性からアルカリ性に傾いた皮膚は、病原菌の格好の住処になります。本書には男性だけでなく女性の話も出てきます。


日本の女性は、歴史上、膣をビデで洗う経験はありませんでした。「洗えばきれいになる」と、オシッコのたびに膣を洗うようになったのは、ウォシュレットが販売された1980年以降のことです。

しかし、膣も「洗いすぎれば汚くなる」のは同じことです。女性の膣にはデーデルライン桿菌かんきんという乳酸菌がいて、膣をきれいに保っています。この菌は、膣のグリコーゲンをエサにして膣内を酸性に整えます。つまり、正常な膣は酸性なのです。

酸性の場所では、雑菌は増殖できません。原始時代、ろくに体を洗っていない男性と雑菌だらけの環境で交わっても、女性は膣炎になどなりませんでした。デーデルライン桿菌が膣を酸性に保ってくれていたからです。

ところが、現代の女性は膣炎になります。「洗えばきれいになる」とばかりに、オシッコのたびにビデで洗っているからです。そのたびにデーデルライン桿菌は洗い流され、膣は中性にかたよっていきます。そうなると、雑菌が膣内で増殖し、おりものが出てきて、膣炎となってしまうのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

 免疫関連疾患のリスクを高める 

微生物の少ない環境は、免疫関連疾患であるアレルギーの発症リスクを高めます。そもそも藤田博士は「寄生虫の不在とアレルギーの発症の因果関係」で、このことを早くから主張されていたのでした。アレルギーに関しては、No.119「 "不在" という伝染病(1)」に「兄弟効果」「保育園効果」「農場効果」を書きました。つまり、

兄弟効果
兄弟で比較すると、後に生まれた子の方がアレルギーが少ない
保育園効果
保育園に通った子どもの方が、そうでない子どもよりアレルギーが少ない
農場効果
農場で育った子どもにはアレルギーが少ない

というものです。本書にはこのうち「兄弟効果」と「保育園効果」が説明されています。下の図は第1子(一人っ子を除く)に着目し、第1子と第2子以降のアレルギーの発症率を調査したものです。明らかに差が見てとれます。

兄弟効果.jpg
本書にある、第1子(一人っ子を除く)と第2子以降のアレルギーの発症率を対比したグラフ。この調査は、子を持つ親:10118人に対し、第1子の数:3639人、第2子以降の数:6479人であり、調査した子の数=親の数となっている。つまり同じ親からは子が一人だけ選択されている。これは親の育て方以外で兄弟が似る要因(遺伝や居住地など)の影響を排除するためと考えられる。どの子を選ぶかはランダムに決めたはずである。No.223「因果関係を見極める」のRCT(ランダム化比較試験)の項参照。

このグラフを見て思うのは、そもそも「子どもの約30~40%がアレルギー体質」というのが多すぎるということである。
「手を洗いすぎてはいけない」より。


一人っ子と同じく、お母さんは第1子にはとかく目が向かいがちなものです。ときには、神経質なまでに手をかけてしまうこともあるでしょう。それが第2子、第3子になると、「このくらいならば大丈夫」と加減がわかるようになり、いい意味で手が抜けるようになるのだと思います。

私の知人の女性は、3人の子持ちです。最初の子のときには、初めてのことばかりで不安が大きく、哺乳瓶はもちろん、離乳食で与える野菜まで野菜洗い用の洗剤で洗っていたそうです。赤ちゃんがハイハイするときには、それ専用のカーペットをわざわざ床に敷き、そこを夫が歩こうものなら悲鳴をあげて阻止したともいいます。それが第3子になると赤ちゃんがバッチイことをするのも気にならず、公園の土の上を転げ回り、アリをつまんで口に入れてしまっても、笑って見ていられるようになりました。

彼女の子どもも、第1子はひどいアレルギー性鼻炎で、第2子、第3子は健康優良児だとのことです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

知人女性の第1子の「アレルギー性鼻炎と育て方の因果関係」を立証することはできないと思いますが(何らかの遺伝的要因かもしれない)、いかにもありそうな話です。結果としてですが、その知人女性は第1子に対しては "最悪の育て方" をしたわけです。

また本書にも「保育園に早くからあずけられた子どもの方がアトピーになりにくい、というデータがある」と、"保育園効果" のことが書かれています。大勢の子どもがいて皆で遊ぶ環境が微生物と接する機会を増やすからです。

 免疫力が低下する 

超清潔指向は私たちの外部環境からも細菌を追い出すことになります。これは人の免疫力を低下させ、感染症にかかりやすくなることにつながります。ノロウイルスの流行やエルトール型コレラの集団発生もその現れだと、本書では危惧しています。( )内は引用注です。


最近では(ノロウイルスの)新型のウイルスも発見されていますが、ノロウイルスはもともと感染力の弱い、あまり問題視されないウイルスだったのです。人に感染するウイルスの多くは、人類の進化とともに生き抜いてきたものたちです。昔から私たちとともにあった病原体ともいえるでしょう。それが最近になって大流行を起こすようになったのは、ウイルスの病原性が増していること以上に、ヤワな病原体にやられてしまうほど、宿主=人間の抵抗力が弱っていることを示しています。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

1995年のことになります。インドネシアのバリ島帰りの日本人が次々とコレラを発症し、患者数が300人近くにもなった事件がありました。コレラは江戸時代からの恐ろしい伝染病です。伝染力が強く、致死率も高い。明治から昭和の初めまで、日本の国家的な衛生システムはコレラの防疫で生まれたと言われるほどです。ここで言うコレラは「アジア型」と言われるタイプのものです。一方、1995年に発生したコレラは違いました。


1995年に大発生したのは、エルトール型です。このコレラは1900年代後半に出現した新しいタイプです。菌の毒性が低く、軽症あるいは無症状に終わるケースが70~80パーセントを占めています。とても病原性の低い菌といえるでしょう。

このときコレラを発症したのは、日本人だけでした。現地の人や他国の観光客はなんともなかったのに、日本人だけが集団発症したのです。これがどいうことか、おわかりになるでしょうか。日本人の免疫力は、ヤワな菌に集団発症してしまうほど、世界の人々に比べて低くなっているのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

バリ島は有名な観光地です。現地のバリ島の人たちがエルトール型コレラを発症しないのはともかく、世界からバリ島にやってきた観光客のなかで日本人だけが発症したという事態は、確かに日本人の免疫力の低下を疑わせます。最近よくあるインフルエンザの季節はずれの流行も、日本人の免疫力の低下ではないかと、本書で危惧されています。



超清潔指向が総合的に作用して社会問題となったのが(なっているのが)病原性大腸菌、O157です。1990年、O157の感染で日本で初めて死者が出ました。埼玉県浦和市(現、さいたま市)の幼稚園で、井戸水の引用によって2人が亡くなったのです。また、日本中を震撼させたのが1996年の堺市の事件です。同じ給食を食べた児童・職員の9492人が罹患し、3人の児童が亡くなりました。

O157は人の腸の中に入ると、血管壁を壊して出血を起こすベロ毒素(志賀毒素)を出すことがあります。この毒素が血液中に入るとさまざまな症状を起こします。毒素が腎臓に入り込むと急性腎不全となり尿毒症が起こる。こうなると脳に影響を与えて意識障害や痙攣けいれんを引き起こし、ときに死亡することもあります。

O157は大腸菌の変異菌です。大腸菌は本書にも書かれているように、人の腸のなかに生息し、O157を含む病原菌を排除したり、食物繊維を分解したりといった働きをしています。O157はその変異菌であり、157番目に見つかった変異なのでO157と命名されました。1982年のアメリカでのことです。そしてO157の流行は先進国にかたよっていて、いわゆる発展途上国では起こっていません。

このような変異菌がなぜ生まれてきたのか。それは殺菌剤や抗菌剤の多用だというのが本書の見立てです。抗生物質の多用が変異菌を生みだし、その中から抗生物質が利かない耐性菌が生まれるのと同じ原理というわけです。

  ちなみにO157が出すベロ毒素(=志賀毒素)の "志賀" とは、赤痢菌を発見した志賀潔博士のことです。O157は、赤痢菌と同じ毒素を出すように変異した大腸菌です。

実は、O157は生命力の弱い菌です。毒素の生成に多くのエネルギーを使ってしまうからです。O157は不潔な場所では生きられません。雑菌が多いところでは淘汰されてしまいます。反対に、雑菌の少ない清潔な場所に入り込むと一気に増殖を始めます。従って衛生に細心の注意を払う場所ほどO157の格好の住処となります。学校の給食室、スーパーの総菜売場、水耕栽培をする野菜工場などです。人が殺菌剤をふりまいて雑菌を殺しておいてくれるからです。さらに、そのO157に感染して重症化する人には特徴があると言います。


東京医科大の中村明子兼任教授は1996年、O157が集団発生した埼玉と岡山両県の小学校を調査しています。その際、感染者の「清潔度」のチェックもあわせて行いました。このとき、重大な事実がわかりました。

重症化した子どもはすべて、「超」がつくほどの清潔志向の家庭で育てられていたのです。また、一戸建てに住むような裕福な育ちでした。おそらく、泥んこになったり、虫とふれあったりして遊ぶことを「バッチイからダメ」と制され、帰宅時には薬用石けんやハンドソープでていねいに手を洗うようにしつけられ、家庭内ではさまざまな洗剤や抗菌スプレーが常用されていたのでしょう。

反対にO157に感染していながらまったく症状の出ていない子どもたちもいました。無症状の子はみんな親がほどよく放任で、毎日真っ黒になって外を駆け回り、「バッチイ遊び」をたくさんしているような子どもたちだったのです。

外遊びをたくさんする子は、空気中を舞う土壌菌を自然と吸い込んでいますから、腸内フローラが豊かにはぐくまれています。O157はヤワな菌なので、腸内細菌が多種多様にすんでいる腸のなかでは増殖できません。抗菌薬の乱用など超清潔志向によって作られた「空き家」の多くなった腸でのみ、増殖できるのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

何回か発生したO157の集団感染は、マスメディアによって大々的に報道され、これがまた日本人の清潔指向を倍加させました。以上の O157 に関するストーリーを「清潔」をキーワードにまとめると、

抗菌剤や殺菌剤の多用が大腸菌の変異菌(O157)の出現を招いた(のだろう)。

そのO157は清潔な場所でないと増殖できない。

超清潔志向の家庭で育った子どもがO157感染症を発症し、重症化した。

O157による重症患者の発生は、日本人の清潔志向を倍加させた。

ということになります。これはいわゆる悪循環というヤツです。この悪循環をどこかで断ち切る必要があります。それはひとえに「清潔」という意味をよく理解し、正しい知識をつけることでしょう。


ヒトと微生物の共生


本書の内容をまとめると、次のようになると思います。

人は微生物である常在菌と共生している。人=人体+常在菌であり、人体は常在菌との共生を前提に正しく機能するようになっている。

人の機能は、その機能を常時働かせることにより強化され、維持される。免疫力も外界の微生物と常時接することで高まり、維持される。

超清潔志向は常在菌の減少や不在を招き、また外界の微生物との接触を少なくする。その結果として人は "やまい" に陥る(機能不全、感染症、アレルギーなど)。

以上のことは、どちらかというと常識的であり、本書に何か新しい知見が書かれているわけではありません。ただ、専門用語を極力排し、多くの事例を引用してわかりやすく解説し、警鐘を鳴らした本として価値があると思いました。




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No.223 - 因果関係を見極める [科学]

No.83-84「社会調査のウソ」の続きです。No.83-84では主に谷岡一郎氏の著書『社会調査のウソ』(文春新書 2000)に従って、世の中で行われている "社会調査" に含まれる「嘘」を紹介しました。たとえばアンケートに関して言うと、回答率の低いアンケート(例:10%の回答率)は全く信用できないとか、アンケート実施者が誘導質問で特定の回答を引き出すこともあるといった具合です。そして、数ある「嘘」にまどわされないための大変重要なポイントとして、

  相関関係があるからといって、因果関係があるとは限らない

ということがありました。一般にXが増えるとYが増える(ないしは減る)という観測結果が得られたとき、Xが増えたから(=原因)Yが増えた・減った(=結果)と即断してはいけません。原因と結果の関係(=因果関係)の可能性は4つあります。

Xが増えたからYが増えた(因果関係)
Yが増えたからXが増えた(逆の因果関係)
X,YではないVが原因となってXもYも増えた(隠れた変数)
Xが増えるとYが増えたのは単なる偶然(疑似相関)

相関関係.jpg
相関関係がある場合の可能性
XとYのデータの動きに関連性がある場合の可能性。①XがYに影響する、②YがXに影響する、③VがXとYの両方に影響する。これ以外に、④単なる偶然、がある。図は伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。

『社会調査のウソ』で谷岡一郎氏があげている何点かの例を振り返ってみますと(No.84参照)、まず「広い家ほど子供の数が多い」という 1994年4月に公開された厚生白書がありました。この白書によると「公共住宅などの円滑な提供が必要」とのことです。しかしこれは「③隠れた変数」の例であり、

◆地方の文化的・社会的環境
  ├─⇒ 子たくさんの家庭
  └─⇒ 広い家

と解釈するのが妥当です。また「②逆因果関係」に従って、

◆子供の数が増えた
  └─⇒ 広い家に引っ越した

とも解釈できます。次に「ジャンクフード(カップ麺やスナック菓子、ハンバーガーなどのファストフード)を食べる頻度が多い子供は非行の率が高い」という調査がありました。子供の栄養バランスの崩壊を憂う気持ちは分かりますが、まともに考えると、

◆親の子育ての手抜き
  ├─⇒ ジャンクフード
  └─⇒ 非行

でしょう。非行については「TVで暴力シーンをみることが多い子供ほど非行に走りやすい」という調査もありました。TVの暴力シーンを規制すべきという意見ですが、これも、

◆子供の暴力的な性格
  ├─⇒ 暴力的なTVをよく見る
  └─⇒ 非行

というのが真っ当な解釈です。その他、No.84にいろいろな例をあげました。戦後の子供の「体格の向上」と「非行の増加」の "相関" は、全くの偶然=④疑似相関の例です。



では、正しく因果関係を見極めるにはどうすればよいのか。それを最新の手法を踏まえて事例とともに紹介した本が2017年に出版されました。伊藤公一朗著『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』(光文社新書 2017)です。伊藤氏はシカゴ大学助教授で、環境エネルギー経済学、応用計量経済学が専門です。この本(以下、本書)の "さわり" だけを以下に紹介します。


世の中は怪しいデータ分析で溢れている


伊藤公一朗氏の本ではまず、因果関係を推定する難しさが指摘されています。ある新聞記事の例です。

  海外留学に力を入れているある大学の調査では、留学を経験した学生が、留学を経験しなかった学生よりも就職率が高いことがわかった。このデータ分析の結果から、留学経験経験は就職率を向上させるものであると大学は報告している。

この大学の調査結果から「留学経験→就職率の向上」という「①因果関係」は推定できるのでしょうか。この場合「②逆因果関係」はありえないので、問題は「③隠れた変数」です。伊藤氏は次のような「隠れた変数」の可能性を指摘しています。

留学の奨学金を受けられるほど、もともと成績が良かった。
留学したいという強い意志や好奇心があった。

データ分析の力.jpg
このような隠れた変数が就職率の向上に役だったかもしれないのです。もちろん「留学経験→就職率の向上」という可能性もあります。伊藤氏の本には書いていないのですが、留学を経験した学生は「外国人とのコミュニケーション能力」に優れていると考えられます。新卒学生を採用するときに「外国人とのコミュニケーション能力」を特に重視する企業はかなり明確に特定できるでしょう。ということは、留学経験者と企業との "就職マッチング" の成功率は一般の学生より高いと考えられるのです。

要は、多角的に分析しないと一概なことは言えないということです。特に難しいのは「隠れた変数」がいくらでも想定できることです。またその中には観測しにくいものも多い。留学の例でいうと、成績のデータは集められても、意志や好奇心のデータは集めにくいのです。

実はこういった分析なしに、あるいは誤った分析をもとに因果関係を喧伝する情報がメディアにあふれています。伊藤氏は次のように書いています。


ニュースや新聞を見てみると相関関係と因果関係を混同させた怪しい分析結果は世の中にあふれています。さらに問題なのは、怪しい分析結果に基づく単なる相関関係が「あたかも因果関係のように」主張され、気をつけないと読者も頭の中で因果関係だと理解してしまっていることが多いという点です。

・・・・・・・

残念ながら、新聞やテレビで主張されていることの多くは、相関関係を誤って解釈して因果関係のごとく示されているものなのです。

伊藤公一朗
「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」
(光文社新書 2017)

この「あたかも因果関係のようにメディアで主張された」例を伊藤氏はあげています。夜に電気をつけて寝る子供に近視が多いという相関関係です。


ペンシルベニア大学の研究者が1999年に Nature という権威ある学術誌に発表した論文(Quinn et al.,1999)です。

研究者たちは2才以下の子供に対して、①寝ているときに電気をつけているか、②近視になっているか、というデータを集めました。その結果、寝ている時に電気をつけている子供ほど近視になっていることがわかりました。

論文を読んでみると、実は当の研究者たちは「この結果は電気をつけて寝ていることと子供の近視の相関関係を示しているだけで、私たちは因果関係を主張しているわけではない」と丁寧に述べているのですが、この論文を取り上げたメディアが「電気をつけたまま寝かせると子供が近視になる!」と大々的に取り上げてしまいました。その結果、多くの親たちが子育てに際してこの因果関係を信じることになりました。

ところが、その後にオハイオ大学の研究者が行った研究によって、これは単なる相関関係であることがわかりました。

彼らの研究によると、①近視を持つ親ほど寝るときに電気をつけていることが多く、②近視の親を持つ子供ほど「遺伝的に近視になりやすい」ということでした。

伊藤公一朗
「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」

どういう背景の調査なのかが書かれていないのですが、2歳以下の子供の近視というと親が見つけにくいものです。おそらく幼児近視の研究者が子供の近視を医学的に調査し、その生活環境も合わせて調査して相関関係を見つけたのだと想像します。この例に見られるように、相関関係に過ぎないものを誤って(あるいは確信犯的に)因果関係だと報道する事例がメディアには溢れているのです。



伊藤氏の本からちょっと離れて、このブログで取り上げた例を振り返りますと、No.84「社会調査のウソ(2)」で書いた「カロリーオフ炭酸飲料と糖尿病の発症」がありました。つまり、

  カロリーオフ炭酸飲料を飲む人は、めったに飲まない人にくらべて糖尿病の発症率が1.7倍高い

という研究者の調査をとりあげた新聞報道です。見出しだけ読むと「カロリーオフ炭酸飲料が糖尿病のリスクを増やす(=因果関係)」と誤解する人が出てきそうですが、よく考えるとそんなことはありえないわけです。記事では「カロリーオフ炭酸飲料を飲む → 慢心して食べ過ぎる → 糖尿病のリスク増大」という "因果関係の推定" が書かれていましたが、本当にそうなのか。最も妥当な考え方は、シンプルに、

◆糖尿病のリスクを自覚している人
 ├─⇒ カロリーオフ炭酸飲料をよく飲む
 └─⇒ 糖尿病を発症する率が高い

でしょう。糖尿病のリスクを自覚している人とは、医者からそう言われた人や、毎年の健康診断で血糖値が正常範囲に収まらない人、あるいは親が糖尿病の人などです。

新聞は企業が作る "商品" です。そこには「大切な新情報」が載るのですが「商品価値の高い情報」だともっとよい。"News" つまり新情報を選択するときにも、それがセンセーショナルで、ちょっと驚くような内容なら一段と商品価値が高まるわけです。



伊藤氏の本に戻ります。因果関係を正しく見極めるのが重要なのは、個人であれ企業や自治体であれ、ものごとを決めるときに重要なのは、ほどんどの場合は因果関係だからです。データの分析が間違っているために出てきた間違った推定を「バイアス」と呼ぶそうですが、では、バイアスを排して因果関係を正しく見極めるにはどうすればよいか。伊藤氏がその手法を紹介しています。このうちから何個かを紹介します。


電力料金の値上げは節電に結びつくか


まず、電力料金の値上げは節電に結びつくかどうか、結びつくとしたらどの程度の節電かという問題です。これは電気の価格政策を検討する際の重要な情報です。これを伊藤氏らは実験で確かめました。ここで用いられた手法は RCT(ランダム化比較試験。Randomized Controlled Trial)呼ばれるものです。これは試験の対象となる人々をグループ分けするときに必ずランダムに行う方法で、因果関係を証明するのには最適な方法です。

伊藤氏ら研究者は経済産業省、企業、自治体の協力を得て、北九州市で「電力価格フィールド実験」を行いました。「フィールド実験」というのは企業活動や消費活動などの実際の現場(=フィールド)で行う実験を言い、実験室で行う「ラボ実験」と対比させた言葉です。

2012年夏の北九州市の実験では、実験に参加した世帯に30分ごとの電力消費量を記録できるスマート・メータが配られました。このメータにはディスプレイ画面がついていて、家庭の電気の使用経緯がわかります。そして参加世帯をランダムに「介入グループ」と「比較グループ」に分けました。「介入グループ」は時間帯によって電気料金の値上げをするグループ、「比較グループ」は値上げをしないグループです。

まず実験開始前の6月に、参加世帯の電力使用量や電化製品の使用状況(たとえばエアコンの所有数)、年収などを調べました。その結果「介入グループ」と「比較グループ」で平均値やバラツキ度合いがほぼ同じだと確認できました。これがランダムにグループ分けした効果であり、「隠れた変数」の影響を排除できます

実験時の北九州市の電気料金は 1kWhあたり23円(従量料金の部分)でした。全国的に電力が逼迫するのは夏の平日の午後です。そこで実験では、電力が逼迫すると予想されると「介入グループ」に対してだけ、

今日の13時から17時の電力料金は50円に上昇します」

というメッセージをスマート・メータに表示しました。値上げの幅は電力の逼迫度合いに応じて100円、150円ともしました。このフィールド実験の結果が以下です。

電力価格RCT実験.jpg
北九州市での電力価格RCT実験
介入グループ(△)と比較グループ(●)の30分ごとの平均電力使用量(縦軸)。縦軸は対数値で、0.1の相違がおよそ10%の違いに相当する。グラフは上から順に、値上げをしない場合(23円/1kWh)、50円/1kWh、100円/1kWh、150円/1kWhの場合。値上げをしたのは介入グループ(△)だけである。伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。

この結果を統計解析した結果、「比較グループ」に対して「介入グループ」の電気使用量(価格変化を行った時間帯)は

  50円の場合、 9%の電力消費量減
 150円の場合、15%の電力消費量減

になることが分かったとのことです。100円の場合は伊藤氏の本に書いてないのですが、12-13%といったところでしょう。これれら電気の価格政策を決める場合の極めて重要な情報であり、また国レベルのエネルギー政策にも影響するでしょう。



但し、伊藤氏の本に書かれていないことがあります。この「電力価格フィールド実験」に参加したのは「実験に参加したいと申し出た人」です。従って実験に参加しなかった人の電力消費が同じ結果になるとは限らないわけで、このあたりの分析が本に書かれていません。

実験に参加した人は「電気に関心のある人」だと想定できます。たとえば夏場の電気代を節約したいと考えている人とか、電力の逼迫という社会問題に関心のある人です。そうではなくて「電気の使用量に関心などない、使いたい時に電気を使うだけだ、少々電気代がかさんでもどうってことない」と(暗黙に)思っている人は、実験への参加など申し出ないでしょう。つまり、もし仮に北九州市民全員にスマート・メータをつけたとしたら電力消費量の削減率はもっと小さくなると考えられるのです。著者の伊藤氏も本の最終章で、


実験への参加を申し出た世帯は、電力価格に強い関心があった可能性もあります。その場合、参加を申し出た住民から得られた実験結果は、他の住民の価格反応度とは異なる可能性がでてきます。

伊藤公一朗
「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」

と述べていますが、これ以上の言及はありません。北九州市の「電力価格フィールド実験」は "自由参加型のRCT" です。"強制参加型のRCT" が現代の日本では困難なことは分かります。しかし、実測データにもとづく分析は難しいまでも「実験に参加した住民の価格反応度が他の住民の価格反応度と異なる可能性」について(あるいは他の住民と同じだと推定できる理由について)、研究者としての見解を本で示すべきだったと思いました。



電力価格フィールド実験でも分かるように、RCTですべての因果関係を推定することはできません。最初に引用した「留学経験と就職率」でいうと、留学を経験した学生という「介入グループ」と、留学を経験しなかった学生という「比較グループ」を "ランダムに振り分ける" ことはできません。

さらに、フィールド実験はお金がかかることも分かります。おいそれとできるものではない。しかし国や自治体の重要な政策、意志決定にかかわるような因果関係は、RCTによるフィールド実験が(可能なら)検討に値する・・・・・・、そいういうことだと思いました。


オバマ大統領の選挙資金獲得策


2つ目のRCT(ランダム化比較試験)の例です。さきほどフィールド実験はお金がかかると書きましたが、低コストでRCTフィールド実験が可能なケースがあります。その一つが「Webサイトの作り方と、サイトを訪問する人のアクセス・パターンの関係」です。これはサイトのサーバ・プログラムを一時的に書き換えることだけで実験できます。まず伊藤氏の本に載っているのはオバマ大統領の選挙資金獲得策です。

アメリカの大統領選挙の選挙資金集めでは支持者の支援金が重要です。候補者は自分のホームページを開設し、そこで訪問者のメールアドレスを登録してもらおうとします。登録されたアドレスに支援金の依頼メールを送るわけです。できるだけ多くのメールアドレスを登録してもらうことが多くの支援金の獲得につながります。問題は、ホームページの画面やそのレイアウトをどうするかです。どのようにすればメールアドレスの登録率が高くなるのか。

2008年の大統領選挙でオバマ陣営は Google のダン・シローカー氏を引き抜き、支援金集めの戦略を任せました。シローカー氏は Google でRCTを用いたデータ分析の経験を積んだ人物です。オバマ陣営はウェブサイトのトップページに表示する画面を6通り考えていました。そのうちの4種が伊藤氏の著書に掲載されています。

オバマ候補が支援者に囲まれている写真(A)
オバマ候補の家族写真(B)
真剣なまざなしのオバマ候補の顔写真(C)
オバマ候補が行った有名な演説の動画(D)

の4通りで、これ以外に2通りの動画が用意されました。さらにオバマ陣営はトップページに表示するボタン(=それをクリックするとメールアドレス登録ページに移るボタン)に表示する文字を4種類考えました。

Sign Up(登録しよう)
Sign Up Now(今すぐ登録しよう)
Learn More(もっと知ってみよう)
Join Us Now(今すぐ参加しよう)

つまり6通りのトップ・ページ案と4通りのボタン案があり、この組み合わせは24通りあることになります。この24通りの中でベストは何か。オバマ陣営の検討チームは議論の末、A(オバマ候補が支援者に囲まれている写真)+ Sign Up(登録しよう)がベストだと結論しました。しかし、Google でWebサイトのデザインのプロフェッショナルであったシローサー氏は「RCTで検証してみよう」と提案したのです。

この提案によって、検証期間中にトップページを訪れた31万人に24種類の画面のどれかがランダムに表示されました。この "ランダムに" がポイントです。つまり31万人をランダムに24のグループ(各グループは約1万3000人)に分けたことになります。そしてグループごとのメールアドレス登録率を計算したところ、登録率の1位は B(オバマ候補の家族写真)+ Learn More(もっと知ってみよう)だったのです(登録率は 11.6%)。従って検証期間以降の画面にはこれが使われました。検討チームが当初ベストと判断した画面は登録率が8.26%でした。この結果、当初の画面に比較して実際の画面は支援金が約6000万ドル(72億円)増加したと見積もられています。


青の色をどの青にするか


メリッサ・マイヤー氏は Google の副社長 からヤフーの CEO に転じた人です。彼女が Google 時代に行った Google 検索サイトのデザインで行ったRCTが伊藤氏の本に紹介されています。


検索エンジンを提供する会社は、検索結果ページに出てくる広告料で収益をあげています。そのため、収入の鍵となるのはどれだけ多くの人が検索ページを訪れてくれるかと、訪れた人がどれだけの確率で広告をクリックしてくれるか、という点です。

ウェブ広告におけるビジネス戦略を考えるため、マイヤー氏はRCTを用いて最適なウェブサイトのデザインを検討しました。その実験で検討した内容は、文字のレイアウトから始まり、表示する検索結果の件数など多岐にわたります。

中でも有名なRCTは、検索結果として表示されるリンクの「青の色をどの青にするか」という実験です。著者のようなデザインの素人から考えると、青は青しかないような気がしてしまうのですが、ウェブサイトで上で表示できる青の種類は実はたくさんあるのです。彼女はウェブデザイナーを説得して、41種類の青をRCTによって試しました。

RCTのやりかたは(- 中略 -)オバマ前大統領の実験と似ています。グーグルの検索エンジンを利用した人に対して、41種類からランダムに選んだ青を見せ、どの青が一番多くのクリックを生むかを突き止めたわけです。

伊藤公一朗
「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」

Google に代表される "Webサイトが命" である企業は、上の引用のようなRCTを繰り返しているのだと思います。画面のレイアウト、配色、フォント、文字の大きさと色など、Google の検索画面のデザインのすべてに意味があると考えるべきでしょう。


医療費の自己負担率と外来患者数の関係


いままで紹介したRCT(ランダム化比較試験。Randomized Controlled Trial)は、企業活動や消費活動の実際の現場で実験を行う「フィールド実験」でした。しかし、このような実験で因果関係を検証できるケースは限られるし、また可能であっても実験のコストがかかるので実質的に無理ということもあるでしょう。

そこで「まるで実験が起こったような状況をうまく利用する」手法が研究・開発されてきました。これを「自然実験」と呼びます。自然実験にもいろいろな手法がありますが、ここで述べるのは RDデザイン(Regression Discontinuity Design。回帰不連続設計法)と呼ばれるものです。RDデザインのキー概念は「不連続」ないしは「境界線」です。社会における不連続点や境界線に着目する手法で、その例として本書であげられている「医療費の自己負担率と外来患者数の関係」を紹介します。

高齢化社会を迎え、医療費の抑制が国としての大きなテーマになっています。もちろん第一に大切なことは健康に過ごせる習慣を身につけることであり、地方自治体はこのための各種の取り組みをやっています。一方、国民皆保険制度が進んでいる日本では、健康保険制度の健全運営のために医療費の自己負担率をどうするかもテーマになります。医療費の自己負担率と外来患者数の関係がどうなるかは、公的健康保険の制度設計において大変に重要な情報です。

人は病気の自覚症状を覚えたり怪我をしたとき、病院に行くか行かないかを自己判断します。常識的に誰でも病院に行く症状もあれば、行かずに市販薬で対応したり自然治癒を待つこともある。しかし「行く・行かない」の間にはグレーゾーンがあり、その時々によって人の判断は分かれます。この病院に行く・行かない判断に医療サービスの価格(=医療費の自己負担率)も関わっていると考えられます。では、自己負担率を変えると外来患者数はどう変わるのか。そこにどんな因果関係はあるのか。これはRCTで検証するのが無理な問題です。

そこで着目されたのが日本の健康保険制度です。つまり医療費の自己負担率は年齢によって不連続に変化し、69歳までが30%、70~75歳が20%、76歳以上が10%です。2014年3月以前は70歳以上が一律10%でした。カナダのサイモンフレイザー大学の重岡仁助教授は、この日本の健康保険制度に着目し、1984年から2008年まで(=70歳以上の自己負担率が一律10%の時代)の外来患者数を年齢(=月年齢)別に調査しました。その結果が次のグラフで、横軸が外来患者の月年齢、縦軸が外来患者数です。

外来患者数.jpg
月年齢別の外来患者数
縦軸は対数値(0.1の違いがおおよそ10%の違いに相当)。伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。

このグラフを見ると明らかなのですが、69歳12ヶ月と70歳0ヶ月の間に「境界線」があり、この境界線を境に外来患者数が不連続にジャンプしています。このデータを解析した重岡仁助教授は、

  医療費の自己負担率が30%から10%に減少することで、外来患者数は約10%上昇した

と結論づけています。これが「RDデザイン」という分析手法の例なのですが、この結論には重要な仮定があります。つまり、

  もしも境界線で自己負担率が変化しない場合、医療サービスの利用者数(外来患者数)の平均値が境界線でジャンプすることはない

という仮定です。本書に掲げられている図を引用します。

RDデザインの仮定.jpg
RDデザインの仮定
実線は実際のデータ。点線は「70歳で自己負担率が変化しないとしたらこうなったはず」という仮定(=実際には起こらなかった潜在的結果についての仮定)である。伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。

この仮定が崩れると「RDデザイン」は成立しません。しかしこの仮定を実証することは不可能です。なぜなら境界線で自己負担率が変化しない場合のデータがないからです。従って分析者は「この仮定は正しいはずだ」という議論を展開することになります。つまり仮定が崩れる場合はどういう場合か、それを想定し、それが起こらないという議論です。本書では仮定が崩れる2つのケースが言及されています。

一つは、70歳を境に自己負担率以外の何らかの要素が不連続的にジャンプし、それによって外来患者数がジャンプする可能性です。外来患者数に影響が考えられるのは就業率、収入、労働時間、年金支給額などですが、これらは年齢に伴って連続的に低下していくので、ジャンプするということはありません。重岡仁助教授は月齢ごとの就業率が連続的に低下していくことをデータで示しています。また70歳の誕生日を境に不連続的に変わる日本の政策は医療費の自己負担率しかないことも論文で示しています。

仮定が崩れる2つ目のケースは、データの対象となっている主体(この場合は医療サービスを受ける人)がグラフの横軸(=年齢)を操作できる場合です。つまり60歳台にもかかわらず70歳だと偽って医療サービスを受けることが可能な場合です。これも、日本の健康保険制度では年齢を偽ることは難しいため(健康保険証を偽造する ??!!)、仮定が崩れることはありません。



RDデザインで注意すべき点は、そこで出た結果は境界線の前後でしか当てはまらないと考えるべきことです。つまり「医療費の自己負担率が30%から10%に減少すると、外来患者数は約10%上昇する」のは70歳前後の人たちに言えることであって、40歳台、50歳台でそうなるかどうかは分かりません。本書には伊藤氏のコメントとして、最近の経済学研究では医療価格に対する反応度は年齢によって違うことが書いてあります。


自己負担率と外来患者数の分析への疑問


以降は本書の「自己負担率」のくだりを読んだ感想です。この項を読みならずっと疑問がつきまとっていました。「RDデザインの仮定」のグラフについての疑問です。つまり、もし仮に70歳を契機に自己負担率が下がらないとしたら、外来患者数は伊藤氏のグラフ(上図の点線)ではなく、下図の点線ように変化すると思うのです。70歳を境にジャンプすることがないのは上図と同じです。しかし自己負担率が下がらないのなら、70歳に近い60歳台の外来患者が増えると思うのですね。

RDデザインの仮定(修正案).jpg
RDデザインの仮定(修正案)
実線は実際のデータ。点線は「70歳で自己負担率が変化しないとしたらこうなったはず」という仮定の修正案。70歳以降に先送りされた治療が、60歳台後半に前倒しされると考えられる。

どうしてかと言うと、

  70歳を境に医療費の自己負担率が下がる場合、年齢とともに徐々に顕在化する体の機能低下や不具合の治療が70歳以降に集中するはず

だからです。つまり緊急を要しない治療は、不便を我慢しても70歳まで待つと思われるのです。「駆け込み需要」という言葉は消費税が上がる前に高額商品を買うような行為を言いますが、これとちょうど正反対の、言わば「先送り需要」が現実に医療サービスで起こっているのではないでしょうか。70歳を境に医療費の自己負担率が下がるのが公知の事実なのだから・・・・・・。

すぐに思いつくのが白内障の手術です。白内障は水晶体が徐々に濁ってきて視力が低下する "病気" で、加齢によって誰にでも起こりうるものです。白内障の手術は水晶体を人工レンズに入れ替えますが、現在の日帰り手術費用は、3割負担の場合で片眼で約6万円程度です(手術のみの費用で前後の診察を含まない)。両眼だと約12万円です。これが1割負担だと約4万円になるわけで、この差の8万円は大きいと思います(2割負担だと差は4万円)。たとえば68歳で医者から白内障と診断されて手術を勧められた人の何割かは、不便を我慢して70歳まで手術を先送りするのではないでしょうか。今まで我慢してきたのだから ・・・・・・。

ほかにも医療サービスにおける「先送り需要」はいろいろと考えられます。関節の変形による膝の痛み(変形性膝関節症)は加齢により進行しますが、運動や薬の投与で治癒しない場合は手術ということになります。人工関節を入れる手術は医療費が200万円程度かかります。高額医療費制度を利用したとしても、3割負担と1割負担の差は白内障手術どころではないでしょう。70歳まで待って手術ということにならないでしょうか。

最も一般的な加齢現象は高血圧(加齢性)です。血圧が高いと良いことがないので、医者は運動を勧め塩分を控えるように指導しますが、病院・医院を定期的に訪れて血圧降下剤の処方箋をもらう人も多いはずです。これも「70歳を契機に」とはならないか。保険の対象となる入れ歯(義歯)もそうです。"大がかりな" 義歯は1割負担になってからという心理が働かないでしょうか。

ここで想定した先送り需要は、もし70歳を境に医療費の自己負担率が下がることがないとすると60歳台後半に前倒しされると思います。全部とは言わないまでも、眼が見えにくい、膝が痛む、モノが食べにくいといった "生活に支障を感じる症状" はそうだと思うのです。だとすると「医療費の自己負担率が30%から10%に減少することで、外来患者数は約10%上昇した」という結論の、10%のところが怪しくなります。

本書はこのことの検討が欠落しています。少なくとも先送り需要について言及し、その影響は外来患者全体からみると無視できる程度に小さいという説明が必要だと思いました。「無視できる程度に少ない」ことをデータで実証するのは難しいでしょうが、70歳で病院を訪れた患者にインタビュー、ないしはアンケートをすれば大体の様子は推測できると思います。「医療費の自己負担率と外来患者の因果関係」を発表した重岡助教授も、その論文を本書で紹介した伊藤助教授もアメリカ在住の経済学者です。公的データの分析を越えた現場調査には限界があったのかもしれません。


因果関係を見極める重要性


本書には以上に紹介した手法以外に、自然実験の手法である「集積分析」や「パネルデータ分析」が紹介されていますが、割愛したいと思います。また本書には各手法の長所・短所が明記されていて、データ分析の限界もちゃんと書かれています。このあたりはバランスがとれた良い本だと思いました。

因果関係を見極めることは、特に国や自治体の政策決定や企業の方針決定にとっては重要です。思い返すとその昔、地域振興券というがありました(1999年)。バブル崩壊後の消費を活性化するために公明党の主張によって(自民党がそれに乗って)導入されたものですが、その後の内閣府の調査では消費を押し上げる効果はほとんど無かったとされています。地域振興券による消費分が貯蓄に回ったわけで、国民はバカではないのです。結局のところこれは公明党の人気取り政策であり、天下の愚策(=当時の内閣官房長官の野中広務氏)だった。その結果として国の財政負担を増やし、その分だけ国債の発行額=財政赤字を増やしました。

こういった「バラマキ政策」と「消費拡大」の因果関係は、経済学者が研究してちゃんと発言すべきものでしょう。本書に紹介されている例に2008年のアメリカの景気刺激策があります。つまり「燃費の悪いクルマから良いクルマに買い換えたら40万円の補助金を出す」という政策です。「燃費」というのは "飾り" であって、要するにクルマを買い換えたら40万円出すということです。アメリカのプリンストン大学のチームは、この政策は駆け込み需要を増やしたけれども、その後の需要が落ち込み、全体として景気刺激効果はなかったと分析しています。

要するに、国や政府レベルでも「怪しい因果関係論」があるわけです。我々としては「因果関係」の主張に対してまず、本当なのか、実証されているのかと疑ってみるべきでしょう。




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No.221 - なぜ痩せられないのか [科学]

No.178「野菜は毒だから体によい」で、なぜ野菜を食べると体に良いのかを書きました。野菜が体に良いのは各種のビタミンや繊維質、活性酸素を除去する抗酸化物質などが摂取できるからだと、我々は教えられます。それは全くその通りなのですが、No.178に書いたのは野菜には実は微量の毒素があり、それが人間の体の防衛反応を活性化させて健康につながるという話でした。微量毒素は "苦い" と感じるものが多く、ここから言えることは、苦みを消すような品種改良は "改良" ではなくて "改悪" だということです。

この話でも分かることは、人間の体の仕組みにはさまざまな側面があり、それを理解することが健康な生活に役立つということです。No.119-120「不在という伝染病」で書いたことですが「微生物に常に接する環境が人間の免疫機能の正常な働きを維持する」というのもその一例でしょう。

今回はそういった別の例を紹介します。肥満の原因、ないしは "なぜせられないのか" というテーマについての研究成果です。日本ではBMIが25以上で肥満とされていますが、肥満は糖尿病、高血圧、心臓病などの、いわゆる生活習慣病を誘発します。従ってダイエット方法やダイエット食に関する情報が世の中に溢れているし、ダイエット・ビジネスが一つの産業になっています。

なぜ肥満になるのか。その第1の原因は消費エネルギーが摂取エネルギーより小さいからです。その差がグリコーゲンとして肝臓に蓄えられ、また体の各所の細胞や脂肪細胞に蓄えられる。簡潔に書くと、

 ◆肥満の原因
   出力(Output) < 入力(Input)
  (消費エネルギー < 摂取エネルギー)

で、これは物理学で言う熱力学の第1法則(エネルギー保存の法則)と同じです。つまり肥満は出力(消費エネルギー)が少ないか、入力(摂取エネルギー)が多いか、あるいはその両方が原因です。肥満を解消するためには、このエネルギーバランスの崩れを解消すればよいのですが、そのためには人間の体の仕組みについての理解が必要です。以下に、まず人間の消費エネルギーはどうやって決まるのかについての科学的知見を紹介します。消費エネルギーを増やすには身体活動量を増やせばよく、そのためには運動をすればよいと考えるのが普通ですが、そうとも言えないようなのです。


人間の消費エネルギー


人間は安静にしているときにもエネルギーを消費していて、これを「基礎代謝」と呼んでいます。基礎代謝量は成人男性で 1500 kcal 程度、成人女性で 1200 kcal 程度ですが、体重や年齢によって変化します。またトレーニングによって筋肉が増えると基礎代謝もその分増えるということもあります。

一方、人間の活動による代謝を「活動代謝」とよび、これは活動の種類によって千差万別です。その他に食物摂取による代謝の増加があります。これら全てを含めて、人間はどの程度のエネルギーを消費しているのでしょうか。現代ではそれが精密に測定できるようになってきており、その結果はちょっと意外なものです。

以下は「日経サイエンス」に掲載された、アフリカの狩猟採集民族・ハッザ族の消費エネルギーの測定結果を紹介することが目的ですが、その前提として消費エネルギーをどうやって測定するのかをまず説明します。


消費エネルギーの測定方法


消費エネルギーを測定するには "燃料" を燃やす酸素に注目し、酸素摂取量を測定して消費エネルギーを計算します。そのためには被験者を密閉された実験室に入れ、呼吸に含まれるガスを精密に測定すればよいわけです。

しかしこの方法だと被験者を日常生活から切り離して実験室に拘束しなければなりません。狩猟採集生活のエネルギー消費の測定などとてもできない。そうではなくて、日常生活状態でのエネルギー消費量を測定できないのか。その目的のために「二重標識水法」が開発されてきました。これが現代における標準的な手法です。

二重標識水法では二酸化炭素の排出量を測定します。そこから酸素摂取量が分かるからです。そして酸素摂取量が分かればエネルギー消費量がわかる。この方法で使われるのが「同位体」です。

たとえば酸素(O)は陽子数8、中性子数8の、原子量16が普通です。しかし中性子数が違う酸素原子も存在し、それが同位体です。同位体には放射線を出して崩壊するもの(放射性同位体)があります。有名なのが炭素14(14C)で、その半減期は約6000年です。この性質を利用し、普通の炭素(炭素12)との比を計測して考古学上の年代測定に使われます。

一方、安定した同位体(=安定同位体)もあり、安定同位体は自然界に一定の比率で存在しています。酸素(O)だと、原子量16の 16O 以外に、17O(酸素17)、18O(酸素18)が安定同位体です。自然界における存在比率は、16O:17O:18O = 99.759% :0.037%:0.204% です。

同様に、原子量1の水素には原子量2の安定同位体(=重水素)があり、自然界の存在比率は、1H:2H = 99.9844%:0.0156% です。

二重標識水法では、2H(重水素) と 18O(酸素18)でできた水、2H218O を用います。これを二重標識水と呼びます。つまり水素と酸素の2つに同位体の標識がついた水という意味です。

一般的に行われている測定では、まず被験者に二重標識水を飲ませます。これは飲料水に混ぜてもよく、とにかく飲んだ二重標識水の量が厳密に分かることが重要です。二重標識水は体内に入り、あるものはそのまま水として体内に残り、またあるものは代謝(化学反応)によって水素と酸素が分離されて他の物質の一部となっていきます。4時間後に二重標識水は体内に行き渡り、それまでの体内物質と平衡状態になります。この間は被験者に飲食を禁止します。

この4時間後に被験者の尿サンプル(唾液でもよい)を採取し、さらに1日後(測定開始)、8日後(測定終了)の尿サンプルを採取します。8日後と書いたのは1週間の平均消費エネルギーを測定する場合であり、測定目的に応じてサンプルの採取頻度を設定します。たとえば毎日の消費エネルギーをみたいのであれば、サンプルを毎日採取します。最長、2週間後までの測定が可能です。

これらのサンプルをIRMS(Isotope Ratio Mass Spectrometer。同位体比質量分析計)という装置を使って、含まれる原子の質量の比率を測定します。これは同位体の比率を分析できる質量分析装置です。被験者が飲んだ二重標識水に含まれる水素は100%が 2H でしたが、4時間後のサンプルではもともと体内にあった1H と混ざって薄められています。その "薄まり具合" から逆に、体内にどれだけの水があったかという「総体水分量」が分かります。平均的には体重の60%が水だと言われますが、それが被験者ごとに正確に測定できるわけです。

次に1日後と8日後のサンプルの 2H(重水素)と 18O(酸素18)をIRMSで測定します。8日後の方が圧倒的に量が少なくなります。その1週間の間の被験者の活動で、尿や汗や呼吸の中に重水素や酸素18が混じって排出されてしまうからです。しかしその "少なくなり具合" は酸素18の方が大きい。なぜなら、酸素18は尿・汗・呼吸時の水蒸気で水 H218O として排出され、かつ二酸化炭素 C18O2 として呼吸でも排出されます。しかし重水素は尿・汗・呼吸時の水蒸気から水 22O として排出されるだけだからです。

この "少なくなり具合" の差から 18O が関係する二酸化炭素の排出量が計算でき、それと総体水分量から全体の二酸化炭素排出量が分かります。そこから初めに述べたように酸素消費量を計算し、そしてエネルギー消費量が計算できます。

これは大変巧妙な方法です。この方法だと被験者の負担は二重標識水を飲むことと、数回の尿(ないしは唾液)のサンプル採取です。それ以外は普段通りの生活や活動をしてよい。スポーツをやっても狩猟採集をやってもOKです。まさに日常生活における消費エネルギーを計測する理想的な方法です。実は二重標識水の価格が下がり、二重標識水法が広まってきて初めて、人間の消費エネルギーについての新たな(意外な)知見が得られてきました

IRMS(Thermo Fisher Scientific).jpg
同位体比質量分析計(IRMS)
Thermo Fisher Scientific社製。地質年代の特定などにも使われる。安定同位体の存在比率は地球上の場所によって微妙に違うので、これを利用して農作物の原産地の推定も可能である。


ハッザ族の消費エネルギー量


ここからが本題です。日経サイエンス 2017年4月号に、アフリカのタンザニア北部のサバンナ地帯に暮らす狩猟採集民・ハッザ族の日常生活状態での消費エネルギーを二重標識水法で測定した結果が掲載されました。なぜハッザ族なのかと言うと、著者のハーマン・ポンツァー(ニューヨーク市立大学)が人類学者だからです。ヒトが誕生してから200万年だとすると、農業は高々1万年前からだし、近代的な都市生活はわずか数世代の歴史しかありません。ヒトはそのほとんどの進化の過程で狩猟採集の生活であり、そのライフ・スタイルに最も近いアフリカの狩猟採集民を調査して都市生活者と比較しようというのが主旨です。

ハッザ族の生活は肉体的に厳しいものです。著者の記述を引用してみましょう。


ハッザ族の生活は肉体的にきつい。女たちは毎朝、小さなキャンプの草の小屋を出て、ある者は赤ん坊を背負いながら、野イチゴなどの食物を探しに行く。ハッザ族の主食は野生のイモで、女たちは石だらけの土から何時間もかけて棒でそれらを掘り出す。男たちは手製の弓矢を携えて狩りに出かけ、毎日何kmも獲物を探し回る。獲物が少ないときは、地上10mを超す木の枝に簡単な手斧をふるって蜂蜜を獲る。子供たちもキャンプから2km近く離れた水場から桶で水を汲んでくる。

午後遅く、人々はキャンプにゆっくりと戻り、地べたに座り、小さなたき火を囲んでその日の収穫を分け合い、子供たちの面倒を見る。乾期も雨期もこうして毎日が過ぎていく。何千年も前からずっとそうだ。

失われた楽園の生活を想像するかもしれないが、そんなに甘くはない。狩猟と採集は頭を使うし危険を伴う。カロリーを賭けたいちかばちかの勝負であり、失敗は死を意味する。男たちは獲物を仕留める期待に賭けて、狩りと追跡に毎日多くのカロリーを費やす。スタミナと同時に知恵も不可欠だ。多くの捕食動物はその速さと力で獲物を仕留めるが、人間は獲物の裏をかき、その行動習性を考え、手がかりを探る必要がある。それでもハッザ族の男たちがキリンのような大きな獲物をものにできるのは月に1回ほどに過ぎない。

女たちが地元の植物に関する百科事典的な知識を用いて細やかな補完戦略を実行し、毎日の安定した収穫物を持ち帰らなければ、ハッザ族は餓死してしまう。この複雑で協力的な食料集めこそ人類が比類のない成功を収めた理由であり、ヒトを他の動物とは異なる独特の存在にしている核心だ。

ハーマン・ポンツァー
(ニューヨーク市立大学)
「運動のパラドックス:なぜやせられないのか」
(日経サイエンス 2017年4月号)

ハッザ族.jpg
ヒヒ狩りから帰るハッザ族の男たち。女たちは野生のイモを掘り、それが主食となる。
(日経サイエンス 2017年4月号)

日経サイエンス 2017年4月号.jpg
著者のポンツァーはハッザ族と生活をともにしながら彼らの消費カロリーを測定するためのサンプルをとります。日経サイエンスの記事には、前日に毒矢で射て逃げたキリンを、朝から夕方までハッザ族の男たちと一緒にサバンナを探しまわる様子が記述されています。

このようなハッザ族の生活を考えると、狩猟採集民は都市生活者より多くのエネルギーを費やしているのは自明だと思われます。人類学者も公衆衛生学者もそう考えてきました。著者もそうでした。そもそも著者がハッザ族の消費エネルギーを測定しようとした動機の一つは、ハッザ族に比べて都市生活者がいかに不十分なエネルギー消費をしているかを証明しようとしたからです。ところが測定の結果は意外なものでした。


私たちがハッザ族の代謝量を測定した動機の1つは、ハッザ族に比べ欧米人が日常生活で消費しているエネルギーがいかに不十分かを明らかにすることだった。暑くて埃だらけの現地調査から帰国した私は、ハッザ族の尿サンプル入りの瓶を心を込めてドライアイス詰めにし、国内有数の二重標識水法検査ラボがあるベイラー医科大学へ送った。桁はずれな大きなカロリー消費量が明らかになるだろうと思っていた。

ところが奇妙なことになった。送り返されてきた結果は、ハッザ族が他の人々と同じであることを示していた。ハッザ族の男性は1日に約2600kcal, 女性は約1900kcalを摂取・燃焼しており、これは欧米の成人と同じだ。私たちは体格や体脂肪率、年齢、性別など考えうるすべての要因をチェックしたが、それでも同じだ。どうしてこんな結果になりうるのか? 私たちは何を見逃しているのか? あるいは人間の生物学と進化について私たちは何かを誤解しているのか?

(同上)

もちろん「ハッザ族と欧米の成人の消費エネルギーは同じ」という結果は正しかったのです。実は二重標識水法の普及にともなって「身体をよく動かしている人が、より多くのカロリーを燃やしている」という、何の疑いもなく自明に思えることとは矛盾する実測データが報告されるようになったのです。著者は次のような例をあげています。

グアテマラとガンビア、ボリビアで昔ながらの農耕生活をしている人々を調べた結果、これらの人々のエネルギー消費が都市生活者とほぼ同じであることが示された。

ナイジェリアの地方部に住む女性とシカゴ在住のアフリカ系アメリカ人は、身体活動レベルが大きく違うにもかかわらず、毎日のエネルギー消費は同じだった。

ハッザ族の測定結果は「晴天の霹靂」ではなかった、それは「長年に渡って雲行きが悪化してきたときに空から落ちてきた雨粒」だと、著者は表現しています。



身体活動の程度とエネルギー消費はどういう関係にあるのか。ハッザ族の結果のフォローアップのため、著者はアメリカの300人の被験者に加速度計をつけてもらって身体活動量を計測するとともに、二重標識水法で毎日のエネルギー消費を測定しました。


この結果、加速度計で追跡した毎日の身体運動と代謝との関係はごく弱いことがわかった。カウチポテト生活の人は平均して、そこそこ活動的な人(週1回は運動し、努めて階段を使うようにしている人)と比べて、毎日の消費エネルギーが約200kcal少なかった。だがより重要なことに、身体運動のレベルが上がるにつれエネルギー消費は頭打ちになった。最も激しく身体を動かす日常を送っている人の1日のカロリー燃焼量は、そこそこ活動的な人と同じだった。ハッザ族のエネルギー消費を他の人々と一致させているのと同じ現象が、この調査研究の被験者の間にも明らかに見てとれる。

(同上)


なぜ身体運動とエネルギー消費の関係は弱いのか


ここで疑問が生じます。運動そのものに必要なエネルギーは、体格が同じであれば同じです。たとえばハッザ族の成人が1km歩くのに燃やすカロリーは欧米人と同じです。それにもかかわらずハッザ族はあまり運動をしない欧米人とトータルのエネルギー消費量が同じです。なぜ運動に多くのカロリーを振り向けられるのでしょうか。その理由はまだ明確ではありません。しかし著者は2つの可能性をあげています。第1の可能性は次です。


運動レベルの高い人は行動をわずかに変えることによって、たとえば立つのではなく座るとか熟睡するなどによって、エネルギーを節約している可能性が考えられる。だが私たちのデータは、そうした行動の変化が寄与している可能性はあるものの、毎日のエネルギー消費の不変性を説明するには不十分であることを示している。

(同上)

著者も書いているように、これですべては説明できないようです。もう一つの可能性は大変興味深いものです。


別の興味深いシナリオとして、人体が目立たない日常業務に費やしているカロリーを節約することで、身体運動にあてる余力を生み出している可能性が考えられる。細胞や臓器が生きていくのに必要な日常の保守業務は多くのエネルギーを食っており、この部分を節約すれば日々のやりくりに余裕が生まれ、1日あたりの総カロリー消費を増やさなくても身体運動にエネルギーを振り向けられるだろう。

例えば運動すると、免疫系が発動する炎症反応が弱まる場合が多いほか、エストロゲンなどの生殖ホルモンのレベルが下がる。実験動物の場合、日々の運動量を増やしてもエネルギー消費に影響はなく、その代わりに排卵周期が遅くなり、組織修復も鈍くなる。( - 中略 - )人間も他の生物も、毎日のエネルギー消費を抑えて維持するためにいくつかの戦略を進化させたようだ。

(同上)

人間の意志とは無関係に体内で起こるエネルギー消費を基礎代謝と呼ぶとすると、運動による活動代謝が増えると、基礎代謝が減る。そのことで全体のエネルギー消費がほぼ一定に保たれる。人間の体はそういう風にできている、ということです。


肥満の原因は運動不足より過食


以上の研究結果から、肥満の原因は運動不足より過食だということがわかります。よく言われるように、不健康な食事の悪影響は運動では消せないし、減量を期待して少々スポーツジムに通っても(効果がないことはないが)あまり効果がないのです。

もちろん、運動は健康のためには非常に重要です。運動が循環器系から免疫系、脳機能までに良い影響を及ぼすことはよく知られている通りです。足の筋肉を鍛えることは膝の機能を正常に保つことになるし、健康に年を重ねるにも運動が大切です。さらに、引用してきた論文の著者のポンツァーは興味深い指摘をしています。


私は実際、運動が健康を保つのは、身体活動に対する代謝の適応が進んだ結果、長期化すると悪影響を生む炎症などの活動にエネルギーが費やされるのを防いでいるのが一因ではないかと考えている。そうした慢性の炎症は心血管疾患や自己免疫疾患に関連づけられている。

(同上)

炎症とは、外傷、打撲、化学物質、病原体の進入などで体が何らかの組織異常を起こしたとき、その異常状態から回復するための仕組みです。しかし組織異常から回復したにもかかわらず炎症が続くことがある。そうすると心血管疾患や自己免疫疾患などのまずい事態につながる可能性があるわけです。

炎症反応を起こすにもエネルギーが必要ですが、そのエネルギーは基礎代謝の範疇のものです(ここでの基礎代謝は "人間の意志とは無関係に起こるエネルギー消費" の意味)。しかし運動で活動代謝が増えると基礎代謝に振り向ける量が減り、そのことで過剰な炎症反応が抑えられる。上の文章はそのことを言っています。あくまで著者の考え(推測)のようですが、いかにもありそうな話だと思います。



ちょっと余談ですが、「自己免疫疾患」という言葉で直感することがあります。このブログでヒトの免疫系の仕組みを書きました(No.69-70「自己と非自己の科学」No.122「自己と非自己の科学:自然免疫」)。免疫は「非自己 = 病原菌・異物など」から「自己」を守る仕組みです。その免疫系が「自己」を攻撃してしまうのが自己免疫疾患です。No.119-120「不在という伝染病」で書いたのは、微生物が不在の清潔すぎる環境が自己免疫疾患のリスクを高める(仮説)ということでした。

常に微生物に接している環境においては、免疫系は微生物との戦いにエネルギーを使っています。ところが微生物が不在だとエネルギーが「自己」に向かってしまう。しかし常に運動をしているとエネルギーは活動代謝で消費され、免疫系は正常に機能する・・・・・・。著者が書いている炎症反応はヒトの免疫系の重要な機能であり、運動が過剰な炎症反応を抑えるなら過剰な免疫反応も抑えるのでは、と想像しました。

ヒトは200万年のあいだハッザ族のような運動・活動環境で進化してきたわけです。ヒトにとって運動は、趣味やストレス解消を越えたもっと本質的なものではないか。そんなことを思いました。



本題に戻って、以上の人間の消費エネルギーを研究してきた著者の結論は次です。


科学的根拠は食事と運動を別の健康法と考えるのが最善であることを示している。健康と元気を保つには運動がよく、体重を管理するなら食事を重視することだ。

(同上)

RIZAPに、たとえば30万円払って減量に成功したとしたら、効果から考えた費用の大半は食事指導料であって、完全個室のジムでのトレーニング料はわずか、ということになります。食事指導料の30万円が高いか安いかは人の判断によると思いますが・・・・・・。


カロリー神話


では、食物によるエネルギー摂取を適正に保つにはどうすればよいのか。これはもちろん1日分の必要エネルギーに相当するカロリーを摂取すればよいわけです。ファミレスなどの全国チェーンのレストランのメニューではメニューごとにカロリーが明記してあることがあります。企業や大学の食堂メニューにもそういうのがある。これは必要カロリーを意識しながら食事をする人のためです。

アトウォーター係数というのがあります。炭水化物、タンパク質、脂肪のそれどれからどれだけのカロリーが取り出せるかという値で、

  炭水化物 1g  4 kcal
  タンパク質 1g  4 kcal
  脂肪 1g  9 kcal

というものです。確か学校で習うと思うので、アトウォーターという名前は知らなくても係数を知っている人は多いでしょう。普通カロリー計算というと、食物に含まれる炭水化物、タンパク質、脂肪の重量からアトウォーター係数を使って総カロリーを求めます。この数値にもとづき、ダイエットにいそしむ人は1日の必要カロリーだけの食事をとるように心がけます。ただし、食物から実際に摂取できるカロリーは単純な係数の掛け算だけでは決まりません。食物の消化の容易性、食物の加工度合い、調理方法などで変わりますが、その話はここではさておきます。

では "肥満は摂取カロリーだけで決まる" のでしょうか。そうではないと主張するのが、肥満の原因は炭水化物の過剰摂取だとする「炭水化物説」です。つまり、炭水化物を摂取すると血液中のブドウ糖(グルコース)の値(=血糖値)が上昇し、膵臓からインスリンが分泌される。インスリンは肝臓や筋肉、臓器、脂肪細胞にグルコースを蓄えるように働き、血糖値が下がる。このインスリンの作用で脂肪細胞に過剰に蓄積されたエネルギーが肥満の原因だとするのが「炭水化物説(ホルモン説)」です。いわゆる「低炭水化物ダイエット」「低糖質ダイエット」はこの理論にもとづいています。

肥満の原因はカロリーなのか炭水化物なのか。その両方だとしたら、どちらが主因なのか。炭水化物説が有力だと思いますが、科学的な最終決着はまだついていないようです。この炭水化物と肥満に関連して、日経サイエンス 2017年12月号に「カロリー神話の落とし穴」という研究報告があったので、以下にそれを紹介します。炭水化物説を補強する内容です。この記事の著者は米国・タフツ大学の教授(スーザン・ロバーツ)と教官(サイ・クルパ・ダス)で、いずれもエネルギー代謝研究の専門家です。記事のタイトルのカロリー神話とは「摂取カロリーが同じなら体重の増減は同じ」という "神話" を言っています。


脳が生む食欲


タフツ大学の研究のポイントは人間の食欲を生む脳の働きです。体重管理のためには、食欲に関係した脳の働きを知る必要があります。


脳が体内の様々な生理センサーからの信号をまとめ、食物の存在を私たちに知らせる重要な役割を果たしていることが、多くの研究で実証されてきた。脳は食物の存在を受けて空腹感と食欲を生み出し、私たちを食べるように仕向ける。

言い換えると、空腹感の役割は私たちを生き続けさせることだった。だから、空腹感に正面から逆らってもだめだ。体重管理を成功に導くカギは空腹感との戦いではなく、空腹感や衝動の発生をそもそも防ぐことにある

スーザン・ロバーツ
サイ・クルパ・ダス
(米国・タフツ大学)
「カロリー神話の落とし穴」
(日経サイエンス 2017年12月号)

日経サイエンス 2017年12月号.jpg
以下にブドウ糖(グルコース)の話が出てくるので復習しますと、食物は小腸で消化され、主に炭水化物からブドウ糖が生成されます。ブドウ糖は血液の中を循環して(=血糖)体内の細胞に取り込まれ、人間の主要なエネルギー源となります。特に脳はブドウ糖だけがエネルギー源です。肝臓はブドウ糖をグリコーゲンに変換して蓄え、再びブドウ糖を生成して血液に放出する働きをします。

膵臓で作られるインスリンは血糖を肝臓や脂肪細胞に取り込む作用をし、その結果、血糖値が下がります。インスリンの量が少ないと(ないしはインスリンが分泌されてもその効果が低い体質=インスリン抵抗性だと)血糖値が高い状態が続き、体にさまざまな悪影響を及ぼします。これが糖尿病です。以下の説明では、この血糖値が脳が感じる空腹感と密接に関係していることが書かれています。


私たちのグループを含む複数の研究者が実施した実験から、タンパク質や食物繊維が豊富な食事、もしくは血糖(グルコース)値の急上昇を起こさない食事は一般に満腹感が強く、空腹を抑えやすいことが示された(血中グルコースはタンパク質からも作られるが、炭水化物由来のものが最も多い)。

私たち著者の1人(ロバーツ)は2000年に発表した総説で、血糖値を上げる度合いを示す指標「グリセミック指数(GI値)」が高い朝食(加工されたシリアルなど)を食べた場合は、低グリセミック指数の朝食(ひき割りオートミールやスクランブルエッグなど)を摂ったときに比べ、その後数時間に摂取するカロリーが 29% 多くなることを指摘した。

(同上)

日経サイエンスには、低GI値、中GI値、高GI値の3種類の朝食を用意し(カロリーはすべて同じ394kcal)、肥満の少年10人で実験した結果が載っています。朝食以降、その日のうちに何カロリーを摂取したかを調べると、明らかに高GI値の朝食をとるとその後のカロリー摂取が増えるという結果になっています。

グリセミック指数と摂取総カロリー.jpg
同じ394kcalであるが、低GI値、中GI値、高GI値の3種類の朝食を用意する。肥満の少年10人で調べてみると、高いGI値の朝食をとるほどその日のカロリー総摂取量が増える。赤はタンパク質、黄色は脂肪、青は炭水化物のカロリーを示す。中GI食と高GI食で炭水化物が占めるカロリー(青)はほぼ同じであるが、高GI食のインスタントのオートミールの方がグリセミック指数が高い。
(日経サイエンス 2017年12月号より)


グリセミック指数(Glycemic Index。GI値)


ここで出てきた「グリセミック指数」とは食物を摂取したときに、それがどれだけ血糖値を上げるのに寄与するかという値です。これは食物ごとに違い、同じ量の炭水化物(たとえば50g)が含まれるだけの食物を摂取して測定します。食事後、血糖値は上昇して下降し、2時間程度でもとの値に戻ります。この上昇と下降の過程を調べます。下図は横軸が時間、縦軸が血糖値(血液中のグルコース濃度)で、曲線と横軸で囲まれた面積からグリセミック指数を計算します。純粋なグルコースを摂取したときの面積を100とし、それとの比較で指数化します。

Glycemic Index.jpg
食物を摂取してから2時間の血糖値を模式的に書いたもの。赤が高GI値の食物、オレンジが中GI値、緑が低GI値。
(site : www.fuelingforhealth.com)

食物によってグリセミック指数は違います。高GI値の食物は血糖値が急上昇し、ピークが高く、早めに下降します。低GI値の食物は、血糖値が徐々に上昇し、ピークは低く、下降も緩やかです。

食物に純粋な炭水化物・脂肪・タンパク質というものはありません。一般にはそれらの複合体であり、また物理的な組成が違います。同じ炭水化物といっても、デンプンと食物繊維のように物理的な形態はさまざまであり、それによって消化・吸収の度合いや速度が違います。また同じ食材でも調理方法や加工方法、加工の度合い、加熱するかどうかによってもGI値が違ってきます。食物のGI値を各種のサイトからまとめると次のようです。

GI値の低い食物(55以下)
  タンパク質が豊富な食物(魚貝類、肉類、肉加工品、豆類、納豆、豆腐、豆類加工品、卵、牛乳、乳製品、ヨーグルト、など)。また、食物繊維が豊富な食物(ほとんどの野菜、海草、果物、全粒穀物、小麦ブラン、ナッツ類、など)。

GI値が中程度の食物(55-70)
  そうめん、そば、ライ麦パン、玄米、五穀米、パスタ、サツマイモ、など

GI値の高い食物(70以上)
  食パン、白米、うどん、もち、もち米、ビーフン、コーンフレーク、シリアル、ジャガイモ、カボチャ、ヤマイモ、チョコレート、ドーナツ、ショートケーキ、など

主食である穀物(米、小麦)で言うと、全粒穀物ほどGI値は低くなります。白米は高いが、玄米は低い。食パンは高いが、ブラン(小麦ふすま。小麦の外皮)は低い。そういう傾向にあります。また糖分は代表的な炭水化物ですが、果物の糖分の多くは果糖(フルクトース)であり、GI値は低めに出ます。野菜はほとんどが低GI値ですが、根菜類は高めです。

GI値はもともと糖尿病患者の食事制限のために考えられたようですが、一般にも広まってきました。その例が、低GI値の食物を摂取する「低インスリン・ダイエット」です。高GI値の食物を食べて血糖値が急に増大するとインスリンも大量に分泌されます。この結果、血糖が体脂肪として蓄積されやすくなります。低GI値の食物はインスリンの分泌も低く、脂肪が蓄積されにくい。この点に注目したのが低インスリン・ダイエットです。



上に引用したタフツ大学の結果は「GI値の低い食物を摂取すると血糖値が比較的長い時間一定の上昇レベルに保たれ、そのことで空腹感が抑えられ、カロリーの過大摂取になりにくい」ということです。いわゆる「腹持ちのよい食事」ということでしょう。さらにタフツ大学では133人の被験者を使って、摂取食物と空腹感の関係を調べる実験を行いました。


私たちのチームは最近、適切な食物を選ぶことで減量中の空腹感を減らせることを示す最初の予備的データなデータを得た。

実験ではまず、133人の被験者に空腹感をどれぐらいの頻度で、いつ、どの程度の強さで感じるかに関する詳細なアンケートに答えてもらってから、2つのグループに無作為に振り分けた。タンパク質と食物繊維が豊富でグリセミック指数の低い食事(魚、豆、リンゴ、野菜、グリルドチキン、小麦粒など)に重点を置いた減量プログラムに参加する組(引用注:=実験群)と、実験参加の "順番待ち" をする対照群だ。

注目すべきことに、実験群の人たちは6ヶ月間に空腹感が実験開始の水準より低下したと述べた。違いは体重計にも現れた。実験終了時に実験群の人たちの体重は平均で8kg減っていたが、対照群では0.9kg増えていた。

同じく興味深いのは、実験群の人たちが食事を渇望する頻度が減ったことだ。これは、脳が何に満足を感じるかが変わったことをうかがわせる。

そこで15人の被験者に様々な食物を写真を見せながら脳画像を撮影した。この結果、実験群の人たちは実験が進むにつれ、グリルドチキンや全粒小麦パンのサンドイッチ、高繊維シリアルの写真に脳の報酬中枢がより強く反応するようになった。一方でフレンチフライやフライドチキン、チョコレートなどの太りやすい食物の写真への反応はしだいに弱まった。

(同上)

実験の詳細が書いてないのですが、まとめると「低GI値の食事メニューを半年間食べ続けると体重が平均8kg減ったとともに、脳が低GI値食物により強く反応するようになった」となります。

このタフツ大学の結果は「低インスリン・ダイエット」と基本的に同じです。また糖質制限や低炭水化物ダイエットと大筋では同じと言えるでしょう。ただし次の点に意義があると思います。

単に炭水化物を制限するのではなく、血糖値を急激に上げる炭水化物の制限を勧めている。肥満解消のためには血糖値を上げない炭水化物が重要としている。

人間の脳の反応(空腹感の発生、嗜好の変化)と肥満を関連づけ、科学的な実験で実証している。


適正体重を保つ


適正体重を保つ(ないしは肥満を解消する)という観点から今までの "まとめ" をすると、まず

運動は、体重減の効果が限定的

ということです。運動は、適正な体重を保つ以外の健康面でのメリットのために行うと考えるべきです。さらに食事の観点からは、

栄養のバランスを考えて、適正なカロリー量を摂取すべき

そのときに食物の種類を考慮すべき(高タンパク質・高食物繊維・低GI値の食事)

の2点でしょう。世の中にはダイエットに関する情報が溢れていて、ダイエット食などのダイエット産業も盛んです。その中には根拠が曖昧なものや、単なる個人の経験談も多いわけです。今回紹介した日経サイエンスの記事は、結論だけをとると常識的かも知れませんが、いずれも科学的な実験・実証を行って結論に至るエビデンスを集めています。そこに意義があるでしょう。

我々は科学的根拠にもとづいた情報を選別し、健康に生きるすべを自らの意志で選択すべだと思います。


アフリカの狩猟採集民とグリセミック指数


ここからは日経サイエンスの記事を読んで思ったことです。今回引用したのは「アフリカの狩猟採集民の消費エネルギーの研究」と「食物のグリセミック指数が脳に与える影響の研究」でした。この2つを結びつけるとどうなるか、つまりアフリカの狩猟採集民の食物のグリセミック指数(GI値)はどうだろうかと思ったのです。

直感できることは「アフリカの狩猟採集民は高GI値の食物をとるだろう」ということです。ヘタをすると餓死しかねない厳しい環境です。そのような状況では、炭水化物・糖類に関する限りグルコースを摂取しやすい「高GI値の食物」を求めるはずです。引用したハッザ族に関する記述で、

  ハッザ族の主食は野生のイモで、女たちは石だらけの土から何時間もかけて棒でそれらを掘り出す。

とありました。イモの種類は分かりませんが、根菜類は高GI値の食物です。そして記事に書いてはいないのですが、間違いなく彼らは加熱調理してイモを食べているはずです。

アフリカの狩猟採集民と食物の関係については No.105「鳥と人間の共生」で紹介したハーバード大学の人類学者・ランガム教授の話が思い出されます。教授はヒトの "火" の使用に関して次のように説明しているのでした。

ヒトは火を使って食物を加熱調理することで効率的な栄養摂取ができるようになり、それがヒトの特徴(巨大な脳、小さい歯、短い腸)を発達させた(=いわゆる「料理仮説」)

アフリカの狩猟採集民は、火をおこして煙で蜂を麻痺させ、蜂蜜を採取する。チンパンジーと比較すると100~1000倍の蜂蜜を手に入れる。

ヒトを類人猿から区別している大きな特徴は巨大な脳です。脳は基礎代謝量の1/3を消費しているほどの大量のエネルギーを使っていて、そのエネルギーをブドウ糖(グルコース)だけから得ている。グルコースを摂取するという観点からすると、ハッザ族のようにイモを加熱調理して食べるのは最善の方法でしょう。

蜂蜜については日経サイエンスの記事に、ハッザ族は「地上10mを超す木の枝に簡単な手斧をふるって蜂蜜を獲る」(最初の引用参照)とありました。別の雑誌ですが、National Geograghic誌 にはハッザ族を現地取材した次のような記事があります。日没後にヒヒ狩りに向かうくだりで、オンワスとはハッザ族の長老格の男性です。


生まれてこのかたずっとこの地で暮らしてきたオンワスは、迷うことなくどんどん進んでいった。棒切れを使って30秒足らずで火をおこせるし、ミツオシエという野鳥に口笛で呼びかけ、返ってきた鳴き声を聞いて、はちみつを見つけることもできる(ミツオシエは、ハチの巣の場所を鳴き声で他の動物に教える鳥として知られている)。灌木地帯で生きていくのに必要なことは何でも知っているのだ。


ミツオシエという鳥が人間を蜂の巣に誘導する習性についてはNo.105「鳥と人間の共生」に書きました。ミツオシエ(ノドグロミツオシエ。Greater Honeyguide)の誘導で、ハッザ族の人たちが煙を使って木の幹の中の蜂の巣をとる様子がYouTubeに公開されています。ランガム教授も登場します。

蜂蜜は蜂が花の蜜(蔗糖=スクロースが主成分)を集め、ブドウ糖と果糖に分解して巣に蓄えたものです、その80%がブドウ糖と果糖であり、半分がブドウ糖です。自然界でブドウ糖を直接摂取できる食物は蜂蜜しかありません。もちろん蜂蜜は高いGI値の食物です。

ハッザ族も暮らすタンザニアの大地溝帯付近は、太古の昔からヒトが暮らしていた場所です。そこで狩猟採集をしていたヒトは、高GI値の食物を摂取するすべを拾得し(火が重要)、それがヒトの進化をうながした(特に脳の発達)、そう考えられると思います。

肥満に悩む現代人は「低GI値の食物を食べましょう、血糖値を上げすぎないように」と指導されるわけですが、肥満が社会問題になるのはこの数世代のことに過ぎません。人類の200万年の歴史からすると無いに等しい時間です。逆にヒトの歴史は「高GI値の食物を獲得する歴史」であり、そもそもヒトは高GI値の食物を好むように進化してきたのではと思います。そこに肥満の問題を解決する難しさがありそうです。「なぜ痩せられないのか」には、ヒトの成り立ちに起因する根源的な理由もあるのではと思いました。




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No.211 - 狐は犬になれる [科学]

前回の No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」と同じく、進化に関連したテーマです。今までに生物の進化について No.210 を含めて3つの記事を書きました。

  No.  56 - 強い者は生き残れない
No.148 - 最適者の到来
No.210 - 鳥は "奇妙な恐竜"

の3つです。この中の No.148「最適者の到来」でイヌを例にとって、高等生物はその内部に(具体的には遺伝子に)ものすごい変化の可能性を秘めている、としました。No.148「最適者の到来」は、アンドレアス・ワグナー・著『進化の謎を数学で解く』(文藝春秋。2015)を紹介したものですが、この中で著者はチャールズ・ダーウィンの『種の起源』に関連して次のように書いています。


『種の起源』の第一章全体が、人間の育種家がつくりだしたイヌ、飼いバト、作物品種、鑑賞用の草花の多様性への驚嘆に満ちている。人間が単一の共通祖先であるオオカミに似た祖先から、それもわずか数世紀のうちに、グレートデーン、ジャーマンシェパード、グレイハウンド、ブルドッグ、チャウチャウのすべてをつくりだすことができたというのは、考えてみるとまったく驚くべきことである。

アンドレアス・ワグナー
『進化の謎を数学で解く』
(垂水雄二・訳。文藝春秋。2015)

イヌは、1万年ほど前に(あるいはもっと以前に)人間が(今で言う)オオカミを家畜化したものです。そして家畜としての品種改良が本格的に行われたのは、たかだかこの数百年です。しかもその「改良」は現代で言う "遺伝子操作技術" などのバイオテクノロジーを使ったわけではありません。あくまで「選別」や「交配」で行われた。それでいて、出来上がったイヌの外見の多様性は驚くべきものです。

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ハイイロオオカミ(タイリクオオカミ)
普通オオカミというと、このハイイロオオカミ(タイリクオオカミ)のことを指す。世界各地にさまざまな亜種が分布している。絶滅したニホンオオカミも亜種とされている。No.127「捕食者なき世界(2)」に掲載した写真を再掲。
( site : animals.nationalgeographic.com )


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グレート・デーン

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ジャーマン・シェパード



ワグナーがあげている
5つの犬種
No.148「最適者の到来」より
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グレイハウンド

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ブルドッグ

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チャウチャウ

ということはつまり、現代のイヌの多様な姿・形は、すでに1万年前のオオカミの遺伝子に内在していたと考えざるを得ません。その「内在するもの」を、人間が "有用性" や "好み" に従って顕在化させた・・・・・・。高等生物が持っている変化の可能性はすごいわけです。上の引用にもあるように、ダーウィンの『種の起源』の発想の原点は「人間の育種家がつくりだした種の多様性への驚嘆」でした。それを "自然" がやったのがすなわち進化(=自然選択。Natural Selection)ではないのかと・・・・・・。進化論の出発点です。

人間が作り出してきた種の多様性は、生物の進化を考察する上で重要なポイントになると考えられます。たとえば上の写真に掲げたイヌの多様性を人間はどうやって生み出してきたのか。その前提として、そもそも人間はどうやってオオカミをイヌに変えたのか。その家畜化の過程は今となっては歴史の中に埋もれてしまって、うかがい知ることができません。



ここからが本題です。その家畜化の過程を実験で再現しようとする試みがこの60年間、続けられてきました。選ばれたのはキツネです。キツネを家畜化して人間のパートナーにする、つまり "キツネをイヌに変える実験" です。


キツネの家畜化実験の発端


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「日経サイエンス」
2017年8月号
「日経サイエンス」2017年8月号に「キツネがイヌに化けるまで」と題した興味深い解説が掲載されました。著者はリュドミラ・トルート(ロシア)とリー・アラン・リュガトキン(アメリカ)です。トルートはロシアの「細胞学・遺伝学研究所」の教授で、進化遺伝学が専門です。リュガトキンはアメリカ、ケンターキー州のルイビル大学の行動生態学者です。本解説はトルート教授が行った実験の成果をリュガトキンがまとめるという形で執筆されました。

トルート教授は現在83歳で、1958年から現在まで約60年に渡ってキツネの家畜化実験を続けています。彼女がこの実験に参加することになった契機が記事に書かれています。その発端は、家畜化実験の中心人物であるドミトリ・ベリャーエフ(1917-1985。ロシアの遺伝学者)に出会ったことでした。以下、下線は原文にありません。


当時(引用注:1958年)私はモスクワ大学を卒業するところで、ベリャーエフが新設の細胞学・遺伝学研究所に加わるためノボシビルスクに向かう準備をしていて、新たに始める家畜化実験を手伝う学生を探していることを耳にした。

ベリャーエフを初めて会ったとき、一介の学部学生にすぎない私を彼が対等に扱ってくれたことに私は驚いた。彼はこの研究を、基本的には家畜化の過程を "早回し" にして観察するものだと説明した。「キツネからイヌを作ろうと思っている」と彼は話した。人間と前向きに交流するタイプのキツネを選抜しながら、何世代にもわたって育種する。これが私たちの想定どおりに機能すれば、オオカミがイヌに変わった際に起こったと同じような家畜化の過程をこの目で観察できるだろう。

ベリャーエフの居室を辞すとき、私はこの研究に加わろうと決めていた。シベリア随一の都市ノボシビルスクへ引っ越しだ。そこに新たにできた科学研究都市アカデムゴロドクの第1世代の研究者になるのだ。そして革命的な考えを持つ1人の男と一緒に研究できるのだという思いで、私の胸は高鳴った。間もなく、私は夫とまだ赤ん坊だった娘と一緒にモスクワから列車に乗り、遠く東へ向かった。

「キツネがイヌに化けるまで」
リュドミラ・トルート(ロシア)
リー・アラン・リュガトキン(アメリカ)
「日経サイエンス」2017年8月号

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Lyudmila Trut
(Science News 2017.5 https://www.sciencenews.org/
実は「日経サイエンス」の「キツネがイヌに化けるまで」でまず印象的なのは、ここに引用した冒頭のところです。リュドミラ・トルートは学生結婚をして子供をもうけたが、それでも「キツネをイヌにする」研究に加わることを即決し、大都会の首都・モスクワを離れ、一家で "最果ての地" に向かう・・・・・・。すごいものだと思いますが、それは当時の国の状況も影響しているかも知れません。

つまり、トルートがシベリアに向かったのは1958年です。旧ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が世界初の人工衛星・スプートニクを打ち上げてアメリカを出し抜いたのは1957年です(スプートニク・ショック)。当時のソ連には「科学技術で切り開く社会主義の明るい未来」みたいな雰囲気が横溢していたことでしょう。シベリアに新たに建設された科学研究都市に様々な科学者が結集したのも、そういう雰囲気の中でのことだと想像されます。


ベリャーエフの仮説


キツネの家畜化実験は、リュドミラ・トルートの恩師であるドミトリ・ベリャーエフの次のような仮説にもとづいていました。


動物の家畜化に関するベリャーエフの仮説は大胆にして明快だ。すべての家畜に共通する決定的な特徴はその従順さである、と彼は考えた。したがって、進化の観点からすると、家畜化を進めた原動力は主に、攻撃性が弱く人を恐れない動物を昔の人々が好んだことによる。従順さは、その動物を育種して他の望ましい形質を導入する上でもカギとなった。

イヌやウシ、ウマ、ヤギ、ヒツジ、ブタ、ネコなど、私たちが家畜とした動物はすべて、おとなしく率直でなければならない。人間が家畜に期待しているのが護衛かミルクか、食肉か、仲間づきあいか、その他の物品や特質であるかにはよらず、家畜動物はみな従順でなくてはならない。

「キツネがイヌに化けるまで」

ここで書かれている「ベリャーエフの仮説」は、我々の思考のちょっとした盲点をつくものです。我々はイヌ・ネコを含む家畜にあまりに慣れすぎていて、家畜が人間に従順なのはあたりまえで、それが家畜の特質だとは意識しません。また野生動物が人間に従順でないのも、あたりまえだと考えます。野生のクマ、キツネ、サル(あくまで野生のサル)、タヌキ、イタチなど、みなそうです。たまに人間を恐れない野生のタヌキがいて、餌をもらいに家の庭先に毎日現れたりすると、それが地域ニュースに取り上げられたりします。なぜかと言うと、それが珍しいからです。

野生のイノシシと家畜のブタを考えてみると、ブタは(今でいう)イノシシを飼い慣らして家畜化したものです。野生のイノシシは獰猛で、イノシシに遭遇して大怪我をしたというような話もよくある。人間を見ると牙をむき出して突進してきたりします。猪突猛進、という4字熟語もあるくらいです。一方の家畜のブタは、獰猛という雰囲気は全くありません。餌を食べるか寝そべっています。よくよく考えてみると、動物として同じ仲間であるイノシシとブタの「性格・気性」の違いは大きいわけです。しかし我々はそういうことに慣れてしまっていて、明らかな違いに気を留めることはありません。

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イノシシはブタと顔つきが違うが、ブタの「先祖」であることは分かる。顔つき以外の違いは何だろうか。豚肉は美味しいという意見もあるだろうが、冬季の猪肉もそれなりに美味しいことで有名である(牡丹鍋)。もちろんブタは食肉用に品種改良されているので、肉の量が多いことは確かである。ベリャーエフによると決定的な違いは「人間に対する従順さ」である。さらにベリャーエフ仮説によると、ブタの顔つきが丸みを帯びているのは従順な個体を人間が選別していった結果である。

野生動物は従順でなく、家畜は従順である。そんなあたりまえすぎることに着目したベリャーエフは優れた学者だったのでしょう。ベリャーエフは、家畜は従順であるという事実を180度逆転させ、人間を恐れず従順な個体を選別していった結果として家畜が誕生したと考えたのです。さらにベリャーエフの仮説は続きます。


ベリャーエフはさらに、多くの家畜の特徴のすべてとは言わないまでも大半は、従順な個体を選抜して育種したことの副産物と考えた。巻き上がった尻尾や垂れ耳、ぶちの入った毛皮、幼い顔の特徴(丸みを帯び、鼻づらが尖っていないこと)を成体でも維持していること、繁殖が季節にあまり縛られないこと、現在「家畜化症候群」と呼ばれている一連の形質が、従順な個体を選抜したことの副産物であるという考え方だ。

そこで私はベリャーエフの指導の下、日々の取り組みに自分でもかなりの工夫を加えながら、旧ソ連各地にあった毛皮動物飼育場から集めたキツネを出発点に、もっとも従順な個体を選んで交配する育種を何代も続けた。

「キツネがイヌに化けるまで」

ここまで読むとなぜキツネが選ばれたのかが分かります。キツネなら各地にある毛皮動物飼育場から大量に購入できるのですね(解説には数百匹とあります)。オオカミで実験できればいいのですが、オオカミを大量に集めるのは至難の技です。キツネはオオカミと同じイヌ科の動物なので、次善の策としては最適でしょう。

毛皮動物飼育場から大量に集められる他の動物としては、"ロシア産" が有名な "黒テン"や "ミンク" もあるでしょう。しかしテン、ミンクはイタチ科だし、値段が高い(と思います。毛皮が高価だから)。それに、テンやミンクを家畜化してもあまり感激はしない。やはりキツネです。キツネは "化ける" と言われている動物なので、その点でもピッタリです(ロシアでも "化ける" かどうかは知りませんが)。

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家畜化実験施設におけるキツネ
(日経サイエンス 2017年8月号)


実験の開始


トルートがシベリアで始めた実験の最初の様子が書いてあります。


私は毎年、何百頭ものキツネを自分たちで開発した手順を用いてテストした。防護のために厚さ 5cm の分厚い手袋をはめてケージに近づき、扉を開けて棒を差し入れる。その際のキツネの反応を点数づけして評価する。最もおだやかでおとなしいキツネが最高点となる。

実験の最初の数年間、大多数のキツネはイヌどころではなく、火を吐く竜のようだった。ケージに近づいて棒を差し込むと、極めて攻撃的に反応した。これら低スコアのキツネは私の手を食いちぎろうとしていたのだと思う。別の低スコアのキツネはおびえてケージの隅に縮こまった。少数のキツネはテストの間ずっとこちらの様子を見ていたが、特に何の反応をするわけでもない。これらのおとなしい個体が選ばれ、交配して次の世代を生む。

生まれた子ギツネが成体になるまで、発達過程を詳しく記録した。また近親交配を避けるよう特に注意した。望ましくない遺伝的結果が生じて実験が混乱するのを避けるためだ。

「キツネがイヌに化けるまで」

この引用のように、最初はスコアの低い(=攻撃的か、怯える)キツネがほとんどでしたが、高いスコアの(=おとなしい)キツネを選んで交配していくと、次第に変化がみられるようになりました。


最初の数世代は、最もおとなしいキツネも人間に対して愛想がよいわけではなかった。人がそばにいることを受容はしても、歓迎はしていない様子だ。だが、4世代目と5世代目になると、興味深い兆候が見えた。歩けるようになったばかりの子ギツネが、私が近づくと何かを期待して小さな尻尾を振った。そして6世代目が生まれた。

「キツネがイヌに化けるまで」


エリートの出現



6世代目になると、子ギツネは尻尾を振るだけでなく、クンクンと哀れっぽく鳴き、イヌがするように人をなめるなど、人間との接触を積極的に求めているように見えた。こうした一連の行動の出現は非常に印象的だったので、私たちはこれらの個体を「エリート」と呼んだ。エリート子ギツネのなかには、名前を呼ばれると顔をあげるものまでいた。

「キツネがイヌに化けるまで」

6世代目において「エリート」は全体の2%でしたが、現在は70%に達しているそうです。ちなみに現在は58世代目です。エリートたちにしばしば見られる特徴をまとめると、まず生態学的には、

生まれてはじめて音に反応するのが、通常の子ギツネより2日早い。
眼を開く時期が、通常の子ギツネより1日早い。
生まれつき人間の視線と身振りを眼で追う。
人間を慕って交流を望んでいるように見える。
ストレスホルモンの値が低い。
繁殖サイクルが長い。

などの特徴があります。また、体つきや姿・格好については次のような特徴があります。

成長しても幼い顔つきである。
本来尖っている鼻ヅラが、丸く変化している。
尻尾がフサフサで巻き上がっている。
垂れ耳になった個体もある。
四肢はずんぐりと短い。
毛皮にぶちが入る。

要するにトルートが言うように、全体の姿は気味が悪いほどイヌに似ているのです。わずか数世代の交配でこのようなキツネが現れ始めたのは驚くべきことです。

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イヌ化したキツネ。鼻は丸くなり、毛皮にはぶちが入っている。現在、家畜化実験施設で飼われているキツネの70%はこのような "エリート" である。
(日経サイエンス 2017年8月号)

トルートは「鳴き声の強弱変化を音響分析すると、人の笑い声の変化に近い」とも言っています。この「笑い声」くだりを読んで思ったのですが、この家畜化実験は「人間に対してフレンドリーなキツネ」に人間が高いスコアをつけ、高いスコア同士のキツネを交配していくというものです。スコアの項目と点数づけの基準は厳密に決めるのでしょうが(これがふらつくと実験にならない)、ひょっとしたら「鳴き声が人間にとって心地よいキツネに、人間が無意識に高いスコアをつけた」のかもと思いました。違うかも知れませんが。


人間との交流


家畜は人間に従順だという共通点がありますが、イヌは従順だけでなく、特定の人間と親密な関係になったり、人間との間に種を越えた感情的絆を形成したりします。イヌ化したキツネではどうなのでしょうか。

トルートは1974年3月28日、その実験を始めます。15世代目のキツネ、プシンカと一緒に、飼育施設の中にあった1軒の家に移り住んだのです。プシンカは1歳になったばかりの雌で、妊娠していました。出産を通してキツネの家族と人間がどういう関係を持てるかも調べようとしたのです。

最初はプシンカは動揺し、慣れない家の中を駆けめぐり、食べ物を口にしようとしません。しかし次第にそれも落ち着いてきました。4月6日、プシンカは6匹の子ギツネを生みました。するとプシンカはその中の1匹をくわえてきて、トルートの足元に置いたのです。トルートがその子ギツネを何回も巣に戻しても、プシンカはその都度、子ギツネをトルートのところに運んできます。まるで人間に子ギツネを差し出すような行動です。6匹生まれたから一匹あげるよ、というような・・・・・・。トルートも巣に戻すことを諦めました。

トルートとプシンカの一家は家の中で遊びまわったり、一緒に外出したりして絆を深めていきました。


子ギツネが大きくなって手がかからなくなるにつれ、プシンカと私の絆は深まった。彼女は私の足元に横たわり、首のあたりを私に掻いてもらうのを待つようになった。私が少し家の外に出ると、プシンカはときに窓際に座って私の帰りを待った。私が帰ってくるのが見えると、彼女はドアのところで待ち受け、尻尾を振って迎えた。

「キツネがイヌに化けるまで」

こうしてトルートとプシンカの間には親密な関係が生まれたのですが、その年の7月に決定的な出来事が起こります。


こうした親愛の兆候は認識していたが、それでも1974年7月15日の晩の出来事は全く意外だった。私は家の外のベンチに腰かけて本を読み、プシンカは私の足元で休んでいた。すると遠くから足音が聞こえた。私はどうとも思わなかったのだが、プシンカは危険を感じたようだ。だが彼女は身を隠すことも私に保護を求めることもせず、侵入者がいるらしき方向へ走り出して、それまで見せたことのない行動を示した。二度と見せることもないかも知れない。彼女は吠えたのだ。番犬とまさに同じ吠え声で。

プシンカが人間に本気で攻撃的な態度を示したことはかつてなく、ましてやこんな獰猛な反応は初めてだった。私が走り寄って様子をうかがうと、プシンカを怯えさせたのが施設を見回っている警備員であることが分かった。私が警備員と穏やかな声で話はじめると、プシンカは万事問題なしと察知したようで、吠えるのをやめた。

「キツネがイヌに化けるまで」

トルートがプシンカと小さな家で過ごしたのは3ヶ月半でしたが、この1974年7月15日の夜の出来事は、家畜化されたキツネ(第15世代目。実験開始から約15年後)が、イヌのように人間に対して忠誠心を示すことの証拠になりました。



家畜化されたキツネが遺伝子レベルでどういう変化が起こったのか、DNA解析の結果も報告されています。それによると、多くの変化は12番染色体の「量的形質遺伝子座(QTL)」で起こっており、これはイヌの家畜化に関与した遺伝子と同様だそうです。トルートは「野生のイヌ科動物がペットに変わる過程を遺伝子レベルでおおよそ再現した」と結論づけています。

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トルートとリュガトキンの著書「How to Tame a Fox」(=キツネの飼い慣らし方)。イヌ化したキツネが表紙になっている。


キツネはイヌになれる


以下はこの報告の感想です。この研究成果で分かるのは、キツネの性格(=行動様式)は遺伝するということと、性格と外見上の形質には深い関係があるということです。つまりキツネの「性格」を、

人間に対して攻撃的
人間に対しておとなしい
人間に怯える

という軸でスコアリングすると、それが遺伝することが実証された。そして性格(=行動様式)を選別・交配していくと、外見上の形質まで変化してきたというのがこの実験です。ここで考えてしまったのは人間のことです。人間ではどうなのか。

No.191「パーソナリティを決めるもの」で書いたように、現代の行動遺伝学の結論は、人のパーソナリティは50%が遺伝子で説明できるということです。


外向性、神経質傾向、協調性、新規性追求などの性格(パーソナリティ)は、遺伝の影響が50%程度、非共有環境の影響が50%程度です。共有環境の影響は小さいかほとんどない、というのが行動遺伝学の結論です。


ここで非共有環境とは主に家庭外の環境、共有環境とは家庭環境でした。人は複雑な社会生活を営む動物なので50%は(家庭外の)環境で性格が決まる。それでも50%は遺伝子で決まります。これがキツネだと遺伝の割合がもっともっと大きいのでしょう。そして「性格が外見に影響する」というのは人にも言えるのではないか。よく「人相学」とか「人相占い」とかがあります。人相からその人の性格や運命が分かると主張するものです。運命が分かるというのは違うと思いますが、性格が分かるというのは科学的根拠があるのではないか。そんなことを思いました。



さらに思ったのは、科学における仮説の大切です。もちろん仮説なら何でもよいわけではありません。この実験では "運のよいことに" 6世代目で仮説が正しそうだという雰囲気が出てきました。もしこれが50世代目=約50年目にならないと正しさが分からないのであれば、そこまで実験は続けられなかったでしょう。トルート教授としても、50年もの研究者人生を成果の見えない実験に費やすことは出来なかったと思います。

ベリャーエフは、比較的早い世代で目に見えるキツネの変化が現れることを予期したのだと思います。つまりこの仮説はベリャーエフの優れた洞察力にもとづく仮説だった。そこがポイントだと思いました。



この60年をかけたキツネの家畜化研究は、いわゆる基礎研究です。ベリャーエフは「人間はなぜイヌを作り出せたのか」と疑問に思い、それについての仮説をたて、その仮説が正しいことをトルートとともに実証した。しかしその成果が何の役にたつのですかと問われると、それは分からないと答えるしかないのでしょう。もっともらしい答えは言えるかもしれませんが。

「何の役にたつのですか」と問うてはダメなのですね。ベリャーエフはあくまで興味から、好奇心から家畜化研究を始めたのだと思います。そこで解明されたことが、将来何かの役に立つかもしれないし、役に立たないかもしれない。基礎研究というのはそういうものだと思います。

全くの想像ですが、トルート教授は遺伝学の大先輩であるメンデルを尊敬しているのではないでしょうか。牧師が教会の裏庭でエンドウマメの交配実験を繰り返し、克明な記録をつける。誰に評価されたわけでもない。しかし死後にそれが "発見" され、遺伝学という学問が成立する鍵となる ・・・・・・。有名な話です。

60年前のキツネの家畜化実験の開始から現在まで、58世代に渡るキツネの血統が明らかになっていて、個々のキツネの性格や外見についての克明な記録が資料として残されているはずです。このトルート教授の「家畜化実験詳細データ」は、今後役に立つかもしれない。たとえば、人に対して親和的か攻撃的か(ないしは怯えるのか)の違いは、人間社会で言うと社会的と反社会的の違いだと言えるでしょう。キツネの性格の詳細データを遺伝子解析の結果と付き合わせることによって、社会性とは何かについての知見が遺伝子レベルで判明するかもしれないのです。基礎科学なので断言はできないけれども。

83歳のトルート教授は人生の4分の3をこの家畜化実験に捧げました。「キツネがイヌに化けるまで」という日経サイエンスの記事で最も強く印象に残ったのは、実はこの点でした。



 補記:サイエンス ZERO 

先日、NHK Eテレの「サイエンス ZERO」で「ヒトとイヌ 進化の歴史が生んだ奇跡の関係」と題した放送がありました(2019.6.9. 23:30~24:00。再放送 2019.6.15 11:30~12:00)。セラピー犬にみられるヒトとイヌとの特別な関係を特集したものですが、その中でロシアの「キツネの家畜化実験」の話が紹介されました。その内容が大変興味深かったので、該当部分のナレーションを以下に掲載します。


ヒトとイヌ 進化の歴史が生んだ奇跡の関係」より

NHK Eテレ「サイエンス ZERO」
(2019.6.9 23:30~24:00)

野生でたくましく生きるオオカミ。人間とオオカミはもともと食べ物をめぐって敵対する関係でした。しかし今や、一部のオオカミはイヌに変化しています。

ロシア:ノボシビルスクの駅の映像)

いったい、何故このような劇的な変化が起きたのでしょうか。その謎に長年いどんできたのがロシアの研究所。

ロシア:細胞学・遺伝学研究所の映像)

研究者が案内してくれたのは飼育場。そこにいたのはオオカミではなくキツネです。キツネもオオカミと同じくイヌ科の動物。キツネをオオカミに見立て、研究しています。キツネもオオカミ同様、とても凶暴です。手を出そうものなら ・・・・・・(檻の中で研究者に噛みつこうとする映像)・・・・・・ 警戒心まる出し。キツネはなかなか人間にはなつきません。ところが別の飼育場にはずいぶんと様子の違うキツネがいました。

研究員)
音を出しているのはキツネです。私たちに会いたがっているのよ。」

なつかないはずのキツネが、まるでイヌのように尻尾を振って喜んでいます。中には飛び跳ねているものまで。檻から出し、抱きかかえても全く平気。

キツネを抱いた取材班の通訳)
ふわふわでイヌみたい。ペットみたいですね。」

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実は、左(=普通のキツネ)は野生に近い普通のキツネ、右(=研究者に抱かれるキツネ)は、あることをしたために人なつっこくなったキツネなのです。

Science ZORO - Fox2.jpg
(ベリャーエフ博士)

この研究を始めたのは、ロシアの遺伝学の父、ドミトリー・ベリャーエフ博士(1917-1985)。博士はキツネが赤ちゃんを生むと、その中から比較的おだやかなキツネを選び出し、そのキツネが子どもを生むと、その中からさらにおだやかなキツネを選び出し育て続けたのです。すると6世代目には甘えるしぐさを見せるようになり、16世代目には耳が垂れたり(下図)、尻尾が巻き上がったりと、見た目までイヌのようになりました。現在、56世代目のこの子は人間の指示を理解し、コミュニケーションがとれるまでに(檻の外でイヌのようなしぐさをするキツネの映像。下図)・・・・・・。キツネがまさにイヌに変化したのです。

Science ZORO - Fox3.jpg

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頭蓋骨を調べると、とても重要なことがわかりました。左が普通のキツネ、右がイヌ化したキツネです。よく見るとイヌ化したものは頭蓋骨が短くなっており、幅は逆に長くなっています。全体的に顔が丸くなっていて、これはイヌ化したキツネが子どものころの特徴を残したままオトナに成長したことを示しています。子どもの特徴を持ったままオトナになる。これがイヌに変化するための大事な要素だったのです。

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(左が普通のキツネ、右がイヌ化したキツネの頭蓋骨)

この傾向は見た目だけではなく体内にも見つかりました。研究者が血液を調べたところ、攻撃性を生み出すコルチゾールというホルモンに変化が現れていました。その値は普通のキツネに比べるとおよそ半分。これこそが本来は警戒心が強いキツネが人なつっこくなった理由だと考えられます。

そしてもう一つ、脳にも子どもの特徴が ・・・・・・。記憶や学習をつかさどる海馬という場所。ここでは新しい神経細胞が生まれることで、記憶や学習の能力が高まります。人なつっこいキツネは新しく生まれる神経細胞が通常の2倍。脳が子どものように若々しい状態を保っているのです。

バルセロナ大学 セドリック・ポエックス教授)
子ども化した脳は、人なつっこい性格だけでなく、新たなことを学び記憶していくことができます。だからこそ人間を知り、人間への愛情を深めることができたのだと考えます。」


キツネがイヌに変化するための大事な要素は「子どもの特徴を持ったままオトナになる」ことなのですね。このことを専門用語で "ネオテニー(幼形成熟)"と言います。ネオテニー(幼形成熟)とは動物において「性的に完全に成熟した個体でありながら、非生殖器官に未成熟な状態、つまり "幼形" が残る現象」を言います。イヌ化したキツネでは、頭蓋骨、コルチゾール(ホルモン)の分泌パターン、脳の中の海馬の神経細胞の生成状況に、オトナになっても幼児期のような状態が残ったわけです。

つまりベリャーエフ博士やトルート教授は、長年かけて(トルート教授は一生涯をかけて)「ネオテニーを人為的に引き起こす実験」をしてきたことになります。

これはちょっと見逃せない話です。なぜなら、ヒトは霊長類がネオテニー(幼形成熟)を起こしてヒトになったと考えられているからです。ということは、キツネの家畜化実験は、単に野生動物の家畜化の過程を再現するということだけでなく、ヒトがヒトになった経緯に関する知見を与えてくれるかも知れない。60年・58世代に渡るキツネが詳しく記録され、頭蓋骨標本も残っているわけだし、ネオテニーを起こしている現世代のキツネの体を詳しく調べることは(かつ、野生のキツネと比較研究することは)、現代技術でいくらでもできるからです。

「サイセンス ZERO」では、ヒトがヒトたるゆえんである "協力行動" の進化が幼形成熟と関連づけて説明されていました。ロシアのベリャーエフ博士が始めたキツネの家畜化実験は、本来の目的を越え、おそらく博士も予想していなかったような地点まで進んてきたようです。科学の探求とはそういうものだと思いました。

(2019.6.17)



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No.210 - 鳥は "奇妙な恐竜" [科学]

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日経サイエンス
(2017年6月号)
今までに生物の進化に関する記事を2つ書きました。

  No.  56 - 強い者は生き残れない

No.148 - 最適者の到来

の2つですが、今回はその続きです。2017年6月号の「日経サイエンス」に恐竜から鳥への進化に関する解説記事が掲載されました。英国エディンバラ大学の古生物学者、ステファン・ブルサット(Stephen Brusatte。アメリカ国籍)が書いた「羽根と翼の進化」です。最新の研究成果をふまえた、大変興味深い内容だったので、その要旨を紹介したいと思います。


始祖鳥


そもそも鳥の祖先は恐竜ではないかと言われ出したのは、今から150年も前、19世紀の半ばです。きっかけは、鳥の "先祖" である "始祖鳥" の発見でした。


1860年代、ダーウィンの親友の1人で最も声高な支持者だった英国の生物学者ハックスリー(Thomas Henry Huxley)は、鳥類の起源の謎に挑みはじめた。ダーウィンが1859年に『種の起源』を出版してからわずか数年後、独バイエルンの採石場で労働者が割った石灰岩の中から1億5000万年前の骨格が現れた。爬虫類のような鋭いかぎ爪と長い尾、鳥のような羽毛と翼を併せもつ動物の化石だった。

始祖鳥(Archaeopteryx)と命名されたこの動物が、やはりその当時に見つかりはじめていたコンプソグナトゥス(Compsognathus)などの小型肉食恐竜に不気味なほど似ていることにハックスリーは気づいた。そこで彼は、鳥類は恐竜の子孫であるという大胆な説を発表した。他の科学者は彼の説に反対し、議論はその後100年間、行ったり来たりの状態だった。

ステファン・ブルサット
(英・エディンバラ大学)
「羽根と翼の進化」
(日経サイエンス 2017年6月号)

鳥類は恐竜の子孫かどうか、ハックスリーの提唱から約100年後、議論に決着をつけるような化石が発見されました。鳥の骨格に極めてよく似た恐竜の化石が発見されたのです。


この議論は、よくあることだが、新しい化石の発見によって決着がついた。1960年代中頃、エール大学の古生物学者オストロム(John Ostrom)が北米大陸西部で驚くほど鳥に似た恐竜デイノニクス(Deinonychus)の化石を発見した。その長い前肢は翼のように見え、しなやかな体つきは活動的な動物を思わせた。

デイノニクスには羽毛まで生えていたとオストロムは推測した。もし鳥類が恐竜から進化したのなら(そのころには多くの古生物学者がこの説を受け入れ始めていた)、その進化系統のどこかで羽毛が生じなくてはならない。

S.ブルサット「羽根と翼の進化」

もし羽毛をもつ恐竜の化石が発見されたなら、恐竜から鳥類が進化したことの完全な確証になります。しかし、羽毛がついた化石を発見するのは極めて困難です。羽毛のような柔らかい組織はほとんどの場合、動物が死んで腐敗し、地中に埋まって化石化する段階で失われてしまうからです。


羽毛恐竜の化石発見


ところがオストロムの発見から約30年後の1996年になって、中国の遼寧省州で羽毛がついた恐竜の化石が発見されたのです。この化石はポンペイのように火山灰によって素早く埋められたため、完全な状態で保存されていました。その後、今までの20年間で多数の羽毛恐竜の化石が発見され、恐竜から鳥への進化の過程が解明されました。


これらの驚くべき化石はパラパラ漫画のように、太古の巨大な恐竜がどのように現生鳥類に変化したのかを教えてくれる。

「羽根と翼の進化」

その羽毛恐竜の化石の画像の一つが次です。これは解説記事を書いたブルサットが発見した新種の恐竜です。

羽毛恐竜.jpg
中国の遼寧省・錦州で発見された羽毛恐竜、チェンユアンロング(Zhenyuanlong)の化石。解説記事を書いたブルサットが発見した新種の恐竜である。
(日経サイエンス 2017年6月号)

この "パラパラ漫画" のような羽毛恐竜の化石群により、議論は完全に決着しました。


遼寧省で発見されたこれらの羽毛恐竜によって議論は決着した。鳥類は実際に恐竜から進化したのだ。ただ、この言い方は両者が完全な別物であるような印象を与える点でやや不適切かもしれない。実際には、鳥は恐竜だ。鳥類は恐竜と祖先を共有する多数の下位グループの1つであり、トリケラトプス(Triceratops)やブロントサウルス(Brontosaurus)とまったく同様に恐竜なのだ。次のように考えてもよい。コウモリが空飛ぶ変な哺乳類であるように、鳥も変な恐竜なのだ

「羽根と翼の進化」

下の図は爬虫類が哺乳類と分化してから鳥類に進化するまでの図(部分)です。このうち、6500万年前の大絶滅を生き延びたのは、哺乳類、トカゲ類、ワニ類、鳥類(新鳥類)です。なお、6500万年前より以前に絶滅した生物は点線で表されています。

恐竜から鳥への進化.jpg
(日経サイエンス 2017年6月号)

恐竜類から鳥類の移行は非常に穏やかに、徐々に進行しました。著者は骨格の統計学的解析から、系統樹上で「鳥類」と「非鳥類」の明確な区別は不可能であることを実証しています。つまり恐竜類から鳥類の移行は「継ぎ目の無い移行」なのです。


鳥の特徴


鳥類が恐竜から進化したとして、それでは鳥の特徴である "羽毛が生えた翼" は何のために発達したのでしょうか。それは恐竜が飛べない時代にできあがったと考えるしかありません。翼だけではありません。鳥類は他の動物にはない数々の特徴をもっています。

鳥の特徴.jpg
鳥類の解剖学的特徴

翼、長い前肢、短い尾骨、竜骨、貫流式の肺、叉骨(さこつ)、大きな脳など、鳥類は他の現世動物にはない特徴がある。これら特徴のおかげで鳥類は飛行できる。
(日経サイエンス 2017年6月号)

特徴を3つとりあげると、まず貫流式の肺です。鳥類の肺は哺乳類の袋状の肺とは根本的に違っています。鳥類の肺は管状で、後と前に数個の気嚢があり、空気は後ろから前へと1方向に流れるようになっています。つまり空気を吸い込むときも吐き出すときも酸素を摂取できる。飛行は極めてたくさんの酸素を消費しますが、それに都合のよい、酸素吸収効率が高い肺を持っているのです。ヒマラヤ山脈を越える渡り鳥があることはよく知られています。エベレスト(チョモランマ)に登頂する人間は酸素ボンベをしょっていきますが、鳥はボンベ無しでその上を越えられる。酸素吸収効率が高い肺があればこそです。

  まったくの余談ですが、ヒマラヤを越える渡り鳥の一種、インド雁をモチーフにした中島みゆきさんの楽曲がありました。『India Goose』です。インド雁はモンゴル高原が繁殖地で、冬季になるとヒマラヤを越えて暖かいインドで越冬します。

鳥類の肺.jpg
鳥類の貫流式の肺

肺は管状になっていて数本あり、その後ろと前に数個の気嚢がある(上図)。鳥は気嚢を膨らませて空気を取り込み(中図)、収縮させて空気を吐き出す(下図)。この両方の過程で肺に新鮮な空気が一方向に流れる。気嚢がポンプの役割を果たすので、肺は一定の形状を保ったまま酸素を吸収できる。平沢達矢「鳥類に至る系統における呼吸器の進化」(理化学研究所)より引用。
(site : www.cdb.riken.jp/emo/)

また、鳥の骨は中空です(飛ばない鳥をのぞく)。まったくの空洞ではないですが、細い骨が蜘蛛の巣のように交錯していて、空気がつまっています。飛ぶためには体は軽い方が有利であり、軽くて強度のある骨を鳥は持っています。

人間には鎖骨さこつがあります。鎖骨は一方が胸骨(胸の前面にある骨で肋骨と接続)につながり、もう一方が肩胛骨につながっています。つまり鎖骨は2本あります。しかし人間の鎖骨さこつに相当する鳥の骨は、2本が融合して1本になっています。これを、呼び方は同じですが叉骨さこつと言います。この叉骨は鳥が羽ばたくときにちょうど力を蓄えるバネの働きをし、飛行を助けています。

とにかく、他の動物にはない鳥類の体の特徴を知ると「飛行に必須の(ないしは都合のよい)仕組みのワンセットが揃っている」ように見えるのです。これらは何のために、いつごろ発達したものでしょうか。


羽はなぜ進化したか


鳥類の体の器官の最大の特徴は羽毛が生えた翼であることは言うまでもありません。これは、そもそも何のためだったのか。日経サイエンスの解説記事を書いたステファン・ブルサットがまず指摘するのは、羽毛が多目的に使えるということです。


羽毛は万能ツール、自然界のスイス・アーミーナイフだ。羽毛のおかげで、鳥類は飛行し、異性やライバルに強い印象を与え、体温を保持し、巣に座って卵を抱き暖めることができる。実際、あまりにも用途が多くて、羽毛が最初の何の目的で進化したかを解明するのは難しい。

「羽根と翼の進化」

遼寧省で発見された化石により、羽毛は最初の鳥類にいきなり生じたのではなく、それよりずっと早い時期の恐竜に生じていたことが分かってきました。それは現世鳥類の羽毛とは違ったものでした。


(最初にできた)恐竜の羽毛は、何千本もの毛髪のようなフィラメントからなる綿毛のようだった。それらの恐竜は飛べたはずがない。この羽毛は面を構成して風をとらえることができず、翼も作れなかった。だから、最初の羽毛は飛行以外の目的で進化したに違いない。おそらく小型恐竜の体温を維持するためだったのだろう。

「羽根と翼の進化」

恐竜に生じた糸状の羽毛は、やがて長くなって束になり、分岐し、中央に羽軸ができて羽を構成するようになり、そして翼へと進化していきました。

では、翼を持った恐竜は飛べたのでしょうか。中には滑空できる恐竜もいたようです。しかし遼寧省から発見された恐竜の多くは、詳しく解析すると「飛べなかった」というのが結論です。たとえば著者のブルサットが発見したチェンユアンロングですが、飛ぶには前肢が短すぎ、羽ばたきに必要なだけの胸筋もなかったと、風洞実験や数値シミュレーションで結論づけられています。それでは「恐竜の翼」はいったい何のために進化したのでしょうか。


最新の研究結果は、翼が飛行とは別の、あまり広くは認識されていない機能を果たすために進化したことを示唆している。ディスプレイだ。1つの証拠が英ブリストル大学のヴィンサー(Jacob Vinther)が始めた研究から得られている。彼は高倍率の顕微鏡を使い、恐竜化石の羽毛に色素を含む「メラノソーム」という構造を発見した。翼のある飛ばない恐竜の羽毛はカラフルだったことが判明した。カラスの羽のように玉虫色の羽毛もあった。このような光沢のある羽毛は異性を引きつけたり、ライバルを威嚇したりするのに最適だっただろう。

恐竜の羽毛が華やかに見えるということから、翼に起源についてまったく新しい仮説が生まれた。翼はそもそも自己顕示の道具として進化したという説だ。つまり翼は前肢と後肢、尾から突き出た広告塔だった。その後、優美な羽を持つ恐竜たちは突然、表面積の大きなこの翼が(物理法則によって)空気力学的機能を果たすことに気づいた。換言すれば、飛行能力は偶然に進化したのだ。

「羽根と翼の進化」

日経サイエンス 2017年6月号には「見えた! 恐竜の色」(J.ヴィンサー)という論文が掲載されていて、恐竜の羽の色が詳しく解説されています。「翼はそもそも自己顕示の道具として進化した」というはあくまで仮説ですが、現世鳥類でもカラフルな羽を自己顕示に使って、異性を引きつけたりライバルを威嚇したりする鳥が多数あることを思い出します。


鳥の特徴は恐竜のときに作られた


羽毛のある翼だけでなく、現世鳥類の特徴の多くは、恐竜の時代に発達したようです。


恐竜の中には、左右の鎖骨を融合させて「叉骨(さこつ)」と呼ばれる構造を生み出したものがいた獣脚類の初期のメンバーだ。この一見ささやかな変化によって前肢の基部が安定し、獲物に忍び寄る犬ほどのサイズの肉食恐竜は獲物をつかむときの衝撃をうまく吸収できるようになった。のちに鳥類はこの叉骨を転用し、羽ばたく際にエネルギーを蓄えるばねとして使うようになった。

「羽根と翼の進化」


鳥類の特徴である中空の骨と速い成長はどちらも飛行にとって重要だが、これらのルーツも古く、恐竜類にまで遡る。多くの恐竜の骨が「気嚢(きのう)」によって空洞化しており、このことは彼らが超効率的な "貫流式" の肺を持っていたことを示している。息を吸い込むときだけでなく、吐くときにも酸素を取り込める肺だ。鳥類では、貫流式の肺が飛行に適した骨格の軽量化に加え、エネルギーを大量消費する生活様式の維持に必要な酸素の供給を可能にしている。

「羽根と翼の進化」

ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館(AMNH)とモンゴル科学アカデミーの合同チームは過去4半世紀にわたって、ゴビ砂漠で恐竜の化石を集めてきました。


彼らの発見の中にはヴェロキラプトルなどの羽毛をもつマニラプトル類の保存状態のよい頭蓋骨が含まれている。ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のバラノフ(Amy Balanoff)はこれらの化石をCTスキャンし、マニラプトル類の脳が大きかったこと、そして脳の最前部が拡大していたことを明らかにした。

大きな前脳のおかげで鳥類は非常に賢く、飛行という込み入った動作を制御でき、空という複雑な3次元世界をナビゲートできる。これらの恐竜がなぜこのような鋭敏な知性を進化させたのははまだわかっていないが、その化石は、鳥類の祖先が空に飛び立つ前に賢くなっていたことをはっきりと示している。

「羽根と翼の進化」

以上のような最新の研究を総合して、ステファン・ブルサットは次のように結論づけています。


鳥類のボディプランには決まった青写真があったわけでなく、その体は進化の過程で1つずつ組み立てられた寄木細工のようなものだった。鳥類は恐竜から一挙に移行したのではなく、何千万年もかけて徐々に進化したのだ。

「羽根と翼の進化」

しかし、いったん飛行可能な恐竜ができあがると、その進化の速度はそれ以前よりも格段に速くなったことも分かってきました。


どうやら、飛行可能な小型恐竜が組み立てられるとすぐに、つまり寄木細工が完成したとたん、途方もない進化の可能性が解き放たれたようだ。これらの飛行恐竜は新しい生態学的ニッチと機会を手に入れた。

「羽根と翼の進化」

6500年前に非鳥類恐竜が絶滅したときにも、鳥類恐竜は生き延びます。そして現世鳥類は1万種を越える大グループとして繁栄していて、その姿もハチドリからダチョウまで極めて多様です。



以上のような徐々で穏やかな進化は、恐竜から鳥への進化だけではないと著者は言います。つまり

魚が脚と指を持って四肢動物になる
陸生哺乳類がクジラになる
木にぶらさがってた霊長類が直立歩行するヒトになる

などの変化は、たえず変化する環境圧力によって徐々に起こってきました。進化は将来を見込んで起こるわけではないのです。


鳥は目的があって進化したのではない


以下はこの日経サイエンスの解説記事の感想です。この記事は我々にある種の教訓を与えてくれると思いました。つまり、鳥の体の数々の特徴をみると、そのすべてが飛行という目的に沿って作られているように思えてきます。まるで「飛行」という目的に向かってすべてが進化したように見えてしまう。しかし決してそんなことはないのですね。飛行に必要な数々の特徴は、飛行とは無関係に発達した。それが寄木細工のようにうまく組み合わさったとき、飛行恐竜=鳥類が誕生した。

我々は「成功した結果」だけをみて、その要因のすべてがあたかも計画されたように考えてしまうことがよくあります。鳥類はあまりにポピュラーであり繁栄しているので、特にそう見えます。しかしそれは「全体の中でたまたま成功した一部」だったりする。上の方に引用した進化の図でも、"失敗" して絶滅した鳥類恐竜(=鳥類)の種があることが分かります。大量絶滅の時(6500万年前)に絶滅したのは2種ありますが、それ以前に6種が絶滅しています。現世鳥類だけが "運良く" 成功した。

「成功した結果だけをみて、その要因のすべてがあたかも計画されたように考えてしまう」のは、我々が陥りやすい「思考の落とし穴」だと思います。特に進化のように何百万年、何千万年という時間で起こるプロセスは、我々はまったく想像ができないし直感も働かないので、落とし穴に陥りやすい。どうしても人は物事に意味や意図を見いだそうとします。暗黙にでも「意味」を考えないと落ち着いていられない。

この「思考の落とし穴」は千年程度の時間スケールでも同様です。たとえば2000年程度前に作られた石造建築物が、今でも崩れることなく無傷で残っているとします。我々はそれを見て「古代人の建築技術はすごい」などと感嘆したりします。しかしそれが残っているのは「たまたま」なのかも知れません。「たまたま」上手に石組みが出来た一部の建造物が残り、大多数は2000年の時を経て跡形もなく崩壊してしまったのかも知れない。我々は崩れていった建造物を見ることはできないから「すごい」と思うのかも知れないのです。すべての古代建築がそうだと言っているのではなく、そういう可能性を考慮しておいた方が良いと思うだけです。

さらに数年~十数年単位の社会での現象でも言えそうです。たとえば企業が新事業に乗り出して成功するという例です。その企業行動には「成功要因がすべて揃っていて、それを推進したリーダーシップの優秀さを褒め称える」ような言説がよくあります。しかしそれは「結果論」ではないのか。"偶然" とか "たまたま" という要因はないのか。しかも成功要因はリーダが登場する遙か以前から企業内で醸成されていたりします。新事業に乗り出して失敗した(小さな)例を企業はいっぱい内部に抱えているはずですが、そういう情報は外部にあまり出てきません。外部から見ても華々しい成功例だけをもとに、結果論をうんぬんしてもむなしいと思います。

ベンチャービジネスもそうです。ビジネスとして成功し、大きく成長したベンチャービジネスの裏には、その数百~数千倍の "成功しなかったベンチャー" がある。一般に知られることもなく、報道されることもなく消えていったビジネスがほとんどであるわけです。

建築物の建設や企業の活動は人間の行動であり、意志の入ったプロセスです。動物の進化のような自然による環境選択とは違うのですが、「成功した結果だけをみて、その要因のすべてがあたかも計画されたように考えてしまうという思考の落とし穴」という視点からすると、教訓を得ることができるのではないかと思いました。




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No.204 - プロキシマ b の発見とスターショット計画 [科学]

いままで科学雑誌「日経サイエンス」の記事に関する話題を何件か書きました。振り返ってリストすると以下の通りです

  No. 50絶対方位言語と里山
  No. 70自己と非自己の科学(2)
  No.102遺伝子組み換え作物のインパクト(1)
  No.105鳥と人間の共生
  No.16910代の脳
  No.170赤ちゃんはRとLを聞き分ける
  No.177自己と非自己の科学:苦味受容体
  No.178野菜は毒だから体によい
  No.184脳の中のGPS

日経サイエンス 2017年5月号.jpg
日経サイエンス 2017.5
なぜ科学に興味があるかというと、科学的な知見が人間社会の理解に大いに役立つことがあると思うからです。その観点でリストをみると、ほとんどが生命科学の記事であることに気づきます(No.50、No.105以外の全部)。また No.50(絶対方位言語)は心理学の話(人間の認知のしくみと言葉の関係)、No.105は人類学の話なので、これらのすべては「生命・人間科学」と一括できます。「生命・人間科学」の知見が人間社会の理解に役立つのは、ある意味では当然でしょう。

しかし「生命・人間科学」とは全く違う分野のサイエンスが社会や人間の理解につながることもあると思うのです。その意味で、今回は全く違った分野である天文学・宇宙物理学の話を書きたいと思います。最近の「日経サイエンス 2017年5月号」に掲載された記事にもとづきます。


アルファ・ケンタウリ


アルファ・ケンタウリという星の名前を知ったのはいつだったか、思い出せません。おそらく小学生の頃だったと思います。理科の図鑑に「宇宙」の説明がありました。地球と月、太陽とその周りの惑星や小惑星、彗星からなる太陽系。その太陽は銀河系に属していて、銀河系は無数の太陽のような恒星からできている。同じような銀河が宇宙にいっぱいある、というような絵と説明でした。

そして太陽から一番近い恒星がアルファ・ケンタウリで、4光年の距離にある。1秒間に地球を7周半する光でも到達するのに4年かかる・・・・・・。興味津々で図鑑に見入っていたような記憶があります。

中学生になってから SF小説を読み始めて以降、アルファ・ケンタウリはたびたび出てきたと思います。宇宙船で行く話もあったはずですが、行かないまでも太陽に最も近い恒星としてよく話に登場したので、アルファ・ケンタウリの名前はなじみのあるものになりました。


アルファ・ケンタウリ恒星系


アルファ・ケンタウリは、ケンタウルス座で最も明るい星(=アルファ星、α星)です。ケンタウルス座は南十字星のすぐそばにあり、本州からは見ませんが沖縄や小笠原からは見えます。α星のアルファ・ケンタウリは非常に明るく、全天でも大犬座のシリウス、りゅうこつ座のカノープスに次いで3番目の明るさです。地球からは約4.3光年の距離にあります。

Alpha Centauri-2.jpg
ヨーロッパ南天天文台(ESO)が運営するラ・シヤ天文台(チリのアタカマ砂漠)から見た南天の様子。ケンタウルス座(Centaurus)の上に南十字星(Crux)が見える。αがアルファ・ケンタウリで、その上にプロキシマ・ケンタウリの位置が示してある。ケンタウルス座の右はコンパス座(Circinus)。
(日経サイエンス 2017年5月号)

アルファ・ケンタウリは肉眼では一つに見えますが、連星です。アルファ・ケンタウリAは、質量が太陽の1.1倍、光度は太陽の1.5倍です。アルファ・ケンタウリBは、質量が太陽の0.9倍、光度は0.5倍です。この二つの星は互いの周りを約80年の周期で回っていて、2つの星の距離は10天文単位(太陽と土星の距離の相当)から40天文単位(太陽と冥王星の距離の相当)の間で変動します。1天文単位(= au)とは太陽と地球の間の平均距離で、約1億5000万kmです。

実はアルファ・ケンタウリは、さらにもう一つ、重力的に結びついた恒星を伴っています。それがプロキシマ・ケンタウリです(アルファ・ケンタウリCとも言う)。つまりアルファ・ケンタウリ恒星系は "3重連星" なのです。

プロキシマ・ケンタウリの質量は太陽の0.1倍、明るさは0.002倍で、肉眼では全く見ることができません。アルファ・ケンタウリA・Bの連星とプロキシマ・ケンタウリの距離は1万5000 au(約 0.2光年)もあり、かなり離れています。プロキシマ・ケンタウリはアルファ・ケンタウリA・B連星の周りを回っていますが、その周期は50万年以上と見積られています。

実は、このプロキシマ・ケンタウリは、アルファ・ケンタウリより 0.1光年ほど地球に近い距離にあります。つまり地球に最も近い恒星はプロキシマ・ケンタウリということになります。

アルファ・ケンタウリ恒星系(3重連星)
 ┣━アルファ・ケンタウリ(連星)
 ┃  ┣━アルファ・ケンタウリA
 ┃  ┗━アルファ・ケンタウリB
 ┗━プロキシマ・ケンタウリ
    (=アルファ・ケンタウリC)

Alpha Centauri-3.jpg
アルファ・ケンタウリ恒星系の撮像写真。左の連星がアルファ・ケンタウリで、右がプロキシマ・ケンタウリ。
(日経サイエンス 2017年5月号)


プロキシマb の発見


2016年8月14日、ドイツのミュンヘン近郊にあるESO(ヨーロッパ南天天文台。European Southern Observatory)の本部で重大発表がありました。ESOが運営するラ・シヤ天文台(チリのアタカマ砂漠)での観測で、プロキシマ・ケンタウリに惑星があることが発見されたのです。この惑星は「プロキシマb(プロキシマ・ケンタウリ b)」と命名されました。

いったいどうやって惑星の存在を確認したのでしょうか。惑星がプロキシマ・ケンタウリの周りを公転すると、その公転によってプロキシマ・ケンタウリが僅かながら "揺さぶられ" ます。これは地球と月の関係と同じです。月が地球の周りを回ることによって地球が揺さぶられ、それが潮汐の(一つの)原因になっています。

一般に恒星が惑星の公転の影響で揺さぶられると、その恒星は地球からみて遠ざかったり、近づいたりします。つまり地球からみた速度が周期的に変化する。それによって恒星の放つ光が周期的に短波長(青色)側にずれたり(地球の近づく場合)、長波長(赤色)側にずれたりします。いわゆる「ドップラー偏移」です。この偏移を観測するのです(=ドップラー法)。

Alpha Centauri-1.jpg
ラ・シヤ天文台で観測したドップラー偏移から計算されたプロキシマ・ケンタウリの速度変化(地球からの視方向の時速)。赤丸が測定値で、縦棒が測定誤差。波形が推測値である。速度は5km/時(1.4m/秒)の振幅があり、約11日の周期で変動する。
(日経サイエンス 2017年5月号)

ドップラー法による観測が始まった1970年代では、判別できる恒星の揺れのスピードは秒速100メートル程度が限界でした。しかし現代では観測精度が格段に向上し、ESOのラ・シヤ天文台の望遠鏡は秒速 1 メートルの速度変化を検出できます。光の速度は秒速30万キロメートル=3億メートルなので、3億分の1の速度変化を検出できるという、ものすごい精度です。プロキシマ・ケンタウリの 1.4m/秒 という速度が検出できたのも、この高精度観測によります。

観測されたプロキシマb の公転周期は約11日、公転軌道半径は 0.05 au(au:天文単位 = 太陽・地球の距離)でした。


プロキシマb はハビタブル・ゾーンにある


さらにこの発表には重要なことがありました。

  発見された惑星・プロキシマb は、プロキシマ・ケンタウリのハビタブル・ゾーンに入っている

のです。ハビタブル・ゾーンとは、惑星表面に水が液体として存在できる暖かさになる公転軌道の範囲です。ハビタブルとは居住(habit)可能という意味ですが、天文学では生命が存在可能という意味で使われます。惑星(表面)に生命が存在するとすると、まず最初の条件としてその惑星がハビタブル・ゾーンに入っていなければならない。太陽系のハビタブル・ゾーンは太陽からの距離が 0.9 ~ 1.4 au の範囲です。金星はハビタブル・ゾーンの内側(0.7 au)であり、火星は外側(1.5 au)です。太陽系では地球だけがハビタブル・ゾーンにあります。

プロキシマ・ケンタウリは太陽よりかなり小さい星で(質量は太陽の0.1倍、明るさは0.002倍)、温度も低い。太陽の表面温度は6000K(絶対温度6000度)ですが、プロキシマ・ケンタウリの表面温度は半分の3000Kです。そのためハビタブル・ゾーンも恒星に近接していて、恒星からの距離が 0.05 auというプロキシマb の軌道でもハビタブル・ゾーンに入るのです。太陽系でいうと水星(0.4 au)よりもかなり内側の軌道です。

しかしハビタブル・ゾーンにあるからといって、本当にハビタブルかどうはわかりません。たとえば大気の存在ですが、プロキシマb がプロキシマ・ケンタウリから受ける磁場の影響は地球より遙かに強いため、大気が逃げてしまっている可能性があります。一方、プロキシマb も強い磁場を持っているとすると、そうならないこともありうる。

また主星の非常に近くを周回する惑星・衛星では、ちょうど地球を回る月のように、常に同じ面を主星に向けるという現象がよく起きます。これを「潮汐ロック」と言いますが、惑星で潮汐ロックが起きると、主星に向いている昼側は高熱になり、向いていない夜側は極寒になり(=水が存在しても凍結状態になり)、ハビタブルでは無くなります。しかし潮汐ロックが起きていたとしても、昼側と夜側の境目では大気の循環などで温和な環境があるかもしれない。

つまり、プロキシマb が本当にハビタブルかどうかを調べるためには、ドップラー偏移を調べること以上の観測が必要になります。今、試みられているのは「トランジット観測」です。

もしプロキシマbの公転軌道面が、地球からプロキシマ・ケンタウリを見た方向と平行か平行に近い場合、プロキシマb はプロキシマ・ケンタウリの手前を横切ることになります。これをトランジットと言います。トランジットが起こるとプロキシマ・ケンタウリが少し暗くなる(=減光)。この光を観測することで、プロキシマb の

公転軌道の角度
大きさ
質量
密度

が計算でき、そこから物質組成を推定できます。もしプロキシマb に大気があれば、プロキシマ・ケンタウリの光はそこを通過してくるので、大気の組成の情報が得られます。

プロキシマb のトランジット観測は、現在までには成功していません。これは減光の量が観測精度を越えて小さいのかもしれないし、そもそも公転軌道面が地球から見て平行ではない(=トランジットは起こらない)のかもしれない。

しかしトランジットが起こらないとしても、まだ観測の道はあります。それは観測装置を超高精度化して、プロキシマb を直接撮像するという可能性です。本当にできるかどうかは分かりませんが、挑戦が始まっているところです。プロキシマbは地球に最も近い惑星なので、可能性はあるのです。

プロキシマb.jpg
プロキシマb の想像図。明るい星がプロキシマ・ケンタウリ。その右上の連星がアルファ・ケンタウリA・B。
(日経サイエンス 2017年5月号)



とにかく、地球に最も近い恒星に惑星があり、その惑星はハビタブル・ゾーンにあるというのは大発見です。この惑星のことを詳しく調べたいと思う科学者は多いことでしょう。

そしてまさに現在、アルファ・ケンタウリ恒星系に直接観測装置を送り込む計画が持ち上がっているのです。それが「スターショット計画」です。しかし、地球に最も近いといっても約4光年離れています。光でも4年かかる距離であり、従来の宇宙探査機を送るとすると1万年のオーダーの時間がかかります。いったいどうやって観測機器を送るというのでしょうか。


スターショット計画


スターショット計画の推進者は、ユーリ・ミルナーという人です。ロシア出身で、1961年にモスクワで生まれました。1961年というとガガーリンが人類で初めて宇宙に出た年です。両親はそのガガーリンと同じ名前を息子につけました。「誰も到達したことのない所に行く」という期待を込めたといいます。

ミルナーはアメリカに渡り、シリコンバレーで起業家・投資家として成功し、巨万の富を築きました。その資産は30億ドルと言います。そして彼は「遠くへ行く」という子供の頃からの夢を実現すべく動き出し、初期開発費として1億ドルを拠出し、プロジェクト・チームと顧問委員会を編成しました。

  プロジェクト・チームのエグゼクティヴ・ディレクターは、NASAエイムズ研究センターの元所長のピート・ワーデン(Pete Worden)、技術ディレクターはエイムズ研究センターでワーデンの部下だったピート・クルーパー(Pete Klupar)です。

また顧問委員会の委員長はハーバード大学の天文学科長のアヴィ・ローブ(Avi Loeb)で、委員にはそうそうたるメンバーが名前を連ねています。ホーキング博士やフェイズブックのザッカーバーグCEOも加わっています。

プロジェクト・チームは目標を「アルファ・ケンタウリに無人飛行で観測装置を送り込む」ことに絞り込みました。そして発案したのが「スターショット計画」です。

この計画は2016年4月12日に、ホーキング博士も同席して発表されました。そして全くもって運のよいことに、4ヶ月後の8月14日に「アルファ・ケンタウリ恒星系のプロキシマ・ケンタウリには惑星があり、その惑星はハビタブル・ゾーンにある」ことが発表されたわけです。この発表によってスターショット計画は、誰も到達したことのない所に行くという「億万長者の道楽」から「太陽系外にある惑星を探査する現状で唯一の計画」に大昇格し、俄然、注目を集めるようになりました。

StarshotPressAnnounce.jpg
スターショット計画の発表会見より。後列左から3人目がユーリ・ミルナー。右から3人目がピート・ワーデン(エグゼクティヴ・ディレクター)、同じく2人目がアヴィ・ローブ(顧問委員会の委員長)。
(site : breakthroughinitiatives.org)

Starshot.jpg
スターショット計画の想像図
(site : breakthroughinitiatives.org)

アルファ・ケンタウリに送り込む観測装置は「ナノクラフト」と呼ばれ、「ライトセイル」と「スターチップ」から構成されます。ライトセイルは4メートル四方の極薄の "帆" で、光の反射率が 99.999% の物質で出来ています。ライトセイルに搭載するスターチップは1cm程度の多機能コンピュータ・チップで、ここに電源、観測用の各種センサー、地球との通信機能、制御回路のすべてが埋め込まれます。

ナノクラフトは通常のロケットに搭載し、上空6万キロメートルで宇宙空間に放たれます。そのライトセイルに地上の「ライトビーマー」から100ギガワットという超強力なレーザ光を数分間照射し、光速の20%まで加速します。加速したあとはレーザ光を切り、慣性飛行でアルファ・ケンタウリに向かいます。

Starshot-Starchip.jpg
スターチップのプロトタイプ。チップの中に各種センサー、地球との通信機能、電源などが埋め込まれる。
(日経サイエンス 2017年5月号)

ナノクラフトは同じものを多数制作し(1000個以上)、それを搭載したロケットは1日1個の割合で3年間以上にわたってナノクラフトを宇宙空間に放出し続けます。約20年経つと "運のよかった" ナノクラフトはアルファ・ケンタウリの近傍を通り過ぎるはずで(=フライ・バイ)、通り過ぎる数分の間にスターチップのセンサーで観測した結果を4年かけて地球に送り返します。


荒唐無稽 ?


スターショット計画は "気宇壮大" と言うか、壮大すぎて荒唐無稽に見えます。しかしこの計画は現代知られている物理学の法則に合致しています。ここがまず重要なポイントです。

SF小説によくある「恒星間飛行」は、その物理学的根拠が不明だったり、あるいは物理法則を真っ向から否定しているものがほとんどです。しかしこのスターショット計画は一流の科学者が考えた(ないしは顧問としてアドバイスした)計画です。物理学に合致という最低限の条件が守られている。このことが、サイエンス・フィクションではなくて "計画" と言えるゆえんです。

次に重要なのは、スターショット計画に必要な各種の技術は、その基本原理が確立していて実証済みであることです。開発すべき技術は、ライトビーマー、ライトセイル、スターチップの3つです。たとえばこのうちのライトセイルですが、「光を反射することによって進む帆」は、一般的に「宇宙ヨット」と呼ばれています。そして宇宙ヨットはすでに日本のJAXAが開発し、打ち上げて、実運用までしているのです。レーザー光を受けて進むのはなく、太陽光で進む宇宙ヨット(=ソーラー・セイル)です。


JAXAのイカロス


光は波であると同時に粒子としての性質があり、その粒子は「光子」と呼ばれています。光子に質量はありませんが運動量をもつので、光子が当った面、特に光を反射する面は圧力を受けます(=光圧)。帆を宇宙空間に置くと、完全に片面だけに光が当たる状況を作り出せます。つまり光圧による推進力が生まれます。これが宇宙ヨットの原理です。光が当たり続けると、原理的には光速に近い速度まで加速することができます。

宇宙ヨットを提唱したのはロケットの父と呼ばれるロシアのツィオルコフスキーで、1910年代のことでした。しかし20世紀後半、宇宙ロケットが盛んに打ち上げられるようになっても、宇宙ヨットは実現できなかった。それは帆の材料が見つからなかったからです。帆はアルミを蒸着させたフィルムで作りますが、宇宙空間で太陽に向いたアルミの反射面は120度になり、反対側の面は -270度です。つまり極薄のフィルムに400度の温度差ができます。この温度差に耐えられる材料が見つからなかったのです。

ところが "ポリイミド" という高分子材料がロケットの断熱材として1960年代に実用化され、1990年代になると薄くで大面積のポリイミド・フィルムが製造可能になりました。そして2000年代になるとこのフィルムを使った宇宙ヨットが構想されるようになりました。

日本のJAXAは2010年5月21日に、宇宙ヨット「イカロス」を金星に向けて打ち上げました。宇宙ヨットを打ち上げたのは日本だけではありませんが、地球周回軌道を離れて他の惑星に向かったのはイカロスだけです。イカロスの帆は14メートル四方という大きなもので、反射面が太陽を向くように制御され、太陽の光を受けて進みます。イカロスの大きな帆でも太陽光の光圧は非常に小さく、地上で 0.1g の物体が受ける重力とほぼ同じです。

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JAXAの宇宙ヨット、イカロス。太陽光の光圧で進む「ソーラー・セイル」を実証した。帆には極薄のアモルファス・シリコン製の太陽電池を装着していて(青色の部分)、これによる発電実験にも成功した。これは将来、太陽電池の電力によってイオン・エンジンを駆動するための基礎技術となる。さらに帆の周辺は薄膜液晶があり(黄色の部分)、電流をON/OFFすると液晶の透明・不透明が切り替わる。これによって太陽光の光圧が変わり、搭載している燃料噴射装置を使わなくても姿勢制御ができる。この実験にも成功した。
(JAXAのホームぺージより)

イカロスは打ち上げて半年後に金星付近を通過(=フライ・バイ)し、当初予定されていたミッションは全て成功裏に終わりました。現在は地球・金星の間の軌道を約10ヶ月の周期で公転しています。しかしこの間、当初は予想されなかった問題も発生しました。その一つを日経サイエンスから引用します。


半年間の航海で見えてきた想定外の現象がある。1つは帆の形状だ。イカロスの正方形の帆の四隅から伸びる短いワイヤの先には 0.5kg の重りが付いており、それらに十分な遠心力を与えて帆の張りを保つため、毎分1回転以上の回転速度を維持するようにう姿勢制御用のスラスタを使って制御している。想定では、帆はピンと張ってほぼ平面になるはずだったが、搭載した広視野カメラで帆の状態を調べると、帆は平面ではなく、微少なたわみが生じていることがわかった。

中島林彦(日経サイエンス編集部)
協力:森 治(宇宙航空研究開発機構:JAXA)
「日経サイエンス」2017年5月号

宇宙ヨットがまず解決すべき課題は、折り畳んだ状態でロケットに搭載した帆を、宇宙空間でピンと張った状態に開き、それを維持することです。これが難しい。イカロスはそれに成功したのですが、それでも想定外のたわみが生じた。

このたわみの原因と解消策が日経サイエンスに書いてあるのですが、詳細になるので割愛します。要するに、こういった宇宙ヨットに関する細かいノウハウがJAXAには蓄積されているわけです。イカロスの当初のミッションは終わったのですが、JAXAはこれからも運用を続けるようです。帆の耐久性や劣化などについての貴重なデータが得られるかもしれないからです。宇宙ヨットに関しては日本が先進国です。


スターショット計画に実現可能性はあるか


しかし金星に行く宇宙ヨットができても、アルファ・ケンタウリに行く宇宙ヨットができるとは限りません。果たしてスターショット計画に実現の可能性はあるのでしょうか。ライトビーマー、ライトセイル(帆)、スターチップの、それぞれの実現の難易度はどうなのでしょうか。

 ライトビーマー(レーザー照射装置) 

まずライトビーマーですが、ナノクラフトを光速の20%まで加速するには100ギガワットという超高出力のレーザーが必要です。アメリカ国防総省はこれ以上に強力なレーザーを開発済みですが、その持続時間は1億分の1秒とか1兆分の1秒しかありません。ナノクラフトを光速の20%まで加速するには数分間、最大10分程度レーザー光を照射する必要があります。

解決策としては、10分間程度の連続出力が可能なキロワット級のレーザーを1億個用意し、それを地上に格子状に並べ、レーザー波を一つに集めて位相が揃った状態でナノクラフトに到達させるしかありません。その設置面積は1キロメートル四方になると見積もられています。

複数個の電波アンテナを格子状(=アレイ状)に配置し、集束して位相の揃った一方向の電波にする装置をフェーズド・アレイ・レーダーといい、すでに確立された技術があります。複数の電波の位相を微妙にズラして放射し、任意方向の強い電波を発生させる技術です。同じ原理でレーザー光を放射するのがフェーズド・アレイ・レーザーです。しかし同じ電磁波でも光は電波の数万倍の周波数があり、位相のコントロールが難しい。アメリカ国防総省はすでに完成させていますが、それはレーザーが数十個という規模のようです。ライトビーマーの1億個のレーザーというのは桁違いです。

しかもスターショット計画の場合、大気圏を通過して上空6万キロメートルにあるナノクラフトのライトセイル(4m×4m)にピンポイントで照射する要があり、これには奇跡的な技術革新が必要です。アメリカのサイエンス・ライター、アン・フィンクベイナーの取材記事を「日経サイエンス」から引用します。


1億個のレーザーからの光は大気の自然な乱れによってそれぞれ曲げられる。それでも最終的には、それらすべてを集束して上空6万kmにある4m四方の帆に当てる必要がある。顧問委員会のメンバーで空軍指向性エネルギー兵器部門のOB科学者であるフューゲート(Robert Fugate)は「1億個のレーザーを、乱流大気を通して位相をそろえた形で6000万メートル先にあるメートルサイズの標的に当てることが、現時点での私の関心事だ」と淡々と語る。光は帆から完全に外れるかもしれず、あるいは不均一に当たって帆の一部分が強く押され、帆が転げ回ってビームからずれてしまうだろう。

ここでも考えうる解決策はあるが、その解決策自体が一連の問題をはらむ。大型望遠鏡にすでに使われている「補償光学」という技術だ。大気の乱れによって生じた歪みを、可変形ミラーで作り出した逆向きの歪みで打ち消す。だがこれをスターショットに応用するには大幅な改変が必要だろう。ライトビーマーの場合、可動鏡ではなく、それぞれのレーザーファイバーを微調整することで大気の影響を補正する必要がある。現在の望遠鏡向け補償光学系の分解能は30ミリ秒角だが(ミリ秒角は対象物が天空上で占める大きさの指標)、スターショットの場合、ビームを0.3ミリ秒角の範囲に絞り込む必要がある。前例のない水準だ。

アン・フィンクベイナー
「日経サイエンス」2017年5月号

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地上のライトビーマー(フェーズド・アレイ・レーザー)からレーザー光を照射し、母船から放出されたナノクラフトを加速する。
(日経サイエンス 2017年5月号)

 ライトセイル(帆) 

次に "ライトセイル" と呼ばれる4m四方の帆ですが、まずこの帆は99.999%の反射率が必要です。反射率が高いということは、それだけレーザー光の反射でよく加速されるということであり、亜光速を目指すナノクラフトとしては当然の要求でしょう。

しかし加速以上に重要な点は「反射されなかった光は熱に変換されてしまう」ことです。超強力レーザーを照射することを考えると、この程度の反射率がないとナノクラフトは一瞬で "燃え尽きて" しまうのです。ちなみにJAXAのイカロスはポリイミド樹脂にアルミを蒸着していますが、反射率は75%~80%です。アルミを徹底的に研磨したとしても反射率は95%程度にしかなりません。

さらにナノクラフトを亜光速に加速するためには、ナノクラフトの重さを数グラムに押さえる必要があります。そのためにはライトセイルの膜の厚さをシャボン玉の膜以下にする必要があると推定されています。シャボン玉の膜厚は1マイクロ・メートル(=ミクロン。1/1000ミリ)以下であり、光の波長に近い極薄ために光の干渉が起こって虹色に見えるわけです。JAXAのイカロスの膜の厚さは7.5マイクロ・メートルです。ライトセイルはその10分の1で作る必要がある。

問題はまだあります。耐久性です。5分~10分で光速度の20%(6万キロメートル/秒)に加速するということは、10万~20万メートル/秒の速度を毎秒加速する(=平均)ということです。この加速度は地球上の重力加速度の1万~2万倍です(=10,000g~20,000g)。瞬間的にはもっと強い加速度がかかると考えられる。ライトセイルはこの加速度に耐える必要があります。

また宇宙空間には微細な塵があります。レーザー照射中に塵で帆に穴があいてはまずく、ライトセイルには強さと耐久性が必要です。

高反射率で耐熱性に優れ、軽く、強くて耐久性があり、とんでもない高価格ではない素材は、まだ存在しません。ここでも奇跡的発明が必要です。

 スターチップ 

スターチップはすべての機能を埋め込んだ "観測装置" ですが、1cm程度の大きさで、重さは 1g 程度に押さえる必要があります。従って、4個搭載予定のカメラ(光センサー)にレンズは使えません。レンズは重すぎるのです。解決策として「平面フーリエ・キャプチャー・アレイ」という小さな回析格子を光センサーの上に配置する方法が検討されています。入射光を波長別にとらえ、チップのコンピュータ処理で望みの焦点距離の像を再構成する技術です。

スターチップには分光計や磁気センサーなどの各種センサーが搭載される予定ですが、難問はアルファ・ケンタウリに到達するまでの電源をどうするかです。現在のところ、暗く冷たい環境で動作し、重さが 1g 未満で、スターチップのすべての機能を実現するだけの十分な電力を得られる電源は存在しません。解決策としては、医療用に使われている小さな原子力電池を改造する方法が考えられています。原子力電池は、半減期の長い放射性同位元素の放射エネルギーを利用する電池で、宇宙探査機や人工衛星、医療(人体に埋め込む小型電池)での利用実績があります。

さらに問題は観測データを地球に送る方法です。方法としては半導体レーザーを使うしかないのですが、4.3光年という距離が問題です。


アルファ・ケンタウリからレーザービームで地球を狙うには非常に高い精度で向きを合わせる必要がある。さらに、4年かけて地球に到達するまでにビームは拡散して薄まり、たった数百個の光子しかとどかない。解決策としては、一定の間隔で飛んでいるスターチップの間で信号をバケツリレーのように受け渡して届ける方法が考えられる。情報を地球に送り返すのが「依然として実に難しい問題だ」と顧問委員を務めるハーバード大学のマンチェスター(Zac Manchester)は言う。

(同上)

スターチップを20年の航行中にガスや塵などの星間物質から守る方法も問題です。


顧問委員を務めるプリンストン大学のドレイン(Bruce Draine)は星間物質をタバコの煙がごく薄くなったようなものだと説明する。だが、その濃度や微粒子のサイズは正確には不明なので、これがもたらす危険は推測しにくい。スターチップと微粒子が光速に近いスピードで衝突すると、小さな傷から完全な破壊まで、様々なダメージが生じるだろう。スターチップのサイズを1cm角として、異星への旅の間に「非常に多数のものと衝突するだろう」とドレインはいう。

保護としてチップを厚さ2mmほどのベリリウム銅でコーティングする方法があるかもしれないが、それでも破壊的な損傷が生じる恐れは残る。

(同上)

スターチップは衝突を生き残るかもしれないし、ダメかもしれない。しかし運がよければ送り出された1000個以上のチップのうちのあるものはアルファ・ケンタウリに到達する・・・・・・。



いずれにせよスターショット計画は、ライトビーマー、ライトセイル(帆)、スターチップのすべてにおいて「奇跡的な技術革新」が必要であり、これらの全部の技術革新がでることを前提に2040年前後に打ち上げ、その20年後にアルファ・ケンタウリに到達する、そういう計画なのです。


問題は技術だけではない


解決すべき課題は技術だけではありません。打ち上げにかかる費用が問題です。ユーリ・ミルナーが拠出した1億ドルは、あくまで初期開発費用に過ぎません。完成までの費用は不明で、特に「キロワット級のレーザー・1億個」に莫大なお金がかかりそうです。


ハーバード・スミソニアン天体物理学センターのシャルボノー(David Charbonneau)は、このプロジェクトは結局とても高価になり、「米国の国家予算の 5% を注ぎ込まねばならなくなるだろう」という。「アポロ計画と同じ割合だ」。

(同上)

さらに問題はその科学的意義です。プロキシマb の調査は確かに意義がありますが、それが目的だとすると、アルファ・ケンタウリまで行かなくても調査の方法はあるのです。


チップで惑星を撮影することは可能で、磁場を調べ惑星大気を採取することもできるかもしれないが、それらすべてを数分の飛行中に行うことになる。打ち上げまでにかかるのと同じ時間と総費用があれば、「口径12~15メートルの光学望遠鏡を宇宙に上げ、この惑星を何ヶ月も観測して、束の間のフライバイでつかむよりもずっと多くの情報が得られるだろう」とプリンストン大学の天体物理学者スパーゲル(David Spergel)はいう。

(同上)

宇宙空間の望遠鏡(=宇宙望遠鏡)は、すでに1990年から実績があります。つまり「ハッブル宇宙望遠鏡」で、主鏡の口径は2.4メートルです。一方、口径12メートルの地上望遠鏡は実用化されていて、30メートルの望遠鏡もハワイで建設が始まっています(日本も参加)。「口径12~15メートルの宇宙望遠鏡」は、確かに前例がない巨大なものですが、現代の技術で可能であり、費用もスターショット計画よりは少ないはずです。


スターショット計画を推進する理由


以上をまとめると、スターショット計画は、

技術的に実現できる見込みが薄く、

たとえ実現できたとしても、必要資金が膨大で

そのうえ科学的価値は、皆無とは言わないが、あまりない

わけです。要するにこの計画を一言でいうと「バカげている」となるでしょう。しかし推進する側としては、そんなことは百も承知のようです。日経サイエンスでは、このプロジェクトのオーナーであるユーリ・ミルナーの発言を次のように紹介しています。


だが結局のところ、別の星に行きたいという欲求は彼(引用注:ミルナー)も認める通り、その理由を説明できないものだ。「なぜだと問いつめられたら、わからないと答えるしかなくなる。重要であると思うだけだ」。

(同上)

そしてこのような発言は、シリコンバレーの億万長者で天文学には素人のユーリ・ミルナーだからの発言ではないのです。記事を書いたフィンクベイナーによると、プロジェクトを推進する側にいる立派な科学者が、同様の発言をしています。


私が尋ねた人のほぼ全員が同じことを言った。納得していない誰かに対してこの理由を説明することはできない。ただ行きたいのだ。プリンストン大学 宇宙物理学科の名誉教授 ガン(James Gunn)はスターショットが成功する見込みは薄く科学的意義もないと考えているが、それでもこう語る。「私はほとんどの事柄につて合理的な考え方をしているが、遠くを目指すという人間性に関しては理屈では考えられない。私は子供のころから別の星に行くことを夢見てきた」。

(同上)


スターショット計画の意義


以下は日経サイエンスのスターショット計画に関する記事を読んだ感想です。まず思ったのは、スターショット計画の「実現の可能性」や「科学的価値」は薄くても(ほとんど無くても)、その技術開発の過程で興味深い成果が生まれそうだという点です。

アルファ・ケンタウリまでは行けないが、太陽系の惑星には到達できる "簡易ナノクラフト" ができたとします。そうすると、太陽系の探査は格段に進むでしょう。宇宙物理学の新たな成果が続々と出てくるかもしれない。

2017年4月14日、NASAは土星探査機・カッシーニの観測結果から、土星の衛星エンケラドスが水蒸気を吹き出しており、そこには水素が含まれると発表しました。衛星の内部に生命を育む環境が存在する可能性あるとのことです。これを観測したカッシーニは1997年に打ち上げれた探査機で、2004年に土星をまわる軌道に入りました。土星まで7年かかっているわけです。

土星と地球の間を光が進む時間は70分~80分程度です。もし仮に、光の速度の1/1000(ナノクラフトの1/200の速度)に加速できる "簡易ナノクラフト" を土星に向かって発射すると、50日程度で到達できる計算になります。太陽系の探査が格段に進むのではないでしょうか。スターショット計画ならぬ、「サターン・ショット計画」や「ジュピター・ショット計画」です。

ライトビーマーについて言うと、顧問委員としてアメリカ空軍の指向性エネルギー兵器部門の出身者が加わっているように、これは軍事技術そのものです。しかし技術には2面性があります。こういった技術が地球の周りを周回している「宇宙ゴミ」の除去に役立つかもしれない。

スターチップを開発する過程では、超小型電源や各種のセンサー、省電力の半導体レーザー技術が開発されるはずですが、これらを簡易化・低コスト化したものは地上におけるセンサーとして役立つと考えられます。IoTと言われる時代、こういうったチップ型センサーの役割は大きいのでです。

億万長者が何にお金を使おうと本人の自由で、ミルナーはポンと1億ドル = 約100億円を拠出しました。これはあくまで初期開発費用であり、第1ステップの技術開発費用です。1億ドルが尽きたとき、次のステップに進めるかどうかは大いに疑わしい。しかし仮にこの計画が第1ステップだけで終わったとしても、他に応用可能な新技術が生まれる可能性が高いと思います。それは1億ドルに見合わないかも知れないが、もしそうなればミルナーの名前とスターショット計画は "伝説" として科学史に残るでしょう。



振り返ってみると、研究者の「興味」「好奇心」「探求心」「理由は言えないが大切だという思い」を原動力とし、それが社会にどういう恩恵をもたらすかは不明なままに始まったプロジェクトや研究で、結果として社会に大きなインパクトを与えた例は多いわけです。もちろん興味だけで終わってしまうも多数あるし、逆に明確な目的意識をもった研究も多い(青色半導体レーザーなどはそうでしょう)。しかしそれだけではない。

スターショット計画とはスケールが全く違いますが、このブログで書いたリチウムイオン電池の発明物語を思い出しました(No.39「リチウムイオン電池とノーベル賞」)。旭化成の吉野彰氏が世界で初めてリチウムイオン電池を作ったのですが、そのトリガーを引いたのは、白川英樹・筑波大名誉教授が1977年に発見した導電性ポリアセチレンでした。吉野氏はこれを負極に使ってリチウムイオン電池の原型を完成せた(1983)。その吉野氏も「導電性ポリアセチレンを使った新素材」の研究から入ったわけで、電池に使おうとは(当初は)思っていなかったのです。

なぜ白川先生が導電性ポリアセチレンの発見に至ったかというと「何に使えるか分からないけれど、電気を通す高分子に興味があったから」です。2000年にノーベル化学賞を受賞したあと、白川先生はそう語っています(No.39参照)。研究者の興味や好奇心が、結果として想定外の発明につながり、社会に大きなインパクトを与えたわけです。



スターショット計画はあまりにも壮大であり、どう考えたらよいか、評価に迷うところです。推進者のミルナーにとって科学観測はあくまで付帯的なものであり、アルファ・ケンタウリに到達したという何らかの証拠が得られればそれで満足なのでしょう。

しかしこの計画が、参画している科学者の探求心や好奇心、「理由は言えないが大切だという思い」に支えられていることは確かだと思います。そのマインドは科学の発展にとって極めて大切なことです。スターショット計画の記者発表会に出席したスティーブン・ホーキング博士は、そのことを言いたかったのでは、と思いました。



 補記:ホーキング博士 

2018年3月14日、英国のスティーヴン・ホーキング博士が76歳で逝去されました。雑誌に掲載された追悼文から引用します。


昨年ケンブリッジ大学で開かれた彼の75歳記念シンポジウムで、ホーキング氏は講演の最後をこう結んだ。

この世に世を受け、理論物理を研究するのに素晴らしい時代であった。私たちの宇宙の理解はこの50年で大きく変わった。そのことに少しでも貢献できたとしたら幸せである。・・・・・・ こうした探求がもたらす興奮と感激を伝えたい。足元を見下ろすのではなく星を見上げよう。見えるものを理解しようと試み、なぜ宇宙が存在するのかを考えよう。好奇心を持ち続けよう。人生がいかに困難に見えても、必ず自分にできること、成し遂げられることがある。大切なのは、諦めないことだ。ご静聴ありがとう。」

この言葉は、身体的な制限にもかかわらず人間精神の高みを達成したホーキング氏のものであるがゆえに、より深く、多くの人の胸に刻まれている。

大栗 博司
米・カリフォルニア大学/東京大学
日経サイエンス(2018年6月号)

スターショット計画という "荒唐無稽な" 計画の顧問に名を連ね、ニューヨークでの記者発表(2016.4.12。記事本文の写真)にも出席されたホーキング博士に敬意を表しつつ、ご冥福を祈りたいと思います。

(2018.5.6)



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No.184 - 脳の中のGPS [科学]


空間位置を把握する能力


今回はNo.50「絶対方位言語と里山」の続きです。No.50 で "絶対方位言語" を話す少数民族の話を書きました。要約すると、

絶対方位言語とは、空間上の位置関係を示すのに、右・左・前・後というような「相対方位」の語彙がなく、東・西・南・北のような「絶対方位」を示す語彙だけをもつ言語である。たとえばオーストラリアのアボリジニにはそういう言語を話す種族がいる。

絶対方位言語の話者は、たとえばテーブルの上のモノの位置関係を示すにも「コップの南東に皿がある」といった表現をする。

絶対方位言語の話者は、方位や自分が現在いる位置の把握能力に優れており、たとえば次のようなことができる。
どの場所に来ても、東西南北の方位を正確に示せる。
家から離れたとろころ(数キロ~100キロ)に来ても、家の方向を正確に示せる。

ということでした。我々はこういう話を聞くと「絶対方位言語の話者は、相対方位の語彙がないために空間位置の認識能力が発達した。一方、(特に近距離において)相対方位を多用する我々は、そういった能力が発達しなかった。」と考えます。それが普通の考え方でしょう。

しかし No.50 の「補記」で紹介した、今井むつみ著「ことばと思考」(岩波新書。2010)には、次の主旨のことが書かれていました。

「相対枠組みが主流の言語」の子どもが「左」と「右」という言葉を学習する時期は、モノの名前などに比べてかなり遅く、これらの言葉を間違えなく使えるようになるのは、5、6歳であると言われている。

「左」「右」などの相対枠組みに依拠した言葉を学習する前の子どもの場合、空間上のモノの位置の認識は、ヒト以外の動物と同様に絶対枠組みに従っているようだ。

ヒトの子どもを含め、動物全般に普遍的に共有される認識は絶対枠組みの認識であり、相対枠組みに従った空間の位置の認識は言語によって作りだされたものであるようだ。

つまり、ヒトの4歳以下のこどもと動物は、絶対的な枠組みで空間の位置関係を把握するということなのです。これは少々意外です。つまり大人である我々は「絶対的な枠組みで空間の位置関係を把握する能力」が自分にあるようには到底思えないし、また4歳以下のときにどうだったかなど覚えていないからです。

しかし実は、ヒトを含む哺乳類は空間での自位置を把握する生物的な能力を持っていて、それは脳科学の進展で実証されてきました。2014年のノーベル生理学・医学賞は、その研究をした3人の科学者に与えられたのですが、以下はその話です。


脳のナビゲーション機能


2014年のノーベル生理学・医学賞は、脳の中の "ナビゲーション機能" を発見した英国・ロンドン大学のオキーフ教授と、ノルウェー科学技術大学のモーザー夫妻に与えられました。日経サイエンスの2016年6月号で、そのモーザー夫妻が脳内のナビゲーション機能を解説していました。そこから引用します。まず最初に次のように出てきます。


近年の研究によって、哺乳類の脳にはGPSに似た極めて成功な追跡システムがあり、脳はそれを使ってある場所から別の場所に私たちを導いていることが明らかになった。

・・・・・・・・・・・・

自分がどこにいてどこに行く必要があるのかを把握する能力、つまりナビゲーション機能は、生きていく上で重要だ。この機能がなければ私たちも他の動物も食物を見つけたり繁殖することはできない。そうした個体は生き延びられないし、それどころかその動物種は絶滅してしまうだろう。

エドバルト・モーザー
マイブリット・モーザー
(ノルウェー科学技術大学)
日経サイエンス(2016年6月号)

日経サイエンス 2016年6月号.jpg
日経サイエンス 2016.6
脳の中にGPSに似たナビゲーション・システムがあると聞くと、えっ!と思ってしまいますが、考えてみるとモーザー夫妻が言うように、動物にとっては必須の能力なのですね。言葉やメモに頼れない動物としては、本能の仕組みで自分の位置の推定とナビゲーションができないと、まずいことになります。絶滅するかどうかは別にしても、発見した餌場と巣穴を間違いなく往復できる個体が生き残り易いことは容易に想像できる。自然淘汰によって動物は、そういう能力を発達させる方向に進化してきたと考えられるのです。さらにモーザー夫妻の解説は続きます。以下の引用で、アンダーラインは原文にはありません。


哺乳類は他の動物と比べて、脳が作る周辺環境の地図、つまり「脳内空間地図」に大きく依存してナビゲーションを行っている。脳内空間地図とは、動物がどのような環境のどの場所にいるかを、神経細胞集団が電気信号で表現したものだ。


脳内空間地図がどのように作られ、移動の際にどのように補正されているのか、過去数十年間で理解が大いに深まった。主に齧歯(げっし)類を対象に行われた近年の研究から、脳内空間地図が数種類の特殊な神経細胞によって構成されており、それらの細胞が現在位置や移動距離、移動の向き、移動の早さを絶えず計算していることが明らかになった。これらの異なる神経細胞が共同で働くことによって、脳内空間地図ができ上がる。この地図は現時点で役立つだけでなく、将来の使用に備えて記憶として保存しておくことも可能だ。



場所細胞とグリッド細胞


最初に発見された「脳内空間地図を構成する特殊な神経細胞」は「場所細胞」(place cell)です。それは、ラットの脳の中の "海馬かいば" で発見されました。なお海馬とはタツノオトシゴの意味です。


英ロンドン大学ユニバーシティカレッジのオキーフ(John O'Keefe)は微小電極を使ってラットの海馬で活動電位を測定した。海馬は記憶機能において重要な働きをすることがかねて知られていた脳領域だ。そして1971年、箱に入ったラットが特定の場所にいるときに発火する神経細胞が海馬に存在することを報告し、それらを「場所細胞」と名づけた(引用注:発火とは神経細胞が情報交換に使っている電気パルスが出ること)。オキーフはまた、箱内の別の場所では別の場所細胞が発火すること、そしてこれらの場所細胞の発火パターン全体が箱内の空間地図を作り出していることに気づいた。多数の場所細胞の活動を電極を使って読み取ることで、ラットの正確な位置をいつでも特定できた。


Place Cell.jpg
一つの場所細胞(place cell)は、ラットがある特定の地点を通過したときに発火する。2014年ノーベル賞の受賞理由をノーベル財団が解説した資料より。
(site : www.nobelprize.org)

この文章を書いているモーザー夫妻はオキーフの弟子です。そしてオキーフの発見から30年以上たったあと、新たな発見をしました。それは脳の中で海馬に隣接する「嗅内皮質きゅうないひしつ」という部位の研究でした。


2002年、私たちは微小電極をラットの嗅内皮質に挿入し、場所細胞の実験と同様の課題をラットが実行しているときの神経活動を記録した。電極を挿入したのは、以前の研究で場所細胞が確認された海馬の部位と、直接つながっている嗅内皮質領域だ。この実験から、この領域の多くの細胞が、海馬の場所細胞と同様、ラットが自分の環境のなかの特定の場所にいるときに発火することが判明した。だが、1つの場所細胞が発火するのは自分のいる環境のなかの1カ所だけなのに対し、嗅内皮質細胞の場合は1つの細胞が複数の地点で発火した

嗅内皮質細胞の最も顕著な特徴は発火の仕方にあった。それが明らかになったのは2005年、ラットが動き回る空間サイズを広げたときだった。私たちは、1つの嗅内皮質細胞が発火する地点を結ぶと正六角形ができ上がることに気づいた。この細胞はラットが正六角形の頂点または中心を通過する際に発火する。私たちはこの細胞を「グリッド(格子)細胞」と名づけた


「正六角形の頂点または中心を通過する際に発火する」との説明がありますが、ということは「正三角形のグリッドの格子点のどれか」を通過するときに、一つのグリッド細胞が発火するということです。

Grid Cell.jpg
一つのグリッド細胞(grid cell)は複数の地点をラットが通過するときに発火し、その地点は正三角形の格子点になっている。
(site : www.nobelprize.org)

このグリッドの間隔は、実空間上の30~35cmに対応しています。そして嗅内皮質にはこのようなグリッド細胞が何千個もあり、1つ1つのグリッド細胞は「正三角形グリッド」の配置位置が少しずつズレています。これはどういうことかと言うと、下の図でA(赤)に相当するグリッド細胞が発火したあとにB(緑)、C(青)の順に発火したとすると、ラットは南西方向に移動したということになります。Aの格子点に最も近接したBとCの格子点は南西方向にあるからです。また移動距離もわかる。つまり、グリッド細胞はラットの移動方向と移動距離を常時計測できるのです。この絵は仮説ですが、具体的な計測の仕組みは現在も研究中です。

Grid-Cell-Module.jpg
多数のグリッド細胞は、それぞれ発火する正三角形格子点がずれており、全体として空間を覆いつくす。ラットの位置によってどれかが発火していて、ラットが移動すると次々と違うグリッド細胞が発火していく。この発火のパターンにより、移動の方向や距離、速度がわかる。
(site : blog.brainfacts.org)

さらにモーザー夫妻の研究で、グリッド細胞が発火する格子のサイズは1つではないことが分かってきました。嗅内皮質は複数の部位(モジュール)に分かれているのですが、部位によって様相が違います。


嗅内皮質の様々な部位のグリッド細胞の活動を調べた結果、部位によって格子の様相が異なることがわかった。嗅内皮質の頂部近く、つまり背側の細胞では、対応する正六角形格子のサイズが小さく、密に配置されていた。嗅内皮質の下方、つまり腹側に行くにつれ、正六角形は段階的に大きくなる。つまりグリッド細胞は複数のモジュールを構成し、それぞれのモジュールでは正六角形のサイズは同じだ。

各モジュールの格子点の間隔は、すぐ上の格子点間隔の約1.4倍(約√2)になっている。嗅内皮質頂部のモジュールでは、あるグリッド細胞が発火した地点からラットが30~35cm移動すると隣の格子点に着いて同じグリッド細胞が再び発火するが、そのすぐ下のモジュールではこの移動距離が1.4倍の42~49cmになる、といった具合だ。もっとも腹側のモジュールでは、この距離が数mにもなった。

海馬.jpg
海馬(緑)と嗅内皮質(黄)の断面図。海馬と嗅内皮質は脳の深部の "内側側頭葉" にある。嗅内皮質は複数のモジュールで構成されていて(黄色の違いで図示)、各モジュールのグリッド細胞は、発火する正三角形格子の間隔が違っている。一つのモジュールにある多数のグリッド細胞の格子間隔は同じであり、それらの格子が空間を埋め尽くしている。歯状回、CA1、CA3は海馬の部位の名称で、矢印は情報伝達経路を示している。
(日経サイエンス 2016年6月号より図を引用)


頭方位細胞・境界細胞・スピード細胞


さらに嗅内皮質には、グリッド細胞以外にも空間位置の把握に関係した神経細胞が発見されました。すでに1980年代~90年代において、ラットが特定の方向を向いたときだけに発火する「頭方位細胞(head direction cell)」が、海馬に近接した前海馬台という部位で見つかっていました。嗅内皮質にも同様の細胞があったのです。


私たちの研究で、嗅内皮質にも頭方位細胞がグリッド細胞に混じって存在していることがわかった。嗅内皮質の頭方位細胞の多くはグリッド細胞としても機能していた。つまり、頭方位細胞が発火する地点も格子状に並んでいるのだが、グリッド細胞とは違って、これらの細胞が発火するのは、それらの格子点でラットが特定の方向を向いているときに限る。頭方位細胞はラットに方位磁石を提供しているようだ。頭方位細胞を観察することによって、ラットが任意の時刻に周辺環境に対してどの方向を向いているかを知ることができた。


なお、嗅内皮質にある "頭方位細胞とグリッド細胞の両方の機能をもつ細胞" は、普通、コンジャンクティヴ細胞(conjunctive cell)と呼ばれています。conjunctive は結合とか共同の意味です。さらに嗅内皮質では、3番目、4番目の神経細胞が発見されました。


2008年、私たちは別の種類の細胞を嗅内皮質で発見した。この「境界細胞」はラットが壁や囲いの縁など、何らかの境界に接近するたびに発火した。境界細胞は動物が境界からどれくらい離れているかを計算しているようだ。


さらに2015年、4種類目の神経細胞が見つかった。動物の位置や移動方向には関係なく、移動の速さに反応する「スピード細胞」だ。この細胞の発火頻度は速さに比例して増加する。実際、数個のスピード細胞の発火率を見るだけで、その動物がある瞬間にどれくらいの速さで移動しているかを確実に知ることができた。スピード細胞は頭方位細胞と協力して、動物に移動に関する最新情報(移動の速さと向き、出発点からの距離)をグリッド細胞に絶えず提供していると考えられる。


嗅内皮質の4つの神経細胞、グリッド細胞、頭方位細胞、境界細胞、スピード細胞は、ラットの頭の向き、現在の移動速度、移動方向、移動距離、環境の境界との距離などを常時計測しています。これらの情報が海馬に送られ、そこで情報が場所細胞に統合されて「脳内空間地図」が作り出されると考えられています。その詳しいメカニズムは現在も研究中です。


脳内空間地図の特質


場所細胞が作り出す脳内空間地図は、特定の環境において今、自分がどこにいるかを表します。従って、動物が新しい環境に移ると、この脳内空間地図は一新されます。ただし再利用のために過去の地図は記憶しておくことができます。

この脳内空間地図は「認知地図 = Cognitive Map」であることが特徴です。つまり動物の視覚、聴覚、臭覚、筋肉の動きなどの特定の感覚から作られるのではありません。視覚を無くしても(環境を暗闇にしても)地図は作られるし、動物を(運動させずに)台座に乗せて移動させても作られる。脳は様々な情報を総合し、統合することを行って(=つまり "認知" のプロセスによって)脳内空間地図を作っているのです。

モーザー夫妻の研究はラットを使ったものですが、そこでの発見は哺乳類全般に共通しているようです。


齧歯げっし類の脳のナビゲーション機能で見つかった多様な細胞は、コウモリやサル、ヒトにも存在する。グリッド細胞などナビゲーション機能に関与する細胞が哺乳類全体に存在していることから、それらの細胞は哺乳類の進化の初期段階で生じたもので、哺乳類は種を越えて同様の神経アルゴリズムを使って現在位置を計算していると考えられる。


当然のことながらコウモリは、高さを含んだ「3次元脳内空間地図」を作りだし、自分の飛行位置を推定していると考えられます。またモーザー夫妻によると、コウモリの中には数百kmから1000kmを越える "渡り" 飛行をするものがあるそうです。この場合もグリッド細胞が働いているのか、そのあたりは今後の研究課題だとあります。

哺乳類である我々人間も、全くの無意識の中で「脳内空間地図」に依存した行動をしていると考えられます。そのことを暗示するような話があります。グリッド細胞などが存在する嗅内皮質ですが、実はアルツハイマー病で最も早く機能が低下する脳領域の一つが嗅内皮質なのです。


アルツハイマー病にかかると嗅内皮質の脳細胞が死ぬため、嗅内皮質の縮小はこの病気の発症リスクの高い人を識別する信頼性の高い指標だと考えられている。徘徊や道に迷う傾向も、この病気の初期の兆候だ



記憶とは何か


場所細胞がある海馬は、脳内で記憶が作られる場所として有名です。海馬に集められた情報から記憶(いわゆるエピソード記憶)が形成され、それが大脳皮質に蓄えられる、というのが一般的な説明です。何らかの原因で海馬が損傷すると、損傷する以前の(すでに蓄えられている)記憶は思い出せるが、損傷した以降は記憶ができなくなる。そしてエピソード記憶は場所の認識と深く結びついているようです。モーザー夫妻は次のように書いています。


海馬の脳内空間地図は動物の2地点間の移動を助けているだけではない。海馬は内側嗅内皮質から位置と距離、方向に関する情報を受け取ったうえで、特定の場所に何があるか(自動車か立て看板かなど)、そこでどんな出来事が起こったかを記録している。このように、場所細胞が作り上げる脳内空間地図には動物自身の位置に関する情報だけでなく、動物の経験についての詳細情報も含まれている。

・・・・・・・・・・・・

場所と記憶のこの結びつきは、古代ギリシャ・ローマ人が発明した記憶術を思い起こさせる。「場所法」というこの方法では、風景や建物など本人がよく知っている場所を思い描いて、それを貫く経路沿いも地点に、記憶したい事柄をひとつずつ配置して「記憶の宮殿」と呼ばれるものを構成する。記憶力コンテストの参加者はいまもこの方法を使って、長い数字列や文字列、トランプの並び順を記憶している。


なぜ「記憶」という能力が発達して進化したのか。それは「どの場所に何があったか(何が起こったか)を想起できるためである」というのは、非常に納得できる説明です。記憶は時系列だけではなく、場所と結びつい整理されているのです。



以上がモーザー夫妻の解説の核心部分です。脳科学の数々の成果がある中で、ノーベル賞委員会がモーザー夫妻に医学・生理学賞を授与したということは、それだけグリッド細胞の発見が画期的だったということでしょう。脳科学者の誰もが予想しなかった発見だったのです。その発見によって30年以上前のオキーフ教授の発見(場所細胞)が脚光を浴び、共同受賞に至る。ノーベル賞ではよくあることです。


感想:アイデンティティーを構成する "場所"


これ以降はモーザー夫妻の解説を読んだ感想です。哺乳類には「脳内空間地図」を作る能力があり、それを使って無意識でナビゲーションを行っている。おそらくヒトもそうである・・・・・・。ネズミの話だと納得できるのですが、我々自身がそうだと言われると、直ぐには信じられない感じもします。つまり、我々がたとえば駅から会社まで徒歩で通勤するとき、毎日ルートを変えたとしても、脳内空間地図を使ったナビゲーションをしているようには感じられないからです。自宅の近くや公園を散歩して回るときもそうです。自分は方向音痴だと "宣言" している人もいるくらいです。

しかし人間には、普段は全く無意識にできているが、ある体の部位が機能不全に陥ったときに初めて無意識下の機能がわかるということがあります。モーザー夫妻の解説に、アルツハイマー病の初期症状である "徘徊" は脳内空間地図を作る機能の欠落、と示唆する文章がありました。なるほどそういうものかと思います。

とにかく、哺乳類の脳の中にGPSのような仕組みがあるとは驚きです。いや、"GPSのような" というのは不正確であり、脳はデット・レコニング能力をもっていると言った方がよいでしょう。

デット・レコニング(dead reckoning)とは船舶・航空機用語で「推測航法」のことです(No.50「絶対方位言語と里山」参照)。つまり、外界からの情報(星の位置とか電波とか)無しに自分の位置を推定でき、目的地の方向を示せる能力です。たとえば旅客機では、ジャイロセンサーで機体の向きを計測し、加速度センサーで計測した加速度を積分することによって自機の位置を常時把握しています。もちろん地上の電波局(ビーコン)からの電波も併用しますが、それがなくても日本からアメリカやヨーロッパへ問題なく飛行できる。これに対しGPS航法は衛星からの情報に依存しているので、デット・レコニングではありません。ネズミには脳内GPSがあるというより、デット・レコニング能力があるというのがより正確だと思います。

ヒトにもこういった脳内空間地図を使ったナビゲーション能力があるというのは推定ですが、神経細胞がヒトで発見されているので哺乳類共通でしょう。最初に引用したように、絶対方位言語を話す民族はデット・レコニング能力があるわけです。脳内空間地図はヒトにも本来備わっている機能だと強く推定できます



さらにモーザー夫妻の解説で気になったのが、場所と記憶の深い関係です。それは単にものごとを覚えることだけにとどまらない感じがします。

アイデンティティーというのでしょうか、「自分が他人とは違う自分であるという確信」を我々は持っています。それがなぜ生まれるのかというと、

過去からの記憶の積み重ね(自伝的記憶)
自分自身が考える、自分の性格
他人にも認められた自分の能力
好みや嗜好
趣味

など、さまざまな要因があると思います。それらの総合体としての "アイデンティティー" だと思うのですが、その中でも「記憶=自伝的記憶」が大きいはずです。その記憶が、実は「場所」と密接にからんでいる。

我々は、自宅や会社の周辺のように毎日訪れる場所もあれば、時々行く場所もあり、旅行で一回だけ行った場所もあります。それらの「場所の記憶の重層的な積み重ね」が「自分史」を構成していて、それがアイデンティティーの重要な部分を占めているのではないか。「記憶にあるさまざまな場所を訪れたことがある存在が、とりもなおさず自分なのだいう確信」がアイデンティティーを構成しているのでしょう。我々がしばしば旅行をする意味がそこにあるのではと思いました。



モーザー夫妻の解説を読んで分かることの一つは、脳がものごとを認知する仕組みの複雑さであり、まだまだ未解明の領域が多々あることです。今後、脳の研究が進むとともに病気の治療方法が開発され、また脳の仕組み応用したAI技術(Artificial Intelligence)も進んでいくのでしょう。

思い起こすと No.174「ディープマインド」で、ディープマインド社のコンピュータ囲碁プログラム「アルファ碁」が世界トップクラスの囲碁棋士に勝ったことを書いたのですが、そのディープマインド社のデミス・ハサビス CEO は、コンピュータ・サイエンスの専門家であると同時に、人間の脳の "海馬" の研究者なのでした(No.174 参照)。


方位認識が混乱する理由


これからは個人的経験にもとづく余談です。"脳内空間地図" による位置や方位の認識の話を読むと、昔経験した「方位の混乱」の理由が納得できたような気がしました。

 個人的経験1:左と右が混乱する 

まず「左」と「右」の混乱です。最初に引用した、今井むつみ著「ことばと思考」(岩波新書。2010)には、

  ヒトの4歳以下のこどもと動物は、絶対的な枠組みで空間の位置関係を把握する。「左」と「右」という言葉をマスターする時期は5、6歳であると言われている。

との主旨がありました。しかし個人的に子供の頃の記憶を思い返してみると、ときどき「左」と「右」が分からなくなったり、あれっどっちが左だったけ? と一瞬とまどったりした記憶があるのです。それは5、6歳というより、小学生・中学生になっても、また高校時代にもそういう経験あった記憶があります。もちろん普段は「左」と「右」がすぐに認識できるのですが、ときに混乱してしまう。20歳代になっても、たまにあったと記憶しています。

現在は全くそういう混乱は起きないのですが、振り返ってみると「左」と「右」が常に混乱なく認識できるようになったのはクルマの運転を始めてから(20歳代後半)ではないかと考えています。

絶対的な枠組みで空間の位置関係を把握するのが脳の仕組みの基本であり、「左」と「右」は言葉によって作られたもののようです。そう考えると「左」と「右」の混乱がよく理解できたと思いました。

 個人的経験2:東西と南北が混乱する 

左右という相対方位の混乱ではなく、東西南北という絶対方位の混乱も覚えがあります。

東京・神奈川のJRの巨大ターミナル駅は、南北方向に駅が延びている(線路が南北方向の)駅が多いわけです。正確にというわけではないが、南北方向に近い駅が多い。東京、上野、池袋、新宿、渋谷、品川、川崎、横浜は皆そうです。私は郊外に住んでいますが、これらのJRの駅に降り立ったとき、暗黙に南北方向と東西方向を取り違えて認識してしまうことがありました。

全部の駅というわけではないのですが、特に横浜駅や渋谷駅があやしかった。JR横浜駅だと、そごうや海の方向を南だと暗黙に思ってしまう(実際は東)。そごうは東口で高島屋は西口だと、頭では十分かっているはずなのにです。JR渋谷駅だと、109のある側が北だと感じてしまい(実際は西)、たとえばNHKは北東方向のようなイメージで考えてしまうことがありました(実際は北西)。逆に、そういう混乱を全く起こさない駅もあって、たとえば新宿です。都庁の方向が西というイメージは間違ったことがありません。これは一時期、新宿のオフィスに通勤していたことが大きいと思っています。

なぜJRの巨大駅で、時々、東西と南北が混乱したイメージを受けるのか。その理由を考えてみると、20歳代前半まで関西で生活していたからではと疑っています。京阪神のJRのターミナル駅を考えてみると、京都、大阪、新大阪(新幹線駅)、天王寺、三宮(神戸)は、すべて東西方向に駅が延びているのですね。

JRの巨大ターミナル駅は、ホームに立つと全部似ています。一直線のプラットフォームが多数あり、線路が延びています。ターミナルといってもヨーロッパ風の "行き止まり駅" ではなく、"通過駅" です。細長い作りであり(あたりまえですが)、プラットフォームの屋根や駅舎・駅ビルにさえぎられて空はあまり見えません。それは大変似通っていて、私鉄の駅にはあまり無い光景です。そして、私の脳の記憶のどこかに「プラットフォームと線路が東西に延びているという脳内空間地図」があるのではないか。それに影響されて、東京・神奈川のターミナル駅でも南北を東西と感じてしまうのではないか。だから実際には東の方向を暗黙に南と感じてしまう・・・・・・。

モーザー夫妻の解説には「脳内空間地図」と記憶(=エピソード記憶。事物やコトの記憶)の深い関係がありました。駅のホームに降り立つという行為と目に入る風景が、かすかな「脳内空間地図」の記憶を想起させ、その地図においてはプラットフォームと線路が東西に延びている・・・・・・。そう考えると、東西と南北の混乱は理解できると思いました。




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No.178 - 野菜は毒だから体によい [科学]

前回からの続きです。前回のNo.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」で書いたことをまとめると、

苦味とは(本来は)危険のサインである。

舌で苦味を感じている「苦味受容体」は、実は体のあちこちに存在し、細菌を排除するためのセンサーとして働いている。

我々が往々にして「苦いが安全な飲物・食物」を摂取するのは「苦味受容体」を活性化させるためではないか。

ということでした。No.177は日経サイエンスの記事からの紹介なのですが、記事に書いてあったのは ① と ② であり、③ はあくまで個人的な感想です。しかしなぜ ③ を思ったのかというと「植物の毒素がヒトにプラスの効果をもたらす」ことを解説した別の記事を読んでいたからでした。今回はその話です。


野菜を食べる意味


世の中一般に「野菜を食べましょう」と推奨されています。野菜を食べることは体にいい、健康にいいと、多くの情報が各種メディアで発信されています。野菜不足を補うためのサプリメントや機能性食品も数多く発売されている。では、なぜ野菜が体にいいのでしょうか。

普通の答は、消化器系を活発にする食物繊維がとれるからであり、各種のビタミンや鉄分などの栄養素の摂取であり、また、活性酸素(フリーラジカル)を弱める抗酸化作用がある各種成分が含まれているからでしょう。そう考えるのが普通です。

しかし最近の研究で「野菜や果物を食べる」ことは、一般的に考えられている以上の効果があることが分かってきました。その効果こそ、野菜や果物を食べるべき一番の理由かもしれないのです。

以下に、日経サイエンス(2016.1)に掲載された「微量毒素の効用」という解説記事から引用します。著者はマーク・マトソン教授で、ジョンズ・ホプキンス大学医学部教授、かつ米国・国立老化研究所 神経科学研究室長の方です。


微量毒素の効用


この解説記事では「なぜ野菜や果物が体によいのだろうか」という問いに対する答えとして、次のように書かれています。


いま見えはじめてきた答えは、植物が害虫から身を守るために何百万年もかけて進化させた防御策に深く関係している。植物が作り出す苦味のある化合物は天然の殺虫剤の役目を果たしている。私たちが植物由来の食品を食べると、これら低濃度の毒性化合物も摂取され、それが人体の細胞に運動や断食と同じような軽いストレスをかける。それで細胞が死ぬことはない。それどころか、弱いストレスに対抗することで、より強いストレスに耐える能力がむしろ強化される。

細胞の回復力が高まるこの現象は「ホルミシス」と呼ばれ、最近の多くの研究は果物や野菜の摂取が体によいのもホルミシスのためであることを示している。

マーク・マトソン教授
「微量毒素の効用」
日経サイエンス(2016年1月号)

植物が昆虫との戦いの中で毒素を獲得してきた経緯、およびヒトと毒素の関係については、以下のように書かれています。


果物や野菜が健康によいのは、植物がそれを食べる昆虫などの動物との間で太古の昔から繰り広げてきた戦いの偶然の副産物だ。個体として、そして種として存続するため、植物は身を守る対抗策を発達させる必要があった。そして何億年もの進化の中で、天然の殺虫剤を合成できるようになった。

それらの化合物はふつう、昆虫を殺しはしない。植物にとって捕食者が死ぬかどうかはどうでもよく、ともかくいなくなってくれればよいのだ。植物がよく使う手は害虫の神経系に作用して追い払う化合物だ。人の舌の味蕾みらいと同様の感覚器が昆虫の口にもあり、これが化合物を感知すると脳に合図が伝わり、植物を食べるのをやめるべきかが判断される。

植物にとって最大の敵は昆虫だが、私たちの祖先である初期の霊長類も、すみかとしていた熱帯林で見つけた植物の根や葉、果実を利用した。植物は食べ物や薬として役立つ一方で、場合によっては悪心おしんや嘔吐を引き起こし、死につながることもあった。

「同上」

確かに植物の毒の中には、食べると死に至るような猛毒もあります(トリカブト、イヌサフランなど。スイセンも危ない)。しかし人間にとってはごく軽い毒も多い。ヒトは長い歴史の中で、そういうものをより分け、食物とし、それを文化として伝承してきたのだと考えられます。


ホルミシス


最初の引用に「ホルミシス」という用語が出てきました。ホルミシスとは「少量なら有益だが、量が増えると有毒になる」という現象です。それを示す分かりやすい図が解説記事にあるので引用します。この図でホルミシスを起こさない毒物とは、たとえば少量でも毒になる水銀です。

ホルミシス.jpg
ホルミシスを起こす毒(上の曲線)と、起こさない毒(下の曲線)を概念的に表した図。ホルミシスを起こす毒は、微量だと体に好影響をもたらす。
(日経サイエンス 2016年1月号より引用)

解説記事では、著者が研究した脳の神経系を例にとって、ホルミシスを起こす物質があげられています。

スルフォラファン(ブロッコリー)
クルクミン(ターメリック)
カフェイン(コーヒーや茶)
カテキン(茶)
カプサイシン(唐辛子)

などです。( )はその化合物が含まれる代表的な植物です。ターメリックはカレーによく使われる香辛料ですね。脳神経においては、これらの化合物が引き金となり、結果として神経伝達物質(アセチルコリン)の量が増えたり、傷ついたタンパク質が除去されたり、抗酸化物質が増えたりします。

著者は米国・国立老化研究所 神経科学研究室長ですが、なぜその著者が植物由来の微量毒素を研究するかというと、これらが、たとえばアルツハイマー病の治療や予防に使えないかと考えているからなのです。著者の行った実験によると、カレー香辛料の一つであるターメリックに含まれるクルクミンをアルツハイマー病を発症させたマウスに投与すると、活性酸素による脳細胞の損傷が押えられ、アルツハイマー病の直接原因であるベータアミロイドの蓄積が少なくなったそうです。これはクルクミンが活性酸素を除去するのではなく、クルクミンが脳細胞にストレスを与え、それがきっかけとなって脳細胞内で抗酸化酵素の生産が始まるからだと分かりました。ヒトの体はストレスに対抗する、ないしはストレスによるダメージから回復する機能を備えています。その機能を軽いストレスで活性化させる。そこがポイントなのです。

ホルミシスを起こす物質として、トウガラシの辛味成分であるカプサイシンがあげられています。これについては日経サイエンスの記事には解説がないので、別の本から引用します。


そもそも人間の舌には辛みを感じる感覚はない。トウガラシの辛み成分であるカプサイシンは舌を強く刺激し、舌の痛覚がそれを感じる。つまり、カプサイシンの辛さは、「痛い!」と感じる辛さなのである。そこで、トウガラシを食べると人間の体は、この痛みの元となる物質を早く消化し無毒化しようとして胃腸を活発化させるわけだ。トウガラシを食べると食欲が増進するのはそのためなのである。

・ ・ ・ ・ ・ ・

トウガラシの辛み成分であるカプサイシンには、食欲増進効果だけでなく、ストレスの解消や体内の脂肪の分解を促進する働きもある。カプサイシンは胃腸から吸収されると副腎に作用し、かなり長時間にわたって、アドレナリンを主成分とする人間を興奮状態にさせるホルモンの分泌を促進するという。ネズミによる実験では、カプサイシンを投与するとアドレナリンの分泌量が最大8倍まで増えたそうだ。アドレナリンは興奮したとき大量に分泌され、筋肉に血液を集め、体内に蓄えられた脂肪の分解を促進してエネルギーを供給し、外敵に備えるように体を準備するホルモンとして知られている。アドレナリンの分泌が8倍というのは、人間が激怒したときの量である。

山本紀夫「トウガラシの世界史」
(中公新書 2016)

まとめると、トウガラシのカプサイシンは舌の痛覚を刺激し、それが "危険" のサインとなって、体のあちこちがそれに備える行動に出る、ということでしょう。我々は安全な "危険物質" を摂取することで、体を活性化し、それが健康につながっているわけです。

上の図を見て思ったのですが、ホルミシスは「ストレスから回復する体の機能」があるからこそで、その機能は長い進化の中で獲得されてきたものです。ということは、この100年程度の間に人間が作り出した化学物質は、もしそれがヒトにとって毒だとすると、水銀と同じようにホルミシスを起さない毒なのでしょう。植物の微量毒素と人間が作り出した微量毒素(放射線なども含む)を同列に論じることはできないと思いました。


人間と植物のつきあい


これ以降は記事を読んだ感想です。人と植物の毒素のつきあいを振り返ってみると、次のようにまとめられると思います。

植物は昆虫に食べられることを避けるために毒を作り出す。その毒はヒトにとって苦味として感じられる。

その苦味は基本的には「食べてはいけない」というサインである。

しかし毒のなかにはホルミシスを引き起こす毒がある。そのような毒は、微量(適量)を摂取するなら、ヒトの体を健康にする効果をもつ。

そのことをヒトは経験の蓄積で知り、それを伝承してきた。だから我々は、往々にして苦い飲物・食物を摂取する。

この観点からすると、子どもがブロッコリーや渋茶を忌避するとしたら、それは本能的行為であり、子どもとしては正しい行為ということになります。しかし大人になってもなおかつ忌避するとしたら(=いわゆる "子供っぽい舌")、それは「人類の歴史や文化をわきまえない行為」ということになるでしょう。もちろん食物や飲料には誰しも嗜好があるので、好き嫌いがあってもかまいません。かまわないのですが、苦味(渋味)があるという理由でだけで忌避するとしたら、それは子ども並みだということです。


スポーツの効用


日経サイエンスの記事の引用で、食物の微量毒素が「運動や断食と同じような軽いストレス」を与え、それが体によいという記述が出てきました。断食をしたことはないので何とも言えませんが、運動は確かにそう思います。

個人的にはランニングが趣味なのですが、ランニングというのは「体に軽いダメージ」を与える行為だと思うのですね。体はそのダメージから回復する力を内在している。常に「軽いダメージからの回復過程」に体を置くことで、健康が維持され、風邪もほとんどひかない。そういう風に思います。

もちろん「軽い」ということが重要です。蓄積するような重いダメージ、ないしはケガにつながるようなダメージでは元も子もありません。筋力の鍛え具合い、年齢、ランニングの間隔やタイミング、その時の体調などを判断し、運動量を調整することが重要です。それはランニングだけでなく、趣味でやるスポーツ全般について言えると思います。食物の微量毒素がホルミシスによって体によい影響を与えることと、スポーツが体によいことは、全くパラレルに論じることができると思いました。


使わない機能は衰える


さらに以上の話は、人間の免疫機能についても同じように考えられると思いました。No.119-120「不在という伝染病」で書かれていたことは、人間の免疫機能を正しく維持するには「微生物に接する環境」が重要であり、それによって免疫関連疾患も少なくなるいうことでした。人間は、

ストレスやダメージからの回復機能
ダメージの原因となる物質や微生物の排除機能

を持っています。こういった機能も「使わないと衰える」わけです。それは、筋肉を使わないと衰えるのとまったく同じことです。回復機能や排除機能を衰えさせないためには、常にそれが働く環境を作ることが重要ということだと思います。

健康に過ごすために、人は往々にして「不健康になる原因を取り除く」ことばかりを考えていまいます。しかし不健康になる原因は生活環境中にいっぱいあります。それを完全に排除することはできません。だとしたら、人が本来もっている「少々の不健康からはすぐに回復できる力」を鍛えておいた方が得策というものです。鍛えないまでも、衰えないような生活習慣を身につけた方がよい。そいういうことだと思いました。


サプリメントと品種改良


この「微量毒素の効用」という記事は、「サプリメント」と「野菜の品種改良」についての問題提起にもなっていると感じました。記事を読んで分かることは、

  野菜をとることと、野菜不足を補うためにサプリメントを飲むことは意味が違う

ということです。なぜなら、サプリメント(ビタミンや各種の栄養素、食物繊維など)には微量毒素が入っていないからです。サプリメントに意味が無いわけではありませんが、野菜の摂取を代替できないことを知っておくべきでしょう。

このことに関してですが、記事の中に「運動と抗酸化サプリメントの摂取の両方をやると血糖値が低下しなかったが、運動だけをすると血糖値が低下した」という、別の研究チームの実験結果が出てきます。この理由ですが、抗酸化サプリメントの摂取が運動によるホルミシスを阻害するからではと疑われています。サプリメントは野菜を代替できないのみならず、有害なこともありうる(疑い)のです。

さらに、前回のNo.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」でも書いたのですが、

  野菜や果物に含まれる苦味物質=微量毒素を少なくするような品種改良は、人間の健康にとってマイナスになる

と理解できます。なぜならその手の品種改良は、わざわざ一番大切なものを失っているからです。これは品種改良ではなく品種改悪と呼んだ方がよいでしょう。

植物を含む自然界の仕組みは奥深いし、人間の体のしくみも解明されていないことがいっぱいあります。うわべだけを見て判断する「浅知恵」にならないようにしたいものです。




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No.177 - 自己と非自己の科学:苦味受容体 [科学]

ヒトの免疫についての記事の続きです。今までの記事でヒトの免疫について5回書きました。

  No.69自己と非自己の科学(1)
  No.70自己と非自己の科学(2)
  No.119「不在」という伝染病(1)
  No.120「不在」という伝染病(2)
  No.122自己と非自己の科学:自然免疫

の5つです。No.69とNo.70は "獲得免疫"、No.122 は "自然免疫" の話です。また No.119-120 は免疫関連疾患と "微生物の不在" の関係でした。

獲得免疫は特定の "非自己"(細菌やウイルス)に特異的に反応する免疫系です。その発動には時間がかかりますが(数日程度)、免疫記憶が成立するので2度目に同じ "非自己" が進入しようとしたときには速やかに撃退します。つまり実質的に病気にかからなくなるわけです(ワクチンの原理)。

一方の自然免疫は、自然界に存在する "非自己" の一般的な特徴(RNAや細胞壁など)に反応するため、特定の非自己を狙い撃ちすることはできませんが、反応時間が短いという特徴がありました。速効性がある免疫系です。

ヒトの免疫系は、従来、これら獲得免疫と自然免疫だと考えられてきました。しかし最近の研究で、別種の「非自己排除システム」がヒトに備わっていることが見つかってきました。それは「第2の自然免疫」とでも言うべきもので、今回はその話です。


鼻や気道の防御システム


ヒトが外界から何らかのモノを取り入れる器官というと、まず思い浮かぶのが口・食道・胃・十二指腸・小腸という消化器系です。消化器系には食物や水分とともに各種の細菌やウイルスが入ってくるので、ヒトの免疫系がそれらを排除する "最前線の戦場" となっています。

しかし外界からモノを取り込むという意味では、もう一つ重要な器官があります。鼻・気道・気管・肺という呼吸器系です。ここにも空気と一緒に細菌やウイルスなどの "非自己" が入ってきますが、最近の研究でこれらを排除するしくみがあることが分かってきました。以下に、日経サイエンス 2016年5月号の解説記事から引用します。著者はペンシルヴァニア大学のリー助教授とコーエン準教授です。引用中の下線は原文にはありません。


人は平均して1日に1万リットルを超える空気を主に鼻を通して吸い込んでおり、その空気には無数の細菌や真菌、ウイルスが含まれている。つまり鼻は呼吸器における防御の最前線に位置するわけだ。息をするたびに塵やウイルス、細菌、真菌の胞子などが鼻で捕らえられる。だが驚くことに、たいていの人は気道感染症を患うことなく自由に呼吸して歩き回っている。

その理由は、かつては思いも寄らなかったことに、舌にあるらしい。舌で苦味を感じているタンパク質、つまり「苦味受容体」が、別の役割を持っていて、細菌から体を守っていることが明らかになったのだ。私たちの研究で苦味受容体が鼻の細胞にも存在し、細菌に対して3種類の防御反応を誘発することが示された。

リー助教授・コーエン準教授
(日経サイエンス 2016年5月号)

ここで "味" について復習しておきますと、舌の味蕾みらいには、味のセンサーである「味覚受容体」があります。味覚受容体は5種類あり、甘味、苦味、うま味、酸味、塩味を検知します。これは私たちが口にした食物の情報を脳に伝えるものです。甘味は「糖」、うま味は「アミノ酸」、酸味は「酸 = 水素イオン」、塩味は「塩 = ナトリウムイオン」です。では苦味は何を検知しているのでしょうか。


苦味受容体はストリキニーネやニコチンなどアルカロイドと総称される植物由来の毒性化学物質を検知できる。そして、私たちが「苦い」と表現している味を、脳は不快なものと感じる。苦味受容体は、害を及ぼす可能性がある化学物質の存在を知らせるために進化してきたからだ。

有害物質の検知は生存に不可欠である。苦味受容体に実に多くの種類があるのはこのためだろう。甘味や塩味、酸味、うま味を感じる受容体はそれぞれ1種類しかないが、苦味受容体は少なくとも25種類ある。これらの苦味受容体はまとめて T2R と呼ばれ、おそらく多様な毒素を私たちが認識して飲み込まないようにするために進化したのだろう。

「同上」


3種の防御システム


苦味受容体は、最初の引用にあるように、細菌に対して3種類の防御反応を誘発します。それが初めて発見されたのは、肺でした。


体の別の場所にある苦味受容体が果たしている役割について手がかりが得られ始めたのは2009年のことだ。その年、アイオワ大学の研究者が肺の内面を覆う上皮細胞にT2Rを発見した。肺に吸い込まれた病原菌や刺激物質は、上皮細胞の上にあるねばねばした粘液に捕らえられる。すると、細胞表面の小さな線毛が同期して1秒間に8~15回むち打ち運動し、刺激物質を喉に向けて押し戻す。押し戻された刺激物質は、飲み込まれるか体外に吐き出される。

アイオワ大学の研究チームは、T2Rが苦味物質によって刺激されると、人間の肺上皮細胞の線毛運動が速くなることを見いだした。この発見は、害を及ぼす可能性のある吸引物質(口では苦いと感じられるもの)を気道から除去するのにT2Rが寄与していることを示唆している。

「同上」

苦味受容体が誘発する3種類の防御反応のうち、その1番目は「細胞にシグナルを送り、線毛を動かして進入物を押し出す」という防御反応です。それは肺だけでなく鼻にもあることが分かりました。



2番目の防御反応は「苦味受容体が細胞に指示して殺菌作用のある一酸化窒素を放出させる」というものです。この反応は次のように進みます。①~④の数字は下の図と対応しています。

グラム陰性菌は鼻に感染すると、アシル化 ホモセリン ラクトン(AHL)という化学物質を放出する。

このAHLは鼻の上皮細胞の線毛に存在するT2R38と呼ばれる苦味受容体(25種ある苦味受容体の一種)によって検知される。

これを受けて、細胞は一酸化窒素をガスを放出する。

このガスが細菌を殺す。

一酸化窒素プロセス.jpg
(日経サイエンス 2016年5月号より引用)

グラム陰性菌という言葉が出てきましたが、一般に細菌は「グラム陽性菌」「グラム陰性菌」「マイコプラズマ」の3種に大別できます。これについては、No.122「自己と非自己の科学:自然免疫」に説明を書きました。ヒトの病原性細菌の大多数はグラム陰性菌です。



3番目の防御反応は「苦味受容体が別の細胞にシグナルを送り、ディフェンシンという抗菌タンパク質を放出させる」というものです。この反応は次のように進みます。この反応には、ブドウ糖などを検知する甘味受容体(T1R)も関係しています。

感染性細菌が出す苦味物質が苦味受容体(T2R)に接触する。

細胞はカルシウムを放出する。

カルシウムが合図となって周辺の細胞がディフェンシンというタンパク質を作りだし、放出する。

ディフェンシンは細菌を傷つけて殺す。

その結果、ブドウ糖などの甘味物質が細菌に消費されなくなり、増加する。

甘味受容体(T1R)がブドウ糖を検知すると、苦味受容体(T2R)の活動が押さえられる。

ディフェンシン・プロセス.jpg
(日経サイエンス 2016年5月号より引用)

甘味受容体(T1R)が苦味受容体(T2R)の過剰反応を押さえる役割を担っていると考えられています。



さらに最近の研究によると、苦味受容体は鼻や肺などの呼吸器系だけでなく、体のあちこちに存在し、免疫機能を果たしていることが分かってきました。


鼻以外の器官でも、味覚受容体と免疫との関連性が見えてきた。2014年、尿路の化学感覚細胞が病原性大腸菌に出会うと、T2Rを使って膀胱を刺激して排尿を促すことが明らかになった。体が細菌を尿とともに洗い流して膀胱感染症を防ごうとしているのだろう。最近の別の研究では、好中球やリンパ球などの白血球(免疫系の主要メンバー)もT2R38を使ってグラム陰性菌が作るAHLを検知していることが示されている。

「同上」

ちなみに日経サイエンス 2013年12月号には、小腸に甘味受容体があることが書かれています。小腸が糖の甘味をキャッチすると、それがインスリンを分泌するシグナルになる。インスリンは血糖を細胞や肝臓に蓄えて血糖値を下げる働きをします。しかもこの小腸の甘味受容体は人工甘味料に "騙される" らしい・・・・・・。甘味受容体もまた、舌だけにあるわけではないのです。


自然免疫との比較


苦味受容体による細菌からの防御システムと、No.122 の自然免疫を対比すると、大きな違いはその反応時間です。自然免疫の反応は数時間かかりますが、苦味受容体は数秒から数分で反応すると言います。リー、コーエン両教授の解説記事にも、


苦味受容体は一種の "臨戦態勢" にあって、即座に反応を起こすことで、感染初期において最も重要な防御を担っているのかもしれない。他の免疫受容体(引用注:自然免疫、獲得免疫にかかわる受容体)は感染が長期化した場合に重要になるのだろう。最初の免疫反応では不十分だった場合に、免疫軍を召集するのだ。

「同上」

と書かれていました。まさに苦味受容体による防御反応は第2の自然免疫であり、最初に反応する最前線の免疫系なのです。


苦味受容体の多様性


苦味受容体の大きな特徴として解説記事で強調されているのは、その遺伝的な多様性です。


T2R苦味受容体に多くの遺伝的変異体が存在することは、免疫におけるこれらの受容体の役割をいっそう興味深いものにしている。25種類の苦味受容体のほとんどに検知能が異なる遺伝的変異体があるため、苦味物質に対する感受性は人によって異なる。

「同上」

そして、苦味物質に対する感受性の強い人は、グラム陰性菌による鼻の感染症にかかる率が低いことが書かれていました。

ここからは感想ですが、このくだりを読んで思い起こしたのが獲得免疫の多様性です(No.69-70)。免疫の働きは人によって強い・弱いがあります。"非自己" を徹底的に排除する(免疫力が強い)のが一見良いようですが、そうすると、間違って "自己" を攻撃することになりかねません。また "非自己" といっても、細菌の多くは人間と共生しているわけであり、病原性を示すものは少数です。さらに "非自己" のありようは、ヒトを取り巻く環境によって大きく変わります。つまり多様性が大切なのであって、ヒトは長い進化の中で多様性を獲得してきたわけです。

獲得免疫に関するこの多様性の話は、苦味受容体にも当てはまりそうです。しかも、苦味受容体の反応を押さえる役割(甘味受容体)もある。これも獲得免疫と似ていると思いました。


苦味の効用


苦味とは何か。それは五味(甘味、うま味、苦味、酸味、塩味)の中で、一つだけ他とは違っているようです。解説記事にあるように、

  苦味とは危険のサイン

だと理解できます。ヒトは舌で苦味を感じると、その苦味物質を吐き出す。鼻にある受容体が苦味をキャッチすると、その原因物質(細菌)を排除する。同じメカニズムが働いています。苦味のセンサーである苦味受容体は多種類あり、それはヒトが長い進化の歴史の中で獲得してきたものです。

しかし飲料・食物の中には、苦味を感じても危険でないものがあるわけです。そして我々は往々にして、そういった「安全な苦味」を口にしている。たとえばコーヒーです。コーヒーにもいろんな濃さがありますが、たとえばスターバックスのドリップ・コーヒーやエスプレッソをブラックで飲むと、それはかなり苦い。でも我々は(私は)ブラックのコーヒーやエスプレッソを飲みます。

他の飲料では、ビールが苦いわけです。ホップの苦味がないとビールではなくなります。お茶(緑茶、紅茶)も、種類や入れ方にもよりますが、苦味がある。

ここで言葉(日本語)に注意しなければならないと思います。No.108「UMAMIのちから」で書いたように、日本語では「苦い」と「渋い」を区別しますが、英語では両方とも bitter です。そして学術的に言うと「渋味」は「苦味」の中に含まれています。「渋味」というのは5つの基本味には入っていないのです。苦味受容体という場合の「苦味」は、日本語の「渋味」を含めて考えないといけない。そういう意味で、お茶は(特に緑茶は)"苦い" ものが多いわけです。さらに飲み物では、赤ワインにもブドウの皮に由来する "苦味"(=渋味)がある。基本味で言うと、酸味プラス苦味で成り立っている飲み物が赤ワインなのですね。

日常の食品でも苦いものがあります。生のニンジン、ブロッコリー、キュウリ、菜の花、芽キャベツ、ホウレン草、ピーマン、パセリ、セロリなどは(本来は)苦味を感じるものだし、その他、いろいろあると思います。柑橘類にも苦いものがある。サンマや鮎の塩焼きや、丸干しなどのワタ(魚の内臓)もそうです。我々は子どもの頃は、そういった飲料・食品は好まないのですが、大人になるにつれてしばしば(ないしは日常的に)口にするようになる。それはどういうことなのか。

それは「安全な苦味」を口にすることで、消化器系や呼吸器系の苦味受容体を活性化させ、体から "非自己"(細菌など)を排除する働きを高めているということではないでしょうか。苦味受容体が「第2の自然免疫」のセンサーとして働いていることを知ると、そういう風に思えてきました。その意味で、苦み物質を消し去るように野菜を品種改良することは、果たしていいことなのかとも考えました。甘ければいいというのは、違うのではないか。子供に "おもねる" がごとき品種改良はやめた方がいいのではないか・・・・・・。

とにかく、この記事を読んで「ブラックのコーヒーを毎日飲む理由」と「赤ワインをしばしば飲む理由」が、個人的には納得できた次第です。さらに、長い日本の歴史において日常的に緑茶を飲む習慣ができあがり、それから発展して日本文化の大ジャンル(=茶道)が確立した理由が(あくまで個人的感想としてですが)理解できました。

続く


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No.170 - 赤ちゃんはRとLを聞き分ける [科学]

前回の No.169「10代の脳」では、日経サイエンス 2016年3月号の解説に従って、10代の脳が持つ特別な性質や働きを紹介しましたが、同じ号に "赤ちゃんの脳" の話が載っていました。『赤ちゃんの超言語力』と題した、ワシントン大学のパトリシア・クール教授の解説記事です。題名のように赤ちゃんが言葉を習得する能力についての話ですが、前回と同じく、脳の発達の話として大変興味深かったので紹介したいと思います。


赤ちゃんの言語習得


「あー、うー」としか言わなかった幼児が言葉を習得し、「まんま」とか言い出す。そして文らしきものをしゃべり出す・・・・・・。この過程は、よくよく考えてみると驚くべきことです。誰かが系統的に言葉を教え込んだのではないにもかかわらず、大人とのコミュニケーションが次第に可能になっていく。2歳とか3歳の幼児がいる親は、今まさにその現場に立ち会っているわけです。子育てに忙殺されて驚くどころではないと思いますが、第三者の目で客観的に眺めてみると、言葉の習得というのは驚くべき脳の発達です。

では、その赤ちゃんの言語能力はどういう風に発達するのか。日経サイエンスの記事『赤ちゃんの超言語力』には、まず次のように書いてあります。


誕生時の赤ちゃんは、世界の言語に800種類ほどある「音素」をすべて認識する能力がある。

パトリシア・クール教授
(ワシントン大学)
『赤ちゃんの超言語力』
(日経サイエンス 2016年3月号)

日経サイエンス 2016年3月号.jpg
日経サイエンス
2016年3月号
クール教授がここでまず言っているのは、赤ちゃんはどの言語でも習得できる潜在能力があるということです。記事によると世界には約7000の言語があるそうですが(数え方によるでしょうが)、赤ちゃんは生まれながらにしてどの言語でも習得できる。これは納得できます。

引用に出てくる「音素」という言葉ですが、これはおおざっぱには「子音」や「母音」のことです。ただし「音素」という場合、音声学的な(物理的な)音の分類ではありません。その言語の話者にとって「同じ音」だと認識されるものは同じ音素であり「違う音だ」と認識されるものは違う音素です。たとえば日本語の「シ」の発音の子音ですが、日本語話者からみて似たような英語の子音として、she, silk, think の最初の音があります。英語話者にとってこの3つの子音は違う音素です。これを日本語話者が日本語風に「シー」「シルク」「シンク」と発音したとしたら(また聞いたとしたら)、それは同じ音素と認識したことになります。音素は音声の問題ではなく、脳がどういう風に認識するかの問題です。その音素の違いが言葉の意味の違いにつながります。

この視点からみると、世界中の言語には、合計約800の音素がある。上の引用はそう言っています。


母国語を話せるようになるには、全部で800ある音素のうち母国語が用いる約40種類を識別する必要がある。そのためには微妙な発音の違いを聞き取らなくてはならない。

パトリシア・クール
『赤ちゃんの超言語力』

音素の数は言語によって違います。英語の音素は45程度で、日本語は25程度です。クール教授が「約40種類の音素」と書いているのは、英語を念頭に置いているか、もしくはどんな言語でも40程度の音素を識別できれば十分という意味かと思います。

音の微妙な違いの判別が必要、というのはまさにそうです。日本語の「あ・い・う・え・お」の母音は違う母音(=音素)です。しかし実際の会話では、これらは必ずしも明瞭に言い分けられているのではありません。「あ」「え」「お」などは、純粋な音としてはその区別がずいぶん曖昧に発音されることがある。それでも区別できるのは、大人からすると当然です。「えるく」「おるく」に近い音を発音しても、会話の中では「あるく・歩く」に聞こえる。日本語にはその単語しかないからです。また「あり・蟻」を「えり・襟」「おり・檻」に近く発音しても、全く違うものを指しているので文脈から判断できます。その他、アクセントとかイントネーションとか、区別の手段はいろいろあります。

しかし幼児はそもそも単語や文を知りません。どうやって音素を区別するのでしょうか。また単語はどうやって認識するのでしょうか。さらに、その能力はいつ頃から生まれてくるのでしょうか。


「敏感期」の脳は "統計的学習" をする



生後6ヶ月から1年の間に、子どもの脳で秘密のドアが開くことが私たちの研究から示されている。神経科学でいう「敏感期」に入ると子どもは言葉という魔法の最初の基礎レッスンを受けられるようになる。

子どもの脳が母国語の音を最も覚えやすくなる時期は、母音については生後6ヶ月、子音については9ヶ月ごろから始まる。敏感期は2~3ヶ月しか続かないが、第2言語の音に触れるとさらに長くなるようだ。

『赤ちゃんの超言語力』

「言葉という魔法の最初の基礎レッスン」は、幼児の月齢6ヶ月から1歳程度の間に行われるというのポイントです。その "レッスン" において、幼児はどうやって言葉(音素や単語)を学ぶのか。それはまず「脳における統計的学習」です。


私の研究と、当時ノースウェスタン大学にいたメイ(Jessica Maye)の研究で、幼児がどの音素が最も重要かを学ぶ際に、音の頻度という統計パターンが決定的役割を果たしていることが示された。8ヶ月齢から10ヶ月齢の子どもは話し言葉をまだ理解していない。しかし、音素がどれぐらいの頻度で聞こえるか(統計学でいう度数分布)については非常に敏感だ。

『赤ちゃんの超言語力』

特定の音が聞こえる頻度が幼児の脳に影響を及ぼすのです。このことが、英語の r と l の音と、それに相当する日本語の R (ローマ字表記で r と書かれる ラ・リ・ル・レ・ロ の子音。英語と区別するために大文字にした)を例に説明してあります。英語の r と l はもちろん違う音素であり、right と light のように、その違いで意味がガラリと変わります。一方、日本語の R は、英語を基準に考えると r と l の中間的な音です。ラーメンなどはむしろ l のように聞こえるといいます。このような音の認識は、8ヶ月齢から10ヶ月齢で確立されるようです。


赤ちゃんの脳ではいったい何が起きているのか。メイは、この月齢(引用注:8ヶ月~10ヶ月齢のこと)の脳は柔軟性が非常に高く、音の認識の仕方を変えられることを示した。日本人の赤ちゃんは英語の音を聞くと米国で使われている r と l の音を区別できるようになる。同様に英語のネイティブスピーカーに囲まれて育った赤ちゃんも、日本語特有の音を認識しうる。

生後半年から1年で学んだ音によって脳では母国語の神経系の接続が確立し、その時期に複数の言語に接していない限りは別の言語の接続は確立しないようだ。小児後期以降、特に大人になってからは、新しい言語を聞いても劇的な影響は生じない。

『赤ちゃんの超言語力』

この引用における「日本人の赤ちゃん」とは、もちろん「日本語環境で育った日本人の赤ちゃん」ということです。

クール教授は、成長してから第2言語を学ぶ難しさがここにあるといいます。第2言語が学べないということではありません。しかし「脳の音素の認識回路」に限っていうと、それは幼児期に決まると言っているのです。

米国人、日本人、台湾人の幼児を調査した結果が載っています。米国人にとって ra と la の違いを識別するのは容易ですが、日本人にとっては難しい。一方、台湾人にとって qi と xi の違いを識別するのは容易だが、米国人にとっては難しい。このことを赤ちゃんで検証した研究です。一番のポイントは、6ヶ月~8ヶ月齢の赤ちゃんは、その赤ちゃんがどういう言語環境で育っているかにかかわらず、ra と la、qi と xi を聞き分ける能力が同じだということです。それが数ヶ月で大きく変化します。


6ヶ月齢から8ヶ月齢の子どもは育った文化に関係なく ra と la の音を区別できる。しかし10ヶ月齢になるとこの能力は閉ざされ始め、特定の言語文化に染まり始めた最初の兆候が表れる。

東京とシアトルで行われた研究では、その時期に日本人の幼児は ra と la の違いを聞き取る能力が低下したが、米国の幼児は高くなった(赤線)。

台北とシアトルの研究では、qi と xi の音の違いを聞き取る能力が台湾人幼児は延びたのに対し、米国人幼児は下がった(紫線)。幼児は言葉を覚えるためにまさに必要なことを本能的に行っている。

『赤ちゃんの超言語力』

音素の認識率.jpg
米国人、日本人、台湾人の赤ちゃんの音素識別能力を計測した研究。生後6ヶ月齢の赤ちゃんは似たような能力だが、10ヶ月齢になると育てられている環境で差が出てくる。たとえば「ra と la の違いを識別する」能力は、米国人の赤ちゃんと日本人の赤ちゃんでは明白な差が現れる。
(日経サイエンス 2016年3月号 より)

脳の統計的学習で音素が認識できたとして、次には単語を認識する必要があります。書かれた言葉と違って、耳で聞く言葉は「単語の区切り」がありません。赤ちゃんはどうやって単語を認識するのでしょうか。

クール教授によると、これも「脳の統計的学習」だと言います。Aという "音節"(=言葉として発音される最小限の音素の集まり。音節の組み合わせで単語ができる)のあとにBという音節が聞こえる頻度が高ければ、A+Bを単語だと認識する。コンピュータによる音声合成で、ランダムに音節を組み合わせて作った無意味な単語を幼児に聞かせた実験が示されています。特定の組み合わせの頻度だけを高めて聞かせると(それも無意味な単語ですが)、その "単語" に幼児は反応するようになる。つまり "音節の組み合わせが聞こえる頻度" という統計的学習で単語の認識がされるのです。


幼児は「人との交流」で言葉を覚える


さらにクール教授が強調していることがあります。幼児の脳におけるは統計的学習は、人との交流で起動されるという事実です。

ある実験が示されています。シアトルに住む米国人の9ヶ月齢の赤ちゃんに、標準中国語を聞かせるという実験です。赤ちゃんは4つのグループに分けれられます。

第1グループ
中国語のネイティヴ・スピーカーが話しかけます。

第2グループ
中国語のネイティヴ・スピーカーが話しかけるビデオを見せます。

第3グループ
中国語のネイティヴ・スピーカーが話しかける録音テープを聞かせます。

第4グループ
米国人が英語で話しかけます。これは比較対照のためです。

このセッションは1ヶ月に12回に行われました。そして10ヶ月齢になったときに検査すると、中国語の音素が聞き取れたのは第1グループだけでした。これは赤ちゃんの言語の習得には人との交流が決定的に重要なことを示しています。


親語(ペアレンティーズ)の重要性


クール教授はさらに「親語 = ペアレンティーズ」の重要性を指摘しています。「親語」とは、親が子どもに話しかけるときにしか使わない特有の言葉や発声方法です。母親語(マザーリーズ)とか、幼児語というのも同じことです。

日本語でいうと、たとえば食事(ないしは "ごはん")のことを "まんま" というたぐいです。また特別な幼児語を使わないまでも、たとえば赤ちゃんが「彩」という名前だったとすると「あーやーちゃーん」と、かなりの抑揚をつけて呼びかけたりすることを言います。

実は親語は、それを聞く赤ちゃんが音素を認識しやすく、また単語を認識しやすい言葉使いなのです。高い音は幼児の注意を引きつけ、また音と音との違いが強調された言葉になっている。我々は暗黙に「赤ちゃんなのだから特有の言葉を使い、特有の発音方法をするのは当たり前」と思ってしまうのだけれど、親語には赤ちゃんの言語習得にとって重要な意味があるのです。クール教授の解説記事には、親語で話かけられた赤ちゃんは、親語で話しかけられなかった赤ちゃんの2倍の単語を覚えたという話がでてきます。

言葉の意味の習得には、親とのコミュニケーションがさらに重要です。たとえば、幼児は親の視線に敏感です。親が何気なくおもちゃに視線を向けて「おもちゃ」と発話する。すると幼児はそれを敏感に察知する・・・・・・。このような行為の繰り返しが、単語の意味の習得に役立っているのです。


赤ちゃんの "言語脳"


以上のクール教授の解説をまとめると

赤ちゃんは、親がそれとは全く気づかない時期から言葉の習得を始めている(生後6ヶ月~1年)。

赤ちゃんが言葉を習得するには "親の語りかけ" が決定的に重要であり、中でも "親語" は大切な役割をはたしている。

ということだと思います。ほとんどの親は ② を無意識にせよ、やっているでしょう。しかし、それがどういう効果をもつのか、自覚している親は少ないのではないでしょうか。しかし ① のようなことを知ると、育児における親の行為の重要性が理解できる、この記事を読んでそう思いました。

もう一つ思ったのは、AI(人工知能)との関係です。赤ちゃんが言葉の音(音素)を認識し、また単語を認識するのは、赤ちゃんの脳にインプットされた「音素」や「音の組み合わせ」を脳が自律的に "分類" し、頻度の高いものを認識していくのですね。これはAI技術でいう「教師なし機械学習」と同じです。一方、単語の意味については、親との交流における親の「意識的、ないしは無意識の教唆」で習得していく。これは「教師あり学習」と言えるでしょう。

現代におけるAIの飛躍的な発展は、人間の脳のメカニズムの研究成果を取り入れたことが大きいわけです。そのとき「人間がどうやって考えているのか」も大事だが、「人間はどうやって考えられるようになっていくのか」という研究はもっと大事でしょう。AI技術の発展にとって、赤ちゃんが言語を初めて習得するやりかたを含む「赤ちゃんの脳の研究」が重要だと感じました。




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No.169 - 10代の脳 [科学]


少年・少女の物語


前回の、中島みゆき作詞・作曲『春なのに』と『少年たちのように』は、10代の少女を主人公にした詩であり、10代の少女が歌った曲でした。そこからの連想ですが、今回は10代の少年・少女ついて思い出したことについて書きたいと思います。

今までの記事で、10代の少年・少女を主人公にした小説・アニメを5つ取りあげました。

クラバート(No.1, No.2
千と千尋の神隠し(No.2
小公女(No.40
ベラスケスの十字の謎(No.45
赤毛のアン(No.77, No.78

の5つです。また、No.79「クラバート再考:大人の条件」では、これらの共通点を探りました。このブログの第1回目に『クラバート』と『千と千尋の神隠し』を書いたために(またブログの題名にクラバートを使ったために)そういう流れになったわけです。

No.2に書いたのですが、たとえば『クラバート』とはどういう物語か、それは一言でいうと "少年が大人になる物語" です。主人公が "大人になるための条件" を "労働の場" での経験によって獲得する過程が描かれています。これは『クラバート』だけでなく他の小説・アニメでも同様でした。

しかし最近、科学雑誌を読んでいて、それだけではなさそうだと気づきました。それは近年の脳科学の急速な進歩によって人間の脳の発達過程が解明されつつあり、10代の少年・少女の脳は大人とは違い、また子供とも違った特別なものであることが分かってきたことです。日経サイエンス 2016年3月号の特集「脳の発達」に従ってそのことを紹介したいと思います。今まで取り上げた少年・少女を主人公にした物語についての "別の見方" ができると感じました。


10代の脳の謎


日経サイエンス 2016年3月号に、カリフォルニア大学・サンディエゴ校の小児青年精神医学科長、N.ギード教授の『10代の脳の謎』と題する記事が掲載されていました。その内容を要約したいと思います。まずこの記事で強調されていることは、

10代の脳は、
子供の脳(10代以前)とは違い、
大人の脳(20代以後)とも違う、特別な働きをする脳

だということです。もう少し平たく言うと、

少年少女は
成長した子供ではなく
未熟な大人でもない

ということです。もちろん「脳科学の視点から見ると」という限定がつくわけですが、脳は人間の行動や感情、知性のありようを決めている最重要臓器であり、人間そのものと言ってもよいでしょう。

日経サイエンス 2016年3月号.jpg
日経サイエンス
2016年3月号
上のような知見をもたらしたのは、近年の脳科学の急速な発達です。特に、脳の様子を外部から撮影・観察できる装置が開発され、普及したことが大きい。それがMRI(磁気共鳴 断層撮影装置)です。従来からのCT(X線 コンピュータ断層撮影装置)やPET(陽電子 断層撮影装置)は、放射線被曝という問題があります。病気の治療や早期発見の目的ならまだしも、健常者に脳の研究目的でCTやPETを使うのは難しい。しかしMRIは磁場を使った断層撮影なので被爆の問題がありません。つまり被検者にかかる負荷が少なく、研究に使用しやすい。ようやく、あらゆる年齢の脳の解剖学的・生理学的研究を安全かつ正確にできるようになったわけです。

では、少年・少女の脳はどう「特別」なのか。それを理解するためには、その前提として、脳の「発達」や「成熟」とはいったいどういうことかを押さえておく必要があります。


脳の発達・成熟とは


脳の「発達・成熟」とは、すなわち「脳の神経細胞間のネットワークの発達・成熟」のことです。

まず前提となる用語ですが、脳の細胞は "ニューロン" と呼ばれています。ニューロンは、"神経細胞(神経細胞体)"、そこから出る "樹状突起"、樹状突起から出る長い "軸索" からできていて、軸索の先は "シナプス" という接合部を介して別のニューロンに繋がっています。

脳は解剖して肉眼で見ると灰色っぽい "灰白質" と、白っぽい "白質" からできています。大脳では外側が灰白質で内側に白質があるため、灰白質は "大脳皮質" とも呼ばれます。灰白質は神経細胞や樹状突起が主体の部分です。この部分は10歳ごろ(思春期)に最大になり、10代以降はむしろ減少します。

一方、白質は神経細胞の間を結ぶ軸索が主体の部分です。軸索には "ミエリン" と呼ばれる脂質がさやを作るように付着し、軸索を覆って絶縁します。付着は年齢とともに進行し、これがミエリン化です。

ミエリン化すると、神経のシグナルが最高で100倍早く伝達するようになります。またシグナルを伝えた後に素早く回復できるようになり、ニューロンがシグナルを発生できる頻度が最高で30倍程度まで高まります。この伝達頻度と伝達速度の増加を掛け合わせると、最高で3000倍もの「情報処理能力の増加」になるわけです。

脳が発達すると、MRI画像では白質の増加となって現れます。つまりミエリン化による「接続の強化」です。その一方、使われない接続は強化されず、逆に刈り込まれ、喪失していきます(ニューロンの接合部であるシナプスの働きがが弱まる)。脳は、感覚や言語や感情ななどのさまざまな機能をもつ領域に細分されるのですが、接続の強化と喪失により、脳の各領域も専門化が進展することになります。


10代の脳の特徴(1)可塑性


10代の脳の特徴の第1は、脳のネットワークの大規模な変化が起こることです。ミエリン化は10代に急速に進みます。脳の各領域内だけでなく、異なる領域同士もより多く接続されます。この「ネットワークの発達=変化」が最も大きいのが10代です。この "変化できる性質" を「可塑性」と呼んでいます。

可塑性は成人になると低下します。しかし人間は他の動物と違って、ある程度の可塑性を維持し続けます。つまり動物よりも脳の適応能力が高いわけです。その適応能力は10代が最も高い。10代の脳は、環境に応じて最も柔軟に変化できる脳なのです。

これは一人の人間にとっては「飛躍のチャンス」だと言えます。10代の少年・少女は、自分の選択に従って脳を最適化していけるチャンス、自らのアイデンティティーを作り上げるチャンスを手にしています。一生の職業を決める契機となる出来事を経験するのも10代が多いのです。


10代の脳の特徴(2)発達のズレ


実は脳の発達は、すべての領域で同時に起こるのではありません。「大脳辺縁系」と「前頭前皮質」で発達の時期にズレがあります。

大脳辺縁系は感情をつかさどっている領域です。ここはホルモンの影響で思春期(10~12歳)に急激に発達し始めます。10代の少年・少女によく見られる性向として、危険を冒す、刺激を求める、親に背を向けて仲間に向かうなどがありますが、これらは大脳辺縁系の発達の自然な結果です。

一方、前頭前皮質(前頭葉の前部)は、計画、判断、意志決定、社会的認知、感情や衝動の抑制をになっていて、行動を実行する上で不可欠な部分です。ここが発達すると、ささやかな短期的報酬よりも、より大きく長期的な報酬を選択するようになります。この前頭前皮質は10代の半ば以降(青年期)に遅れて発達をはじめ、20歳代になってもまだ発達を続けます。つまり、大脳辺縁系がまず発達し、前頭前皮質の発達は遅れる。このズレがが10代の脳の2番目の特色です。


ホルモンの影響をうける大脳辺縁系は思春期(通常10~12歳に始まる)に激変する。大脳辺縁系は感情と報酬感を制御しており、また、青年期には前頭前皮質と相互作用して、新奇探検や冒険、仲間との交流への移行を促す。生物学的に深く根づいていて、すべての社会的哺乳類にみられるこうした行動は、快適で安全な家族から離れ、新しい環境を探検して外部の人々との関係を求めるよう10代の少年・少女に働きかける。

J.N.ギード(カリフォルニア大学・サンディエゴ)
『10代の脳の謎』
(日経サイエンス 2016年3月号)

要するに10代の脳は「冒険に乗り出す」というチャンスを開くわけです。それは、10代の少年・少女がしばしば危険な行動に走ることとも関係しています。

10代の脳における「発達のズレ」は、チャンスをもたらすとともに、脆弱性も含んでいます。つまり不安障害、鬱病、摂食障害、精神病などの症状を招くことがある。精神疾患の50%は14歳までに発病し、75%は24歳までに発病します。要するに「可動部は壊れやすい」のであり、脳も例外ではないのです。

大脳の発達.jpg
大脳辺縁系は10-12歳頃から発達を始めて15歳頃に成熟する。しかし、前頭前皮質はそれより10年遅れて成熟する。この発達のズレが、10代独特の行動をもたらす。
(日経サイエンス 2016年3月号 より)


可塑性の制限


10代の脳は可塑性をもち、脳の神経細胞の結合のネットワークは「強まって安定化するもの」と「弱まって刈り取られるもの」がダイナミックに変化します。この "可塑性" は20代以降に低下します。可塑性を阻害する物質が脳で分泌されるのです。

なぜ可塑性が低下するのかというと、可塑性は「危うさ」をも秘めているからです。その理由として、可塑性をもった脳の領域には活性酸素が多く発生し、それが脳の組織を傷つけるのではと疑われています。それは、アルツハイマー病の研究からも推測できます。特集「脳の発達」の別の記事には次のように書かれていました。


連合皮質などの複雑な認知機能を担っている高次の脳領域は、一生を通じて可塑性を維持するように進化した。これらの領域には臨界期を閉じるコンドロイチン硫酸プロテオグリカンが比較的少ない。と同時にアルツハイマー病でニューロンが最初に死に始める場所でもある。

引用注
  「臨界期」とは脳の可塑性が最も高まる時期。脳の各領域ごとにその時期が決まっている。コンドロイチン硫酸プロテオグリカンは可塑性を阻害する脳内物質。
ヘンシュ・貴雄(ハーバード大学)
『臨界期のパワー』
(日経サイエンス 2016年3月号)

脳の可塑性は20代以降に低下しますが、身体運動やゲームを使った訓練などで、ある程度取り戻せます。また、病気の治療などの目的で、薬を用いて脳の可塑性を取り戻す研究も行われています。



以上が「10代の脳」についての日経サイエンスの要約です。以降はこの記事を読んだ感想です。


10代への憧れ


最初に掲げた少年・少女を主人公とする小説・アニメを振り返ってみると、これら5つの物語には共通点があります。それは、

  主人公の少年・少女が、物語が始まった時点とは全く異質な生活環境に "いやおうなしに" 放り込まれ、その新しい環境に主人公が適応しつつ、自己を確立していく物語

という共通点です。今まで紹介した最新の脳科学からみると、実はその "適応能力" は "10代の少年・少女であればこそ" なのです。さらに別の共通点もあります。それは、

  主人公の少年・少女が、冒険をする、ないしはリスクを冒してチャレンジする様子が描かれている

ことです。クラバート、千尋、ニコラス(『ベラスケスの十字の謎』の主人公)、アンはそういう行動をとります(『少公女』のセーラを除く)。

我々、大人が少年・少女を主人公にした物語を読むとき、それは「子供が、少年・少女期を経て大人になる過程を描いたもの」として読みます。外面的にはその通りですが、最新の脳科学を踏まえて改めて考えてみると、これらは、

  子供(10歳以下)も、大人(20歳以上)も持っていない、10代の少年・少女だからこそ持っている冒険心と、適応し変化する能力を描いた物語

と考えられるのです。もちろん、小説として成り立たせるためにハラハラ・ドキドキする冒険話を書いた、という面はあるでしょう。しかしそれと同時に、大人は暗黙に「10代へのあこがれ」を持っているのだと思います。つまり「新しい環境に行く冒険ができる」「新しい環境に適合するように自らを変えていける」という、10代の少年・少女が持っている能力へのあこがれです。大人になるとそれらは弱まり、あるいは失われてしまう。その失われてしまったものが描かれている。

もちろん、変化の少ない安定的な環境で生活したいと望むのは悪いことではありません。特に家庭生活の面では、子供に手がかからなくなった以降は、安定的なライフスタイルを望む人が多いのではないでしょうか。しかしそういったプライベートにおいても、たとえば新しい趣味にチャレンジをするとか、新しい仲間を求めてコミュニティーに参加するとかした方が、より人生が楽しくなることは間違いありません。問題はそうする意欲が湧くかです。

さらに、仕事やビジネスの世界を考えてみると「チャレンジ」や「変化」が極めて重要です。つまり組織にとっても、組織に属する個人にとっても、

リスクをとって新しいことにチャレンジする
新しい環境に適合するように自らを変えていく

ことを続けていかないと、競争には勝てないし、ジリ貧になるし、あるいは "その他大勢" の中に埋没していくのは必定です。個人の意欲だけで出来ることではありませんが、組織の「チャレンジ」も「変革」も、そのベースにあるのは人のマインドであることは確かでしょう。

脳科学の視点からすると、こういった冒険心や適応能力は大人になればなるほど弱まってしまう。大人が執筆した「10代の少年・少女の物語」は、大人が10代に対して抱いている暗黙の憧憬を投影したものと考えられます。

しかし、日経サイエンスの解説記事にも書いてあったように、人間は他の動物と違って大人になっても脳のネットワークの可塑性が完全に失われるわけではありません。また、訓練によって可塑性は増えます。「10代の少年・少女の物語」は、単なる "10代への憧れ" だけではなく「大人が書いた、大人に向けたメッセージ」とも考えられると、脳科学の成果を読んで改めて思いました。




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No.149 - 我々は直感に裏切られる [科学]

前回のNo.148「最適者の到来」の続きです。我々は、日常感覚とは全くかけ離れた「数」や「量」の世界を想像し難いし、そういう世界についての日常感覚的な直感は "的外れ" になるというようなことを、前回の最後に書きました。

「最適者の到来」のテーマであった「進化」は、遺伝子型の変異が生物の表現型として現れ、自然選択の結果として最適者が残るというものです。このストーリーの発端になっている「遺伝子」とか「変異」とかは、いずれも生物の体内の分子レベルの話ですが、分子はその "サイズ" も "数" も我々が想像し難いような「小ささ」と「多さ」です。まず、そこを何とか想像してみたいと思います。


量の多さ:分子の数


簡単のために水の分子で考えてみます。コップ1杯の水を180g = 180ミリリットル(mL)とします。この中に水の分子はいくつあるでしょうか。

これは高校生で化学を習っている生徒なら即答できます。水を分子式で書くと H2O であり、分子量は 18(酸素=16、水素=1×2) なので「水 18g にはアボガドロ数だけの水分子が含まれる」ことになります。

アボガドロ数 =6 × 1023 =
6000,0000000000,
0000000000(24桁の数)

なので、コップ1杯だとこれを10倍して、

コップ1杯(180g)の水分子の数 =
60000,0000000000,
0000000000(25桁)=

になります。数字のカンマは10桁ごとにつけました。この水分子の「数の多さ」を想像することは、我々にとって非常に困難です。どこだったかは忘れたのですが、海の水に例えての説明を以前に読んだことがあります。卓抜な比喩だと思うので、それで想像してみたいと思います。

これは思考実験です。コップ1杯の水分子に「赤い色」をつけるというのが出発点です。水に赤い染料を混ぜるのではなく、分子そのものに赤い色をつける。もちろん現実にそんなことは出来ないのですが、あくまで思考実験として考えます。

思考実験

コップ1杯の水分子に「赤い色」をつける。

それを海岸にもっていき、海に捨てる。

「赤い色」のついた水の分子が世界中の海にまんべんなく均等に行き渡るように、海をかき混ぜる。もちろん、太平洋、インド洋、大西洋、地中海、北極海、南氷洋などの世界中の海のすべてであり、海の表面から海の底まで、世界で一番深いとされるマリアナ海溝(太平洋。深さ10,900メートル)の底まで、均等に「赤い色の水分子」が混ざるようにする。

ふたたび(どこでもいいから)海岸に行き、コップ一杯の海水をすくう。そのとき「赤い色の水分子」は、いくつコップに入るだろうか ?

直観で答えるとすると、コップに入る「赤い色の水分子」は、あったとしても1個で、ほとんどの場合は無いと、多くの人は答えるのではないでしょうか。何しろ、世界中の海に均等に混ざってしまったのだから ・・・・・・。

この答は容易に計算できます。世界中にある海水の体積は約14億・立方キロメートルと推定されています。もう少し詳しくは、13.5億 とか 13.7億 とかの数字があります。ここでは13.5億・立方キロメートルとします。

海の体積(立方キロメートル)=
1350000000(10桁)

です。立方キロメートルとは、縦・横・高さが 1 キロメートルの立方体の体積ということです。1 キロメートルは 1000メートル = 100,000(105)センチメートルなので、海の体積を立方センチメートル(=mL。ミリリットル)で表すには、1015 を掛けて、

海の体積(mL)=
13500,0000000000,
0000000000(25桁)

となります。これがコップ何杯分に相当するかというと、180 mL で割り算をして、

海の体積はコップ何杯分か =
75,0000000000,
0000000000(22桁)=

となります。上の思考実験で「赤い水の分子」がふたたびコップに入る数(④)は、/ ですから、

コップの「赤い水分子」の数 = 800

となります。つまり、世界中のありとあらゆる海のすべてが、表面から深海の底まで、コップ1杯あたり800個の赤い水分子で完全に埋め尽くされている状況です。これはちょっと想像を越えているのではないでしょうか。

分子の数はそれほど「多い」わけです。もちろん生命の進化に関わるような、DNAとかアミノ酸とかタンパク質、その他の生命体を構成している分子は、分子量で言うと数十から数百、数万になるものも珍しくありません。水分子とは比較にならない巨大分子であることは確かです。しかし、それでも「多い」。こういう超巨大な数の世界では我々の直感は働かないか、働いたとしても誤ってしまうこともありうることに注意すべきだと思います。

No.69「自己と非自己の科学(1)」で、人間の免疫システムの主役であるリンパ球の話を書きました。


人間のリンパ球の総数は約2兆個であり、重量にして約1kgもあります。そのうちの70%がT細胞で、残りがB細胞その他です。リンパ球は約100億個が毎日死滅し、新たに作られます。100億個といっても全体の0.5%に過ぎません。しかし1秒間ではリンパ球の100万個が入れ替わる計算になるのです。


これは "リンパ球" という細胞の話であり、分子よりは遙かに巨大なスケールでの現象です。それでも毎秒、100万個が死滅して100万個が生まれている。ちょっと想像しがたいような「数」の世界だということに注意すべきでしょう。



想像しがたいような数という意味で、前回の No.148「最適者の到来」で話題になったのは、遺伝子の組み合わせが超天文学的数字になるということでした。その「組み合わせの数」が我々の直感に合わない例の一つが、有名な「巡回セールスマン問題」です。


32都市を巡回するセールスマン


巡回セールスマン問題(Travelling Salesman Problem. TSP)とは次のような問題です。N 個の都市があり、すべての都市と都市の間は直通道路で結ばれていて、各道路の距離は分かっています。ある都市を起点とし、すべての都市を1度だけ訪問して起点の都市に戻る最短の経路は何か、というのがTSPです。

ありうるすべての経路の数を TSP(N) とすると、これは基本的には N 個の都市を一列に並べる順列の数なので、N!( = 1×2×3×・・・×N = Nの階乗 )ということになります。ただし一つの経路をとってみたとき、起点の都市を1だけ順にずらした N 個の経路は同じと数え、また逆経路も同じと数えるので、全体の数を 2*N で割り算する必要があります。つまり、

  TSP(N) = (N-1)! / 2

となります。TSPを解くには、TSP(N)個の経路を順に調べ、その経路長を計算して最小のものを選ぶという「総当たり法」がすぐに頭に浮かびます。

  TSP(4) = 3
TSP(5) = 12

なので、4都市、5都市程度なら「総当たり法」で、電卓を用いて解を求めるのも十分可能です。

TSP.jpg
巡回セールスマン問題
4都市と5都市のすべての巡回経路

これが

  TSP(6) = 60

となると、手計算での「総当たり法」は苦しくなります。しかしパソコンを使えば問題ありません。パソコンのプログラムが作れる人ならすぐにできるでしょう。EXCEL を使ってもよい。

  ただし、すべての経路を漏れなく、かつ無駄は一切なしに調べるというプログラムは、ちょっと工夫が要ります。これは「プログラミング講座」の格好の演習問題になるでしょう。「再帰呼び出し」を使うとシンプルなプログラムになります。

10都市ぐらいならパソコンで十分に計算できます。ためしに実験してみました。国土地理院はホームページで「都道府県の県庁の相互直線距離」(精度は0.1km)を公開しています。このデータを使って、関東甲信越の1都・9県のTSPを解くことにします。パソコンで「総当たり法」のプログラムを作って実際にやってみると、約2秒(1.7秒)で解が求まりました。

◆総経路数=TSP(10) 181,440
◆最短で巡回する経路 東京 - 神奈川 - 千葉 - 茨城 - 栃木 - 新潟 - 長野 - 群馬 - 山梨 - 埼玉 - 東京
◆最短巡回経路の距離 836.8 km
◆パソコンでの探索時間 2 秒

関東甲信越TSP.jpg
関東甲信越の県庁TSP
関東甲信越の1都・9県の都庁・県庁を直線で結ぶ「巡回セールスマン問題」の解。可能な経路の総数は 181,440 あるが、この程度の数なら「総当たり法」でも、パソコンで2秒以内に答えを出せる。最短経路の距離は 836.8km である。各県庁間の直線距離は国土地理院が公開しているデータを用いた。

このプログラムは、県庁間の距離(10県庁の相互の距離なので45ある)をセットする部分を除いて、純粋な解の探索部分は25行程度のシンプルなものです。いろいろと高速にする工夫をすれば、解を求める時間はもっと縮まるでしょう。おそらく普通の家庭のパソコンで1秒以内に答えが出る感じがします。



しかし表題にあげた32都市となると、最高速のコンピュータを使っても(総当たり法では)全く手に負えなくなります。32都市の巡回ルートを計算してみると、

32都市の巡回ルート数 = TSP(32) =
4111,4193270889,
6140886278,1440000000(34桁)

となります。パソコンの発達で、こういった数字の計算だけならすぐにできるようになりました。

現在の日本で最も早いコンピュータは、理化学研究所と富士通が開発した「京」で、1秒間に1京回の演算ができる性能をもっています。ここでの演算とは実数の加減乗除のことです。"京" は "兆" の1万倍、 "兆" は "億"の1万倍、"億" は "万"の1万倍なので、1京 = 1016 です。

宇宙の年齢は135億年と考えられています。つまり1.35 × 1010年です。これを秒に直すと、× 365 × 24 × 60 × 60 の掛け算をして、

宇宙の年齢(秒)=
42573600,0000000000(18桁)

です。従って、スーパーコンピュータ「京」が宇宙の年齢時間でどれだけの演算ができるかと言うと、

「京」の宇宙年齢での演算回数 =
4257,3600000000,
0000000000,0000000000(34桁)

となります。これは「32都市の巡回ルート数」と同じオーダの数です。もちろん1回の演算で1つの巡回ルートの距離を計算できるわけではありません。数十~数百の演算が必要でしょう。つまり32都市の巡回セールスマン問題を「総当たり法」で解こうとすると、スーパーコンピュータ「京」を宇宙の年齢時間だけ動かしても絶対に不可能ということになります。

だだしこれは「巡回セールスマン問題」が解けないということではありません。「総当たり法」ではダメなわけで、現在の最新の研究では、数千都市までであれば何とか解がみつかる手法が発見されています。しかしこれが万のオーダーの都市になると解を求めるのは不可能になり、近似解(最短ルートの距離に極めて近いことが保証できる解)しか求まらないようです。

10都市ならパソコンで2秒で可能な「総当たり」が、32都市となると最新鋭のスーパー・コンピュータを135億年間ぶっ続けで使ったとしても不可能になる・・・・・・。これは常識的感覚からするとかなり意外な感じではないでしょうか。



組み合わせの数は、すぐに超天文学的数字になります。その「多さ」をベースに起こる事象を、我々は直感しにくい。有名な「バースデー・パラドックス」がその例です。


バースデー・パラドックス


いわゆる「バースデー・パラドックス」も、我々の直感が裏切られる有名な例です。「23人のクラスで、誕生日が同じ人がいる確率は ?」という問いの答えは「0.5を越える」というのが正解です。えっ!と思ってしまいますが、このウラには「組み合わせから発生する巨大な数どうしの比較」が潜んでいて、それが直感を裏切ることになるのです。

クラスの全員を区別して考えるとし、1年を365日に固定すると、23人クラスの誕生日の組み合わせ数は365の23乗になります。この数を B(23) と書くことにし、実際に計算してみると、

誕生日の組み合わせ数 = B(23) =
856516793,5315032123,
6814267844,3951526893,
5462236404,4189453125(59桁)

になります。これは天文学的に巨大な数ですが「全員が元旦生まれ」というような組み合わせも含まれていることを考えると、なんとなく納得できます。

一方、23人全員の誕生日が異なる組み合わせ数は、出席番号1番の人は365通り、2番の人は364通り、・・・・・・ となり、つまり 365 × 364 × ・・・・・・ × 343(23個の数字の掛け算)となります。この数を D(23)とし、実際に計算してみると、

全員の誕生日が異なる組み合わせ数 = D(23)=
422008193,0209235987,
2395663074,9089572537,
4976070077,6448000000(59桁)

となります。同じ誕生日の人がいる組み合わせ数は、B(23) から D(23) を引き算すればいいわけですから、この数を C(23) とすると、

同じ誕生日の人がいる組み合わせ数 = C(23) =
B(23) - D(23) =
434508600,5105796136,
4418604769,4861954356,
0486166326,7741453125(59桁)

です。従って同じ誕生日の人がいる確率は、23人のクラスの場合、

同じ誕生日の人がいる確率 = P(23) =
C(23) / B(23) =
0.50729723

と計算でき、確かに確率は半分を越えます。ちなみにクラスの人数を変えて計算してみると、

  P(20) = 0.41143838
P(25) = 0.56869970
P(30) = 0.70631624
P(35) = 0.81438323
P(40) = 0.89123180

となります。20人クラスだとしても確率は 41% もあります。これが40人クラスともなると 89% になり「ほぼ確実に誕生日が同じ人が、少なくとも1組はある」ことになります。

23人のクラスの場合、確率は本質的に59桁の数字どうしの割り算になります。全体の組み合わせの数は天文学的に大きいが、ある条件(=誕生日が同じ人がいる)を加えた組み合わせの数もまた天文学的に大きいのです。「バースデー・パラドックス」には「組み合わせから発生する巨大な数どうしの比較」が隠れていて、我々の "正しい直感" が働かないことになるのです。

バースデー・パラドックス.jpg
バースデー・パラドックス
横軸はクラスの人数。縦軸は、少なくとも1組の誕生日が同じ生徒がいる確率。23人クラスで確率は0.5を超える。30人クラスで0.7を超え、41人クラスで0.9を超える。



カジノ・ゲーム


「バースデー・パラドックス」を応用して次のようなカジノ・ゲームを想定すると、より "直感との乖離" が明確になると思います。あなたはカジノで掛け金を積んでディーラーと対決します。

ディーラーは、ジョーカーを含む53枚のトランプのカードをよくシャッフルし、裏にしてテーブルの上に広げます。

あなた(客)はどれでもいいから1枚を選び、そのカードを表にします。

ディーラーは、表になった1枚のカードを覚えておくため、別のトランプの1組から同じカードを選び、テーブルの隅に表にして置きます。

あなたは選んだカードを、裏になっているカードの任意の場所に裏にして返します。

 ①のシャッフルから④までの手順を、最初の1回を含めて合計10回繰り返します。

10回カードを引いて同じカードを1枚も引かなかったら、あなたの勝ちになり、掛け金は2倍になって帰ってきます。1度でも同じカードを引いてしまったら、その時点であなたの負けで、掛け金は没収されます。もちろん不正は一切ありません。

カードゲーム.jpg

このゲームは、あなた(客)にとって有利でしょうか、それとも不利でしょうか。あなたが勝つ確率はどれぐらいでしょうか。

あなたは(おそらく)次のように考えると思います。2回目に「引いてはいけないカード」は1枚しかない。これは自分が圧倒的に有利である。また3回目も2枚だけを引かなければよい。つまり有利だ。最後の10回目を考えると「引いてはいけない」カードが9枚あるが「引いてもいいカード」は44枚もある。確かに9枚のどれかを引いてしまうこともあるだろうが、まだ随分自分が有利のはずである。もちろん、1回のチャレンジでは負けることもあるだろうが、何回もやれば自分がかなり有利なはずだ・・・・・・。

しかし事実は違います。「バースデー・パラドックス」により、このゲームは客が不利です。全部が違うカードである確率を Q とし、365日ではなく53枚なので53という添え字をつけて区別することにします。計算してみると、

  B53(10) =
17488747,0365513049(18桁)

D53(10) =
7075833,2701056000(17桁)

Q53(10) =
D53(10) / B53(10) =
0.40459349

となり、客が勝つ確率は 40% しかありません。ディーラーは客の1.5倍の確率で勝つのです。このゲームは、引く枚数が少ないほど客が有利になるのは当然なので、引く枚数を変えて計算してみると、

  Q53(9) = 0.48735125
Q53(8) = 0.57399147

となって、引く枚数が9枚でもまだ客が不利です。8枚になって初めて客が有利になることが分かります。

このゲームに潜んでいる組み合わせの数は、オリジナルの「バースデー・パラドックス」よりは随分小さいものですが、それでも 17京とか 7京 という、日常では全く使わないオーダーの数です。しかしそんな巨大な数が潜んでいるとは、客は到底思えない。このゲームで客に明示されている「数」は、53(枚)と10(回)しかないのだから・・・・・・。そこに "正しい直感" が働かない理由があるのだと思います。


6次の隔たり


巡回セールスマン問題の "巡回ルート" は膨大な数になるわけですが、それが膨大になる原因は、都市と都市が直通道路で結ばれているという「完全な」ネットワークの存在です。つまり、ある都市からは別の任意の都市へ、ワンステップで(直通で)行けるという仮定です。

もちろん現実のネットワークは、道路にしろ航空路にしろ「完全」ではありません。また社会における人間関係(知人関係)や企業の取引関係のネットワークにおいて、1人、ないしは1社が持ちうる関係の数は、高々、数十から数百、多い企業でも数千から万のオーダーでしょう。しかしこういった現実のネットワークでも、ワンステップとはいかないが、数回の関係をたどれば「思いのほか遠いところ」まで行けることがあります。それは直感に反していることが多い。その典型が「6次の隔たり」仮説です。

以下、アルバート = ラズロ・バラバシ著『新ネットワーク思考』(NHK出版。2002)に従って、この仮説を概観してみます。バラバシ氏は米国・ノートルダム大学物理学科教授(当時)です。ここで言う「6次の隔たり」とは、

  世界中のどの2人をとっても、6人を介することで知人同士で繋がる

という仮説です。「あなたは世界中のすべての人と、たった6人を介することで、知り合いの関係でつながる」と言っている。この「世界のすべての人」の "数の多さ" と「6」という "小さな数" のミスマッチ感が、仮説の意外性を高めています。

この仮説を最初に述べたのは、ハンガリーの作家・カリンティが書いた小説『鎖』(1929)ですが、有名にしたのはハーバード大学教授のスタンレー・ミルグラムの実験で、それは1967年のことです。当時、ハーバードやMITでは社会ネットワークの研究が盛んで、ミルグラム教授もその一人でした。


ミルグラムの目標は、アメリカ国内に住む二人の人物の「距離」を求めることだった。実験の動機となった疑問は次のようなものである。「ランダムに選ばれた二人の人物をつなぐためには、何人の知り合いが必要だろうか?」

ミルグラムはまず二人の人物(引用注:=目標人物)を選んだ。一人はマサチューセッツ州シャロンに住む神学部大学院生の妻、もう一人はボストンに住む株式仲買人である。そして、カンザス州ウィチトーとネブラスカ州オマハが出発点に選ばれた。この二つの町が選ばれた理由は、「ケンブリッジに住む人間にとっては、大平原のかなたの町という漠然としたイメージしかないから」だった。

遠く離れた二つの町に住む人たちをつなぐのに必要なリンク数に関しては、共通の見解といえるようなものは何もなかった。ミルグラム自身、1969年に次のように述べている。「私は最近、ある教養ある男性に向かって何ステップぐらい必要だろうかと尋ねてみた。彼は、ネブラスカからシャロンにたどりつくためには百ステップぐらい必要だろうと答えた」

アルバート = ラズロ・バラバシ
青木薫・訳
『新ネットワーク思考』
(NHK出版。2002)

この引用に出てくるケンブリッジとはもちろん、ハーバード大学のある、ボストンの北隣りの町です。

ミルグラム教授はカンザス州ウィチトーとネブラスカ州オマハの二つの町からランダムに住人を160人選び、フォルダーを送付しました。そのフォルダーには、手紙と目標人物の情報(写真、住所、氏名、プロフィール)、ハーバード大学宛のハガキの束がセットされていました。手紙には、アメリカ社会の人間関係に関する研究に協力してもらいたいとの主旨が書かれ、この手紙を受け取った人の名前を順に記入する名簿が用意されています。手紙では、調査への参加方法が次のように書かれていました。

名簿に自分の名前を記入してください。それによってこの手紙を次に受け取る人は、手紙の差出人が分かります。

ハガキを1枚とり、必要事項を記入してハーバード大学に返送してください。切手は不要です。これによりハーバード大学は、手紙が目標人物に近づいていく過程を追跡できます。

もしもあなたが目標人物を個人的に知っているなら、この手紙を含むフォルダーを直接、目標人物に送付してください。これは、過去において目標人物に直接会ったことがあり、ファーストネームで呼び合う関係である場合にのみ実行してください。

目標人物を個人的に知らない場合は、直接、目標人物に連絡を取らないでください。その代わりに、このフォルダー(手紙、ハガキを含む一切)を、あなたよりも目標人物をよく知っていそうな人物に送付してください。フォルダーを送付してよい相手は、友人、親戚、知り合いですが、ファーストネームで呼び合う関係でなければなりません。

新ネットワーク思考.jpg
バラバシ著
「新ネットワーク思考」
ミルグラム教授は「手紙が1通も目標人物に届かず、実験が失敗に終わるのでは」と心配しました。というも、もし100もの "リンク"(出発点になる人と目標人物の間になる人)が必要だとしたら、その中には必ず「非協力的な人」がいるだろうと想定できるからです。

しかし結果は全く意外なものでした。数日後には最初の手紙が目標人物に届き、そのリンクはたったの2でした。そして最終的には160通のうちの42通が目標人物に届きました。中には10程度のリンクを必要としたものもありましたが、リンクの平均値は 5.5 だったのです。四捨五入すると 6 になります。

ただし、これを「6次の隔たり」の証明とするには難があります。まず、アメリカ国内に限られた実験であり、世界が相手ではないことです。また、届かなかった手紙が 118 あり、これをどう考えるかも問題です。たとえば 2 ステップ目で「非協力的な人」に当たってしまった場合もあるだろうし、20 ステップ目まで行って協力者が途絶えたということもあるでしょう。届いた手紙だけの平均値で議論するのは、理論というには弱い。実際、ミルグラム教授自身は「6次の隔たり」という言葉は使っていません。「6次の隔たり(6 degrees of Separation)」は、あくまで後の人がつけたものなのです。

とはいえ、ミルグラム教授の実験は「赤の他人が予想に反した短いリンクで知り合い同士」ということを明らかにしました。少なくとも、手紙が届いた42人の出発点の人と目標人物の間はそうなのです。ミルグラム教授の知人は「100人の人を介する必要があるだろう」と言ったわけですが、これが我々の直感的な感覚です。なにしろ、遠隔地に住む赤の他人同士なのだから・・・・・・。しかしそうではない。知人のネットワークというのはそういう性質をもっていて、世の中は「意外と狭い」のです。この「意外と狭い」ことを、ネットワーク理論では「スモールワールド」と呼んでいます。ミルグラム教授の実験も「スモールワールド実験」と呼ばれることがあります。



「6次の隔たり」は、現在の Facebook やミクシィなどの SNS(Social Networking Service)が成立する原理になっています。Web ニュースである「IT Media ニュース」の2011.11.23.付に次のような記事が載っています。


Facebook はイタリアのミラノ大学のWebアルゴリズム研究所と共同で、2011年5月にアクティブなFacebookユーザ7億2100万人(世界人口の10%以上に当たる)の690億の友達関係を対象に、このスモールワールド実験の現代版を実施した。研究所が開発したアルゴリズムをもちいてFacebook上のすべての個人のペアを仲介する人数の概算値を出したという。

その結果、ペアの99.6%は「5次の隔たり(相手が6人目)」で、92%は「4次の隔たり(相手が5人目)」で繋がっていたという。2008年の同様の調査の結果では相手が平均5.28人目だったのが、今回の調査では平均 4.74人目だった。

範囲を単一の国内に狭めると隔たりはさらに小さくなり、米国、スウェーデン、イタリアなどではほとんどのペアが「3次の隔たり(相手が4人目)」だったという。同調査で、すべてのつながりの84%が同一国内のユーザのものだったことが明らかになった。

IT Media ニュース
(2011.11.23.)

数字の記述がちょっと曖昧なのですが、Facebookのサイトに公開されている原文をみると「ペアの99.6%は5次の隔たり(相手が6人目)以下でつながり、92%は4次の隔たり(相手が5人目)以下でつなががっていた」が正確な説明です。

Facebookの平均値を四捨五入すると「4次の隔たり(相手が5人目)」ということになります。もちろんこれはFacebookのユーザという「ある種の特性」をもった集団での話であって、世界のすべての人に敷衍ふえんするわけにはいきません。しかし「任意の2人の友達関係のパスは意外と近い」ことは確かだと思います。


代謝のネットワーク


アルバート = ラズロ・バラバシ著『新ネットワーク思考』という本には、スモールワールドの性質をもつネットワークの数々の例が出ています。その中に第13章「生命の地図」と題された章があります。ここに、細胞内に存在する「代謝のネットワーク」の話が出てきます。

前回の No.148「最適者の到来」にも書いたように、代謝とは生命体で起きる化学反応です。たとえば

   A + B → C + D

という代謝があった場合、AおよびBという生体分子は、CおよびDの生体分子とネットワークで結ばれていると考えます。これを「1次の隔たり」または「距離が1」と呼ぶことにします(友人関係の1次とは少し意味が違うことに注意)。大腸菌などの細菌は、細胞内のすべての代謝が判明しています。従ってそこに登場する分子をすべて洗い出すと、分子間の「代謝ネットワーク」が描けることになります。著者は、代謝がすべて判明している43種の生物の「代謝ネットワーク」を作成し、そこで分子間の「距離」がどうなっているかを調べました。


我々が分子の距離を測定してみようと考えたのは、ただ単に「6次の隔たり」にこだわったからではない。ネットワークの「直径」(つまりノード間の隔たり)は、生物学的にも大きな意味をもつからだ。たとえば、二つの分子を結ぶ最短の化学反応経路が百の反応から成り立つとすれば、第一の分子の濃度が多少変化したとしても、第二の分子に到達するまでには百の反応を経由しなければならず、それだけ長い経路をたどるうちには多少の濃度変化はならされてしまうだろう。

驚いたことに、我々の測定結果からは、典型的な経路の長さは百よりもずっと短いことが示された。細胞は、なんと「3次の隔たり」をもつ「小さな世界」だったのだ。これはつまり、どの二つの分子も、たいていは三つの反応でリンクされているということだ。このような世界では、濃度に生じた変動が局在することはない。どれかの分子の濃度が多少とも変化すれば、その影響はまもなく他の分子のすべての分子に及ぶだろう。われわれの発見は、ニューメキシコ大学のアンドレアス・ワグナーと、オックスフォード・ブルックス大学のデーヴィッド・A・フェルの研究によっても裏付けられた。この二人は互いに独自に、大腸菌の代謝ネットワークはスケールフリーであり、「小さな世界」の特徴をもつと結論したのである。

アルバート = ラズロ・バラバシ
『新ネットワーク思考』

ここを引用した理由は、代謝のネットワークの「3次の隔たり」が直感に反するからではありません(そんな直感はできない)。そうではなく、前回の No.148「最適者の到来」で紹介したアンドレアス・ワグナー教授の名前が出てくるからです。彼は「代謝のネットワーク」を研究し、次に「代謝の遺伝子型ネットワーク」の研究へと進んだようです。


直感に反する「事実」


ここまで、前回の No.148「最適者の到来」の続きとして書いてきたのですが、進化論との直接の関係はありません。しかし、ここまでにあげた、

組み合わせの数は、考える以上に膨大な数になる。
全体の組み合わせの数は膨大になるが、特定の条件をつけた組み合わせの数も直感に反して膨大になる(ことがある)
ネットワークでつながったもの同士が、意外にも短い経路でつながっている(ことががある)

というような認識は、前回の「遺伝子型ネットワーク」の構造に通じるものがあると思うのです。我々は、日常的感覚とはまったくかけ離れた「数」や「量」が支配する世界を、直感的判断で考えてしまうことは避けなければならないと思います。そして、このような世界を解明する一つの武器が、前回のワグナー教授も駆使したコンピュータなのでした。




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No.148 - 最適者の到来 [科学]

No.56「強い者は生き残れない」で、吉村仁氏(静岡大学教授・当時)の著書である『強いものは生き残れない』(新潮選書 2009)を紹介しました。この本は "数理的アプローチ" による生物進化の研究成果を述べているのですが、最近それとも関連がある本が出版されたので内容を紹介したいと思います。アンドレアス・ワグナー著『進化の謎を数学で解く』(垂水雄二・訳。文藝春秋。2015)です。

著者はチューリッヒ大学の進化生物学・環境研究所の教授であり、本の内容は現代進化論の「不備」とも言える事項に解決の方向を提示した、非常に印象的なものです。本の原題は「Arrival of the Fittest」であり、「最適者の到来」という意味です。


現代の進化論への「疑問」


チャールズ・ダーウィン(1809-1882)から始まった近代の進化論は数々の発展を遂げ、現代では以下のプロセスで生物が進化してきたというのが定説になっています。

遺伝子(その中心となっているのはDNA)はランダムに突然変異を起こす。このことによって生物の形質が少し変化する。

その中から、生物の生息環境にとって最適なものが選択される(natural selection。自然選択=自然淘汰。)。

このような小さな変化が膨大に積み重なることによって、現在の生物の形ができあがった。

細かいことを言うとキリがありませんが、ごくアバウトに説明するとこのようになると思います。この中で素人しろうとにもわかりやすいのは「突然変異」と「自然選択 = 環境による選択」です。DNAが複製のときにエラーを起こすのはいかにもありそうだし、自然(環境)が最適者を温存するのも分かります。しかし分かりにくいのは「ランダムな変化の中から最適者が生まれ」「それが積み重なることによって高等生物へと進化した」というところです。本当にそんな「うまい話」があるのか、ちょっと深く考えてみると誰しも疑問が沸いてきます。

たとえば、哺乳類や鳥類の眼です。伸縮可能なレンズが網膜の上に像を結び、それが神経のパルスに変換されて「見える」というのは、現代のデジタル1眼レフカメラも顔負けの精密装置です。こんな装置が「ランダムな変化の中から生まれた "最適なもの" が少しづつ積み重なることによって出来上がった」と言えるのかどうか。

こういう疑問を誰しも抱くところに、創造説が "つけいるスキ" が出てきます。創造説とは「生命は神が創造した」との主張で、英米を中心とするキリスト教原理主義者が主張しています。現代では「神」という言葉を消して「インテリジェント・デザイン」と言っていますが、同じことです。

この疑問は、素人だけでなく専門の学者も抱くようです。ド・フリース(1848-1935)は著名な遺伝学者ですが(突然変異の発見で有名)、次のように言ったそうです。


自然淘汰は最適者の生存を説明できるかもしれないが、最適者の到来を説明することはできない。
(ユーゴー・ド・フリース)

アンドレアス・ワグナー
『進化の謎を数学で解く』
(垂水雄二・訳。文藝春秋。2015)
以下『本書』と記述

もちろん「到来」といっても、どこかからやってくるという意味ではありません。遺伝子の変異によって「出現する」という意味です。なぜわざわざ「到来(Arrival)」と言うのかというと、「生存(Survival)」と対比させているからですね。自然淘汰は「Survival of the Fittest(=適者生存)」を説明できても「Arrival of the Fittest」を説明できない・・・・・・・。それは確かにそうだと思います。

しかし本書によると、なぜ進化の過程で「最適者の到来」が起こり得たのかが説明できるのですね。それをコンピュータ・シミュレーションを駆使して研究した成果が本書です。


その偶然は起こりうるのか?


進化の謎を数学で解く.jpg

本書のプロローグで著者はまず、ハヤブサの眼を例にとって上に述べた「誰しも思う疑問」を提示しています。いわば本書が解答しようとする問題、その「問題設定」の部分です。大変に印象的な文章なので、少々長くなりますが引用してみます。


自然界におけるもっとも卓越した捕食者のひとつで、驚異的なほど完璧な体のつくりをもつハヤブサ(Falco peregrinus)について考えてみよう。その強力な筋肉は、極端に軽い骨格とあいまって、ハヤブサを地球上でずばぬけて速く飛ぶことのできる鳥にしており、その特徴的な急降下では、時速300キロメートルを超えることができる。ハヤブサが空中で剃刀かみそりのように鋭いかぎ爪で獲物に突進するとき、この速度のすべてが運動エネルギーに変換される。この衝撃だけで獲物に死をもたらすことができなくても、ハヤブサはうまい具合にのこぎりの刃のような切れ込みのある上嘴じょうしで獲物の脊柱を切断することができる。

ハヤブサは獲物を仕留めにかかる前に、まず見つける必要がある。目標設定のメカニズムは、ヒトの眼の五倍以上の解像度で色付きの立体視ができる一対の眼であり、それはつまり、1キロメートル以上の距離からハトが見えるということである。多くの捕食者と同じように、ハヤブサの眼は高速で追跡するあいだ、眼の水分を保ちながら泥をきれいにするワイパーに似たような働きをする瞬膜しゅんまくと呼ばれる第三のまぶたをもっている。ハヤブサの眼には、ヒトの眼と比べて、より多くの光受容体、すなわち少ない光の中で像を捉える桿体かんたいおよび色覚を与える錐体すいたいが含まれている。これらの光受容体によって短い波長の紫外光さえ見ることができる。

『本書:プロローグ』
(その偶然は起こりうるのか?)

引用したのは本書の冒頭、3ページ目に出てくる文章です。思うのですが、著者のワグナー教授は若い頃(ないしは小さい頃)、ハヤブサとは限らず生物の体の仕組みの精巧さに感動し、その進化の秘密をさぐりたいと思って学者になったのではないでしょうか。そういう想像を誘発するような、"思いが入った" 文章だと思います。さらにワグナー教授の話はハヤブサの体を構成する分子、タンパク質へと進みます。


まったく驚くべきものである。しかももっと驚くべきは、このようなみごとな適応の一つに一つが、自然淘汰によって保存された、一分子の変化でしかない無数の小さなステップの総和であるという事実である。ハヤブサのおそるべきくちばしやかぎ爪は、羽毛と同じ素材、ケラチンと呼ばれるタンパク質分子からできており、ヒトでは、毛髪や爪がケラチンでできている。色覚については、眼の桿体および錐体にあるオプシンというタンパク質分子がなければならない。眼の驚嘆すべき正確さにとって決定的なのは、クリスタリンと呼ばれる透明なタンパク質で構成されたレンズである。

レンズにクリスタリンを用いた最初の脊椎動物は、五億年以上も前にそれを採用しており、ハヤブサの色覚を可能にするオプシンが使われたのはおよそ七億年前だった。どちらも、生命が最初に地球上に出現してから30億年ほど後に出現したことになる。これだけの時間があれば、これらの分子的なイノベーション(新機軸)が考案されるのには十分であるように思える。

『本書:プロローグ』
(その偶然は起こりうるのか?)

地球上の生命は35億年ほど前に誕生したというのが定説です。そこから「一分子の変化でしかない無数の小さなステップ」が積み重なって進化してきた、その一つとしてたとえばオプシンやクリスタリンがある、という現代進化論が述べられています。しかし著者は「本当にそういう進化が可能な時間があったのだろうか」と問いかけます。


しかし、こうしたオプシンやクリスタリンというタンパク質のそれぞれは、何百ものアミノ酸が鎖状に連なった分子で、20種類のアミノ酸のアルファベットで書かれたきわめて特異的な文字配列をもつものである。もし、そうした配列のうちのたった一つの配列だけが光を感知でき、あるいは透明なカメラに似たレンズをつくることができるのだとしたら、そのたった一つを、どれほど多数の異なるアミノ酸鎖から選別しなければならなかったのだろう?

『本書:プロローグ』
(その偶然は起こりうるのか?)

いよいよ核心の質問が出てきました。本当に進化が可能な時間があったのかどうか、それはシンプルな数字の計算で見積もれます。


100個のアミノ酸が連なった鎖の最初のアミノ酸は、20種類のアミノ酸のうちのどれでもよく、二番目についても同じことがいえる。20 × 20 は400だから、二つのアミノ酸の鎖の可能な組み合わせの数は400通りになる。三番目のアミノ酸を考えれば、20 × 20 × 20、すなわち8000通りの組み合わせが可能である。四つのアミノ酸であればすでに16万通りの可能性に達する。100個のアミノ酸をもつタンパク質(クリスタリンやオプシンはそれよりはるかに長い)になれば、その数字は1のあとにゼロが130個以上、すなわち 10130(10の130乗)以上になる。この数字を感覚として捉えるためには、宇宙にある原子のほとんどが水素原子であり、物理学者たちはその数が 1090 だと推計していることを考えてみて欲しい。これは10000000000,0000000000, 0000000000,0000000000, 0000000000,0000000000, 0000000000,0000000000, 0000000000 のことだが、ゼロがわずか90「でしかない」。(引用注:10桁ごとにカンマをいれました。原文にはありません)

潜在的なタンパク質の数は単に天文学的などというものではなく、超天文学的であり、宇宙の水素原子の数よりはるかに大きなものなのである。これほどまでに特異的なアミノ酸配列を見つけだすのは、宝くじで大当たりを当てるようなものどころか、宇宙開闢ビッグバン以来毎年大当たりを続けるというのよりもずっと可能性が低い。実際には、それよりも数で表しきれないほどの倍数で可能性が低い。もしかりに1兆もの種が、生命が始まって以来毎秒、アミノ酸鎖を試してきたとしても、10130 という潜在的な組み合わせのほんのごくちっぽけな部分しか試すことができておらず、まだオプシンのアミノ酸鎖1本さえ見つけていないだろう。分子を配列する方法には、膨大に異なる数がある。それをすべて試す十分な時間はない。

『本書:プロローグ』
(その偶然は起こりうるのか?)

ハヤブサの眼にクリスタリンとオプシンが存在するの厳然たる事実です。それをランダムな組み合わせの中から見つけ出す時間がなかったとすると、我々はいったいどこで間違ったのでしょうか。それとも神による創造説や、インテリジェント・デザイン説、ないしは「奇跡」を持ち出さざるを得ないのでょうか・・・・・・。そんな必要はありません。

実は上の推論の中に1つだけ誤った仮定があります。「(アミノ酸の)配列のうちのたった一つの配列だけが光を感知でき、あるいは透明なカメラに似たレンズをつくることができるのだとしたら」という仮定です。ここが違っている。それが本書で解明されています。



本書はクリスタリンやオプシンという特定のタンパク質の進化を扱ったものはありません。そうではなく「代謝」「タンパク質」「調節回路」という、生命体にとって必須の機構をとり、超天文学的な組み合わせの中からどうして最適なものの出現が "ありえた" のか、そこをコンピュータ・シミュレーションで分析しています。その中から以下に「代謝」の概要を紹介します。


代謝


代謝とは、生命体の内部で起こっている化学反応のことです。生命体は代謝の働きによって外部から取り込んだ栄養源をアミノ酸、ビタミンなどの、生命維持に必須の物質に変換しています。また、アンモニアのような体にとっての有害物を無害な物質に変えています。

化学反応の一つの例はしょ糖(スクロース。砂糖の主成分)の加水分解で、生命体にとって基本的なものです。これは、

スクロ ース + 水
 →  グルコース(ブドウ糖)+ フルクトース(果糖)

という反応です。No.105「鳥と人間の共生」で書いたように、ミツバチが蜜を作るのはこの化学反応であり、人間はミツバチが花のショ糖を集めて加水分解してくれた結果としての「ブドウ糖と果糖の集まり = ハチミツ」を有り難くいただくというわけです。

化学反応を可能にしているのは触媒としての酵素です。スクロースの加水分解の場合はスクラーゼと呼ばれる酵素で、これはアミノ酸が1827個連なったタンパク質です。その分子量は約2万に達します。それと比較するとスクロースの分子量は45なので、非常にちっぽけなものです。

一般に酵素は化学反応を数億倍、時には1兆倍に加速することができます。酵素がない限り、代謝は実質的にはありえない。つまり生命体がどのような化学反応(代謝)をもっているかは、どのような酵素をもっているかによります。もちろん、その酵素は遺伝子によって規定されています。

大腸菌は最もよく研究されてきた細菌の一つですが、大腸菌には1300種の化学反応(代謝)があることが分かっています。その他、今までに各種の生物で研究されてきた代謝の種類を全部集めると、約5000種になります。各生命体はこの5000種のうちの何種かの(大腸菌の場合は1300種の)代謝能力をもっており、これは生命体ごとに違っています。それを規定しているのが酵素であり、つまりは酵素を作る指令になる遺伝子ということになります。


代謝の「遺伝子型」


ワグナー教授のシミュレーションにあたっての、まず第1のキーワードは遺伝子型(いだでんしがた。いでんしけい、とも言う)です。今、ある生命体が5000種の代謝のどれを持っているかを、次のような表で表すことにします。

遺伝子型.jpg
代謝の遺伝子型
(本書より)

この図は本書から引用したものですが、化学反応としてはスクロースの加水分解だけが書かれていて、あとは省略されています。この表の一番右の縦の列が、ある生命体の「代謝の遺伝子型」です。1 と書いてあれば該当する代謝がある、0 は該当する代謝がないことを示します。

この代謝の遺伝子型はどれぐらいの種類があるのでしょうか。全体の代謝の数は5000なので、その種類は 25000 ということになります。高校で習う常用対数の知識を用いて、2の常用対数を約0.3とすると、この数は 101500 になり、1500桁の数字ということになります。これは宇宙にある全水素原子の数(1090)とは全く比べものにならない超天文学的数字です。代謝の遺伝子型を一つ選ぶということは、この1500桁の数字のパターンから一つを選ぶということになります。


代謝の「表現型」


2番目のキーワードは代謝の「表現型」(ひょうげんがた。ひょうげんけい、とも言う)です。表現型とは、ある遺伝子型が、生物の構造・行動・生理学的性質などの「形態」として発現したものを言います。突然変異で出来た「遺伝子型」の違いは、それが「表現型」の違いとなって現れてこそ自然選択の影響を受けるし、生物は進化します。そして「代謝の表現型」とは、

  特定の栄養源(炭素源)で生命体が「生存可能」であること

です。栄養源(炭素源)とは、今までに出てきたスクロース(ショ糖)、グルコース(ブドウ糖)、フルクトース(果糖)をはじめ、エタノール、クエン酸塩、酢酸塩、など、代表的なものだけで約100種類あります。また「生存可能」とは

  生命体が代謝によって、生命の維持に必須である約60種類の "バイオマス構成要素" を作り出せること

と定義します。バイオマスとは生物の体を構成する有機物の総体を言う言葉ですが、ここで言う "約60種類のバイオマス構成要素" とは、核酸(DNAやRNAの構成要素。計5種)、アミノ酸(20種)、脂質、補酵素などの、生命にとっては "必須の必須" と言える物質です。



以上のように定義すると、

  ある特定の「代謝の遺伝子型」が、ある特定の「代謝の表現型」をもっているかどうかは、YESかNOかで答えられる

ことになります。たとえばある「代謝の遺伝子型」が「グルコース(ブドウ糖)だけを栄養源として生存可能か」どうかを調べたいのなら、代謝の遺伝子型で示される「化学反応のワンセット」を調べ、ブドウ糖だけを「入力」として「60種類のバイオマス構成要素」のすべてを「出力」できるような「化学反応の連鎖」があるかどうかを見ればよいわけです。

これは人間が手で調べようとすると、かなり骨の折れる仕事になりますが、こういう仕事こそコンピュータが最も得意とするところです。ここにコンピュータを使うというのがワグナー教授の着眼点です。


遺伝子型の「距離」と「近傍」


進化をコンピュータでシミュレーションするには、さらに2つの遺伝子型の「距離」と「近傍」が重要な概念となります。「代謝の遺伝子型」とは、5000個の 0 か 1 の数字の列でした。このうちのどれか1つの数字を変異させたとしたら、つまり 0 なら 1 に、1 なら 0 にしたものは別の遺伝子型となります。これを元の遺伝子型の「近傍」の遺伝子型と定義します。一つの遺伝子型には5000種の「近傍」があるわけです。言うまでもなく「近傍」とは一つの遺伝子が突然変異して別の遺伝子型になることを模擬しています。つまり、一つの遺伝子型の近傍とはその遺伝子型の5000種の「変異型」と言えます。

さらに2つの遺伝子型を比較したとき、数字が違っているところの数を、2つの遺伝子型の「距離」と定義します。近傍にある2つの遺伝子型の距離は1です。また、一つの遺伝子型の数字をすべて反転させた別の遺伝子型を考えると、その2つの距離は5000となり、元の遺伝子型とは最も「遠い」遺伝子型となります。


コンピュータ・シミュレーション


以上の「遺伝子型」「表現型」「近傍=変異型」「距離」という概念を導入することによって、コンピュータ・シミュレーションの準備が整いました。ワグナー教授が行ったシミュレーションは次のようなものです。

「代謝の表現型」として「ブドウ糖だけで生存可能」を取り上げる。

大腸菌は「ブドウ糖だけで生存可能」なことが分かっているので、大腸菌の「代謝の遺伝子型」を出発点とする。

遺伝子型の「近傍」を探索し、同じ表現型(=ブドウ糖だけで生存可能)をもつ遺伝子型があるかを調べる。そのような遺伝子型があった場合、そこを新たな起点としてその近傍を探索する。

この探索を次々と繰り返していって、「ブドウ糖だけで生存可能」な遺伝子型が変異を繰り返した結果、"どこまで遠くへ行けるか" を調べる。

このシミュレーションで判明したことは、かなり意外です。大腸菌の遺伝子型の近傍には「生存不可能」な遺伝子型もありますが、ブドウ糖で生存可能な遺伝子型が数百も見つかりました。さらに近傍から近傍へと変異を繰り返していっても、なかなか「探索」が途切れません。ついには、元の大腸菌の遺伝子型とは80%もの遺伝子が違うところまで探索は続きました。つまり大腸菌とは非常に「遠い」遺伝子型が同じ表現型(=ブドウ糖だけで生存可能)をもっていたのです。

さらに探索の範囲を広げると、同じ表現型を持つ遺伝子型が "あらゆる方向に" 散らばっていて、それぞれの遺伝子型は近傍同士の関係で繋がっていることが分かってきました。この様子をワグナー教授は「遺伝子型ネットワーク」と呼んでいます。それをイメージしやすいように図に表したのが下図です。

遺伝子型ネットワーク.jpg
遺伝子型ネットワークのイメージ図
(本書より)

この図で、全体の四角は代謝の遺伝子型の全てです。前に書いたように、その数は 101500 という超天文学的数字です。丸印はドウ糖で生存可能な遺伝子型で、丸と丸の間の線は遺伝子型同士が近傍の関係にあることを示しています。

この丸の数(遺伝子型の数)はどれだけあるのでしょうか。もちろん全てをコンピュータで調べることは数が多すぎて不可能です。ワグナー教授はシミュレーション結果から、全体の数を 10750 と推定しています。つまり

代謝の遺伝子型の全体の数は超天文学的数字だが、同じ表現型をもつ遺伝子型の数もまた超天文学的数字になる

ことが分かってきました。これは平たく言うと、一つの機能を実現する "やり方" は膨大にあるということです。我々は何億年という進化の結果として出来上がった現在の生物を見ています。眼のレンズを構成するクリスタリンというタンパク質を見て、よくもこんなものが都合よく出来たものだと驚嘆します。透明で、伸縮可能で、しかも屈折率が高いタンパク質です。しかしそれは、超天文学的な種類の "やり方" の中から現有生物が採用した、たった一つの "やり方" に過ぎないと想定できるのです。実際、タンパク質の遺伝子型も代謝と同様だということが本書のあとで出てきます。



代謝の表現型は「ブドウ糖で生存可能」だけではありません。「エタノールで生存可能」もあるし「酢酸で生存可能」もある。また「ブドウ糖とエタノールがあれば生存可能」もある。栄養源(炭素源)が100種類あるとしたら、2100 = 1030 種類の表現型があることになります。ワグナー教授はこれらの中の主要な表現型をもつ遺伝子型を調べ、いずれも「遺伝子型ネットワーク」を構成していることを突き止めました。つまり

膨大な数の「代謝の表現型」のそれぞれ対応した「遺伝子型ネットワーク」が存在し、それぞれの「遺伝子型ネットワーク」は近傍で繋がった超天文学的数字の遺伝子型(=同じ表現型を示す)から構成されている

ことになります。さらに重要なのは次の2つの発見です。

一つの「遺伝子型ネットワーク」に属する遺伝子型の近傍には、別の「遺伝子型ネットワーク」に属する遺伝子型が存在する。つまり、ある遺伝子型は別の表現型をもつ遺伝子型へと変異できる。

一つの「遺伝子型ネットワーク」に属する、距離が離れた2つの遺伝子型の近傍には、それぞれ別の表現型の遺伝子型が存在する。つまり表現型が同じだとしても、遺伝子型の違いが大きいと、違った表現型へと変異しやすい。



タンパク質と調節回路


ワグナー教授は「代謝」だけでなく「タンパク質」と「調節回路」についても、同様のコンピュータ・シミュレーションを行いました。

タンパク質の「遺伝子型」とは、タンパク質を構成しているアミノ酸の並び方です。タンパク質は、ある特定の形に3次元的に折り畳まれることによって、機能を発揮します。タンパク質の「表現型」とは、その3次元形状です。タンパク質は特定の3次元形状をとることで、酵素になったり、眼のレンズになったり、筋肉になったりします。

ワグナー教授はタンパク質の「遺伝子型」から3次元形状を予測するプログラムを作成し、コンピュータ・シミュレーションを行いました。すると、タンパク質の遺伝子型にも、代謝と同じ構造をもった「遺伝子型ネットワーク」があることが分かりました。

たとえば、生物界に広くみられるグロビンというタンパク質のグループがあります。これは酸素と結合する性質があり、生物の体内で酸素を輸送する重要な役割をになっています(ヒトではヘモグロビン)。下に掲げたのは、植物と昆虫のグロビンですが、アミノ酸の並び方は90%以上が違っているにもかかわらず、よく似た形に折り畳まれ、同じ機能を果たしています。

グロビン.jpg
植物と昆虫のグロビン(模式図)
90%のDNAは違っているが、よく似た3次元構造をもっており、酸素を輸送するという同一の機能をはたす。
(本書より)



「調節回路」とは、生物の遺伝子(DNA)の発現を調節するしくみです。生物の体の全ての細胞は同じDNAをもっていますが、細胞が存在する場所によって、DNAの中のどの遺伝子が活性化するかが決まっています。これをコントロールしているのが「調節因子」と呼ばれるタンパク質の群です。この因子が細胞の役割を決めている。生命の発生のときにも、適切な時刻に適切な場所に適切なタンパク質が次々と生産され、それが生命の形を作っていくのですが、これも調節因子の働きです。

特定の遺伝子は、複数の調節因子の相乗作用によって活性化・不活性化が決まります。また調節因子もタンパク質であり、それはDNA上の遺伝子で決められているので、調節因子が別の調節因子の遺伝子を活性化したり、不活性にするということが起こります。つまり調節因子の群は、それ自体が複雑なネットワーク(=調節回路)を構成していて、この回路のパターンの数は膨大です。この調節回路の膨大なバリエーションが、遺伝子の適材適所での発現をコントロールしています。

こういった調節回路の遺伝子型も、代謝と同じような「遺伝子型ネットワーク」を構成していることが判明しました。



タンパク質と調節回路に関するコンピュータ・シミュレーションの方法やその結果は省略しますが、代謝の場合と同じ結果が得られたことが説明されています。その内容も興味深いのですが、詳細は本書を読んでもらうしかありません。

Arrival of the Fittest.jpg
Arrival of the Fittest


起こり得た偶然


以上で、最初に掲げた問題設定である「最適者が到来する理由」が明らかになってきました。

)()()()で述べたことを、遺伝子(=遺伝子型)、形質(=表現型)、変異、イノベーションという言葉に変えて、もう一度まとめると次のようなるでしょう。「変異」とは遺伝子に含まれるDNAのランダムな変化を言います。また「イノベーション」とは、生命体にとって「新たな形質を示す変異」を言います。イノベーションという言葉は著者のワグナー教授が使っています。

生命体は、その形質を変えることなく次々と変異していける。同じ形質を示す遺伝子の潜在的なパターンは超天文学的な数になる(=遺伝子型ネットワーク)。

一つの遺伝子の変異の中には、形質の変化をともなうイノベーションが存在する。

遺伝子型ネットワークに属する違った遺伝子(=同じ形質を示す)は、違ったイノベーションに変異する。

そしてイノベーションの中に最適者が含まれています。つまり、()+()+()の相乗効果で進化 = 最適者の到来が起こり得たのです。

最適者の「出現」はあくまでランダムな現象であり、「偶然」に支配されます。本書のプロローグで「その偶然は起こりうるのか?」という問題設定がされていますが、遺伝子型ネットワークの構造からすると「起こりうる偶然」であり、そして実際に起こった偶然である、というのがワグナー教授の見解です。遺伝子はそういう風に構造化されている、自然はそういう構造をもっているというのが結論です。


頑強性と中立変異


以上の結論で重要なのは()のところです。つまり「遺伝子型ネットワーク」の存在は、生物の「頑強さ(robustness)」を示しています。生物は、少しくらい遺伝子が変化したとしても以前どおりに生存していける。もちろん中には致死的影響を与える変異もあるが、そうでないものも膨大にある。本書によると、大腸菌には各種の変異体("株"と呼ばれる)があるが、DNA解析をすると、異なる株ではDNAの25%が違っていることがあるそうです。

この「頑強さ」は多様性を生み出します。そしてその多様性がイノベーションへの "踏み台" になるわけです。仮にある生物の遺伝子型が全部同じだとすると、その同じ遺伝子型の "周り"(近傍)に環境変化にマッチしたイノベーションが "都合よく" 見つからないのです。

これは別な見方をすると、生命の進化における「中立変異の重要性」ということになります。中立とは、自然選択にとってプラスでもマイナスでもないという意味です。ワグナー教授は次のように書いています。


中立主義者のもっとも率直な提唱者は日本人科学者の木村資生もとおで、彼は、そのような中立突然変異の進化的運命を説明する、洗練され、しかも成功した数学的理論を発展させた。木村は、自然に見られる遺伝的変異のほとんどが中立的だと断言した。ゲノムの時代は、この点で彼が間違っていたことを教えてくれた ─── 中立的な変異は有益変異より頻度は高くない。けれども、中立的変化が重要であるという彼の直感は完璧に正しかった。ただ、その理由が理解されるまで、さらに二、三十年を要した。

『本書:第8章』
(隠された根本原理とは)

木村資生もとお博士(1924-1994)の「中立説」は、発表当時は激しい反発を受けましたが、その価値が次第に認識され、すでに現代進化論の一部となっています。ワグナー教授も改めてその重要性を認識したようです。


コンピュータは21世紀の顕微鏡


以下は本書を読んだ感想です。本書の最初の方に次のような文章があります。


コンピューターは21世紀の生物学にとって、写真におけるデジタル・カメラと同じように不可欠なものになっている。コンピューターは、単に科学機器 ── 超低温フリーザーからエスプレッソ・マシーンまで ── を作動させる以上のことをなしとげ、意味やそれ自体の意義をもつ装置である。17世紀の顕微鏡と同じように、新しい世界への旅を可能にしてくれる。そこはあまりにも小さいので、電子顕微鏡も含めてもっとも強力な映像技術をもってしても解明することができない世界である。実際、コンピューターは21世紀の顕微鏡といえる。それは、ダーウィンが存在さえ知らなかった分子の網の目の理解を助けてくれる。

『本書:第1章』
(最適者の到来)

この文章は本書のはじめの方に出てくるのですが、本書を通読してみて、その意味がよく理解できました。17世紀のヨーロッパで初めて顕微鏡が発明されたときの話は、よく科学の歴史物語であります。水たまりから水滴を一滴とって顕微鏡で覗くと、なにやら微細なものがうごめいていた。これが微生物の発見である、みたいな・・・・・。顕微鏡は人間が自然をみる見方を変えてしまいました。

それと似通っています。「21世紀の顕微鏡」であるコンピューターの「意味やそれ自体の意義」は、人間が自然を認識する新しい手段を手に入れたということなのですね(少なくとも生物学にとっては)。そのことが本書を通読してよく理解できました。


イノベーションの原理


この文章の冒頭に、No.56「強い者は生き残れない」で紹介した、吉村仁氏(静岡大学教授)の同名の本について触れました。そこでは、生物の進化は以下のプロセスで進むことが、学界の最新研究も踏まえて説明されていました。

シーン0:環境安定期
  表現型の変化はほとんどないが、生物の内部では遺伝子の多様化が進む。
シーン1:環境激変期
  生物は大絶滅を起こし、生物全体の遺伝子の多様性も激減する。
シーン2:適応放散期
  大絶滅を生き延びたわずかな種は、他に生物があまりいないので大増殖する。
シーン3:最適化期
  シーン2で適応放散した生物は、それぞれの環境に精密に適応していく。
シーン4:環境安定期 = シーン0に戻る

この生物進化のプロセスと、ワグナー教授の「遺伝子型ネットワーク」はピタリと一致します。「シーン0:環境安定期」は、まさに遺伝子型ネットワークによって、同じ形質をもつ多様な遺伝子型が生まれていく時期です。また 「シーン1:環境激変期」から「シーン2:適応放散期」は、遺伝子型ネットワークのどこかの "近傍" から、新環境にマッチした最適なイノベーションが生まれることに相当するでしょう。本書は「生物進化のプロセス」の理論的裏付けたとも言えそうです。その「裏付け」を可能にしたのはコンピュータなのでした。



この生物進化のプロセスは、一般的なイノベーションの原理でもあるようです。ワグナー教授は本書で、人間社会における技術のイノベーションも同様のプロセスで起こることを、数々の事例を引いて語っています。No.56「強い者は生き残れない」で書いたのは、現代社会における企業の "生き残りと革新" も極めて似通ったプロセスだということでした。

日常的に起こる、外面には現れにくい小さなイノベーションの集積が重要なのです。それらのほとんどのものは、結果としてあまり "大きな役には立たない"。しかし環境が大きく変化するとき、それらのどこかから新環境に最適なイノベーションが出現する。均質なものは進化しません。ちょっとぐらいの変化では生き延びられる「頑強さ」あるということは「多様性」が生まれるということであり、それがイノベーションの源泉となると理解できました。


イヌ:生物に内在する変化の可能性


本書は生物に内在するイノベーションの可能性をシミュレーションで解き明かしたものですが、通読して改めて思い出すのは本書の最初にある、ダーウィンの『種の起源』の中の話です。著書は次のように書いています。


『起源』の第一章全体が、人間の育種家がつくりだしたイヌ、飼いバト、作物品種、鑑賞用の草花の多様性への驚嘆に満ちている。人間が単一の共通祖先であるオオカミに似た祖先から、それもわずか数世紀のうちに、グレートデーン、ジャーマンシェパード、グレイハウンド、ブルドッグ、チャウチャウのすべてをつくりだすことができたというのは、考えてみるとまったく驚くべきことである。

『本書:第1章』
(最適者の到来)

イヌは1万年ほど前に、人間が(今で言う)オオカミを家畜化したものです。そして、家畜としての品種改良が本格的に行われたのは、たかがこの数百年です。しかもその「改良」は、現代で言う "遺伝子操作技術" や "遺伝子組み替え技術" を使ったわけではありません。あくまで「交配」や「選別」で行われた。それでいて、出来上がったイヌの外見の多様性は驚くべきものです。

つまり現代のイヌの多様な姿・形は、1万年前のオオカミという種のDNAに、すでに内在していたと考えざるを得ません。その「内在するもの」を、人間が "好み" に従って顕在化させた・・・・・・。高等生物が持っている「変化の可能性」はものすごいものだと思います。我々が現代のオオカミの写真を見ても、その姿・形はみな同じように見えます(No.127「捕食者なき世界(2)」)。つまりどのオオカミも「表現型」は似通っている。しかし「表現型」は同じでも「遺伝子型」は極めて多様になりうると、本書では強調されていました。その実例と言えるでしょう。

グレート・デーン.jpg
グレート・デーン

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ジャーマン・シェパード



本書に出てくる
5つの犬種
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グレイハウンド

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ブルドッグ

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チャウチャウ


我々は直感に裏切られる


本書を読んで強く思ったのは「我々は直感に裏切られる」ということです。我々は「ハヤブサの眼が出来上がってきたのは奇跡だ」と「直感して」しまう。しかし、こういった直感はあくまで我々の日常生活での体験にもとづいています。

「進化」のような事象は、日常生活とは全くかけ離れた次元の話です。遺伝子やDNAやタンパク質は、いずれも分子レベルの話で、まさに21世紀の顕微鏡(=コンピュータ)で見るしかない極超ミクロの世界です。進化は数億年、数千万年といった時間スケールの話です。つまり、進化で対象になる「量」や「個数」や「数字」は、日常感覚とは全くかけ離れています。本書でたびたび登場する大腸菌は細菌の一種ですが、本書によると地球に生息する細菌の数は 5 × 1030 と見積もられている、とあります。我々はその数を想像すらできない。

日常生活からくる「直感」にまどわされてはいけない、というようなことを強く感じました。



 補記 

本書の日本語訳の題名は『進化の謎を数学で解く』ですが、通読して最後まで分からないのは、いったいどこに数学が使われているのか、ということです。著者の研究は、DNAや遺伝子、タンパク質、代謝などの最新データをもとに、コンピュータを使って遺伝子型の進化のシミュレーションをした、としか読み取れません。シミュレーションの速度向上のために、ある種の数学的手法を使ったのかも知れないし、またアミノ酸配列からタンパク質の3次元的な折り畳み構造を予測するために数学を使ったのかも知れない。しかしその説明はありません。たとえ数学に関係していたとしても、それが研究の本質だとは到底思えない。『進化の謎をコンピュータで解明する』なら、まだ分かりますが・・・・・・。誰が日本語の題をつけたのかは知りませんが、不適切だと思いました。

ただし、巻末に全部の注釈を訳出し、参考文献を全部のせたのは好感がもてました。ちなみに本書の原題は以下の通りです。


Arrival of the Fittest
- Solving Evolusion's Greatest Puzzel -

最適者の到来
- 進化の最大の謎を解く -


生物の進化のプロセスは "Arrival of the Fittest"(適者到来) と "Survival of the Fittest"(適者生存) で進行する・・・・・・。そういう意味を込めた題です。




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No.127 - 捕食者なき世界(2) [科学]

前回より続く)

前回に引き続き、ウィリアム・ソウルゼンバーグ著『捕食者なき世界』(文藝春秋 2010。文春文庫 2014)の内容を紹介します。

Where the Wild Things Were.jpg
「捕食者なき世界」の原題は「Where the Wild Things Were」であり、訳すと「怪獣たちのいたところ」である。Wild Thingsは ”荒くれ者”、”手におえない者”というようなニュアンスであるが、それを"怪獣"としたくなるのは、この原題がセンダックの有名な絵本「かいじゅうたちのいるところ - Where the Wild Things Are」をもじってつけられているからである。現在(are)を過去(were)に変えただけの "こじゃれた" タイトルである。


鳥が消えた島


パナマにバロ・コロラドという、17平方キロメートルほどの島があります。ここはかつて山のいただきでしたが、1913年のパナマ運河の建設にともなって湖ができると周りが水没し、湖の中に取り残されたて島になりました。この島は生物保護区になり、スミソニアン研究所の管理のもと、継続的に自然生態観察が行われてきました。

熱帯の森を研究していたプリンストン大学のジョン・ターボー教授は、1970年に初めてこの島を訪れました。島ができてから50数年後ということになります。

バロ・コロラド島で分かったことは、島ができた直後には209種の鳥が確認できたのですが、1970年の段階では、そのうちの45種が見られなくなったということです。バロ・コロラド島の森林は、島ができた頃より回復しています。以前は森を焼き払って作った農地もあったのですが、生物保護区になってからは人間の手が入らないようになったからです。

森林の回復にともなって草地に棲む鳥がいなくなるのは分かります。しかし非常に奇妙なのは、いなくなった45種の鳥のうちの18種は森林に棲む鳥だということでした。しかもその18種は、湖の周りの本土では健在だったのです。完全な自然保護区での鳥の減少は、いったいどういうことなのか。

ターボー教授は、消滅した18種の鳥のほとんどが地上か、地上近くに巣を作る鳥だということに着目しました。そして島ができてから激増した動物にハナグマとペッカリー(北米におけるアライグマとイノシシに相当)が含まれ、どちらも鳥の雛と卵を好んで食べることにも注目しました。一つの実験があります。


イリノイ大学のふたりの大学院生が、パロ・コロラド島と、隣接するパナマ本土の両方で、地面と低木の茂みに小枝で編んだ巣を仕掛け、中に葉を敷いてウズラの卵を二個ずつ置いた。一日、二日たってから調べると、本土の地面においた巣の6パーセントから卵が消えていた。一方、パロ・コロラド島では88パーセントの巣が空っぽになっていた。

『捕食者なき世界』(第5章)

Coati.jpg
ハナグマ
アライグマ科。南北アメリカ大陸に分布。
( site : Wikipedia )

ターボー教授は比較対照のため、人間の手が加えられていない熱帯雨林を調べました。選らんだのは、手つかずの自然が残されているペルーのマヌー国立公園です。


ターボーにとってなにより重要だったのは、マヌー国立公園には人間の手に汚されていない自然が残っていることだ。それを基準にすれば、ほかの熱帯雨林の変貌の度合いを測ることができる。マヌーには十分な数のジャガーやピューマがいた。ジャガーはネコ科の動物で三番目に大きい。ピューマはそれよりやや小さいが、適応力があり、アラスカのユーコン川流域から南米の南端パタゴニアまでの広い範囲に生息しており、一口サイズの齧歯類から体重250キロのワピチ(アメリカアカシカ)まで食べる。樹上の生物界に君臨するのはオウギワシだ。地上でもっとも強く最も印象的な猛禽類で、体重は5キロを越え、戦士の羽と虎のかぎ爪を備え、サルを見つけるとミサイルのようなスピードで襲いかかる。そのような南北アメリカ大陸の熱帯雨林の頂点捕食者が、マヌーにはまだ生息していた。

『捕食者なき世界』(第5章)

Jaguar.jpg
ジャガー
上の引用に「ネコ科の動物で三番目に大きい」とあるが、トラ、ライオンについで三番目という意味である。中米から南アメリカ大陸に分布している。ヒョウと似ているが、腹から背中の紋が梅花状で、中に黒点があることで見分けられる。「捕食者なき世界」の原書の表紙にもなっている。
( site : Wikipedia )

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ピューマ
南北アメリカ大陸に分布している。「捕食者なき世界」からの引用にもあるように、高山から森林地帯、砂漠までの幅広い環境に適応している。
( site : Wikipedia )

Harpy Eagle.jpg
オウギワシ
猛禽類では世界最大級の種で、南米に分布している。「捕食者なき世界」には、木にしがみついているナマケモノを引きはがして舞い上がることができる、とある。
( site : Wikipedia )
マヌー国立公園に比較し、パロ・コロラド島は違いました。パロ・コロラド島では、時折オウギワシが本土から飛来しましたが、大型ネコはいなかったのです。要するに、パロ・コロラド島の17平方キロメートルという広さは、大型ネコにとっては「狭すぎた」のです。

マヌー国立公園では、スミソニアン研究所の哺乳類学者、ルイーズ・エモンズが大型ネコのジャガー、ピューマの研究をしていました。彼女は大型ネコに捕食される動物も調べていました。アグーチ、パカ、カピパラ(いずれも齧歯類)、ペッカリー(イノシシの仲間)、ハナグマ(アライグマの仲間)などです。その結果わかったことは、大型ネコが動物を捕らえる確率は、その動物の個体密度に比例することです。捕食者が出会うアグーチが多ければ、それだけ多くのアグーチが食べられる・・・・・・。それを知ったターボー教授は、「大型ネコたちは、そうやって成り行きまかせのハンティングをしながら、実は知らず知らずのうちに、獲物となる動物の個体数を調整しているのではないか」と考えたのです。


実際、マヌー国立公園とパロ・コロラド島との違いは愕然とするほどのものだった。パロ・コロラド島には個体密度で言えばマヌーの20倍のアグーチ、25倍ものハナグマがいた。ターボーは、パロ・コロラド島から鳥を消した犯人はハナグマに違いないと目星をつけた。ハナグマだけがパロ・コロラド島の鳥類相を破壊しつくしたとは言わないが、鳥の巣を遅うのが得意で、卵とヒナが大好物のハナグマがそれほど高密度でいるのだから、島での鳥殺しに関与しているのは確かだ。

『捕食者なき世界』(第5章)

『捕食者なき世界』では、ターボー教授の別の研究が紹介されています。ベネズエラではカロニ川をせき止めてダムが出来たため、グリ湖ができました。その結果、湖には大小の島が点在することになりました。

これらの島で起こった典型的な出来事が、緑の消失です。その原因はハキリアリです。ハキリアリは良く知られているように、木の葉を小さく切って巣の中に運び、木の葉を養分として菌を育て、その菌を食べて生きています。「農業」をするアリとして有名です。

島ではハキリアリが大増殖しました。それはハキリアリの天敵であるアルマジロが(ほとんどの島で)絶滅したからです。ハキリアリの個体密度は本土の100倍にもなりました。その結果、島の緑という緑が消滅してしまい、木は次々と枯れ、残ったのは、ハキリアリが好まない棘のある植物や蔓植物だけとなり、鳥も島を見捨てて去っていったのです。

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ハキリアリ
中米から南米の熱帯雨林に分布する。葉を切り取って巣に運んで「農業」をする有名なアリであるが、下の写真のように木の葉を根こそぎ刈り取ってしまうこともある。
( site : events.nationalgeographic.com )
( site : Wikipedia )

ターボー教授は「サイエンス」雑誌(2001)で警告を発しています。


グリ湖で観察されたことは警告を発している。なぜなら、生態系を上からコントロールしてきた大型捕食者は、アメリカ本土の大半、それどころか地球上の陸地のほとんどで根絶されたからだ。



あなたの周囲をみてほしい。乾燥したアメリカ西部の草原は家畜に荒らされて、トゲの多い低木に覆われつつある。マレーシアの森は、野生のブタのせいで消えつつある。そしてアメリカ東部の森は、オジロジカに食い尽くされようとしている。

『捕食者なき世界』(第5章)


オオカミとイエローストーン公園


アメリカは300年に渡って「国を挙げて」オオカミの撲滅に取り組んできました。それは1630年にマサチューセッツの植民地で、オオカミを1頭殺せば1セントの報酬が与えられたことに始まります。1915年からは税金を投入しての本格的な駆除が始まりました。捕獲手段は、最初は罠かライフルでしたが、やがて毒餌が用いられるようになり、飛行機の時代になると毒を入れた脂肪の塊を空から撒くようなことも行われました。その結果、1930年代までにオオカミは多くの州で絶滅しました。カナダやアラスカにはまだオオカミが生息していましたが、アメリカ本土では人間が入りづらい辺境に細々と暮らすだけになり、群をなして狩りをしたり、生態系に影響を及ぼす存在としてのオオカミはいなくなったのです。

イエローストーン国立公園は、アイダホ州、モンタナ州、ワイオミング州にまたがる大公園で、世界最初の国立公園であり、世界自然遺産になっています。あたり一帯は公園を中心に49,000平方キロもの広大な国有地が広がっていて、全体は「グレイター・イエローストーン」と呼ばれています。

イエローストーン国立公園においてもオオカミは絶滅してしまいました。その時期ははっきりしています。1926年に捕らえられた2頭が最後で、これをもってイエローストーン国立公園におけるオオカミ撲滅作戦は終了しました。

Grey Wolf.jpg
ハイイロオオカミ(タイリクオオカミ)
普通オオカミというと、このハイイロオオカミ(タイリクオオカミ)のことを指す。世界各地にさまざまな亜種が分布している。絶滅したニホンオオカミも亜種とされている。
( site : animals.nationalgeographic.com )

ところがオオカミがいなくなったあと、アメリカ国立公園局は別の「害獣」の存在に気づきました。鹿の仲間であるワチピ(アメリカアカシカ)が大量に増殖し、イエローストーンの北部域(ノーザンレンジ)を中心に、若木を食べだしたのです。特にヤナギとポプラです。ヤナギとポプラは、乾燥したアメリカ西部地域の植物相の基礎となるものです。ヤナギとポプラの枯死は、土壌の浸食にもつながります。

公園当局は以降、40年に渡ってワピチの間引き(捕らえて移動させる、撃ち殺す)をしましたが、状況の改善はあまりみられませんでした。それどころか、1960年代になると地元のハンターが間引きに反対するようになり、ワピチの数のコントロールはますます困難になったのです。

Wapiti - Rocky_Mountain.jpg
ワピチ(Wapiti。アメリカアカシカ)
北アメリカから東北アジアに分布。北米ではエルクと呼ばれるが、世界的にはエルクと言うとヘラジカ(角がヘラ状の鹿)を言う。
( site : Wikipedia )

1973年にアメリカの連邦議会は絶滅危惧種法を成立させ、時のニクソン大統領が署名しました。これは絶滅の危機に瀕している種の保護と復活を提唱する法律で、オオカミはその筆頭にあげられました。生態学者たちはさっそくオオカミを復活させるのに適した土地を探しはじめましたが、その最有力地がイエローストーン国立公園を中心とする国有地、グレイター・イエローストーンでした。

イエローストーンにオオカミを復活させることには反対論も根強く、環境影響調査などを含む紆余曲折があったのですが、生態学者たちの努力の結果、1995年1月12日、ようやく、カナディアン・ロッキーで捕獲された8頭のオオカミがイエローストーンに到着しました。生態学者は自然繁殖するかどうかが心配でしたが、復活作戦は成功しました。オオカミはイエローストーン国立公園全体に広がり、10年後にはグレイター・イエローストーン全体で300頭を数えるに至ったのです。



オオカミが無線発信機をつけて放たれたころのイエローストーン国立公園はどうだったのか。オレゴン州立大学のロバート・ペシュタは、1996年の春にイエローストーンの北部域(ノーザンレンジ)を流れるラマー川を訪れ「あまりの惨状に愕然となって、声も出なかった」と言います。


ラマー川の土手に緑はなく、川岸はぎざぎざに削られ、垂直に落ち込んでいた。数千年かけて積み重ねられた川辺の土壌が、この数十年の間に春の雪解け水と夏の豪雨に削られて海の方へ流された。木は数えるほどしか生えておらず、下草はなく、樹冠も木陰もない。つまり鳥たちが暮らせる場所はなくなっていた。かつてそのあたりでダムを作っていたビーバーももはやいない。あるべき生命の輝きがことごとく失われていた。

『捕食者なき世界』(第8章)

「川のほとり」を生態学では「河畔域」と呼びます。アメリカ西部のような乾燥地域においては、河畔域は生物多様性の中心地です。アメリカ西部の河畔域の面積は1%に過ぎないのですが、生物の80%は河畔域に生息しているのです。

ロバート・ペシュタは、ラマー川の河畔域を崩壊させたのはワピチだと考えました。冬場には2万頭ものワピチがノーザンレンジに集まり、河畔域のポプラの林にも押し寄せ、若木や新芽を食べ尽くしていたのです。オレゴン州立大学に帰ったペシュタは同僚に報告しました。それに呼応して、同僚のウィリアム・リップルはラマー川の河畔域を詳細調査しました。

リップルはラマー川の河畔域のポプラの樹齢を詳細に調べて、1920年代以降はポプラの木が再生していないことを突き止めました。リップルに触発されたペシュタは、同じことをラマー渓谷のヤナギで調べましたが、同様の結果が得られました。森林火災、気象変動、洪水、河川の流れの変化など、あらゆる可能性を検討した結果、2人が出した結論は「1920年代にオオカミがいなくなった結果、ポプラやヤナギは再生しなくなった」というものです。やはりワピチが若木や新芽を食べ尽くしてしまったのです。



やがてオオカミが導入されてから数年後の2001年ごろには、ラマー川の河畔域ではポプラやヤナギの若木が再生している姿が見られるようになりました。これは

  オオカミ → ワピチ → ポプラ・ヤナギ

という食物連鎖の証明になりました。

さらにはオオカミの復活にともなって別の変化も現れてきました。オオカミがいなかった70年間、イエローストーンで「のさばって」いたのはコヨーテでしたが、コヨーテはオオカミに追われて数が半減しました。その結果、一時絶滅しそうになっていたプロングホーン(レイヨウの一種)の数が復活してきたのです。イエローストーンのコヨーテは、出産直後のプロングホーンの母子を襲うという習性をもっていたからです。さらにオオカミの「食べ残し」も他の動物に恩恵をもたらしました。ワピチは300kgもありますが、1頭のオオカミが腹に収められる肉はせいぜい10kg程度です。1頭のワピチ全部を平らげるオオカミの群れというのは滅多にありません。オオカミの「食べ残し」にあずかったのは、コヨーテ、アカギツネ、アメリカクロクマ、ハイイログマ、ハクトウワシ、イヌワシ、ヒメコンドル、アメリカガラス、ハイイロホシガラス、カナダカケス、カササギなどでした。

Pronghorn.jpg
プロングホーン(Pronghorn)
北米だけに分布している。メキシコではスペイン語でベレンド(berrendo)と呼ばれる。時速100km近くのスピードで走り、陸上動物ではチータに続いて2番目に速い。しかしこれは短距離走でのことであり、長距離走ではチータを抜いてプロングホーンが1番である。「捕食者なき世界」には、「なぜプロングホーンはこれほど速いのか、それはチータから逃れるために進化したのだ」という説が紹介されている。13,000年前までは、アメリカにもチータがいたことが分かっている。
( site : Wikipedia )

しかし、2001年当時のイエローストーンのオオカミの数は100頭程度です。広大な国立公園においてわずか100頭のオオカミが、ポプラ・ヤナギの再生といった影響力を持ち得るのでしょうか?

ペシュタとリップルは、ワピチの詳細な行動調査をしました。すると「恐怖によるコントロール」とでも言うべき姿が浮かび上がってきました。つまり、

  ワピチは、もしオオカミに襲われたとしたら逃げにくいところには近寄らなくなっていた、ないしは、たとえ近寄ったとしても長くは留まらなくなっていた

のです。それは小さな谷、台地、川につきだした岬、川の中の島、川の合流地点などです。つまり、ワピチの行動範囲がオオカミによって狭められたことになります。これがポプラ・ヤナギが再生し始めた大きな理由でした。

これは人間のハンターが猟銃でワピチを「間引く」のとは本質的に違います。「間引き」は、間引いた時だけの問題であり、ワピチの生息数を減らすことしか出来ません。ところがオオカミは、生息数を減らすだけでなく、常にワピチに「オオカミに襲われるのではないかという恐怖」を与え、その行動範囲を狭めていたのです。

実は、これは生物界に広く見られる現象でした。「動物は、捕食者が潜んでいることを恐れて、食料が豊かな所を避ける」「捕食者を恐れて、夕闇が迫ってから狩りをする」「夜行性の動物は、夜行性の捕食者を恐れて月の明るい夜に行動するのを避ける」などです。

頂点捕食者は、「捕食」という行為そのものもあるが、「恐怖」によっても被食者をコントロールしている、という知見と証明が得られたのです。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

以上に紹介した何点かは『捕食者なき世界』があげている事例の一部にすぎません。あとは本を読んでもらうしかないのですが、補足として別の例を簡潔にあげておきます。


コヨーテが駆除された地域ではアライグマやキツネ、さらにはペットのネコまでが鳥の巣を荒らしたため、森から鳥の鳴き声が消えた(第7章)。



捕食者が守っているのは森だけではない。ピューマが消えた森ではシカが激増、ヤナギが枯れて川岸が崩壊し魚、虫、花も消え去った(第9章)。



ノースカロライナ沖ではこの30年間でオオメジロザメ、イタチザメ、メジロザメ、シュモクザメが乱獲され、今残っているのはかつての1パーセントから3パーセントに過ぎない。大型のサメが姿を消した結果、その獲物となっていたものたちが桁違いに数を増した。小型のサメやエイの仲間である。貝を好むウシバナトビエイは約4000万匹まで増え、その大群が東部沿岸の海底をさらうせいでハマグリやカキの水揚げが激減している。大型のサメが消えてエイがのさばるようになり、100年の伝統を誇るノースカロライナ州のホタテ漁は廃れた(エピローグ)。



陸上の大型肉食獣の未来を美意識ゆえに案じる人はいても、海中の大型肉食魚の顕著な減少を、美意識ゆえに気にしたり心配する人はほとんどいない。海は急速にウニやクラゲ、藻やバクテリア ── 食物連鎖の最底辺にいる微生物 ── に占領されつつある。海洋生物学者ジェレミー・ジャクソンはそれを、「スライム」の台頭と呼んでいる。現在、網をあげればクラゲばかりということが増えており、いずれ海はクラゲでどろどろになってしまう、と彼は心配している(エピローグ)。

引用注 : スライム ─slime─ は、どろどろ、ぬるぬるしたもの、という意味の英語。ドラゴンクエストなどのロールプレイングゲームに登場する怪物、スライムも同じ言葉である。)


大型捕食動物は、ヒトが絶滅させた


今まであげた例は、いずれもこの300年ほどの間に人間が大型動物を絶滅させた、ないしはダム建設などの結果として絶滅させた例です。しかし忘れてはならないのは、ヒトは太古の昔から大型動物を絶滅させ続けてきたことです。地球上の最強の捕食者はヒトです。

約2万年前、北米大陸には体重50kg以上の肉食動物が、少なくとも10種類いたことが分かっています。オオカミ(2種)、クマ(3種)、スミロドン(サーベルタイガー)、アメリカライオン、ジャガー、ピューマ、チータです。ところが約13,000年前に、彼らの半数は「突如として」姿を消しました。と同時にマンモスやナマケモノ、また有蹄動物の3/4も絶滅しました。

約13,000年前というと、北米大陸にヒトがやってきたころです。この頃、氷河期が終わって気温が上昇したので、環境変化が絶滅の原因だという説もありましたが、数10万年というオーダでみると、寒冷期と温暖期が繰り返されています。それを生き延びてきた大型動物の多くが約13,000年前に突然絶滅したのです。現代の学説によると、これはヒトの狩猟が原因です。絶滅は、ヒトがベーリング海峡を渡り北米大陸に来てからわずか300-400年の間の出来事だといいます。

同じことは南米大陸でも起こりました。南米では大型動物の80%が姿を消しました。

時代が下って、ニュージーランドとマダガスカルに人間が住み始めたのは5~9世紀です。ニュージーランドにはモア、マダガスカルにはエピオルニスという大型で肉付きのよい鳥が生息していましたが、ヒトが狩ったために絶滅してしまいました。

時代をさかのぼると、約5万年前のオーストラリア大陸では、大型有袋類や飛べない巨大鳥、体長5メートルのトカゲが姿を消したことが分かっています。これもヒトがオーストラリアに住み始めたころと一致しています。

アフリカ大陸やユーラシア大陸には、はるかに古くからヒトが住んでいたので、大型動物の絶滅とヒトによる狩猟の因果関係は明確ではありませんが、アフリカに誕生したヒトは約200-300万年前から狩猟を始め、肉食を始めたことが分かっています。アフリカにいたサーベルタイガーも、今はいません。



ヒトが大型動物を殺すのは「食料の確保」であり、牧畜が始まってからは家畜を襲う「害獣の駆除」であり、ヒトが大型動物にいだく「恐怖、嫌悪感」であり、またはラッコのように「毛皮」のために乱獲されたことがもありました。金儲けというか、贅沢目的と言うのでしょうか。「象の牙」とか「サイの角」もそのたぐいでしょう。

しかしヒトが大型動物を殺してきたのは、さらに理由があります。それは「娯楽」です。


大型捕食動物を根絶しようとする強い動機がも、少なくとももう一つあった。猛獣を殺すのは、最高に楽しい娯楽だったのだ。都市化が進み、平凡な仕事が多くなると、人々は刺激のない生活に退屈するようになった。ローマ人は巨大な円形闘技場コロセッウムを建設し、はるばるメソポタミアやアフリカから何千頭ものゾウやカバやライオンを連れてきて、大がかりな見せ物として殺すようになった。ローマのコロッセウムでは、1日にクマ100頭、ヒョウ400頭、ライオン500頭が虐殺されることもあった。ライオン500頭というのが、現在アジアに生息するライオンを一掃する以上の数であることを思うと、その数の多さが実感できる。

『捕食者なき世界』(第2章)

娯楽としての野生動物殺戮は、その後も「ハンティング」という形で続くことになるわけです。現代のヨーロッパの闘牛はその変形でしょう。

「食料」から「娯楽」まで、ヒトはさまざまな理由で大型捕食動物を絶滅させ、あるいは絶滅危惧種に追い込んできたのですが、ひとつだけはっきりしていることがあります。それは

  現在の自然生態系は、大型捕食動物がいなくなった結果としての自然生態系である

ということです。我々は世界中のあちこちで、実は「生態系のバランスが崩れた、荒廃した自然」を目にしていて、しかも、それが当たり前だと思い込んでいるかもしれないのです。


人間は大型捕食動物と共存できるか


人類は、捕食動物が生態系に重要な役割をもっていることを理解しはじめました。特にそれが「キーストーン種」だと、その絶滅は生態系の崩壊、生態系のメルトダウンにつながりかかねない。

しかし一方で、人間は太古の昔から捕食動物を絶滅させてきた長い歴史があります。はたして人間は大型捕食動物と共存できるのか。

『捕食者なき世界』の著者、ウィリアム・ソウルゼンバーグは、決して楽観的ではありませんが悲観的でもなく、希望はある、という書き方をしています。本書の最終章は「人は再び自然を愛せるか」といタイトルですが、そこに次のようなエピソードが紹介されています。それを最後に紹介します。


アイダホ最大の牧羊場のひとつラヴァ・レイク・ランド&ライブストックでは、地球上で最も無力で美味しそうな被食動物が8000頭以上も草を食んでいるが、実を言えば、周囲には危険が捕食動物が群れているのだ。そのヒツジたちの姿はなにかを語っているように見える。かつてのある晩、ラヴァ・レイクの経営者マイク・スティーブンスは、その牧羊場をオオカミの群れに襲撃され、25頭のヒツジを失った。

それに懲りて、今では持ち運び可能な太陽光発電の電気フェンスを利用し、さらにグレート・ピレニーズという大型の牧羊犬で守りを固めて、ヒツジが安心して眠れるようにしている。オオカミは州政府によって発信機つき首輪をつけられており、ラヴァ・レイクのスタッフは、その受信機を携帯し、オオカミの動きを追っている。

「現場の主任には、オオカミを撃ったものは誰であろうとクビにすると伝えている」とスティーブンスは言う。スタッフはオオカミがうろついているのを見つけたら、大きな音の出るショットガンクラッカーとゴム弾で追い払っている。オオカミたちは不快な思いはするが、ヒツジがやっかいな獲物であることを血を流すことなく学ぶ。

「思うにわたしたちはアメリカが誇る大自然の共同所有者であり、運営者なのだ」とスティーブンスは語る。ラヴァ・レイクが取り組んでいるのは、ラム肉と羊毛の生産と、地域一帯の自然保護であり、今のところ ─── オオカミ、コヨーテ、ヒツジ、羊飼い、そのいずれにとっても ─── うまくいっているようだ。

『捕食者なき世界』(エピローグ)


『捕食者なき世界』の感想


以降は『捕食者なき世界』の感想です。

本書を読んで改めて良く分かるのは、自然生態系は複雑な依存関係のネットワークでできていて、自然の保存とはこのネットワークの保存に他ならないことです。

ヒトは200-300万年前のアフリカで狩猟を始めてから近代まで、数々の野生生物を絶滅させ、ないしは絶滅危惧種に追いこんできました。それは「食料」「害獣駆除」「娯楽」「金儲け」などの目的でした。しかし20世紀後半になって、自然生態系は全体として一体のものであり、「一部の不在」が「全体の危機」につながるという認識をもつようになった(少なくとも生態学者は)。特に頂点捕食者の絶滅は生態系全体を崩壊させかねないことも分かってきた。この生態学の成果は「人類の未来に残す財産」とも言うべき知見だと思います。

本書を読むと、生態系における「外来種」の問題点もよく理解できます。日本の特定の湖では外来種のブラックバスやブルーギルが生息していますが、誰かがフィッシングのために持ち込んだとされています。こういう行為は、とんでもない暴挙と言えるでしょう。ブラックバスやブルーギルという強力な捕食者が、もしその湖の「キーストーン種」を駆逐したとしたら、湖の生態系が根本から崩れかねない。

外来種に関しては本書(文庫版)の解説にも、高槻成紀氏(麻布大学教授・保全生態学)が次のように書いていました。


奄美大島で1979年に、ハブとネズミを退治するために外来種のマングースが導入した例がある。これは成功しなかったばかりか、繁殖力の強いマングースは、天敵のいない環境でまたたく間に繁殖して農業被害を出すようになったうえ、ヤンバルクイナやアマミノクロウサギなどを捕食するようになり、希少な固有種が絶滅の危機に瀕するという皮肉な結果となった


奄美大島のヤンバルクイナやアマミノクロウサギは、奄美大島の、と言うより日本の、いや世界の財産のはずです。人間の「浅知恵」とは、まさにこのことを言うのでしょう。



マクロ的に言うと、生態系のネットワークの理解は始まったばかりだと思います。たとえば、日本では山地におけるシカの急増による「食害」が問題になっていて、農業被害を越えて、自然植生に深刻な影響が出ています。高山植物が食い荒らされたところもある。

サントリーの「南アルプスの天然水」というミネラル・ウォーターがあります。これはサントリーの白州工場(山梨県北杜市。No.43「サントリー白州蒸留所」で紹介した白州蒸留所と同一敷地)で作られています。あるテレビ番組(TBSの「がっちりマンデー」2014年7月27日)の取材の中に出てきました。白州工場には、一帯の森林の保全担当者がいます。それは当然でしょう。地下水や湧き水は森林の保水力によって成り立っているからです。ところがTVカメラで映されたある沢では、木が枯れて無くなり、土砂が流出しようとしていました。シカの若木を食べたためとのことです。「シカの急増」→「植生の破壊」→「土砂の流出」→「森林の保水力の低下」→「地下水・伏流水の枯渇」といった「最悪の姿」を、ふと想像してしまいました。

もちろん白州工場のバックに広がる南アルプスの山々や森林は広大なので、すぐにはそんなことにはならないはずです。またサントリーは、自社のミネラル・ウォーター・ビジネスの生命線である白州工場一帯の森林を徹底的に保全しようとするでしょう。つまり、この例自体は些細なことだと考えられます。しかし、日本全国で類似のことがたくさん起こっているはずです

では、なぜシカが急増したのでしょうか。シカの急増はこの20年ほどのことです。シカの生態を研究している高槻成紀氏(前述)は本書の解説で「シカの急増の真の理由は分かっていない」という主旨のことを書いています。シカを捕食する動物の代表は、イエローストーン国立公園の例にもあるオオカミですが、ニホンオオカミが絶滅したのは1905年とされています。以降、ニホンオオカミの「目撃談」が日本各地でありますが、たとえまだ生息していたとしても、「ニホンオオカミが自然環境に影響を与える存在では無くなってから既に100年以上が経過した」ことは確実です。ニホンオオカミの絶滅がシカの急増の(直接の)原因ではないのです。

食物網はネットワークなので、複数の要因が重なったことが考えられます。もちろん、その背景として「頂点補食者がいなくなっていた」ということが誘因となった可能性はありうる。また、食物連鎖以外の要因(気候条件、病気の蔓延など)もありうるでしょう。しかし明確なことは専門の研究者にとってもまだ「分からない」のです。

我々は「自然生態系のありようを、まだほとんど知らない」ということを前提に、人間と自然の関わり方を判断していくべきだと思います。


「不在」というキーワード


No.119-120「不在という伝染病」で紹介した『寄生虫なき病』という本では、人体の内と外に存在する微生物の(ある種の)不在が生体系のバランスを壊し、免疫関連疾患の原因になる(一部、仮説)という話でした。

一方、No.126-127で紹介した『捕食者なき世界』で展開されていたのは、自然生態系においては一つの種の不在が生態系全体のバランスを破壊し、荒廃をもたらしうるという話でした。

この二つの話は驚くほどよく似ています。両方とも生命に関する知見なので、似ているのはあたりまえなのかもしれません。二つの本の題名に共通する日本語は "なき" です。つまり両方とも「不在」をテーマにしている。

我々は異質なものの「存在」がシステム(生命、自然)をおびやかすことを知っています。また、異質な存在と共存できれば、システムが一つ高いレベルへと進化することも知っている。しかし、それと同時に問題にすべきは「不在」です。一見したところ生命体や自然生態系の維持にそれほど必須でないと思える「ピース」の消滅が、システムを崩壊に導くことがある。このことを『捕食者なき世界』で改めて認識しました。




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No.126 - 捕食者なき世界(1) [科学]

No.119-120「不在という伝染病」で、アメリカのサイエンス・ライター、モイゼス・ベラスケス=マノフ氏の著書『寄生虫なき病』(文藝春秋 2014)を紹介しました。この本で取り上げられている数々の研究を一言で言うと、

  ヒトと共生してきた体内微生物の「不在」が、アレルギーや自己免疫疾患を発病する要因になっている。その「不在」は、人間の「衛生的な」生活で引き起こされた。

ということになるでしょう。いわゆる「衛生仮説」です。著者は、人間と共生微生物が作っている人体生態系を「超個体」とよび、20世紀になって超個体の崩壊が進んできたことを強調していました。

捕食者なき世界.jpg
表紙の写真は、絶滅した大型肉食獣、サーベルタイガーの頭部化石である。

その時にも書いたのですが、生態系の崩壊という意味では「自然生態系」の崩壊が近代になって急速に進んできたわけです。むしろその方が早くから注目され、警鐘が鳴らされてきました。今回はその「自然生態系」の話です。

人為的な自然生態系の破壊(主として農薬などの化学物質による破壊)に警鐘を鳴らした本としては、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962)が大変に有名ですが、もう一つ、最近出版された重要な本があります。ウィリアム・ソウルゼンバーグの『捕食者なき世界』(文藝春秋 2010。文春文庫 2014)です。今回はこの本の要点を紹介したいと思います。生物界には複雑な依存関係があり、それを理解することが生態系の保全にとって必須である・・・・・・。このことが如実に分かる本です。

なお、以降の引用で、下線・太字は原文にはありません。


エルトンのピラミッド


話の発端は「エルトンのピラミッド」です。これは教科書にも載っていたと思うので、多くの人が目にしたはずです。エルトンという人の名は知らなくても「食物連鎖」とか「食物連鎖のピラミッド」と言えばピンとくる人が多いのではないでしょうか。

英国のチャールズ・エルトン(1900-1991)はオックスフォード大学で動物学を学んでいたころ、生態観察のためにノルウェーと北極の中間付近にあるスピッツベルゲン諸島を訪れました。スピッツベルゲンは極めて寒冷で厳しい気候です。動物も鳥も植物も種類は多くはない。その動植物の少ない環境が、逆に自然観察にはうってつけの場所となりました。

彼がスピッツベルゲンで見たものは、絶壁に巣を作っているおびただしい数の海鳥(ウミガラス等)であり、その海鳥が海のオキアミや小魚を食べ、鳥の糞(=グアノ)が陸地に降り注ぎ、それが養分となって植物が生育するという姿でした。また陸上ではホッキョクギツネがいて、ライチョウなどを狩って生きていました。


こうして草花の肥料が海から絶え間なく運ばれるのを見るうちに、エルトンは、生命の連鎖はそれまで考えられていたような動物社会に限られたものではなく、はるかに広い範囲に及んでいることに気づいた。それはまず海の食物連鎖という土台からスタートする ─── 珪藻という植物性プランクトンの大集団が別のプランクトンの大群に食べられ、それらが小魚やオキアミに食べられ、その小魚やオキアミが海鳥のくちばしに捕らえられて陸へと運ばれる。そして陸では、肥料となってツンドラに花を咲かせ、昆虫やクモの腹を満たし、ホオジロのくちばしを経て、キツネの口へと入っていく。それは単純な食物連鎖ではなく、入り組んだ網になっており、最終的には陸地の様相さえも変える。海という牧場が、陸上の庭園を豊かにしているのだ。そして動物たちはその大仕事の大半を担っている。

スピッツベルゲンではどちらを向いても、そのような連鎖のあかしであるホッキョクギツネの姿が見えた。

ウィリアム・ソウルゼンバーグ
『捕食者なき世界』(第1章)
(野中香方子・訳。文春文庫)

Arctic Fox.jpg
ホッキョクギツネ
冬毛のホッキョクギツネ。ホッキョクグマと並んで、北極圏に住む代表的な肉食哺乳類である。
(site : free-images.gatag.net/tag/arctic-fox)

エルトンは、延べ3年にわたるスピッツベルゲン諸島での自然観察の結果を踏まえ、1927年に「動物の生態学」という本を書きました。そこで彼が明らかにしたのが「食物網」です(食物連鎖、とい言い方もよくされる)。つまり自然界における捕食者/被食者、食べる/食べられる、上位者/下位者という関係性で作られるネットワークです。エルトンはそのネットワークに個体数を書き込んでいきました。そうすると下位から上位に進むにつれて個体数が次第に少なくなる「ピラミッド」になることに気づきました。


エルトンのピラミッドは、生物群集が上位に進むにしたがって狭くなることを表している。最下層には植物や光合成をするプランクトン ─── 太陽のエネルギーを取り入れる、食料の一次生産者 ─── が、多数からなる広い土台をなしている。その上になそれぞれすぐ下の層を食べる草食動物の層が少しずつ狭くなりながら重なり、その上には草食動物を食べる肉食動物、さらに上にはそれを食べる肉食動物、とますます狭くなり、頂点に堂々と君臨するのは、最も大きく、最も数の少ない頂点捕食者である。それは下位のすべてを食べることができ、逆にそれを襲って食べようという動物はいない。最上位の肉食獣となるのは、セレンゲティの肥沃な平原ではアフリカライオンで、スピッツベルゲンの不毛なツンドラでは恐れ知らずの小さなキツネだ。「北極における陸上生態系のピラミッドの頂点」はホッキョクギツネなのだ。エルトンの幾何学的な生物の見方は、じきに生態学の教義のひとつとなり、今日では「エルトンのピラミッド」と呼ばれている。

『捕食者なき世界』(第1章)

下にエルトンが作成したスピッツベルゲンの食物網を引用します。ホッキョクギツネが頂点捕食者であることを表しています。

Elton - Arctic Fox.jpg
エルトンがスピッツベルベンで観察した食物連鎖。ホッキョクギツネ(Arctic Fox)に矢印が集まっていることが分かる。
(「捕食者なき世界」より。原文に色はありません。)

エルトンがスピッツベルゲンで見い出したことをまとめると、

自然生態系の捕食者/被食者の関係は、複雑なネットワークを構成している(=食物網)。

そのネットワークを個体数の観点で見ると、「頂点捕食者」を最上位とする「個体数のピラミッド」になる。

と要約できます。エルトンのピラミッドの詳しい説明は本書には無いのですが、そのキーポイントを理解するために、極めて単純化し模式的に書くと次のようになるでしょう。

エルトンのピラミッド.jpg
エルトンの「個体数ピラミッド」を単純化して描いた。個体数という視点で見るとこのようなピラミッドになるが、実際の食物網はスピッツベルゲンの例にみられるようなネットワークになる。

この図はいくら何でも単純化し過ぎと思えるのですが、この「単純な個体数ピラミッド」を見ただけでも、重要なことが何点か理解できます。まず、すぐに理解できることは

下位生物層が絶滅したとしたら、上位生物層も絶滅する

ということです。草食動物が絶滅すると肉食動物も絶滅します。肉食動物は草では生きられないのです。そんなこと当たり前だろう、今さら何を、と思えるかもしれませんが、その当たり前のことが理解できなかった例が、ごく最近の日本でもありました

たとえば、小川や田圃の小魚や水性小動物を餌にしている鳥がいたとして、その小魚や小動物を農薬で絶滅させたとしたら、鳥も絶滅します。ニッポニア・ニッポンという学名の鳥(=朱鷺)は、戦後もわずかに生息していたのですが、それが絶滅した原因の一つが餌の枯渇だと言われています。もちろん朱鷺は、乱獲されたり害鳥として駆除されてきた歴史があり、それが絶滅の最大の理由です。

「絶滅」という言葉を使わずに、反対の表現で言うと、エルトンのピラミッドが表していることは、

上位生物層は、下位生物層の存在に依存している

となります。個体数ピラミッドから理解できる2つ目の点は、

自然生態系の保全は、生態系全体を保全しなければならない

ということです。特定の生物だけを自然状態で保全する、というような器用なことはできませんNo.119-120「不在という伝染病」で紹介した『寄生虫なき病』(モイゼス・ベラスケス=マノフ)には、

  トラを絶滅から守るためには、トラが暮らすジャングルとそこで生きているものすべて ── 土壌細菌からアリや木々に至るまで ── を保全しなければならない

とありましたが、まさにそういうことです。個体数ピラミッドから理解できる3番目は、

頂点捕食者が生存していくためには、かなりのスペースが必要

ということです。「スペース」というのは曖昧な言い方ですが、要するに「頂点捕食者の下位の生物群すべてが生存していけるだけの土地と自然環境」です。日本でも猛禽類(イヌワシ、クマタカ、など)の保護の為に森を保全することが論議されます。種の保存のためには最低でも数十の個体が必要なわけですが、たとえば数十羽のイヌワシが生存してくのに必要な森林面積は、思いのほかに広い。正確な数字は忘れましたが、数100ヘクタールのオーダの広さだったと思います。猛禽類の保護のために森を保全するにしても、自然環境を細切れにして保全したのでは頂点捕食者を絶滅に追い込むわけです。



本書に戻ります。エルトンのピラミッドは、たちまち生態学の教義となりました。しかし、実は1960年になって、この「個体数ピラミッド」についての全く新しい解釈が出てきました。


「緑の世界」仮説


エルトンのピラミッドを単純に眺めると「被食者の数が捕食者の数を決める」「捕食者は被食者の存在に依存して生きている」という像しか浮かびません。しかし、果たしてそれだけなのか。

1960年、ミシガン大学の3人の科学者、
 ・ネルソン・ヘアストン
 ・フレデリック・スミス
 ・ローレンス・スロポトキン
は「群集構造、個体群制御および競争」という論文を「アメリカン・ナチュラリスト」誌に発表しました。そこにおいて彼らは、エルトンのピラミッドから導かれる論理的考察を展開しました。

  この世界の陸地が緑なのは ── つまり、大部分が食物に覆われているのは ──、草食動物がすべての植物を食べ尽くすことがないからだ。そして草食動物がこの世界を土だけの世界に変えてしまわないようにしているのは捕食者だ。
『捕食者なき世界』(第1章)

という考察です。これが「緑の世界」仮説と呼ばれるものです。論文著者の3人は、姓の頭文字をとってHSSと呼ばれるようになりました。

この仮説はそれまでの解釈とは違います。つまり上位層は下位層に依存しているという概念を転換して、生態系全体の維持における上位層の役割を非常に「重く」し、上位層が下位層をコントロールしていると考えたわけです。

この仮説に従うと、たとえば「肉食動物のオオカミやピューマ = 頂点補食者」「草食動物の鹿」「木や草」という生態系があったとき、人間が人為的にオオカミやピューマを絶滅させると、鹿の数が爆発的に増え、そのことで木の若枝が食べ尽くされ、「緑の世界」ではなくなる。そうすると今度は鹿の数が激減する、ということになります。つまり頂点補食者の絶滅が生態全体の崩壊を招くことになる。

上位者が下位者の個体数をコントロールしていて、そのことで生態系全体の安定が保たれている・・・・・・・・。この仮説は大きな論議を呼び、賞賛もされ、また反対する人もありました。しかしHSSも認めたように、根本的に欠けているものがありました。それは「証拠」です。


ヒトデの実験


そこで「緑の世界」仮説を実験で確かめようと発想した学者いました。ミシガン大学のロバート・ペインです。彼はHSSの最初の「S」であるフレデリック・スミスの教室の博士課程の学生でした。

ロバート・ペインが実験に選んだのは海岸の磯・岩場・潮だまりの生態系です。そこではヒトデが頂点捕食者です。ヒトデは2枚貝を捕食します。2枚貝を包み込んで抱きかかえたヒトデは、2枚の貝をこじあけようとし、休むことなくじわじわと力をかけていきます。そして隙間が開いたとき胃液を注入し、さらに貝を開かせます。次にヒトデは自分の胃袋を貝の中に入れ、それで貝を食べる。ヒトデは2枚貝だけでなく、岩場にいる殻をもつ生物すべてを捕食します。ヒトデを捕食する生物はありません。

アメリカのワシントン州、シアトルに近いオリンピック半島にマッカウ湾があります。ペインはマッカウ湾の岬の突端を調査区に選びました。ここは岩だらけの場所に波が寄せています。赤や茶色の海草が茂り、各種の藻が生育する中で、イソギンチャク、ムラサキウニ、ホヤ、海綿、ウミウシ、各種の貝(イガイ、フジツボ、エボシガイ、カサガイなど)などの生物が生息し、そして頂点捕食者のヒトデがいます。

ペインは毎月の干潮時を狙って調査区に出向き、ヒトデの数を記録し、そのヒトデを岩場から引き剥がし、遠くの海中の放り投げるという作業を繰り返しました。投げられたヒトデの中にはまたもとの岩場に戻ってくるものもあります。ペインは根気よくこの作業を続けました。

ヒトデを投げ続けるうちに、生態系は次第に変化していきました。ヒトデがいなくなった調査区では紆余曲折のあと、最終的にイガイ(カリフォルニア・イガイ)が大繁殖したのです。そして岩場を埋め尽くしたイガイに押されて、他の生物はどんどん減っていきました。調査を始めた時には15種いた生物のうち、7種がいなくなってしまったのです。ペインはこの過程を詳細に記録しました。

California Mussels.jpg
カリフォルニア・イガイ
(California Mussel)
イガイ(貽貝)は日本にも生息している。ヨーロッパのムール貝もイガイの仲間である。なお画像の右の方の白っぽいのはエボシガイ。
(site : oregontidepools.org)

Pisaster_Predate_Mussels.jpg
イガイを捕食するヒトデ
(site : www.wallawalla.edu)

ロバート・ペインが1966年の「アメリカン・ナチュラリスト」誌に発表した論文の結論は以下です。


その地域の種の多様性は、環境の主な要素がひとつの種に独占されるのを、捕食者がうまく防いでいるかどうかで決まる。

『捕食者なき世界』(第1章)

ロバート・ペインはさらに2番目の論文で「キーストーン種」という概念を提示しました。キーストーンとは日本語で言うと要石かなめいしで、石のアーチを造る時に最後に打ち込む楔形の石です。つまり「キーストーン種」とは「数は少ないが、生態系の安定にとっては非常に重要な役割の種」を言います。必ずしも頂点捕食者である必要はありません。頂点捕食者を拡大した概念だと言えるでしょう。

このキーストーン種という概念は、生態学にあらたな研究領域をもたらしたと同時に、ある種の不安を引き起こしました。


ペインとヒトデは、新しい研究テーマも大量にもたらした。どの捕食者が重要で、どれがそうでないか? 深海にもキーストーン種はいるのか? 陸上ではどうなのか? ヒトデのような影響力を持つ捕食者は、どこにでもいるものなのだろうか?

この一連の疑問を追っていくと、さらに気がかりな疑問が浮上してくる。テレビの『野生の王国』を見て育ち、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の不吉な展望を知っている ── 大量絶滅の恐怖や保全の目的に敏感な ── 新しい世代の生態学者は、ペインが出した結果を、より不安げな面持ちで読んだ。彼らの脳裏にはオオカミやシャチ、ネコ科の大型獣やホホジロザメといった捕食者の姿が浮かんだ。ヒトデは、ある種の捕食者はただ存在するだけで生物の多様性を強化できることを証明した。しかし同時に、いったんそれがいなくなると、その善なる手の代わりに見えない拳が振り下ろされ、いくつもの種が消え、かつては生命にあふれていた景色が単調なむきだしの状態になってしまうことも証明した。新世代の生態学者たちには、捕食者のいない岩場を覆いつくすイガイの姿が、壁にでかでかと記された落書きのように見えた。そこにはこう書かれていた。「ところで、大きくて恐ろしい頂点捕食者は今どうしてる?」

『捕食者なき世界』(第1章)

この「新世代の生態学者たちの不安」は的中することになります。そのいくつかの例を『捕食者なき世界』から紹介します。


ラッコが「海の熱帯雨林」を守る


世界各地の水族館の人気者になっているラッコは、北太平洋の沿岸に生息している哺乳類です。ラッコはイタチ科と呼ばれるイタチやアナグマ、ラーテル(No.105「鳥と人間の共生」)などが属する肉食動物のグループで、その中では体が最も大きく、かつ、最も海に適応しています。海にもぐってウニや貝や魚をとり、海面に仰向けに浮かんで、胸の上に獲物を載せて食べます。貝を割る時には石を鉄床かなとこのように使って叩き割ることは、良く知られている行動です。

Sea Otter Urchin Buffet.jpg
( site : www.vanaqua.org )
- バンクーバー水族館 -

ラッコはかつて、毛皮目当てに乱獲されました。ラッコには皮下脂肪がほとんどないのですが、ベーリング海の凍える環境でも生きていけます。その理由は、皮膚に1平方センチあたり10万本もの毛が生えていて、そこに含まれる空気が断熱効果を持つからです。ラッコの毛皮は最高級品です。これがラッコに不幸をもたらしました。

18世紀半ばから19世紀末までの150年間で、北太平洋のカリフォルニアからアリューシャン列島に至るまで、生息していたラッコは、ほとんどが捕り尽くされてしまいました。ようやく1911年になって「ラッコ・オットセイ保護条約」が締結され、ラッコの保護が始まりました。その後、わずかに残ったラッコ(10数個の小さな群れ)が再び繁殖をはじめ、1960年代になると場所によっては大群にまでなりました。



ワシントン州立大学の大学院修士課程を出たばかりのジェームズ・エステスは、1970年からラッコが海洋生態系に与える影響を調べ始めました。アリューシャン列島のアムチトカ島は、当時はラッコが復活し、たくさん生息していた島です。その周辺の海中には海藻(ケルプ)が生い茂っていました。ケルプは多くの海洋生物の「命の源」にもなっています。


ケルプとは、コンブやワカメ、ヒジキなどの褐藻かっそう類の総称で、寒流の海岸の岩の多い浅瀬に広く分布する。浜に打ち上げられているのをよく見かけるが、ラザニアを思わせる細長くてぐにゃぐにゃした半透明の茶色い海藻で、カニやカモメがつついている。ところが、生きたコロニーとして海底にくっついているときには、まるで違う生物になる。みずみずしく茂る海の森になるのだ。ケルプの森の巨木、ジャイアントケルプ(Macrocystis pyrifera)は、1日で60センチ前後も成長し、全長が60メートル近くになることもある。ケルプの森には、ホヤからアシカまで、さまざまな生物が集まってくる。光合成をする葉肉は泳ぐ草食動物の牧草となり、死んだ葉は沈んで堆積し、海底をさらう生き物の食料になる。そしてその存在自体 ── 根や幹、天蓋のような葉 ── が、ほかにつかむところのない海で生き物たちの足場となっている。その類まれな生産力と高々と生長する様子から、何人もの生態学者が、ケルプの群生を熱帯雨林に喩えている。

『捕食者なき世界』(第3章)

Kelp Forest-1.jpg
( site : oceanservice.noaa.gov )
- アメリカ海洋大気圏局 -

Kelp Forest-2.jpg
( site : msi.ucsb.edu )
- カリフォルニア大学サンタバーバラ校 -

ジェームズ・エステスの研究手法は、「ラッコがいない、という点を除いてはアムチトカ島と生態条件が全く同じ島」を選び、その島の生態系をアムチトカ島と比較することでした。エステスはアムチトカ島から320km西にあるシェミア島を選びます。シェミア島ではラッコが皆殺しにされたあと、別の島から移住してきた少数の群れがいるだけで、ラッコが多数生息しているアムチトカ島とは好対照です。1971年、エステスと仲間は調査を開始しました。


まずエステスの目に飛び込んできたのは、ウニだった。ウニの殻が岸に散らばっていた。それもアムチトカでは見たこともない大きなウニだ。ここには怪物がいた。直径が10センチから12センチもある巨大なウニが、高潮線にずらずら並んで緑のラインを描いていた。なにかが根本的に違っている。その夜、エステスは仲間に向かってこういった。「ぼくたちはここですごいものを見ることになりそうだ」

翌日彼らはボートで礁に向かった。エステスはウェットスーツを着て海に潜った。そのとき目にした光景は永く彼の心に刻まれた。「海底はどこかしこも、緑の絨毯を敷いたように、ウニで埋め尽くされていた。ケルプはなかった。ウニが急に増えたせいだ。瞬時に、ケルプの森のシステムにおいてラッコがどんな役割を担っているのかがわかった。そしてそれがいかに大切かということも」

シェミアにはとことん刈り取られた海の景色が広がっていた。アムチトカのケルプのジャングルとは正反対だった。唯一の明確な違いはラッコがいるかいないかだ。北太平洋沿岸の最も豊かな生態系は、ラッコがいなければ丸裸になってしまう。もしエステスが見たものが全体にあてはまるなら、海の食物連鎖のピラミッドは、最終的に上から支配されていることになる。かわいらしい、ウニを食べる肉食動物によって。

『捕食者なき世界』(第3章)

その後のエステスたちの詳細な調査で明らかになったことは、アリューシャン列島ではどこも同じパターンだということです。ラッコがいるところではケルプが茂り、豊かな生態系がある。一方、ラッコがいないところはウニが大量に生息していて、ケルプはなく、生態系は極めて貧弱である・・・・・・。

Sea Urchins and Kelp Forest.jpg
( site : ocean.nationalgeographic.com )
- ナショナルジオグラフィック誌 -

ラッコはウニを食べます。ウニはラッコの最大の好物です。これは以前から知られていました。またウニは海藻(ケルプ)を食べます。このことも以前から良く知られていた。しかし

  ラッコ → ウニ → 海藻(ケルプ)

という食物連鎖を明確に提示したのはエステスが初めてでした。要するにラッコは「キーストーン種」だったのです。それがいなくなると(アリューシャン列島では)生態系が崩壊に向かいます。これは食物連鎖上での上位者が下位者をコントロールしているという「緑の世界」仮説の、自然生態系での実証例となりました。ちなみに、ラッコは頂点捕食者ではありません。アリューシャン列島の海岸域における頂点捕食者は、オットセイやラッコを襲うシャチです。

続く


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No.122 - 自己と非自己の科学:自然免疫 [科学]

今まで4回にわたって、ヒトの「免疫」に関する話題を取り上げました。

No.69-70 自己と非自己の科学
No.119-120 「不在」という伝染病 (免疫関連疾患の話)

です。これらの記事の意図は、免疫についての科学的知見が、我々の生活態度や社会での行動様式に何らかの示唆を与えるに違いないというものでした。

今回もその継続で、「自然免疫」についてです。今までは「獲得免疫」しか書いてないので、それだけではヒトの免疫システムの全貌を知ることはできません。以下、「新・現代免疫物語:抗体医薬と自然免疫の驚異」(岸本 忠三・中島 彰 著。講談社ブルーバックス 2009)と、「新しい自然免疫学」(審良 静男 監修・坂野上 淳 著。技術評論社 2010)の2冊をもとに、ヒトの自然免疫のしくみをまとめてみます。

抗体医薬と自然免疫の驚異.jpg 新しい自然免疫学.jpg
「新・現代免疫物語」
岸本 忠三・中島 彰 著
講談社ブルーバックス 2009
「新しい自然免疫学」
審良 静男 監修・坂野上 淳 著
技術評論社 2010


自然免疫とは


我々がインフルエンザにかかったとき、39度を越えるような高熱になり、筋肉が痛み、関節が疼くという症状覚えます。この時点で体の中で起こっているの「自然免疫」による防御反応で、インフルエンザ・ウイルスという「非自己」を排除しようとします。獲得免疫が働き始めるのは感染後4~5日後からで、感染した特定種のインフルエンザを狙い撃ちする抗体やリンパ球が大量に増殖し、ウイルスを次々と無力化していきます。この結果、7~8日たって「だいぶよくなった」と感じるわけです。獲得免疫は「記憶」が成立するので、全く同種・同型のウイルスに2度目に感染したときには、速やかに大量の抗体が生産されて治癒します。

自然免疫は病原体に対するヒトの第1段階の防御反応であり、獲得免疫とは違って、時間をおかずに即座に反応するのが特徴です。もちろん自然免疫反応だけで治癒することもあります。この自然免疫の主役は「食細胞」であり、また同時起こる生体防御のための「炎症反応」です。

 食細胞 

自然免疫の主役は、マクロファージ、樹状細胞、好中球などの「食細胞」と呼ばれる細胞群です。これらは主に体内の血液中に存在し、病原体に遭遇すると、それを細胞の中に取り込み、分解して「食べて」しまいます。

 炎症反応 

食細胞による異物の排除と同時に起こるのが「炎症反応」です。マクロファージ、樹状細胞が病原体を認識すると、各種の情報伝達分子(サイトカイン)が放出されます。その働きにより、患部周辺の血管が拡張し、血流がゆるやかになり、血管の透過性が増します。つまり食細胞が患部に留まりやすくなり、かつ血管から患部に滲みだしやすくなる。さらにサイトカインは食細胞を呼び寄せ、好中球を活性化し、好中球を血管に付着しやすくもします。同時に、ウイルスの活動を抑制するインターフェロンも放出されます。またウイルス感染細胞を殺すナチュラル・キラー細胞(NK細胞)と呼ばれるリンパ球も活性化されます。

患部に集まったマクロファージ、樹状細胞は病原菌を「食べる」と同時にサイトカインを出すので、これらの反応が連鎖的に拡大して次々と起こる。そういった「戦争状態」が自然免疫の現場です。炎症反応は往々にして発熱やむくみを伴います。



そこで問題は、マクロファージ、樹状細胞はどのようにして病原体を認識するのかという点です。生体内部には自己の細胞や自己由来の各種分子が溢れています。その中からから、どうやって病原体を検知するのでしょうか。

その目的のためにあるのが、TLR(Toll-Like Recepteor)です。TLRは獲得免疫とは全く別種の「非自己の認識方法」をもっています。以下、ヒトのTLRの話です。

  TLRの「Toll」とは、もともとショウジョウバエの細胞表面にあるタンパク質分子でした。フランスのジュール・ホフマンは、Tollがカビの菌を認識し、それがトリガーとなって抗菌ペプチド(カビの繁殖を抑制するアミノ酸の連鎖分子)が作られることを発見しました(1996)。そして、このTollとよく似た分子が人間にもあることが分かったのです。これが「Toll-Like」の由来です。


TLR (Toll-Like Receptor:Toll様受容体)


TLRは、主にマクロファージと樹状細胞が持つタンパク質分子で、これが病原体のセンサー = 受容体(Receptor)として働きます。TLRが病原体を感知すると、シグナルが細胞内に伝達され、最終的には各種のサイトカイン(情報伝達物質)やウイルスを抑制するインターフェロンが放出され、炎症反応が起こり、他のマクロファージや樹状細胞が呼び寄せられ、自然免疫が働きます。

TLRの存在する場所は、マクロファージや樹状細胞の細胞表面と、細胞内にあるエンドソームの表面です。エンドソームは袋状の小器官(小胞の一種)で、細胞あたり約100個あります。エンドソームは細胞外の物質の取り込みと、細胞内での輸送、循環に関わっています。

TLRは、ヒトではTLR1~TLR10の10種類があり、それぞれ病原体センサーとしての働きが違っています。その形状は、細胞外に出ている「LRR領域」と細胞内の「TIR領域」に分かれます。LRR(Leucine Rich Repeat)は、ロイシン(アミノ酸の一種)が多数含まれる部分で、馬蹄形をしており、この領域が病原体のセンサーとして働きます。LRRで認識された病原体の情報はTIRに伝えられ、そこから細胞内の情報伝達物資に伝えられ、自然免疫が起動します。TIRは、免疫システムにおける情報伝達分子「インターロイキン1」の受容体(IL-1 Receptor)の相当部分と極めてよく似ているので、TIR = Toll IL-1 Receptorの名があります。

TLRのうち、TLR1/2/4/5/6 は細胞表面にあり、TLR3/7/8/9/10 はエンドソームにあって、それぞれの役割を担っています。TLRは2つのユニットが合体した「二量体」となって機能を発揮します。二量体には、同種TLRの「ホモ二量体」と、異種TLRの「ヘテロ二量体」があります。

TLRによって認識される特定分子(主に病原体由来)を「リガンド」と言いますが、各TLRがどういうリガンドを認識するかが以下です。

TLR.jpg

 TLR2 

細胞表面にホモ二量体として存在するTLR2は、グラム陽性菌のペプチドグリカンを認識します。

細菌は、その細胞膜の作られ方によって3種に分類することができます。

グラム陽性菌 細胞膜の外側に、ペプチドグリカンでできた厚い「細胞壁」をもつ細菌です。「グラム染色」という手法で染まる(=陽性)ため、この名があります。ペプチドグリカンは、多糖類にペプチド鎖(アミノ酸の連鎖分子)が結合したものです。

グラム陰性菌 ペプチドグリカンの細胞壁は薄く、その外側に「リポ多糖(LPS:Lipo Poly Saccharide)」の防御層を持っています。この種の細菌はグラム染色で染まりません。LPSは多糖類と脂質からできています。

マイコプラズマ 細胞壁がなく、細胞膜がむき出しになっています。従って細菌は不定形であり、通常の細菌が通らないような細かいフィルターもすり抜けます。往々にして肺炎を引き起こします。

の3種です。TLR2はこのうち「グラム陽性菌の細胞壁成分 = ペプチドグリカン」を認識します。

 TLR4 

TLR2と同じく細胞膜の表面にあって、グラム陰性菌のLPS(リポ多糖)を認識するのがTLR4です。

TLR4がLPSを認識することを世界で初めて発表したのは、アメリカのカリフォルニア州・スクリプス研究所のブルース・ボイトラー教授でした(1998)。これがヒトにおける自然免疫機構の最初の発見になりました。ボイトラー教授はこの功績により、2011年のノーベル生理学・医学賞を受けています。大阪大学の審良あきら静男教授もボイトラー教授とほぼ同じ時期にTLR4がLPSを認識することを発見したのですが、タッチの差でボイトラー教授に先行されたようです。なお、TLRのリガンドのほとんどは審良教授とそのグループが明らかにしました。

ちなみに2011年のノーベル生理学・医学賞の受賞者は以下の3人です。

  ブルース・ボイトラー(アメリカ)
  TLRがグラム陰性菌のLPSを認識することの発見(1998)
ジュール・ホフマン(フランス)
  ショウジョウバエの「Toll」がカビの菌を認識し、抗菌ペプチドを作り出すセンサーであることを発見(1996)
ラルフ・スタインマン(カナダ)
  樹状細胞を発見(1973)。樹状細胞は獲得免疫における抗原提示機能をもつ細胞だが、上述のように自然免疫でも重要。

樹状細胞と並ぶ自然免疫の主役、マクロファージを発見したのはロシアのメチニコフで、彼はその功績によって1908年のノーベル生理学・医学賞を受けました。そのためメチニコフは「自然免疫学の父」と呼ばれています。自然免疫の研究成果に対して与えられた2つのノーベル賞の100年という時間差(1908年と2011年)は、その間に自然免疫の研究が進展しなかったことを象徴しています。つまり、20世紀の免疫研究は「獲得免疫の研究」だったのです。

 TLR5 

べん毛をもつ微生物の、鞭毛の先端部分にあるタンパク質、フラジェリンを認識します。鞭毛はフラジェリンの「繊維」を螺旋状に束ねた構造をしていて、鞭毛微生物はこれを回転させて移動します。

人の腸に住む腸内細菌には鞭毛を持つものがあります。こういった細菌が腸管上皮細胞を突破して体内に入るとまずいことになります。また腸には食べ物と一緒に鞭毛を持つ病原菌(サルモネラ菌など)が入ってきます。そのためTLR5は、腸管上皮細胞すぐ下の樹状細胞に多く発現しています。ヒトの体はそこで鞭毛微生物の進入を監視していることになります。

 TLR1 + TLR2 

細胞表面にあるヘテロ二量体、TLR1 + TLR2は、グラム陽性菌・グラム陰性菌の細胞膜にある、トリアシル・リポタンパク質(3つのアシル基をもつリポタンパク質)を認識します。

 TLR6 + TLR2 

マイコプラズマの細胞膜にある、ジアシル・リポタンパク質(2つのアシル基をもつリポタンパク)を認識します。

 TLR3 

TLR-dsRNA_binding.jpg
TLR3の二量体が二本鎖RNAを認識している図。TLRのLRR領域は馬蹄形をしている。2つの「馬蹄」の間に水平に描かれているのが二本鎖RNAである。
http://www.invivogen.com/review-tlrより引用。
ここからは、細胞内部のエンドソームに発現するTLRです。これらのTLRは細菌やウイルスのDNAやRNAを認識します。マクロファージや樹状細胞は、細菌やウイルスを消化してエンドソームに運び、そこで核酸(DNAやRNA)にまでバラバラにします。そこでTLRの認識機構が働きます。

ウイルスはDNA/RNAをタンパク質で覆った構造をしていますが、核酸としてDNAを持つ「DNAウイルス」と、RNAを持つ「RNAウイルス」があります。RNAウイルスの多くは1本鎖RNAを持ちますが、中には「ロタウイルス」のように2本鎖RNAを持つタイプがあります。

TLR3はこのウイルスの2本鎖RNA(dsRNA。double stranded RNA)を認識します。

 TLR7、およびTLR8 

多くのRNAウイルスがもつ1本鎖RNA(ssRNA。single stranded RNA)を認識します。

 TLR9 

細菌やDNAウイルスのDNAを認識します。細菌やウイルスのDNAには、特徴的な6つの塩基の配列がしばしば現れます。これは「CpG配列」と呼ばれていて、

  GACGTT
GTCGTT
  C:シトシン、G:グアニン、A:アデニン、T:チミン

という、真ん中にシトシン(C)グアニン(G)をもつ配列です。CpG配列は、哺乳類のDNAにも少数ながら含まれています。しかし哺乳類のCpG配列はメチル化されている(メチル基、CH3が結合している)確率が非常に高い。そこでTLR9は「DNAの、メチル化されていないCpG配列」を認識します。このことで細菌やDNAウイルスのDNAが判別できるのです。



TLRが存在するのは、細胞の表面かエンドソームでした。これに対し、細胞質内にも「RNAセンサー」が存在することが判明しています。これはTLRファミリーとは別の、RLR(RIG-Like Receptors)と呼ばれるセンサー群です。具体的には、
 ・RIG-I
 ・MDA5
という受容体です。

1本鎖RNAウイルスは、細胞の中に進入すると増殖を始め、その過程でRNAが2本鎖になります。RLRはこの2本鎖を認識して自然免疫を発動します。エンドソーム内にあるTLR3/7/8は、マクロファージなどがウイルスを分解した結果としてのRNAを認識しますが、RLRはウイルスが細胞内に進入した初期段階で働くところに重要性があります。

RIG-IとMDA5は「担当する」ウイルスに相違があり、RIG-Iはインフルエンザ・ウイルスや日本脳炎ウイルスを、MDA5はピコルナウイスル科のRNAウイルス(脳脊髄炎、心筋炎などを起こす)を認識します。

なお細胞質内の病原体センサーには、RLR以外にも別のファミリー(NLR:NOD-Like Receptors、など)があることが知られています。


TLRが認識する「非自己」


TLRが認識する「非自己」を一覧表にまとめたものが以下です。

    TLR 細菌 ウイルス リガンド(認識される特定分子)
細胞
表面
TLR2   グラム陽性菌の細胞壁成分(ペプチドグリカン)
TLR4   グラム陰性菌の細胞壁成分(LPS:リポ多糖)
TLR5   べん毛微生物の鞭毛成分(フラジェリン)
TLR1 + TLR2   細菌の細胞膜成分(トリアシル・リポタンパク質)
TLR6 + TLR2   マイコプラズマの細胞膜成分(ジアシル・リポタンパク質)
エンド
ソーム
TLR3   2本鎖RNA(dsRNA。double stranded RNA)
TLR7、TLR8   1本鎖RNA(ssRNA。single stranded RNA)
TLR9 DNAのCpG配列(メチル化されていないもの)

なおTLR10のリガンドは、参考にした本が書かれた時点では不明です。また上記の表に記した以外にもリガンドはあり、1種のTLRが復数のリガンドを認識するケースもありますが、表からは省略しました。


自然免疫から獲得免疫へ


マクロファージと樹状細胞はTLRによって病原体を認識し自然免疫を発動するのですが、同時に抗原提示という機能があり、獲得免疫の発端にもなっています。抗原提示については、No.69-70「自己と非自己の科学」で詳しく書きました。

つまり、マクロファージや樹状細胞(= 抗原提示細胞)に取り込まれた病原体は、細胞内のエンドソームに運ばれ、そこで病原体のタンパク質が分解酵素でバラバラにされます。そのタンパク質の断片が再び細胞表面に運ばれ、MHCの「溝」にはさまる格好で抗原提示される。それをヘルパーT細胞が認識する。そういった筋道で獲得免疫が発動するのでした。

そのエンドソームには、実はTLR3/TLR7/TLR8/TLR9 が「待ちかまえて」いて、病原体の核酸(DNA/RNA)を認識し、認識できれば自然免疫が発動する。このことはマクロファージや樹状細胞が、免疫全体にとって極めて重要なポジションにあることを示唆しています。

事実、21世紀の免疫学で判明したのは、マクロファージと樹状細胞は抗原提示をするだけでなく、獲得免疫を開始するトリガーを引いていることです。つまり抗原提示と同時に補助分子やサイトカインを放出し、未成熟T細胞を活性化T細胞(ヘルパーT細胞)へと変化させます。T細胞は活性化されてはじめてB細胞に抗体生産の指示を出せるようになるのです。

自然免疫の主役は、実は「ヒトの免疫システム全体の指令塔」でもあるのです。


自己と非自己の認識


以上が「新・現代免疫物語」と「新しい自然免疫学」という2冊の本による自然免疫のメカニズムの要点です。以下は「感想」ないしは「まとめ」です。

自然免疫と獲得免疫(No.69-70「自己と非自己の科学」)という「ヒトの免疫のしくみ全体」を眺めてみると、非自己を自己から区別するやり方は、異物や異分子を排除する一般的な方法論に添っていることがわかります。それはブラック・リスト方式とホワイト・リスト方式の併用だと言えるでしょう。以下、ブラックとは非自己、ホワイトとは自己を指すことにします。

自然免疫は「ブラック・リスト方式による非自己の認識」です。何がブラックか、自然界に存在するブラックの典型的なパターンがリスト化されていて、そのリストに載っているものが排除されます。このリストは、ヒトではわずか10項目という小ささです(TLR1~TLR10)。こんな小さなリストで有効なのだろうかと思ってしまいますが、意外にも有効なのですね。我々は毎日、毎時、病原体の進入を受けています。食物といっしょに腸から、呼吸を通して肺から、また皮膚からも病原体は進入してきます。それらを水際で、速効性があるやり方で排除するのが自然免疫です。我々は普通意識することはないのですが、大多数の防御は自然免疫でこと足りていると考えられます。

自然免疫は、脊椎動物だけではなく自然界の幅広い生物が持っています。10項目のリストは、生命の長い進化の過程で「りすぐられてきたブラック・リスト」でしょう。ここにリストアップされているのは「病原体に共通的にみられる分子パターン」なので、非常に効率的です。

一方、獲得免疫の出発点は「ホワイト・リスト」です。No.69-70「自己と非自己の科学」を振り返ってみると分かるように、ヒトの細胞表面にはMHCという自己の標識があり、この標識に自己由来のタンパク質の断片が提示されているものが「ホワイト」ということになります。病原体由来のタンパク質がマクロファージ、樹状細胞、B細胞などの「抗原提示細胞」で分解され、その断片がMHCに提示されると、そのMHCは「ホワイトではない標識」ということになる。

獲得免疫が「ホワイトでない標識」を見つけるやり方は独特です。まず、ランダムな遺伝子組み替えでヘルパーT細胞群が作られます。ヘルパーT細胞の抗原認識分子(T細胞受容体 = TCR)は、細胞ごとに違っています(1兆種類ありうる)。そして、自己のMHCと反応するTCRをもつヘルパーT細胞は胸線で死滅し、取り除かれます。生き残ったヘルパーT細胞のどれかがMHCと反応するとしたら、そのMHCは「非自己由来の抗原の断片を提示しているMHC」であり、つまり「ホワイトでない標識」ということになる。

「ホワイトでない標識」がいったん認識されると、獲得免疫が発動し、B細胞が抗体を作り、病原体が駆除されます。と同時に、特定の非自己に反応したヘルパーT細胞や、特定の非自己を攻撃する抗体を作り出したB細胞は、同一のものが大量に複製されて記憶T細胞、記憶B細胞となって残る。この「免疫記憶」が第2のブラック・リストになります。「第2のブラック・リスト」は、自然免疫のような「病原体の分子の典型的パターン」といったものではなく、たとえば「麻疹ウイルス」「インフルエンザ・ウイルス XX型」といった、病原体を直接的に示す情報です。かつ、生まれてからどういう病原体と遭遇するかによって、人それぞれリストが違っています。決して先天的なものではなく、後天的であり、適応的であり、自己組織化で作り上げられていくものです。

比較すると、自然免疫は即応的で、かつ効率的です。しかし、10項目の短いブラック・リストでは排除すべき非自己の全部は尽くせない。また、10項目のブラック・リストは遺伝的に決まっていて、そこに新しい1項目を追加するには遺伝子の変化(=ヒトの進化)が必要です。それには極めて長い時間がかかります。

それに比較して、ランダムな遺伝子組み替えと免疫記憶を通して作られる「第2のブラック・リスト」は、進化を必要としません。環境の変化によってどんどん変わっていけるし、また「種」として重要な、個体ごとの多様性も獲得できます。しかしそれだけに、必然的に組み込まれている「曖昧性」があって、自己免疫疾患を引き起こすような「危うさ」を内包している。

自然免疫のしくみが分かると、獲得免疫の意味もよく理解できます。この2つは相い補って「自己」を維持していることがよく理解できるのです。



病原体で引き起こされる疾病の治療や、ガンの治療には、ヒトの免疫の理解が欠かせません。その典型は「新・現代免疫物語」に書かれている「抗体医薬」でしょう。またガンの治療は、今後は免疫療法が大きく発展すると言われています。難病(多くが自己免疫疾患)やアレルギーの治療に免疫の理解が必要なことは言うまでもありません。さらに No.119-120「不在という伝染病」に書いたように、免疫を理解するには人間と共生している体内の微生物(常在菌)の理解も必要になってきました。その、常在菌と免疫の関係の研究は始まったばかりです。

「免疫」は「脳」と並んで、21世紀の知のフロンティアだという感じを強く持ちます。



 補記 

自然免疫に関する最近の研究成果が新聞に載っていましたので、それを引用します。


ウイルス認識 仕組み解明
 免疫起こすたんぱく質
 東大など

東京大学の清水敏之教授らと首都大学東京の共同チームは、ウイルスの感染を察知して免疫反応を引き起こすたんぱく質の詳細な動きを解明した。ウイルスのRNA(リボ核酸)を構成する塩基とRNAの断片を同時に認識して、免疫反応のスイッチを入れていた。関節リウマチなどの自己免疫疾患の治療薬開発に役立つとみている。

ウイルスや細菌などの病原体が体内に進入すると、トル様受容体(TLR)と呼ぶたんぱく質が感知し免疫反応を引き起こして身を守る。研究チームはTLR8に着目した。TLR8はインフルエンザウイルスやエイズウイルスが持つ1本鎖RNAと呼ぶ構造を感知している。

TLR8を結晶化し、大型放射光施設 Spring-8(兵庫県佐用町)に強力なエックス線を使って、詳細な立体構造を解析した。

TLR8は1本鎖RNAが分解してできた「ウリジン」と呼ぶ塩基とRNAやRNA断片をそれぞれ別の場所でとらえ、2つを同時に認識することで免疫反応を引き起こしていた。

TLR8が死んだ細胞などのRNAを誤って検知するようになると、正常な組織まで攻撃する自己免疫疾患を引き起こす。認識に使う2つの部位を同時に制御すれば、自己免疫疾患の治療法につながるとみている。

日経産業新聞(2016.2.4)

引用の最初の方に「ウイルスのRNA(リボ核酸)を構成する塩基とRNAの断片を同時に認識」とあり、終わりの方には「1本鎖RNAが分解してできたウリジンと呼ぶ塩基とRNAやRNA断片をそれぞれ別の場所でとらえ」とあって記述不統一に見えますが、「ウリジン」とはRNAの構成塩基の一つである「ウラシル」が分解して糖と結合して出来たものなので、同じことを言っています。とにかく、RNA本体(断片でもよい)とRNAが分解してできた物質が同時にないとTLR8が引き起こす免疫反応は起こらないというのが記事の要点です。

ほとんどの難病は自己免疫疾患であり、その治療薬の開発には免疫の詳細なメカニズムの解明が欠かせません。自然免疫の研究の最先端で何が行われているのか、その一端を紹介した良い記事だと思いました。




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No.121 - 結核はなぜ大流行したのか [科学]


“国民病” としての結核


No.119-120「不在という伝染病」の補足です。No.119-120では『寄生虫なき病』という本の要点を紹介したのですが「微生物の不在と免疫関連疾患の関係」に絞りました。以下の補足は「微生物の不在と病気の発症の関係」で、結核の話です。

No.75「結核と初キス」に、作家の故・渡辺淳一氏が札幌南高校時代に初めてのキスをした話を書きました(日本経済新聞「私の履歴書」より)。相手の女性が結核だと分かっていたので「おびえながらキスをした」という話です。1950年頃のことです。

このエピソードからも推察できるように、明治時代から昭和20年代まで、結核(肺病)は「国民病」と言われたほど広まっていました。昭和30年代後半(1960年代前半)でも、年間の発病者は30万人を越えていたほどです。結核の治療に有効な抗生物質、ストレプトマイシンが発見されたのは1944年(昭和19年)です。それまでは結核の有効な治療法はなく「不治の病」として恐れられました。多くの有名人が結核で命を落としています。文学者だけをとってみても、

正岡子規 1867-1902(34歳)
樋口一葉 1872-1896(24歳)
石川啄木 1886-1912(26歳)
梶井基次郎 1901-1932(31歳)
堀辰雄 1904-1953(48歳)

などがすぐに思いつきます。

特に堀辰雄は「結核で療養中の女性」と「私」が主人公の自伝的小説『風立ちぬ』を書きました。JR中央線の富士見駅(長野県諏訪町。小淵沢と茅野の間)の近くに富士見高原病院がありますが、ここはかつて富士見高原療養所というサナトリウム(結核療養施設)で、『風立ちぬ』のモデルとなったところです。

宮崎駿監督の『風立ちぬ』は堀辰雄を下敷き(の一つ)にしているので、富士見高原療養所が出てきます。喀血した里見菜穂子はサナトリウムで療養しているが、そこを抜け出し、名古屋まで堀越二郎に会いに行く。そして堀越の上司の家で祝言をあげ、初夜を迎える・・・・・・・。映画の中で最も印象的な場面(の一つ)です。

風たちぬ - 富士見高原療養所(劇場予告版より).jpg
映画「風立ちぬ」の1シーン。富士見高原療養所で、患者たちが毛布にくるまって外気浴をしている。この中の一人が里見菜穂子である(確か右から二人目)。画面には雪がちらついている。現代人の目から見ると悲しくなるような「治療」の光景だが、昭和10年ごろ、今から80年ほど前の話であり、抗生物質のストレプトマイシンが発見されるのはこの10年後である(映画の予告編より)。

梶井基次郎に『闇の繪巻』(1930)という短編があります。ある渓流沿いの旅館から別の旅館に歩いて行くという、たったそれだけの話ですが、傑作だ思います。この作品は、彼が結核の「転地療養」のために伊豆の湯ヶ島温泉に滞在した時の経験が元になっています。サナトリウムにしろ、転地療養にしろ、空気が澄んだ所で静養するのが当時の唯一の「治療」でした。

一方、ヨーロッパに目を向けると、堀越二郎が愛読したトマス・マン(1875-1955)は、世界文学史上の傑作『魔の山』(1924)を書きました。この小説はサナトリウムが舞台です。マンの夫人がスイスのリゾート地・ダボスのサナトリウムで療養したときの経験が元になっています。こういった「結核文学」の背景には、かつてのヨーロッパでの結核の流行があるわけです。

文学以外にも広げると、ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク(1863-1944)は、5歳になったばかりの時(1868)に母親を結核で亡くし、14歳の直前(1877)に15歳の姉を結核で亡くしています。本人は長寿を全うしたものの、描かれた多くの傑作には「死の影」が色濃く漂っています。そもそもムンクは、13歳のときに見た病床の姉の姿を、20歳代の初めから長期に渡って繰り返し描いています(『病める子』)。

病める子.jpg
エドヴァルド・ムンク(1863-1944)
病める子」(1885/6)
(オスロ国立美術館)
ムンクは40年間に渡って、油絵だけでも6枚の「病める子」を描いているが、これはその最初の絵で、22歳頃の作である。

ムンクよりもっと「極端」なのが、スイスの国民的画家、フェルディナンド・ホドラー(1853-1918)です。英語版Wikipediaによると、ホドラーは6人兄弟の長男としてベルンに生まれたが、8歳までに父親と弟2人を結核で亡くし、母親は再婚したが、その母も14歳の時に結核で死亡。その後、彼以外の兄弟姉妹は全員が次々と結核で死んだ、とあります。両親・兄弟の計8人のうち、自分以外の7人全員が結核で死ぬという経験をしたわけです。そして、ホドラーの絵には「死」を感じさせるものが多々ある。

ムンクやホドラーの画業の大きな背景として、当時のヨーロッパにおける結核の蔓延と、それがもたらした「あまりにも身近な死」があるわけです。

もちろん結核は今もある病気です。日本でも毎年2万人以上が発病しています。決して「過去の病気」ではありません。


結核が激増した理由は ?


ところで、結核は極めて古い病気で、大昔から人類とともにあったことが分かっています。と同時に、結核は18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパで大流行したことが知られています。この大流行の理由について『寄生虫なき病』に、ある学者の説が紹介されていました。キーワードは「超個体」です。

「超個体」とは、ヒト(個体)と共生微生物群を一つの人体生態系と見なし、その生態系を指す言葉です(No.120「不在という伝染病・2」参照)。No.119-120で問題にしたのは、近代以降、特に20世紀後半以降に「人体生態系=超個体」が崩れてきているのではないか、それが免疫関連疾患の急増につながっているのでないか、ということでした。しかしその崩壊はもっと以前から起こっていたのでは、というのが以下の引用です(下線は原文にはありません)。


現代から振り返ってみれば、超個体崩壊の最初の兆候はおそらく、アレルギーや自己免疫疾患とは無関係なある現象だった。18世紀末から19世紀の初めにかけて、ヨーロッパ中で結核が大流行した。なぜ結核が突然大流行したのか(そして、なぜ、19世紀末に減少し始めたのか)という問題は、常に歴史家の頭を悩ませてきた。遺伝子解析によって、人類がアフリカから旅立つ以前から結核菌は人類とともにあったことが分かっている。中近東で発掘された九千年前の人骨から、結核の痕跡が見つかっている。古代ギリシャでも結核はよく知られた病気だった。

モイゼス・ベラスケス=マノフ
『寄生虫なき病』
(文藝春秋 2014)

そもそも、結核菌に感染したとしても発病しないのが普通です。発病するのは感染者のせいぜい10%にすぎない。それも、感染から数ヶ月、数年、時には数10年たってから発病します。残りの人は結核菌を体内に留めたまま発病しない「不顕性感染者」となります。「不顕性感染者」は他人に結核菌を感染させることはありません。

結核の発病はどういう詳しいメカニズムで起きるのか、それは現在でも明確な定説はありません。そういう状況の中で、18-19世紀のヨーロッパで結核が大流行したのです。その理由に対する「新説」が紹介されています。


しかし18世紀末のヨーロッパにおける結核発病率の高さは、それが新種の感染症だったことを示唆している。最終的に結核菌を特定したロベルト・コッホは19世紀半ばのベルリンでは七人に一人が結核で死亡していたと推定している。研究者の中には、感染度の高い新種の結核菌が出現したと考える人もいるし、実際、近代になってからある結核菌株が蔓延したことが遺伝子解析によって分かっている。しかし、ロンドン大学のジョン・グレンジとその共同研究者たちは、もっと微妙な変化が近代における結核の大流行の原因だと考えている。

ヨーロッパが都市化していくにつれて、土や泥の中に生息している環境中のマイコバクテリアと接触する機会が失われた。こうしたマイコバクテリウム属の細菌は、結核に対する免疫を自然に高めていた。農村や小都市の住人は、結核菌の近縁であるウシ型結核菌に感染したウシの乳も飲んでいたかもしれない。BCGワクチンは、ウシ型結核菌を弱毒化したものである。ヒトもウシ型結核菌に感染して発病することがあるが、これに一度感染すると結核に関して免疫ができる。グレンジらは、「結核の大流行は、これら結核菌以外のマイコバクテリウム属細菌への曝露パターンが変化した結果である」と主張している。

『寄生虫なき病』

ロンドン大学の研究を要約すると、

ヨーロッパの都市化
微生物(マイコバクテリウム属細菌)への曝露パターンの変化
人の「免疫力」の変化
結核の発病率の増加

という、①→②→③→④の因果関係を主張するものでしょう。ちなみに、結核菌はマイコバクテリウム属の細菌の一種です。

さっき書いたように、結核菌に感染しても発病する人は高々10%で、ほとんどの人は発病しません。その発病を押さえているのは人間の「免疫力」だとよく言われます。「免疫力」が変調をきたすと、ないしは「免疫力」が衰えると発病するというのが(詳細なプロセスは別にして)医学書に載っている結核の一般的な説明です。

一方、ヒトは共生微生物群と「超個体」を作っています。そして共生微生物のあるものが免疫に重要な役割を果たしていることは、No.119-120「不在という伝染病」に書いた通りです。だとすると、共生微生物群の「変化」は「免疫力の変化」につながってもおかしくはない。「マイコバクテリウム属細菌への曝露パターンの変化が、結核の大流行を招いた」という説も検討に値すると考えられます。

ただし「微生物」に関しては別の理由もありうると『寄生虫なき病』で著者のモイゼス・ベラスケス=マノフ氏は書いています。それはピロリ菌です。No.120「不在という伝染病(2)」で書いたように、ピロリ菌感染者は結核菌に感染したとしても、ピロリ菌非感染者よりもさらに結核が発病しにくいという報告が何件かあるのです。ピロリ菌に感染する率が減ったために結核が蔓延したとも考えられる・・・・・・。

  そう言えば、結核菌とピロリ菌はよく似ています。
極めて古い昔から現世人類とともにあった細菌である。
感染したとしても、大多数の人は発病しない。細菌はヒトの体の中にあって「共存」している。
一部の人が発病し、重い病気をもたらす(結核菌は肺結核など。ピロリ菌は胃潰瘍から胃ガン)。
という3つの点です。

しかし、どちらにせよ「微生物への曝露パターンの変化が結核の大流行を招いた」という説には変わらないと思います。


パリの結核


ヨーロッパの都市化と結核、と聞いて直感的に思い出すオペラがあります。No.75「結核と初キス」にも書きましたが、ヴェルディの椿姫(1853年初演)です。このオペラはパリが舞台ですが、主人公の娼婦・ヴィオレッタは結核にかかっています。それが原因で最後には死んでしまう。彼女の「悲しい愛の物語」がストーリーの骨格です。原作はアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の小説『椿姫』(1848)ですが、この小説も「結核文学」だと言えるでしょう。

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ヴェルディのオペラ「椿姫」より。第1幕の「乾杯の歌」のシーン(上)と、第3幕の最終場面(下)。いずれもヴィオレッタのパリの屋敷である。ヴィオレッタ役はアンジェラ・ゲオルギュー。コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラのライブ映像(1994)より。

ソプラノ歌手が演じるヒロインが結核患者、というオペラは他にもあります。プッチーニのオペララ・ボエームのヒロイン、ミミがそうです。パリに出てきた貧しい「お針子」のミミは、オペラの最後でヴィオレッタと同じように息を引き取ります。『ラ・ボエーム』は1896年の初演ですが、原作の小説は1849年の作であり『椿姫』と同時期ということになります。

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映画版「ラ・ボエーム」(2011)より。第1幕でロドルフォとミミはパリで出会い、第4幕でミミは、ロドルフォの元で死にたいと運ばれてくる。ミミ役はアンナ・ネトレプコ、ロドルフォ役はローランド・ビリャソン(映画のサイトより)。

もちろん、この2つのオペラはフィクションです。しかしこういった状況設定が聴衆に受け入れられてオペラ(ないしは小説)が大ヒットするいうことは、当時のパリの状況を反映しているはずです。『椿姫』は上流階級の話であり、『ラ・ボエーム』は貧しい“お針子”や芸術家たちの話ですが、当時(19世紀前半)のパリにおいて、結核が階層を問わず「よくある」病気だったことをうかがわせます。


「不在」を問題にすること


ドイツ人のロベルト・コッホ(1843-1910)は1882年に結核菌を発見し、その病原性を証明し、結核の原因は細菌であることを明らかにしました。これが細菌学の始まり(の一つ)であり、現代医学の「輝かしい」スタートとなったことは周知の事実です。そのコッホの研究の動機になったのは、ヨーロッパにおける結核の大流行だったのではないでしょうか。彼は、19世紀半ばのベルリンでは、七人に一人が結核で死亡(!)と推定しているわけですね。この死亡率の高さは相当なものです。発病する人の割合はもっと多かったはずです。医学に係わるドイツ人としては、何とかしたいと思ったのではないでしょうか。。

そして、そういった結核の大流行の原因は、ひょっとしたら以前から進行していた、人体生態系=超個体の「崩壊」ないしは「変調」だった可能性がある・・・・・・。

「微生物への曝露パターンの変化が、ヨーロッパでの結核の大流行を招いた」というのは一つの説(仮説)であって、実証されたわけではありません。違うかもしれない。真実だとしても、200年も前の流行の原因を「実証」するの非常に難しいでしょう。

しかしこの話の教訓は、我々はやまいに関して病原菌やウイルスの「存在」を問題にするけれど、それと同時に共生微生物の「不在」も考慮すべきということでしょう。「18世紀末から19世紀の初めにかけて、ヨーロッパ中で結核が大流行した」ということを、発病率の高い変異型結核菌の「出現」というように推定するのか、ないしは結核の発病を押さえていた(ある主の)共生微生物の「消滅」ととらえるのか、見方はふた通りあるはずです。もちろん、その両方かもしれない。

No.119-120「不在という伝染病」の最後の方にも書きましたが、我々人間は2つの生態系のもとで生きています。一つは自然生態系で、もう一つは人体生態系(=超個体)です。このことは忘れてはならないと思います。




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No.120 -「不在」という伝染病(2) [科学]

前回より続く)

An Epidemic of Absence.jpg



21世紀の免疫学の発見


21世紀の免疫学の発見は、免疫の発動を制御し抑制する細胞群が発見されたことです。この代表が、大阪大学の坂口教授が発見した制御性T細胞です。免疫を抑制する細胞群があることは20世紀の免疫学でも仮説としてはありました。しかし実験的に立証されたのは21世紀(1990年代後半以降)です。

制御性T細胞は、生後、外界からの微生物や寄生虫に接触することで発現します。かつ、腸内細菌が制御性T細胞の発現に関わっていることも分かってきました。この制御性T細胞がアレルギーの発症を抑制しているのです。

東京大学のあたらし幸二博士、本田賢也博士の研究成果があります。両博士は、特定の腸内細菌をターゲットとする抗生物質を使って、特定種の腸内細菌を徐々に減らすという実験をマウスで行いました。この結果、

抗生物質のバンコマイシンで腸内細菌のクロストリジウム属を徐々に減らすと、
ある時点で制御性T細胞が急減し、
それがクローン病(炎症性腸疾患)の発症を招く

ことを発見しました。クロストリジウム属を増やすと制御性T細胞は回復し、炎症も治まります。これは特定の腸内細菌が制御性T細胞の誘導(未分化のT細胞を制御性T細胞に変化させる)に重要な役割をもっていることを実証しています。なお、クロストリジウム属の話は、No.119「不在」という伝染病(1)の冒頭近くで引用した日経サイエンス 2012年10月号の記事に出てきました。

  『寄生虫なき病』には載っていませんが、No.70「自己と非自己の科学(2)」で紹介した「日経サイエンス 2012年10月号」の記事には、別の研究が紹介されていました。そこには、
腸内にすむフラジリス菌は表面に「ポリサッカライド A(PSA)」という多糖類の分子を持っている。
人間の樹状細胞はPSAを取り込み、未分化のT細胞に提示する。
未分化のT細胞はPSAに刺激されて制御性T細胞になる。制御性T細胞は炎症を起こす免疫細胞の活動を抑制して炎症を押さえる。
PSAを持たないフラジリス菌は免疫細胞から攻撃されて生き延びることはできないが、PSAをもっていると免疫系からは攻撃されない。
とありました。

20世紀の免疫学(No.69-70 参照)では、免疫系が自己を攻撃しない理由として、

全ての細胞には自己を示す標識(= MHC)がついている。
自己に反応する免疫細胞は、胸線(Thymus)で死滅する。

と説明されていました。しかしそれだけではなく、制御性T細胞という重要なプレーヤーがいたのです。



ではなぜ、腸内細菌が制御性T細胞を発現させるのでしょうか。それを理解するキーワードは「共生」です。共生の基本ルールは

  宿主から容認されている共生者は、宿主の免疫抑制機構を作動させる(= 免疫寛容を引き出す)ことによって排除を免れている

というものです。この「ルール」が、人体の免疫機構と微生物を結びつけます。前に「アレルゲンとなるタンパク質は寄生虫のタンパク質と似ている」と書きましたが(No.119)、その理由は、

  寄生虫は制御性T細胞を増やし、免疫寛容を引き出す。しかし花粉などのタンパク質にそのような機能はない。だから免疫の過剰反応が起きる。

と理解できます。

ヒトには免疫を抑制する機構があり、それはヒトが微生物と共生していることを前提に成り立っています。その免疫抑制機構の弱体化は免疫関連疾患を招きます。なぜ弱体化するかというと、本来の共生していた微生物が人体からいなくなってしまったため、ないしは微生物相が大きく変化してしまったためです。なぜ微生物が人体からいなくなった(変化した)のか。

それはもちろん生まれてから子供時代にかけて微生物が少ない環境で育つようになったからですが、別の理由もあります。

一つは抗生物質の多用です。さきほどあげた東京大学のあたらし博士・本田博士の研究でも分かるように、抗生物質は腸内の細菌相を変化させます。抗生物質の多用は人間にとって良くない結果を招く(可能性がある)のです。

化学物質の問題もあります。抗菌剤やハンド・ローション、洗剤などは、人間と共生している(有益な)常在菌を消失・減少させます。これらの多用でアレルギーの発生リスクが増えるという研究が多数あります。

その化学物質のひとつは医薬品です。広く使用されている鎮痛剤・アセトアミノフェンは、アレルギー疾患との関係を繰り返し指摘されています。原因と結果が逆(喘息を発症する子供は、幼い頃から病弱でアセトアミノフェンの服用機会が多かった)の可能性がないわけではないので、今後の実証が待たれます。

食生活の変化もあります。工場で作られ、殺菌された出来合いの食品(=工業製品)ばかりを食べていると、微生物に接する機会が減少します。ないしは腸内微生物の様相が変化してしまう。新鮮な食材を包丁とまな板で調理して料理を作る(その間に微生物が入る)のとは大違いです。

21世紀の免疫学の知識からすると、20世紀後半からの先進国は、免疫関連疾患を増やすように動いてきたことがわかります。ということは、20世紀後半、特に1990年代に確立した免疫学は、

  少なくともヒトの免疫に関しては、本来あるべき姿からかけ離れた姿を研究対象にしてきたのではないか

という疑問にもつながるのです。



最初に説明したように、免疫関連疾患は「現代病」です。その「現代病」は、免疫関連疾患だけではありません。本書には、心臓疾患や自閉症、うつ病、(ある種の)ガン、肥満なども、免疫系の異常が関係しているのではという「疑い」が書かれています。もちろん実証されたわけではなく、今後の研究を待つ必要があります。ただ、こういった「現代病」ないしは「文明病」は、免疫との関係を疑ってかかるべきなのです。


ピロリ菌は悪玉菌か善玉菌か


本書に書かれているピロリ菌の話も、人間と微生物の共生という観点から大変興味深いものです。人間の消化器官で共生している常在菌の多くは小腸にいますが、ピロリ菌は胃に住みつきます。胃は強い酸性なので、微生物にとっては悪い生息環境と言えます。

ピロリ菌は胃潰瘍と胃ガンの原因になることが発見され、大変「有名」になりました。ピロリ菌が原因の胃潰瘍と診断されれば、ピロリ菌除去の治療をうけるのが普通です。

しかし胃潰瘍はともかく、胃ガンは60歳台以降の高齢者に多い病気です。人間が60歳台以降まで生きるのがあたりまえになったのは近代以降のことであり、それまではピロリ菌が人間に決定的なダメージを与えることは少なかったと推測できます。

事実、ピロリ菌とヒトとの関係は極めて古いことが分かってきました。世界各地のピロリ菌を遺伝子解析で比較した結果、ピロリ菌の主要7種の菌株は全てアフリカ起源であることが分かりました。また遺伝子解析によると、7種が最初に枝分かれしたのは5万8000年前です。ということは、ピロリ菌は現世人類の出現とともにあった、ということになります。このことは、ピロリ菌がヒトに何らかのメリット与えてきたことを示唆しています。

調べてみると、ピロリ菌の感染者は「胃食道逆流症」(その一つの病態が逆流性食道炎)の有病率が低く、また食道ガンも少ないことが分かってきました。なぜそうなるのかと言うと、胃の酸性度が強くなると、ピロリ菌は胃壁からの胃液の分泌を妨害するからです。だから胃液が逆流しても食道に炎症が起きにくい。ピロリ菌はヒトの胃の酸性度を調節していることになります。さらに、

ピロリ菌に感染している人は、結核菌に感染しても発病しにくい。ピロリ菌は免疫系の抗細菌作用を増大させる。
 なお、常在菌と結核の発病の関係については、No.121 「結核はなぜ大流行したのか」を参照。
ピロリ菌感染者は制御性T細胞の数が多く、喘息のリスクも低下する

という研究も出てきました。また、

乳幼児の段階でピロリ菌に感染すると、胃潰瘍や胃ガンのリスクが低い

という観察結果もあります。「乳幼児の段階でピロリ菌に感染する」というのは、まさに現在の発展途上国の状況です。アフリカはピロリ菌に感染している人が多いところですが、アフリカで胃潰瘍や胃ガンが極度に少ない(いわゆる「アフリカの謎」)理由も納得できます。ピロリ菌は善玉菌か悪玉菌か・・・・・・。それは感染するタイミングにもよるということです。


人間という「超個体」


本書に次の言葉が引用されています。


人類は単独の種として進化したわけではなく、人類とその共生微生物群が「超個体」として共進化していたのだということは、現在では広く理解されている。種としての人類の進化と人類の共生微生物群の進化とは、常に絡み合っておこなわれてきた。

デューク大学
ウィリアム・パーカー

「共生微生物群」という言葉が出てきます。この記事の最初に書いた「常在菌」とほぼ同じ意味ですが、寄生虫などの細菌以外のものも含む共生生物全体を示すものと考えてよいと思います。以下、病原菌に対応する言葉として常在菌(病原性を示さない共生細菌)ということにし、微生物全体は「共生微生物群」と言うことにします。

ヒトは、自然界の微生物の中から「選択して」共生微生物群を作りあげてきました。たとえば、細菌は分類学上、50以上の「門」に分かれますが、ヒトに住みついている常在菌はそのうちの4門だけです。

一方、「ヒトと関係のある細菌」という観点からすると、常在菌は約1000種もありますが、病原菌は50~100種しかありません。ヒトと「友好関係にある」細菌の方が圧倒的に多いのです。その常在菌の中には、明らかにヒトに役だっているものがあります。

人体にとって重要な「葉酸」や「ビタミンK」を合成する。
オリゴ糖や多糖類を分解し、消化を助ける。
免疫を制御する。

などです。なぜヒトは常在菌と共生し、しかも合成・消化・免疫といった重要な機能を常在菌に「分担させる」のでしょうか。

それは微生物と共生するのが有利だからです。

微生物は繁殖のペースがヒトより格段に速いので、進化のペースも速いわけです。従ってヒトが微生物を攻撃しても、微生物は遺伝子変異を繰り返して攻撃から逃れる可能性が高い。どうせ排除できないのなら共存したらどうか。もし共存できたとしたら、微生物の進化が速いことがヒトのメリットになりうる。つまり、ヒトは自分の遺伝子の変化だけに頼るよりも遙かに柔軟に「変化」できることになります。生物にとって最も重要なのは、環境(気候や、食物や、病原菌など)の変化に柔軟に対応できることです。

さらに常在菌は種類が多く、その総体としての遺伝子の数が多い。この記事の最初の方に「消化器官にいる微生物の遺伝子の総数は330万個で、ヒトゲノムの遺伝子2万~2万5000個の約150倍に相当する」と書きましたが(No.119 参照)、消化器官だけをとってみても、こういった「遺伝子の多さ」をヒトは利用できるわけです。

常在菌は進化のスピードが早く、また遺伝子の数がヒトに比べて桁違いに多いということは、一言でいうと多様性があるということです。ヒトは「ヒト + 共生微生物群」を「超個体」とすることで、個体だけに頼るより多様性を獲得できた。共生微生物群は人によって違います。たとえ一卵性双生児でも違います。この多様性こそ、ヒトが存続していくための重要事項なのです。多様性に関して言うと、そもそも生物の多くが有性生殖をするのも、遺伝子の多様性を確保する手段だというのが通説です。

そういった共生微生物群との相互作用で作られるのが人間の免疫機構です。免疫機構は極めて適応性に富んだシステムです。「非自己」を「自己」から区別するといっても、その「非自己」の種類は無限だし、また環境によって変わるからです。

人体はにいくつかの「原則」がありますが、その一つは

  適応性に富んだシステムは、その発達段階でインプットを必要とする

というものです。適応性に富んだシステムを設計図だけで決めることはできません。「設計図+インプット」で決まる。免疫に関して言うと、インプットが過小であったり偏っていると、それなりの免疫機構しかできないわけです。さらに、宇宙飛行士の筋力低下を引き合いに出すまでもなく、

  人体の機能は、使わなければ衰える

のが大原則です。免疫を制御し抑制する必要性が無い状態が続くと、その制御し抑制する能力が萎縮します。そして免疫制御能力が萎縮すると、アレルギーや自己免疫疾患が起きる。



現代の人間社会の重要課題は、崩れてしまった2つの生態系の回復です。2つとは、自然生態系と人体生態系です。人体生態系とは言うまでもなく、ヒトと共生微生物群の生態系(= 超個体)です。生態系の回復は容易ではありません。自然生態系の回復の原則は、

  トラを絶滅から守るためには、トラが暮らすジャングルとそこで生きているものすべて ── 土壌細菌からアリや木々に至るまで ── を保全しなければならない

からです。人体生態系でも同じことが言えるはずです。

いまさら昔には戻れないことも多いでしょう。人体生態系の回復のために、寄生虫を意図的に体内に入れるわけにはいかない(免疫関連疾患の治療は別にして)。しかし「現代人の生活」と「人体生態系の回復」の妥協点は、何とかあるのではないか。それを模索していくことが、人類にとっての緊急の課題です。



以上が本書『寄生虫なき病』の(重要だと思える)ポイントの要約です。本書にはもっと多方面の話題があります。寄生虫治療の実態、マラリアと自己免疫疾患の関係、完全な無菌状態で飼育されたマウスがどうなるか、ヒトに無害なはずのヘルペス・ウイルスがなぜ疾患を引き起こすのかなど、興味深い話題は多々あるのですが、省略しました。また、旧友仮説(衛生仮説)の証拠となる研究も大変念入りに紹介されています。それらは本書を読んでもらうしかありません。


『寄生虫なき病』の感想


以降は本書『寄生虫なき病』の感想です。

本書の解説で生物学者の福岡伸一氏が書いていることなのですが、この本は医学・生理学における考え方の転換、パラダイムの転換を迫るものです。

つまり従来は、病原菌やウイルス、寄生虫といった「存在」が病を引き起こすことに注目が集まり、その「存在」をいかに排除するかが医学・生理学のテーマだった。ところが21世紀になって、共生微生物の「不在」が病を引き起こすという認識に至った。これはパラダイムの転換だというわけです。確かに「栄養不足による病」はあるが「細菌不足による病」というのはあまり聞いたことがない。

「不在」が病を引き起こすという意味で、福岡氏は解説のタイトルに「不在という病」というタイトルをつけています。しかし、これはちょっと不十分です。本書の原題は、この記事の冒頭にも掲げたように、


An Epidemic of Absence
- A New Way of Understanding
Allergies and Autoimmune Disieses -

不在という伝染病
- アレルギーと自己免疫病を理解する新しい道 -


です。Epidemicとは単なる病気ではありません。「伝染病」のことです。「不在」が病を引き起こし、その病は伝染する・・・・・・。これが著者が言いたかったことでしょう。

なぜこの「不在」という病が伝染するのか。それは「不在」が文明によってもたらされたからです。文明は伝播します。「進んだ」文明は、より「遅れた」文明にとってかわる。そもそも文明は伝染病と非常に良く似ています。その感染力は非常に強い。この「文明の感染」を防ぐのは、鎖国でもしない限り(鎖国をしたとしても)非常に難しい。だから「不在」という病も伝染する。

微生物の「不在」は、文明によってもたらされた生活環境と広範囲に関係する可能性があります。それは「清潔指向」「消毒」「殺菌」「抗菌剤・抗菌加工」「抗生物質」「医薬品」「農薬」「殺虫剤」「除草剤」「食品保存剤」などからはじまって、「加工食品中心の食生活」「下水道の完備」「道路の舗装」「緑視率の減少」「小動物や昆虫の減少」などまでが関係する(可能性がある)わけです。人類はこの200年程度で自然生態系を大きく破壊してきたのですが、それと全く同じ行動様式・思考パターンで人体生態系を破壊してきたのではないか。自然生態系の破壊と同時期に、平行して・・・・・・。

「不在」によって引き起こされる病は、それが文明の進歩と表裏一体であるからこそ、非常に根が深いと思いました。



しかし、パラダイム転換と言うなら、もう一つ重要なパラダイム転換があると思います。それは免疫(獲得免疫)は何のために存在するのかということに関係したことです。20世紀の免疫学によると、

  免疫は「自己」と「非自己」を区別し、「非自己」を排除することによって「自己」の統一性を保つためのもの

です。免疫に対するこのような認識は、No.69-70「自己と非自己の科学」に詳しく書きました。しかし本書を読むと、

  免疫は、「非自己」を「自己」に取り込み、自己の一部として共生して「超個体」を作り出すためのものでもある。もちろん、自己と共生できない「非自己」は排除する

という考えになるのです。もしそうだとしたら、これこそが大きなパラダイム転換でしょう。

ヒトの免疫機構が微生物に対応するやりかたは、非寛容(攻撃)と寛容(攻撃の抑制)のセットです。自己を危うくするような微生物に対しては非寛容(免疫による攻撃)が続きます(攻撃の失敗もある)。しかし、共存できる微生物に対しては寛容(免疫の抑制)が優勢になる。微生物の方もヒトから寛容を引き出すように進化し(それがヒトの体内で生き残る道だから)、ヒトが受け入れてくれると、生息場所と栄養分をもらう代わりに、ヒトにメリットを与える(消化やビタミン合成など)。そして共生が成立する。

No.69-70「自己と非自己の科学」でも紹介したように、ヒトの免疫システムには、
 ・曖昧性
 ・偶然性
が含まれています(それでいてほとんどの場合、自己の統一性が保たれている)。生死にかかわるところに曖昧性があっていいのかと思ってしまいますが、実は曖昧なところがないとまずいのですね。自己と非自己の境目が設計図によって厳密に決まっているような生命体は、環境と外界の変化についていけません。もちろん、曖昧性が原因となって「個」の破綻を招くこともある。しかし、それを補って余りある「種」としてのメリットがあるということでしょう。

No.69-70「自己と非自己の科学」は、免疫学者の故・多田富雄が著した2冊の本によっているのですが、その多田氏は免疫系を「超システム」と呼び、


遺伝的に、前もって決定されていたシナリオ通りに動くわけではない。さまざま環境条件や偶然性などを取り入れながら、時間的な記憶をもった創発的なシステムとして、個性に富んだ行動様式を自ら作り出してゆく

多田富雄
「免疫・自己と非自己の科学」
(NHKブックス 2001)

免疫・「自己」と「非自己」の科学.jpg
と述べています。ここで言及されているのは「獲得免疫」のことですが、改めて「獲得」とは適切な用語だと思います。もちろん「獲得」という言葉は「麻疹はしかに一度かかったら、二度とはかからない。ヒトは麻疹にかからない、という性質を後天的に獲得する」という意味の「獲得」です。それが本来の意味です。しかしここに至って、新たな「獲得」の意味が出てきた。

まさに「ヒトは免疫システムそのものを獲得していく = 自ら作り出してゆく」のですね。その「超システム」としての免疫システムが作り出すのが、「ヒト + 共生微生物群」という「超個体」なのでしょう。それが「獲得されるもの」です。ヒトの「獲得免疫」のありようは遺伝的に決まっているわけではありません。たとえ一卵性双生児であっても違います。そこに共生微生物群が加わると、一人一人でさらに違ってくる。自己とは何か、そのの根幹のところは極めて個性的であり、多様性に富むものなのです。



生命現象と社会現象を単純なアナロジーで考えるのはまずいとは思うのですが、本書を読んでいて、社会における「複雑な組織」と生命体の類似を考えずにはいられませんでした。

たとえば企業という組織ですが、純粋さ(コアとなる事業や技術、組織風土、企業理念など)を保ちつつ、異質さ(外国の人材、M&A、新分野、異業種連携、など)をいかに取り入れて共存していくかが重要です。これは生命体と非常に良く似ています。思い返すと、生物の進化をテーマにした No.56「強い者は生き残れない」の結論は「環境変化に柔軟に対応できるものが生き残る」でした。それは生命体も企業組織も全く同じだと思います。


サイエンス・ライターという職業


本書の著者であるモイゼス・ベラスケス = マノフは、コロンビア大学の大学院のジャーナリズム科でサイエンス・ライティングを専攻した科学ジャーナリストです。本書は8500本もの論文をあたって書いたと言います。本文には約700の注釈があって、引用した文献・論文が巻末に明記されています。

著者の姿勢もフェアで、個別の研究結果について反対意見があればそれも公平に書かれています。因果関係が実証されていないことは、実証されていないと書いてある。著者自身も自己免疫疾患を抱えていて、そのため寄生虫を体内に入れるという「治療」にチャレンジするのですが、その結果も(効果あり・効果なしの両方あった)、ありのままに書かれています。

本書で思ったのは「サイエンス・ライター」という職業の重要性です。現代は科学技術に関わる事項が社会の大問題になったり、人間社会の行く末に大きく関わったりするわけです。原子力発電がそうだし、地球温暖化もそうです。以前の記事で言うと、遺伝子組み換え作物(No.102-103「遺伝子組み換え作物のインパクト」)もそうでしょう。ガン研究もその一例です。しかしこういった重要事項は、それ自体が大変にこみ入っていて、複雑なわけです。一般人が理解するのは並大抵ではない。そのことから、人を惑わすいいかげんな説や、科学的根拠の全くない宣伝文句、誤った風説がまかり通ったりする。

このような科学技術に関わる複雑な事項を、科学者・技術者の研究成果や論文に基づきつつも、分かりやすく解説することは大変に重要だと思います。分かりやすく、というのは文章の分かりやすさも重要です。モイゼス・ベラスケス = マノフ氏の文章は非常に論理的で読みやすい。そのことも本書の優れた点だと思いました。

また同時に、この本は日本語訳が優れています。訳したのは赤根洋子さんという翻訳家です。もちろん原文の英語も良いのでしょうが、日本語文章が非常に明晰で感心しました。巻末の注釈(約700)を省略せずに記載したのも好感が持てます。

とにかく、アメリカでは全米屈指の名門大学でサイエンス・ライティングを専攻できるようなのです。日本ではどうなのでしょうか。


マイクロバイオームの再生医療


ここからは完全な補足です。

アメリカの雑誌「Scientific American」の2013年12月号に「World Changing Ideas」という記事が掲載されました。「世界を変えるアイデア」です(日経サイエンスの日本語訳では「常識を変える先端技術」)。この記事は、世界を変える(かもしれない)10の技術を紹介したものですが、その一つが「腸内細菌の再生」に関するものでした。『寄生虫なき病』と大いに関係する内容なので、日経サイエンスの日本語訳で一部を紹介します。


マイクロバイオーム
腸内細菌を操って病気や感染症と戦う

私たちは口や皮膚、消化器にいる何兆もの細菌や真菌、ウイルスのおかげで毎日を健康に暮らしている。こうした微生物のほとんどは実験室での培養が難しいため、以前は研究手段がなかった。しかし、急速に改良が進む低コストの塩基配列解読技術によって、ようやくそれが可能になりつつある。常在細菌と戦うのではなく、彼らと協力して、頑固な疾患を治療したり健康全般を改善する興味深いアプローチが考案されようとしている。

数年前は微生物の大集団を研究することは夢物語でしかなかったが、現在はそうした実験をそれほどコストをかけずにできるようになっていると、スタンフォード大学医学部教授レルマン(David Relman)は言う。この「メタゲノミクス」という新分野は、健康な人と様々な症状や病気に苦しむ人の腸内のマイクロバイオーム(細菌叢)がどのようなものかを教えてくれる。そのようなデータを活用して、細菌叢のバランスを操作し、肥満や炎症性腸疾患など多くの病気を直す可能性が探られている

・・・(以下、略)・・・
日経サイエンス
(2014年5月号)

我々が発酵食品を食べたり乳酸菌やビフィズス菌入りの飲料を飲むのは、腸内細菌を「整えよう」とする努力です。この記事にある「メタゲノミクス」は、DNA解析技術を駆使して、大々的・組織的にマイクロバイオーム(細菌叢)を「整える」もののようです。

これはかなり難しい技術だというのが直感です。「普通の人に比べて、数種の腸内細菌が不足している」ことが分かったとしても、その数種を注入すればよいというわけではないはずです。ヒトは「数種の腸内細菌が不足している状態を前提に、それなりに最適化されている」はずです。人体生態系なのだから・・・・・・。

しかし「不在という伝染病」と戦うには、このような医療技術を突き詰めることしかないのだと感じました。

続く


 補記 

本文の中に本書を読んだ感想として、

本書を読むと、
  免疫は、「非自己」を「自己」に取り込み、自己の一部として共生して「超個体」を作り出すためのものである。もちろん、自己と共生できない「非自己」は排除する
という考えになるのです。

と書きました。しかしこれは「考えになる」どころか、本当のことだと分かってきたようです。免疫システムが「非自己」を「自己」に取り込む働きをしている。そのことが、2015年2月22日のNHKスペシャルで説明されていました。

つまり免疫システムのキーである「抗体」の一種、免疫グロブリンA(IgA)が、人体との共存を許す細菌だけに選択的に取り付き、腸の壁を覆っている粘液層に細菌が入りやすくしています。IgAが「取り付く」ことで粘液層に入るときの抵抗が少なくなるようです。これを研究している日本の理化学研究所のシドニア・ファガラサン氏がインタビューに答えていました。


IgA抗体は攻撃するためでなく、腸内細菌を助けるために働いています。IgA抗体は私たち人間に必要な菌だけを選んで腸に住み着かせているのです。

私たちは細菌とともに長い進化の歴史を過ごしてきました。その過程で互いに助け合う仕組みを発達させたのです。腸内細菌と共に生きていることの本当の意味を知るべきです。私たちは腸内細菌と一緒になって初めて一つの生命体なのです。

シドニア・ファガラサン(理化学研究所)
NHKスペシャル(2015.2.22)
「腸内フローラ ~ 解明!驚異の細菌パワー ~」より

人間の免疫システム(獲得免疫)が何をやっているかというと、それは、

自己と非自己の認識
特定の非自己の認識(特異性)

の二つです。①はもちろん生命体としての自己同一性を保つためですが、②は何のためにあるのか。それは「特定の非自己」を攻撃するためと同時に、「特定の非自己」と共存し「自己」の一部とするためでもあるようです。

(2015.3.1)



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No.119 -「不在」という伝染病(1) [科学]


マイクロバイオーム(細菌そう


No.69-70「自己と非自己の科学」で、ヒトの「獲得免疫」のしくみについて書きました。獲得免疫は「自然免疫」に対比されるもので、「病原体などの抗原に対して、個々の抗原ごとに特異的に反応して排除するしくみ」を言います。その No.70「自己と非自己の科学(2)」の最後の方に、ヒトの「マイクロバイオーム」が免疫に重要な役割を果たしていることを紹介しました。

マイクロバイオームとは人間の消化器官や皮膚に住みついている細菌群(=常在菌)の総体を言う用語で、日本語では「細菌そう」です。No.70「自己と非自己の科学(2)」で紹介した内容を要約すると次の通りです。

人体に住みついている細菌は「常在菌」と言い、一時的に体内に進入して感染症を引き起こす「病原菌」とは区別される。常在菌は病原性を示さない。

常在菌の住みかは、口腔、鼻腔、胃、小腸・大腸、皮膚、膣など全身に及ぶ。人体にはおおよそ 1015 個(1000兆個)の常在菌が生息し、この数はヒトの細胞数(約60兆個)の10倍以上になる。常在菌の種類は1000種前後と見積もられている。

ヒトの消化器官にいる微生物の遺伝子の総数は330万個で、ヒトに存在する遺伝子2万~2万5000個の約150倍に相当する。

有益な微生物の代表例は、バクテロイデス・テタイオタオミクロンだ。炭水化物を分解する能力が非常に優れていて、多くの植物性食品に含まれる大きな多糖類を、ブドウ糖などの小さくて単純で消化のしやすい糖類に分解する。そのおかげで人間はオレンジやリンゴ、ジャガイモや小麦胚芽といった食品から栄養素を効率的に吸収することができる。

2010年には、自己免疫疾患を抑制する制御性T細胞の誘導に関係するバクテロイデス・フラジリスが、2011年には同様にこの制御性T細胞を誘導するクロストリジウム属が発見された。

日経サイエンス
2012年10月号より(要約)

この最後の項が、常在菌が人体の免疫機構を制御している、少なくとも免疫機構に関与していることを言っています。最近、このこと関連した医学研究を詳細に分かりやすく解説した本が出版されました。非常に興味深い本だったので、その内容を紹介したいと思います。『寄生虫なき病』という本です。


『寄生虫なき病』


『寄生虫なき病』(文藝春秋 2014)は、アメリカのサイエンス・ライターであるモイゼス・ベラスケス=マノフ氏の本で、細菌や寄生虫と免疫関連疾患の関連が詳細に書かれています。彼は数千の研究論文を読破し、また研究者へのインタビューも行って本にまとめました。著者自身も自己免疫疾患を抱えていて、自分のやまいを知りたいという強い思いが伝わってきます。

この本(以下「本書」)は約500ページもあるので、とても全部の内容を要約できませんが、以下にポイントを紹介します。

寄生虫なき病.jpg

カバー写真:アメリカ鉤虫(こうちゅう。Necator americanus)。体長10mmほど。幼虫は人間の皮膚から体内に侵入し、血管を通って最終的に小腸に到達すると、腸壁に取りつき、血液を吸って繁殖し、人体に様々なダメージを与える。アメリカ合衆国では現在は根絶されている。著者はこのアメリカ鉤虫を自ら体内に取り込んだ。─── 本書カバーの説明を引用。


衛生仮説


一般に、

  環境が清潔過ぎると、アレルギー疾患が増える

という主張を「衛生仮説」と呼んでいます。これは1990年代半ばから提唱されたもので、日本では寄生虫の減少とアレルギー増加の相関関係を指摘した藤田紘一郎博士が有名です。本書は衛生仮説が正しいことを主張するものですが、もう少し厳密に、

  衛生仮説
  微生物(細菌や寄生虫)が少ない環境が、免疫関連疾患(アレルギーや自己免疫病)のリスクを増大させる

とし、各種の実証研究を網羅的にあたってこの仮説を説明した本です。

衛生仮説と言う時の「衛生」や「清潔」の意味に注意すべきで、ちょっと誤解を受けかねません。「不衛生」で「不潔」な環境がアレルギーを減少させると考えてしまうと「それじゃ、ニューヨークのスラム街に喘息患者が多いのはおかしいではないか」となります。スラム街に喘息患者が多いのは、喘息を誘発するアレルゲン(ゴミ、チリ、ダニ、など)が多いからです。本書には、スラム街で比較すると微生物が少ないほど喘息のリスクが増加することが書かれています。

「微生物」という言葉にも注意すべきです。これはもちろん、コレラ、赤痢、麻疹、インフルエンザなどの伝染病の原因となる病原菌やウイルスのことではありません。昔からヒトと共存してきた微生物のことです。そもそも伝染病は5000年ほど前から始まったとされています。なぜなら、伝染病の成立・維持に必要な人間の集団の数は約20万人(最新の学説)だからです。また伝染病には動物の細菌が人間に感染したものが多い。つまり伝染病は人間が動物を家畜化し、文明生活を集団で始めて以降のものです。病原菌は人類進化史の観点からすると「新参者」です。

こういった誤解を避けるためにも「衛生仮説」ではなく「旧友仮説」と呼ぶべきだという学者の意見が本書に紹介されています。旧友(Old Friends)とは、人類が旧石器時代からずっと共存してきた微生物です。